沼鬼に憑依した話   作:茸山 寄竹里

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初投稿です。

ちょっと長くなりました。


第三話

 桜が満開の4月初旬の浅草、歓楽街である『6区』で小さな事件が起きた。

 

 江戸の頃より人々の信仰が篤かった『浅草寺』周辺は、明治維新後に寺町から公園地へと代わった。

 街を創るために人々が集まり、その人々の生活を支える人々が集まり、浅草は劇的な発展を遂げた。

 

 特に歓楽街の「6区」は見世物や芝居、演芸などの小屋が建ち並び、日本一高い建造物である『凌雲閣』が聳え立つ。『浅草十二階』の愛称で呼ばれる浅草の象徴だ。

 ファッションや流行の発信地でもあり『花屋敷』や『カフェー』や海外からの輸入品を扱う店もある。

 浅草は今では「東京観光でまず行くべき場所」と称される東京一ハイカラな街に成り、昼夜問わず賑わっていた。

 

 しかしどれだけ栄えても浅草は庶民の街だ。インテリの集まる格式高い場所では無い。

 人々はカフェーで珈琲を楽しみ、居酒屋で酒を呑み、『十二階下』に繰り出す。

 夜に成れば酔払いが騒ぎ喧嘩も絶えない。

 今日起きた『酔払った旦那が隣の妻に襲いかかった事件』などこの街では日常で、ゴシップ新聞の三面記事にも成らないだろう。

 その事件で、暴れる旦那を取り押さえた市松模様の羽織を着た少年の事も、遠巻きに見ていた洋装の家族の事も、人々の記憶に残ることはない。

 

 

 ましてやその後、人知れず消えた3人のチンピラの事など、浅草の大きな輝きの前には陰すら残らない、小さな小さな事件なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 夜も更けてきて歓楽街から聞こえる喧騒も静まりつつある。

 『ひょうたん池』のあるこの広場は昼間であれば『花屋敷』に行く客で賑わっているが、夜の帳が下りてからは街灯に照らされ細々と営業する、うどん屋台しかない。

 景気の良い時期なら、締めにうどんと遅くまで賑わうことが多かった。だが、残念ながら今は不景気で、この時間では閑古鳥が鳴いている。

 しかし屋台の坊主頭の店主は落ち込むでもなく、思い出し笑いをしながら楽しげに作業をしている。

 

「あの小僧、最初はどうかと思ったが、なかなか良い食いっぷりだったな」

 

 店主は、次来たら天ぷらでもおまけしてやろうか等と考えながら一時くらい前に来た少年と少女、兄妹だろう客を思い出す。

 しかし店主はそんな未来は来ないだろうとも思う。

 客もうどんも一期一会。次があると思ってはいけないのだ。だからこそ、うどんを食べなかった少年に強く出てしまったのだが。

 

 ふと店主は仕込みの手を止めて面をあげる。視線の先には10才にも満たない、小さな男の子が居た。

 身なりは悪くは無いが、恐らく孤児だろうと店主は予想する。

 

 その男の子は何をするでもなく屋台の方を眺めている。

 単なる物乞いであったなら店主はすぐに追っ払っただろう。しかし店主は男の子の目が気になった。

 浅草の側には貧民街があり、浅草生まれ浅草育ちの亭主はそこで生活する人々をよく見ていた。

 事業に失敗したもの騙されたもの生まれが悪かったもの。色々な者達を見てきたが総じてみな目が濁り、全てを諦めているのだ。

 

 そんな連中とは違い、目前の男の子は綺麗だ。しかし絶望している。迷子の目だった。放っておけば、その内連中の仲間入りをするだろう。

 

「おい坊主、うどん食ってくか?」

 

 店主は深く考えるのをやめて声をかける事にした。

 深刻な悩み?重大な事情?そんな事は関係ない。うどんを食わせればいい。うどんを食えば皆幸せになれる、と店主は信じているからだ。

 

「いやそれよりも、ここにいたお姉ちゃんは何処にい・・・」

「食うのか!食わねえのか!!」

「食べます!」

 

 子供は勢いに負けた。

 

 

 

 ズズズ、ズズズと、うどんをすする音だけが響く。子供はとても飢えていた様だ。

 余りまともな食べ物を食べれていないのだろう。温かい物も久々なのではないか?

