第1話
司波達也は、四葉本家から一族の一員とは認められていない。とはいえ、その血まで否定されたわけではなかった。現当主・四葉真夜は彼の伯母にあたる。
その達也はこの春、妹の深雪とともに国立魔法大学付属第一高等学校――通称、魔法科高校へ入学した。
しかし、兄妹の行く先に平穏という言葉は縁遠いらしい。校内には、一科生と二科生の壁が生んだ差別意識が燻っていた。実技の成績によって分けられた一科生と二科生。前者の制服には八枚花弁の刺繍があり、後者の胸元にはそれがない。
「花冠」と「雑草」という呼び名は、その違いを毎日突きつけていた。
やがて「学内の差別撤廃を目指す有志同盟」が放送室を占拠し、生徒会と部活連に対等な交渉を要求した。学校側が選んだ決着の場は、全校生徒に開かれた講堂での公開討論会だった。
「一科と二科がほぼ同数……。意外だな」
討論会当日。講堂後方に立った達也は、座席を見渡した。胸元に花冠を持つ者と、無地のままの者。普段なら分かれている二つの集団が、今日は同じ列をまだらに埋めている。風紀委員である達也は、天井に反響するざわめきの中から不穏な音を拾おうと意識を研ぎ澄ませた。
「それだけ、この討論会が生徒の関心を集めているということだ。まぁ、真由美目当てのヤツも居るかもしれんが……」
独り言に応じたのは、隣で腕を組んでいた風紀委員長の渡辺摩利だった。顎をわずかに上げ、壇上へ視線を向けている。
「ファンが多いですからね……。あの人は……」
七草真由美の蠱惑的な小悪魔スマイルを思い出し、達也は小さく頭を振った。あの笑みの裏側まで知る彼にとって、それは大抵、厄介事の前触れだった。何も起こらなければいい――その願いは、ほどなく裏切られる。
第一高校生徒会長、七草真由美は壇上の中央に立ち、生徒一人ひとりへ語りかけるように視線を巡らせた。華奢な外見に反して声はよく通り、講堂を満たしていた私語は消えていた。
「――人の心を力尽くで変えることは出来ないし、してはならない以上、それ以外のことで、出来る限りの改善策に取り組んでいくつもりです」
最後の言葉を言い切ると、一拍を挟んで拍手が湧いた。前方から始まった音は後方まで伝わり、空気は真由美の色へ染め上げられていた。
真由美がマイクから一歩退いて一礼したとき、ひとりの一年生が壇上へ飛び出した。
制止より早く少年がマイクを奪う。スピーカーからハウリングが走り、拍手が途切れた。
「諸君! 論点をずらした姑息な話術に騙されるな!」
あまりに唐突な叫びだった。
手を叩きかけた姿勢で固まる者。隣と顔を見合わせる者。静寂の中、何百もの視線が少年へ突き刺さった。
達也も目を見開いた。ただし、胸中を占めていたのは動揺より意外感だった。
彼は、この無謀な少年が何者なのかを、この場にいる誰よりもよく知っていたからだ。
少年の名は、津久葉夜久。
冷凍保存されていた四葉真夜の卵子を基に生まれた、正真正銘、現当主の息子である。津久葉の姓を名乗っているのは、生後すぐ分家へ預けられたためだった。
理由は、彼が受け継いだ固有魔法にある。
真夜の「流星群」ではなく、彼女の姉・四葉深夜が持っていた「精神構造干渉」。望まれて生み出された子供でありながら、望まれた魔法を持たなかった。ゆえに夜久は生まれたが、愛されはしなかった。
それが、津久葉夜久という少年だった。
達也にとっては従兄弟にあたる。同じ学校へ入学したことも聞かされていたし、姿を見かけたこともあった。ただ、夜久がいつも連れ立っているのは、入学直後に達也たち二科生へ因縁をつけた森崎駿のグループ。学校での彼は、少々選民意識の強い「普通」の一科生であるはずだった。
「そもそも、差別の始まりは当人らの意識などではない! 単なる制服の発注ミスであり、それを隠蔽する為に、差別を黙認しているに過ぎない。普通ならば、生徒会はすぐにでも学校側に抗議し、各二科生の刺繍代を負担する予算案を審議すべきなのだ。それが出来ないというのなら、独立組織というのも名ばかりで、彼らは単なる職員室の走狗と言わざるを得ないだろう!」
