BanG Dream! 二つの星と笑顔の魔法! 作:黒マメファナ
居候二日目にしてこころが部屋に泊まったあの日は結局、朝起きたらとっくにこころはいなくなっていて、でも朝のウォーキングにはちゃんと着いてきた。
昨日と同じように雑談をしながら歩いて、朝食を摂って──そうやって過ごしたのがもう数日前となった頃、居候から既に一週間が経てばそろそろ俺も慣れが出てくるものだ。
「ついに今日はデートね!」
「そんなワクワクしなくても」
「するわよ! ずっと数えて待っていたわ!」
ため息でリアクションしてはいるけど、そういうやつだよね、みたいな感覚。たった一週間だけどこころのことがなんとなくわかり始めてきた気がする。
と言っても概ねはライブで得た知見に合致するものだった。天真爛漫で破天荒で、いつだってキラキラと笑顔を輝かせてる。逆に違うなと思ったのは、少し甘えたがりな傾向があるというところか。
一つの事象を例に出すと一週間でこころが俺が寝泊まりしている客間で寝た回数は合計で三回だ。どうやら俺もこころも慣れてきたようで、三回目はもうこころから手を伸ばして運ばれてくれた。代わりに自分の部屋に戻るのを拒否してきたが。
「お昼前に出掛けてもいい? 少し買い物もしたいから」
「ええもちろん、いいわよ!」
「それまではどうする?」
「大地の部屋にいるわ!」
「あ、まぁだよね」
そうなんだよな、時間を共有するという名目があるとはいえ、こころは隙あらばソファに座っている。または時折庭にあるソフトボール専用のバッティング練習場──なんであるのかは知らないけど、そこで身体を動かすこともある。こころの運動神経には勝てるわけないけどさ。
もうすっかり暖かくて、歩いてるだけなのに朝もジャージの上着がいらなくなってきた。こころなんて一週間前からハーフパンツと半袖のシャツだったけど。そんな春麗らの季節にどんな格好をしようかと考えていると、こころがソファに座りながらアドバイスしてくれる。
「ライブに行くならシャツと、脱げる上着でいいと思うわ!」
「そっか、すると結構ラフでいいか」
「あたしもそうするわ、別の場所で着替えられたらいいのだけれど」
「CiRCLEに着替えられるところはないもんな」
頷いたこころだったけど、ワンチャンこころなら突如として黒服さんが出てきて早着替えができなくもなさそうだなぁと訳のわからない思考に至った。
こころはいつもの一割くらい増しの笑顔だ。そしてそれはあどけなくて、まるでおもちゃを買ってもらえる子どものようだった。
その笑みに苦笑しつつシャツを吟味していると、こころは何かを考える仕草をしてから頭の上の電球を発光させた。
「いいシャツがあるわよ! あたし持ってるの!」
「いやこころと俺じゃサイズ合わないだろ。それに──」
「──失礼致します」
「それに?」
「あー、うん、選択肢があるわけなかったな」
この暖かくなってきた春の日にも関わらず黒スーツ姿の女性が音もなく現れ、黒地に「CiRCLE」と書かれたTシャツを置いていった。首の裏に当たる襟に書いてあるサイズはもちろん、俺が余裕を持って着られるLLサイズだ。
こころの案を黒服さんが採用しないわけないなんてことは一週間で嫌というほど理解してるし諦めてる。ただし、俺はその下にあったMサイズの同じTシャツを見つけたことで凍りついた。
「……は?」
「あら、ちょうどいいわね! あたしはこれにするわ!」
「じゃあ一旦、そうだなどっかのトイレか、それとも一度帰って着替える方式にしよう、うんそうしよう」
「それだと、手間よ?」
「いいんだよ手間で!」
偽とはいえ、フェイクとはいえ一応は恋人同士としての距離感を探るため、そして付き合ってるということへの違和感をなくすために一ヶ月でたくさんの時間を共有すると約束した俺だけど、一日中ペアルックは恥ずかしいので勘弁してください。
これでジャンボパフェひとつ買った時の生暖かい感じがするだろう瞬間に、女性経験ほぼゼロの俺が耐えられるわけないでしょ。
