沙耶香が可奈美に敗れた瞬間、貴女は電話を掛けていた。それは予定通りと言えば予定通りだったようで、その証拠に電話口から聞こえる声は全く平淡な物だった。
『敗れたか』
「――はい。やはり敗れました」
『そうか。では長居は無用だ、帰還しろ』
「了解。しかし土産は如何します?手ぶらというのも」
『未熟だが将来が楽しみな後輩。一つだけだ、帰還しろ』
「分かりました。では失礼します」
携帯電話の受話器ボタンを押し、通話を切る。
――任務の報告内容は逆賊達をあと一歩のところまで追い詰めるも、危機を脱した逆賊達はまた何処かに雲隠れ。任務は失敗。
それが元々の筋書きであるが、しかし貴女には確認すべき事柄があった。
「糸見。無事でしたか」
「………、うん」
・・・・・。
「恩田累は重要参考人として所轄の交番まで送りました。しかしどうやら、こちらは駄目だったようですね?」
「………。うん」
沙耶香は悔しいというよりは、分からないといった風な顔をしていた。
…何を聞かされたのか、眉根が少々真中に寄り唇は引き締められ、瞳孔はやや開き気味で一点を見つめている。
怒りの感情に近い何がしかの想いを見て取った貴女は、それはとても良い傾向だなと思った。
「鎌府に帰りましょう。任務の報告をしなければなりません」
「……うん」
心ここにあらず。まるで何かを見つけ出そうと。…いや、既に見つけたのだけど上手く腑に落とす事が出来ないといった雰囲気。
―――こちらも順調のようで何より。
微笑む貴女が、沙耶香にバイクのヘルメットを手渡す。ヘルメットのサンバイザーが沙耶香の眼を覆ったが、一筋の光芒、煌々と輝く流れ星のような彼女の瞳を遮る事は出来なかった。
◆
鎌府女学院学長室は、絶妙な角度・立地により日光が強く射さらない事で有名な部屋である。
ここに初めて入った瞬間、今日からこの部屋を学長室に変えると言って、それが最初の学長命令となった事は鎌府刀使衆の間で有名な話であった。
その部屋の中に。これみよがしに置いてある一本分の空きがある刀架に、自身がいつも携帯している大刀を置きながら。高津雪那は目を細めていた。
――己の刀はただ一刀。他に目移りすることも揺らぐことも無く只無心に。刀をここに置くのはそう言って聞かせる為。
ただしそれは己ではなく。何よりこの部屋を訪れた者達に。
「沙耶香。逆賊をおめおめと討ち漏らすとはな」
「…申し訳ありません」
雪那が刀から眼を離すと、そこには刀を使う者が。いや、刀そのものである者がいた。
「――任務成功率100パーセント。それが貴女の価値。しかし完璧であるという事は、それが少しでも歪めば皆に用無しという烙印が押される。
その意味がわかるかしら?」
「はい」
刀剣を観るのに適した明かりの中で。鎌府の長が一歩、無手で、帯刀している沙耶香に近付いた。
「沙耶香。何故負けたの?」
「はい…?」
一歩。
「貴女は強い。これまでの稽古、実績、過程と結果。私は総合的に判断して貴女に任務を与えた。でも敗れた」
「………」
また一歩。
「二人相手は厳しかったかしら?貴女には」
「いいえ」
「では強かったの?あの逆賊二名は?」
「はい」
「貴女が手も足も出せない程?」
「…はい」
一歩。糸見沙耶香の間合へ。吹けば前髪が揺れるだろう距離へ、雪那は確かめるように沙耶香の間合へと足を踏み入れた。
「どうすれば、次は勝てる?」
「稽古します」
「稽古しても。勝てないほど開いているのに?」
「勝ちます」
雪那は刀剣鑑賞の時のように、静かに沙耶香を見ていた。しかしすぐさまそれを正す。その理由は彼女の瞳と雰囲気の不一致が原因であり、そして両手に込める力である。
…悔しいと、見極めてみせると書いてある沙耶香の闘気。感嘆の溜め息を我慢して、もっと面白いものを見た時の表情で、雪那は眼前の人間を見た。
「―――勝てるか」
