BanG Dream! 二つの星と笑顔の魔法!   作:黒マメファナ

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第五話

 一言で表すと、身体が勝手に動き出すような衝撃だった。

 ──デートの終わりに『Afterglow』のライブを聴きに行った俺は、ハロハピとは全く違った音楽にのめり込んだ。痺れるようなサウンド、ボーカルの美竹蘭の透き通った、けど力強い歌声に、ドラムとベースの阿吽の呼吸によるバランス感、そこに独創的なギターと堅実でありながら幅広い対応力のあるキーボード。一見バラバラに思える個性がぶつかり合うことで様々なテンポと曲調を維持できていると感じた。

 

「アフグロってかわいい曲も多いんだな」

「色んな子がいるものね」

「ああ、基本は美竹さんだけどってやつか」

 

 一曲くらい歌詞が絶対コイツだなって思う子はいたな。あの灰色髪の短髪の子、MCもすごいマイペースだったし。でも彼女が衣装デザインを担当していると知ったのは驚きだった。というかこころが思った以上にバンド内情に詳しいんだけど、もしかしてファンだったりするんですか? 

 

「違うわよ?」

「違うのか」

「あたしたちハロハピや蘭たちアフグロ、他に三つのバンドでこのCiRCLEを一年、盛り上げてきたのよ!」

 

 最初に『Poppin' Party(ポッピンパーティー)』というバンドが活動拠点にしていたライブハウスの閉鎖を受けて、新しい拠点を探したのが去年の夏過ぎなんだそうだ。その声かけに集まったバンドの一つが『Afterglow』であり『ハロー、ハッピーワールド!』らしい。それでつぐみとも知り合いだったんだな。

 

「そうよ、CiRCLEがなかったら知り合わなかったかもしれないわね!」

「なんかそう考えると感慨深さもあるな……っと、人混み気をつけろよ」

「ありがとう!」

 

 手を繋いで、満足感でいっぱいになったライブハウスを後にする。ちょっとだけ距離を縮めると半袖のシャツにこころの髪の毛が触れて、それが少し濡れているように感じた。ライブ中はポニテにしていた──正確に言うと黒服さんに直前にしてもらってたけど、それでも結構、汗掻くもんだな。

 

「ベタベタしていたかしら?」

「いや大丈夫、でもめっちゃジャンプした気がする」

「大地はハロハピのライブを見ている時もとーっても楽しそうだものね!」

 

 ステージ上のこころに見られてると思うとちょっと恥ずかしくなってしまうな。けど、それを知っていてくれてるというのは同時に嬉しくなってしまう。

 そして、演者にとって知っている人を探すのがそれほど難しいことではないことも、よくわかった。それほど前の方ではなかったけれど、つぐみにも上原さんにも見られていたからね。これは割と目立つであろうこころが隣にいたから、ということもひとつ理由としてあるかもだけど。

 

「このままの格好で帰るの寒いよな」

「今は平気だけど」

「いや汗冷えたら絶対ヤバいって。風邪引く」

「それは困るわね!」

「こころは風邪とか引いたことなさそうだけどな」

「あら、あるわよ?」

 

 あるなら余計に風邪を引かれちゃ困る、そう思ってちょっと人混みから離れるといつの間にか手に不透明のビニール袋を持っており、その中にはパーカーなどが入っていた。

 ──どうやってやったんだ。あの人たちはもしかして忍者か何かなのかと苦い顔をしているけど、とりあえず多少暑くてもとこころの頭の汗を買った黒地に赤い稲妻のロゴが走っているアフグロのタオルで頭とかを拭く。制汗シートとかもあってこころにそれを手渡す。

 

「大地、背中拭いてほしいわ」

「めくるなよ、ここ人前だからな一応」

 

 人前とかそれ以前の問題として俺の精神衛生によろしくないのはもうこの際優先度が低いと判断して口には出さないようにした。併設されているテラスの席に腰掛けながら後ろを向いたこころのシャツを頑張ってめくらないようにしながら制汗シートで拭いていく。

