ある家に、一人の病魔に侵された青年と、その妹がいた。彼が飼うのは一匹の東風という名の猫。
この猫はいつも青年の枕元に買ってきた小動物を置く。
それに対し、青年は「ありがとう」と喜び、その妹はやめてほしいように思う。
東風は今日も小動物を狩る。飼い主二人の心など関係なしに。
そんな東風は、何を考えているのだろうか……
これは、東風という猫と、猫を飼う兄妹の物語です
俺の家に住まう猫は狩りが上手い。
毎日一匹は、小鳥や鼠、昆虫を狩って俺の枕元に置いてくれる。
家族はやめてほしそうな顔をしているけど、こいつは知らん顔だ。
今日もこいつは鼠を狩って俺の枕元に置く。
今日は久々に俺が起きているときに鼠を狩ってきたので、俺はこいつの頭を撫でた。
「俺に食えというのかい? ありがとう。でも、俺は食べられないんだ」
そう言っても、恐らくこいつは人間の言葉なんてわからない。俺にこいつの言葉が分らないように。
だが、礼は言わないといけない。多分、こいつは俺のために狩りをしているのだから。
昔、本で読んだことがある。猫にとって、飼い主は狩りの下手な相棒なのだと。
だからこいつは狩りの下手な俺のために、狩りをしているのかもしれない。
俺の一方的な視点からの話だが、なんともいじらしくて愛らしい話ではないか。
昔は俺の方が餌をやる側だったというのに。今ではこいつが俺の食事の世話をしている。
しかし、俺はこいつの狩ってくる食事は食べられない。
もっとも、仮にこいつが牛やら豚やら狩ってきて調理できたとしても食べられないだろう。何せ、俺の食事は注射の管から流れてくる液体なのだから。
久しく野菜や穀物はおろか肉など食べていない。久しぶりにあの肉特有の歯ごたえや、ジューシーな肉汁の味を楽しみたいものだ。無理なのは理解しているのだが。
俺がこいつの頭を撫で、喉を撫で、背を撫でれば満足したのかこいつは去って行く。
そして、妹が入れ替わりに入ってきて困った顔をする。
「もう、東風ったら。どうやって入ってくるのかしら」
「はは、猫は存外賢いからな。扉くらい開けられる様だ」
「って、また鼠が置いてあるし……兄さん、扉に鍵をかけましょうよ。東風が近づくのもあまり兄さんの体によくないし」
「いや、東風にとって俺は親と思われているかもしれないからね。弱った親の世話をしたいのは猫も同じだよ」
「はぁ……まったく。東風に甘いんだから」
妹が鼠の死骸を処理するのを眺めながら、俺は目を閉じる。少し腕を動かしたら疲れたようだ。寝るとしよう。
◇
私にとって、飼い猫は兄との絆だ。
10歳くらいの時だったろうか、東風と呼んでいるこの猫に出会ったのは。弱弱しくミャ―ミャー鳴いているのを見つけて、親に飼いたいと言った。
可哀そうな子猫を飼いたいという幼い正義感からの行動も、親としては子供の我儘だ。中々了承してくれなかった。
そこで口出ししてくれたのが私の兄だ。
私の父と母は二人とも離婚を経験していて、私は父方、兄は母方の連れ子だった。なので、その時まではあまり兄妹仲が良くなかったというか、交流の仕方が分からなかった。
だが、この弱弱しい子猫が私と兄の仲を取り持ってくれる、かけ橋となったのだ。
私と兄の必死の我儘は、親に「絶対に途中で捨てないこと」を条件に飼う事を了承させた。
その日、名もない子猫に私が東風と名付けて兄は餌を与えた。
あれから7年経った。東風は立派に成長し、私は高校生。そして兄はベッドの住人になった。
兄に癌が見つかり、寝たきりになった頃から東風が狩りをし始めた。
私や家族は、衛生上辞めてほしいと思うのだが、こいつは知らん顔。
兄の言葉を借りれば、兄にご飯を用意しているらしいのだが……有難迷惑とはこの事だろうか。
兄はあんな弱弱しい子猫だった東風が、俺に餌を用意するまでに成長したと喜んでいたが、私としては、兄の体調を考え近づかないでほしいと思う。
まあ、猫に私の願いなんてわからないのだが。私に東風の想いが分からないように。
今日も東風は兄の部屋に忍び込み、ネズミの死骸を置いていた。
呆れつつも何といえばいいのか分からず、居間で東風を抱き、テレビを見る。
東風、お前は何を考えているの? そう思っても東風は知らん顔。
そして、穏やかな時間を切り裂く音が鳴る。
心電図の機械から異常音が鳴る。
慌て部屋に駆けこめば、兄が穏やかな顔をして、息を引き取っていた。
◇
20XX年某月某日のこと。とある家で、若くして一人の青年の命の灯火が消えた。
家族は悲しみに包まれ喪に服した。彼の遺骨は埋葬され、時間のみが遺族の心の喪失感を癒すだろう。
葬儀が終わった後のこと。東風と呼ばれる猫は誰もいなくなったベッド脇にネズミの死骸を置く。それを見て、ふと悲しくなった高校生の長女が猫を撫でる。
「あなたのお父さんは、遠い場所に行ったんだよ。だから、もう狩りをしなくていいんだよ」
その数日後、気が付けば東風と呼ばれている猫は居なくなっていた。
それからさらに一月ほど経過した。兄と猫の喪失感も少し癒えてきた頃、長女は墓まいりに向かう。
するとどうだろう。墓地では東風が墓を守る様に墓石の上で寝ていた。
長女はそれを見て思った。東風は兄を守っているのだと。
それは人間の勝手な妄想かもしれないが。少なくとも東風は墓石の上で眠っている。きっと起きたら鼠でも狩って、兄に供えるかもしれない。
そう思った妹は、兄を喪失した後に枯らしたと思っていた涙を再び流した。
そして猫は、素知らぬ顔で眠る。
実に穏やかな寝顔で、眠る……
。