50メートルプールの飛び込みスタートのようなブチかましを、雪那は姿勢を低くしながら御刀で受け止めた。
「―――ッ!!!」
「 B&&&&&& 」
『八幡力』を全開まで行使し、突っ込んでくる敵の腕を地に叩き伏せる。
1、2、3、4。右手左手の連続攻撃を剣道の切り返しさながらに受けては、そのお返しとばかりに敵の顔面へと刀を突き入れる。
誰が見ても有効打だろう。敵が荒魂でなければ。
「通さないって。言ってるでしょ」
「 B&&######### 」
吠える巨大な荒魂を、観察の眼を止めずに雪那は見詰める。こんな時にこんな場所で現れ戦う敵。普通なわけがない。
現に、顔を覆って悲鳴のような声を上げる敵は全く足元が崩れていない。何か考えがあるのか、或いは罠の只中か。
「サシでやりたいのならまずこの人達を行かせてもらえないかしら?」
無謀にも言葉にしたのは、知性があるのか?という確認であった。あるのならば罠、しかし無いのならば。
眼と眼が合う。暗く冷たい深淵の先のそのまた先、この世の裏側がもしもあるのならこんな色をしている程の綺麗な黒真珠。
雪那の放つ剣気を余さず呑み込むような色が、獣が、そこにはあった。
そして、荒魂は跳んだ。
「跳躍……!?」
「 &&&&&&& 」
一際高く荒魂が跳ぶ。同時に察する。これは雪那を狙った行動ではない。
標的はその後ろ。雪那が護る人々の中心点目掛けて落ちるつもりだ。
…そうか、最初から。閃光のように雪那の脊髄が反射する。この獣の荒魂は最初から彼女を潰そうと考えてはいなかった。
ただ有象無象共を。アリの群れを象が踏み潰すようにぺシャッと圧殺してやりたいだけ。
――罠を示す嬌声と共に。だがそれは実に化け物らしかった。
「 G7FFFFFFFFFF 」
ようやっとそれを頭で理解した雪那はこの時。時間に換算するならば一秒にも満たない僅かな間、息を止めた。
それは胸腹腔内圧の上昇、及び大静脈の圧迫等々諸々を彼女の身体に発生させ、血圧を一時的に急上昇、所謂火事場の馬鹿力を意図的に起こすもの。
彼女の流派において息を止める事は自然と行われる動作であり、剛力とも云える全身の力と筋骨と速さによる斬撃を為しえる為の秘伝。循環器系に疾患をもっていない人間であれば誰でも可能な筋力の底上げ。
ただしこの場合自身の後ろには護るべき者が大勢いて、敵がもうそこに落下してくると判断してから一秒にも満たない刹那にすぐさま身体が働く稽古と訓練を経た者のみが、この技術を体得できる。
彼女が教わった流派の特徴にして奥義。
一人の人間が息を止めるだけで千人力を出すという矛盾であろう結果と原理。相模雪那はそれを為す。
其れは本能のみで刃を振るい、只いたずらに己の力で敵を斬るのではなく。
理性で以って敵に刃を振るう事を旨とした刀使いだけが、この技と力を現実のものとする。
「帯電放電流電雷電」
西洋ではこれを、ヴァルサルヴァ法と呼んでいる。
◇
「ふう、―――残心っと」
「だ、大丈夫かい?荒魂がどう斬られたのか見えなかったんだけど、ていうか凄い汗なんだけど・・・?」
「気にしないで。見ての通りよ、真っ二つでしょ?逆袈裟に斬り上げただけだから」
「・・・本当刀使さんって。いや、相模さんって本当に」
真っ二つのモノが雲散したのを確認し、雪那は構えを解いた。一時的に太くなった血管がゆっくりと元に戻るように、静かに、彼女は人々に向けて言う。
「皆さん、お待たせしました行きましょう。駅はすぐそこです。もし今後何かございましたら、刀剣類管理局伍箇伝までどうぞ。出来れば鎌府を御贔屓に」
そうして大橋を渡り、雪那は人々を無事に片瀬江ノ島駅まで送り届ける事に成功した。
駅は案の定刀使達が詰めており、緊迫の雰囲気に包まれている。やはり事態は只ならない渦中にある事を雪那は悟った。
「江の島からの生存者、確かに保護致しました。これより第二兵站拠点までお送りします」
「第二?今何が起こっているのですか?」