「―――勝ちます」
何とも僅かで、そして小さく。しかし自分だけの火と熱を確かに見出した誰かのように。それはこうして妙法村正を手にしていた、在りし日の誰かのように。
「分かったわ、下がりなさい。後ほど貴女には力を授けてあげるわ」
「はい。失礼しました」
小さな火がお辞儀をして去ってゆく。見終えると、雪那は椅子に座って、デスクの引き出しの中身をチェックしながら眼を閉じた。
「いい剣士に育ってきたか。若さと特別さゆえに孤立していたが、いい傾向だ」
「高津学長。失礼します、親衛隊・皐月です」
「?何用だ」
「紫様がお呼びです。ただちにとの事」
ノック、声がけ。入室の動作を淀みなく行って夜見は言った。
「そうか分かった」
「…先程、糸見さんを見ました。これまで彼女の剣は薄いようでしたが、流石は鎌府の主力。圧を手に入れた様子で何よりです」
「分かるか」
「私も刀使ですので多少は。今の彼女を燕さんが見たら、立ち合いたいと眼を輝かせるかもしれません」
「後輩がそんなに気になるか?夜見」
「気にならないといったら嘘になりますが。それと同じく、どうでもいい事でもあります」
「……」
夜見は元鎌府女学院生であり、親衛隊として最も実直な刀使である。彼女を取り立て親衛隊に推した雪那はそれを身に沁みて知っていた。その裏に隠している、剣士としての矜持も。
「本当に強いようですね。反逆者の衛藤さんと十条さんは」
・・・・・。
「折神家当主の御命令により。親衛隊・獅童真希、此花寿々花、皐月夜見。これより逆賊討伐に出撃致します」
「成る程。残る結芽は紫様の近侍か」
「その為の親衛隊ですので」
笑みすら浮かべない静かな剣士は、その闘気だけを示しながら敬礼した。
◇
執務室の扉を開けると、そこには全ての刀使達の王がいた。
「雪那。待機命令を出しているお前をわざわざここに呼んだ意味が分かるか?」
「…は!紫様!」
「貴様の命令違反と越権行為。いくら穏やかさを信条としている私でも、些か語気が荒くなる。どう弁明するつもりだ?」
「弁明などありませぬ紫様!! ただ私は許せないのです!!!我が王たる紫様に刃を向けた不届き者が!のうのうと世に出ている事が!!!」
「だから鎌府の主力である糸見沙耶香を向かわせたと?しかも単独で」
「そうですッ紫様!………確かに待機を命じられておきながら独断専行した事は、申し訳なく存じます。しかしながら!!私はッ貴女様の為にッ!」
「――もういい。鎌府は撤収しろ」
「!? い、今なんと……」
「聞こえなかったのか?この件から貴様を含む鎌府の刀使衆は即刻、家に帰れと言ったのだ。貴様らは己の職務のみを為せ。分かったな?鎌府学長高津雪那」
「は、――ははっ!」
素早くお辞儀をした雪那は折神家当主執務室を後にした。
折神家当主の信頼失墜という結果。それを受け止めた彼女の顔は、しかし悲しげという風ではなかった。
――自身の為すべき事を為すといった覚悟を秘めた面持ち。それが見えたのか見えなかったのか。ずっと無言で当主執務室にいる第三者が、親衛隊・燕結芽が大きな声を上げる。
「紫様ー!夜見おねーさん達が出撃って、何で私はお留守番なのー!!!??」
「そう駄々をこねるな。二羽の鳥には親衛隊の三名を送った。少々早かったが、もうその時期が来たというわけだ」
「だからって夜見おねーさんまで出張っちゃったらすぐ終わるに決まってるじゃないですか~!! あ~あ、少しは楽しい事になりそうかもって思ったのに~!」
「そうとも限らんさ」
――お前が出たらそれこそすぐさま全て終わるだろうが。
折神家当主は油断なく結芽を見つめていた。
「え~~?おねーさん達が負けるとは思えないですけど~…?」
「成長しているのだ。二羽の鳥は」
「そうですか~?」
「じきに面白い事がおきる。その時までお前は備えていろ」
「は~い」