ㅤ森崎家の手伝いとして、ボディガードの仕事を手伝うことになり、おれはそれなりに楽しく過ごしていた。
ㅤボディーガード業は、四葉の「ガーディアン」とは全く方向性が異なる。要人の身の安全を守るのが最優先なのは確かだが、加害者は確保して警察に引き渡さねばならない。殺してしまったら、やはりマズいのだ。それに、役所には事前に届出を出す必要もある。武器にしろ魔法にしろ、あんまり過剰な戦力は持ち得ない。だが、体を麻痺させる精神干渉魔法「感覚遮断」は、襲撃者を傷つけることなく無害化させることに最適なもの。そのため、おれは思ったよりもすんなりとコミュニティに馴染むことができた。
「――夜久くんは筋がいい! 隠しているCADをすぐ操作するの、なかなかコツがいるんだけどねぇ」ㅤ
ㅤ森崎の叔父、隼平が明るい声で言う。多忙な当主に代わり、彼がボディガード業の総括をしているのだ。
「いやぁ、特化型はまだ全然上手く扱えなくて」
ㅤおれはちゃんと謙遜する。愛梨が言ったことを素直に受け入れた訳ではないが、ここでやらかすと後がないのは分かっていた。
「――叔父さまもお世辞言うんじゃないわよ。下手くそじゃないの」
ㅤ棘のある発言をしたのは、ひっつめ髪にナチュラルメイクの少女。パンツスーツに身を包んでいる。少女は、森崎あやめ。隼平の姪で、高校二年生。彼女も護衛の仕事をしている。
「駿くんもどうしちゃったのかしら。『退学処分者』をウチに連れてくるなんて」
ㅤそして、どうもおれのことが気に入らないらしい。
「あやめ、やめないか。……駿は友達思いなだけだ」
「じゃあ、叔父さま達はどうなの? ただ一色家に頼まれて、断れなかっただけでしょう?」
「それは……」
ㅤどれだけの金が動いたのかは詳細は知らない。だが、駿に聞いたところによると、かなりの額を援助してもらえることになったらしい。
「あんな子供の言い訳みたいな言い分、信じるつもり? 世間体を気にして、ウチに押し付けただけじゃない! どうせ……っ!」
ㅤそこから先を、あやめが口にすることはなかった。隼平が、彼女の頬を打ったからだ。
「やめなさい」
「……いいわよ! もう知らない!」
ㅤヒステリックな声で叫び、彼女はどこかへ走り去ってしまった。その場に残され、おれ達は佇むばかり。
「すまない……年頃で、神経質なところがあってね」
「いえ」
ㅤおれとしては、特に文句などはない。関係があるのは四葉であって、一色ではないのだから。
ㅤしかし、おれを援助する理由は側から見れば奇妙なものなのか。全く気づかなかった。では、一色家はなぜそんなことを?
「クイック・ドロウも初心者の割に、よくできているよ。これから、もっと伸びるはずさ」
ㅤそう言って、隼平はどこかへ行ってしまった。あやめの母に相談するつもりかもしれない。
「……ごめん」
ㅤ振り向くと、そこには駿がいた。バツの悪そうな顔をしている。
「お前が謝ることじゃないだろ」
「ありがとう。だが、あやめ姉さん……最近様子がおかしいんだ」
「そうなのか? ――……ところで、魔法師じゃないよな?」
ㅤ気になっていたのはそこだ。仕事の間も、魔法を行使しているようには見えなかった。特殊警棒こそ素早く取り出していたが、CADは使っていなかったのではないか。
「あぁ、伯母さんの連れ子で。姉さんだけ非魔法師だ。それに……」
ㅤあんまり魔法師のことをよく思ってないんだ。ㅤそんな言葉を、彼は続けた。
「おいおい、大丈夫かよ。学校のときみたいな態度とってたらお前、家で揉めごとばかりになるだろう」
「僕が嫌なのは、才能もないのに僕達ブルームと肩を並べたような気持ちでいる奴だ」
「ふーん、なるほどな」
ㅤ一応の線引きは、駿の中でもあるらしかった。
「護衛の仕事は、魔法だけじゃないとは思うが……やっぱり、気にしてるんだろうな」
ㅤ彼の言葉に、おれも頷く。あやめのことはまだよく知らないが、気の毒だと思った。一族の中で孤独を感じ、生きていくなんて。おれの中にある虚しさとはまた違うだろうが、マイナスの感情を日々抱えているに違いない。
ㅤ彼女のために、何かできないだろうか。おれは柄にもなく、そんなことを考えてしまった。
◆
ㅤあやめは自室で膝を抱え、先ほど吐いた言葉を反芻していた。自分は間違ってない、と思いたい。だけど、きっとそうではないのだ。苦しくてたまらなかった。
「うぅ……」
ㅤどうしてこんなつらい思いをしなくてはならないんだろう?
