朝の第一高校。一見、いつもと同じ様子。しかし、刺繍のない二科生をみて、気まずそうにチラリと俯く生徒がちらほらいた。それは、あの日の出来事による衝撃がまだ校内を巡っていることを示していた。
夜久が引っ掻き回したことで、少しずつ一高の様相は変わり始めていたのだ。討論会の一件は、ニュースで取り上げられ、今や魔法師業界以外も知るところとなっていた。生徒の誰かが、タレコミでもしたのだろう。
ただ、夜久のことについては伏せられており、「エガリテ」のメンバーが矛盾を突いたというストーリーで進んでいた。これについては、「未成年情報の保護」に基づいた処置だが、少しは四葉家も手を回している。
七草真由美の演説は横槍を入れられてしまった訳だが、内容に関して言うと、彼女に瑕疵があったということはない。草案がもとより決まっており、それを読むほかなかったのだから。それどころか、出来るだけ生徒たちに寄り添ったものに近づけた──本人的には。
それなのに、「七草家がワッペン変更に圧力を掛けていた」という謎の陰謀論が世間を駆け巡った。訳知り顔の反魔法系コメンテーターが、自身の持つ番組等で吹聴したからである。そのために反差別運動は激化していた。一高内でも現生徒会役員や風紀委員の解任を求め、署名運動が行われていた。
しかし、活動の高まりの割には、暴力的な事案というのは鳴りを潜めていた。一科生でも退学処分になるのだ、あまり派手なことをやるとマズイと分かったのだろう。実際、夜久に感化されてか特別閲覧室に侵入した二科生は、同じように退学させられていた。
「あーーーー! もうやってられない……私、スケープゴートにされただけじゃない〜!」
真由美は机に額がつきそうなほど身を折った。生徒会室の空調音に混じり、長い呻き声が書類の積まれた机を這っていく。
第一高校、生徒会室。そこでは、真由美が頭を抱えて、うだうだと泣き言を言っていた。
「会長を侮辱する奴らは許せません! アイツら……!」
服部の椅子が床を鳴らした。握られた拳は今にも机へ落ちそうだったが、その肩に摩利の手が先に置かれる。
「落ち着け、服部。……皆の怒りが尤もだということは忘れちゃいけない」
摩利も、親友の真由美が追い詰められる現状を良しとしている訳ではない。だが、服部の肩に置いた手を離さなかった。二科生達の気持ちも無視は出来ない。
差別に対して「くだらない」と日々感じていた摩利は、ワッペンの真実に酷くショックを受けたのだ。この事実を知っていたという真由美に「なんとかできなかったのか」と問い詰めもした。
「しかし……」
「摩利の言う通りよ。はんぞーくん」
反論しようとする服部を真由美は止める。
「私も結局、『差別する側』だったのよ。だって、今考えれば……もっとできることはあった」
真由美の心は、後悔の念で埋め尽くされていた。その場しのぎの対応で、なんとか乗り越えようとした「ツケ」が今回ってきたのだから。
「会長……」
「──ですが、このまま『エガリテ』の要求を飲む訳にはいきませんよ。会長が退任してしまえば、魔法教育を推進する筈の魔法科高校で、反魔法主義者が大手を振って活動しているのを黙認することになります」
暗い雰囲気になったところで、達也の冷静な声が割り込んだ。
「確かにその通りです。先日も、深夜に特別閲覧室へ生徒が侵入したという事件がありましたし。しかも、記録キューブを手にして。流出目的でしょう」
達也の言葉に重ねて、鈴音がそう言った。
「閲覧室のデータって……流出すると大変なことになるものなんですか?」
あずさが、そっと首を傾げる。小柄な彼女のその小動物のような動作に、場の空気が少し和む。 鈴音も薄く笑みを浮かべて、あずさの問いに答えた。
「魔法大の原則非公開の文献ですし、出回ると結構面倒なことになると思います。けれど、許可さえあれば、誰でもアクセスできるデータでもありますから。ただ……2年の応用魔法学で5、あるいは3年で4以上の成績でないと申請書が出せないのです」
