BanG Dream! 二つの星と笑顔の魔法! 作:黒マメファナ
弦巻こころと俺、
「三年、最後の部活だからな! 思いっきり笑いたいし、泣きたいんだ!」
「受験までできることは全部やりたい……明日の私が、今日の私を恨まないように」
友人たちは皆、キラキラしていた。今までダラダラとバカをやっていた男子は後輩たちと高校最後の部活動に明け暮れ、本を貸しあった委員会の女子は一日でも後悔しないようにと前を向いている。なのに俺は、数ヶ月前と違うのは服装くらいだ。コートを脱いでいるくらいの違いだけ。それに焦燥するわけでもなく、ただ流れる雲のように俺はこの世界に浮かんでいるだけだった。
『みんな〜? 準備はいいかしら?』
「路上ライブ?」
だけどその日はいつもと違って、駅前に人だかりが出来ていて、キレイで明るい歌声になんだろうと俺も足を止めた。最初は人混みで見えなかったけれど、道が開けたその隙間から見えたものは俺には眩しすぎた。
──光の奔流、黄金に輝く太陽。その少女の笑顔は、俺の胸を熱くさせた。楽しそうに歌う、楽しそうに踊る。まるでジェットコースターに乗ってるみたいに、彼女の、いや彼女たちの音楽はとっても、見ていて笑顔になれるものだった。
「さぁ──出発よ!」
そのバンドの名前は『ハロー、ハッピーワールド!』というらしい。最近はやりのガールズバンドのひとつだけど、主に老人福祉施設や児童養護施設、病院への慰問や商店街のPR活動等を行っている異色のバンドでもあるようだ。ボランティアでバンドをする、だなんてなんだか不思議だな、と思うのは当然で、その活動理念にあるようだ。
「世界を笑顔に! 行くわよ!」
音楽で世界を笑顔にする。それこそが『
背中まである長く左目上を斜めにカットされた特徴的な金色の髪、大きな眼も太陽かそれとも一等星のように金色の光をキラキラと輝きを宿していて、小柄で四肢は白く、そして細く長く、だけどしなやかで側転やバク転をしてしまえるくらいのパワーもある。なにより彼女の特徴はその笑顔だろう。
「来てくれてありがとう! あなたも、ありがとう!」
よく、花が咲くようなという笑顔の表現があるけれど、彼女は花というよりはやっぱり光り輝く太陽のような笑顔だった。弾けるような、それでいて爽やかな、ひまわりが全部そっちに向いてしまうんじゃないかってくらい眩しくて。
──気がついたら俺は、そんな彼女の笑顔に、音楽の虜になっていたのだった。俺の世界はたったその数十分で劇的に変わってしまった。ファンになった後は、進学の関係で通らなくなっていた懐かしい商店街に通いつめ、今までは敬遠してきたライブハウスにも顔を出し、流石に慰問には参加できなかったけど、可能な限り追っかけをした。
「先生、進路決まりました」
「ええ大地くん急だね! なになに? なにかあったの?」
「はい、笑われるかもしれないですけど」
「大丈夫、笑わないって」
とか言いつつ結局担任の先生には笑われて、でも嘲笑ではなく応援してくれた。趣味に時間を費やすのは受験生的にどうなんだと思ったけどハロハピが全てのモチベーション、俺が前を向くためのエンジンに変わってくれた。少し手が届かなかった大学に、家から近くて商店街が通り道で、なおかつバイトがしやすい、そんなすごくちょうどいい位置にあった大学に届かせるため、必死で勉強した。
「大地くんがハロハピのファンだったなんて、最近よく会うなと思ったら」
「本当にね、でもつぐみが看板娘になってるとは思わなかった」
「もうわたしも高校生だから」
昔、よく母に連れられた喫茶店にいた一人娘、羽沢つぐみと久しぶりの再会もした。茶色くて前髪の短いのと素朴ながら小動物的なかわいらしさは変わらず、小さな頃にはなかった少女としての輝きがそこには確かにあった。左胸のあたりに『羽沢珈琲店』と書かれたミルク色のエプロンを身に着けた彼女との旧交を温めることができたのも、またハロハピのおかげだ。そんなファンとして充実した一年を過ごし、俺が無事、大学生になった春の日、桜が満開の穏やかな晴天の朝のことだった。
「満開だね」
「本当に、歩いてても花見になる」
「ね! 誘ってくれてありがとう」