 子供が涙を流しながら麺をすすっている様子を眺めながら店主は思った。

 

 

 

「それで、なんであんな処で突っ立ってたんだよ」

 

 食べるのが落ち着いた辺りで、店主は男の子に質問する。

 

「それは・・・」

 

 男の子は言い辛そうにしていたが、一息つき意を決して話し出す。

 

「先月、母ちゃんが死んだんだ」

 

 男の子は身の上を語り出す。

 今年の冬は寒かった。寒さに耐えられず男の子の母親は亡くなったらしい。

 父親は居らず母親と二人で暮らしていたそうだ。

 

 しかし、酷く寒かったのは先々月じゃなかったか?亭主は矛盾に気付くが些細なことだと割り切る。

 唯一人の肉親が亡くなったのだ無理もない。心がぐちゃぐちゃになってしまった人間は時間の流れなんて分からないものだ。

 

「母ちゃんが死んじまって、住むところも追い出されたから町に来たんだ。オラ、まだ小さいから働くとこも無くて、お金も直ぐ無くなっちまった」

 

 少しの間を置き虚空を睨み付ける。

 

「そんな時に、金持ちそうな男が声をかけてきたんだ」

 

 男の子の語る口調に怒気が混じる。その男に良い感情を抱いていないようだ。

 男は中肉中背で、着物の上にマントを羽織っていたと言う。

 男はこう言ったらしい。

 

『花屋敷の前のうどん屋の屋台に、少年と少女の2人組が来る。しばらくすると少年は居なくなるから、その間に少女から血をもらってくるんだ。彼女は口に竹を咥えているから、直ぐ分かるよ。え?無理だって?大丈夫さ。君のような小さな可愛い子がお願いすれば、簡単にくれるよ』

 

「勿論、初めは断ったんだ。でも前金くれるって言うからつい」

 

 語尾をすぼめながら顔を伏せてしまう。

 男の子は“十銭”と“血を抜く道具”を渡され『成功すればもっとお金をやる』と言う言葉につられてここに来てしまった、と言った。

 男の子がうどん屋に着いた時、丁度連れの少年が『6区』に走って行くのが見え、焦った男の子は何も考えずに女の前に出てしまったそうだ。

 

「無理って言ってくれてよかったんだ。でもお姉ちゃんは優しく頭を撫でてくれて、血をくれたんだ。母ちゃんみたいに、ギュッと抱きしめてくれて。こんなに優しくしてくれた人は、母ちゃん以外にいない。こんなにあったかい気持ちにしてくれたのに、オラは・・・オラは姉ちゃんになんて酷いことを・・・その時は、怖くなって逃げちゃったんだ」

 

 男の子は嗚咽を漏らしながらも、自らが犯した罪を語る。

 何故か逃げた先で例の男が待っており、放心状態だった男の子はいつの間にか血と引き換えに、大金を手に入れていた。

 

 母親のように優しく接してくれた少女を売ったことは、男の子にとってはとても大きな罪だった。

 気づいた時には男はおらず、罪の意識につぶされそうになった男の子は、せめてお金を少女に渡そうと、ここにやってきた。

 

 しかし、少女はもういなかった。男の子に罰を与え楽にしてくれる者は、もういなかった。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。お姉ちゃん、ごめんなさい」

 

 店主は狂気を含み始めた男の子の独白を、黙って聞いていた。

 自分自身も、決して楽な人生を送ってきたわけではない。その経験から男の子に対して、的確な助言をしてやることも、厳しく説教をしてやることも、店主には出来た。

 

 しかし、それは野暮ってもんだ。

 

 屋台の中から話を聞いていた店主は客席側に移動し、伏せている男の子の背中を軽く叩き声をかける。

 

「坊主、うどんは美味かったか?」

 

 顔を上げた男の子は、泣笑で答えた。

 

「ゔまがっだよ!!」

 

 その笑顔は涙と鼻水で酷いものだったが、店主の一番欲しい笑顔だ。

 

「そうか!美味いうどんを食って『美味い!』と言えるなら、坊主は大丈夫だ!」

 

 店主は浅草生まれの浅草育ち、粋でいなせな江戸っ子。人読んで『うどん愛の伝道師』の〈豊さん〉である。全ての事象はうどんに集約される。

 

 店主の真意が伝わったかは分からないが、男の子は是迄と違い大きな声で泣いた。

 その泣き顔は嬉しそうに見えた。

 

 

 

 男の子が泣き止んだのは、もう夜中になる頃合いだった。

 遠くから聞こえていた喧騒は鳴りを潜め、周りには街灯に群がる羽虫たちの音だけが聞こえる静かな夜に、成っていた。

 

「おっちゃん、ご馳走さま。一杯幾らだい?」

 

 男の子は懐からお金を出そうとしているが、店主が手を出し制止する。

 

「あ?代金なんて要らねえよ。」

 