「ほぼ……」
「なに?」
「ううん、なんでもないわ、ペアルックが恥ずかしいって気持ちはよくわからないけれど!」
「わかってほしかったけどそれはもういいや」
説得を諦め、ひとまず俺はスキニーともらったシャツの上に白無地のプルオーバーを着ることにした。チェスターコートの有無を悩んでいると、こころもさっきまで着ていたショートパンツのオーバーオールから着替えるらしく、自分の部屋へと戻っていった。
着替えを待つことほんの数分、こころの声がした。下は黒いデニムのホットパンツで先程と運動性は変わらず、上が萌え袖仕様のプルオーバーパーカーだった。白地で胸のところに黄色いスマイルマークがついていて、袖には「HAPPY REVOLUTION」と黄色い文字がプリントされていた。
「どうかしら!」
「その下が、もしかしてシャツ?」
「ええ! ほら!」
「見せなくていいです」
ペラリとめくる手を制止する。意地でも寄せてくるのでもう本当に諦めた。恥ずかしいって気持ちはわからないけどペアルックで出掛けたいって鋼の意志はめちゃくちゃ感じた。
ライブは上脱ぐとして、お互いのパーカーを入れるリュックが必要だなと考えたが、どうやら黒服さんが回収してくれるらしい。
「荷物は最低限で構いません」
「お、おっけーです」
「後はこれを」
「なんですこれ」
「こちらで基本はお支払いできますので」
手渡されたのは「Tsuruca」と書かれたICカードのようなものだった。読み方はツルカでいいのだろうか、シルエットになってるのはペンギンではなくクマ、ピンクのカードで二足歩行のクマというとミッシェルだろうか。いつの間に全国デビューしたんだミッシェルは。うん、現実逃避はやめよう。
──曰く限度額のないICカードなんだそうだ。交通系が使えるところならどこでもオッケーだそうで、俺はそれをなくさないように大切に手帳型のスマホケースにしまった。
「さぁ、行くわよ大地!」
「出かけるまでに随分カロリー使った気がする」
「それなら、ジャンボパフェも食べられそうね!」
「……そうだね」
皮肉を皮肉で返された気分になった。他の誰かならそう思うだろうけど、こころの言葉に裏とか表とかあるとは思えないからな。
並んで家を出て、こころは元気よく手を差し出してきた。何か言おうとも思ったが、このくらいのスキンシップは取れないと、特に手にすら触れられないなんて言ったら一ヶ月後バレかねないため、無言で手を繋いだ。
「ふふ」
「嬉しそうだね、なんか」
「大地の手がおっきくてあったかいからよ!」
「そりゃよかった」
歩幅を合わせて、俺はこころと一緒に歩き始める。散り始めた桜が太陽の光を浴びて輝き、こころはその美しさに対して負けないくらい目をキラキラさせた。よそ見と興味に手が離れそうになる度に俺が繋ぎ直して、引っ張って、こころの軌道修正を担当していた。
そうやって声をかける度に、こころは嬉しそうな顔をする。もしかして意地悪されてるんじゃないかという気分になるが、邪推する前にまた、こころは別のものに興味を惹かれ始めるため、それはないなと結論づけた。
「こころって電車乗ったことあるの?」
「ええ、ハロハピでおでかけした時に乗ったわ!」
まぁちゃんと自分で持ってたICカードを扱えてたし、そうだろうとは思ったけど。こころはその天真爛漫さに比べてやや世間知らずで箱入りなところもあるからな。多分、電車自体も乗ったことあるのはハロハピで出掛けた時くらいなものだろう。
乗り込んだ電車は座ることはできなかったものの、こころはドアに張り付いて子どものように外の景色をキラキラした目で眺めていた。俺からすると、多少桜が散ってるのがキレイだな、くらいの感想なものだけど。
「景色は眺めているだけで楽しいわ」
「けどこっちのドアが開くかもしれないから、それは気を付けてよ」
「ええ」