「近くに来たからね」
朝のウォーキングのコースを変えて、桜並木を眺めながら歩くついでにつぐみを呼んで一緒に散歩を楽しんでいた。もうウォーキングなんて言えないねなんて笑い合いながら、歩幅を合わせてのんびり歩く先には公園があり、ここで休憩でもしようと決めていた。そんな公園には先客が
──白、黒、赤茶、トラ、ミケ、そして太陽のような金色。赤白ボーダーのシャツにオーバーオールサロペットにスニーカーという動きやすそうではあるものの、まだ朝だと少しだけ寒そうな気もする服装をした少女はしゃがみこみ、大小種類様々な猫に囲まれていた。
「よしよし、ふふ……あら、あなたは初めましてね! よしよし、撫でるの気持ちいいわね〜!」
「あ、こころちゃん」
「あら、つぐみじゃない! それと……」
「こころ……サン」
まさか、まさかの追っかけしてたバンドのボーカル、弦巻こころさんとこんなところで会えるだなんて思いもしてなかったためちょっと挙動がバグってしまう。いやいや落ち着け、この辺の出身だって知ってたことじゃないか、メンバーのプライベートに出くわすのだって初めてのことじゃないだろう。ドラムの子はつぐみの家でもある羽沢珈琲店の常連だし、そしてべースの子なんて交差点挟んですぐ隣の精肉店が実家だ。なんならその子の手渡しでコロッケだって買ったこともある。あれはなんというか他とは違う特別感が──ってそうじゃない。落ち着けてない。
「あーえっとねこころちゃん、この人は」
「知ってるわよ! お名前は知らないけれど、ハロハピのステージにたくさん遊びに来てくれているもの!」
「──えっ」
「いつも来てくれてありがとう! つぐみとなかよしだったのね!」
立ち上がってステージと違いが一切ないシャイニングスマイル。まさかのファンサに倒れそうになった。ギタリストの瀬田さんは女性ながら身長もあって顔立ちもちょっと中性的、というか宝塚的なイケメンに分類されるためよくファンサで女性が目をハートにして倒れるのだが、今ならその気持ちがちょっとわかってしまった。わかるまいと思ってたのに。
「お……覚えてて、くれてたんですか……?」
「いつも来てくれるからよ!」
なんという記憶力だろうか。ファンのことをいちいち覚えててくれるなんて本当にファンサがすぎる。けれど彼女はさして特別であることなんて何もなさそうにまたしゃがみこんで猫と戯れ始めた。いつもステージで見るキラキラした笑顔で、猫たちも仲間であると認識しているんじゃないだろうか、野良とは思えないリラックス具合だった。
「二人もお散歩かしら?」
「うん、桜がキレイだったから、ね?」
「あ、ああうんそう」
つぐみの言葉に彼女の視線が、普段は注視なんてされないはずの樹木に止まった。春の短い期間、ごく僅かな期間だけ公園にも薄いピンクの花をつけるソメイヨシノ。この時期に、人間が楽しむためだけに植えられた木々の色づきに、けれど弦巻こころはまたキラキラの太陽みたいな笑顔をした。
「確かに、思わず外に出て歩きたくなるわね……きっとこの桜の木も、みんなに外に出てほしくて咲いているんだわ!」
「……みんなに、外に」
「ええ! もう冬は終わったのだもの!」
みんな、って言葉どおり
「──いいな」
「え?」
「ここ……弦巻さんの視えてる世界は、すごく、キラキラしてる。それが、いいなって思った」
「こころ、でいいわよ! 名字で呼ばれるのもさん付けをされるのも、なんだかしっくりこないもの!」
再び立ち上がった彼女が急にこっちに顔を近づけてきて、裏も表もないし屈託のない笑みをぶつけられて、後ずさりをしそうになった。よく意識を保っていられるなと自分で自分を褒めてあげたくなるほどに、俺は心臓が高鳴っていた。
俺の彼女への気持ちってなんだろうか。もちろん恋愛とはちょっと違って、でも共感、ともちょっと違うのかもしれない。名前のわからない気持ちをずっと持ってて、それはやっぱり好意であるんだけどこう、触れるのも畏れ多いというか、目線を合わせるのがダメというか。わからないけど、俺はそれ以上に舞い上がっていた。
「それじゃあ……こころ」
「ええ! あなたのお名前も教えてくれるかしら?」
