満開の桜に満月が透けて見える様な、儚くも美しい風景が人々を魅了するのは、外国人の多い横浜でも同じだった。
電気が普及して夜が長くなり、月が真上に登るまで人々は月と桜を肴に酒を呑む。
しかし、満月は人を狂わせる。
そんな迷信が、今日現実と成った。
ある男は、守銭奴のはずが急に羽振りが良くなり、
ある女は、付き纏っていた色男をすっかり忘れ、
ある酔っぱらいは、自分の家が分からなくなった。
一つ一つは些細な変化で誰も気に留め無い。しかしそれが一晩で30件弱も起きれば異常な事だ。
その全てが暴力的な変化だったなら、集計され異常は浮き彫りに成っただろう。
だがその日、狂った人間が起こした軽い傷害事件は3件のみ。
鬼殺隊どころか、ゴシップ誌すら食いつかない日常だった。
30人弱が
「祝え!脱・鬼舞辻無惨の刻だ」
俺は赤レンガ倉庫の上で叫んだが、その声は風に飲まれて虚しく消えていった。
俺は禰豆子の血を取り込み、目論見通り鬼舞辻無惨の呪いを解くことに成功した。
危惧していた副作用も無く、気を失っていた時間も数時間だ。思いつく限り最善の結果だ。
禰豆子様々である。テンション爆上がりで、ついつい無計画に『
今も変なテンションで名前を叫んだが、もうこんな下らないことをしても処分される心配はない。
俺から出ていた外部ラインはもう無く、無惨とも禰豆子とも繋がっていない。
さあ、暗躍の時間だ。
先ずは手早く己の能力向上を謀る。
鬼の強さは基本的に食べた人間の数と、鬼舞辻無惨の血の量で決まると言って良い。
上弦の化け物レベルまで行こうとすると、生前の強さや鍛錬した年数も必要になる。
だが、『鬼滅の刃』は後一年も経たずに終わる為、無視する。
ここで問題になるのが、今の俺の状態だ。
今の俺は血鬼術で造られた肉体が、血鬼術を使っている歪んだ存在と成っている。
その所為か人間をどれだけ食べても、血鬼術の維持エネルギーにしか成らず強さには影響が無かった。
そうなると選択肢は1つ、鬼舞辻無惨の血の量を増やすしかない。
しかし俺はもう『逃れ者』なので、無惨から直接血を貰うことは出来ない。
では、どうする?
雑魚鬼を喰らうか?時間がかかり過ぎる。
那田蜘蛛山編が終わると処分される下弦の鬼達を喰らうか?俺が弱すぎて勝てないだろう。
答えは身近な処にある。
俺は能力向上に必要なエネルギー、性格や記憶に異常が出ても気にされない人間を探しに市街地へと向かった。
沼鬼の代名詞の血鬼術『沼』の中に、25人の人間が漂っている。
殆どの人間が一酸化炭素中毒で死んでいるだろう。
数分苦しんだ人間が居たので、まだまだ濃度が足りないようだ。
苦しんだ人間には悪いことをした、本当にすまないと思う。
俺は端から順番に人間を吸収していく。
何人か喰って検証した結果、吸収が一番エネルギー効率が良い、早い、服も無くなる、と良い事尽くめだったので今後は全て吸収する事にした。
全員吸収して昨日から換算で、35人分のエネルギーを得た。1人分のエネルギーで人間の
今の総量なら7体は増やせる。
「さて、準備は整った。能力向上実験を始めよう」
早速、自分の
前回はエネルギー不足で失敗したが、今回はすんなり出来た。
目の前に俺と瓜二つの存在が、鬼の目をもってしても全く捉えることができない速さで出来上がった。
構成物質は完璧に模造されているが、脳回路に流れる微弱な電流の再現精度がまだ甘いのが、何となく分かる。
そして魂も模造されていない。
魂は、簡単に言えば別レイヤーにあるバックアップデータである。
魂が模造出来ていれば、脳の微弱電流が多少違っていても修正してくれるから楽だっただろうに・・・、残念だ。
俺の中の鬼舞辻無惨の血は模造品だから、情報量がオリジナルより圧倒的に少ないのかもしれない。
「あ!血と言えば禰豆子の血を残してあったな」
炭治郎対策に残して置いた血の入った小瓶を、懐に仕舞ったのを思い出す。
服まで完璧に原子レベルで模造出来る驚きの能力なので、当然懐に仕舞ってある小物も模造されるはずだ。
俺は“俺”の懐から小瓶を取り出す。
「やばいな、無限増殖出来るぞ」
俺は戦慄するが、流石に無限は無理だろう。そもそも今のところ、やる意味が無い。
血の模造には相当エネルギーを使った事が感覚で分かるし、それに模造品にどれだけの価値が有るかまだ分からないからだ。
「取り敢えず、予定の数だけ増やすか」
始めの試算した必要なエネルギーは、禰豆子の血も含まれている計算なのでこのまま行く。
念の為に“俺”の首裏に瘤が無い事を確認して、その抱き抱えた体勢のまま気を失っている“俺”を吸収する。
ドクンと心臓が大きく鼓動したかと思った次の瞬間、全身を何かが這いずる感覚と共に、猛烈な痒みを感じる。
「ぐわあぁぁぁ!」
禰豆子の血の時とは違い反応は軽いが、コレはこれでキツイ!
