「行こう。可奈美」
「………。いいの?」
「ああ」
気絶した鎌府学長を欅の木の下に寝かせた姫和に、可奈美が訊く。
「雪那さんの為にも私の為にも。今は進み、私達だけで大荒魂を討とう。一刻も早く」
「……それは…そうだけど」
親衛隊と戦っている沙耶香達は未だ来ない。だから今はとにかく先に進むべき。姫和はそう考えている。
しかし可奈美には彼女の迷いが見えていた。
「……」
――涙の跡すら乾いていない雪那をこんな所に独りにしていいのか。そのままで果たしてこの先、迷いなく剣を振れるか。
姫和は鋼の理性で己を律して言葉と決意を口にしているが、それでも一欠片。ノロを打ち込まれている雪那の安否が気になっている。それは可奈美も同様だが、サシで戦った者同士にしか分からない強い感情は確実にあるのだ。
「? そこ、誰ですか?」
「…む?」
殺気?いやいや、そんな大層な物ではない人の気配がした方向へ可奈美が声を掛けた。
「いやーごめんごめん。驚かす積もりはなかったんだ」
すると。現れたのは中肉中背の男性。背広を着て、今から決戦ですか? ゆるい言葉に反して気合に満ち満ちた出で立ちの誰かだった。
「貴方は……」
「あれ?確かこの人」
「折神家に今日用があって来てたんだけどね、急に空からS装備のコンテナが降ってくるだろう?びっくりして腰抜かしちゃって。
隠れて様子を伺っていたんだけど、どうやら君達は刀使さんで、為すべき事があって、でもこの女性が気がかりなようだ。
だったら僕が彼女を安全な所に連れて行くから、君達は存分に本懐を遂げるといいよ」
「……」
「…えっと、」
怪しい。可奈美は思った。
しかしこの男性の苗字を思い出して、もしかしたらと瞬きをしては見つめ直した。――雪那に注がれる男性の視線。それは可奈美の母が存命していた頃、父が向ける眼差しそのものであった。
「その前に一つ。貴方は、折神紫の側の人間ですか」
「朱音様の側で、舞草の支援者の一人だよ。雪那と一緒で」
「成る程。そうですか」
「だから家内の事は任せてくれ。だって僕、隠れるのは昔から得意だからさ」
「分かりました。…雪那さんを頼みます」
「よろしくお願いします!高津さん!」
「頑張ってね。応援してるよ、公私共に」
「可奈美」
「うん。行こう!!」
二人の刀使が走り行く。眩しさと懐かしさを瞳に滲ませた視線を切って、高津は膝を折って再度妻の顔を覗きこんだ。かけがえのない宝が、そこにはあった。
「・・・起きているんだろう?もう」
「……。余計な真似を」
目蓋だけを開けて、雪那は男を見上げて言った。
「いやぁ、何だか今日は胸騒ぎがしてね。折神家に来て良かったよ。やっぱり、僕は20年前から運がいいみたいだ」
「……。朱音様が、連絡しましたか」
「あれ。もうバレちゃった」
「少し考えれば分かります」
援助と根回しを要請したのだろう。この男は舞草と特別祭祀機動隊を全面的に支援している者達、特に政治家の中での筆頭である。
「しかし何故ここに?私とはもう赤の他人の筈。…内閣官房のご政務を放って、こんな所で何をしておいでですか?高津先生」
「先生はよしてくれ。特に君にそう呼ばれるのはこう、何かこう、精神が掘削機で思いっきり削られてる」
「鋼の精神が専売特許でしょうに」
雪那が顔を逸らす。かつては夫であったこの男の顔は、今は見たくなかった。
「とにかくだ。今は、君を安全な所に連れていく。身体に障るとは思うがこの風、この肌触り、ここは戦場だろう?我慢してほしい」
「流石は相模湾岸大災厄の経験者。あの江の島に居た人は言う事が違いますね。でも放っておいて下さい」
この人に担がれてまでこの場を離れたくはない。…何より合わせる顔がない。雪那はぶっきらぼうに言いきった。
「え?それ無理」
「は…?」
「僕が君を放っておくわけがないだろう?現に20年前、君は僕を放っておかなかった。助けてくれた。だからこれで御相こ。
