戦う意義を自問した事はない。彼女は常々そう思っている。
傍から見れば狂人・異常者の類いと思われようと、彼女にとって『戦い』とは復讐以外の何物でもないから。
「待っていたわよ?ヒイラギさん」
「………雪那さん」
戦う意義も、理由も。自問するという境地になど立ってはいない。彼女達は今この時も、そう思っていた。
「綺麗じゃない?」
木と夜気を見上げて、ほっと息を吐く。
「あの日もこんな夜だったわね。こんな夜に大災厄は終わって、でもアンタが刀使としての力を失ったと聞いた時は、正直絶望した。もう二度とアンタとは戦えないんじゃないかって。
――でも違った。違かったのよ。だってそうじゃない?今こうして、アナタとワタシはここにいるのだから」
「………。はい」
巨木を風がさやかに揺らし、ささらな葉はあちらとこちらその境界。ゆっくりと。舞い落ちるか舞い上がるか。勝つか、負けるか。
「大事な事は只一つ。ヒイラギの剣だのアンタの使命だの、知った事じゃないわ。そんな心底下卑で下らないものよりも、もっと大事な事は只一つ。
ここに来たアンタなら、それを理解してくれていると嬉しいわ?ヒイラギさん」
「………」
「姫和ちゃん」
御刀を構えて可奈美が呼ぶ。一対一はダメだと。
それは真実で、サシで勝てる相手でも無ければ状況でもない。20年前の相模湾岸大災厄特務隊・主遊撃手の肩書そのままに出張って来ている眼前の刀使は、現代における歴戦の刀使集団であっても一蹴する程の剛の者。
柊篝がここに居るならまだしも。十条姫和が彼女を倒せる理由も必要も、ここにはないのだと。それは姫和自身もそう思っている筈で。
「見ていてくれ」
「―――え?」
「そこで。見ていてくれ」
姫和の眼が可奈美を捉える。そして伝える。可奈美はひどく喜び納刀して、決戦の舞台の後ろに下がっていった。
見届けるよと。一言口にして。
「十条姫和」
名乗る。刀を抜いて。斬り、祓わねばならない相手を、瞳に宿して。
「相模雪那」
名乗る。ヒイラギカガリと名乗った敵に対して。
そして嗤う。煙のように沸き立つ血潮と闘気は不易。千古における時間すら彼女の執念の前では吹いて消える青息。
―――だから嗤う。邪魔するモノは誰もいない。
佩いた二刀の内の一つ、大刀を抜刀し、切っ先と眼光を携える。鋭く、勝利の二文字と復讐完遂の計六文字と只一つの想いを込めた彼女の、雪那の、
「アンタを斬るわ」
最期の立ち合いが始まった。
◆
『迅移』を使う刀使同士の剣戟・打ち合いは相手より一層早い者が勝つのが道理である。
二人が消える。消えたように移動する。見える。
姫和の迅移、すなわち剣術は既に第3にまで至っており、そこまで達する者は刀使界広しと言えどまずいないと云うのが通例である。
しかし両者はその例外といって差し支えなく、現在二人は同段階、第3の迅移を行使しつつ激突、交叉し、時に離れては互角に立ち合っていた。
――止まぬ剣戟はあの日のように。
交わる視線はあの日の続き。敗北の記憶が雪那の脳裏には思い出され続けていた。
自分の手を斬ってでも為すべき事を為す。それがこの女の剣。羅刹の剣。まるで人外の何かのような剣士をあの日、雪那は見て、
『…………気持ち悪いわ。貴女』
『何とでも。 私の勝ちね』
…そして思い知っていた。
―――抜かすな。
無愛想に澄ました顔でその実、勝つ事を第一に考えているのがアンタだろう。お前だろう。
あの日私が敗北したのは勝敗にかける純度の差。その差が僅かに、しかし明確に彼我の狭間を映し出しただけ。
―――今は、違う。
「―――ッッ!!!!!」
刃を振るう。息を吐く。稲妻のような速度で。
それは姫和を僅かに上回っている早さ。段階でいうならば今の雪那の迅移は第3の半歩、先を行く。3.5段階とでもいうべき時間流(早さ)。
すぐさま姫和はその段階まで『迅移』を上げた。第4すら行使出来る彼女だからこその芸当である。
――その流れの中では過去が見える。自身が負けた記憶が。
だからコイツに勝つには早さではなく速さであるべきだと、雪那の勝機を隠して。
同段階(時間流)における刀使同士の立ち合いは速さでもって勝つのが常道。だからこそ雪那は未だ一度も敵に対して居合抜刀を使っていなかった。
何故ならそれが彼女の王道であり、まずもってそういった技とはタイミングである。この間合、この瞬間に使えば絶対に勝てるから畏怖と敬意をもってそれは『技』と呼ばれ、故に奇跡とも伝わる。
―――交叉する間合と剣戟がぶつかり、光を放つ。閃光めいた火花は彩豊かに二人の顔と剣を照らす。
絶対に勝つ。
絶対に斬る。
…それは何とも言い難い感覚だった。今この時、雪那は相手と同じになったような。桃源に訪れたような、そんな気持ちになった。相手の考えている事が分かるではなく。
