乗り鉄探偵南 達仁 北陸特急・万葉集殺人旅行   作:新庄雄太郎

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穂乃果は、本を読んでいると達仁がやって来て、北陸本線に乗って高岡へ行く事になった。


第1章 万葉のふるさと=越中

万葉集、「万葉集」は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。万葉集の和歌はすべて漢字で書かれている(万葉仮名を含む)。全20巻4,500首以上の和歌が収められており、「雑歌(ぞうか)」宴や旅行での歌、「相聞歌(そうもんか)」男女の恋の歌、「挽歌(ばんか)」人の死に関する歌の3つのジャンルに分けられる[2]。和歌の表現技法には、枕詞、序詞、反復、対句などが用いられている。天皇、貴族から下級官人、防人(防人の歌)、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められており、作者不詳の和歌も2,100首以上ある。7世紀前半から759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が収録されており、成立は759年から780年(宝亀11年)ごろにかけてとみられ、編纂には大伴家持が何らかの形で関わったとされる。原本は存在せず、現存する最古の写本は11世紀後半ごろの桂本万葉集(巻4の一部のみ)、完本では鎌倉時代後期と推定される西本願寺本万葉集がもっとも古い。

 

和歌の原点である万葉集は、時代を超えて読み継がれながら後世の作品にも影響を与えており(一例「菟原処女の伝説」)、日本文学における第一級の史料であるが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにその中には詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても重要な史料である。

 

日本の元号「令和」は、この万葉集の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の一節を典拠とし、記録が明確なものとしては日本史上初めて元号の出典が漢籍でなく日本の古典となった。

 

その中で一番有名なのは歌人の大伴 家持だ。

 

大伴 家持(おおとも の やかもち)は、奈良時代の公卿・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。

 

『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。長歌・短歌など合計473首が『万葉集』に収められており、『万葉集』全体の1割を超えている。このことから家持が『万葉集』の編纂に拘わったと考えられている。『万葉集』卷十七~二十は、私家集の観もある。なお、473首のうち223種が越中国在住中の歌である。

 

『万葉集』の最後は、天平宝字3年(759年)正月の「新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事(よごと)」(卷二十-4516)である。時に、従五位上因幡守大伴家持は42歳。正五位下になるのは、11年後のことである。『百人一首』の歌(かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける)は、『万葉集』には入集していない。

 

勅撰歌人として、『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に60首が採られている。

 

太平洋戦争中に玉砕を報せる大本営発表の前奏曲として流れた「海ゆかば」(作曲:信時潔)は、家持の「賀陸奥国出金詔書歌」(『万葉集』巻十八)に拠る。

 

「へぇー、万葉集か。」

 

「うん、そこへ旅してみようと思うんだけど。」

 

と、穂乃果は言う。

 

「ほう、万葉集の旅か。」

 

「3泊4日か。」

 

「これは、楽しいかもね。」

 

「そうだな、ことりと花陽ちゃんと海未ちゃんも誘っておこうか。」

 

「そうね。」

 

「でも、どうやって行こうかな?。」

 

「東京からだと、「ひかり」に乗って名古屋から「しらさぎ」に乗るか、京都から「雷鳥」に乗って高岡へ行くか、あるいは上野から夜行列車で行くかだ。」

 

「へぇー。」

 

達仁は、ことりと花陽に連絡した後に旅行の支度をした。

 

ところが、達仁と穂乃果達の万葉集の旅が恐ろしい連続殺人が起きるとは誰も予想はしなかった。




次回は、達仁と穂乃果達は高岡へ。
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