彼女は今まで、何度も何度も……このことを考え続けている。ㅤ母は魔法師だが、父は自分と同じ非魔法師であった。家族3人で暮らしていたときは、魔法力が無いことなんて気にならなかったのに。それが、父の事故死で全て変わってしまった。暮らしていく為に母は実家に戻った……魔法師ばかりの家に。
「私だって、魔法を使いたいよ……」
ㅤ一人だけ、非魔法師。その事実は、あやめに疎外感を与えるのに十分だった。何とか森崎の家に馴染みたくて。志願して、護衛の仕事に混ぜて貰った。毎日体を鍛え、必死に皆に食らいついているつもりだ。前は運動なんてほぼしなかったというのに。ㅤけれども、気を遣われているのを肌で感じる。魔法を使えないから。
「それなのに……アイツはあっさり馴染んじゃって」
ㅤ夜久の事情について、駿が家に連れ帰って来た時に聞いた。偉い魔法師の子供に喧嘩を売って、魔法科高校を退学させられたらしい。
ㅤ――凄いやつなんだよ! コイツの魔法の才能が真っ当に評価されないなんて、僕は絶対に納得いかないんだ!
ㅤ従兄弟が叔父達に説得を続けるのを、あやめはあの時ぼんやりと眺めていた。その「退学処分者」の素行の悪さからして、独断行動ばかりするなどで、きっとこの家でも浮くのだろうな……と容易に想像できたからだ。
ㅤあれよあれよという間に、夜久は森崎家の護衛任務に携わることになる。クイック・ドロウをはじめとするCAD操作こそ不慣れだったが、魔法の発動スピードが速いのか、特に遅れを取ることはなかった。そのため、足を引っ張ることも大してなく、周りからもすぐプロの仕事仲間のような扱いを受け出した。
「……納得いかない。頑張っても、才能がないとどうしようもないなんて」
ㅤそう呟いたとき、部屋の扉がノックされた。あやめはハッとして、立ち上がる。こんな弱々しい姿を人に見られたくなかった。
「……えっ」
ㅤ扉の向こうにいたのは、夜久であった。嫉妬や気まずさ、色々な感情がないまぜになり、あやめは俯いた。
「入っていいっすか。その……ちょっと、おれなら悩みを解決できるんじゃないかなって思ってて」
ㅤ軽く言い放たれたセリフ。彼女は屈辱にワナワナと震えた。
「なによ、ふざけてるの……」
「ふざけてない」
「その言い方がふざけてるって言ってんの! 貴方なら、本当に私の苦しみを無くせるの!? 魔法、使えるようにしてくれるの!? できないでしょ!」
ㅤ悔しかった。ポッと出の新入りに、哀れまれていることが。
「……できる」
「……バカなこと言わないで」
ㅤ縋りたくなるような嘘も、ついてほしくなかった。ポロポロとあやめの目から涙が溢れる。しかし、夜久は気にせずに話し始めた。
「本当にできると思うんだよ。魔法師と非魔法師の違いは、魔法演算領域の有無だけ。後天的に精神領域に埋め込めば、簡単に実現できる……」
「理論上の話とか、そういうのでしょ。どうでもいいわ」
「いや、成功例を一つ知っている」
ㅤえっ、とあやめは目を見開く。
「詳しくは知らんが、普通に魔法科高校に通えているからな」
「もしかしたら……私でも?」
ㅤ希望という名の光が、今の彼女を照らしていた。だから、夜久の言葉の真偽を確かめることや、「精神を弄る」とはどういうことなのか考えることもできなくなっていた。冷静さを奪われていた。
「わかんないけど、やってみる価値あるんじゃない? そういうことやってる研究所、ツテあるしな」
ㅤあやめは知る由もないが、第四研のことである。夜久は、四葉深夜が昔行った「人造魔法師製造実験」を再現するつもりなのだ。ㅤもちろん、彼にしてみれば純粋な善意ではある。しかし、これは地獄への道だ。善悪の区別というものが、夜久には少しも分からないのだった。
「少し……考えさせて」
「いいよ。これはおれにもメリットがあるから、受けてくれると嬉しいけど」
「メリット?」
「手伝ってくれる人がいたら、研究が進むから……褒められるかも、って」
ㅤ夜久は照れたようにはにかんだ。あやめはそれをみて、かわいらしい笑顔だと思った。
(なんだ、意外とかわいいところもあるのね……)
ㅤあやめは微笑みを返した。闇に呑まれかけていることに、気づかないまま。魔法演算領域を植え付ける為には、精神領域のどこかにスペースを空けなければならない。人間らしさを生み出す器官の一部を潰す必要があるのだ。つまり、「感情」は失われてしまう。
ㅤ心と魔法……一体、どちらが大切なのだろうか。
◆
ㅤ司波深雪は、同じクラスだった間に夜久と話したことは一度も無かった。ㅤそれどころか、高校入学までの間ですらほぼ会ったことはない。四葉の使用人達が、徹底して彼と出会わないように手を尽くしていたからである。夜久は「何をしでかすか分からない危険人物」であり、深雪に対しても危害を及ぼすかもしれないと彼らは警戒していたのだ。
