江の島大橋は奇妙な程無事で、ヒビや損壊は有れど、渡るに困る事が無いのは正に奇跡だ。
雪那は素直にそう思って、前を見る。
隊長である紫を先頭に、十字を描いた陣形で彼女達は江の島へと進んでいた。
島の中央からは天へと首を伸ばす三つの首が強調されており、その周囲は小型の荒魂が蔓延っている。
「まるでラストダンジョンだね!!」
こちらに飛びかかる無数の荒魂を眼にも映らない速度で斬り倒す主攻撃手はウキウキとしている。いつも通り。
「紫。このまま私達は大荒魂の所まで進撃、全員で斬り祓うって事でいいのよね?」
同様に刃を真顔で振るう江麻が作戦の確認をする。
「そうね。…おおむね」
「おおむね?」
・・・・・。
「要(かなめ)は篝よ。柊の刀使には、大荒魂を祓える業が継承されているの」
「え?そうなの?篝?」
「……。そうです」
「成る程!じゃあ話は簡単だね!こいつら全部ぶった斬って、皆でアイツの前まで行こうッ!」
美奈都は笑顔を絶やさず荒魂を斬っている。
江麻達も勿論斬っているが、笑顔を浮かべる事が出来るのはこの中で美奈都だけだった。
「ちょっと柊さん」
「何?」
「何じゃないわよ。貴女、いつになく神妙な顔じゃない?貴女なら大荒魂を確実に祓えるっていう話なのに、なんか変ね?」
「………」
「?」
篝はいつもの不愛想な顔を変化させた。それはまるで宝物を見るような表情で。………なに?それ。
雪那は不意に嫌な予感がした。
「雪那」
「何よ」
「貴女に逢えて良かったわ」
「そりゃどうも。――何て言うと思った?ふざけた事抜かさないで。これが終わったら立ち合ってもらうわよ。今度こそ私が勝つんだから」
「………。ふふ」
篝が笑う。でもそれは何故かちっとも可愛くなんて無かった。
「ちょっと貴女、!」
「雪那セーンパイ。足元がおろそかですよ?主遊撃手として、それって如何なものかと思うんですが?」
「っ、…失礼ね。全方位が私の間合よ、紗南」
「失礼しました。これでも相方の副遊撃手なもので」
その時、雪那は視線を感じた。まぎれもない。大荒魂だ。
「………」
ジッと見ている。それが分かる。怖いのか?珍しいのか?いやきっと、そのどれでもないのだろう。
「………。狙ってる?」
察知する。雪那が咄嗟に動くのと同時、大荒魂の両手は赤く光り始めていた。狙いは――
「柊さんッ!!」
落雷の形をした槍のようなものが篝を襲う。投槍は寸分違わず飛来し、内一本はいろはと江麻が防いだがもう一本は、
「―――ッッ!!!」
――速い。いや、早い。時間流が違う。故に紗南と雪那は間に合わない。紫と結月は違う敵に手一杯。だから美奈都が御刀で防ぐ。
「構えて!!!」
しかし美奈都は次を警戒していた。……どういう事だ?まさか再攻撃?と、…雪那が逡巡した瞬間大荒魂はまるで刀を掴むように手で巨大な雷を構え直し、篝に向けて振るってきたのだった。
――しつこいヤツだ。
その雷剣目掛けて、雪那は跳んだ。
「こんのおおおおおおおオオ!!!!!」
御刀を振るう。雷と接触する。すると刃と茎を伝って雪那の『写シ』が指先から削ぎ落ちていく。我慢しているので、痛くはない。しかし、
「どっか行けええええええええ!!!!!」
篝には絶対に触れさせない。通さない。そんな剣士としての意地が、雪那に雷切を現実のものとさせていた。
「雪那!」
「雪那ちゃん!…あかん、もう『写シ』が…ッ!」
「私は大丈夫ですっ。早く、大荒魂の元まで行きましょう…っ」
「雪那センパイ!動いたらマズいですって……!」
もう『写シ』を張れない事に雪那は気付いた。しかし立ち止まるわけにはいかない。敬愛する紫の為に。
「いろはさん、結月さん、江麻、美奈都、紗南。今すぐ雪那を連れて撤退を。これは命令です」
そして何よりも―――、
「そんなッ!私の不甲斐なさで撤退なんて嫌です!!それならいっそここで見殺しにでもして下さい!!!」
「雪那…」
「何よ、どうしたのっ?貴女にそんな顔をしてもらうほど、私は弱くないの…っ、待ってなさい柊さん、決着(ケリ)はまだ、ついてないんだから――!」
何よりも。コイツにだけは。
「いいえ雪那。ケリは今日つくのよ」
「?紫、お姉様…?」
「結月さん、撤退の指揮を頼みます。――行くわよ篝」
「……。はい」
「待ちなさいよ柊篝!!!」
諦観と感謝が浮かぶ笑顔が殊更癇に障り、雪那は吼えた。
「さっき私は貴女を護った!それは私が!!貴女を護れるくらい強い証拠!私は貴女より弱くなんてないんだ!!」
「………」
歩き去るその背中に、刀使の声が木霊する。
「『写シ』が張れないなんて、私達刀使には脅しにもならないわ…ッ!人間は一度斬られたらお終いなんだからその通りになっただけじゃない!!
