『―――貴女は、私の事が大嫌いだからね』
1年前。病床に伏した女が目元だけを上に向けて口にして、弱々しい細腕を覗かせる。
………憎い女。それが昔から抱いている感想だった。
『今更言う事か。そんな当たり前の事が』
こいつは忌々しい奴で、羨ましい奴。それは学生のみぎりからずっと。
『ああ、死に顔でも拝みに来た?それは貴女らしい』
『違う。私は貴様に勝っていない。私があの御方の真の傍付きとなるには。…納得するには勝たねばならない。他ならぬ貴様にだけは』
『気が昂ると早口になる癖は相変わらずね。――私達の中で、あの頃のままなのは貴女だけ』
そして本当にこの女は最期まで。あの方に一番近い刀使だった。
◆
「大荒魂、折神紫。お前を斬る」
絶対零度の殺意という名の冷徹なる意志を、剣士は口にしていた。
「私を脅すか護剣の切っ先。言うに事欠いて私が荒魂だと?私は人間、折神紫だ」
「もう―――違う」
姿勢を変えないまま雪那は裂帛の想いを抱いて口にし。刃の主は切っ先を化け物に向けて跳躍した。
対して化け物は、白刃でもってそれに応えて来た。
◇
「―――ハハハハハハハハ!!!!!」
「………ッ」
空中から二刀を取り出し、一合二合打ち合って敵の全身を眼に宿して、また打ち合う化け物と人間との剣戟。
「天下五剣・大典太と鬼丸…!」
「やるではないか高津雪那。――しかし解せない、貴様はとうの昔に刀使を辞めた筈。現に貴様の御刀妙法村正は、今は糸見沙耶香の物だろう?その脇差の御刀は一体どこから見繕った?」
「………ッ」
20年前に食った御刀、その二振り。化け物はそれを我が物顔で振るっている。
「成る程、貴様の部屋にこれみよがしに置いてあった大刀はブラフか。だが今更出てきて、しかもたった一人で我をどうにか出来ると思っているのか?年老いた元刀使よ。
――お前はここまで来られたのが全部自分の力だと思っているかもしれんが、果たして本当かな?親衛隊の者共を全員この折神本邸から出したのが、自分だけの力だと?」
「……」
・・・・・。
「貴様の企みなど最初から全てお見通しだ。貴様が私に従っている事が演技である事も、あの組織・舞草に加担している事も全て。だから二羽の鳥を世に放った」
「………!」
剣戟という答え合わせは続く。
「あ奴らはこれから舞草の本部に向かうだろう。我が『龍眼』は全てを見通している。これで目障りな反乱分子どもは根こそぎ一掃できる。
だからお前を野放しにした。全てわざとだ」
「……」
「そして今。折神葵も燕結唯も綿貫和絵も、…藤原美奈都も折神紫も柊篝もいなくなった今。20年前から剣士であるのはお前独り。
もし奇跡か何かが起こって、ここで我を斬り祓えたとしよう。しかしそれで折神紫を救えるか?
―――20年だ、高津雪那。我は20年もの間この折神紫の心身と共にあった。そして今や我こそが!折神紫と成ったのだ」
「………」
「紫の意識はいつも我に言っていたよ。美奈都に会いたい、篝に会いたい、母様に会いたい。
―――手遅れだ。この日の為に目障りな伍箇伝のバカ共と協力し秘密裏に動いていたようだが、全てが無駄だ」
「……っ」
「貴様は我を斬れぬし、折神紫を取り戻す事もできない。たとえ20年前のあの日に戻れたとしても、お前は何も出来ないし何も護れぬ。
その証拠が今だ、雪那。我が二刀と渡り合えているのは所詮昔取った杵柄。貴様ら人間は無力で、友人一人助けることも出来ない」
「―――」
・・・・・。
「その刀で我は斬れぬ。実戦向きな中脇差寄りの小刀(しょうとう)のようだが、仮に斬れた所で何も変わらぬ。折神紫は最早此の世におらぬし、此の世は我の物となる」
「―――。斬れない、だと?」
素っ頓狂な言葉を聞いて。ついに雪那は自身の口元が緩むのを感じた。
「当然であろうが。『迅移』も『八幡力』も『金剛身』も、ましてや『写シ』すら使えぬ只の女の剣、そんな物で我を斬れる筈があるまい。―――ハハハハハハハハハハハ!!!!!」
「………私の剣では、とどのつまり斬れないと?」
「ハハハハハハハハ!!!!!!!!」
哄笑する人間の振りをした化け物が肯定する。
お前では斬れない。お前では我に触れることすら出来ないと。此の世の存在ではなく、隠世の存在である化け物を此の世の存在であるお前では斬れないと。
「……ふ。…ふふふ」
「? 何が可笑しい」
だから笑う。悉く。人間だけが出来る芸当を。
「ふ、ふふ、ふふふふ。20年前、貴様の言う人間に、ついぞ勝てなかった化け物風情が。私の剣では、斬れぬだと?
