沼鬼に憑依した話   作:茸山 寄竹里

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第一話

「気がついたか俺よ」

 

 

 

 目が覚めると目の前に額に角が生えた男がいた。

周りを見渡すと濁った液体に満たされており、浮力を感じるがなぜか息ができる不思議空間だった。

 

「どうした俺よ?また知性の低い個体ができてしまったのか。なかなか難しいなこの血鬼術は」

 

 男が訝しんでいる。改めて男を見ると思い出す。あーこいつは俺だ。

 初めは混乱したが直前までの記憶が蘇り、なぜ自分が自分に語りかけるような状況になっているか理解した。

 

「早合点するな俺よ。問題なく分裂できている。何も心配する必要はない」

 

 だが口ではそう言いながらも深刻な違和感を感じる。目の前にいる男は俺だ。俺のはずである。俺であるという以外で既視感を感じる。

 違和感を拭う為に男を隅々まで観察する。額に角があり、瞳は瞳孔がわからないほど充血している。逆に肌は血行が悪く青白く病的に見える。鬼になった弊害であり見慣れた顔だ。

 背格好は中肉中背、服装は資料でしか見たことがないような着物を着流している。

 鬼?そうだ鬼だ!なぜすぐ気づかなかったんだ。〈沼鬼〉だ。自覚した今なら分かる。俺には二つの記憶がある。人間だった頃はあまり思い出せないが鬼舞辻無惨様に血を分けて頂き鬼に成った俺の記憶。現代社会でこの世界を物語として漫画で読んでいたオレの記憶。

 沼鬼とはその漫画に出てきたキャラで、漫画のタイトルは確か・・・

 

「そうか、それは素晴らしい。昨日喰った女で力が増した気がしたのは確かであったか」

 

 一本角の鬼が昨日の食事を思い出したのか笑みを浮かべながら宣う。

 食人鬼に対して若干の嫌悪感を感じながらオレの記憶を思い出そうとする。

 

「もうすぐ日が暮れる。今日の獲物を探しに行くぞ」

 

 沼鬼が急かしてくる。思考の海に潜ることを許してはくれなさそうだ。自分が「俺」なのか「オレ」なのかよく分からなくなってきている。少なくとも先ほどと比べて目の前の鬼が自分であると言う感覚が薄れてきているのは確かだ。

 

「まあ待て俺よ。俺はまだ新しい体に慣れていない。少し沼の底で慣らしをしたい。」

 

 俺は時間を稼ぐことにした。実際、軽く体を動かしたが力加減がわからないのは事実だ。

 そして沼鬼に取っても悪くない提案なはずだ。

 沼鬼とは物語で主人公が初めて戦う異能の鬼で、亜空間を作り出す『沼』と複数の分身を作り出す『分裂』の血鬼術を持っている。

 この『分裂』で出来た分身はそれぞれが異なる思考を持つ別個体となり、情報を共有するリンクなどは存在しない。

 つまり、彼らにとって自分を増やすということは戦力アップや探索範囲を広げることには繋がるが、分け前が減るマイナス面も存在する。16歳の女子しか食べない嗜好を持っている彼らからすればそれは大きな問題だ。

 まだ警戒度は低いが、もう何人も喰っているこの街で日暮れから16歳の女子を探すのは骨が折れる。見つけても連れが居るだろう。目撃者が出れば鬼殺隊が湧いて出てくるので、楽に喰えるのも今夜までかもしれない。

 そんな食事を減らす必要はないと考えるだろう。

 

「ふむ、二人目の時のように力任せに食事をダメにされても困るな。では精進するがいい。俺はもう行くぞ」

 

 予想通り沼鬼は浮上して行った。これで邪魔が入らず記憶の整理ができる。

 これはいわゆる創作物の世界への転生だろうか?いや憑依かな。

 「オレ」の記憶が前世の記憶だと仮定して思い返してみるが、創作物にあるように名前などの固有名詞や個人特定に繋がる情報は思い出せないようだ。

 最後の記憶を思い出してみても自分が座る椅子の周りを何者かに囲まれていると言う、よく分からないものだった。恐らくヤクザかマフィアにでも喧嘩を売ったのだろう。ろくでもない奴だったようだ。

 改めて思い返してみても記憶と言うより記録と思えてしまう。そんな中でも原作のことはよく覚えている。

 一家が鬼に惨殺され、生き残ったたった一人の妹も鬼にされてしまった哀れな主人公〈竈門炭治郎〉が、沢山の仲間に支えられながら妹を人間に戻すために鬼と戦う少年漫画。オレはこの『鬼滅の刃』の世界に憑依転生してしまったようだ。

