四葉家の地下深くに作られた、第四研──別名「死の研究所」。その一室には、紙を送る小さな音と、一定間隔で明滅する計器の光だけがあった。
精神構造干渉魔法の第一人者は、現当主の姉──四葉深夜。つまりは、おれの伯母。
そして、彼女の死後、おれが、研究を受け継いだ。遺された膨大なレポート、そのすべてがおれにとって愛しい……伯母様の筆跡が並ぶ古いレポートを、おれは指先でなぞる。そこに記された内容は、思い出のアルバムのようなものだから。
精神を勝手に作り替えるという冒涜的な行為──だが、そこには純粋な知的欲求に基づいた美学がある。伯母様は、それを教えてくれた。
「……そうでもなければ。お母様が厭う、この魔法のことを受け入れられる訳がない」
自分の右手のひらを見つめ、おれはそう呟く。
四葉家の研究テーマを追い求めることは、母親のためではなく、もはや自分の生き甲斐になっていた。もちろん、研究が進むことによって、お母様が喜んでくれたら、それはそれでうれしいのだが。
「──研究というものは。本来は、楽しんでやるものなのかもしれないわね」
ある日のこと。いつも通り、2人で作業をしていたとき、伯母様がぽつりとそう零した。
第四研で、一緒に研究をしていた時期――中学生の頃、謹慎をしていた時だ――があった。 割り当てられた第四研の一室で暇をもてあましていた。退屈なのであれば、ここで研究の手伝いをするのはどうだ、と紅林に勧められたのだ。おれのためというよりは、本家にやってくる同年代の子供たちのためだったと思う。放置しておいたら、彼らに絡みだすと使用人達は「本気で」心配していたのだ。
ただ、当時の伯母様は体調を崩しがちで、研究もあまり進んでいなかった。それもあり、おれに引き継ぎをさせておこうと思ってはいた筈だ。
「伯母様は楽しんでいる訳じゃないみたいだ。匂いで分かる」
「そうね、楽しいと思ったことは一度もないわ」
「じゃあ、どうして続けているの」
おれが尋ねると、彼女は作業の手を止めた。
「……罪を重ねるためよ。もっと悪いことをすれば、『あの日』の罪が薄れるんじゃないかって」
深夜はレポートから目を上げなかった。平坦な声とは裏腹に、紙の端を押さえる指だけが白くなる。夜久には、その理由よりも、彼女の纏う匂いがまた深く沈んだことの方が鮮明だった。
「あの日?」
「えぇ」
そして、伯母様は過去を語り出す。いつも同じように
もうやめて、と叫び出したくなる。
だって、それを聞いてしまったら……自分が悲劇の象徴だと思い知らされるのだ――
「――嫌な夢をみた」
おれは暗い天井を睨んだ。頬には汗が冷たく貼りつき、夢の中で聞いた伯母の声が、目覚めた部屋の静けさにも残っているようだった。
間借りしている森崎家の客間で、おれは目を覚ます。
いつもフラッシュバックする。今までに何度夢で繰り返しただろう。伯母様との思い出は、ほかにもあるはずなのに。ノートをめくればよみがえる思い出じゃない。目をそらしたい記憶だけがいつも現れる。
その度に、伯母様の口を閉ざすことが出来ずに飛び起きる。うんざりだ。ため息と共に気分の悪さを飲み込み、屋敷の食堂へ向かう。今日の朝食は、和食だろうか。
「おはよう」
「おはよう、駿」
食堂には朝日が斜めに差し、食器の触れ合う乾いた音がしていた。駿は端末から目を離さず、表示された教材へ指を走らせている。
駿は既にテーブルについていた。 端末で教科書を読んでいたようで、画面には魔法構造学の基本魔法式が映し出されていた。
「こんな朝から勉強か? 真面目だな」
「お前と違って、高校生は忙しいんだよ」
2人して大笑いする。すっかり「退学ジョーク」も鉄板になった。 そうこうしているうちに、食堂には駿の親戚や森崎家に雇われている見習いボディガードなど、皆がどんどん姿を見せはじめる。ここは若者向けの食堂なので、だいたい同世代ばかりで気楽だ。