マイクを握る声がところどころ裏返る。真由美の演説とは対照的だった。それでも夜久は勢いを緩めず、二科生が多い側へ腕を伸ばした。
有志同盟を擁護している――少なくとも、言葉だけを聞けばそう見える。
達也は眉根を寄せた。普段の夜久を知る者なら、この構図に首を傾げずにはいられない。
「環境が差別を作る。勿論、予算の不平等、一科生を優遇する項目が書かれた生徒会則……それらも、原因の一部ではある。けれども、我々は原点に立ち返るべきなのだ。考えてみたまえ! 何故、『花冠』と『雑草』という言葉が校内に蔓延ったのかを!」
会場のあちこちで、小さく息を呑む気配がした。
夜久の言葉は粗い。草稿を練り、論点と着地点を整えた真由美の演説に比べれば継ぎ目も目立つ。だが、その未完成さが熱として伝わっていた。
二科生の肩から、わずかに力が抜けた。一科生の何人かは居心地悪そうに胸元のエンブレムへ触れる。夜久の言葉は、人々の感情を動かしかけていた。
「――それは、『平等に花が咲かない』からなのだ! ……そこを無視して、問題は解決しない。私立ではなく国策の学校である以上、教育の機会は誰もが得る筈のものなのだから。十師族であれ、第一世代であれ、魔法の才のある若者を優秀な魔法師に育てる……。それなのに、第一高校では入学前から『補欠』の烙印を生徒に押し付ける。つまり、本学のアドミッションポリシーは間違いなく不履行! 一科にしろ、二科にしろ、生徒が悪いのでは決して無い。傲慢さを隠そうともしない、このシステムが変わらない限り、確実にこの国の魔法教育は衰退する!」
最後はほとんど絶叫だった。夜久の喉は掠れ、肩が大きく上下している。
その姿を見て、達也はようやく腑に落ちた。
彼は本心から魔法師社会を憂えているわけではない。単なる逆張りだ。皆が真由美を支持するから反対へ立ち、騒ぎを起こして母親の耳へ届ける。
四葉真夜に、自分を見てもらえる。
風紀委員たちが壇上へ駆け上がった。両脇を掴まれた夜久はなおも叫ぼうとしたが、マイクを取り上げられ、講堂の袖へ引き摺られていった。
その短絡と空回りを、達也は無表情のまま嗤う。
同時に、胸の奥には正反対の感想も浮かんでいた。
感情のままに行動できるということが、どれほど幸福なことなのか。
きっと夜久本人は、まだ知らない。
◆
数日後、夜久は四葉本家へ呼び出された。
通された書斎は、厚手のカーテンによって外光が完全に遮られ、昼間だというのに薄暗い印象を受ける。テーブルの向かいには、四葉家当主――夜久の実母である真夜が座っていた。
議題はもちろん、第一高校で起こした騒ぎについてだった。
「貴方にも困ったものだわ……。冬歌さんには、ちゃんと釘を刺したはずなのだけれど」
真夜は頬へ指を添え、息を吐いた。冬歌、というのは津久葉家の当主――津久葉冬歌のこと。彼女は、夜久の生活や教育の管理を任せられている。
「魔法を使った騒ぎは二度とやめてくれ、だった。今回はそうじゃないだろ?」
夜久は悪びれもせず、アーモンドクッキーを摘んだ。朗らかな表情でそれを噛み砕く。だが、欠片が刺さったのか片頬を引き攣らせた。
「それに、相手は七草。特に問題は無い。他の二十八家に喧嘩を売るならともかく」
夜久は咀嚼をしながらも、話すのをやめない。真夜は真顔で彼の口許を見やりながら、組んだ指先を強く締めた。
「……貴方ね、退学処分になったのよ? もう少し、己の行動を省みようという気持ちにはならないかしら」
「相手が七草だったから、追い出された。……もしも、おれが四葉を名乗っていたら、なあなあで済まされたに違いねぇよ」
認知しないことへの当てつけか。
真夜の眉が僅かに動く。夜久はクッキーに目を落とし、母を見ていない。真夜は口元へ微笑を作り、声の棘を甘い響きで包む。
「……それは仕方ないことなのよ? 貴方を守る為にしていることなんだから」
「へぇ。それはどうも」
夜久は生返事を寄越し、次は紅茶へ沈んだレモンスライスをティースプーンで突つき始めた。銀の匙がカップを擦り、耳につく高い音を立てる。
真夜の言葉より、レモンの方がよほど彼の注意を引いていた。