人が増えてくるともし離れてしまったらと考えて割とハラハラする。なんならもういっそ、腰に手を回して抱き寄せてしまいたいくらいだ。ただ、本当に小さな子どもならまだしも、相手は少なくとも健康的でかつ女性的な肉体美を有している。抱き寄せると考えただけで邪な妄想が頭に浮かぶくらいには、こころは女性としての魅力を兼ね備えている。
「日曜なのに人が多くなってきたな」
「そうね」
「でも次で降りるから」
「手、ちゃんと繋いでいて」
「わかってるよ」
そう言うとこころの指が、俺の指の間に入ってくる。今までよりも密着感が増えて、なるほど確かにこれは
邪念を頭から追い出すために、俺もこころと同じように外の景色に集中することにする。アナウンスはこちら側のドアが開くと教えてくれて、人の波をかきわける危険な航海をしなくていいところは、安堵するべきことだ。
「大地」
「どうした?」
「大地はいつも、お買い物をするために、お買い物のために電車に乗るのよね?」
「買い物どころか学校行くのも電車だったけどね」
「電車は楽しいけれど、とっても不便だわ」
「違うな、それは」
不便なんじゃなくて、便利だからああやってたくさんの人が乗る。車と違って事故のリスクもそこまで高くないし、時間通りに来て時間通りに特定の場所まで運んでくれる──まぁこれは日本特有のものらしいけど。バスがどうしても交通量とかを考慮しなくちゃならないのに対して、電車は専用道路みたいなもんだからね。
「いつか、移動中も笑顔になれる方法があったらいいわね!」
「例えば?」
「うーん、うーん……電車でハロハピが演奏するのはどうかしら!」
「そうきたか」
確かに俺からしたら電車乗っててハロハピが演奏してくれたらニッコニコだ。満員電車だろうがなんだろうがその時間に起きて乗り込む自信があるね。
でも、まぁ確かにこころ
だけどこころはいつだって
「毎日電車で歌ったら、大地にも毎日会えるのかしら?」
「できる限り行くね、できたら最前で」
「それなら──」
「こころ?」
「──それじゃあ、ダメだったわね。ハロハピは世界を笑顔にするためのバンドなんだもの」
その時のこころの表情は寂しそうで、俺は驚きと戸惑いが胸中を埋め尽くす。ハロハピの話をしている時のこころはほとんどが内なるアイデアと未来への期待、過去の幸福に満たされている。笑顔でいっぱいになる。でも、今回のことは違った。
正確に言えば、電車で歌う話をしている間は笑顔だった。キラキラして目に光をいっぱいためてアイデアに輝いていたのに、急に表情が寂しそうなものに変わった。
「それよりもっ! お買い物って何を買うのかしら?」
「俺ももう講義始まるからね、大学生はノートではなくルーズリーフを使うらしい」
「ノートではダメなの?」
「俺の予想なんだけど、色んなものをバラバラに受けるからなんだと思う」
数学二つ、国語二つ、英語二つ、理科一つ、社会二つにその他。これが去年の俺がノートを使った授業だ。一年間これなんだけど、大学はなんか漢字ばっかり並んだ「基礎〜」みたいな講義とか「〜論」みたいな講義とか、多種多様だ。
それがえーっとどんくらいあったかな、前期で二十程度だ。当然体育とか音楽とかはないからほぼ全てにノートを使うことになる。
「それにだいたいが週一なんだよ」
「少ないのね?」
「夏休み明けたらガラっと内容変わっちゃうし、多分無駄になるんだと思う」
「なるほど」
その点ルーズリーフならファイリングして自由にまとめることができる。それにその一つの紙束で全ての講義を賄える。ちゃんとまとめる能力さえあれば便利なこと間違いなしだ。
──後はマーカーとか付箋、前述のファイル等、大学生活に備える一方で、これも大事なことなんだけど服を買わなくちゃいけなかったのにすっかり忘れていた。
「服?」
「大学生は制服がないから」
「確かにそうね」
「週五で出かける服がないんだよ……」