ああ、と皆が納得する。基本、理論と実技の成績は比例する。実技ができないのに理論が取れるというのは、かなり珍しいことなのだ。結果として、資料室のデータは「一科生しか見れないもの」となってしまっていた。
「定員が一学年100人の時代なら、それも良かったのかもしれませんが。無理に2倍に増やしたために、あちこちで問題が出てきているんですね」
「そうなのよね……」
「お兄様……」
深雪が悲しそうな顔をする。達也が、あまりにもあっさりと「二科生の増員は失策だ」という旨を述べたからだ。
「そんな顔するな、深雪。定員が増えていたから、お前と同じ学校に通えているんだ。別に悪いことだけでもないさ」
「……私だって、全てがいけなかったとは思いたくないの。そうじゃなかったら、私達は……達也くんに出会えなかったんだから」
「それに、服部の伸びた鼻がへし折られることも無かっただろうな」
「ちょっと、渡辺先輩!」
摩利の言ったことに動揺する服部。そのあと、彼は気まずそうな顔で達也を見た。
「……あれは、自分の態度を見直す良い機会になった」
しおらしい態度の服部に、女性陣は温かい目を向ける。
「こんな風に。少しずつ、皆の意識を変えていかなくちゃいけないわね。──みんな! 大変だけど、これから頑張っていきましょ!」
つとめて明るい声で、真由美はそう告げた。空元気が混じっているのは、誰の目から見ても明らか。 だが、これからも何とか生徒会を存続させねばならないのだ。彼女にとって、ここが踏ん張りどころであった。
◆
あやめが答えを寄越したのは、話を持ちかけてから三日後の夜だった。
『魔法師になりたい』
届いたのは、それだけの短いメッセージだった。だけど、十分だった。
おれは研究所へ連絡し、迎えを手配してもらった。四葉家の本拠地、旧山梨エリアの山中にある村。その入口で車が停まったとき、あやめは小さな鞄をギュッと胸に抱え直した。不安がちな子供が、ぬいぐるみを抱きしめるように。おれが横目で彼女を見ると、所在なさげに動いていた視線が止まった。
「今なら、やめてもいいけど」
「……今更? 貴方が言ったんでしょう。だけど、ここ……一体。私でも、わかる。『普通じゃない』って」
「別に。忘れたきゃ、忘れられるよ。悪夢だったことになる。それができる場所だってことくらい、察しつくだろ?」
あやめは返事をせず、端末を開いた。圏外でも、保存された文章は読める。車に乗り込む前。四葉の側で用意した文面を、彼女自身が森崎家へ送った。家を出ること、しばらく一人で暮らすこと、探さないでほしいという短い連絡だった。圏外になるぎりぎりまで、通知欄を見つめたけれど。
返信は、なかった。彼女は目を伏せ、端末を鞄に戻した。
車はそのまま第四研へ向かってゆく。とはいえ、すぐに「精神構造干渉」を掛ける訳にはいかない。先にさまざまな検査がある。彼女を送り届けたあと、おれは森崎家へ戻り、部下から報告を待つことにした。
翌日、ポケットの端末が短く震えた。秘匿回線からの着信だ。思ったより早い。ゴーサインかと思い、わくわくして取る。
「ご無沙汰しております、夜久様」
電話をかけてきたのは、使用人序列3位の紅林であった。彼は調整施設の総括をしている人間で、第四研の責任者でもある。
「どうしたの、何かあった」
「夜久様の持ち込んだ実験体ですが……。事前面談のバイタルチェックで、洗脳の跡が見られました。使用された魔法は『邪眼』。ただ、手品タイプですね」
マインドコントロールに使われる「邪眼」には、二種類存在する。光波振動系魔法と精神干渉魔法の二つだ。 手品タイプと呼ばれるのは、前者。催眠術の一種で、光信号を人の知覚速度の限界を超えるスピードで点滅させ、相手の網膜へ投射する。そこに指向性を持たせた指示を送り込むことで、思考パターンを刷り込む。理屈としては、サブリミナル効果に近い。