私はまだ戦える…、貴女とお姉様を護れるのよ!!だから―――ッ」
――そんな顔を私に向けるな。まるで永のお別れみたいじゃないか。
一人の刀使は妙法村正を握り締めて叫び続けていた。
「はい落ち着いて。雪那」
その時、血が昇った雪那の頭を一人の刀使が撫でる。頼もしさに滲んだ掌の感触にふと目線を上げると、そこには美奈都が微笑んでいた。
「結月さん!私、あの二人を手伝ってきます!」
「…美奈都」
「美奈都…先輩?」
「絶対に、あの二人を護る。でしょ?雪那。任せて」
「信じて……いいんですか…?」
「先輩に任せなさーい!」
疲労がその言葉によって我に返る。とっくにピークに達していた雪那は朦朧とする意識の中、結月達に連れられ撤退していった。
そして大橋を渡り戻った所で彼女は見た。大荒魂の首が全て切断され、ついに消えゆくその姿を。
「やった―――」
特務隊全員が呟く。美奈都と篝と紫は見事大荒魂を斬り祓ったのだと。しかし橋を渡り帰ってきたのは、紫一人だけだった。
「やったわね紫。あれ?美奈都と篝は?」
「………」
江麻が出迎えるも、紫はただ後ろを示すだけで何も言う事はなかった。敬愛する姉のそんな姿を、雪那は疑いもなく見ることしかできない。
作戦は成功だと。紫は妙に怖い声で宣言した。相模湾岸大災厄はこれにて終了。雪那達は信じて、そう思っていた。
◆ 最終話 後悔
長い回想を打ち切り、私は車を運転しようとキーを取り出していた。
「?高津学長。どちらに?」
「野暮用だ」
部下に言い放ち、自家用車に乗り込み、ルームミラーへと手を伸ばす。軽く触れるだけの確認行為を終え、今度は少し身を乗りだして顔を見る。
そこには昔と変わらず殺気立つ、けど小綺麗な女がいた。
―――あれから、19年の月日が流れた。篝も美奈都先輩も無事で、ほどなく皆家庭をもつようになった。
美奈都先輩は衛藤に、私は高津に、篝は十条という苗字になった。
変わらないのは紫お姉様だけで。私はそれが誇らしくも、どこか違和感を感じていた。
「お邪魔する。十条篝はいるか」
「……どうも」
怖い人を見るような顔で(まあ確かにそうなのだろうが)。篝の娘が私を奥へと案内する。
「母の具合はどうだ」
「芳しくありません。……最近は衰弱がひどくて」
「…そうか」
「? それは?」
「チョコミントアイスだ。好物だろう?冷やしてとっておけ、姫和」
「ありがとうございます。いつもどうも」
「礼は要らん」
「……。あの、一つ尋ねてもいい…ですか?」
「何だ」
「――その袋の中身。何ですか?」
「答えが分かっているのに質問をするのは感心しないな。そんな腹芸は、お前にはまだ早いだろう」
「刀なんですね」
「………」
私は下らない会話はしない主義に変えている。年月がそうさせていた。
「母はもう、刀使ではありませんよ」
「知っている」
「小烏丸は私を選びました。だから、相手ならば私が」
「私の相手は最初からお前ではない」
篝の寝室は一枚の襖で閉じられている。いつものように。
それを遮って、姫和が私の前に勢いよく仁王立った。
「通すつもりは無いか。若き刀使」
・・・・・。
「刀使とはそうこなくてはな。だが今日は何も斬り合いをしにきたわけではない。それにアイスが溶けるぞ。いいのか?好きだろうチョコミント」
「………」