それはこちらのセリフだ荒魂(化け物)如きが」
「―――」
口を閉ざす化け物は。もう一度言ってみろと眼で語っていた。
「美奈都先輩に勝てなかった化け物が。あの日辛酸を舐めた敗北者如きが。教えてやろう、お前があの人に負けた理由を」
・・・・・。
・・・・・。
「貴様が此方の存在ではない化け物―――。人の剣術(ブレイドアーツ)を理解する事など出来ぬ、只の化け物だからだ!!!!」
「抜かしたな、――人間が!!!!!!!!」
「―――ッ!!」
斬られる肩口。裂かれる脇腹。生身の身体を人間を、化け物は止めを刺すべく白刃を迫らせる。
剣士は崩れた足で地を踏みしめ、身体を守るように左手を突き出した。それはまるで生を懇願するように。許しを請うているように。
左掌が化け物の眼を遮ったと同時。
右手に握る刀の切っ先が、左手ごと折神紫を騙る化け物の顔面を貫いた。
◇
「―――。」
「ハア…っハア……!」
左手から心臓にかけて奔る激痛を殺意で凌駕し、刀を上に切り上げる。
人差し指と中指の間と、化け物の顔が大きく裂けて、ザックリと静かに吹き出る鮮血が雪那の視界の埒を開けさせた。
「これが私の、!」
――剣だ。と言う前に、
「 只の人間が 」
化け物は刀を素早く振るっていた。
「 『写シ』を張っていれば何の意味もない。貴様の刃は届いたが、所詮はその程度 」
「ッあ、っが――」
首から噴き出す真っ赤な血飛沫。振り終わった敵の刀の切っ先が、雪那には微かに見えた。
「――――、ぁ」
「 さらばだ、人間 」
構えを解き、眼を細める大荒魂を最後に見て。雪那はゆっくりと眼を閉じた。
勝利の為に。
剣の発動の為に。
殺害を行う為に。
―――それは魔剣であった。
◆
―――柊家秘伝・ひとつの太刀というものがある。
遠間から、見切れぬ早さで一瞬にして対象に近付き刺し殺すこの技は、然るべき時に行えば無敵に近い魔剣である。
だがもし、万が一敵にそれを察知され防がれてしまったら。
然るべき時ではなかったら。御前試合の決勝で十条姫和が、燕結芽と皐月夜見に防がれてしまった時のように。
その時は十中八九、我は敵から攻撃を受けているだろう。つまりこの剣は、君には向いていない。
ならばこの魔剣の発動条件は敵の刃を必ずこの身に受け、絶体絶命に立った時。
その時の君は頭を斬られるだろう、両腕を切断されるだろう、胴を真っ二つにされるだろう。喉に刀を突き入れられるだろう。もう、君の命はないだろう。
でもそれは、ここに居る君だろう?
