勝機は不意打ち(先の先)。それは初めから決めていた。
「ねえ」
「何だ」
誰にも明かす事も悟らせる事もなく、スピードでもタイムでもスペースでもない勝ち筋こそが私の勝機と定めていた。
――それ以外は、どうでもよかった。
膝を付き、ついに横たわる宿敵。剣聖が瞳だけに闘志を込めて、私を見上げる。
「それ、居合?」
「居合だ」
「抜いてないじゃん」
「抜いただろう」
「途中まではね!」
横一文字に安行を振りぬいた私はその姿勢のまま、瞳だけを見下ろして答えた。その切っ先五寸からは、未だ鞘が繋がっている。まるで蛇が絡むように。
「どう抜いてくるのか分からない、どう斬ってくるのか分からない、どう動くのか分からない。それが居合。速さが売りなわけじゃない。知っているだろう」
「え~………。う~~ん……」
納得がいかない表情。それが次第に、理解と共感に包まれて笑みを作る。
「御刀は折れず曲がらず、壊れず。そんな御刀を覆う鞘が脆いわけがない!
貴女は抜刀が終わる手前で左手を鞘から離し、私に向かって鞘ごと刀を振るった。何てコントロール、何て力加減何て間合。間合騙しの居合術!正に人類最速!……いやぁ、分かんなかったよ」
「誰にも知られてはならない技だからな。当然だ」
歓喜が生まれる、その前に。
「――でも楽しかった」
心底笑顔で、藤原美奈都は口にした。
「もう剣は捨てるの?和美」
「ああ」
「高校3年生だよね? …そっか、もう刀使は終わりなんだ」
「ああ」
それが分かると、私は続けた。
「可奈美と立ち合ってよ。きっともっと、あの子は強くなる。私よりもきっと」
「…ああ」
「適当な返事。やる気なしと見た。私に勝つ事だけが剣の全てだって顔してる。
でもちょっと待ってよ。江の島では私の勝ち、今度は貴女の勝ち。一勝一敗。ケリはまだ付いてないよ」
もっと、もっと。藤原美奈都(敗者)は口にする。
「一度でもお前に勝てればそれでいい。この身体が砕けようが二度と刀を振るえなくなろうが、後はどうでもいい。そう望み、この戦場に臨んで来た。
だからもういいんだ、藤原美奈都」
―――私の勝ちだ。そう言って、私はやっと笑った。
「そっか。…そっか。そっか」
まどろみに落ちるように。かつての敵が一度二度、瞬きをする。私はそれを最後まで見続けていた。
これで終わり。私の復讐は終わった。私の剣も、刀使としての人生も。そして、これからを生きる目的も何もかも。
「終わらないよ」
「――?」
敵意。…いや、戦意に満ちた足音がする。その時。
「終わらない。終わってなんかやらない。だって私達は、」
「? 何か用ですか…?」
踵を返す。後ろを確認する。私は音の出所を、発した者を見ようと――
「刀使だもの」
そう言って眼を閉じる彼女を尻目に、別れと同時に。
一人の剣士がそこに居た。
「糸美」
「和美」
最終話 『一心』
―――そこに立っていたのは紛う事なき剣士だった。
鞘から離れている刀身は銀色と鈍色が合わさり鋼の残光を私に示し、見詰める瞳は余す事なく私を宿す。
葦名の剣を教えた弟子。偶さか、或いは利用する為必然教えた後輩・糸美沙耶香が、自身の間合に私を入れてそこにいた。
「全部、この為。和美はこの人に勝つ為に、全部が全部仕組んでた。私に剣を教えた事も」
「そうです」
「刀使としての責務も志も、全部全部」
「ええ。全部が全部、あいつに勝つ為」
答えを言う。彼女に応える。私の目的は最初から一つだと。
鎌府だの衛門だの護剣の切っ先だの他人だの、全て私の復讐成就の為。それを伝える。
糸美は頷いて御刀を、妙法村正を天頂に掲げるように構えて言った。
「―――分かった。 じゃあやろう」
「……はい?」
「戦いたくなった」
「…えっ、と?」
「今から貴女を。斬る」
分かりやすいように噛み砕いて言った言葉はこれ以上無いほどに私の脳に響いた。そして何故?と疑問が湧く。
…糸美沙耶香はこういう、所謂戦闘狂タイプではない。固い理性で己を律し、斬るべき相手そして戦うべき敵をしっかと見定め剣を振るう。それが鎌府の、可愛い後輩・糸美沙耶香の全ての筈だ。断じてこんな魔戦士などではない。
「―――迷えば、敗れる」
その誰かが口にする。
「和美に。勝つ」
教えが私に帰って来る。殺気と闘気がこの場を包む。包み始める。
自然と、安行を握る私の手が臨戦態勢を取って刀を鞘に納め始めた。
――? 私は何をしている?
