深夜のバークレー。レイモンドは、家で1人不機嫌だった。楽しい「おもちゃ」も「人形」も父親が全部取り上げてしまったからだ。フリズスキャルヴの使用権はブロックされ、エンゾは父親であるエドワードの指示に従うようになった。つまりは、そういうことである。
(何だよ。僕、頑張ったのに)
これには理由がある。レイモンドの取った行動のほぼ全てが、裏目に出てしまっていたからだ。
司波達也の隠された素性を明かすことで、四葉家次期当主は達也になると思いきや、そんなこともなく(元々候補でないのだから、当たり前だ)。また、四葉夜久も年明けからはやけに大人しい(彼なりにショックを受けているのである)。年末には、顧傑を白昼堂々殺害するなど大暴れしていたのに。
どう見ても、四葉家は平常運転だ。アンタッチャブルの再来など、今後訪れるようには到底見えない。ただただ、四葉に「くだらないちょっかい」をした程度の話になってしまったのだ。
(ヨツバのルールは、一体どうなっているんだ。 最も強い魔法師を決める、というのはウソだったのか?)
そして、嵐の前のような静けさも……妙に恐ろしい。婚約発表以来、四葉家は何の声明も出さなかった。関係各所からの問い合わせも無視。唯一反応したのは、一条家からの提案のみ。「交際に関してはご自由に」とだけのシンプルな返答。
──反撃の準備をしているのではないか?
そんな考えが浮かび、彼は慌てて頭を振った。そんな訳はない。「フリズスキャルヴ」の真実に辿り着ける人間など、存在しないに決まっている。
(結局。司波達也と司波深雪の婚約問題くらいしか、日本国内では盛り上がってない……。おかしいよ。日本人って、頭がどうかしてるんじゃないの?)
投下した情報が多岐に渡り過ぎたこと。そこに原因があるのだが……レイモンドは気づけていない。
もちろん、戦略級魔法師の管理問題も反魔法主義団体を中心に盛り上がってはいる。ネット掲示板では、十師族への誹謗中傷も加速していた。ただ、どれも婚約騒ぎほどではない。それくらい、あの「元は兄妹だった者たちの交際」だの「美少年魔法師による婚約異議申し立て」だのは、世間の興味を惹いたのである。
(はぁ、面白くないな……)
どうしようもない苛立ちから、彼はベッドの上でクッションを投げる。壁に跳ね返って、ぼとりと落ちた。物理法則にも馬鹿にされているような気がして、舌打ちをしてしまう。
「──まだ起きていたのか、レイモンド」
部屋に入ってきたのは、エドワードであった。だが、不機嫌なレイモンドは返事などしない。顔を背けるのみ。
「……まだ怒っているのか」
「だって! ダッドが全部取り上げちゃうから……」
「あのままでは、四葉の締め上げが上手くいかなかった。確かに世論こそ盛り上がっているが、その殆どが出歯亀だ」
確かに、ほぼ近親婚ともいえるあの問題に対して、多くの人々が疑問を抱いている。しかし、遺伝子が損なわれることを「本気」で憂う人間は数少ない筈だった。
「この状況から、世の中を塗り替えるには。もっと大きな衝撃を与える必要がある」
よく見てなさい、とエドワードは息子に言い残して部屋を去る。レイモンドは、再び無視を決め込む。
その数時間後、日本に向けて「トゥマーン・ボンバ」が投射されたのだった。
*
真夜が疲れた顔で、複数枚にわたる報告書を端末で確認していた。ひとつひとつは、大したことなどない。しかし、こうも積み重なるとウンザリするのも事実だ。
「……国防軍は、達也さんの管理を申し出ているのかしら?」
真夜は、側に控える葉山にそう尋ねた。今日の彼女は紅茶ではなく、コーヒーを飲んでいる。考えることが多過ぎて、寝不足になってしまっていた。
「いえ、そのようなことは全く」