――なんて、規模が違うか」
「ちょっと」
「よし!決まり!さあ僕らの家に帰ろう!今すぐに!」
「ちょっと。ちょっと、いいから!!もう離婚したでしょう私達は!!」
「え?何だって?」
高津はとぼけて、というよりは心底ワケのわからないという風な顔をして、上着の懐に手を入れた。顔は雪那からほんの少しも逸らさずに。
「絶縁状と離婚届はきちんと貴方に渡しました。――なのでもう構わないで下さい!」
「ああ、そうそうそれそれ。君から預かったこの離婚届と絶縁状なんだけどね?」
取り出す紙を見た雪那は眼を見開いた。
……何故今ここにそれがある。ワケが分からなかった。
「これさぁ、僕しっかり見てもいないし判も押してないし何ならこの場でこうやって、破り捨てるからさ。
―――どうかまた僕と一緒に歩んでくれませんか?雪那さん」
「………。は?」
心底。呆けたのは雪那の方だった。
男の真剣な眼差しと言葉が、昔受けたプロポーズのそれと同じだったから。
「君が離縁を言い出したあの日、僕はあの時、これは預かるとだけ言ったんだ。受理するだの君以外の人と幸せになるだの、そんな事は言ってもいないし思った事も思う事もこの先一度もない。
だからもう一度言うよ?今度は僕が貴女を助ける。支え続ける。僕と一緒に、どうかこの先の人生を歩んでくれませんか。雪那さん」
「………」
こうして本当の意味で。刀使・相模雪那は高津雪那に戻ったのであった。
◆◇
折神家本邸最奥・祭壇の場は厳かな雰囲気であり、それでいて戦うには狭すぎた。だからわざとらしく地下への入り口を開け放し、二人の刀使はここに来て、正に今私に話しかけてきていた。
「―――答えろ。折神紫は何処だ。鎌府の刀使」
堪える。まだ。
そんな私に、十条さんが戸惑いながら言葉を放つ。まあ無理もない。ここには目的のものが何一つ無いのだから。
「紫様なら医務室でお休みになられてますよ?十条姫和さん」
「何?では大荒魂はそっちか。向かうぞ可奈――」
「いえいえ。貴女が奥義を放って大荒魂を討つとか何とかそんな事をする必要は、もう無いのです。
紫様に憑り付いていた化け物もこの場に有ったノロも、皆悉く消しましたので」
「―――やっぱり」
笑みを浮かべて私は言う。変わらぬ疑問を浮かべる十条さんと、妙な納得感を醸し出している衛藤さんに向けて。薄く薄く、喜色を隠すように。
「貴女方も刀使ならば分かるでしょう。先程までここには大量のノロがありました。しかしそんなモノも大荒魂もここにはない。
もしもここに私ではなく大荒魂がいたら、それら全てと融合した化け物が貴女方の眼の前に現れていたでしょう」
「………」
「………」
御刀を構え直す二人。無言で、けれどしっかりと。確実に、相対する私の隙を見逃さぬように。
「ああ、心配には及びません。無論のこと私は貴女方と同じ刀使。その私が大荒魂を斬り、祓いました。紫様の心身は無事で、これからノロの除去作業を行い世はなべて事も無し。
―――でも、その前に、」
安行の柄に利き手を掛ける。嬉しそうに、白刃がゆっくりと抜き出される。
「私の目的を。果たさせて頂く」
まだ、まだまだ。闘気が漏れ出るのを防ぐ。
耐える。私の相手はこの若き剣士達ではない。それは最初から変わってなどいないのだから。私が、この天の下に生まれ出でたその時から。
「―――葦名無心流・綿貫和美、参る」
◇
『迅移』。早足で近付き、私はS装備を装着している彼女達の眼の前でクルリと一回転した。刀と右手は左肩上。そのまま跳ぶ。遠心力を損なう事なく。
「―――な、」
「……桜…!」
舞いのような斬撃を空中から叩き込む。計3回。双方防いだ、ように見えるが手元はブルブルと震えている。
着地。意表を突いた私は一気に畳み掛ける為もう一度跳んだ。
「―――ッッこのっ!また連撃か!!」
「…スゴイ!雲みたいっ!」