ㅤしかしながら、深雪自身は夜久に対してそこまで悪印象を抱いていない。それは、ある時に彼と交わした会話が理由だった。
「――お母様にそっくりだ」
ㅤ本家に滞在していた際のこと。村の周辺を深雪は少し散歩していた。兄の顔を見たくなかったのだ。部屋に居れば、嫌にも目にすることになるから。ㅤ行く当てもなく、ぶらぶらと歩き続ける。すると、不意にそんな風に声を掛けられたのだ。
「貴方は……」
ㅤ濡羽のように黒い髪。深淵よりも昏い瞳。それらを持つ少年。美しい見た目なのに、どこか悲しげで消えてしまいそう。何故か、深雪の心もギュッと締め付けられた。
「ねぇ、お母様にそっくりだね」
ㅤ目の前の少年は、深雪の戸惑いは意にも介さず、同じ内容の言葉を繰り返すばかり――しばらく考えて、彼女はようやく少年の正体に気づく。
ㅤ深雪の叔母――真夜の息子の、夜久。分家である津久葉に預けられている筈だが、今は本家にいるようだ。確か、小学校で問題を起こし過ぎて、中学は通信にせざるを得なかった……という話ではなかったか。それもあって、今は第四研で研究の手伝いをさせられているという話も聞いた覚えがある。
「お母様って……もしかして、叔母様のことかしら」
ㅤそう言ってから、彼女は不思議に思う。ㅤ叔母と自分の母は双子だから似ている、というかそっくりだ。しかし、深雪は深夜にそこまで似ていない。「雰囲気がそっくり」とは良く言われるが、裏を返せば「顔は似ていない」ということ。つまり、深雪が四葉真夜に似ているはずがなかった。
「うん。同じくらい、辛そうなんだもん」
ㅤ少年――夜久は、深雪の頬にそっと触れる。
ㅤあたたかい……と彼女は思う。不躾な行為だというのに、不思議と嫌ではなかった。
「辛そう……かしら?」
「お母様がおれに会いたくない時と同じ匂いがする。君も、誰かに会いたくないんだね」
ㅤ匂いという形容は、四葉ではよく使われるものだ。精神干渉魔法に非常に高い適性のある魔法師は、精神の微妙な動きを五感で感じ取ることができる。
ㅤだが、感情まで嗅ぎ取ることは難しい。精神干渉魔法への、夜久の高い才をそれは示していた。
「わたし、実は……」
ㅤつい、深雪は自分の気持ちを吐き出す。
ㅤ兄が怖いのだと。母の言いつけを守って、使用人として扱う自分のことを、兄は軽蔑してはいないだろうか。もし、そうだとしたら……。
「すべて見透かされてるように感じるの。わたしの嫌なところ……気づいていたら、どうしよう?」
ㅤ達也の目が、怖い。あの目で見られると、「司波深雪」の全てが知られてしまうのではないか……そんな恐怖ばかりが募る。
「いいなぁ。こんなに好きだから、会いたくないなんて」
ㅤ思いがけない言葉に、深雪は混乱する。ㅤ好き……って、言葉通りの好きだということなのか。そんなことない、自分は自分の身が可愛いだけなのだ、違うのだ、と主張する。嫌な人間に思われたくないだけだ。
「ふーん。……いつか、分かるよ」
ㅤ意味深なセリフと共に、夜久はどこかに行ってしまった。あっ……と思い、追いかけようとする。しかし、頭に靄がかかったようになり、上手く前に進めない。何か魔法を掛けられたのだ。
ㅤ深雪は呆然としたまま、しばらくそこに突っ立っていた。
ㅤ数年後、第一高校にて。
ㅤ座学の時間、深雪は前方のぽつんと空いた座席を見る。そこは、夜久が使っていた席だった。
(――結局、貴方のいう通りだったわね)
ㅤ深雪はテキストを解く手を止め、あの日のことを思い返す。彼の言葉通り、本当に兄について分かる時が来た。
ㅤ沖縄での数日間は、兄妹の関係を大きく変える出来事だった。達也の抱える秘密。達也から深雪への大きな愛。それは、彼女を素直にさせるのに十分だった。
(変われた、わたしのように。叔母様は……いつか、彼を見てくれるのかしら)
ㅤ達也と嬉しそうに歩く自分の姿は、きっと夜久も目にしていたことだろう。もしかしたら、そこに彼自身と母親を重ねていたかもしれない。今になってそれを想像し、彼女は心を痛めた。
ㅤ彼の感情が希薄だったら、苦しむことはなかっただろうか。だが、感情が上手く働かないことだって悲しいことだ……深雪は兄を見て、いつもそう思う。だが、夜久のように感受性が強すぎるのも、きっとつらいことの筈。世の中のほんの些細なことが、彼を傷つける棘になる。
(あの時……そして、今も。わたしは、どうしたらよかったの?)
ㅤ四葉家の次期当主に最も近いとはいえ、今の深雪には何の力もない。また、達也の神の如き力も、夜久を助けることはできない――深雪はそっとため息をつき、再びテキストに目を落とした。