今までの人生において、敵と眼を合わせた事は無かった。
――敵といっても、真の意味で彼女の敵とは今も昔も只一人だけであり、今回剣を抜いて戦い、決勝に進んだのは只々目的成就の為だからだ。
「決勝戦―――衛藤可奈美!」
「はい!」
「同じく―――十条姫和!!」
「……」
眼前に会釈だけをする。本当なら叫んでしまいたかった。この身の内に燃え続けている黒い炎のように。
―――まだだ。
我慢する。声を出してしまえば何もかもをぶちまけてこの場を怨嗟で塗りつぶしてしまうから。だから、視線は向けない。
まだ向けない。まだ。敵には。折神紫には。
「双方構え! 『写シ』!」
「………」
何も映さない瞳で、機を待つ。勝機は先の先、その埒外。狙うは喉元。突くのは不意。視線は前。
まだ。
「………。」
息を止め、瞬きを止め、まだ足をとめ。彼女は待つ。
「――― ?」
「始め!!!」
僅かに覗く名前も知らない知った事じゃない対戦相手の困惑の表情。そして刹那、ついに彼女は初めて怨敵へ向けて、真っ直ぐに視線を移した。
積もりに積もったこの怨嗟の刃。復讐の切っ先。通れ、通れ、柄まで届け貫き通れと。
母の仇―――取らせてもらう。
我慢と忍耐と過去からの歩みをも止めて。今、十条姫和は全てを置き去りにした。
柊家秘伝・ひとつの太刀
――それは魔剣であった。
◆
『――確かに有るよ』
―――眼にも留まらぬ速さというものが有る。
物体が光を反射し、その反射光を眼の網膜・神経がキャッチし、像を結んで映像として留めるとするのが我々人体の眼球であり脳であるならば。
この魔剣の第一段階は、それらを為しえない速さを得る=神経系の速度を凌駕する必要がある。しかして人の反応速度限界0.1秒。
『有りえない?いや、有るね』
第一の実現に近付けば近付くほど、眼にも留まらぬ速さは現実として結実する。眼には映ったが五体は反応出来ず何も出来ない領域が。
――つまり。よって、だから我々は眼にも留まらぬ等という人の領域の先を目指すべきなのだ。他人の現実と想像の上を、往かねばならぬのだ。
『姫和ちゃんの強さの秘密?』
この魔剣の真の第一段階とは、速さに拘っていてはこの魔剣の実現は不可能だと悟る事。
必要なのは敵がヒトであろうとそれ以外であろうと絶対に斬れる間合、見斬れぬ『早さ』を得る事であると知る事。
速いなどと云うたかだか生物の脳みそ如きが考察できる範囲ではなくその埒外。森羅万象が包まれている『時間』の領域へと進入する事こそ肝要なり。
この魔剣の第二段階は、眼にも映らぬ早さを手に入れる事。
『まぁ…幾つかあるけど、まず闘気がおそろしく静かな所だね。十代の頃ならまだしも、特に今の姫和ちゃんの剣気・闘気の流れから次の攻撃を読む事は誰にも出来ないよ。 気付いたら斬られてたぁーなんて、知覚する遥か前に斬られてるだろうね』
――敵の眼に留まる映る事なく、全身を巡る神経・筋肉・血管・第六感すら気付く事なく敵を斬れる。そこまで達すれば、確実に無敵である。
『伊達に長く剣を振ってないわけだよ。精神的にはもう植物の域でしょ。……え?剣聖である貴女に勝ち越してる存在ですし?
アホ言わないでっ!私の方が勝ち数は上だよ!!ちょっと笑わないでよ舞衣ちゃんっ!もう泣かされてないってば!!!』
何もさせない。いや、相手がこう来たらこうする等という思考と間合の埒外からの『迅移』の一撃でもって斬り伏せる。突き殺す。それこそが『深移』=初動から第3ないし第4段階の迅移の発動。
ただ発動し、ただ殺害を行う一つの機構(システム)。
『……え? ああそうそう、強さの秘密だったね』
それを己の現実のものとすれば敵は何も感じず、何も見えず、何も分からない。それは不意打ち(先の先)の勝機ですらない、超克の剣。故に魔剣。彼女の母方、柊の血のみが為せる剣。
『あとは………そうだね、戦闘の方で言えば――』
―――故に秘伝・ひとつの太刀。
『……ふふ。これが最も、厄介だろうね』
彼女は只一つの刃となって事を為す。
柊家直系の刀使はどのような想定どのような状況でも勝つ。…否、そのような状態になど『時』が移行する遥か前に彼女達は勝つべくして勝つ。
柊に抜かせるな。それが、古の刀使達の合言葉。
つまり真相は。
「……――― な、」
不可避の、速攻である。
◆
敵の眼に留まる映る事なく、全身を巡る神経・筋肉・血管・第六感すら気付く事なく敵を斬れる。そこまで達すれば、確実に無敵である。
「―――いい突きです」
「お見事~」
無論、夢だが。
「……――― な、」
「我らが王が上覧するこの瞬間、この間合。何かが何かを仕掛けて来るならばこの『時』を置いて他にありません。そしてその闘気。――ならば、それを見越すのみ」
無論、夢だが。矮小な人間が空想する下らない幻想だが。
「――果てなる高みを目指して、一歩一歩進んでいく事は可能なんだよ?私達にはね」
『迅移』。刀使が使うそれは他者よりも早い時間流に己を任せる技である。 1分が60秒であるという常識下ではなく、我々の1分があちらにとっては30秒、いや10秒であるという常識がもしも有ったならば、
「予備動作なしの3段階迅移による刺突。…たしかに早いですが」
「予め鯉口を隠し切っておいて、おねーさんよりも早く迅移を使って第3に行ってれば、二人掛りでなら何とか防ぐ事は出来るよ。こんな風に……ねッ!!!」
――如何にして相手よりも先にそれをこちらに引き出すか。力とするか。間合とタイミングを図れるか。それこそが刀使同士の闘いにおいての備えであり、剣は復讐の為のみと捉えた姫和と、高みを目指し続ける為に剣と我はあると捉えた刀使いと。両者の間にあった純度の差が、糸屑程の、剣速の差となって勝敗に顕れたのかもしれない。
万全の備えの彼女達こそ折神家当主親衛隊、左右兵衛(つわものとねり)の二大将。刃鳴の巫女の燕結芽と皐月夜見。
「……っく!!!」
「よくやった夜見、結芽。お前たちを紫様の脇に控えさせたのは正解だったな」
「親衛隊としての責を果たしているだけです」
「もう早い迅移使えないの~?真希おねーさんに斬られちゃうよ~?」
「終わりだ。十条姫和」
折神家当主親衛隊の三名が姫和に迫る。
必殺の魔剣を使い、しかし防がれ斬られ体力気力が消耗している今の彼女は正しく死に体。
もはや何も出来ず、何も見えず、ただ一振りの刃に身を任せるだけのこの少女こそ折神に刃向かった反逆者の末路。
『写シ』が剥がれた生身の姫和は、何も果たせなかった復讐の剣士はこれからただの物言わぬ土塊へと変わって―――
「駄目ッッ!!!!」
「……!?」
聞こえる声。弾かれる刃と刃。そして新鮮な、その瞳に映る世界。
「『迅移』!」
移り行く景色の中で、彼女は初めて自身の決勝の相手を見た。
「姫和(ひより)ちゃん!!」
綺麗な瞳の色だった。十条姫和はこの時初めて、終生の強敵(とも)になる刀使・衛藤可奈美を見たのだった。
「逃げるよ!―――さあ行こう!!!」