「常磐大地、常々の常に一般の般に下が石って書いてトキワ、ダイチは地面の大地」
「ダイチ、ダイチ……うん大地ね、覚えたわ!」
つぐみと知り合いで友達なのならば俺も友達になれるのかもしれない。俺は一般人で、音楽なんて聴く以外なにもしないし、知識のないにわかだけど、弦巻こころのファン以上の存在になれるんじゃないかって。もちろん、それは簡単だった。名前で呼んで、名前を呼んでもらって、これからは道端や商店街で会えば挨拶しても許される存在になれる。それだけで、俺は最高の気分だった。
「こころちゃんも一緒にお花見する?」
「あら、おじゃましていいのかしら?」
「いいよ、ね?」
「もちろん」
つぐみがレジャーシートを広げて、靴を脱いで中心で重箱の蓋を開けた。そんなものまで持ってきたらウォーキングじゃなくてピクニックなんだよな。ただ、その豪勢なお弁当を見てしまえば喉から文句が出るよりも前に、お腹が鳴る方が先だった。というかちょっと二人で食べるには作りすぎてるだろこれ。そういう意味でもこころがいてくれてよかったなぁと思う。残すのはすごく勿体ないからね。
「こころは、嫌いなものとかないの?」
「そうね〜、食べたことないものはわからないけれど、食べて嫌だって思ったことは一度もないわ! 全部好きよ!」
「それは……すごい」
俺も今まで食べたものの中に、もう二度と口を付けたくないと思ったものはない。けれど逆にこれは本当に好きだって思うものもない。似たようなものでも、食べるって行為そのものに向ける感情が全く違うものだ。つぐみが予備として持ってきてくれた箸を持って美しい所作で口に運び目を輝かせる。第一印象としては元気で活発、ちょっと幼いと思うところもあるけど全体的には明るい、と思う彼女もやっぱり座った時の動作やものを口に運ぶ所作は洗練された印象がある。これは彼女が近所にある豪邸で、実家がある種のなんでも屋さんみたいに色んな分野の事業や商売にお金を出資しているお金持ちの一人娘、ということに関係しているんだろう。
「ごちそうさま! 」
「ごちそうさま、おいしかったよ」
「お粗末さまでした」
二人では多かったはずの重箱は、こころのおかげですっかり軽くなった。手を合わせて、俺はいつものように一言を添えて、こころは食べている時と同じく楽しそうに。ずっとそうだった。つぐみや俺に笑いかける時も、ずっと。こころは食べることを楽しんでいる。しゃべることも、きっとこの慣習じみた手を合わせて感謝の気持ちをこめることすらも。その証明、と言えるかどうかはわからないけれど、つぐみの返事に対してもすごくキラキラした笑顔を向けていた。
「ああっ、そうだわ!」
「えっ、なに? どうしたのこころちゃん?」
そんなこころが突如として立ち上がったことでつぐみが疑問の声を上げた。いいことを思いついた、そんなリアクションに俺も動けずにいたけれど、彼女の瞳の奥にキラキラと輝く星々、まるで天の川か、むしろ宇宙そのものなんじゃないか。そんなものが見えた気がした。
「大地に手伝ってほしいことがあるの!」
「お、俺に……なんで俺?」
「あなたしかいないの!」
そう、こころにそう言われると内容なんて何も訊いてないし予想もできないのにグラリと揺れそうになる。こころが、ちょっとニュアンスは違う気がするけど推しが困っているのなら、手伝ってあげたい。そんな決意をしているといつの間にか真っ黒なパンツスーツを身にまとい、黒いサングラスを掛けた。例えようがないから知ってるもので表すと映画の『
「どうかしら! そもそも他にアテなんてないわよ?」
「……幾分か誤魔化せば大丈夫でしょうがもし、バレるようなことがあれば」
「え、えーっと、詳しいお話って……聞かせてもらえる感じですか?」
「知ればお嬢様の願いに同意したとみなされますが」
あれかな、トップシークレットってやつだろうか。国家絡みの何かに関わるかどうかみたいな話をされているのかな俺は。てっきりさっき野良猫と戯れていたから猫の里親探しでもするのかなぁとのんきに構えていたのに、詳しく話を訊くイコール同意とみなされると言われると躊躇ってしまう。犯罪とかじゃないですよね?