「―――」
「―――」
刺さった刀が見える。
血を流し、もはや動かぬ躯と変わるだろう化け物の目玉から生える脇差が。
「――――」
刺し貫いているそれは、雪那が持つ御刀から繰り出され、怨嗟の声を出そうとも声など出せない。
敵が避けれない超至近距離からの刺突技。
それが彼女が見出した魔剣であり、すなわち敵の眼に留まる映る事なく、全身を巡る神経・筋肉・血管・第六感すら気付く事なく敵を斬れる。そこまで達すれば、確実に無敵であろうと。
…思うにその剣を遣う者は。つまりは高津雪那だが、剣を遣うときは半ば死んでいるのだろう。
刀で斬られれば人は死ぬ。
刀使であれば『写シ』があるから意味のない攻撃も、只の人ならば死ぬしかない。そう、本当に只の人であったなら。
――この魔剣の第一段階は、敵の一撃が我が身命を砕き、ついで敵の残心が消えた時その瞬間、いつもやっていたように『写シ』を展開できる事。穏世にいる自分と、この世にいる自分を入れ替える事にある。
それが『写シ』の構造であるならば、こちらが死に体でもあちら(穏世)の自分の体(エネルギー体)は生きている筈。動ける筈。
こちらを斬り殺し勝ち誇ったそいつに、一撃必殺を叩き込む。
君は『写シ』を張れぬ無防備な人間を装って、斬られて後は死ぬだけの自分を敵に見せつけてやるのだ。
――君は死ぬ。でもあちらの君は、敵を殺したい殺意に満ち満ちた穏世の君は、無傷の君は敵を刺し貫いてくれる。
――君は死ぬ。でも絶対に殺す。その為に君の今までがあったのならば、為すべき事を為せ。その想いが死した君に御刀を手放す事を止めさせない。
これは江戸時代、海坂藩にて只一人の剣士が見出し、その蛮勇暴威を彼に許したもの。必勝にして必死の魔剣。
眼の前の敵は君が躍るように跳びかかる姿を。しっかりと殺した筈の人間が刀で突いてくるその姿を、まるで捻じ曲がった未来を見たかのように。
―――君をそう見つめて果てるだろう。
我流魔剣 鬼目突
◆
「………篝。紫お姉様。これで、全て―――」
終わった。 そう言い残して、最後の『写シ』が解けた刀使は、血潮と脇差をボトボトと零し、今度こそ眼を閉じた。
――篝の死に顔。泣きわめく娘。悔いしか残らない我が身。その時、女は自身の将来を定めたのだった。
『勝ち逃げか。篝』
『私から勝ち星を。お姉様からの信を勝ち取り―――。往くというのか柊篝』
全ては友の為。それが、この高津雪那が選んだ未来(さき)。
柊一文字。友が今際の際にくれた物、それがこの御刀の銘であった。
「やってやったわよ。……柊さん」
◆◇
そうして全てが終わった後、むくりと起き上がる一つの体。
貴女はそれを無視して、倒れた剣士へと近付いた。いざとなれば助力しようと思っていたのだが、そんな事をするまでもなかった。
流石は鎌府の長。感じ入った貴女が、三回手の平を打つ。
「 っぐ―――ぬ。油断したか 」
「お見事。高津学長、貴女は最期まで刀使でした。ここで死なせるのは忍びない」
まだ間に合う筈。注射器を高津雪那の首に打ち込み、中身を注入する。中身はノロ。
ポーズだけとはいえ、彼女が糸見沙耶香に打ち込もうとしたものと同種の物。これを打ち込まれた人間は冥加と呼ばれる存在になる。
「一先ずはこれで安心ですね。―――それに比べて、」
翻って侮蔑を込め、貴女は見つめる。
「何ともつまらない幕切れですね。
死にぞこないが。何故まだお前は生きているのだ?」
「 な――に? 」
化け物は懐かしいモノを見るようにして、貴女を瞳に映した。
「 貴様か、我が半身。奇魂よ 」
「?」
・・・・・。
「 20年前、あの忌々しき藤原美奈都に斬られた我が首よ。こんな所で一体何をしている? 」
「??」
貴女は心底わけの分からない話を耳にしている。そして、それに心底相応しい表情もしていた。