 いつもライブ一緒に行く時は大抵ハロハピとだから奥沢さんや花音さんがやってくれるらしい。性別の話をしてほしい。俺は男なんですよ実は。

 

「大地はあたしが拭いてあげるわよ!」

「そう言って誰かにやってあげたことはない」

「ないわ!」

 

 正直でよろしい。俺も自分でやるんで結構ですと断ると不満そうにしてきた。お手伝いしたい盛りの子どもみたいな反応はやめてほしい。キミの下着の感触にドギマギした自分がひどい変態に感じるので特に今は。

 何故かそのままパーカーを着せてあげて、手ぐしで髪をちょっと整えて、出かける前より随分とボサボサになった髪の毛を揺らすご機嫌なこころと暗い弦巻家への夜道を歩いていく。

 

「今日はとーっても楽しかったわね!」

「うん」

「またこうしてデートしたいわね!」

「……そうだね」

 

 それは果たされない約束だ。五月を過ぎれば俺とこころの目線が平行になることはない。

 ──今日という一日も、一週間で共有してきたものも、これから過ごしていく時間も、全てが夢だったかのように。

 考え事をしていたことがわかったのか少しだけ握った手に力が込められて、それを握り返すと、こころは繋いだ手に目線を落として、再び俺を見上げてはにかんだ。

 

「こころはさ」

「なあに?」

「いつかは、ってかこの一回を凌いでも結局次があるのは、どうするつもりなの?」

「大丈夫よ」

「何が?」

「それで純潔が守られてないって思われれば、いいのだもの」

 

 純潔、という言葉に頭にすべりこんできた良からぬ妄想を一瞬で外に追い出す。これはこころが笑顔を向けてくれていたからというのも理由の一つにあげられる。一番は真剣な話なんだろうと思ったからだけど。

 政略的な結婚には恋愛的な結婚よりも余計に、誠実さと感情を排しているぶん浮気や不倫がタブーであるがゆえに潔癖が求められるってことでつまりは、婚前交渉をしていると思われたらこころの作戦は成功ってことだ。

 

「大地は一緒に寝てくれているから、誰も疑いようもないでしょう?」

「まさか、それを見越して客間に……すごいなこころは」

 

 思った以上に賢く立ち回ることを考えてあの天真爛漫な行動をしていたのかと感心していると、こころはドヤっと効果音が付きそうな笑顔で、目に星の光を集めていた。

 そして、彼女は高らかにその答えを俺に教えてくれた。

 

「違うわよ!」

「は?」

「大地とおしゃべりしたくて、しゃべっていたら眠くなって、気付いたら大地のベッドで寝ているのよ!」

「俺が運んでるんだよ?」

「ぼんやりと覚えているわ!」

 

 三度あって、その二度目から知ったことだけど起こしても眠すぎて動かないからな。寝るよって言うと手を広げてきて、抱きついてきたのを持ち上げて、ベッドまで運んでもうソファからベッドまでの距離で既にすやすやだからね。

 計算してなかったのかよ、とツッコミを入れた。さっきの感心を返してほしい。だけどこころは嬉しそうに、幸せそうに微笑むだけだった。

 

「今日もおしゃべりしましょうね!」

「自分の部屋で寝てくれ」

「それなら、大地があたしの部屋まで来て?」

「帰り道わかんなくなるって」

「なら今度は大地があたしのベッドで寝ればいいのよ」

 

 謹んでお断りさせていただいて、もう目の前に見えた弦巻家の門をくぐり、そこでようやく手が離れた。移動中はほぼずっと繋いでいたせいか、妙な名残惜しさがあったが、何よりも先に汗を流し、身体を温めることが最優先される。動き回ったせいかジャンボパフェのカロリーがあったにも関わらずお腹が減っているけど、晩ごはんはその後だ。

 

