第一話「緑の天使」
よく晴れた春の日だった。
ふたりはいつも通りの散歩をしていた。もう、彼は通っていない散歩道。
脳内にこびりつくあの光景。彼女の胴体を貫くその、炎。
「っはぁ!、あ……」
「……湖冬」
彼女の名を呼ぶ。いまだにベッドの半分だけを使って寝る癖が治らない彼は、隣に誰もいない事実を突きつけられるばかり。
もう、湖冬はいない。
「……」
寝癖を治し、彼は作業机に向かう。まあ、といってもリビングだ。締切に追い込まれるまでの間は2人揃ってここで作業していた。
揃えたつもりなんかなかったのに、たまたまお互いデザイナーを志し、業界は違えど夢を叶えた。
「おはよう、湖冬」
と言っても、菜摘の夢はむしろ幼なじみである
殺風景な部屋の中で、男女がホワイトボードを前に真剣な目線を向けていた。
「通報があったそうだな」
「フツー警察にね。まあ、明らかにシェイドの仕業ね」
「首吊り自殺の多発ではない、のだな。動機や状況などから他殺が上がるのは分かるが……」
「これ、現場で採取された素材よ」
「何か不思議なことが?」
「形而上立体を持った多次元構造体の部分湧出に見られる特徴だわ」
「つまりシェイドの仕業と?」
「あんたやっぱ難しい話はダメね」
「シェイドに関わるとすぐ哲学的になるからな」
少し張り詰めた様子の、堅苦しい彼は
「仕方ないわ。シェイドって言い方してるけど要は……悪魔、魔物、悪霊。古今東西のそれ、だもの」
「現在開発中の装備も、銀の素材が使われていると言っていたが」
「らしいわねえ。十字架を入れるかどうかって話もしてたけど」
「浅井さんは?」
「猛反対してたわ」
「そうか……」
「ま、入れてもいいとは思うけどね。現状あいつらに一番有効なのってほら」
「……まあ天使、だな」
眉唾に聴こえちゃうわよねえ、なんて言いながら春子は背を伸ばし。コーヒーを流し込み、またPCへと向かった。
「俺が今できることはあるか?」
「鋭気を養ってなさい」
「なら、いいのだが」
「で、……件の天使くんはどう?」
「もう連絡はしている。強制はできないが……雨野君のことであれば必要はないだろう」
「優しさに付け込む、って感じ?」
「否定はできない」
俯きながら、明路はため息をついた。
「ああ、そうだ……雨野君のために聞くが……」
「まだ分かんないわよ」
「……そうか」
「『吊られた男』っぽいけど、正直そんな単純でもないと思うし。『節制』も別にそれっぽくないでしょ?」
「ではやはり……『魔術師』かどうかは」
「そうねえ、まだ……地島の仇はまだ。焦っちゃダメよ」
「彼に伝えておいてくれ」
「当然よ」
「浮かない顔ですね」
「当然ですよ」
雨野菜摘は天使である。
生まれは東京都江戸川区松島だし、両親も父が工業デザイナーで母が一般企業に勤めていた。祖父母の家系は東北の武士でそれ以上の事はない。それ以前の記憶とかもない。
「天使様は……僕にどんな顔をして欲しいのですか」
「たとえば勇み、覚悟の顔。あなたの顔は悲哀のみを浮かべます」
天使様と呼ばれたその女性は仰々しく翼を広げ輪を光らせている。
疾走する菜摘の二輪のそばをなんの違和感すらない態度で、"天使様"は飛んでいた。周りの人間には見えていないのか、見えているけど気にされてないのか。路上にいるだれ一人として驚きひとつ見せてはいなかった。
「冗談を言う顔じゃなさそうですね」
「ええ」
「……」
「彼女のような被害者を生み出さないようにするのです」
「そう、ですね……」
菜摘は浮かない顔のままだった。
そんな、時だった。彼がここ最近使う道は、やたら坂が多く、バイクを走らせづらい。ともあれタイヤでは不愉快な道であることは確かで、ベビーカーも同様。
彼の目の前で、母親の手もとをベビーカーが離れていった。
「あ、ああああ!!!」
「……!!」
こう言う時に体が真っ先に飛び出るのが雨野菜摘である。
……間一髪。中にいる子の無事を見て。彼はベビーカーをそっと母親のもとへ。
「っは、ああ……大丈夫ですか?」
「あ、ありがとうございます……」
「この道上下が激しいので……。……迂回になっちゃうんですけど、あっちの遊歩道の方がいいですよ」
「本当になんとお礼を言えば……!」
「いえ」
