夜久が四葉本家の屋敷に入ることは稀だ。第四研にはちょくちょく顔を出すが、泊まりがけの際も研究室の仮眠室を使用する。なぜなら、本家の屋敷への立ち入りを基本的に禁止されているからである。ちなみに、他の分家の屋敷も彼は出禁だ。
そんな彼も、本家に足を踏み入れることがある。当主からの呼び出しという理由で。
「……見たわよ。あのニュース」
夜久は真夜の向かいに座った。二人の間では、カップを置く音だけがやけにはっきり聞こえた。
葉山だけが「親子の繋がりは大切ですからねぇ」と呑気なことを言いながら、楽しそうにお茶菓子などの用意をしていた。ある意味、図太い人間である。これは、彼が完全なる譜代の四葉家使用人ではないことも理由にあるのだろう。
「ニュースとは?」
「とぼけないで。知ってる癖に」
数時間前、各種報道サイトでアップされたニュースのタイトルは「白馬の王子様の正体は、アウトロー少年!?」というもの。一色愛梨の危機を救った、ある人物についてのことが書かれている。つまり、夜久のことである。
「見たんですか」
「四葉の不利になる可能性があるから、仕方なく。幸い、一色家の圧力で大きな騒ぎにはならなそうで安心したわ。それでも、情報統制には一苦労したのよ」
真夜は手にしたカップから紅茶を飲もうとして……既に空になっていることに気づく。テーブルに置くと、控えていた葉山が茶を淹れた。
「ところで……貴方は私の息子よね?」
「はい」
「息子なら、母親の願いを聞くべきだと思わない?」
「……」
「私は貴方を守るために、世間から隠しているのよ?目立ったら……意味ないじゃない」
椅子から立ち上がり、夜久の身体に走る傷をなぞる。ほぼ消えていたが、まだ薄く線になって残っていた。
「……ごめんなさい」
「そうよね?なんだかんだ言って、やっぱり貴方のことは心配なのよ」
肩に手を置き、夜久の顔を覗き込む。
夜久は「信じられない」という表情をしていた。
真夜の言動に心が篭っていないことくらい、彼も分かっているのだ。それなのに……。自分の言動に左右される様子を見るのは、心底面白くてたまらなかった。
「ずっと、ここにいて。――やって欲しいことがあるわ」
新しい調整体を開発するプロジェクトを立ち上げる予定があった。現行の「桜シリーズ」や「楽師シリーズ」は優秀だが、不安定な部分があるのも事実だ。次世代シリーズを運用していく準備が必要だった。それを前倒しにして、夜久に統括させようとしていた。
「大変な仕事になるとは思うけれど……どうかしら?」
「……やらない」
予想外の返答に、真夜は思わず固まった。夜久は研究に関しては熱心で、あまり拒否したことが無かったからである。人造魔法師実験だって参加していた。
「調整体の開発は、別におれがいなくても始めることはできる。どうして今になって、お母様は……おれを急に縛り付けようとするの?」
調整体作製のノウハウは、四葉家内でしっかりと共有されている。夜久でなければならない理由などない。夜久は、それをよくわかっていた。
夜久は自分の肩に置かれた母の手を外す。そして、部屋を出て行こうとする。ドアノブを掴んだところで、一度振り向いた。
「……ごめんなさい、お母様」
ふいに、真夜は自分の息子に別の人間を幻視した。ついぞ、蘇ることのなかった過去のデータの断片。それが、脳内から引き出された。
――真夜さん。僕はね……四系統八種の魔法を発動段階で保持することが出来るんですよ。
あれは何回目の顔合わせの時だったか。ある料亭の庭を散歩中、青年は生真面目な表情で言った。
――そんなこと、話しちゃっていいの?七草家の秘匿技術なんでしょう。
――いずれ家族になるから良いんですよ。……僕はこの力で、どんな時でも真夜さんを守ります。
――どんな時でも?