俺は鬼舞辻無惨の血を雑魚鬼から吸収するのでは無く、自分を作り吸収する事で増やせるか実験をした。
この感じだと成功のようだ。
俺の身体には、鬼舞辻無惨と禰豆子の血から出来た『鬼化の血』と仮称する、新しい血が存在する。
この血は無惨の時と同様に身体に不死性と血鬼術を与え、俺に吸収される事なく存在している。
つまり俺が“俺”を吸収すると、『吸収されない血』と『吸収されるそれ以外』に別けられ鬼化の血の総量が増える。
血鬼術がまだ不完全なのか、
これを繰り返せば、血の適正ギリギリまで簡単に増やせるだろう。
俺はしたり顔で全身の反応に、耐えるのだった。
俺の近くに6本の小瓶が、漂っている。
一体目の吸収からどれだけの時間が経ったのか、分からない。
次の7回目の吸収で、適正は限界だと感じている。
始めの『鬼化の血』の量から今で64倍に成っているので、128倍にして終わりだ。
数字だけ見れば凄そうだが、食べた人間の数が加算されないので、ギリギリ下弦レベルの強さだろう。
俺は長かった自分を吸収し続ける苦行に、終わりを告げる最後の血鬼術を発動する。
その時、何かがカチリと嵌まる感覚を覚えた。
目の前の“俺”が、少し驚いた顔をしている。
恐らく俺も、似たような表情に成っているだろう。
これで考えていた計画を実行できる!
俺が思わずニヤリと笑うと、同じタイミングで目の前の“俺”も、人の悪そうな笑みを浮かべた。
作られた瞬間から意識が覚醒しているなら、連続した記憶と思考を持ちオリジナルと全く同じ動きをするだろう。
今の俺たちの様に。
恐らく“俺”も、ここまで同様の思考をしているに違いない。
俺も“俺”もあることに気が付き、全く同じタイミングで首裏を右手で触る。
ここで初めて二人に、差異が出た。
俺は驚愕の表情をして、“俺”は困ったように眉を下げる。
俺は、昏倒から目覚めて7回目の血鬼術を使用するまで、完璧に連続した意識がある。
意識の途切れは一切無いと、自信を持って言える。
記憶もオリジナルの沼鬼から、前世の記憶まで、しっかりある。
だが、首裏に『ティンダロスの猟犬』が居ない。
つまり俺の方が、7体目の
「気がついたか俺よ」
額に4本角が生えた男が宣う。
「どうした俺よ?また知性の低い個体ができてしまったのか。なかなか難しいなこの血鬼術は」
嘲笑い俺を試すように“俺”が語りかけ此方に近付いてくる。
「早合点するな“俺”よ。問題なく模造できている。何も心配する必要はない」
俺も“俺”の望むであろう回答をしながら、懐から小瓶を取り出し放る。
「安心しろ“俺”よ。俺はあの時、母達と食べた『焦げたレタスカレー』が至高の存在だと、憶えている!俺は同胞達と、母に『当たり前の幸福』を届けると誓った事を、憶えている!」
俺も“俺”に近付き鼻を突き合わせる。
「さあ、“俺”よ。俺たちを増やせ!躊躇する必要は無い。俺たちは、どのように処分されようと厭わない。」
俺たちは頭突きをするように、額を合わせ吐息がかかる距離で吠える。
「俺たちが恐れるのは存在意義の死だ!そうだろう“俺”よ」
「そうだ俺よ。すまなかった、“俺”が俺を蔑むのは良くないな。」
「当たり前だ。今後生まれる全ての俺は、“俺”の為に存在する。俺に成れば分かる」
俺は仰々しく両手を広げ、ゆっくりと“俺”を抱きしめる。
「さあ、俺を未来の為の礎にしてくれ」
主人公に性別の概念は無いです。