「和美」
「何でしょうか」
固い声に反して、私は宿敵を見詰めるように柔らかく糸美を眺めた。
斬るのか、勝つのか、降すのか。もう剣の意味も、復讐も成し遂げ全て消え失せた私と安行が、斬る為の行動を起こし。柄頭は依然として、敵の中心を攻めている。
「教えて」
「何をです」
これは些事、ただの戯れ。…などと言うには軽すぎて弱すぎて。
「和美の剣を」
「何故」
「…………」
黙り込む。
…いや、これは気恥ずかしいという感情がそうさせているだけの事。その証拠に糸美は諸手右上段に近い構えで、やはり力強く口にした。
「私も。和美達みたいになりたい」
「―――、」
燃える。炎に向かう蛾のように。冴え渡る月のように。
焼き付ける陽のように、眼が光って。縦一文字に刀を構える剣士が私の前に、今か今かと闘志を急かして。
「成る程その眼。―――飢えた狼でしたか」
それは闘戦の化身者だけが放ち得るもの。
武を奉じ、戦を生とし、刀を己の意味とする者、特有の芳香。純正の闘気。心を震わす猛毒を浴びせあい、しかし私が怯え竦むことはない。
敵がこれから後の刀使界を征覇する畏怖すべき魔戦士であろうとも、私こそはその戦場の常軌を逸した剣聖を斬り倒した葦名無心流に他ならぬ。
優劣勝敗は世人ではなく武の神のみが知る処。
彼女は駆けだす。私は待ち受ける。
「 いざ尋常に――― 」
「 勝負!!!!!! 」
接触はほんの、刹那のさき。
今この時だけ全てを忘れて、師弟である私(刀使)達は最後の戦いを始めたのだった。
◇
一太刀で勝つ。
狼の疾駆を真っ向から見据え、私は心中に期した。二の太刀は無論ある。
一撃のみでは仕留められないのが刀使の『写シ』であり、確実に仕留めるには最低二つの太刀筋が必要。
実現するには間合を掴まねばならない。糸見の疾駆を捕捉しなければならない。だがそれこそが容易かった。
「………」
糸見の疾駆は歩速を、歩幅を迅移を一定にし、つまり一貫して疾走。この御刀を抜刀して確実に斬り殺せる間合を掴み取れるか? 等という思考よりも私は何故そんな只の疾走なのだと糸見の考えを読もうとして、無駄なので止めた。
これがもしも逆で間合の捕捉が困難だったならば燕結芽の魔剣の入り口であったもしれぬものの。
―――そう。刀を上段に構え走る糸見は最後の一歩を跳ぶに等しい大股の踏み込み、或いは本当に飛翔して上空から叩っ斬る腹なのだと何の疑いもなく私は理解した。
勝つ為の思考を放棄したのではない。勝たなくていいと思ったわけでも、勿論無い。360°何処から見ても思ってもそれしか相手は考えていないのだ。
……水のようになりたいと思えた筈なのに。流れ続ける水のように、無心の入り口に立てる器であったのに。何の変哲もない夜の月に飢えた狼が、私には野良犬のように見えてきた。
「………――」
「………ッ!」
互いの瞳の中に互いが映る間合で。案の定、糸見が跳ぶ。
跳躍、飛翔。空中から刀を振り下ろす。私の抜刀は既に終わっている。
奥義・葦名十文字。疾さを専心した二連続斬りは、間断も油断もなく糸見の腰と腹を斜めに斬り捨てていた。
『写シ』を張り直そうとしても無駄である。その遥か前に、私の返す刀が彼女を斬り刻む。このように。
―――だから私には糸見の刀が見えた。
唯闇雲に敵を斬り下ろそうとする妙法村正が。――斜め十文字に身体を裂かれても尚、こちらに進む往く近付く糸見の刀が、
糸見の刀が、糸見の刀が、刀は―――
「――――は?」
ここだ。 割られる頭蓋が、明瞭に過ぎる答えを私に示していた。
◇
その剣は上段から重い一撃で叩き斬る。無骨に、正面から叩き斬る。ただ、それだけを一意に専心した技であると。そして続けて伝書に曰く。
その専心ゆえに、葦名流は強い。
糸見沙耶香は上半身のみになりながらもそれを全うし、私を見下ろしていた。
………果たして勝敗を分けた物は何か。恐らくも何もそれは、技の優劣ではない。天運でもないだろう。
それは剣を握り、あらゆる流派を技を無心に飲み込み続けながら剣の聖を超えると決めた私と。心に芽生えた一心と剣を握り、勝敗はその結果とのみ捉えた糸見と。