「そうでしょうね」
国防軍の本音としては、強力な魔法師を正式に管理下に置きたい。それは正しかった。でも、そのせいで軍の施設が狙われるようになるのは避けたいのだ。各国が「特殊軍事作戦」という名目での戦闘しか行わないことで、ギリギリのバランスを保っている国際情勢。開戦となると一気に悪化してしまう。十師族という「名誉一般人」が軍の預かり知らぬところで揉める方がずっと良い。そういうことだ。
絶え間ない小競り合いより、正規戦の方がマシという意見も軍内にはあるものの……少し前の「大亜連合強硬派」の弱体化で声は小さくなっている。
「けれども、また……あの忌々しい『賢人』に口を出されると厄介だわ。いい加減口を縫い付けたいところだけれど」
「……確かに達也様のお力ならば、数日もしないうちに始末できるでしょう。ですが、そういう訳にもまいりませんよ」
ここまでコケにされたのだ。しっかりと「見せしめ」を行う必要があった。それは、日本国内で好き勝手なことを言っている人々への牽制にもなる。
「えぇ、そうね。ですから、もう少し泳がせておきましょう。──だって」
ゆっくりとコーヒーを飲み干す。冷めて苦味の増しており、思わず彼女は顔を顰める。しかし、すぐに笑顔を浮かべた。
「追い詰められることで、達也さんが『深雪さんと生きる未来』の実現に躍起になってくれたら……すごく嬉しいもの」
今の真夜は、何となく勘づいていた。まだ、達也が「兄妹での結婚に戸惑っている」と。
彼の眼は、情報体を見ることができる。だから、全てを理解してしまう。「達也と深雪が本当の兄妹であること」も「真夜と夜久が本当の親子であること」も。そう考えれば、抵抗感を抱くのも無理はなかった。
(嘘をついても、真実は消えない……。嫌な言葉)
目をそっと瞑り、ただ祈る。最愛の「息子」が嘘を愛してくれることを。
◆
あの「トゥマーン・ボンバ」は達也を狙ったものだった。だから、安全が確保できるまでは深雪を彼の側には置いておけない。ということで、彼女も調布の方へと住処を変えることとなった。達也は、伊豆の別荘に残っている。
「車での通学は楽だな。今後はこっちでも良いかもしれん」
おれはシートを一列使い、呑気に寝転んでいた。普段は徒歩とキャビネットで通っていたので、新鮮な気分だ。
「夜久くん、ごめんなさいね」
後ろの列に座る深雪が、申し訳なさそうな顔をしている。水波がオーバーヒートを起こしているので、おれに付いている護衛と一緒にいる必要が彼女にはあった。また、達也を一高に通わせるのも今は世間(主に非魔法師たちだ)の「戦略級魔法師を自由にさせておくことへの非難」のせいで難しいのもある。どうせ「精霊の眼」で深雪を見ているだろうが。
「気にするなよ。──深雪ちゃんとこうして話す方が100倍は嬉しいね。あの兄貴と顔を突き合わせるよりは」
達也とは、もう話していられない。「魔法がなくても人間らしく生きられる」なんて、あまりにもメチャクチャな論理だ。意味のわからない理屈を聞かされると、おれの頭も痛くなりそうだ。
「……夜久くんは。魔法が使えない人は、やっぱり可哀想だと思う?」
深雪からの問いかけに、おれは上体を起こして答えた。
「気の毒ではあるだろ」
この世界は、あまりにも「魔法を持たないもの」に厳しすぎる。想子センサーがあるため、8割近くの魔法犯罪は逮捕されるものの……残りの2割は野放し。そんな無法な世界では、魔法師であることくらいしか寄り掛かれるものなどない。
魔法師であることで得る苦しみも多いが、それを上回る特権が存在するのも事実なのだ。
「そうね。じゃあ……もし水波ちゃんが魔法を失ったら、可哀想な子になるのかしら?」
