森崎家の広い客間の卓。駿は、そこで小さく縮こまっていた。先ほどの威勢が嘘のよう。磨かれた天板には、手を付けられないまま……冷めきった茶がずらりと並んでいる。喉が渇き、自分の目の前を見る。からっぽの湯呑。そっと、テーブルの向こうに手を伸ばす。
「親に相談くらいはしとけよな」
ひとしきり喉を潤し、隣でしょぼくれたままの友人に言う。
「すまん……」
駿は格好良く、おれを呼び寄せた訳だが。 彼の家の力では、再び学校にねじ込むことは流石に不可能。復帰なり転校なりするにしても、七草家を上手く宥めつつ、あちらにそれなりの対価を渡す必要がある。ボディガード業を本業としている家に、そこまでの交渉スキルがあるとは思えなかった。
案の定、先日の出来事は彼一人の暴走であった。魔法師業界は狭い。だから、例の事件は、誰もが知るものである。子供が一高生である親ならば尚更。そこに、自分達の息子が「渦中の人物」を家へ連れ帰ってきたのだ。ひどく驚いたに違いない。
「それでも、置いてくれるっていうんだから。心広いよな、お前の親父さん」
森崎家当主――駿の父親は、勝手な判断をした息子をこっぴどく叱ったものの、最終的には受け入れを決めた。
「あぁ、自慢の親父だ」
「そうか」
迷いのない返事だった。その誇らしさを、おれはどう受け取ればいいのか一拍遅れてしまう。
おれは父親を知らない。お母様の冷凍卵子に最も適合する精子を、とにかく国内外を問わずにかき集めたらしい。結果的に日本人だったので、おれの髪と瞳は黒いのだが。 だから、父親を誇る息子というのはどこか「フィクション」のように感じられる。本当に存在するのか……という感想が先行して浮かんだ。
「ただ……親父の言った、『打診があった』という言葉は気になるな」
「確かにな。頼まれた? しかも……」
「そうだ、一色家だ。……お前、どういう知り合いなんだ?」
一色家といえば、師補十八家の一つ。一条家と同じく、北陸に地盤がある。そして、「神経への干渉」を主に研究している家だ。 そんな家と関わりがあっただろうか、と考える。しばらくして、やっと「ある事」を思い出した。
「……一色、いっしき……? ――あっ!アイツか! 金髪ツインテ!」
ようやく思い出した。一色愛梨とは、一緒の私立小学校に通っていた。ツンと澄ました表情をよくしていたのを覚えている。
その学校は、珍しく魔法因子を持つ子供を多く受け入れているところで、魔法科高校対策の魔法塾も兼ねた小中一貫校だ。おれは素行があまりにも悪かった為、中学には上がれなかったのだが。
「だが……そこまで関わりはなかったぞ?」
同じクラスになったことはあるので、もしかしたら何度か話したことはあったのかもしれない。こちらがそんな認識なのだから、向こうだって言わずもがな。親密な関係なわけが無い。なんなら、完全なる他人だ。
「じゃあ何で頼んでくるんだよ?」
「わからん……」
おれもその問いには、首を傾げるしかなかった。
しかし、しばらく経って……その答えが分かった。というのも、一色愛梨が、わざわざ森崎家まで足を運んできたからである。
「――お久しぶりね、夜久くん」
来客を告げる音のあと、使用人に案内されてきた彼女は、森崎家の客間を一度見回した。金の髪が肩越しにさらりと揺れる。
数年ぶりに見る彼女は、当たり前だが子供ではなかった。髪型こそ金髪ツインテールに変わりはなかったが、モデル然とした体型のために「可愛らしい」よりも先に「クール」という感想が浮かぶ。
「どうも。ま、座れよ」
愛梨は背筋を伸ばして腰を下ろした。
「お前の家じゃないけどな――その。一色さんのお話を聞く限りでは、ちょっと直接手は出せないけれど……って感じですよね。でも、コイツに助ける価値、あります?」
森崎は「コイツ」のところで、おれを指さした。自分は助けたくせに、よくわからない奴である。 愛梨は目の前の紅茶をゆっくりと飲み、少し喉を潤わせた。そして、あっさりとこう言い放つ。
「だって――私たちの『神経攪乱』に近い魔法を持つ魔法師、マークしないわけないでしょう」
「……!?」
確かに、小学校時代の喧嘩でよく使っていた魔法があった。それは精神干渉魔法の一種であり、簡単な催眠で手足の感覚を弱める魔法だ。効果としては「神経攪乱」に似た状態になる。それを使うと、大柄な子供相手でも十分渡り合えた。弱い魔法だったから、CADなしでも十分使えるのだ。 魔法は堂々と使っていたので、見られていてもおかしくはなかったが。まさか、警戒までされていたとは。
「安心して。取って食う訳ではないわ。貴方の魔法は、私たちのそれとは違うことはわかっているもの」
緊迫した空気を和らげるように、愛梨は微笑みを浮かべる。
「そりゃあそうだ。同じな訳ないだろ。精神干渉魔法だぞ」
「精神干渉魔法!? お前、使えるのかよ!」
ギョッとした顔を浮かべる森崎。そういえば、まだ彼は知らなかったか。
「……魔法の詳細については、どうでもいいわ。ただ、似た魔法を持っている以上、あまり良くない生活をしてほしくないのよ」
