「お客さん、そろそろ起きてくださいよ」
真っ先に目に入ったのは、藁の日避け屋根だった。
小太郎は船べりに凭れかかっていた体を起こしてからぐっと背中を伸ばした。随分、長く眠っていたらしく、腰や肩が重怠かった。
人間の船頭が客を一人しか乗せられない小さな小舟をえっちらほっちらと漕いでいる。
波風は穏やかで、風は肌寒いが底冷えするような、酒を呑んで凌がなければいけない程のものではない。空も雲一つなく、晴々としていた。
「…………おい、船頭」
「へい、何でございましょう」
「アイルーの寿命ってどれくらいなんだ?」
小太郎は、寝起き特有ぼんやりとした声音でそう聞いた。
船頭は、少々考えるように言い淀んでから、さぁ……と首を傾げた。
「少なくとも人間よりは短命らしいですぜ」
小太郎は、ふぅーんと気のない返事をして「じゃぁ、ガルグは?」とさらに尋ねた。
「うーん、二十年くらいって聞いておりますけどね。専門じゃねぇもんで詳しいことは……」
「猫も犬っころも、そんなもんか」
船頭は、深く話を掘り下げることなく、愛想笑いで会話を区切った。
小太郎もそれ以上の会話は望んでおらず、黙って遠くに見える船着き場の方を向いていた。
風が強かったこともあり、数分と経たずに船は港に到着した。
「ご苦労さん」
「へい、まいど」
差し出された船頭の手にゼニーの入った小袋を渡す。
精算を済ませてから、着替えと必要最低限の物資が入ったきんちゃく袋の紐を肩にかけて、小太郎は桟橋に降り立った。
桟橋の先から見上げれば、村を囲むように黒ずんだ木の杭が並べられて壁が造られている。
五十年前、百流夜行と呼ばれるモンスターの襲撃を受けたこの『カムラの里』では、外敵から村を守るための設備が未だ為されているらしかった。
桟橋からは、山側にある正面の入り口も見ることができる。山側の入り口は、赤い立派な橋一本で繋がっており、その下には谷間となっていた。
非常時には、橋を落として防衛を固められるような作りとなっているようだった。
木の杭の向こう側に高く聳える煙突があった。
煙突の先には、竜を模した飾りが付けられていた。竜の口からは、濛々と煙と炎が絶えず上がっていた。
桟橋の上から進み、石階段を上がる。
海側に面した里の入り口は、三つの木材を組み合わせて作った簡易的な門が置かれているだけだった。
門の上には、二対の竜が飾られ、支えとなっている木材にも手裏剣を模した飾りと、白い線が上下に分かれて二本ずつ描かれていた。
一応、杭の壁も門の左側は連なって置かれているが、右側はおおきく隙間が開いていおり、作りかけの様相を呈していた。それ以外は、特別な警備もされておらず、海沿い側から責められることは、想定していないような手薄さが見て取れた。
小太郎は、門を潜って眼前の薄い石を積み上げて作られた階段を上がって里へと入った。
階段を登り切った先で眼前に広がったのは、満開の桜だった。
あちこちで薄ピンク色の花弁が風に吹かれてふわふわと舞っている。
大きな屋敷の入り口上部から生えて花を咲かせている枝もあれば、どっしりと根を伸ばして太い幹から方々へと枝を伸ばして花を広げている木もあった。
今まで見てきた花々の開花の中で最も美しい景色だった。
小太郎の口から感嘆のため息が漏れる。
団子屋の娘とアイルーが団子と温かいお茶を販売している。それらを購入した花見客は、毛氈の敷かれた四脚の長椅子に腰かけて空を仰いでいた。
素晴らしく平和な光景だ。
しかし、その花見客たちの表情は美しいものを見て心穏やかに一息ついているようなものではなかった。何とも言い難い、微妙な感情をみな一様に抱えているようだった。
その違和感に気づいた小太郎も同じように空を見上げてみる。
雲一つない青空の中に桜の花と家屋の屋根が見える。
そしてそれ以外で見えたのは、亜麻色の髪を垂らした青年が木の枝に縄で縛られ、項垂れている姿だった。
「……?!」
その顔には、実に見覚えがあった。
体に電撃が走る程の衝撃を受けて、小太郎は唖然として口をパクパクと動かした。
亜麻色の髪色も、物語にでも出てきそうな美しい妖精のような容姿、彼の種族を象徴する尖った耳も、かつて彼と出会った時から何一つ変わりなかった。
しかし、彼をなんと呼ぶべきなのかが分からず、小太郎は呆然としてただただ、周囲の人々と同じように空をしばらく見つめていたが。
徐々に不自然さを覚えて小太郎は周囲を見渡した。
(なぜ誰も助けない?)