「先だって、刀剣類管理局局長・折神家御当主は特別祭祀機動隊令刀使等総出撃を発令されました。これにより鎌府、美濃関、折神家所属の出撃可能な刀使は現在総員出撃中。大荒魂討滅の為、第一から第三までの防衛ラインを構築していました」
「いました?……するとあの竜、四つ首の大荒魂は?」
雪那が尋ねると、鎌府の刀使は悲痛な表情を一瞬見せながら言った。
「………。現在は最終防衛ライン・藤沢駅にて、御当主折神葵様率いる刀使達で防衛戦を展開中との事」
「――了解です。それでは私の今後の任務は?」
「別途指示があるまでここで待機との事です」
「江の島にはまだ生存者がいる可能性が大。救出部隊の編成を要請します」
「それは………」
「それは却下だ。すまない、雪那」
「…結月先輩」
かつて共に任務をこなした先輩。伏見結月が歩きながら現れたその姿を見て、雪那は沸いた血が静まっていくのを感じた。
それ以上の感情の坩堝がこの先輩にある事、そしてそれを絶対零度の理性で抑えつけている事を察したからである。
「お疲れ様です。しかし失礼ですが、理由をお聞かせ下さい」
「本来ならば雪那、君を江の島から救出する為ここにいる刀使達は派遣された。私を含めてね。それが葵様のご命令だった」
「ならば好都合ではないですか。私はこの通り無事で、『写シ』だって使えます。私を加えた刀使部隊で江の島を隅々まで捜索、取り残された市民の救出を再度願います」
「無傷であそこから生還した君の事は尊敬も信頼もしているが、雪那。――今はまだ無理なんだ」
それを聞いて、今度こそ雪那は激怒した。
「無理?無理と仰いましたか結月先輩?それって無茶の間違いでは?
――そんなものは押し通すのが護剣の切っ先であると私は教わりました!!貴女方にです!!!」
「確かに君を救出する事は刀使の数を増やす為だった。江の島捜索の戦力として。だが既に状況が変わった」
「……変わった?」
「たった今情報が入った。………折神家御当主は最終防衛ラインにて殉職、死傷者も多数出たそうだ。我ら刀使の防衛ラインは辛くも突破されなかったが大荒魂は健在。藤沢方面より現在南下中」
「南下?じゃあ今はどこに?」
「ここだ」
「――、はい?」
「大荒魂は鵠沼を通過、もう間もなくここに戻って来る。予測進路は発生元である相模湾江の島。さっきまで君が居た所だ」
「まさか……ッ」
「三つの防衛ラインでの戦いで敵は疲労、這う這うの体でとんぼ返り。と言いたい所だが、ヤツはまだまだ元気というわけだ。だから私はここにいる。――そして、君もここにいないといけない」
「結月さんの言う通りよ。雪那」
聞いていて嬉しくなる声と共に、二刀を携える女性が雪那の視界に入った。ご無事で良かったと思って体を向けると、戦意に満ちた剣士達が其処にはいた。
「紫お姉様!!」
そのままの表情で。無事で良かったと、紫は言った。雪那は嬉しいと感じるよりも先に、先輩である彼女の心中を察した。
「先例に倣って、これより私が折神家の当主となるわ。同時に大荒魂討滅の為の特務隊を編成。メンバーは私、結月さん、江麻、紗南、そして、」
「鎌府高校3年・吉野いろは」
「同じく!2年!藤原美奈都!」
「同じく1年、…柊篝」
「柊さん達まで………」
かつてのベストメンバーがここに集結していた。一体何が始まるのか、いや終わらせるのか。雪那は一際大きく息を吸った。
「江の島の生存者捜索は大荒魂を滅してからじゃないと不可能。そして私達にはあと一人、遊撃手が要るの。連戦で悪いけれど力を貸してくれる?」
「勿論です。さっきまで自分が居た場所ですし、道案内もそれなりに出来ます。やらせて下さい」
「ありがとう、雪那。貴女がいれば千人力よ」
「紫様、来ました。大荒魂です」
「でっかあい!――ってあれ?首3本しかないよ?」
「防衛ラインの刀使に斬られたんでしょうね。…流石」
「ではこれより相模湾岸大災厄特務隊・総員8名をここに編成発足。―――確実にあの化け物をこの世から滅ぼすわよ、皆」
「了解!!!」
これが彼女達の。各々の運命の始まりであった事を、当時はまだ誰も知らなかった。