プロセスが異なっているものの、最終的な状態が似たようになる魔法同士を区別する――これを目で見て判断するのは、専門家でも中々難しい。 もちろん、起動式を見比べれば一目瞭然だ。しかし、名家の殆どは自分達の魔法を公表しない。その為、特殊な魔法は一緒くたにされがちである。中途半端に知識のある人が勘違いをする……というのも良くある話だ。
「犯罪とかに使われてしまうと、とんだ風評被害ですからね」
「えぇ。だから、森崎家の動きは私達にとってもありがたかったの。――貴方の判断だったのでしょう? 先を見通す力があるのね」
「いやぁ……ははは。それほどでも」
頭を掻く森崎。実際には衝動的にやったことだというのに、良い感じに着地させようとしている。腑に落ちない。
「それに、ボディーガード業のお家ですものね。バカなことをしでかした、この男の性根を叩き直すのにも良いんじゃないかしら?」
「確かに……ウチの仕事をするのはアリかもしれませんね。こればっかりは、親父や伯父に聞かないとわからないところではありますが」
「その辺は、後で改めて打診させてもらうわ。多少の資金援助なども出来ると思うから」
勝手に話が進んでいく。おれはよく分からないまま、2人の会話を聞くことしかできない。
「しっかり頑張るのよ。貴方、もう後がないんだから」
言い渡す声は教師のように澄ましていた。資金、仕事、家同士の話。おれの進路が卓上で決められたあとも、紅茶の湯気だけは場違いにのんびりと揺れている。
愛梨はおれに叱咤激励をして、森崎の家を後にした。彼女がどういう立場でいる認識なのか、おれは気になってしまう。
そして、本当に森崎の家業の手伝いをすることになってしまったのだった。
◆
リニア特急の走行音は低く一定で、窓外の景色は色の帯になって後方へ流れていた。照明を落とした車内で、愛梨の端末だけが白い光を放っている。
愛梨は帰路に着くリニア特急の中で、一色家が独自に調査した夜久のデータを改めて読み直していた。 高校で「やらかした」夜久は、小学校時代の所業もとんでもなかった。とにかく我儘で、思い通りに進まないと気に食わない。周りの子供に喧嘩を売るわ、授業を妨害して走り回るわで、無茶苦茶だったのである。その中でも特に酷いのが、魔法の不正使用。当時の彼は、気に入らないことがあれば、すぐに魔法を使って不満を表出させていた。
(CAD無しであのレベルは優秀だったんだろうけど……)
現代魔法というものは、CADを介して発動されるのが常だ。CADは魔法の発動を補助する装置だ。非魔法師などには、この「なんか腕に巻いてる機械」がなければ魔法を使えないと思われている。しかし、実際はそうではない。自力で世界の情報にアクセスし、書き換えることができれば、CADは必要ないのだ。とはいえ、魔法に慣れたA級魔法師でも、自力での発動は苦手とする人は多い。
「……彼は養子なのよね」
データには、夜久は津久葉家の「養子」とある。おそらく、元は一般家庭の出身。あの問題児っぷりだ。きっと、本当の親は彼を持て余したのだろう。それゆえ、魔法師家系に引き取られた。
(第一世代から生まれたにしては、奇跡のレベル。だからこそ、家柄コンプレックスなのでしょうね。魔法師の家に入ったって言っても、津久葉なんて家……大した家ではないでしょうし)
実力は、一条将輝にだって匹敵するレベルかもしれない。それに、第一高校の入試成績も実技一位で通過している。筆記試験を一つも回答しなかったせいで、総代を逃しているだけだ。
愛梨には、夜久の気持ちを慮ることは難しい。
「一」の数字を冠している彼女は、誇り高くいるべき立場だ。それが自分と共にいるエクストラの少女を傷つけることだと分かっていても、自らの出自を心から愛している。
「それにしても……お父様は一体、何が目的なのかしら?」
画面を送っていた指が止まる。愛梨は同じ項目まで戻し、父の決定を示す短い記録をもう一度読み直した。
夜久達には、自分がさも事情を知っているかのような態度を取ったが。実のところ、愛梨の持つ情報は少ない。
「津久葉夜久を裏から援助する」と決めたのは、当主である彼女の父だ。
「事情を尋ねても、教えてはくれなかったし……」
少なくとも、何か関係がある。そもそも、「神経攪乱」に似た魔法だから云々というのも変だ。この魔法はインデックスには掲載していないものの、古い文献を漁れば情報は手に入る。そこまで神経質になるようなことではないはずなのに。
「……隠し子、とか」
一色本家にいる子供は、3人。愛梨と弟が2人だ。子供は、皆ブロンドの髪をしている。当主夫人が日本に帰化した英系貴族だからだ。 夜久の髪は、濡羽のような黒。母の関係者だとは到底思えない。
「あり得ないことはないわ。それならば、お父様は自分の責任と感じるかもしれないわね……」
愛梨はそう結論づけた。推測が正しかったとしても、特に父親に対する怒りはない。父のことは尊敬しているし、自分達家族はみんな幸せだ。それだけで、いい。 ただ、彼女の心配は杞憂にすぎなかった。一色家当主は不貞を働いてなどいなかったし、夜久が愛梨達の兄や弟にあたるのではないかというのも全くの事実無根。
しかし、ここにはもっとおぞましい事情があった。まだ、愛梨はそのことを知らない。