小ばかにする言動をする者はいないが、どこか呆れの混じった雰囲気が漂っている。そして、苦笑を浮かべて見上げる者もいれば、普段通りに仕事を熟している者もいる。
この村では、まるでこれが常識であるかのようだった。
「おい! そこの……お、お前! 今助けてやるからな!」
名前を呼ぶことができないまま、小太郎は桜の幹に足をかけて上へと登ろうと力を込める。
手を枝に伸ばして今にも駆け上がろうとしていた瞬間に、ポンッと軽く肩を叩かれて振り返った。
小太郎の背後には、蜘蛛の巣を思わせる模様が描かれたおどろおどろしい印象を受ける黒いベールで顔の上半分を隠した怪しげな若い女が一人、余裕のある微笑を浮かべて立っていた。
女の上半身は、皮膚が透ける程に薄い布と僅かな装甲を身に着け、下半身は前を大きく開けた生足と黒のベールと同じ素材の背中側にしか無いスカートを身に着けた邪悪な雰囲気を纏っていた。
それは、ハンターが身に着ける防具の一種である『スパイオSシリーズ』だった。
このような破廉恥で装甲の薄さが気になる防具ではあるが、背中に巨大な投げナイフを三本、革の鞘に収めた状態で背負っており、戦いを意識した造形も一応は施されていた。
「あら、この辺では見かけない顔ね」
女は、赤い唇に笑みを浮かべたまま、小太郎の肩を白く長い指で遊ぶように撫でた。
「……あ゛ぁ゛? 誰だてめぇは」
「あの子の……そうね、飼い主ってところかしら」
女は、小太郎の肩に手を置いたままで言った。
「飼い主だと? だったら早く助けてやれよ」
「そう簡単に助けたりはしないわ。だって、縛り直すのが面倒だもの」
「なんだと?!」
小太郎は、肩に触れる女の手を叩き落として彼女を睨んだ。
「お前があいつを縄で縛った。だから、俺を止めに来たのか」
「ええ、察しがとっても早くて本当に助かるわ」
小太郎は、剣を背中から一本だけ引き抜いて女の首元に向かって突き付けた。
「あら、話も碌に聞いてくださらないのかしら」
「問答無用だ。あいつを降ろす。邪魔をするな」
「嫌……と言ったら?」
女の口元は弧を描いた。
「何を……?!」
小太郎は、鉄の冷たさが僅かに皮膚に擦れた感触に気が付き、その場から素早く飛び退いた。
(この女、剣を突き付けられているってのに)
女は臆すことなく、小太郎の腹に向かってクナイを刺し込んできた。
即座に距離を取ったが、じわりと腹が熱くなって、次第にそれが痛みへと変わっていく。
幸い、気づくのが早かったおかげで深手にはなっていない。
掠り傷、その程度で済んだ。
「あなたハンターなのね。だから毒にも……多少は耐性がある」
「なに?! 毒だと!」
言われてみれば、確かに痛みがなかなか引かない。痺れた様な感覚もある……ような気がした。
だが、その程度のことでこれといった異常は感じられない。一般人より頑丈なハンターの肉体には大して効力の無い毒なのだろうか。
「……ふん、大したことねぇな。その毒とやらも」
内心、後からどのような症状が出るのかと不安に思っていたが、小太郎は目の前の相手に舐められまいと強がって見せた。
「今のは正当防衛……とはいえ、ハンター同士の決闘は禁じられているわ」
女は残念ねと言ってため息を吐いたが、俯いた。
が、すぐに何かを思いついたらしく「そうだわ」と言って顔を上げた。
「ねぇ、私と一つ遊んでくださらない?」
女は、美しく引き締まった片足を見せつけるように、つま先を地面に着けたまま僅かに突き出した。
左脚には、太ももを一周する形でクナイがズラリと革の鞘に収められている。
女は、そこからクナイを二本引き抜いて艶っぽく嬉しそうにほほ笑んだ。
村人たちがそそくさと避難を始める。団子屋も早々に店じまいして、各々家へと帰って行った。
この女の過激さに里の者達は完全に慣れているようだ。
里が静まり返る頃、女は再び口を開いた。
「私のクナイが無くなるか、あなたが立てなくなるか……勝負と致しましょう」
「はぁ? 俺はそんなもんやらねーよ! 俺はただあいつを地面に降ろせと言っているだけで」
ここまで言いかけて小太郎は、目を見開いた。