 店主は手前から食べさしておきながら金を取るほど、落ちぶれてはいない。

 剃り上げた頭を掻き若干躊躇いながらも店主は、男の子に一つ提案する。

 

「あ〜お前、根無し草だろ。なら半年くらい此処で皿洗いの仕事するか?給料は出ねえが、賄いと寝床は用意出来るぞ」

 

 男の子は「え!?」と目を見開いている。

 店主も自分らしくない行動だと思っている。

 最後まで面倒見ないのに、手を差し出すべきでは無い。しかし今夜は、そんな気分だった。

 

 店主は口元に手を添えて、コソコソ話をするかのように喋る。

 

「内緒の話だが、情報通の客が言うには、戦争物資の輸出が好調らしい。そろそろ好景気が来るって話だ」

 

 まだ理解が追い付いてない男の子を眺めながら、店主は続ける。

 

「景気が良くなれば人手が要るようになるだろ。そうすりゃ住込みの仕事も、見付かるだろうよ」

「本当かい、おっちゃん」

 

 やっと理解したのか食い気味で、男の子が反応する。その様子が可笑しいのか、笑いながら店主は答える。

 

「そうさ、間違いねえ。先ずは、半年頑張ってみな」

「分かった!オラ頑張るよ!」

 

 男の子は先程までと違い、希望に満ちた満面の笑顔で肯いた。

 

「良し、そうと決まれば早速その器を、裏の樽で洗ってくれ。そろそろ本日最後の客が来る」

 

 歓楽街の方角から、複数人の砂利を歩く音と、楽しげな談笑が、聞こえてきている。

 元気よく「うん!」と返事をした男の子が屋台の裏に向かう。

 

 店主は自分を横切る瞬間に見えた男の子の目に違和感を覚えたが、声を掛けてきた客の方に集中する。

 

 

男の子の目が、血のように赤かった事などは、直ぐに忘れてしまった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 東京郊外に広がる農村地の先には、開拓の進んでいない森林が続いていた。

 日中なら兎も角、夜の闇の中で森に足を踏み入れる者はいない。

 何かがその暗い森の中を猛進している。

 それは障害になるであろう大木や岩を、まるですり抜けるかのように、直線に移動している。

 いや実際それが何彼に触れるとき、表面が一瞬で黒く染まりまるで液体を通るが如く抵抗なく、正にすり抜けているのだ。

 それはまるで弾丸の様に、夜の森を駆けていった。

 

 

 

 

 

 俺は浅草から次の目的地へと、森の中を移動している。

 沼鬼の代名詞である血鬼術『沼』の中から、座標だけ移動することも出来るが、その速度は遅い。

 夜であるなら、外を鬼の脚力で走ったほうが速いのだ。

 沼を併用すれば障害物も関係無く、移動痕も消せる。

 鬼殺隊に追跡される心配無く移動出来るのは有り難い。

 

 森に傾斜を感じてきてそろそろ山に入る頃に、ふと浅草で得た2つの成果を思いほくそ笑む。

 

 

 

 1つは禰豆子の血を原作の行間に無理無く手に入れる事が出来たのだ。

 

 鬼の禰豆子が人間を襲わない様に保険で〈鱗滝左近次〉によって施された暗示「人間は皆お前の家族だ」は、非常に大きな隙だった。

 案の定、子供をけしかけるだけで簡単に血が手に入った。

 

 大変だったのは血を取る注射器の改造くらいだ。

 大正初期の一般人が注射器で血を取れるとは思えない。

 仕方がないので、針で損傷させて中身を真空にした注射器により自動に吸い出せるように改造した。

 これには前世で似たような道具を作った経験が役に立った。

 前に作った物は戦闘中に敵に使用して壊れない造りだったが、今回のは貧弱で造りも甘い。無事、血が取れたようで良かった。

 製作機械が無かったので、鬼の怪力による力技により突貫で造った改造針だ。

 刺したら無駄に出血を促しただろうが、相手は鬼だ。直ぐに治ったに違いない。

 

 禰豆子の血を求めるのには、もちろん理由がある。

 俺が暗躍する最大の障害は無惨様の呪いである。

 呪術的な呪いでは無い、呪縛的な方だ。

 

 俺の体には無惨様の血が流れている。俺を鬼たらしめるのは無惨様の血による力だ。

 無惨様の血が俺の細胞を支配して分裂を無限に、瞬時に、変幻自在に行える様にしている。

 

 無惨様の血は俺の中で吸収されることなく存在し今も本体と繋がっている。

 もし俺が禁止事項に触れれば、瞬時に本体に連絡されて自滅行動を行わされるだろう。

 