青年は胸を張って、その問いに頷いた。
――えぇ、どんな時でもです。
「……つまらない。不幸になればいいのに」
自分が受けた悲劇と同じだけの苦しみを、なぜ他人は経験しないのだろうか。今でも、真夜には分からなかった。
◆
時は、夜久が本家を訪れる少し前に遡る。九校戦が終了し、達也と深雪にとっての高校生最初の夏休みがようやく始まった。宿題は免除されているので、なにも気にせずゆったりと過ごせる。買い物に出かけたり、一緒に映画を見たりと、2人は穏やかで楽しい時間を過ごしていた。
「……そういえば、夜久くんはどうなったのかしら」
深雪はふと、従兄弟のことを思い出す。すっかり忘れていたが、彼は厄介事に巻き込まれていたはずだ。
「あれ以降は会っていないから……どうなったかは分からない」
「一色さんを見つけるように言われたのですよね?噂では攫われたとか」
「あぁ、そうらしいな。だが、探すこと自体はそう大変なことではなかった」
夜久の認識する情報次元を共有し、イデア上の位置を現実世界に落とし込んだだけである。本来は不可能な事であるが、「誓約」による繋がりゆえ実現できた。
「さすがはお兄様です」
深雪はうっとりと兄を見つめた。
夜久が達也に助けを求めた際、彼女は場をとりなした。本当は自分のCADを診て欲しかったのに。それでも、そうしなかったのは……嬉しかったから。達也の才は、やはり誰かに必要とされるものなのだと。他人からの評価を再確認できた事実。それがたまらなかった。
「まぁ……あの後、どうなったのか。まだ情報が出てないな」
「夜久くんは、そもそも戦闘魔法師ではないはず……無事だといいのですが」
中学時代の夜久は、第四研で生活していた。実験体をいじくり回す、物憂げな美少年のイメージが強い。言動こそ無鉄砲だが、研究者タイプなのだ。
「……流石に死んではないと思うがな」
そのとき、達也の端末に通知が入った。
「少し席を外す」と断り、彼はリビングを出ていく。15分くらい経過した後、通話を終えて戻ってきた。表情のあまり変わらないタイプだというのに、心なしか疲れた表情をしている。
「――青木さんからの電話だ」
青木というのは、四葉家序列4位の執事だ。経理や外部との取引・営業等、金銭の絡む仕事を統括している。要は、四葉の金庫番だ。
「あの人ですか……」
深雪は眉を寄せる。というのも、青木は仕事能力と引き換えに、人間性を失っているタイプの人間だ。雇い主の身内についての悪口を平気で人前で言うので、彼女としてもあまり関わりたくない方の人間だった。
「俺にケチを付けられるタイミングを見つけたら、嬉々として出てくるからな……。今回は『能動空中機雷(アクティブ・エアー・マイン)』の話で文句を言われた。まぁ、それなりに目立ってしまったのは確かだ」
達也は九校戦に向けて新魔法を開発した。彼の認識では「ちょっとした工夫」だったのだが、前例のないフォーマットだと話題になってしまったのだ。
とはいえ、現在四葉家内を一番騒がせていたのは夜久のことである。勝手に他家の問題に首を突っ込み、危険なことをしていたのだから。達也にまで目を向ける余裕は彼らにはない。青木は勝手に「達也を叱る」という仕事を増やし、遂行していただけだった。
「お兄様の発想は素晴らしかったです!」
「ありがとう。……でも、怒られても仕方ないことではあったからな」
「お名前が載ってしまうのを避けるために、雫の名前で登録することを提案するなんて!お兄様は欲が無さ過ぎます!」
「目立ったらまずいからな……」
ヒートアップする深雪を、達也は何とか宥めようとする。このままでは、また魔法を暴走させてしまう。演算領域に負担をかけてしまう可能性があるので、あまりさせたくないのだ。
(おや?普段なら深雪が怒り出せば、部屋の温度が下がる筈だが……)
そこで、達也は夜久が「誓約」のレベルを下げていたことを思い出した。そのために、深雪の魔法暴走が落ち着いたのだと気づく。
(俺は大して津久葉夜久のことを知らないからな……)