ここに来て少し逡巡を見せる小娘が、私は嫌いではなかった。
「姫和?…お客様なの?」
「! 母さん寝てなくちゃ、」
「あら?あらあらこれはまた。いらっしゃい、毎日毎日厭きずに。暇なの?貴女」
「黙って寝ていろ病人」
果たして襖を開けたのは。他でもない十条であり、古い名を柊篝といった。
「ふふ。冗談よ。ああ、姫和、奥でアイスでも食べてなさい」
「…大丈夫…?母さん」
「大丈夫よ。それにお母さん、この人に負けた事ないんだから」
・・・・・。
「横になっていろ。今はまだ」
「ふふ、布団に入ったままでご免なさいね。でもこういう時、人間変われば変わるものと言うのかしら。雪那?」
「それはこっちの台詞だ。あの不愛想刀使が一丁前に、中学1年にもなる子供の母親とはな」
「それは確かにそうね」
篝は私の顔を何が可笑しいのか笑って見てばかりで、手元に置いた二振りの包みには目もくれなかった。
「―――あの日の決着をつけにきた。柊篝」
「あら。そう」
包みを解く。それはまるで互いの境界線のように。私は大刀と小刀を床に置いた。
「―――貴女は、私の事が大嫌いだからね」
病床に伏した女が目元だけを上に向けて口にして、弱々しい細腕を覗かせる。
……憎い女。それが昔からこの心に抱いている感想だった。
「今更言う事か。そんな当たり前の事が」
「でも斬りたければこんな病人いつでも斬れた筈なのに。何でまたここ最近来てくれるの?」
「………」
「姫和に会いに?」
この女は忌々しい奴で、羨ましい奴。それは学生のみぎりからずっと。その筈だ。そうでなくてはならないのだ。
「ああ、死に顔でも拝みに来た?それは貴女らしい」
「違う」
不意に出た言葉に、互いに目を丸くしながら。勢いの止まらない私の口は言葉を繋ぐ。
「私は貴様に勝っていない。私があの御方の真の傍付きとなるには。…納得するには勝たねばならない。他ならぬ貴様にだけは」
「気が昂ると早口になる癖は相変わらずね。――美奈都先輩が亡くなった今、私達の中で、あの頃のままなのは貴女だけ」
「何を言っている……?あの御方こそが最も変わっていないだろう。寝言はいい、さっさと起きろ私と立ち合え。もう刀を振れないとは言わせん」
「―――違うわ」
「何?」
女の瞳を見詰める。かつての同級生にして今も続く怨敵の瞳を。
あの御方の信頼厚く、いつもいつも傍に居た目障りな女の瞳を。そして誰よりも果敢に剣を振るい続けた、その真っ直ぐにすぎる眼差しを。
「あの御方はもう、――違うのよ」
「今度は世迷言の真似か。篝」
でも何故か。…今やそこには諦観しか浮かんでいなかった。
「聴いて、雪那。あの御方、折神紫は大荒魂よ」
私はこの日、憎い女から19年前のあの日から続く真実を知った。
その内容は突拍子もなく信じられない物だったけれど、そんな冗談をこの女が言うわけもない事は心で理解した。
「どうすればいい」
「分かっている筈」
―――だからこれは私にとって、とても腹立たしい過去の終わり。
「御刀で斬るしかない。あの御方を、祓うしかない。…だからお願い――私はもう御刀を振れない。だから、これを貴女に。後はどうか」
気持ち悪さと憎さを最期まで併せ持った女が、勝ち逃げた剣士が告げる一期の願い。
「何だこの脇差は。形見のつもりか恥を知れ、…柊篝!」
復讐の炎を燃やし始めた、人間たちの復讐劇。