女の口元が狂気を思わせる程に吊り上がったと同時に、予告なしにクナイが放たれたのだった。
「うおっ!」
情けない声を出して、大慌てで小太郎は背中に残っていた剣を引き抜いて双剣として構えた。
飛んできた二本のクナイを双剣で弾き飛ばす。
「おい、馬鹿! 止めろ!」
「うふふふ……」
女の口から狂喜の笑みが漏れている。
さらに追加でクナイが投げられる。それをも易々と防ぐと、女は恍惚とした様子で吐息を吐いた。
「双剣の限界が見たいわ。これは、どうかしら……」
女は、クナイを片手に四本ずつ鞘から引き抜いた。そしてもう片方にも同じように四本クナイを抜き取って、的確に小太郎を狙って放ってきた。
小太郎は、双剣を振り乱してクナイを叩き落とす。
落とし損ねたクナイが脇腹、脚に掠って、片腕には突き刺さった。
深く刺さった片腕から、電撃が走ったかのような痺れが広がる。
痛みはなぜか感じない。
しかし、片腕全体がダル重く、クナイを叩き落とせる程に素早く動かせそうにはなかった。
「くそっ……!」
「片腕でどこまでやれるか、見てあげるわ」
女は、背中側からベールのスカートに隠していたのか、さらにクナイを取り出して構えた。
「て、てめぇ、汚ねぇぞ!」
「手持ちのクナイが無くなったらと言ったはずよ」
片腕では、全てのクナイの攻撃を防ぐことはできない。まとめて数本、死角を無くさせられるような投げ方をされれば確実に負傷するだろう。
「ったく! こんな街中で本気出させられるとはよぉ!」
小太郎は、双剣を手の中で逆手に持ち変えた。
赤いオーラが全身を包む。
全身の感覚が過敏になって、筋肉が固く、服の締め付けが窮屈になる程に増強されたのを感じる。
これは、双剣使いのみが使用できる『鬼人化』と呼ばれる技だ。
体力を犠牲にして機敏さと力の底上げを行う。
片手で勝機があるとすれば、この技に賭ける他に方法は無かった。
「準備は整ったかしら? 行くわよ」
クナイが四本ずつ、解き放たれる。
小太郎は、クナイ四本を叩き落とすのではなく、ギリギリの所で回避して女の元に前進した。
小太郎の行動を予期したのだろう、女が透かさずクナイが投げた。
今度は、避けられないように道幅いっぱいに広がるような投げ方だった。
実質、体に当たるのは動かない限りは二本に抑えられるが、確実にどこかしらが当たるような投げ方だった。
通常であれば、一本は避けてもう一本は双剣で弾くという方法を取った。
しかし、小太郎はこの時点で双剣をその場で手放した。
女も流石に驚いたのか、ポカンと口を開けている。
(いいざまだ)
小太郎は、飛んできた一本のクナイを手の平で掴み取った。そうしてもう一本のクナイは、負傷していた腕で庇ってわざと突き刺した。
腕に刺さっていた二本のクナイと、掴み取ったクナイをまとめて三本、空に向かって投げつけた。
クナイは、鬼人化の恩恵を得てビュンッと飛び、桜の木に縛られていた青年の縄を勢いよく断ち切る。
それと同時に小太郎は、地面を蹴った。
鬼人化で強化された脚力は、凄まじい速度で駆け抜ける。
そのあまりの速度に、女も反応できず素手で攻撃に備えることしかできなかった。
だが、小太郎はそのままの勢いで女の横を通り過ぎて行った。
桜の木から落ちてきた青年の体を地面を滑るような速度で抱き止めた。
ほっと胸を撫でおろしてから、小太郎は青年の顔をじっくりと見つめ、顔立ちを確かめた。
女と見紛うその美しい会った当時から変わりない顔立ち、さらさらとした絹のような触り心地の髪、細身の軽い体重……やはり、彼だった。
小太郎が探し求め、二十年近い月日を費やしたその人物が目の前でスヤスヤと眠っていた。
縛られていたというのに、日の光に当てられて眠くなったのか、昼寝を始めたのだろうか。穏やかで規則的な寝息が聞こえてくる。
「何も、本当に何も……変わって……ないな」
体が痺れ、小太郎にも眠気が訪れる。これは、陽気のせいでは決してない。
毒が回り、血を流し、体力を鬼人化で使い果たした代償だった。
小太郎は、彼を抱えたま地面に倒れ伏した。
彼の記憶は、ここで一旦途絶えた……。
NEXT