折神家当主は、刀使(正式名称を特別祭祀機動隊)が属している刀剣類管理局のトップにあたる。二天一流を御家流としているその歴代の当主は、皆強者の刀使であり剣士でもあった。
かの宮本武蔵以外には誰にも不可能とされる二天の真義。(以下諸説あり)
腕が二本あって刀も二本あるならば一本ずつ刀を持って片手で攻防を使い分ければよいという単純明快であるがゆえに至難であるこの剣術を、折神家は今も探究し続けているという。
――腕力に任せて刀を振るうだけならばそれは棒振り芸であって剣術ではない。
間合を見極め滑らかに、かつ迅速に物体を斬るという技、手の内、歩法、呼吸、体重移動といった諸々の術。
これらの実現に人生の全てを懸けたとしても実現できうるか分からないそれを、刀二本で以って全うするという苦行にも似た修業。
腕力以前の問題として、剣士には刀を構える及び斬った刀を止める筋力と骨格が最低限必要である。相手はこちらのしびれを切らす瞬間を待っているかもしれない。構えは、支えは長く保てれば保てた方が良い。
斬った刀を腕力で止めてしまうと次の動作に支障をきたす。腕に力を入れているのだから次の動作をするには力を抜くという工程がいるからである。そのワンテンポが生死を、勝敗を分かつ。
数多の剣士達が刀一本だけでも終生四苦八苦しているのに、二刀でもってこれらを成すのが二刀流及び二刀使いの剣士となれば、絶対的に全ての力が足りない事は想像に難くないだろう。
――だから折神家は『八幡力』という能力に目を付けた。
刀使は常人よりも強い力を出せる。腕力ではない。力である。ただ力。ここぞという時十全に力を出せますという反則を刀使は持ち、その感覚を常に身体に覚えさせる事が出来れば御刀を持っていない状態でも身体は力に慣れていく。大きな力を発揮する自分に慣れてくる。
そう、たとえ刀を二本持っても十全に扱えると自覚する。
その上でそれらを操れる技術を持てれば理論上最強の剣士が出来上がる。息を吸う様に攻防一体、融通無碍。
無論のこと、夢物語だが。人間が空想する下らない幻想だが。果てなる高みを目指して、一歩一歩進んでいく事は可能なのだ。
――二天一流折神派・皆伝。
高みを目指す者たる証のその名称は折神家当主にのみ名乗る事が許された、いわば数多の剣士達の理想の体現者である剣豪の名であった。
「かけなさいな。遠慮は要らないから」
「……はい」
「クロクロも綿貫も手出しは無用よ。大した話なんて聞かれてないんだから」
「分かりました」
「……」
恐怖以外の何物でもない感情が雪那を襲っていた。
折神家の当主、キナ臭い組織のトップがまさかの入室許可である。何も無いなんて事はあり得ない。いつ斬られてもおかしくない心構えで以って雪那は用意された椅子を見て、すぐさま真っ直ぐに前を見た。
当代折神家当主・折神葵。
折神の歴史の中でも最も長く刀使を続けている、半ば妖怪のような人間はニッコリと笑みを浮かべながら右の掌を雪那に見せて、どうぞ?と椅子を促した。
…しかもその両脇を固める当主親衛隊の二名もまた恐ろしい。
通常ならば高校3年で終わる筈の刀使を19歳まで続けていられるこの二人こそ当代・折神の刃鳴。
「盗み聞きなんて中々面白い事をやってたのは褒めてあげる。さっさと紫様たちと一緒に帰ってしまえば良かったのに」
「見過ごす事は少々困難ですよ?貴女、お名前は?」
「相模雪那です…」
「へえ!貴女が!」
ポンと可愛らしく両手を打ちながら。葵はわざとらしく言った。
「良いレッグとフット(足)を持ち、それを鼻にかけない刀使がいると聞いていたわ。たしか流派は――中條流だそうね?」
「はいそうです…」
「嘘も上手い。まーすます気に入ったわ」
刀使は自身の流派を用紙に書いて折神家(管理局)に提出する義務がある。…師の流派を書いてしまうとまずいというので父母の流派を書いて今まで提出していたのだが。
「良い師に教わったわね?雪那ちゃん」
「?何の事ですか?」
「二人とも外して頂戴な。ちょっと懐かしい話がしたいから」
「分かりました」
雪那は呆気にとられた。親衛隊二名があっさりと退出したからではない。
この場にいる全ての剣士が雪那の持つ御刀を没収しなかった事、そして一瞥もくれなかった事に。
やはりまずいと、脳は警鐘を鳴らし続けている。
「私は今年で45になるから、…かれこれ30年は会ってないわね。師匠とは」
「………は?」
「私、二天一流折神派の皆伝だけれども15歳までは師匠の所で剣を学んでいたの。這って帰らされたでしょう?このクソ野郎っていつも思っていたわ。あの頃の私は」
「………」
―――何だそりゃ。雪那はまるで自分を見ているような顔をして閉口した。
「荒魂をこの国から一匹残らず駆逐してやりたかったのよお。若いって本当に良いモノだったわ~。だって二天一流は折神の、母の流派じゃない?だから嫌いだったのよ。役立たずなそんなモノよりも次元が違う確実な剣が欲しかった。あの頃は」