相手と同じになる。それは武芸がもたらす、一つの自覚だった。
貴女を斬る。祓う。
それが。娘である私の―――
「――――亜ッッッッ!!!!!」
剣と共に雑念を振り払う。
ワタシが希いそして今立ち合っているのはヒイラギカガリその人なのだから、今はそれ以外いらない。
その証拠に見ろ感じろこの剣を。こんな熾烈な剣を、綺麗な剣を、見事な剣を繰り出せるのが奴以外に誰がいる。
私にとって最強なのは柊篝。それはこれからも、そして今までも変わらないのだから―――
「帯電」
剣速を上げる。
「――放電」
足と脚の筋骨を動かし刀を振るう。
「流電、」
息を止める事をやめず、全身の筋骨と血管を早く速く動かす。すると相手がゆっくりに見えてくる。
―――見えてきた。
「雷電」
納刀の速度は抜刀の速さと同じ。
今。鞘内の刀の柄頭が敵の正中線をしかと捉え、雪那は抜刀していた。篝が御刀を振るわんと意図したその刹那。絶対なる勝機と殺意と共に。
「帯電放電流電雷電」
◆
迅雷風烈なる居合抜刀は、姫和にとって心を引き締めるに足るものであった。…どれほどの修練と執念があればこれを現実のものと出来る。そんな事を脳みそが悠長に考えている程に。生を諦めていられる程に。
「―――、」
速い。人類が遥か未来で光よりも速い何かを造り出さねばこれには追いつけない。それほどに。三千世界のあらゆる全ての中で最も速い一刀が今、姫和に迫って来ていた。
――これは魔剣。放てば必ず敵を殺す。ただ殺害を行う為の剣。これこそ正にそれに違いない。対抗するには同等の魔剣以外に方策はなく、だからこそ姫和は。
「―――ッッ!!!!」
「――――」
一歩。前に踏み出て居合を身体で受け止めていた。
◆
―――そう来ると思った。
悟る。こいつは必ず身体でもって何かをすると。刀を止めたりだってするだろうと。
雪那は知っている。
それは『写シ』があるからこその芸当。しかし普通の刀使では絶対無理な事をいとも平然と。
だからこそコイツと。
――振り下ろされる一刀。『写シ』が剥がれても手放さない切っ先両刃造の御刀・小烏丸が頭上に迫る。
だから雪那は鯉口を握る左手を開き、左に切った腰を元に戻し、第5段階の金剛身を全開にして小烏丸の平地と物打ちを力強く握り締めた。右腕の肘を畳み、構える切っ先は今こそ無防備な敵の肺へ。
この近間、この早さ。この速度でもって雪那は勝利の二文字を己の物へと、今こそ現実のものとし―――、
「―――……、」
「―――………は」
貫く。貫かれる、懐かしい何かを味わっていた。
◆
一目見て気付いていた。己の勝機を。
先の先(不意打ち)も、後の先(カウンター)も意味をなさない。勝機は先(敵の攻撃のゼロ地点)。
それしかないと思った。刀がそう言っていた。そう、あの脇差が。
「―――」
「………」
見る。相手の瞳を。ずっと、きっと己を映していないだろう相手の眼を。…果たしてそこには。
「―――気持ち悪いな。心底、お前は」
「何とでも。私の勝ちです」
郷愁と後悔に濡れた雪那の瞳が、彼女を見ていた。
◇
「最初からか」
「はい」
「最初から、この小刀で私を斬ると。そう狙っていたか」
「…はい」
接近する間合は彼我の距離。
雪那は二刀を佩いて決戦に挑み、一刀のみを使って。対する姫和は一刀を差して、しかし二刀でもって決戦に挑み。
柊家の脇差・柊一文字は確かに今、姫和の手に舞い戻っていた。
「その刀は小烏丸と同じく柊の家に伝わる一振り。母はそれを終生抜く事はありませんでしたが、ある日私に話してくれました。これは守り刀だと」
「守り、刀……」
「敵と相対する持ち主をこれは守ると。現役の頃の母は、そんな物必要ないと誓っていたようです」
「………そう、か」
「母が貴女にそれを託した意味。そして、私がここに居る意味。その全ては柊一文字、その刀が教えてくれていたんです。雪那さん」
「―――そうか」
見下ろす。親譲りな娘の瞳を。そっくりなその容姿を。その左手に握られた小刀を。
雪那の腰の柊一文字は姫和によって素早く抜かれており、攻撃しようとした瞬間を余さず逃さず突かれ、腹を裂かれていた。
接近する間合は彼我の距離。それは納まっている刀の柄もまた。
―――剥がれる『写シ』が、相模雪那が、刀使・高津雪那が最期に姫和を。そして柊篝という名の過去を見て、こう言った。
「お前に謝りたかった」
『アンタを死なせたくなかった』
「普通の人として、もっと生きていってほしかった」
『不愛想じゃないアンタを、もっと見たかった』
「…置いていかないでくれ」
『…柊さん』
「……どうか。弱い私を」
『…許してください』
―――お母さん、この人に負けた事ないんだから。
さめざめと泣き崩れる雪那を姫和はしっかりと抱きしめ続けた。きっと、母ならそうすると信じて。