休日に出かける服装ならある。今の格好もそうだし。でもそれを毎日となるとちょっとタンスとクローゼットの中の戦力じゃ不足してしまうんだ。これは一ヶ月前に気付いて補充するべきものだったのに、俺がサボったせいなんだけど。卒業してからまだ一ヶ月もあるじゃんと言って時間に胡座をかいた結果は、やっぱりいつだってロクなことにはならないという教訓を得たよ。
「なら、あたしも大地にピッタリの服を探してあげるわ!」
「ありがとう」
「クローゼットもタンスもいっぱいにするわよ!」
「いやそこまで言ってないし」
それ絶対着ない服あるからねとツッコミを入れる。聴くところによるとこころの服は半分がお母様チョイス、半分が自分でこういうのがいいと考えたものらしい。
お母さんチョイスと言うと小中学生の頃の苦い苦い思い出が蘇りかねないが、あのこころお気に入りのオーバーオールなどをお母様が選んでいらっしゃるということで、さすが弦巻グループのトップの一人、その辺のママとはセンスが違う。
雑談をしながらあれやこれやと決めて、幾つかの店舗でなんだかんだ──黒服さんとこころに甘えて本来なら両手いっぱいになる服を買ってしまった。
「ごめん、調子に乗った」
「いいわよ! ドレスコートの話もできたのだから」
「五月な、そりゃ私服じゃダメだよな」
オーダーメイドするのは確定しているので店で買うことはしないけど。
──と、黒服さんに荷物を預けて文房具店前で雑談をしていたところで、後ろから知り合いの声がした。
二人で揃って振り返ると、そこには黒に近い茶髪をとりあえずポニーテールにまとめたという感じで俺が卒業した高校のブレザーを羽織った女子生徒だった。身長はこころより少し大きいくらいか。そんな彼女が驚きの表情をしているのが目に入った。
「常磐先輩! 久しぶりですね!」
「知り合いかしら?」
「委員会の後輩だよ」
「そうなのね! こんにちは!」
「は、はい!」
日曜なのに昼間から制服で何してるの? と問いかけると友達と学校で
彼女は、俺が言った通り委員会の一つ下の後輩で軽音部を作って友達と四人でバンドをやってる。知名度なんて全くないけど、文化祭での演奏は、素直にすごいと感じた。接点としては委員会とハロハピにハマった時にバンドの基礎知識を教えてくれたくらい。
「す、すみません……っていうか、彼女さんいたんですね」
「え、いや──」
「──あたしは弦巻こころよ!」
「え、ええ? 弦巻、ってハロハピの?」
「そうよ!」
なんか俺の言葉遮って、こころが後輩とコミュニケーションを取り始めてしまった。取り始めてしまったのはいいんだけど自分がハロハピだって明かしちゃったら、俺は彼女にハロハピ推しなのバレてるんだけど?
案の定、俺が懸念した通り、ほぼペアルック状態で手を繋いでいた相手がハロハピの弦巻こころだと知ると後輩たる彼女はちょっと前までには多少残っていた先輩を敬う気持ちが消滅した──表すなら「やったな?」みたいな表情で俺を見てくる。
「誤解だ」
「でも本物のこころちゃんなんですよね?」
「本物よ!」
「紛れもなくそれはそう──なんだけどちょっと待ってもらっていい?」
「どうしたの大地?」
「どうしたのじゃなくて、どうするつもりなんだよ」
しかしなんと、俺の焦りに対してこころはあろうことかキョトン顔だ。なにそのあたしは別に悪いことはなんにも言ってないわよみたいな反応は。都合の悪いこと言ってるんだよ。
今のままじゃ俺が推しであるこころに個人的に近づいた挙げ句いつの間にか春休み中にこっそり付き合い始め最低クソ変態野郎という認識が後輩に刻まれるピンチなんだ、助けてくれよ。
「付き合ってるわ!」
「こころさん!?」
「うわ……マジですか先輩」
「マジなわけないだろうが後輩!」
「昨日も一緒に寝たわ!」
「うわ……うわぁ」
誤解と語弊が笑顔という純粋無垢によって流布されていく。あれなのか、基本的に協力者になりそうな人以外には付き合ってる体で行くの? そうならそうとして打ち合わせしてほしい。このままじゃ俺が推しと繋がってそれを頑なに認めようとしないクソみたいな男だと思われるからさ。あの弁明の機会はないんですか?