 丁度今しがた炭治郎達と戦っている〈朱紗丸〉の様に。

 

 他にも無惨様は鬼に対して居場所を特定出来たり、思考を読めたり、念話を送れたりと多岐に渡り干渉出来る。

 

 此等を総じて呪いと言われているのだ。

 

 正直暗躍する隙が無い。

 現に先程、昼でも地中移動出来る沼を利用して浅草へ行く竈門炭治郎の先回りをしたが、浅草側まで近付いた時に「今宵は浅草付近で問題を起こすなよ」と言う主旨の念話が届いた。居場所は筒抜けの様だ。

 

 念話を受けた事で自分の中に有る外部へのラインを自覚出来るように成った。

 このライン、鬼舞辻無惨様の呪いから逃れるのに有効なのが、禰豆子の血なのだ。

 原作描写で、浅草で無惨様に鬼にされた旦那を解放している実績がある。

 医者の〈珠世〉の手が入ってないが、恐らく彼女は少量の血で生きていけるように改造しただけだろう。

 禰豆子の様に睡眠のみでエネルギーを得た方が人間社会で生き易いはずだ。

 珠世は禰豆子の血を褒めた。にもかかわらず結果は自分の研究成果の方だった。と言うことは、禰豆子の血は呪いの解除には効果が有り、食事の改善には効果が無い可能性が有る。

 浅草の旦那の呪い解除は急務なので、取り敢えず接種したら効果があったくらいのノリなのではないだろうか。

 まあ過程はどうでもいい。

 

 実績のある特効薬が手に入ったのだ。これ程嬉しい事は無い。

 何処まで監視が入るか分からなかったため思考ですら()付けしていたが、その必要はもう直ぐ無くなる。

 

 

 

 そしてもう一つの成果は、俺の血鬼術で他者の沼男の作成に成功した。

 

 沼男とは思考実験『沼男“スワンプマン”』にある概念である。

 

 

 

 内容はこんな感じだ。

 

 善逸が禰豆子に会いに行くために歩いている。

 すると運悪く雷が直撃し、沼に倒れて死亡した。

 

 しかし、その時不思議な事が起こった。

 

 善逸が倒れた沼の泥にもう一つ雷が落ち、化学反応が起きて死んだ善逸と原子レベルで同一の生命体が生み出された。

 生み出された生命体が沼男(スワンプマン)

 沼男(善逸)は死んだ善逸の記憶を持っており、容姿も、思考も、能力も、全く同じである。

 唯一の違いは死んだ記憶が無いだけ。

 死んだ善逸は沼に沈み、沼男(善逸)は普通に歩いて行く。

 沼男(善逸)は死んだ善逸が好きな禰豆子と遊び、そして死んだ善逸と仲の良い炭治郎と談笑し、感覚の鋭い伊之助に死んだ善逸と同じツッコミを入れる。

 しかし禰豆子も炭治郎も伊之助も気付かない。

 そこにはいつもと何も変わらない日常があるのだ。

 そして翌日、死んだ善逸の任務に文句を言いながら赴くのだ。

 

 

 

 さて、新しい善逸(沼男)と元の善逸は同じと言えるだろうか?

 この実験はどの登場人物から見るかによって、見方が変わってくる。アイデンティティはどこにあるかという問題だ。

 

 この実験に対する主義主張は、今は関係ない。

 重要なのは俺の血気術は、この沼男という概念を再現できると言うことだ。

 簡単に言えば自分が本物という認識をもったコピーを、作れるという能力だ。

 

 そしてこの血鬼術が他者にも使える事は、『分裂』だと勘違いしていた時から予兆はあった。

 分裂したのに力が落ちることなく、血鬼術も問題無く使えた。

 本来なら俺が分裂して2体に成ったら、無惨様の血は半分に成り弱体化するはずである。

 しかし実際には同レベルの鬼が2体に成った。

 つまり、無惨様の血まで俺の血鬼術で増えていたのだ。

 

(もしこの血鬼術に〈下弦の壱・魘夢〉の様な発動条件が、設定出来るとしたら・・・)

 

 そう思い、俺は禰豆子の血を取りに行かせる子供を、沼男にして実験した。結果は上々だ。

 

 沼男の精度は、記憶障害が現れていてまだまだだが。

 

 しかしこれで、とある1つの計画を実行する条件が整った。

 目的の人類の間引きを効率良く行えるが、加減をミスると人類滅亡に繋がる危険な計画だ。

 時間さえ気にしなくて良いなら、鬼の存在すら必要なくなるだろう。

 どのような世界線でも実行出来るのなら、結果を残せる計画だからだ。

 