従兄弟とはいえ、立場が違いすぎるのだ。夜久は母親に疎まれているとはいえ、一族内では「直系」としての扱いを受けている。
また、彼は戦闘向きの魔法師ではないので、同じ訓練をすることはない。だから、黒羽の双子たちのように接触する機会はなかった。研究者としての立場を持っているのは少し似ているが、魔法生命化学系と魔法工学系では方向性が全く異なる。ほぼ、人となりを知る機会など無かった。
(短絡的なのは玉に瑕だが。俺たちにそこまで反発心もなく、協力的な方なのだとしたら……役に立つかもしれない)
達也にはささやかな願いがあった。自分と妹が運命に囚われず、穏やかに日常を過ごすこと。四葉に居続ければ、きっとそれは叶わない。
妹には人殺しの罪を背負わないで欲しかった。ただ、幸せだけを享受して生きるべきだ。そのためならば、兄としてどんな犠牲だって払う。その先に、彼女をただ見守って静かに生きる道があると信じて。
◆
おれが本家に顔を出すことになったのには、もう一つ事情がある。
魔法医療によって愛梨は夏休み中に退院することが出来たが、リハビリのための通院を必要としていた。そのため、彼女は一色家が都内に所有するマンションで生活することになった。三高の授業は特別措置によって、実技を免除してもらえるので、座学のみオンラインで受講する予定らしい。
そして、おれはそのマンションに頻繁に出入りしていた。
「……最近は眠れるようになったんだろ?」
津久葉の家で育ったこともあり、精神面のケアに特化した魔法についても、それなりの知識はあった。だから、単なる話し相手としてだけではなく、精神科医の真似事まで勝手に日課にしていた。案外向いているのではないかと、彼女の回復に手応えを感じていた。
「えぇ、ぐっすりとまではいかないけれど」
「……でも寝ているんだよな?」
「寝れないとき、退屈で仕方ないのよ。話し相手になりなさいよ」
「友達とか呼んでくれ。女友達だっているだろう」
夜中までおしゃべりに付き合わされては敵わない。下手にケアなど行わず、プロに任せておけばよかった……おれはそれを酷く後悔していた。
「夜久くんがいれば、別に良いわ。貴方、いつも来てくれるもの。友達を呼ぶ隙がない」
眠れる日が増えても、毎晩おれを必要とされては困る。治療の初めには、治療者へ依存してしまうことがある――おれは知識の中から、その説明を引っ張り出した。これはケアの仕方を間違えたせいなのだろう。
「……しばらく、忙しいんだ。ここに顔も出せない」
少し距離を置けば、おれ以外の話し相手にも目を向けるだろう。そう考えると、顔を出さずに済む理由ができたようで、少し気が楽になった。
「だから……ごめん」
しばらく四葉に戻って、研究にでも没頭すればいい。今度ばかりは本家に顔を出すのも悪くないかもしれない。あれほど逃げ回っていたのに、都合のいい時だけ帰りたくなる。
なんて身勝手なことを言っているのだろう。自分で自分に呆れてしまった。それでも――
「――このクソ男っ!」
思い切り突き飛ばされる。誰の仕業だ……?そんなこと分かりきっている。一人しかいない。
「……愛梨?」
ぽかんと口を開けることしかできなかった。頭の中は混乱して、ぐちゃぐちゃだ。もしかして、妙に一緒にいたがったのはショックや落ち込み由来だけでは無くて……。
「今日はもう帰って!」
顔を真っ赤にした愛梨が、床に倒れ込むおれの前で仁王立ちする。
「いや、あの……」
「友達呼ぶのよ!ここに居たら邪魔!」
リハビリ中の身体のどこから力が出てくるのか、玄関まで無理やり連れて行かれる。そのまま、外に放り出された。
「一生、根に持つわ!」
バタン、と扉が閉まる。何度かノックをしたが、開けてくれる気配はなし。
(おれ、精神科医にはならない方が良いかもな……)
多分、向いていないことが今日で発覚した。
これで九校戦編(ぜんぜん競技やってないけど)は終了です。
次章を考えるためにちょっと空くかもです。あと、単位取れてないんで……(アホすぎ)。