──足早にどこかへ、おそらくバンド仲間のところへ走り去っていく彼女を追うことは、手をがっちり繋がれてる俺には不可能だった。
「ふふ……ちゃんと恋人同士に見えてるみたいね!」
「……そうみたいだね」
「これなら五月も安心ね!」
「五月過ぎたらどう言い訳するんだ? 絶対本当のこと言っても信じてもらえないだろあれ」
別れたことにするか? それはそれで無用なリスクが付き纏うんだよな、主にこころにだけど。もういいや、考えるの嫌になってきたからとっとと買い物してジャンボパフェのこと考えよ。
こころはその間ずっと、五月に向けた一定の成果を感じたようで嬉しそうに繋いでいた手に握力を弱く断続的に掛けていた。仕草はかわいいんだけどなぁ。後輩への印象が「ハロハピ好きの先輩」からどう変わってるのか次第では怒ってもいいんじゃなかろうか。
「おまたせ致しました〜、季節のフルーツたっぷりジャンボパフェです……ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ!」
「はい、ではごゆっくりどうぞ〜」
失意の買い物は色んな意味で終わった。そんな俺は場所は変わって現在、甘い匂いの漂うスイーツ店で予定通りのものを注文した。
それはもはや器がデカかった。そしてそこから伸びる天を衝かんばかりの生クリーム。そしてそれを埋め尽くすように彩る季節のフルーツたち。
一番贅沢に使われているのはいちごだ。どうやらブランドのいちごを使っているようで、縦半分に切られた鮮やかな赤が上だけでなく下にもところ狭しとならべられており、そしてその次に存在感を示しているのはメロンだ。暴力的なまでの糖度を誇るメロンが一口に切り分けられて生クリームの山にしがみついている。他にもキウイや甘夏が見た目だけでも楽しませているのだ。
──お昼食べてなくてもこれを食べ切る自信がないなこれは。
「テレビで見た通りだわ!」
「味の方はどう?」
「いただきます! あーん──っ! ん〜っ!」
もはや言葉も出ていないが、いつもの五割くらい増しで目が輝いて、大きな瞳の中では流星群が発生している。そのリアクションだけで彼女の口の中で何が起こっているのかは明白だった。俺も腕を伸ばしてもう一つのパフェスプーンで掬い、口に運んでいく。
いちごは甘く、けれど生クリームの甘さとは違った甘みで、その二つが口の中で溶けるように消えていく。
「おいしい」
「そうね、今日を逃していたら食べられなくなるなんて、勿体ないことをするところだったわ!」
「じゃあ、教えてよかったよ」
「ええ!」
こころのペースが俺の倍くらいあるので、やっぱり単純にはんぶんことはいかない。しかも俺に至ってはコーヒーで休み休みだし、今日だけは本当にブラックの苦味が心地よく感じてしまう。
だが、途中でこころはピタリと止まった。もしかして急に限界が来たのかと思って様子を見ているとおもむろに立ち上がり、向かいにいたはずが右隣にやってきた。
「な、なに?」
「こっちの方が手を伸ばさなくても食べられるでしょう?」
「ああ、なるほどね」
確かにテーブルの真ん中にあるパフェは俺も手を伸ばさなくちゃいけないくらいの距離感だ。こころなんて身を乗り出す必要があるだろう。それが表面上だけならまだよかったんだろうけど、山が崩されていくと、どんどん食べにくさは上がっていくからな。
──まぁそういう機能性、利便性の話はよくわかった。けど、こころさん距離近いんですよあの。食べにくいってほどじゃないんだけど、コーヒーのおかわりの無料サービスをしてくれた女性店員さんのとても優しい目を、俺はきっとトラウマになっても許されるだろう。
「文房具屋さんで会ったあの子は」
「ん?」
「大地のことをたくさん知っているのよね?」
「……たくさんってほどじゃないけど」
目線はパフェに向きながら、こころは先程の後輩のことを訊ねてくる。たくさんってほどじゃないとは謙遜でもなんでもない。なにせ積極的に関わるようになったのは去年の一年間な上に、委員会なんてそう一ヶ月に何回も顔を合わせるわけじゃない。ましてや一緒に出掛けたことなんてほとんどない。大抵は学校帰りにちょっとご飯食べておしゃべりするくらいで、ライブ見に行くのに誰も予定が合わないから付き合ってほしいとかそういうのが二回くらいあっただけだった。
「まぁ、仲の良い後輩、くらいのポジションかな──って、おい」