「いえ、決して法に触れるようなことは致しません」
ああ、話だけ伺ってからって出来たらなぁ。法に触れないのはちょっと安心したけど、さっき誤魔化すとかバレるとか言ってたことが気になった。つぐみもちょっと不安そうな顔をしていて、視線と決意が振り子のように揺れる。あるいは天秤か。だが、迷いを抱えていた俺に向かって、こころはまた俺に顔を近づけてくる。その顔はよく知る太陽のようではなくて、眉の下がった困り顔だった。
「お願い! 大地に手伝ってもらうしか方法がないの!」
「こ、こころ……」
こころからの切実な
「わかった」
「……!」
「俺は何をすればいい?」
「だ、大地くん」
「大丈夫だってつぐみ。だって相手はこころなんだから」
「では、詳しい話は」
「あたしの家で! それでいいわよね?」
「はい」
ただやはりつぐみを巻き込むのは黒服さんにとっては困ってしまうようで、俺は一旦つぐみを羽沢珈琲店まで送り届けることにした。こころはまとめて車でとは言ったけれど、それじゃあダメだってことで後で落ち合うことにする。確かに手伝うとは言ったけど一刻一秒を争うわけではない事情であるのに、時間を作ってくれたつぐみとの予定を繰り上げるなんて野暮なことはしたくなかった。
「わたしにも言えないこと出来たとしても、ちゃんと連絡してね」
「わかってる。心配しなくても」
「だって! わたしが知らないと……!」
心配性で、その上すぐに責任をその小さな肩に背負ってしまおうとする。いくら昔なじみの俺が相手だからって自分だけが事情を半分くらい知っている人物としての責任なんて、わざわざ背負い込む必要なんてあるんだろうか。あるわけない。ただ、そんな余計な心配をかけさせないために、俺は連絡を約束してつぐみと別れた。
「ごめんなさい、大地。せっかくのデートだったのに」
「デートなんて、大げさな」
「違うの?」
初めて実物を目にしたかもしれない黒の光沢あるリムジン車に乗り、こころと顔を合わせて開口一番の言葉に首を横に振る。デート、という言葉の定義は非常に曖昧で、俺にとってはそうでなくてもこころにとってはデートと名前がつくものなのかもしれない。だが少なくとも俺にとってのデートとはそこに相手を愛おしく想い、愛を育む要素があると考えている。デートをすることでお互いを愛し合う二人の時間を、見たものを、会話を共有し同じ思い出というファイルに保存しておく。そんな感覚だ。少なくとも俺とつぐみは愛し合っているという前提が抜けているから。
「つぐみと恋人じゃなかった……お付き合いしていなかったのね」
「うん」
「勘違いしていたわ」
そこに俺は僅かな違和感、というか普段のこころ、といってもステージ上でパフォーマンスをする彼女くらいしかまともに見ていないのだが、そのステージ上で感じた印象と桜の下で一緒に重箱をつついた印象とはまた違うリアクションをされたという感覚になった。
すごく個人的な意見になるけど、こころは浮世離れしていると思う。おおよそ、他の女子高生とは世界の見方も考え方も乖離してるだろう。ましてや他人の色恋沙汰に真剣に表情を変えるようには感じられなかった。
「こころは、恋に興味ってあるの?」
「ええ、人並みにはあるわよ」
「……なんだか、こころはもっと人間を平等に見てるものだと思ってた」
「それじゃあ、あたしはまるでカミサマみたいね」
「カミサマにしては慈悲深くて、優しくて、愛に満ちてるけどね」
俺はそうやって笑う。カミサマは人類に対して平等だ。平等に無関心で、無慈悲で、同時に俺たち人間のことなんて無価値だと考えている。どちらかといえば有神論者ではあるし汎神論者でもあるけど、だからこそ本当に困った時に、カミサマは俺に手を差し伸べて助けてくれるはずなんてないと考えてる。
ちょっと話は逸れたけどつまりこころは世界を笑顔にしたいと言っているけれど、その個人に対しては興味がないものだと思ってた。世界を、そしてその世界に住む人間を愛してはいるけれど、それはあくまで種族として愛してるだけなのではないかと。