 

「全く奇妙奇天烈なことが起きたものだ」

 

 静かで暗い沼の中でつぶやいた独り言は、思ったよりも大きく耳に響いた。

 

 

 

 何処に居たのか集まってきて3人になった沼鬼たちは、外に食事を探しに出ていった。

 沼の中は濁った液体に満たされているが、視界はさほど悪くない。周りには着物、帯、下駄や草履などが漂っている。目に付くだけでも3、4人分はあるだろう。

 若い女性の衣服で鮮やかな色であっただろうそれも、黒いタールが溶けたようなこの液体の中では酷く色褪せたように見える。

 下を見れば闇が広がっていた。この沼に底面はない。底は非常に粘度が高くドス黒い液体に満たされていて、足が多少沈むが途中で止まる。表面が少し流動しているせいで闇が蠢いているように見える。

 沼鬼たちの食べ残しである人間のちぎれた腕や足、砕かれた肋骨が露出している中身のない胴体、原型を留めていないが歯が有ることから頭であると判る部位などが沈んでいる。その光景は巨大な生物の胃の中を連想させる。

 

 そんな悲惨な情景の中、オレは前世の記憶を呼び起こす。

 前世の記憶は相変わらず霧がかかったように曖昧であるが、どうやらオレは引きこもりであったようだ。外の環境があまり良くなかったのもあるが、母の外に出なくてもいいという言葉に甘えて、閲覧可能であったライブラリーにある書物を読み漁っていた。

 名前も顔も思い出せないが母への愛情は深いものだったと感じる。

 ライブラリーには大量の電子書籍が保存されていたが紙媒体の書籍も数は少ないが保存されていた。件の漫画はその数少ない紙媒体だった。この世界の原作である『鬼滅の刃』の漫画だけはハッキリと思い出すことができる。

 まるで誰かが原作知識をチートとして活用させようとする意図があるのではと勘繰ってしまう程だ。神に会った記憶は無いが忘れてるだけで神様転生だったのかもしれない。

 他の記憶と違い漫画の内容は瞬時に全てのページを完璧に思い出し理解出来る。余白に書いてある落書きすら完璧に。

 

 

 余白に、ビッシリと、手書きで、全23巻に、瞬時に理解してしまう。

 

 冒涜的な内容が、絶望的な未来が、禁忌的な手段が、精神が魂が摩耗する。

 

 

 理解が進むごとに脆弱な沼鬼の魂は消滅し、その隙間を埋めるがごとく異界の知識や技術が刻まれる。

 魂が侵食される痛みのお陰か前世の記憶がハッキリしてくる。フェイク動画の様に継ぎ接ぎだらけだった「オレ」の記録が〈俺〉の記憶に修正されていく。

 強い吐気を催すが既のところで耐える。口の中に広がる胃液の気持ち悪い味を感じて、鬼でも胃液の味は変わらないのかと下らない事を考えながら、原因が記憶ではなく鼻につく不浄を凝縮したような悪臭であることに気が付く。

 あえて例えるなら戦場で野晒しに積上げられた死体の山の臭いだろうか。沼に漂う死臭を何倍にも凝縮したような臭い。

 

 記憶が、知識が、技術が、第六感が警告を発する。周りに目を配る隙すらヤバい。

 素早く先程魂に刻まれた呪文を唱える。発声している言語が日本語か英語かラテン語か、理解出来ないが理解している矛盾を感じる呪文を唱えながら、視界の端にある鼻緒の切れた下駄の歯にある角から青黒い煙が出ている事に気が付く。

 煙が集まり一匹の四本脚の獣を形作る。

 

 〈ティンダロスの猟犬〉

 

 それが今現出した怪物の総称である。猟犬と言う名が人の脳にイヌの姿を幻想させるが、次元の異なる存在の彼らを正確に視認出来ない。

 彼らは不浄な存在であり清浄に飢えている。時間の狭間にある彼らの領域を時間遡行などで清浄な者が通ると発見され、何処までも『におい』を辿って付け狙われる。

 猟犬の清浄や不浄の概念は我等とは異なり、食人鬼ですら彼らからすれば清浄である。

 彼らは角さえあれば距離も時間も関係なく、現在過去未来何処までも獲物を狩るまで追い続ける猟犬なのだ。

 