「おはようございます……あれ、あやめさんは?」
「姉さん」
そんな時、駿の姉である速水が食堂に現れた。彼女は魔法大の一年であり、たまに家の仕事を手伝っている。
「部屋に居なかったから。ここにいると思ったんだけど……」
「まだ、来てないですよね」
おれはもちろん行方を知っているのだが。 たぶん、第四研の部屋で眠らされていると思う。
「今までも家出はあったからなぁ。その類じゃないのか」
「そうかしらね」
駿の言葉に納得したのか、速水は頷いた。
しばらくすれば、四葉で勝手に作ったメッセージを森崎の人間が読むことになる……はずだったのだが。 一週間経っても、そんなことは起きなかった。あやめが長期間帰ってこなくても、森崎家は平穏なまま。何もなかったかのように、日々は過ぎていった。
「……ちゃんと決別させたんだよな?」
痺れを切らして、紅林に電話で確認をする。だが、向こうも驚いている様子だった。
「勿論でございます。それは、夜久様も確認されたかと」
確かに、おれは、あやめがメールをしたためて送るところを見届けている。
「……握りつぶした?」
「その可能性が濃厚ですね。所詮は非魔法師……わざわざ大事にする必要性は感じなかったのかもしれません」
「まぁいいや。好都合っちゃ、好都合だ。行方不明届けも出さないでくれてるんだから」
おれは間を置かずに言った。通話が続く間も、屋敷の廊下からはいつもと変わらない足音が聞こえていた。
「……そうですね。彼らを『使う』予定もありますし。プロジェクトを前に進めないといけません」
「計画書はみたぜ。考えたもんだな。――非魔法師が魔法師になるなんて珍事を起こしでもしないと、世論はもう変えられないってか。……まぁ、黒羽を動かして斬首戦術をしたところで、『魔法師による報復』にしか見えないもんな。もっと搦め手が必要か」
どちらにせよ。反魔法主義に正攻法で対抗するには、向こうが大きくなりすぎたのだ。反魔法師運動というものは、結局のところ、「強い魔法師はズルい」という理屈なのだ。まぁ、実際にズルいので尤もではあるのだが。
でも、その「ズルい側」に入れる可能性が自分にもあると分かったら。バッシングが止まるのは明白だった。
新ソ連でも、USNAでも……なんなら大亜連合でも……四葉の息が掛かっている魔法師強化系の研究所を一つ潰して、その跡地に明らかな魔法反応を残せばよい。その反応の持ち主は死亡しているが……調査をしてみると、非魔法師だと分かる。答えはもう一つしかないだろう。
なんと、魔法師になってしまっていたのだ……。
「新ソ連の旧ベラルーシ領にある、ニュークリア・マジック研究所を使うそうですよ。原子力関連の魔法研究は、金食い虫な割に……魔法師業界のウケが悪いですからね。四葉としても、もう資金援助はやめたいのです。だからこそ、最後はちゃんと役に立ってもらわないと」
魔法事故による放射線汚染の可能性があれば、確実に国際魔法協会は動く。ついでに『ブランシュ』の繋がりも工作で匂わせておけば、勝手にストーリーを作ってくれる。
「しかし、仕方がないとはいえ……もったいないですね。せっかくの実験体たちを一回きりの手品に使ってしまうのは。……特に、持ち込んだ森崎家の縁者。それなりに思うところがあって、ここへ連れてきたのでしょう?」
「……いいんだよ。一介の非魔法師が、魔法史に名を残す魔法師になれるんだぜ? 本人も本望だろうさ」
おれは口元だけで笑った。魔法師になりたいという、あの言葉は聞いている。それで十分なはずだった。
そう言って、おれは電話を切った。端末をテーブルに置き、ぼんやりと宙を眺める。 これからする事は、とても悪いことだ。夢が叶って喜ぶ人を、残酷にも死に追いやる。分かっていない訳ではなかった。
消えない「生まれてきたこと」という罪。 この罪はどれだけ悪事を働けば……薄れるのだろうか?
