夜の新宿のぎらついた空気。あんなに人がいるのに、なぜ自分は一人なのだろう?あんなにいる人たちもみな孤独なんだろうか。
空を眺める彼女に、黒田を名乗る女はただ微笑む。
「テンパランス……か」
逆位置でやっと自分に合うような気がする、でもどこか『自分』を感じるアルカナ。彼女はすぐに抽出機の購入を決めた。
彼も一人だから、きっと一人の自分を受け入れてくれる。期待だけがただ胸を占めた。
第四話「愛の節制、恋の桜色」
疲弊。
レイフの本部に漂う空気そのものであった。ここのところ隔週という勢いで敵が現れている。春子は常々アルカナキーの解析に追われており、明路は捜査のためにかなりせわしなく動き回っている。その事実がその気がなくても留一を急かす。
「……おはようございます」
時折やってくる菜摘も眠れなさそうな顔をしていることが基本である。ここ三年は常々そうなのだが、最近は特にひどい。この中で一番すり減っている。
「鋼誠が言ってた……黒田……って人の情報は?」
「ないな」
「そうですか……」
春子はほぼ一人で担当しているため休み方なども自由で、いきなり「タバコ吸ってくるわね」が飛び出る。しかし菜摘はというと、一番かすれているくせに誰よりも「休もう」と言わない。『魔術師』のことで常々焦っているためだ。
「ねえちょっとさすがに空気悪いよこれ」
「え?」
最終的に根をあげたのは留一だった。席を立ちながら一言。意図もなく席を立ったためすこし微妙な空気になりつつ、コーヒーを飲み再着席。
「ちょっとさすがに空気悪いよこれ」
「いや聞こえなかったわけじゃなくて」
「みんなどよ~んとしててさ!」
「休む暇など俺にはないだろう」
「出た!雑にストイックな雑根性論!」
「根性論ではない。皆がそれぞれの戦いをしているというのに俺はと……俺はただ」
「君割と頭いいわりに自分の事になると理由つけて追い詰めるよね。それでやってきたのは分かるけどぶっ壊れちゃうぞ~~~?」
明路を突っついてからかったかと思えば、留一はぐるぐる回転。タイヤがついた椅子をこれほど楽しむ大人もそう居ない。
「私もぶっちゃけ死ぬほど疲れたし疲れてる君たちみてると疲労が加速すんだよね」
「あたしは?」
「タバコおいしかった?」
「惰性で吸ってるわ」
帰ってきた春子の方はいつも通りだ。疲れているがそれを気にしてもいなさそうだし、留一も「彼女はともかく」と付け加える。
「休んだ方がいい人ランキング~~!」
「休んだ方がいい人に対し叫ぶってどうなのよ」
「一位は菜摘で二位は明路。有給取らないと怒られない?」
「レイフは警察機関の制度に合わせている。翌年に繰り越せるから無問題だ」
「僕はあくまで協力者であって自営業ですし……」
「違う。言外の「休みなよ」を察しなさい!!」
「日本の察せ文化あたし嫌いなのよね」
「そういえば湖冬も……。湖冬……」
「……っ、俺たちが頑張らねば」
「待って君たちどのボタン押しても頑張る始めるじゃん。休めっつってんだけど」
いい加減辟易だとコーヒーを飲み干し、留一はいいから休めと追い立てる。もっともらしく「タオシステムの使用には体力が要る」「戦いには精神的疲弊が影響する」と並べて初めて、磯羅明路と雨野菜摘は重い腰を上げた。
「と、いうわけで」
「はい」
「2日の休みをとり昨日は休息にのみ回した。雨野君もそうだな?」
「自営業ですけどね」
「ではやはり確定申告は自分で?」
「してますしてます」
「尊敬するがまあそれはいい。置いておこう。2日目の今日をどう過ごすかが俺たちの勝負となる」
「はい!」
「遊ぶぞ!」
「はい!」
新宿のファストフード店にて、ハンバーガー片手に意気込む24歳と26歳。まずどこに行こうかとなり、菜摘が提案したのはゲームセンターであった。
「俺はあまりゲームをしないものでな」
「この前買ったやつやりました?」
「俺は……この歳で知った……。マリオは思ってるより難しい……」