「大地」

「ん?」

「今日はオムライスよ! あたしが今決めたわ!」

「わかった、楽しみにしとく」

「ええ!」

「あ、ソース決められる? デミグラス食べたい」

「いいんじゃないかしら!」

 

 そうかと頷いて、着替えを持って脱衣所、そして服を脱いで汗を流していく。

 この時間は正真正銘一人の時間、独りで色々と考える時間だ。そこで考える内容はもちろんこれまでの一週間とこれからの二週間のことだった。

 ──確実に、そして着実にこころとの距離は縮まっていると実感する。お互いのことを知っていて、そしてたくさんの時間を共有してきたような信頼と安心がある。

 

「けど……いや」

 

 懸念、というほどのことじゃない。この胸にわだかまる感情は、表面に出さなくていい。こころにとって大切なのはあくまで自分が縛られることのない自由な世界だ。自由に飛び回って、自由に笑顔を届けられる世界だ。そして俺はそれに対して善意でも、博愛でもなく契約というカタチで、報酬をもらって手伝っているだけ。

 だから、考えなくいい。五月の後に自分とこころがどうなってるのかなんて。四月以前に戻るだけだ、ステージの上で輝く太陽と、それを見上げるだけの大地(おれ)に。

 

「はいはい」

「ご飯行くわよ!」

「引っ張らなくても、ちゃんと行くって」

 

 髪の毛を乾かすのに時間がかかったのか、こころがご飯を呼びに来るのはそこそこ後の方だった。寝間着姿にかわいらしいミッシェルの顔がついたスリッパを履いており、食堂へと腕を引かれる。

 席に着くとすぐに水と、イタリアンドレッシングのかかったサラダ、コンソメスープに俺はデミグラス、こころはケチャップソースのオムライスが運ばれてくる。

 

「こころはケチャップソースなんだ」

「ええ! どれも好きだけれど、これが一番好きだわ!」

「そっか」

「大地は、デミグラスが好きなの?」

「好き、というか……これが一番舌に残るだけ」

 

 手を合わせてスプーンを手に取りながら、いつものように雑談も交える。

 前に思ったことだけど、やっぱり俺とこころの好き嫌いは似てるようで全然違うところがある。それは言葉にすると簡単な小さな変化だけど、大きな違いではあると感じる。

 共通しているのは嫌いな食べ物が「なし」ということ。俺もこころも今まで口にしてきた中でこれは食べられないというものは存在しなかった。きっと、よっぽどのゲテモノじゃない限り二人とも特定の料理、味を嫌うことはないだろう。

 ──違うのは好きな食べ物だ。こころはきっと好きな食べ物について「全部好き」と答えるだろう。今まで食べてきたものはなんであろうと全部が好きという分類に入る。そこに序列は細かくあるようだけど。

 

「ん〜、とってもおいしいわね!」

「口許、ご飯ついてるよ」

「あら、つい一口を欲張ってしまったわ!」

「そっか」

 

 こころには食事をするという行為に楽しいという気持ちがある。おいしいものを食べるのが楽しくて、嬉しい。そして今は俺と、誰かとしゃべる時間を過ごせるのが楽しいって感じだ。

 だけど俺は、嫌いな食べ物はないが好きな食べ物もない。舌が鈍いのかわからないが、選ぶならより味のはっきりしたものばかりだ。当然そんな状態で、食事をする楽しみなんてあるはずもない。

 

「おかわりはあるかしら?」

「すぐにお持ちいたします」

「お願いね!」

「食べるの早いな」

「お腹が減っていたわ!」

「あれだけパフェ食べてたのに」

 

 ただまぁ、俺もお腹減ってたからいいんだけどさ。苦笑いしながら俺もおかわりしようかと考えていると、こころが急に立ち上がってきた。どうしたんだろうと見守っているけど、その行動に既視感がある。今日の昼過ぎくらいに同じようなことをしてきたよな。