「……それで? 次はどこに通う気なのかしら? 私としては、もう家にいてくれた方がずっとマシなのだけれど」
「家? ……ただ、研究棟にぶち込むことが?」
「どう捉えるかは勝手だけど。貴方を外で生活させる為に、使用人や家は用意しないわよ」
「別にどうぞ。寝床は自分で探します」
ティースプーンが、またカップの縁へ当たった。
親子の会話にしては、声に何ひとつ温度がない。真夜は目を合わせず、夜久も顔を上げない。菓子皿だけが二人のあいだに置かれていた。
「――次こそは、まともに通ってくれることを願うわ。問題ばかり起こされて、こっちもたまったものじゃないんだから」
「起こしたくて起こしてる訳じゃない。育った環境が悪いんだろ? 憎むなら、自分の教育方針を憎むことだな」
夜久は反省の色もなく立ち上がり、真夜へ指先をひらひらと振る。そのまま振り返らず、書斎を出ていった。
廊下に控えていた葉山が、入れ替わるように姿を見せ、静かに扉を閉じた。真夜は大きく息を吐く。
「……こんなのばかりで、やってられないわ」
先ほどまでの作り声ではない。吐き出された溜息に混じった、乾いた声だった。
「そうは仰いますが。叱られたとしても夜久様は、息子の立場で奥様にお会いできることが嬉しくて堪らないのでしょう。微笑ましいではありませんか」
葉山はいつもの穏やかな微笑を浮かべている。
「あの子を息子だと思ったことは一度も無いわ」
真夜は一息で切り捨てた。葉山の言葉が届く余地を残さない、硬く冷たい声だった。
「子供が出来れば、幸せになれると思ったのだけど。そんなことは無かったわね。ただただ、苛つくだけ」
「せめて、『流星群』を引き継いで頂ければ良かったのですがね……」
「姉さんと同じ魔法を持って生まれたら、それはもう姉さんの子供だわ。結局、私は自分の子供を産めなかった……」
真夜は視線を落とし、人差し指のささくれを爪でめくった。薄い皮が剥がれても手を止めない。
身勝手な言い分だった。けれど、魔法の特質が次代へ遺伝する魔法師社会では、まるきり理解不能でもない。調整体魔法師も、魔法と遺伝の結びつきなしには成立しない。
真夜の子なら、物質の構造へ干渉する性質を受け継いでもおかしくなかった。だが夜久が持って生まれたのは、真夜が望んだ魔法ではない。
真夜の目には、それが期待を裏切るものと映っていた。
四葉深夜が司波達也を愛せなかったように。
四葉真夜もまた、自身の息子を愛せなかった。
◆
啖呵を切って本家を出たものの、おれは途方に暮れていた。
山梨の空気は少し冷たい。門から離れながら、端末で交通経路を表示させては閉じる。自由になったようでいて、行く先はどこにもなかった。
お母様や分家の後ろ盾なしに転校先を探すのは難しい。二高や三高はもちろん、地方の魔法科高校へ手続きを出したところで、七草家が妨害してくるに違いなかった。葉山さんによれば「あちらの御当主は、相当に御立腹なそうです」とのことだ。十師族当主の怒りが治まることなど期待できない。
転校しないとしても、本家に籠るのは嫌だった。となれば働き口を探さなければならない。
CADは手元にある。裏界隈へ行けば、魔法を使った「汚れ仕事」くらい見つかる気もする。だが、お母様はきっと黒羽辺りを動かし、雇った業者ごと潰すだろう。
おれのことは見ないくせに、おれの魔法だけはよく見ている。第四研でもトップクラスの価値を持つ「精神構造干渉」は、四葉家が外へ漏らせない秘密である。
ポケットの中で端末が震えた。
人気のない道では、短い振動が妙に大きく感じられた。画面を開き、表示された名前に目を見張る。
「森崎から?」
確かに友人ではあった。ただし、特別仲が良かったわけでもない。
入学直後の騒ぎに加え、美人の司波深雪へ露骨に忖度するクラスメイトたちの存在もあり、「魔法至上主義な上、二科生を見下す態度を一貫して取り続ける奴」はA組で少し浮いていた。だから何となく一緒にいただけだ。おれもどちらかといえば、「魔法が使えない奴は気の毒」という考えなので、森崎には少し同情していた。