「僕と同じ感想だ!!」
「もっと子供向けなものかと」
「クリアはともかくなんか集めたりとかはさらに難しいんですよね」
エレベーターが2人を連れ去る先、それこそ巨大なゲームセンター。目の前にはタイムリーにマリオカートがあった。
「一戦どうです?」
「いいが俺はレースゲームは初体験だぞ」
「車は運転できます?」
「それはできるが」
「バナナ置いたり甲羅投げるだけであって車ですから!」
「ではバナナを投げてみるか……」
結果を言うなら菜摘の圧勝だった。複数人プレイでのゲームも慣れたものである。バナナに転がされたのは明路であった。
「じゃあ太鼓の達人はどうです?」
「難易度に簡単はあるんだろうな」
「たぶん!それに協力ですから」
「いいだろう」
とりあえず無難なのはクラシックである。かんたんの明路とふつうの菜摘だが、それでもちょくちょく落としている。
「楽器とかされるんですか?」
「いいや。実家にウクレレはあったが。母がハワイ好きでな」
「弾いたことはない感じですが」
「ああ。一度触っただけで弦が全て切れたのがトラウマでな。君は?」
「トライアングルだけです」
「小学校の出し物か?」
「ご明察ですね」
ふふっと笑う声。そういえば明路さんは優しい割に無表情か苦しいか怒りかしか見たことがないなと、菜摘は考えた。
休息も時には必要だななどと思いつつ、次の遊びの舞台へ。ボウリングである。
「普段ボウリングはします?」
「たまにだな。君は?」
「もう300回ぐらいやってますが……湖冬に負けたことないです」
菜摘、ストライク。
「300……」
「昔そういう映画ありませんでした?」
「
「それです。なんの映画でしたっけ」
「スパルタのレオニダス王がペルシャの歩兵170万人に対し歩兵300人で挑んだ。このテルモピュライの戦いを描いた作品だ」
明路、ガター。
「相当な重責だったでしょうね」
「俺たちにも想像が及ばない世界だ。だがレオニダスは弱音を吐かず、皆を鼓舞し表に立った」
「自分も、そうありたい、と?」
「ご明察だ」
明路、5ピン倒し。
「レオニダスは……泣いたのですかね」
「分からない。だが彼には愛する者も息子たちも居たはずだ」
「……でしょうね」
「失ったからには……戦士であろうと泣いていい。戦士は戦士であるが戦士というだけの人間にすぎない」
菜摘、1ピン残し。
「明路さんは……どうありたいですか」
「さあな……だが言えるのは。俺は人間だ。レオニダスと同じ」
「……でも、僕は天使です」
「ああ、天使というだけの、人間だ」
菜摘の手が止まり、彼は明路の方を振り返った。
「前に天使様に言われたんです」
「君に力を与えたという天使か」
「ええ。その……僕は悲しみでばかり動いていると。その時は湖冬の……アキエルとしての話を出されて噛みついちゃったんですけど」
「悲しみで戦うのに問題でもあるのか?」
「明路さんは正義の人って感じで……すごいです。天使様は無神経で無愛想で無感情だけど……より多くの人命を救うためにしっかりしたことを言うんです。ですから」
「やらない善よりやる偽善だ。君がどういった動機であれ、それを縛ることにばかり気を回すなら……最初から割り切った方がいいだろう」
「それができれば……」
「俺もそれは同意だな」
明路は強く強く拳を握った。菜摘に無理をさせている。彼は愛に生きるべきだ、戦いになんて巻き込まれるべきじゃなかったと、無力感がただふくれていく。
それを言い訳にできないほどに、最終的な菜摘と明路のスコアには差があった。
「次はどこ行きます?ああ言われたからにはやっぱ、全力で羽伸ばすべきですよね」
「俺の買い物についてきてくれるか?」
「明路さんの……趣味のですか?」
「俺は料理好きでな」
意外!驚く菜摘を連れ彼は商業施設地下のショッピングエリアに。輸入品を仕入れているのが特徴で、スパイスを眺める彼を見る限り料理好きは本気なようだ。
「初めて知りました……本格的なお料理されるんですね」