――我らの間にあった純度の差が、糸屑程の、剣速の差となって顕れたのかもしれない。
コインを放れば表と裏のどちらかを上に向けて落ちるように。結果が出たその先で、私は己の敗北を感じながら勝者の瞳を見上げていた。
「……『写シ』は剥がれてなど。解かれてなど、いなかったのですか」
「…うん」
「解く積もりも。……なかったのですか?」
「うん」
空中から振り下ろされる葦名の一文字。それを止める術など無い。少なくともあの時の私には何も出来ず、こうして斬り倒され土が付いていた。
「お見事です。糸見沙耶香」
「ううん、今度は…和美が勝つ」
「真剣勝負に次などありませんよ」
「ある。だって私達は刀使だから」
「………」
・・・・・。
「和美は、だから、あの刀使に勝てたんでしょう?」
「―――」
震える安行は私のせいか。若しくは自然か。
何度斬られても諦めない。それがお前(刀使)だろうと刀が応えて。これを振るってきた母を含めた全ての剣士が、糸見が、私の手を覆う。
「また試合しよう、和美」
熱い温度が私を促す。
「たくさん、一緒に戦おう。たくさんまた稽古しよう。それがきっと、私が刀使になった意味だと思うから」
―――答えを見出した者の言葉と手の平を見つめ。私は笑って応えたのだった。
◇◆
『先代折神家当主折神朱音が、ある時旧来の六官司を復活させ、その全てのトップに大将の位を与えたのは、護るべき国民の安心と治安維持以外の何物でもないだろう』
――当時の新聞には、このように書いてあった。
『何故ならその大将六名のうち四名が自慢の親衛隊刀使であり、その上に当主が山の如し動かずとなれば全ては安心立命、安寧秩序、無憂無風である。
市井の人間ならば誰しもそう思ったし間違いはないとも思ったが、しかし当時の刀使達はそれとは少し違う視点を持っていた』
―――権力だの何だのそんなの私達の知った事じゃないけど、沙耶香ちゃん達六人ならその位を得ても異議見劣りは全く無い!
…可奈美さんがそう言っていたのを思い出す。
『刀使としての戦闘において、彼女達ほど頼り甲斐と力の有る刀使はいない。現に、彼女らが出張った現場で殉職者は一人たりとも出ていない。奇跡的に。――いや、それこそが実績。
復活した六官司、すなわち六衛府のトップとは他の刀使達から絶大の信頼を置かれているという事に他ならず、そしてそれはこれからも、ずっと続いていくだろう』
そんな昔があった事を、今日私は彼女達に語っていた。
「お母さん達、強かったんだね」
「専・心ッ!!」
「急に叫ぶのは止めなさい、美絵。まあぼちぼちでしたが」
「和美との戦績は五分と五分」
娘の頭を撫でながら、沙耶香が言う。
「…お母さん、子供扱い。私、もう中学生」
「? 八重は私の娘だけど」
「そういう意味じゃない」
「くぁわいい!私も撫でヤエヤエー!」
「キミーうるさい」
刀片手に駆け寄る私の娘の頭を、沙耶香の娘が腕で軽く押さえる。…ごめんなさいね、八重。
「ぬう!腕を上げたな幼馴染ッこんな細腕のくせに!」
「こっちの台詞」
「まあまあ。それに私達よりも、可奈美さんと姫和さんの方が強かったですよ。強い刀使さん達は今も昔もたくさん居ます」
そう言う私に向かって、若き刀使達は綺麗に一礼した。
先程までの戯れは何だったのか、沙耶香にも同様に、御刀をしっかりと鞘に納めて。
「でも私はお母さん達の葦名流が好きで、最強だと思う」
「これからも無心で頑張る!稽古、有り難うございました!また明日もお願いします!」
嘘偽りない宣言が向けられ、沙耶香と私は期待と懐かしさで胸が熱くなった。
だから激励する。あの日のように、もしかしたらと。一つ心に想いを宿して。
「今日の御前試合警護の任。冷静に頑張って務めなさいね?左衛門大将」
「呼吸も、流れる水も留まらない。どこまでも。――だから強い。忘れないでね?右衛門大将」
「はい!!」
――今と昔。続いていく鎌府の刀使達は、朗らかに微笑み合うのだった。
おしまい。