「ふふ。お褒めに預かりどうも、衛藤さん。『渦雲渡り』と云います」
「私達と戦う事がお前の目的か…ッ? 鎌府の綿貫!」
「いえいえまさか。でもそうですね、強いて言えばこれは準備ですよ」
「準備?」
「はい。何故なら私の相手は――」
「―――ッフ!」
十条さんの『迅移』が変化した。段階(ギア)を1から2、そして3へ。彼女の御刀・小烏丸が私を突いてくる。
その刃を思いっきり、左足で踏む。
「! な、」
「私に突きは通用しません。見切っています。そして貴女には用事がないので、そこで見ていて下さい」
「! ぐあ…!っ」
『桜舞い』、『渦雲渡り』を無理やり防ぐ事は身体に負荷がかかる。ここで言う負荷とは眼に見える裂傷的なダメージではない。
インナーマッスル。そして体幹と云われる部位へのダメージ。それはこの『写シ』を張った刀使であっても防ぐ事は出来ない。
御刀を握る者、その根本への威力だからだ。
そして突きを踏み防がれた事により完全に態勢が崩れた十条さんの首筋を安行で薙ぐ。――すると『写シ』は剥がれ、生身の彼女はその場で蹲った。
「さて衛藤さん。実は貴女に折り入って頼みたい事がありましてね」
「………」
観察している。洞察している。今まで戦ったどの剣士とも違う私を。流石と言いたいが、今じゃない。
「藤原美奈都を呼んできて下さい。今すぐ、さっさと、この場に」
「? ふじ?」
「今の貴女に言っても分からないでしょうが、割腹すればあちらの存在が此方に出てこれます。其れは古い名を開門と言うそうですが。まあよしなに。
何故なら私はその為にここに居て、貴女もまたここに居るのですから」
「えっ……と?―――それってつまり?」
まだ分からない。そう顔に書いてある。
まあ当然なので、私は用の無い彼女に最後通牒を伝える為に御刀を構え直した。だって邪魔だから。
「そう、つまり。私は貴女に勝つ積もりも斬り合う積もりも最初から更々無い。って事ですよ衛藤さん」
そう言って、私は切っ先で狙う。これから突いてくる、と相手に思わせて。
先んじた彼女は加速し安行の切っ先を弾いたが、元より突こうなどと考えていなかった私はその場で高く飛翔した。彼女の意識を刈り取る為に。
―――葦名無心流秘伝・仙峯脚。
脳天に直撃させる。第5段階の『金剛身』を掛けて行うこの当て身技は、ダイヤモンドのような硬さの蹴りが人体に突き刺さる事と同意。その証拠に衛藤さんは『写シ』が剥がれ気絶し、前のめりに倒れてゆく。
あの女がそうであったように、刀使とは全身が武器であり武芸なのだから。
「可奈……っ美…」
「――――」
見る。見詰め続ける。
気絶し、もう起き上がってはこれないだろう衛藤さんを。起き上がってきて欲しい彼女を。
だってもし、きっともし起き上がってこれるのならば。その時彼女は、
「――………」
――――きっと。
――――きっと。
「―――ッ!!!!!」
我慢を止める。切っ先を指し向ける。
ゆったりと脚に力を込め、立ち上がり沸き昇る闘気が彼女の髪留めを自然に解けさせ、ハラリと流れる気流に沿って棚引く毛先が空中にゆっくりと漂って髪留めを地面に落ちる前にそっと素早くその手が取って。
俯いた『彼女』の顔面目掛けて私は、弓を引き絞るように全身全霊を込めて突きを放っていた。
―――葦名無心流秘伝・大忍び落とし。
「……ッ!?」
「――――」
「可奈……美…?」
踏まれる。思いっ切り。これは一朝一夕で身に付けられる武芸ではない。如何に彼女でも。―――見切られている、見切っている。それを『奴』は。
―――剣に生き、剣と共に生を歩む者。最期までそれを貴ぶ者。
全ての刀使達の頂点であり、全ての剣士達が目指し越えるべき大山。それが今そこに、相も変わらずそこには在った。
ああ、やっと。
「――――ようやく会えたな。天下無双」
「久しぶり、天下無双!」
私の復讐の機会が、訪れたのだった。