「いや、大したことではない。カレーなら自分で作るという人も多いだろう。君は料理はするのか?」
「必要に迫られて、という感じです。最近は……インスタントばかりですけど」
「……俺は今説教の準備をしてたんだ。食事にこだわることは健全な精神を作り上げる上で重要だと。そこで試しに最近の夕飯の内容を思い出したんだが」
「どうでした?」
「80%がカップ麺だ」
「……。今度、一緒に料理会しますか?」
「悪くない。浅井さんや春子も呼ぶか?」
「いいですね。あんなこと言いつつお二人も睡眠不足に見えましたし」
スパイスや調味料、珍しい冷凍野菜などをカゴに放り込み。菜摘はあまり頻繁には来ない店ゆえ物珍しくワクワクとしていた。
「って、すみません……」
「あっごめんなさい!」
「あまり余所見は感心しないぞ雨野君」
肩をぶつけてしまい、膝をついた女性へ、手を貸す菜摘。明路も加わり荷物を拾い、謝罪の礼。立ち去ろうとする、その背に、声がかかった。
「雨野君……って、菜摘だよね?雨野くん、なのよね……?私、日向って言って……」
「……
「知り合いか?」
「中高の同級生です!」
うんうんと頷く葵。懐かしい人に会えたなあと、少し寂しそうに菜摘は笑った。思い出話には勝手に湖冬の笑顔がついてくる。
「お友達?」
「仕事で仲間なんだ。磯羅明路さん」
「日向です。はじめまして」
双方頭を下げ、挨拶。会おうと思えばまあ会えただろうが、こういった形であると感動の再会という趣が強く感じられた。
「俺は週末も休みだ。機会はまた用意できる。よければ日向さんと話したらいいのではないか」
「え、でも」
「いい機会じゃないか。俺とは望まずとも会うことになる」
戸惑う菜摘に対し、そういえばカレーの仕込みをせねばとわかりやすすぎる嘘をつき、明路は姿を消す。
「嘘の下手な方ね。いい人みたい」
「うん、ほんとにいい人だよ」
「突っ立ったまま話すのも変よね、続きはあっちで聞かせて?」
彼女が指差した先は近くのカフェ。特に断る理由なんかもなく、2人は席に着いた。注文したコーヒーを飲みながら、菜摘は口を開く。
「ぶつかっちゃったのごめんね……。そのあとよそよそしくしちゃったのも。印象すごく変わったから」
「目が綺麗って言ってくれたのは雨野くんじゃない」
「そうだっけ?」
そうだよと微笑む彼女は、眉の上で前髪を切った長髪。昔は目が隠れるほど長い前髪をしていた。
「髪が綺麗って言ってくれたのは……地島ちゃんだっけ」
「湖冬は短い髪が好きだったから。でも君のような髪型を羨ましいって言ったりもしてた」
無理するように笑う彼を見て、葵も寂しげに遠くを見つめる。ずっと菜摘と湖冬は一緒だったし、どちらかと仲がいいとたいていもう片方とも仲がよかった。
「……このあと、少しいい?」
「まあ、せっかく明路さんが気を利かせてくれたし」
いいよと、微笑む彼を見て、彼女は改めて思う。
だから、好きになったのだと。
「おはよう!」
「……マンガの中でしか見たことない地下室だけど」
「目的もちょっとフィクションぽいよ」
「身代金?」
「君と一緒にいたいだけよ」
先ほどと何一つ変わらない、優しい微笑みを浮かべる。
「……どういうことだい、君は」
「いいから、静かに、大丈夫。私がちゃんとちゃんとしっかりしっかり愛してあげるわ」
「犯罪だけど、そこら辺はどうなの?」
「? だから何かあるの?」
何一つ変わらない笑顔。仲も良かったし久しぶりに会えて嬉しかった。冗談めかして煽り情報を引き出そうにも、菜摘の脳内はぐちゃぐちゃ。
「……僕がこれで君を好きになる気がしないけど。正直、嫌いになるよこんなの」
ドスンと鎖に繋がれた体が壁に叩きつけられる。怒らせたか?菜摘の不安に反して、彼女はにっこり笑っていた。
「死に瀕すると人間は子孫を残そうとするのよ。流石に子供ができたら一緒に過ごすしか無くなるよね?ちょうどよく私、医療関係だからけっこうお金あるの。そもそもこの3年ずーっと貯金してたから」