伯母様はどうだったのだろう。最期に罪の数を数え、安心して眠りについたのか。こっそり教えてくれたらよかったのに。そう思った。
◆
第四研の処置室には、時計がなかった。被験体から時間感覚をなくすためだ。
白い壁、白い寝台、天井から垂れた観測装置。どこを見ても同じ色で、外が昼なのか夜なのかさえ分からない。機器の待機音だけが、一定の間隔で短く鳴っていた。
検査と待機の日々を過ごしたあやめは、寝台の端に腰掛けていた。床に下ろした両足は自由に動かせる。拘束具もない。出口へ向かう床にも、何も置かれていなかった。でも、彼女は逃げていなかった。
「……成功したら、魔法を使えるのよね」
彼女はそう尋ねてきた。
「使えるようにはなる」
「じゃあ、魔法科高校にも通える?」
「それは」
難しい、まで言わずとも伝わったようだった。あやめの唇が小さく震えた。恐怖、後悔、そんな匂いがした。
それでも、魔法を欲しがる気持ちの方が強いはずだ。だって、逃げようとしないから。森崎家に戻ろうと思えば、まだ頼めるのに。
「なんでもかんでも手に入るほど、人生は単純じゃない。何かは諦めるしかない」
何も言わない。あやめは唇を噛み、俯くだけだった。
「……やって」
しばらくして、彼女は言った。蚊の鳴くような声。それでも、GOサインだ。
うまくいけば、褒めてくれるかもしれない。ふと、お母様の顔が浮かんだ。おれは、そっと右手を彼女の頭上に翳した。魔法発動に伴い、想子光が部屋中に広がる。
「……いっちょあがり」
さっきまで室内に漂っていた嫌な匂いは、もう気にならなくなった。
◆
達也の部屋では、端末に記事の見出しが並んでいた。最初の速報を読み終えると、その後の調査を伝える記事へ画面を送る。
『新ソ連旧ベラルーシ領のニュークリア・マジック研究所で起きた大規模爆発。実験装置の暴走か。』
『新ソ連原子力魔法研究所の暴走事故の原因は、装置内部に微量の残留想子が残っていたことから、魔法によるものと判明。
実験装置が何らかの魔法に呼応してしまい、中性子バリア等の防御魔法、安全装置による緊急ストップでは対処できない暴走が起きたのではとみて、急遽編成された国際魔法協会の調査チームが数日前から現場入りしているという。
調査チームに参加した専門家らによると、術者とみられる人物は、研究所で死体として発見されていた女性であった。身元は不明であり、現在も調査は……』
『新ソ連原子力魔法研究所にて死体で発見された魔法師の女性は、驚くべきことに非魔法師として登録されていた。
しかし、調査チームは、術者が間違いなくその女性であると述べており、「非魔法師が魔法を使えるようになったとしか考えられない」とコメント……』
『新ソ連の原子力魔法研究所では、暴走事故の起こった核分裂反応エネルギー動力炉の実験のほか、放射線による魔法因子操作の研究が行われていたことが明らかになった。実験には、多くの非魔法師が「自主的に」参加していたという……』
*
「ふむ……」
現在、世間を賑わしている魔法事故。 それらの記事を、達也は幾つかまとめて流し読みした。
素直にまとめれば、「新ソ連の研究により、非魔法師が奇跡的に大事故を引き起こせるほどの魔法暴走が可能な演算領域を獲得した」ということだ。しかし、そんな虫の良い話があり得るとは彼には到底思えなかった。 それに、そもそも記事の記述も肝心な部分はあいまいだ。言ってしまえば、いわゆる「ゴシップ」と同じレベルに信憑性がない。
「報道の自由」をお題目に、マスコミの偏向報道が21世紀前半よりも強い時代とはいえ……多くの人々がこれを事実と受け止めているのは驚きだと彼は感じた。