菜摘がそそくさと去るその先で、やはり天使は何を考えているかよく分からない顔で立っていた。
彼女が指さすのは、菜摘のバイク。
「放り出した二輪車、無事ですよ。側面の塗装が一部剥げただけです」
「わかるんですね」
「どれだけ複雑でも人間界の『物質』に過ぎません」
「そうですか」
「あちらの遊歩道、車道も隣接しています」
「そうですね」
「使われないのですか?」
「嫌です」
「やはりアキエルの、」
「ねえ。」
菜摘の声色が、急変する。少し鬱陶しそうだったぐらいの声色ではなく、怒りと、哀しみをぎゅっと押さえつけた声。
「…………天使としてのあれこれに支障出したくないんです、あなたを嫌いにさせないで」
「私情を挟むのです?」
「……僕は、1から10まで私情ですよ」
「ご立派です」
天使様は顔色を変えず、皮肉かどうかもわからない様子で菜摘を見ていた。
うつむいたままバイクを押す、菜摘を。
時を同じく、レイフの明路と春子。
「首吊り死体の順番に法則性は」
「なさそうね。愉快犯の可能性が高いわ」
「アルカナで現在確認したのはたしか……」
「『教皇』『月』『太陽』『節制』ね。他は見つかってないわ」
「能力が知れているのは?」
「ほとんどいない。シェイドはたいてい身体能力が優れてるから首を吊らせるなんて容易よ。なんのアルカナキーも使ってない、シンプルな強化でもできるってこと」
ホワイトボードに写真とタロットカードを貼り付け、ど真ん中には事件発生を辿る地図が一つ。
春子と明路はペンを片手に頭を抱えていた。
「発生の頻度も一定ではないな」
「でも犯人の家や隠れ家が周辺にある可能性は高いわよ。地域自体は狭いのよね。彼に張ってもらう?」
「いつ出るかも分からない。彼の……雨野君の時間をあまり浪費させたくはない。俺が張っていよう。彼は呼んだが、来てもここでくつろがせておくんだ」
「雨野にもお金は出るんだけどね」
「まあ、正式なメンバーになるつもりはないのだろう。……この仕事で稼ぎたいわけではないということだ」
「つまり?」
「繰り返しになるが……優しさに付け込んでいると言える」
違いないわねえ。いまいち感情の読めないため息に対し、明路は無力を嘆く俯き。それでも装備品を用意し、彼は部下を連れ基地を後にした。
発生地域たちの中心部、そこは墨田区の工場地帯であり、廃工場や貸し物件になっているものも少なくない。当然、潜むにはいい場所だ。
犯人はおそらく愉快犯の類で、人目につく場所に首吊り死体を用意している。つまり「この周辺から都市部に向かう人間」が怪しい。
「いくらでも居るな」
思わず口からこぼれるが思惑は部下たちも同じらしい。頷きつつも私服で動くそれは一般人に扮した姿である。
『駅の方面に向かう者達をつけますか?』
「というよりその人混みに紛れ込んでおくんだ。同じ場所での犯行はされない可能性がある。乗る路線はしっかり見ておけ」
指令なども自然に見えるように携帯電話を使う。言いながら彼も「発生しうる場所」へ向かう。同時行動の2人の部下を連れ、電車へ。
怪しい人物なんかも気にし始めればいくらでもおり、それをいちいち追跡してはいられない。
少し電車に乗れば都心に出られる地域である。ひとまず潜伏の可能性がある地域は部下に任せ、明路らは近くの都会に。
あたりを調べ数時間が経過。やはり後手にならざるを得ないかと頭を抱えつつ、路地裏へ進む。その瞬間、
「っが!?」
「隊長!?」
明路の視界が一気に上へ持ち上がり、息ができない。気づいた、ああ、「今俺は首を吊っているのだ」と。
「っぐあ、あっが!!」
部下達はが糸へ銃撃を放つが、弾き飛ばされるのみ。跳弾も危険だ。咄嗟に明路が苦しみながらも拳銃を構える先はダクト。糸のかかる先だ。
「っぐあ!!」
地面に叩きつけられるが窒息死よりは幾分かマシである。崩れて落ちるダクトをかわしながら、彼は連絡を始めた。
「お久しぶりっスね、黒田さん」
二山ヨシオは大学生である。平々凡々な生き様にそこそこ満足していた。両親に心中に巻き込まれそうになっても、である。親戚は皆優しかった。
「お咎めっスか?」
「いいや?」
「用は何ですか」
「ただの様子見さ」
同じ年頃の青年、『黒田さん』に適当に返しつつ、彼は手元のプレートをいじる。