 猟犬の口から注射針の様に尖った舌が物凄い速さで此方に伸びてくる。咄嗟に頭を後ろに振るように海老反りし、先程まで頭があった位置を猟犬の舌が穿くのを眺めながら身を翻し、バク転の要領で後ろに下がり体勢を整える。

 まるで弾丸の様な速さの舌を回避出来たのは、ひとえに此処が沼の中、沼鬼である俺の領域だからだ。

 

 沼鬼は弱い。主人公が戦う鬼が使う異能『血鬼術』の異常さを説明するチュートリアルの様な存在であり、鬼殺隊に入隊したてのひよっ子炭治郎ですら容易く葬れる存在なのだ。

 下手したら血鬼術無しの単体なら、頸が少し硬いだけの手鬼の方が手強いだろう。

 そんな雑魚鬼でも奇を衒って血鬼術は他の鬼と比べても特殊だ。沼の液体が敵の動きを鈍らせ、逆に自分には動きを補助する。バフとデバフが同時にかかる領域だからこそギリギリで躱せた。

 回避で呪文が途切れなかったのも偶然である。その刹那な瞬間が偶々単語と単語の間だったからだ。

 しかしギリギリでも偶然でも偶々でもクリティカルでもファンブルでも一瞬の隙が出来た。その一瞬が明暗を分けた。

 

 猟犬が素早く舌を戻し、再度攻撃してきた時にはもう呪文は完成していた。

 伸びてきた舌は俺の鼻の先で湾曲し空を切る。猟犬の周りに発生した球体の膜に阻まれたのだ。

 その膜は猟犬を巻き込みながら見る見る間にビー玉サイズまで小さく縮んだ。

 

 猟犬を封印することに成功したのだ。

 

 猟犬は角が有れば何処にでも移動出来る。しかし角が無ければ何も出来ない。

 最もこれほど簡単に封印できたのは先程まで神話生物の概念のなかった『鬼滅の刃』の世界だからだろう。この世界は俺の前世によって持ち込まれた魔導書によって神話生物と言う、外なる神と言う概念を得た。

 世界はあの瞬間に書き換えられたのだ。

 

「あはははは」

 

 俺は口を大きく分けて馬鹿みたいに笑った。

おかしくてたまらない。

 

 偶然、死んだのに転生して新たな生を得たからか?否。

 偶然、好きな作品の世界に転生したからか?否。

 偶然、起きた生死をかけた戦いに勝利したからか?否。

 

 偶然に起きた転生で、偶然にもティンダロスの領域を通り、偶然思い出した前世の記憶に魔導書の写しがあり、偶然にも猟犬を封印する呪文が書き込まれている様な奇跡が起きるだろうか?

 

「あはははは、そんなわけがない!」

 

 そう、一連の流れは全て必然。なるべくしてなったのだ。

 俺は高揚感が抑えられず先ほどの攻防など無かったかのように静まり返った沼の底で叫んだ。

 

「全て計画通りだ!」

 

 俺は徐ろに右手で自分の首を握り潰した。そしてビー玉サイズになった猟犬の封印された玉を、再生する頚椎に巻き込んだ。頚椎は俺の意図を汲み玉を包むように変形して首の再生を終える。

 首の後ろにこぶができたが、大きな違和感はない。日輪刀で頸を斬られたら同時に玉が破壊される位置だ。第一の布石は打った。

 

 俺は意図的に『鬼滅の刃』の世界に来訪した。だがそれは俺一人の力で成し得たわけではない。

 嗚呼、『時空門の創造』に全てを捧げた同胞達よ、『冥王星の薬』を調合する為の犠牲になった同胞達よ、君たちの活躍でついに俺は創作世界に降り立った。

 フィクションをノンフィクションにする過去改変計画の第一段階は成功した。

 とある外なる神に喧嘩を売る形に成ったのは心配だったが、無事に憑依出来たので大丈夫だったようだ。

 第二段階はストーリーの改変だ。事前準備は憑依先が解らず出来なかったので直ぐにでも取り掛からなくてはならないが、やるべき事は解っている。だから今は祝杯を上げよう。酒の代わりに沈んでいた沼鬼の食べ残しの人間に喰らいつく。

 食人に対する嫌悪感はもう無くなっていた。

 

 

「人類滅亡を防ぐ為に人類の間引を。全ては我等が母の為に」

 

 

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