「そんなことないわ! だって、あたしも人間だもの! ハロハピのみんな、あたしのお友達でいてくれるみんな、特別な人なんてたっくさんいるわよ」
「……そっか」
「がっかりしたかしら?」
「ううん、勘違いしててごめん」
そこで俺は自分が失言したことに気付いて謝罪した。今までの会話、悪意を感じるまとめ方をすれば俺は弦巻こころのことを人間ではないナニカだと思っていたと発言したに等しい。車に揺られながら頭を下げる、だけどこころはいいわよと慈悲深く許してくれるわけでもなく、失礼だわと眉をひそめて怒りをあらわにするわけでもなかった。
──彼女は笑っていた。
「どうして?」
「あたしを知ってくれたからよ」
「……知る?」
「ええ! 大地はひとつ、あたしのことを知ってくれた。それが嬉しいの!」
「あ──あ、はは」
言葉が出なかった。満面の笑みに、俺はある意味の畏怖を感じた。きっと弦巻こころだって怒るだろう、例えばここで彼女の身体に触れて──セクハラをすれば、きっと怒りに眉を吊り上げて、もしかしたら平手打ちのひとつでもしてくるかもしれない。でも、一瞬だけ彼女には喜怒哀楽のうち最初と最後しかないのではないか、なんてバカげた妄想をしてしまった。
「おお……ここも桜」
「とーってもキレイよね!」
その後すぐに会話をするでもなくこころの家に到着した。庭、でいいよな、公園じゃなくて庭には美しい桜の木が植えられており、公園同様に満開を迎えていた。噴水を通り過ぎ、お城かと思うような入り口をくぐっていく。中は西洋式のようで靴を脱ぐことなく絨毯の上を歩き、装飾きらびやかな、まるでイギリスの宮殿でも見学しているような気分になった。おそらく応接間なのだろう。壁や床と同じ金装飾の赤い椅子が二つあり、白であり透明でありながら虹色に輝くシャンデリアを通り過ぎた上座に案内された。
「こちらでしばらくお待ちください」
「は、はい……」
少し前に卒業旅行で友人と千葉と東京の境界付近の海沿いにあるテーマパークに似たような部屋があったなと思い返していた。テーマパークのシンボルでありランドマークでもあるその内部、あれは城だった。違うのはアレが青基調だったのに対しここが赤色、というくらいしか浅学な俺にはわからないけど。
「それじゃあ説明させてもらうわね」
「お、お願いします」
「ええっと、あたしは大学のことはよく知らないけれど大地ももうすぐ学校が始まるわよね?」
「ん、まぁ」
これは大学によって違うけど、俺が通うところは高校よりかは幾分かのんびりしてして、四月上旬に入学式があって、中旬には受講する講義を決めて始まっている。つぐみたち高校生はこの週末が終わったらすぐ入学式と始業式じゃないだろうか。こころはその考察に頷いた。
「そうね、そこで……それを祝う催し物があるの」
「始業式のこと?」
「いいえ、これよ」
そう言ってタブレットを見せてもらうと、そこには驚く文字列が並んでいた。
──弦巻こころ様の高校二年生進学記念パーティ。主催はもちろん弦巻家で、各界の大物がこころ個人所有の豪華客船、スマイル号に集まり、祝典を開くのだとか。時期は予定が合わなかったのか五月のゴールデンウィーク中になっていて、約一ヶ月後だ。
「……世界観が、違う」
「そうよね、普通は……普通ってどうお祝いしてもらうのかしら?」
「たぶん入学じゃなくて進学だとお祝いもないんじゃないかな?」
「そうなのね! だから去年よりも規模が小さいんだわ!」
弦巻こころの入学を祝うパーティ、か。どんな規模で何があったのかなんて考えたくもないため頭から除外する。
まぁともかくそんなパーティなんてものがあるってことは理解した。それで手伝ってほしいこと、というのはなんなんだろうか。それが全くピンと来てないんだけど。
「伴侶を決めなくちゃいけないから、たくさんアプローチされるわ」
「……え、伴侶って、夫ってこと?」