不思議な力を得はじめてから、気づいた『力の源』だ。昔から持っていたがいつかは覚えていない、不思議な板。
「調子は?」
「なんのですか」
「君もだが……抽出機も気になるな」
左腕の時計を叩くと、質量保存を無視した変形で展開。小さな扉のようなものにパイプが突き刺さった無機質な腕輪が現れる。
「ああ、最高ですよ。これがあれば俺は……あの日のことが分かるかも知れない……」
「君は……覚醒が不完全だね」
「別にいいんスよ、覚醒とかは。首を吊る人間の心理、吊られたら人間はどんな顔をするか。それを見せつけられた人間は何を思うのか。……黒田さんは分からないんスか?」
「確かに吊り上げに縁は深いがね」
黒田の手にもプレートがある。描かれるのは『吊られた男』の文字、ステンドグラスのような、絵柄だ。
「っは、そりゃそっすね」
彼は今度こそわかる気がしていた。毎回あった感覚なのに懲りもしないその感情。だが、今は失敗と失望だけが手元にあった。
吊るしたはずの男が機転を効かせ逃げ出した。そしてあたりを捜索し始める。来ている、足音が来ている。近くの屋上、逃げ場、逃げ場!!
焦りのあまり走馬灯のように黒田との会話がちらつく。
「ちゅ、抽出機!!」
「止まりなさい」
見つかった!
「君が手に持っているのは……アルカナキーだな?それを置け。余罪を増やすな!」
「は、ハハハ!!誰が置くかよ!!」
『ペイドヴァラ』
プレートこと、アルカナキーのスイッチを押し、左腕の『抽出機』へ、差し込む。
『ハイエロファント』
「『教皇』かっ!」
0~9のボタンが並ぶその腕輪から四桁の数字を入力。抽出器は無機質に『融合解放』と言い放ち、パイプに青と白が通い始める。
「う、ぐあああ、はっはは!アハハハハ!!」
まるで『何かがあふれ出す』ように、肉体を突き破り、混ざりあい。ばりばりとその身体が変質していく。
「以前よりどこか、強そうに」
「違う装備を利用しているのだ、以前とは違うと思い警戒しろ!」
銃撃が始まる。案外痛いものだと肉体で受け止めながら彼は思案し、それでも彼、『シェイドハイエロファント』は突き進む。
明路は目の前に迫る青いバケモノを、二人の人間が抱き着いたような外見のバケモノを、いやむしろしばりつけているように見えるバケモノを、言ってみれば『教皇』の絵柄のようなバケモノを前に怯みを隠せずにいた。
「ねえ、殺さないであげるから邪魔しないでよ」
「何が邪魔か分かりかねるな」
虚勢なんかも張りつつ、後退。それでも明路は敵を見据え拳銃を構える。
「ああめんどくさ、殺しちゃうか?」
シェイドが杖を構え一気に迫る中、明路は天井へ射撃。部下たちも一気に同じ箇所を狙い、鉄骨の落下を狙う。さすがにそれには足を取られるようで、脱出のためにもぞもぞ。それから目をそらさずも素早く明路らは一気に撤退した。
「なんだよ、結局邪魔しないん……じゃんッ」
糸を放ちしばりつけた鉄骨を吊り上げ脱出。首を鳴らしながら、糸を使い蜘蛛のように天井へ這い出る。
「どこかでみたりしてるのかなァ、レイフの人たち」
めんどくさそうにしつつもあたりを探るべく、屋根を滑り降り。その時、バイクのエンジン音が迫っていた。一般人でもまあ、殺しの証拠は隠せる。彼は先手必勝とばかりに糸を放った。
だがそれを、光が阻む。
「レギエル。解放を」
天使様である。二輪から降り、ヘルメットを脱ぎ、菜摘は天使様の前へ。首をかしげるシェイドを前に、腰へと手を当てる。
すっと手を退ければ『すでにそこにあった』かのように、現れる。
『受胎告知』
「……」
「おいおい……マジかよ」
ばさりと、純白の翼がその背中から広がる。扉を埋め込んだバックル、とでも言おうか。その『第二体解放装置』に手をかけながら、菜摘はシェイドへ距離を詰める。
「……」
「失せろ……!!」
『解放』
シェイドの放つ糸が迫る中、バックルの側面のサムターンを捻る。バックルの扉が開くその瞬間、それを阻むように糸が首に絡まり、菜摘を引っ張り上げる。
「グダグダやってっからだよ!!」
そして木の上に完成する、雨野菜摘の首吊り死体。しかし、疑問が残る。なぜそばに立つ天使は微動だにせず見守るのか?なぜ菜摘は抵抗ひとつしないのか。……なぜ、さっきまで菜摘がいた場所に人影があるのだろうか?