届いたメッセージは、「今から会えないか?」という短いものだった。地図データも添付されている。開いてみれば、第一高校前のファストフード店。値段が手頃で、学生がよく利用する店だ。
おれは「今山梨だから、ちょっと待って」と送り返した。東京までは約一時間。待っているとは思えないが、一応戻ることにした。どちらにせよ、今の家から荷物を引き上げなければならない。
「――どんな頭していたら、退学処分受けた日に山梨に行くんだ。どうかしてるだろ」
二時間後。店へ入るなり、森崎は眉間に皺を寄せた。窓際の席には、飲み終えたコーヒーの紙カップがひとつ。てっきり帰ったと思ったが、律儀にも待っていたらしい。
リニア特急代を惜しみ、ちまちまと乗り換えてキャビネットで戻ったため、普通より時間がかかってしまった。
「コーヒー一杯で粘ったせいで、店員がさっきから何度も僕の背後を歩いてたんだぞ」
森崎が抗議した直後、店員がこちらを一瞥して通り過ぎる。誇張ではないらしい。
「悪い悪い、現実逃避も兼ねてね」
向かいへ腰を下ろし、コーラへストローを差す。魔法師にとって、魔法科高校を卒業する以外の進路はほぼない。せいぜい古式系の道場へ入るくらいだ。つまり、人生ドロップアウト確定である。
「本当のところは、そこまで気にしてないけど。おれは別に習わなくても、魔法は使えるし。得意だから」
わざと軽く言ってみせる。
森崎はすぐに返事をせず、空の紙カップを弄んだ。薄い蓋が、親指に押されて軋む。
「……お前は、すごいよな」
「なんだよ、急に」
森崎の視線はカップへ落ちたままだった。声の先を待って、おれは首を傾げる。
「お前は、魔法師社会の現状をシンプルに述べただけだ。差別は、存在していると。なのに、退学処分って……悔しいだろ」
「まぁ、討論会の邪魔はやっぱ良くなかったんじゃないの。七草家、めちゃくちゃ怒ってるし。日頃の行いもまぁ良いとは言えなかったしな」
コーラを勢いよく吸い上げる。冷えた炭酸が喉を刺し、疲れた身体へ人工的な甘さが染み込んだ。
「それでも、僕はなんだか悔しい。僕よりも実技成績の良い奴が、こんな風に学校を去るなんて」
森崎の指が止まった。
「だから、ウチに来ないか」
ようやく顔を上げた彼は、冗談を言っているようには見えなかった。
「それ、大丈夫なのかよ。お前ん家、百家傍流だろう。七草から文句言われたりしないか?」
「逆にそのレベルの家のことを、十師族は歯牙にも掛けないだろうよ。それに、おそらくだが……。ほとぼりが冷めたら、どこの家でもお前を拾うと思う。ナンバーズお抱えにするなら、魔法科高校を出てなくても問題はないだろうからな」
「……は? どういうことだ? 七草家に喧嘩を売った奴をわざわざ呼び寄せるって、どこかおかしくないか?」
森崎は一体どういう推理をすれば、そんな結論に至るのだろう。これではポンコツ探偵もいいところだ。
「簡単だよ。――才能があるからだ。僕が、お前を待っていたのだってそうだ」
店内には場違いに明るい音楽が流れ、隣のテーブルでは制服姿の生徒たちが笑っていた。
「才能……。おれの、その才能だかのために、2時間も待っていたのか?」
「あぁ。……僕は信じたいんだ。お前が、また表舞台を歩ける可能性を。それは、魔法師の才能至上主義を裏付けることだ――津久葉! 頼む、僕のところに来てくれ!」
森崎は勢いよく頭を下げた。額がテーブルへぶつかり、ゴツッと鈍い音がする。近くの客が驚いて振り返ったが、本人は顔を上げようとしない。
プライドの高い森崎が、ここまでやるのか。
喉元まで出かかった軽口を、おれは飲み込んだ。
「……わかったよ」
森崎の肩から、目に見えて力が抜けた。
お母様も、いきなり森崎家を潰したりはしないはずだ。裏側の人間ならともかく、表の社会で暮らす一家を理由もなく踏み潰すのは不自然すぎる。しばらく身を潜める場所としては、ちょうど良い。
でも――と、おれは思う。
おれには、才能よりも欲しいものがある。
それなのに多くの人々は、「才能」こそ喉から手が出るほど欲しいらしい。
なんという皮肉だろう。