 俺の予想通り、新しいオムライスが来る前にこころは向かいから俺の隣に移動してきた。そしてやることもパフェの時と変わらない。

 ──口を開けて雛鳥の如く口に俺が食べているデミグラスのオムライスが入るのを待ち始める。

 

「は? 俺の食べる気?」

「デミグラスも美味しそうだと思ったの!」

「欲張りだね、俺の分なのに」

「おかわりすればいいのよ!」

「……するけどさ」

 

 説得は失敗に終わり、ため息混じりに自分が食べているより少し小さめに一口をスプーンで切り分けて、目一杯に開いた口に運んでいく。もう食べるだけですごく幸せそうな顔をしていて、でもなんか、キラキラというよりはもっと違う擬音が当て嵌められそうな感覚だった。新しいオムライスが来るまで三回、それを繰り返して、残ったほんの少しを食べて、結局おかわりすることになった。

 

「ん〜! やっぱりどっちもおいしいわ!」

「それはよかった」

「あたしもお返ししてあげるわ! はい、あーんして」

「え……ちょ、それはまた別の恥ずかしさが」

「あたししかいないわよ?」

「そうじゃなくて──ああもう」

 

 それはケチャップというよりトマトソースに近くて、酸味が抑えられていて、代わりにケチャップライスの酸味がちょうどよくて。

 ──感動的、というほど大げさなものじゃなかったけど、それは鈍いはずの俺の舌にはいっそ刺激的なほどにおいしいと感じた。恥ずかしくて本当に味もわからなかったらどうしようと思っていたのに。

 どうやら表情だけでこころにも伝わったようで、微笑みを浮かべて少しだけ顔を近づけてくる。

 

「あたしとおんなじね」

「おんなじって」

「同じものでも食べさせてもらうと溶けちゃいそうなくらい、おいしいから」

「……こころ」

「こんなの、知らなかったわ」

 

 ドキっとさせられる表情だった。少なくとも親鳥と雛鳥のような気持ちでしかなかったさっきまでの行為がバカップルのそれに感じるほどには俺はこころを強く意識させられてしまった。

 でもそれが、こころが求めるものだ。俺とこころは偽物だろうが後二週間だけの関係だろうが、周囲に恋人同士であることが疑いようのないくらいになるんだ。

 

「大地、お願いしてもいい?」

「……なに?」

「きっとね、今日は早く寝てしまうから……寝る時まであたしの傍にいて、おしゃべりしたいわ」

「俺の部屋?」

「あたしの部屋で」

 

 俺は頷くと、こころがふわりと、眠たい時にするような柔らかくて、どこか甘えるような微笑みを浮かべた。

 そんな仕草に実は彼女も、こころも今日という一日を名残惜しく思ってくれているのかと期待する自分がいた。少なくとも言葉とは裏腹に今日がデートできる最初で最後の日だってことはわかってるはず、覚えてるはずだから。

 ──再び合掌して、俺はこころに導かれるまま未だ踏み入ったことのないエリアにやってきていた。無意識に避けていたのかもしれない、そこは客間などはなく、ここで暮らす人のための場所だから。

 

「ここが、こころの部屋」

「ええ! あたしの寝室よ!」

 

 そこには客間にあるものの倍くらい大きなベッドが置かれた部屋だった。寝室、ということなら他の部屋もあるのだろうかと思ったが基本的にはプレイルームと呼ばれる通常の家で言うリビングのような別の部屋で過ごすか専ら外で過ごしているため、これで十分なんだそうだ。

 天体望遠鏡や地球儀、地球を中心に黄道や赤道などが輪になっているアーミラリ天球儀、または渾天儀と呼ばれるものが置いてあり、またすごくアンティークっぽい彫刻がされたガラス扉の棚の中にはまるで冒険家のように名前のわからない古めかしいアイテムなんかが飾られていた。

 

「なんというか、こころの頭の中って感じだな」

「そうかしら?」

「好きで埋め尽くされてる。そういう部屋ってこと」

「ええそうね、ここにはあたしの好きなものしかないわ」

 