「?何の事を話している?一体?もしや20年前、化け物が人間に敗れた話か?それとも今、またも化け物が人間に敗れた話か?」
「 ……… 」
「私見を言うならば、なまじっか龍眼などがあるから、このような剣に対応できないと言わざるを得ない。
未来を捻じ曲げる事こそブレイドアーツ。藤原美奈都の我流の剣を、燕結芽の魔剣を見た貴様ならもしや。等とは露とも思っていなかったがやはりだったな。化け物」
「 ほお、成る程。貴様、綿貫和絵の娘となっていたのか。人間の真似事というわけだ 」
貴女は息を吐く。溜まった膿を吹き出すように。
―――やはりわからないか。利き手を安行の柄に掛けながら。
「もういい。高津学長が起きる前に、私の務めを果たそう」
「 斬るか。我を 」
「これからお前の顔面を縦に斬るから―――、避けてみろ」
『龍眼』。それは刀使の『明眼』と似て非なるもの。
未来を視るという、自身に起こりうる可能性を見通す力。大荒魂と呼ばれる化け物に備わっている異能である。
貴女はそれに加え、これから先の行動をも事前に知らせた。これで何とか出来なければ、やはりコイツは只の化け物だろう。
「 その前に貴様を斬る我の姿しかこの眼には視えぬわ! 」
「―――」
貴女は見詰める。刀を抜き始める。柄頭が折神紫の形をした化け物の顔面に向かう道中、敵の瞳を見詰める。
――敵は遅いと、どうあってもそれは悪手だろと敵は思っていた。
貴女が振り下ろそうとしているその細い刃は虚しく宙にて留まり、我が一刀を受ける羽目になるだけだと。そう視えていると。
―――そう、この敵にはわからない。
かつての我が半身のくせに、薄紙一枚分にすら劣る価値しかなくなってしまった氷の切片には、決してわからない。
その運命、この現実、己の生と死の終着が、見えていない。
でなければそんな表情はできない。
―――貴女は嗤っていた。
対峙した時から、依然変わる事なく。
―――目の前の敵を嗤っていた。
まるで眼の前に本物の阿呆がいると断ずるように。只々眼前の化け物を、
「葦名無心流秘伝」
心底侮蔑しながら――――
「竜閃」
◇
「…ふ。…ふふ、ふふふ」
・・・・・。
「ふふふ、ふふふふ、ふふははははハ」
――ふふ、ふふふ。
「アッッッハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!!!」
――ハははははははは!!!!!
「ああホント馬鹿みたい…っ私の斬撃が、ハハ、飛ぶわけがないと、思ったか?」
ああ、可笑しい。真っ二つになってまあ。
「何でそう思った?視えないからか?視えるものしか信じないからか?
どうした?化け物?人知を超えた、フフ、人の辿り着く領域を、ハハ、軽く凌駕していた筈の化け物よ。アッハハハハハ!!!!!
―――あの日、こうやって。藤原美奈都に負けただろうにその屈辱すら忘れたか本物の阿呆が!!!!!」
躯を見下ろし、そこで貴女は。ふふ、いや、いやいや。……もういいだろう。
―――行儀のいい振りは、もうやめにしましょうか。
「偉大なる戦士・折神葵様の娘。折神紫様、さあ起きて下さい」
私は紫様の身体に薬を打ち込む。高津学長に打ち込んだものと同じ、鎌府研究室にて私が手を加えた最新のノロを。
「貴女の中の異物(化け物)を祓ってあげたのですから、今度は私の望みを叶えて頂きますよ?もう意識は戻っている筈です。高津学長と同じく」
「………、お、前…は?」
「今やお二人とも、真希様や此花様と同じく冥加刀使。当面はこれで我慢していて下さい。追い追い、皆様を元の刀使に戻して御覧に入れます。なのでそれまでは是非この綿貫に協力の程を」
「お前の、……目的は?」
「復讐」
やっと。
私はそう言って笑みを浮かべる。存分に本懐を遂げる為に。ついに来るだろう約束の時を夢想して、私は宿敵を想った。
「さあ連れて来て下さい。衛藤可奈美さんを。いや、藤原美奈都を」
今度は――――私が勝つのだから。