「……いや、『信じたい』のか。魔法師が後天的に生まれる可能性を」
どの国でも、魔法師の数は圧倒的に足りない。 政府は魔法師を増やしたいと常々考えている。日本国内での反魔法主義問題の発端となった魔法科高校定員数引き上げ政策だって同じだ。
もちろん、非魔法師やBS魔法師だって「魔法師であること」による恩恵を受けられるのならば受けたい。 今後スタートする研究に協力することを条件に、司直の手を逃れるという反魔法主義団体の動きは、今や多く見られた。利害が一致しているのだ。
(……そんなに良いものではないはずだがな。魔法師というものは)
達也がそんなことを考えていた時、部屋のドアを叩く音がした。
「――お兄様、深雪ですが……今、よろしいですか?」
「あぁ、構わないよ。どうした?」
ドアを開けてやると、妹がかわいらしく顔だけを覗かせた。
「そろそろ、お茶にしませんか? 今日は、腕によりをかけて……ザッハトルテを焼いたんです」
それを聞き、達也は「珍しいな」と思った。 深雪はお菓子作りも得意としているし、手作りのクッキーやショートブレッドを出してくれることも多い。だが、ホールケーキをわざわざ何でもない日に作る? おかしくはないけれども、どこか違和感があった。
「行きましょう、お兄様」
達也の手を引いて、深雪は嬉しそうにリビングへと歩いていく。鼻歌まで歌って。
(なにか俺には分からないような、個人的に嬉しいことがあったのだろう)
そう結論付けて、達也は考えるのをやめた。だが、深雪が嬉しくなるのは、いつだって達也に関連すること。なぜなら、深雪も……達也が気にしていたニュースを読んだのだから。
◆
四葉本家の書斎は、夜になっても隅々まで明るかった。整然とした机の中央にだけ、研究所から届いた紙束が置かれている。真夜は最初の一枚を持ち上げ、数値を追う目をゆっくり細めた。
四葉家当主、四葉真夜は研究所から届いたレポートに目を通していた。
「精神領域に作る人工魔法演算領域を特定の魔法式専用に限定すれば、常人並みのスピード・作用範囲・干渉力を実現できる。しかし、94%の確率で演算領域は暴走……こんなピーキーな人造魔法師、実用化できる訳ないわ」
データ流出に備えて特殊印紙に印字されたレポート束を、さっさとテーブルの端におしやる真夜。
「しかし、奥様。以前の人造魔法師実験と比較すれば、明らかに進展してはいますから……夜久様の成果は素晴らしいものでしょう」
「そう。貴方が言うのなら、そうなのかもしれないわね」
適当な返事に、葉山は「奥様」と窘める。けれども、真夜はそっぽを向いたままであった。
「ところで、第四研に元々あった実験体以外に、あれが持ち込んだ実験体があったわよね」
「森崎家の縁者ですな」
「結局、新ソ連での工作には使ってないのよね? どうしたの?」
人造魔法師に仕立て上げたあやめを利用することを、夜久は最終的にはやめてしまっていた。というより、やめざるを得なかったのだ。
「自ら命を絶ってしまったのです。『夢が叶ったのに、何も感じない』と呟いて」
演算領域を埋め込むために、情動を司る精神領域を全て消し去った。そのせいで、あやめは「心」を失ってしまったのだ。
「うふふ……ふふふ、ふふっ……あーっはっはっは!」
笑い声が書斎に反響した。テーブルの端に押しやられたレポートには、先ほど読み上げた数字が並んだままだった。
葉山の説明に、真夜は笑った。腹を抱えての大笑いだ。
「はっ、かわいそうな子! 心が何かも分からないのに、姉さんの研究を引き継いだなんて!」
狂ったように笑い転げる真夜に一礼し、葉山は書斎を去った。