『降臨……置換……変化……聖なる、開幕』
「……魔術師じゃあ、なさそうだね」
「っは、てめェ……!!」
木に吊り上げられた菜摘の体は消滅し、人影改め緑の体の天使は白い翼をしまい、シェイドに迫った。
「っぐあ!!」
放たれる拳、聖なる閃光。天使、レギエルがそこに居た。
レギエルが降臨する時、菜摘の体から分離してそれは現れる。怒りと哀しみをたたえるその手。それは他でもなく菜摘の震え。
吹っ飛ばされるシェイドにさらに迫り、123と連続で拳を叩き込む。振り降ろされる杖を軽く退け、さらに肩をぶつけ殴りつける。
「天使かてめえ、っくそ、アキエルの奴が」
「知ってるのかい?」
平穏な口調のまま首根っこを掴み壁に叩きつける。枯れた息しか出ないことを察し手を離しつつ踏みつける。せき込みながらシェイドは口を開く。
「聞いたことあるだけだよォ!!アキエルっつー天使に倒された連中がどうのこうのって」
「そうかい、ありがとう」
さらに殴りつけようとしたところで糸を木に向かって射出。シェイドはぐっと起き上がりながらレギエルを押しのけ、その勢いままに蹴り込む。
「っと……」
受け身を取りつつレギエル、再接近。放つ拳を糸に捕らえられた。
「ブチ折ってやる!俺の邪魔はさせない!」
「……妹、両親、恋人、兄、親友、恋人、両親」
「あ?」
「君が殺した者に残された人たちだ」
めこんっ、片手で放たれた拳が、そんな音すら聞こえるほどシェイドの顔面をへこませる。
「ぐあ、あっが、ああぅ……」
「どんな意図があるかはどうでもいい。君は自分の目的のために人間を殺した。それだけだ」
「っは、ぁぐ」
「湖冬は……僕の婚約者は!お前のようなクズに殺された!」
『第二体抑制解放』
バックルの扉の下。『変身』と同時に解放されたそのステンドグラスの上に手をかざす。
同時に、レギエルの腕のカラフルなガラスが、全て砕け散る。あふれ出る光が拳に収束しシェイドの糸をすべて断ち切り。
「ひ、う、来るなあああ!!!」
逃げ出すその背中へ、激しくも静かに、沈み込む。
「完璧です」
天使が見守る中、シェイドからずるりと人間が、二山ヨシオが飛び出る。もはや抜け殻となったシェイドの体が、閃光を放ちながら消滅した。
「……あとは法で裁かれることだね」
転がり落ちる教皇のプレート……『ハイエロファント・アルカナキー』を拾い上げ、彼は踵を返す。明路らがヨシオを包囲したのを確認したためだ。
「雨野君……感謝する」
「こちらこそ、ご協力感謝します」
お互いお辞儀をしながら、改めてそれぞれの場所へ。菜摘は二輪にまたがり、そこをあとにした。
第一話『緑の天使』
「なんで?効率悪いと思うけどなあ」
坂道をバイクで走りながら、湖冬の声が脳に響く。メガネをくっと上げながら笑って言う、ちょっと理屈っぽくて合理的なあの子。
「……君を思い出していちいち足を止めるのは、非効率じゃないか」
溢れてくる涙を抑えてそんなこと言うぐらいしかできないし、当然、返答なんてこない。
そんな彼の横を一気に車が駆け抜けていく。明らかにスピード違反だ。どこか目が覚めるような感覚を覚えながら、なんとなくその車を目で追っていた。
彼女の運転は合理主義ゆえ、むしろ安全運転だったな。
毎週掃除してるけど、もう三年は乗ってない自動車に思いを馳せ。彼はまた二輪を走らせた。
次回、「暴走と赤」