「………」
「あの人は、元気?」
後輩を見つめる瞳がそこにはあって。雪那は観念しながらしかし理性で以って口を開かざるをえなかった。
「……。もう会っていません」
「あら、そう?」
「来るなと言われたので」
「変わらないわね。私と私の母の事、あまり良く言ってなかったでしょ?」
「黙秘します」
「良い弟子。やっぱり貴女気に入ったわ」
・・・・・。
「貴女がこの部屋に入った時、その歩き方を見て私はかつての同門だと確信した。だから2人っきりにした。
であればあとは人間性の確認。あの人の弟子は相変わらず有能か、武人か。経験上そのどちらかしかいないもの。でも貴女は珍しく両方だった。面白さと懐かしさに華を咲かせるのは老人の特権でね?私とのおしゃべりに、付き合ってもらうわよ?」
「分かりました」
――つまりは私の側に付けという事だろうが。
雪那は古い先輩を見る真顔の表情を作りながら頷き、それを見て、葵は益々笑顔になっていた。
◇
「実は私、母親が大嫌いでね?本当は折神なんて家に生まれたくなかったのよ」
「はあ、そう…なんですか?」
「ずっと剣を振って生きていきたかった。刀を腰に差して荒魂を斬って祓って、そしてある日死ぬ。そんな単純だけどソードマンな人生を歩んでいきたかったの。あ、ソードウーマンだったわね」
――なのにこんな場所に居る。自伝でも書けばベストセラーね!と葵はケラケラ笑って。常備しているのだろう机の上のポットの中身をカップに二つ注ぎ始めた。中身は紅茶のようだった。
飲んでも飲まなくてもいいわよ? 葵は一口飲んでからそう言って、紅茶を雪那に手渡した。彼女の歩く姿と背格好は、たしかにどことなく師範に似ている。
「御当主様も師範に言われたのですか。もう来るなと」
「もう来ませんって言ったのよ。私が」
「そうなんですか?御当主様」
「葵でいいわよ?雪那ちゃん。
…今から40年前、とある大荒魂が出現したの。当時は狭間の国のおとぎ話に肖って、大古竜って呼んでてね。世の中はてんやわんやだった。私の母親代わりだった女性が命と引き換えにヤツを討って、全ては終わったけれど」
「40年も前にそんな事が」
「私はその人が大好きだった。実の母親よりも母親だと思ってた」
「………」
・・・・・。
「彼女は第5段階の迅移が出来て、しかも二本の御刀に選ばれた刀使だった。だからこれは自分にしか出来ないからやるんだって言って、大荒魂と一緒に隠世の彼方に消えていっちゃった」
笑みを崩さず話す女を見て、雪那は寒気がした。
訳もなく本音だと悟る。この人は笑いながら屈辱も怒りも哀しみも言葉にする事が出来るのだと。黒いのだと解ったから。
「その光景を私は見た。……哀しかったわ。何でもう会えなくなっちゃうんだって理不尽に怒鳴り散らしたりして、母に食って掛かった。――何が折神だ!人一人護れない只の役立たずか!ってね。
それが柊の一族の定めだと母は言った。クソ食らえだって私は言い返して家出して、師匠に出会ったの」
「―――え?」
「知っての通りあの刀法は早さの中における速さに特化していた。だからこそ安易に人間に振るうのも見せるのも禁じてた。もし仮に対人戦をやったとしたら、同迅移内での立ち合いならほぼ誰にも対処できない殺害の剣だから。……って、あら?もしかして今は違うのかしら?」
「いえその通りですが。いえ、それどころではなく今柊と?」
「ええ、言ったわ。私と篝の母親は同い年の幼馴染でね。…40年前私達は互いに同時に、母親を失ったのよ。だから私はもう柊の人間を失うなんて事は起こさせない。相模湾の件はその第一歩。
そしてここまで聞いた以上、貴女も私の計画に参加してもらうわよ?元同門の雪那ちゃん?」
「ここまで聞いて引っ込む道理は無理でしょ?って事ですか。随分と小汚い事をしますね、御当主様」
「何で私がこの歳まで刀使が出来てると思う?それは私が折神の歴史の中で最も老害で老獪だからよ?」
――逃げ場は最初からなかったのだと。雪那は悟るしかなかった。
斬られなかっただけ有り難いと思うほかないが、まあ情報は収集できたから良しとしよう。
「相模湾の警備に折神家直属の刀使として参加して頂戴?あ!命令じゃないわよ?これはお・ね・が・い」
「…分かりました」
「良かった、飲んでくれて。でも結果的にwin-winでしょう? 雪那ちゃんは柊家の事が知りたかったんだから」
それは紅茶を飲んですぐの事だった。瞬時に訪れる恐怖にも似た感覚と味を顔に出さなかった事を、今、雪那は自分で自分を褒め称えてやりたかった。
「っ、それは本当に初耳ですね。後学の為に何故そう思うのか、お聞きしても?」
対して葵は表情に出さないのではなくその真逆、今を存分に表情に出しながら雪那にその答えを言った。
「だって貴女。私と同じ匂いがするもの」
復讐に囚われた人間がたしかに、この部屋には居たのだった。