 ミッシェルの座布団、ハロハピで出掛けたりライブしているであろう写真たち、そしてロケットの抱きまくらにミッシェルのぬいぐるみ、布団の上にもたくさんのぬいぐるみや抱きまくらが転がっていた。

 こころは、そんな部屋のベッドに寝転がり甘く蕩けるような声で、俺を呼んだ。少女のような無邪気さと女性としての魅惑の境界線の上を歩くこころが一歩だけ、少女から外側に足を踏み込んだような感覚だ。

 

「来て、大地」

「いいのか? 嘘が本当になるかもしれない」

「ふふ、そうね」

「そうねじゃなくて」

 

 いつもお気に入りの抱きまくらにも、ミッシェルのぬいぐるみにも目もくれずこころは俺を見つめてくる。優しい目はプラネタリウムのように、俺に淡い光の粒を向けてくる。

 俺もこころの作法に従うと今までの三度の経験とは全く違って、こころが近づいてくる。いや近づくだけならまだしも横を向いた俺の腕の中に入ってこようとするから、慌てて止める。

 

「それは、さすがにまずいだろ」

「どうして?」

「どうして、って」

「あたしは──それがあたしの身体でも、大地が望むものならあげてもいいと思ってるの」

「こころ……」

 

 まずいだろ、と思いつつ、こころの顔は真剣そのものだった。冗談めかしたところなんてどこにもなくて、まっすぐ星の光が俺を射抜いてくる。

 そこに俺は性欲や邪なものなんて一切考えることなく、ただ困惑と疑問が頭に浮かんだ。今度は俺がどうしてと訊ねる番だった。

 

「どうして?」

「美咲に言われてしまったの」

「奥沢さん?」

「あたしは大地の善意に甘えすぎだって、大地が許してくれるからって、大地がここにいたいと思っていてくれるわけじゃないって」

「……それは」

 

 奥沢さんのそれは、確かに正論だった。正論であり、俺が考えてることそのものズバリだった。

 俺はこの状況を許してはいる。不快だなんて思ってもなくて、こころとの時間の共有をすることには積極的に協力する理由もある。だけど、自分から望んでここにいるわけじゃない。報酬があって、メリットがあって、そして契約があるからこの家にいる。だけど、それはこころも理解していることだと思ったんだけど。

 

「その時ね、その通りだって思うのと同時に、大地がここにいたいって思ってほしいって、考えたの」

「……俺が、自分から?」

「ええ、あたしと同じ気持ちを共有してほしかった」

「こころと同じ、か」

 

 つまりこころは、仕方なくって気持ち以上に俺にいてほしいって思ったことを示していた。まだたった一週間だけど、その一週間で誰よりも顔を合わせて、誰よりも言葉を交わして、誰よりも一緒に時間を過ごした俺に。

 ──またこういうデートがしたい。そう言ったのもそういう気持ちの発露だったのかもしれない。

 

「大地はいてくれるかしら? いたいって思ってくれるかしら?」

「そうだね、こころと過ごす時間は、楽しいことばっかりだった。会話ひとつひとつが、共有したものひとつひとつが、輝いてるみたいだった」

「……なら」

「でも、俺は五月になったらここからいなくなる。こころとも、また元に戻らなきゃいけない」

「いけないことなんて」

 

 いけないことなんて、あるんだよこころ。だってこれは善意である以上に()()だから。

 俺は黒服さんと約束を、しかもただの口約束ではなく書面での約束を、契約を交わしてる。その内容を違えたらダメなんだよ。

 ──契約内容は主に二つで、一つは偽の恋人関係の構築と綻びが出ないようにすること。これは同居でどんどん達成されていっている。そして二つ目は、これはこころには秘匿しなきゃならない内容だから口には出さないけど、こころの傍にいることで、彼女の孤独を紛らわせること。