「へぇ、それは知らなかった。何を指示されていた?」
「電子金蚕がセットされた機械を自宅のCAD調整機に繋げろ。そのように指示されていたようですね」
「指示って……誰に?」
「ブランシュの人間です。実験体が吐いた名前を調べたところ、データベースにヒットしました」
「……ちょっと見てくる」
通話を切らないまま廊下へ飛び出す。CAD調整機のある部屋の扉を乱暴に押し開けた。
電子金蚕というのは、SB魔法の一種である。電気信号に干渉して、機器を狂わせるのだ。調整機に繋いでいたのであれば、それで調整したCADは不具合を抱えてしまうことになる。
調整機の裏へ回り、配線を覗き込む。明らかに怪しい小さな黒い箱が置かれていた。線から引き抜き、ポケットに入れる。
「――調整機にきちんとつながっていなかった。これは運が良かったな」
「一応今のCADは使わないようにしてください。FLTに来て頂ければ、替えを用意しますので」
FLTの本社まで足を運ぶのは面倒だが、仕方がない。折角なので、新しい機種を貰おうか。
「話が逸れてしまいましたね。それで、とりあえずは実験をストップして、ブランシュにスパイとして投入し続けようと思うのですが。このまま、反差別運動が魔法師排斥運動にシフトしていくと厄介だという話は、四葉家内でも議題に上がっていますので」
「えっ。人工魔法演算領域を植え付けてからでもいいだろう」
夜久の声には、相手の人格を作り替えることへの躊躇がなかった。机の裏に垂れた配線を指で避けながら、作業手順の順番を変える程度の口調で言う。
「いえ、その点ではなく。別の問題です。森崎あやめは、表の人間すぎます。本当に彼女はすべてを捨てて、四葉に下るんですか? 結局、強いマインドコントロールをかけるなら……意味がありません。精神にロックをかけたら、演算領域の性能は大幅に低下します」
確かに紅林の言う通りだ。
そもそも成功するかも定かではありません、とも彼は続けた。そこに関しては、認識に食い違いがないこともない。おれは成功すると確信している。
「……でも、魔法師になりたいらしい」
「?」
「才能がほしいんだと。だったら、すべてを引き換えにするしかないよ。なんでもかんでも手に入るほど、人生は単純じゃない」
世話になっている森崎家へ、あやめの不在をどう説明するかは問題だが、彼女は家ともともと折り合いも悪かったことだし、どうにでもなるはずだ。
「まぁ……駄目な訳ではないと思いますが」
「どうせ、ブランシュ対策なんて、黒羽に回す筈の仕事だろ。こっちは、人造魔法師実験のことだけ考えればいい。だいぶ、開発の進捗も悪かったんだから。本筋じゃないプロジェクトの心配なんかしてられるか」
結果を出したい。お母様を喜ばせたい。頭のどこかで無理とわかっていても、「えらいね」と言って欲しかった。だから、頑張り続けなくてはならないのだ。
「……承知いたしました」
思うことは多くあっただろうが、彼はおれの言うことを呑んだ。
しかし、反魔法師運動についても、全く気にならないというわけではなかった。
数日前、深雪が持ちかけてきた話が理由だった。なぜか、彼女に「会えないか」とメッセージで呼ばれたのだ。大して話したこともないのに。気になったので、誘いに乗ることにしたのだ。しかし、合流場所は……第一高校内のカフェテリア。
「退学させられた所に、再び足を運ぶとは思わなかったな。……それで、深雪ちゃんだけ? 兄貴は?」
「私一人よ。お兄様は今、図書室の奥に篭っているらしいの。少しの間なら、バレないはず」
「その前に別の誰かにバレそうだが」
もちろん、これは冗談に過ぎない。精神干渉魔法「記憶固定」によって、リアルタイムで目撃者の記憶を改竄している。