「っが、は!」
「殺さない。大丈夫。理性とはそんなに関係ない生理現象よ。恥じることなんかないの。地島ちゃんにはあの世でいくらでも恨んでもらうつもりだし。……地島ちゃんが死んだのを聞いて、邪魔者が消えたという思考もあったけど。何より君を苦しませて悲しませたあの子が許せない。だから」
言い切る前に、葵の脳髄が大きく揺れる。ふらつきながら後退する彼女を牙を剥いて睨みつけ。額から血を流しつつ菜摘は立ち上がった。
「……逃げることなんてできないわ」
「どうだかね」
暴れまわる菜摘を悲しそうに見て、彼女はそんなの君のためにならないのにと心底悲しそうに呟いた。
『サンファロエ』
「な……それ、」
取り出したアルカナキーの鍵を展開し、水を入れたコップへ。まるで鍵穴があるようにがちりとはまり、ひねり。床にぶちまけた水がぐにゃりぐにゃりと人の形を成した。
「押さえつけて」
「なんだ……この能力はッ」
「言っても信じないと思うんだけど、前世っていうのかな?そういうのが私にあって。その頃の力が出てるみたいな感じでさ」
ぬるっとしたシルエットの水の怪物。3人ほどが絡みつくそいつを蹴飛ばしながらも、菜摘はただ疲弊していく。
「この子たちはドールって呼んでるの。不思議な力で作り出せるんだー」
「アルカナは……!!」
魔術師だったら。もしかしたら。
あんな白々しい言い草をしていたが動機もある。気がせいて殺気すら溢れ出る彼の怒りをよそに、その図は節制を示していた。
「もしかして何か知って」
『受胎告知』
「……何か今」
『解放』
手は伸ばせないが、ドールとやらはむしろ勢いをつけて腕を絡めてくる。鍵を捻らせるなど造作もなかった。
「……!?」
『降臨……置換……変化……聖なる、開幕』
倒れた菜摘から生えた。レギエルの降臨は、彼女にはそう思える様相に映った。
「……待って、うっすらだけど分かる……天使……だっけ」
「思い出しつつある……ん、だね」
「ん……でも前世とか、そういうのはなんでもいいの。……重要なのは今君とどうなるかだから!」
ライターをつけ、火にアルカナキーのブレードを擦り付ける。火花でも飛ぶように炎の塊が人型を成した。地下室から逃げようとする彼を追い詰めるが、高熱の攻撃も致命傷にはなり得ない。
「……鬱陶しいね!」
3体を一気に蹴散らすと、脱出。広い空間で迎え撃とうと庭に出るレギエルを追い、葵は歩み寄る。
「こんなことやめてよ日向さん……分かるだろ無駄だって!例えどう来ても僕は」
「無駄じゃない。ね、ふたりの子を一緒に育てましょう!」
土に突き刺し、ちょうど吹いた風を引き裂き。どんどんとドールが生み出されていく。キリがないと、彼は一時撤退を選んだ。
「逃がさないわよ」
「悪いけどそれでも逃げるよ!」
彼女のやり方を見て思い出す、春子の発言。キーはどんな形かはものによるが何かを媒介させずともある程度の力を発動させると。
「……こうかな!」
『ケツァド』
予想通り、だ。葵の自転車のキー部分に突き刺して捻れば、それはバイクに変質。ケツァド・イブクがその姿を現す。
「バイクごときで……」
抽出機を構える彼女を背に、疾走、そして跳躍!飛行のきっかけがあれば十分だった。
『テンパランス』
番号を入力する手を止め、その翼を見送る。次こそは逃がさないと、獲物を追う視線が突き刺さる。
「……すまなかった」
「なんで明路さんが謝るんですか」
「俺が気を抜きすぎた」
「同級生がたまたま僕を拘束して襲おうとしたなんて分かりませんよ」
「おそらくどこかで薬を飲ませたのだろう?計画的に接近していたんだ……気づいていれば……」
「そこまで気を巡らせると……その、疑心暗鬼になっちゃう気もします」
そうだなと頷きつつも、明路は拳は強く握る手を緩めない。自分を許せずにいる。
僕が気づけばと、連鎖のように菜摘にも無力感の雲が顔を出した。
次回、「青き道の弾丸」