 どっちも期限は一ヶ月で、契約の延長はなし。なにより問題なのはお金も発生しちゃってるんだよなこれ。

 

「契約……」

「そうだよ、だから俺はパーティ終わったら──」

 

 そこで俺は、こころのリアクションの変化にぎょっとする。

 いつだって彼女は、晴れの太陽だった。多少は曇ることがあっても、こころはいつだって灰色の雲の間から光を差し込ませていた。だけど、今のこころからは完全に太陽の光も、星の輝きもなかった。ただ大粒の雨が、金色の空からシーツという地面に降り注いでいた。

 

「……こころ?」

「大地の本当は……どっち?」

「どっちって」

「あたしは、大地と一緒の時間が、すごくすごく……とっても、本当にとっても楽しかったし、嬉しかったの」

「うん」

「おはようって笑ってくれて、一緒に外を歩いて、ご飯を食べて──そしておしゃべりをして、おやすみって笑ってくれて。それを一週間毎日、毎日」

「ご両親は、忙しいんだもんな」

「ええ、いつもは……独りなの」

 

 両親は基本的に世界中を飛び回っていて、ここに帰ってくることさえ稀なんだとか。それが寂しいか寂しくないか、究極の二択にすれば前者に決まってる。だからこそ黒服さんはそれを知っていて、俺に二番目の役割を与えた。与えた、なんて野暮で義務的な言葉はこの場合は正しくないんだろう。

 ──こころが信頼するに値すると感じた俺がいることでこころには笑顔でいてほしい。黒服さんはそう願ったんだ。

 

「あたしは知ったの……大地がいてくれる温かさ、大地が笑ってくれる温かさ、大地と過ごす時間の温かさを」

「俺は、そんなに出来た人間じゃないよ」

「出来た人間じゃなくたっていいの、あたしは大地がいいの」

 

 いつの間にかまた近づいてきたこころを今度は拒絶せず、腕を背中にまわして今も降り続けている雨を受け止める。後頭部に添えている方の腕は彼女の枕となり同時に、包んでいるという実感をこころに与えているようだった。幾らか鼻を鳴らして、そして小雨になってきたらしいところで、こころは俺の胸に埋もれたままくぐもった声で会話をしてくる。

 

「これじゃあ、何もしなくたって……あたしと大地の関係を疑う人なんていないわね」

「本当にね」

「大地も遠慮しなくたっていいのよ?」

「遠慮しないのを遠慮させてもらう」

「……そう、ふふ」

 

 こころはそのまま泣きつかれたのか、安心したのかわからないけど、俺の腕を枕にして顔を埋めたまま眠ってしまった。本当は道順を覚えてそのまま客間に帰ろうとしていたのに、逃げるに逃げられなくなって。諦めて俺はその体勢のまま寝ることにした。どうせこころの方が早起きなんだから、その時に一緒に起きればいいかと目を閉じた。

 間近にあるこころからは、太陽のような優しい匂いがするな。最後に考えたのはそんなちょっと変態みがあることだった。

 

「──大地、大地」

「ん……?」

「起きて大地」

「お……おう」

 

 そしてきっかり七時間後、月曜日にして俺の大学の初日となる日がやってきた。目を開けると目の前にはすっかり雲のいなくなって晴れ渡った金色の瞳が間近にあって、寝起きの頭で処理しきれなくなる。起き上がるとこころは雨上がりというのに相応しく一層キラキラと笑顔を輝かせて、俺に向かって飛びついてくる。

 

「おはよう大地!」

「……はいはい、おはようこころ」

「さて、今日も歩きに行くわよ! 大地も学校なんでしょう?」

「そうだね。着替えに行ってくるよ」

「ええ! 道は、もう覚えたかしら?」

「ばっちり」

 

 俺はそのまま客間へと戻り、ジャージに着替えていく。毎日の日課であり、今ではすっかり続ける理由にこころと一緒に歩くことが入っている。他愛のない話をしながら俺は歩いて、こころは小走りでついてきて、シャワーで汗を流してすっきりと目覚めてから朝ごはんを食べる。