「じゃあ、あの子が大地のお付き合いしたことある子、ではないのね」
「いやなんか言えよ」
口に運びながらの言葉に対してスプーンの中身が無言を貫いた金色の怪獣によって食べられてしまう。しかもコメントもなんにもなしでそんなことを言い出した。
お付き合いしたことがある子とは、そんな簡単に軽口を叩ける先輩後輩関係に戻るわけないでしょうが。気まずくて、もうずっと話してすらない。
「違うよ」
「そう」
「そんなことより人の横取りすんのやめない?」
「あー」
「口開けて待てって意味でもないからね?」
ほぼペアルックの時点で俺は割と精神が限界ギリギリなのに、広い四人座れる席に向かい合わせじゃなくて隣同士が加わって俺の許容量は表面張力状態なんだよ。そこに食べさせるって行為を他者に見せたら俺は爆発四散して死にます。恥ずかしくてこの場から泣いて内股で走り去って逃げ出す自信があるよ。
──とはいえ、こころを説得できない以上は選択肢なんてないわけで、俺は羞恥を頑張って忘れようと努力しながら親鳥の気分を体験させられることになる。
「ん〜っ、キウイもおいしいわね!」
「それはよかった」
「じゃあ次は」
「そろそろ自分で食べてね」
「いちごがいいわ!」
「あの話を聞いてもらってもいいかな?」
「ダメよ!」
「ダメなのか」
こころ、俺、こころ二回、俺、以下繰り返しくらいで運ばされる俺の腕や使われなくなってしまった元キミのパフェスプーンのことも考えてあげてほしい。口を開ける動作は本当に無邪気で、運ばれて口を閉じるその幸せそうな顔も、本当にキラキラしている。
結局、心配していたほどグロッキーになることはなく、最後の一口もこころの口の中に消えていった。ほぼ俺が運んだんだけど。
「ごちそうさま! とーってもおいしかったわね!」
「そうだね」
最後に紅茶を飲み干して、こころは合掌した。めちゃめちゃいい笑顔なのがなんとなくムカっとして、一瞬だけその頬をもみくちゃにしてやりたくなった。やったらきっと吊るされるだろう。それでもいつかはやらねばならない時が来るかもしれない。
少し休んだ後に例のICカードをタッチして支払い、俺は再びこころと手を繋ぐ。なにせ向かうべき方向と反対を向いたものだから次の行動なんてもう読めてしまった。
「こころ、反対」
「……そうだったわね!」
「何か見つけた?」
「映画のポスターよ」
そう言うこころが見たであろう映画のポスターの近くまで歩いていく。そこには感動のノンフィクションという謳い文句の恋愛映画の宣伝がされており、少し、というか結構意外なチョイスだなと思った。
こころならロボが活躍するやつとか、怪獣映画とか好きそうだし、ホラー耐性もそこそこありそうだし。
「映画は全部好きよ! 大きなスクリーンでポップコーン食べながら見るの、なんだかとってもワクワクするもの!」
「なるほど、そっちね」
「恋愛映画はね、はぐみが好きなのよ」
「……はぐみちゃんが」
めちゃくちゃ意外だ。俺がこころに持っていたチョイスしそうな映画のイメージまんまはぐみちゃんにも当てはまるんだけど。いやホラーは苦手そうだなあの子は。
観たいのなら、と言いかけて公開日は四月末の土曜日、生憎予定は埋まっていた。その後すぐにパーティがあって──そこで俺とこころが二度と手を繋ぐことはない。
「残念だけど予定は合わないみたいだな」
「そうね、はぐみと一緒に観に行けたらいいわね!」
「そっか、じゃあ行こうか」
「ええ!」
ターンして俺とこころは「CiRCLE」でのライブのため駅へと向かっていく。ふと思えば後二週間ちょいで俺とこころの契約は任期満了、そこで終わる。
ハロハピへの依頼は多く、忙しいからもう土日はずっと埋まっていて、一日こうしてこころとデートができるのは、今日が最初で最後だ。
「アフグロの演奏はとーってもカッコいいわよ! お腹がビリビリするの!」
「期待してるよ。ペンライトとか買っておいた方がよかったかな」
「そうだったわね、でも多分CiRCLEで売っているわよ!」
「ならそれ買おうか」
電車は空いていて、俺とこころは席の端に座っている間もずっと手を繋ぎ続けていた。席に座る時に離れたけどまたこころが指を通してきて、ずっと離そうとしなかった。
外を見ることなく、夕焼けのキレイな桜とのコントラストになんて一瞥もくれず、こころは自分の左方向を見上げてキラキラの笑顔を放ち続けていたのだった。