「司波深雪と津久葉夜久がいる」という具体的な情報を、「女子生徒と男子生徒がいる」という抽象的なものとして認識させるのだ。 残ってしまう魔法の使用記録は、あとで深雪が生徒会のコンピュータ経由で消去してくれるという。本来、監視システムの介入コードは一生徒が知り得るものではない。けれども、データ管理担当の講師に尋ねると、あっさり教えてくれたのだそう。大方、深雪の美人ぶりにコロリといったのだろう。
「そんなに時間があるわけではないから、本題に入りましょう。――夜久さん、貴方は魔法を上手く使える人の方が偉いって……思うかしら?」
わざわざ呼び出してそれか、と言いたくなった。しかし、彼女の表情は真剣なもの。どこか気迫を感じさせる。適当な返事をすれば、怒ってしまうに違いない。少し考えて、ちゃんと答えを返す。
「一般社会ではどうか知らないが。少なくとも、魔法師界隈ではその通りだろうさ」
「そうね……私も貴方も魔法をちゃんと使えるから、四葉でそこそこの立場にいる。それを忘れたことは無いわ」
次期当主候補の深雪は言わずもがな。我儘放題のおれであっても、四葉を放逐されたりはしていない。いざという時に達也を止められる存在は貴重なのだ。他にも当てがいない訳ではないが、数が多いに越したことはない。価値があるから、四葉の一族でいられるのだ。
「だからこそ、お兄様の力を多くの人が理解してくれないことに対して不満があるけれど」
「……その話題はやめておこう」
おれが「誓約」で、達也の分解のレベルを制御しているのだ。どんなコメントも、自分が言うべきことではない。気まずいではないか。
ちなみに、おれが素直に「誓約」を兄妹に掛けてやったのは、分家への切り札になるからだ。たまに「解除するぞ」と脅して、溜飲を下げている。黒羽や新発田などの当主らの顔色が一気に真っ青になるのは、いつ見ても面白い。
「そうね。――それで、ここ最近の校内の動きには……戸惑っているのよ」
「え?『魔法の才能に関してとやかく言うこと』がタブー化すれば、少なくとも兄貴が校内で見下されることは無くなるぞ?」
「そうじゃないわ。そういうことじゃ、ないの」
「こうなってみて、ようやく分かったの。ただね? お兄様の才能を、私は皆に認めてもらいたいだけで……。魔法力の優劣で評価されない世界が来て欲しい訳じゃないってことを」
随分と自分勝手な話ではあるが、その気持ちはなんとなく分かる気はした。
駿も常日頃から、似たようなことを言っているのだから。自分の力を評価してくれる場所を失いたくない、自分が優れた存在であることを実感していたい──醜くも、人間らしい感情だ。深雪はそれが、兄のことに偏っているだけで。
「ふーん。で、どうしたいの?」
「エガリテを止めたいわ。でも、どうしたらいいか分からないの」
「反魔法主義者は、生徒会役員や風紀委員を警戒しているんだろう? 放っておいても、深雪ちゃんの兄貴ならやるんじゃないか?」
「お兄様は、『エガリテ』の活動について特に気にしていないみたいなのよ」
深雪の安全を一番に考える筈の達也が動かない理由はちゃんとあった。エガリテ及びブランシュは、主戦場を魔法科高校から別の場所に移しているからだ。
「なるほど。今の世論は、反魔法主義者らを後押ししてるからな」
何も知らない非魔法師が勝手に叩いてくれるのだ……ブランシュがわざわざ動くことはない。それなら、達也としても変に藪をつついて蛇を出すようなことはしないだろう。
「ふーん」
「……ごめんなさいね。こんなの、性格が悪い子の愚痴に過ぎないわね?」
自分で言い出したくせに、深雪は顔を曇らせた。おれは、彼女に優しく笑いかけた。
「鏡でも見てみろよ。『本気で許せないんです』って顔している癖に」
おれが指先で自分の目元を示すと、深雪は言い返しかけて唇を結んだ。隣の席から、椅子を引く音がした。
今も昔も、彼女は兄のことが大好きなのだ。達也が活躍できる場面を作り出す為ならば、なんだってするだろう。戦争だって、起こすかもしれない。
「――それに、深雪ちゃんの性格が悪いことなんか前から知ってる。昔、教えてくれたじゃないか」