「お父様とお母様は、そんなこと言わないけれど、他の人たちにとってはそうじゃないわ」
「え、っと、ちょっと待って。情報を呑み込ませて」
こころが言うには、もう彼女は結婚も子作りもできる年齢だから、弦巻家の存続を願うもの、その社会的地位にあやかりたいもの、その他諸々の思惑から自分の息子や親戚を連れてきて婚活パーティとなってしまうってことか。ううんなんていうか貴族社会時代の西洋の世界観だなと苦笑いしそうになる。ラノベで異世界転生ものを読んでてそんな展開何回かあったな。
「ん、つまりこころは、俺に将来の旦那さんを決める手伝いをしろってこと?」
「そうじゃないの、あたしは世界を笑顔にしないといけないもの」
「え、じゃあ俺の役割は……」
その瞬間、俺の頭に閃きが走った。こころのアテがないという言葉、黒服さんの幾分かは誤魔化せる、だけどバレたらという言葉、法には触れない隠し事、つぐみに頼まずに俺に真っ先にお願いをした意味、全て辻褄が合う。だけど、気付いた頃には退路はない。傾き地面についた天秤を手で押して逆の皿を地につけても、決定は覆らない。
「……偽彼氏になれってことか」
「ごめんなさい……でも、あたし」
「いやいや、謝ってほしいわけじゃないから」
悲しそうな顔をされて、慌てて首を横に振った。事情は理解した、そうしたらほしいのは謝罪じゃなくて俺が具体的に何をすればいいのかって解決案だ。社交ダンスなんて当たり前だけどこなせないし、そもそもテーブルマナーすら怪しいところだ。フォークを三つ出されても首を横に捻って固まるのが関の山だろう。
「あ、もしかしてこれから所作を身につけるとかそういう……?」
「ええと、そうじゃなくって……これから一ヶ月くらい、あたしと一緒にいてほしい」
「一緒に」
つまりは、他人でなくなるってことだ。今までの俺とこころはステージの下と上で世界が分かたれていた。俺はハロハピとしてのこころしか知らないし、こころはファンとしての俺しか知らない。その状態でパーティに出て偽の恋人同士を名乗ったところで浅い。薄氷が張った湖の上でスケートを滑ったらどうなるかなんてわざわざ語るほどでもない。俺の口がそれこそ羽のように軽ければ、また変わったかもしれないけど。
──そんな薄氷を分厚くするために、必要なものは相互の理解。俺がデートの時に語った共有だ。ただ、たった一ヶ月でどうやって密度を濃くすればいいのだろう。
「簡単よ! 一緒にいるんだから」
「待って」
「なにかしら?」
「一緒って、比喩抜きで
「そうよ!」
そうよ、ということらしい。なるべく、なるべくでいいからこの家で寝泊まりして、一緒にご飯を食べたり話したりして過ごして、その中でお互いのことを知ろうというのだ。合理的で、直接的で、であるが故に俺は躊躇ってしまう。だって、こんな広い家とはいえ一つ屋根の下というやつだ。問題はお互いまだ親の庇護下であるということだが、電話で確認したところ、母親にはあっさりと許可を出されてしまった。
「あたしも許可はもらったわ!」
「あー、えっとじゃあ荷物とかは」
「既に部屋に運ばせていただきました」
「あ、ハイ」
行動が早い。俺の部屋よりもよっぽど広い客間にはいつ持ってきたのかわからないけど、俺の着替えやアメニティ、充電器等の生活必需品となっているもの、果ては本やゲームの娯楽まで。とにかく一ヶ月どころか一年二年、もしくは一生暮らしていけそうな部屋になっていた。使い慣れたデスクやスタンドライトもそのまま。
「必要なものがあったら遠慮なく言って!」
「うん」
こうして、俺とこころの出逢いから始まり、奇妙な同居が始まることになった。それまでステージの下と上、交わることのなかった俺と太陽のようにキラキラと笑顔を向ける彼女の時間が一つになって一体これからどうなるのか、ただひとつだけ決まっていることがある。漫然とした変わらない日常なんてものは、少なくとも一ヶ月間、存在しなくなったということだ。