 失敗して全てを壊せば、また自分の存在意義を失う。恐怖に慄くが手段を選ぶ余裕は無い。今は手札が増えたことを喜ぼう。

 

 

 考え事をしていたら、いつの間にか山中に居た。

 次の目的地は正確な場所は分からない。この場所も予想にすぎない。

 有るかもわからない鼓屋敷を探す。

 

 気晴らしに先程の出来事を思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 浅草に入れなかった俺は、適当な病院に忍び込み注射器を改造した。

 その後、金で動く人間を夜の町を、散策しながら探していた。

 そんな時、俺にぶつかってくるボロボロの服を着た汚い男の子がいた。

 

 「おっちゃん、ごめんよ!」

 

 男の子は声掛けで注意を引きつつ、たどたどしい手さばきで、俺の懐から財布をすっていった。

 

 俺でなきゃ見逃さないだろう。

 

 男の子は素人丸出しの足取りで、逃げていく。

 その後を悠々と付いて行くと、路地裏で嘔吐しているのを見付けた。

 

「おい、スリの餓鬼。初仕事が成功して嬉しいか?」

 

 声を掛けてやっと気付いたのか、上げたその顔は酷いものだった。

 目は濁り全てを諦めた死んだ魚の様で、顔は恐怖と歓喜が入り混じって、混沌としていた。

 

「おっちゃんは鬼なの?オラを楽にしてくれるの?」

 

 今まで男の子に、誰も手を差し伸べてくれなかったのだろう。

 今の俺は角を隠していない。一目で化け物と分かる俺に介錯を願った。

 化け物の赤い目と見つめ合う瞳には、死への恐怖は無く、救済への期待に満ち溢れていた。

 

「誇れ!200年後の世界の礎に成れる名誉を。貴様が沼男の第一号だ」

 

 痩せこけ骨と皮しか無い幽鬼の様な顔で、満面の笑みを浮べた子供の足元が黒い闇に侵食されて、この世界から一人の人間が消えた。

 

 

 

 

 

 沼男(男の子)は1ヶ月程度の記憶を失っていたが、話を合わせて浅草に向かわせた。

 

 沼男の服装が記憶に沿って形成されるのか、普通に成ったのは助かった。

 人は見た目で相手を判断する。

 竈門家の人間が、そんな些細なことで警戒するとは思わないが、心配の種は少ないほうが良い。

 失敗が転じて福となった。

 

 後は沼男(男の子)が戻ってきた時に、特定の条件で血鬼術を発動させるかを確認するだけだ。

 

 素に成った男の子は沼に落ちた後、一酸化炭素中毒で意識を失った。木炭が良い仕事をしたようだ。

 無意味に痛めつける趣味はない。

 痛みで意識が覚醒しないよう一撃で命を刈取り、全て食べた。

 

 味は良く分からない。恐らく味覚的には美味いのだろうが、心が美味いとは感じない。

 元の沼鬼達は味に拘っていたが、俺はエネルギーさえ奪えるなら関係無いのだろう。

 

 

 そもそも、

 

 

 

「あの忘れ得ぬ世界で母達と食べた食事に勝る物など無い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー・ー・ー・ー・ー

 

 

 

 彼女が、我等が母が死んだ。

 

 呆気ない最期だった。

 

 死因は栄養失調による衰弱死。

 

 何故彼女が1人で死ななくてはならなかった?

 

 この死が人類間の闘争に因るものなら良かった。怨みをぶつける人間が他に居るのだから。

 

 しかし彼女は人類最後の生き残りだった。

 

 闘争なんて起きるわけがない。

 

 彼女は本人曰く、研究に没頭しすぎて人類の滅亡に乗り遅れたらしい。

 

 俺たちを生み出す研究だ。

 

 彼女は自分の半生を人類の為に費し、結果孤独に死んでいった。

 

 彼女は幸せだったのだろうか?

 

 俺たちは人類を幸せにするために生み出された。

 

 人類が滅亡してしまったら俺たちの存在意義がなくなってしまう。

 

 彼女は人類最後の1人、俺たちにとって人類とは彼女1人。

 

 

 彼女は幸せだったのか?

 彼女の幸せは何だ?

 彼女を幸せにする方法は無いのか?

 

 

 きっとまだ間に合う。

 

 

 探せ!彼女の幸せを。

 探せ!唯一人の人類である彼女の幸せにする方法を。

 探せ!どんな犠牲を出したとしても彼女を幸せにするんだ。

 

 

それが、俺たちが生まれた意味だ。

 

 

 

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