 

「一緒に学校まで行くわよ」

「途中までね」

「それでも一緒だわ!」

「はいはい」

 

 俺はこころの時間に合わせたら到着時間が割と早くなるんだけど、まぁいいや。それが習慣付けばそれでいい。そうなればきっと講義に遅刻することなんてなくなるだろうし。

 ──買ったばかりの服に袖を通し、ちょっとだけ長めに髪の毛や服装を鏡で確認し、玄関に向かう。すると、玄関の前では制服姿のこころが待ち構えていた。

 

「さぁ──行くわよ! あんまりのんびりしていたら遅刻になってしまうわ!」

「俺は余裕あるんだけどな」

「五月までの我慢よ!」

「それこころが言うんだ?」

「ええ!」

 

 半ば強引に手を引かれて、俺が折れて三十分くらい早い大学までの道を、そしてこころにとっては高校への道を歩いていると、途中ではぐみちゃんが手を振っていた。元気のいい姿にこころの元気と笑顔もますます輝きを増していく。そして、二人の道中は三人となり、自然と会話も増えていくことになる。

 

「ジョーさんこころん、おはよっ」

「おはようはぐみ!」

「おはよう」

「ジョーさんは今日から学校なんだね!」

「そう、まぁこのままだと余裕できるんだけどさ」

「大学って高校より始まる時間遅いんだ!」

「どうしてなのかしらね?」

「HRとかないからかな?」

 

 花咲川は八時二十分が遅刻ラインらしい。俺の大学は一限が九時からだから四十分開きがある。更にこころやはぐみちゃんが時間ギリギリなわけがなく、このまま行くとこころとはぐみちゃんは八時少しには花咲川に着くらしい。俺は八時半にはとっくに購買も買い終わってその辺で暇つぶししてなきゃいけないんだけどね。

 

「それじゃあ大地、終わったら連絡してちょうだい!」

「何、迎えに来てくれるの?」

「いいわねそれ! 決まりね!」

「冗談だったんだけど」

「はぐみも一緒だよ!」

「ハロハピの練習あるよね?」

 

 二人は同時に頷いて、それじゃあと手を振って別れた。ため息を吐いて独りの道を歩くけど、俺の胸には灯火のようにやる気というか頑張ろうという活力が湧いているような感じだった。

 新しい環境への一歩を踏み出す勇気をくれたのはこころだ。というか今の大学へ行く決意を固めたのもこころたちハロハピだしな。

 

「──で、なんでこんなところにいるの花音さんは?」

「ふえぇ、ま、迷子になっちゃって……」

「……三年生だったよね?」

「はい、三年生ですけど……?」

「なんでそこでキョトンとできるのか知りたいんですけど」

 

 無事、こころが黒服さんの車で迎えに来てくれて、花音さんを回収していくことに成功した。曰くもうすっかり散っているけどまだ風に揺れてピンク色を空に浮かべる桜の木を眺めて花見をしながら歩いていたそうだ。方向音痴なのにそれをするから迷子になるだろうなぁと思い、先週に一度だけ完全迷子になってこころの家の周囲をうろついていた花音さんを送っていった記憶を思い出した。

 あの時も確か花見してたとか言ってたような。まぁ深くは考えないでおこう。

 

「よし、切り替えて──まずは環境に慣れることと、友達作りからだな。ハロハピ好きがいるといいけど」

 

 思考をまた切り替えて自分の大学生活に焦点を合わせる。サークルなんかにも入ってみようか、同じ講義を受けてる人にも話しかけてみよう。そんなことを考えることができたのも、ハロハピの、そして今こころが傍にいてくれるおかげなんだろう。いつの間にか、少しずつだけど弦巻こころという太陽のような笑顔と生き方に、影響されている自分がいることが、嬉しいと思う自分がいた。

 

 

 

 

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