窓の方に顔を向けているから、深雪はおれを見ていない。でも、困った顔をしているのは分かる。ガラスに映ってるから。少し歪んでも、彼女の顔は可愛いなと思った。
愛梨とはまた違って……何というのだろう。そうだ、近い表現は「優しいお姉ちゃん」な気がする。何となく、伯母様との会話を思い出すのだ。夕歌みたいにおれを揶揄ったりする訳でもなく、ただ静かに会話をしてくれるのが深雪。一応、対外的には妹に当たる筈だが、やはりそんな気はしてこなかった。おれが子供過ぎるのかもしれない。
「考えたのよ、ちゃんと私も」
景色を眺めながら、深雪はそんなことを言った。
「夜久くんの言う通り、魔法を奪うことは酷いことだと思うわ。だって、似ているんだもの。私たちの考え方って」
おれと深雪の魔法に対する価値観は、割と近い。魔法が使えるから自分たちは、いつだって強気でいられる。四葉の魔法師らしい価値観だ。
「そうだろ?」
シートの間から身を乗り出す。深雪と目が合った。
「……でもね、私はお兄様を支持する。お兄様の前で、本音なんて絶対に言わない」
「なんで」
彼女は薄く笑みを浮かべ、おれの頬を白魚のような指で突いた。
「水波ちゃんに死んで欲しくない、っていうお兄様の人間らしいエゴが嬉しいからよ。私という人間を通せば、お兄様は人間らしくいられるんだと思うと……堪らないわ」
深い愛情の匂いがした。一日二日で生まれたようなものではない。それはきっと長い間、時間を掛けて……醸成された愛。
「気付いた?」
深雪は悪戯がバレた子供のような顔をした。おれはといえば、衝撃から唖然としているのに。だって、それが意味するのは。
「ずっとずっと、好きなの。異性として……お兄様──いいえ、達也様が」
ダメだよ、とおれの口が動いた。
きっと、達也は分かっている。お母様によって、おれたち3人の関係性が書き換えられたことを。でも、彼の「眼」は、いつだって真実を見てしまう。人々が恐れるようなことから、目を背けることはできないのだ。気の毒だと思った。おれは「嘘」を信じようと努力できるのに。
「……私のことを気持ち悪い子だ、って。まだ少しは思っていらっしゃるかもしれないわ。だからこそ、嫌いに思われるようなことなんてしない」
愛されるためには、人から魔法を奪う罪だって犯す。そういうことなのだ。
「私、ちゃんと当主になってあげる。そして、貴方を自由にしてあげる。──貴方は貴方で楽しくやっているの……もちろん知ってるわ。有名だもの」
つん、と再び頬を触られる。ひんやりとした指先は少しずつ移動し、おれの首で止まる。骨の上を軽く押さえられた。気管が詰まったような錯覚がして苦しい。
「……だから、水波ちゃんの演算領域を閉じて。お願い」
車内の温度が急激に低下する。深雪の魔法が暴走しているのだ。遮音フィールドの向こう側にいた護衛がギョッとした顔で、おれたちの方を見ているのが目の端で見えた。彼はやっと改変に気づいたらしい。
「──性格悪いよね、深雪ちゃんって」
室温が元に戻る。おれが領域干渉を塗り直したのだ。
「……前、教えてあげたでしょう?」
柔らかな笑顔を浮かべる彼女。こんなことを言っていても、非常に可愛らしい。美人は得なんだな、と思った。
(達也が伊豆に引っ込んでいる間に、何とか水波を上手く匿ってやらないといけなさそうだぞ)
そんなことを考えつつ、おれは「そろそろ到着しそうだな」と深雪に笑い掛けた。
ちな淑女の深雪が夜久にだけはなぜこんなに自分の闇を開示できるのかは、退学編でちょっと書いてたりする。精神干渉魔法の才能があるから、感情やエイドスの情報を「匂い」という概念で知覚できるというのも理由のひとつ。この2人は案外特殊な関係性。