学園の誰にも話していない、今のところは誰にも話すつもりがない。タイムパラドックスには、故郷の田舎町に実の姉のように慕うウマ娘がいる。昔から仲が良いし、今も良い。
彼女は既にトゥインクル・シリーズを終えてトレセン学園を卒業し、農作業を営む実家に帰ってきている。タイムパラドックスは、父母、大好きなお爺ちゃん、そして姉のような存在の彼女達と共に仲良く農作業を営んでいた。
大好きな姉と、お爺ちゃんが昔から営む農作業のお手伝い。タイムパラドックスのダートの適性は、長い間の畑仕事のお手伝いで培われたものだ。もちろん、タイムパラドックスと仲が良いウマ娘も同じである。
姉として慕う者の名は――シルクプリマドンナ。
数年前にトレセン学園に入学し、ダートのデビュー戦で大差をつけて圧勝連勝。ジュニア級ダート界で一気に注目を浴びた存在……だった。
彼女はクラシック級に入る直前にて、なぜかダートから芝のレースへと路線を変更。マイルと中距離の適性があったことから、ティアラ路線に進路を変えた。
いきなり走る道が変わるのだ。もちろん走り方も距離も相手も変わる。期待の新人から、急転換の問題児となった。
それでも、彼女は見事に桜花賞とオークスで実力を見せた。ダートも芝も走れたのだ。桜花賞では3着だったものの、オークスにて見事に1着を勝ち取った。
どちらの道も制するウマ娘だ、これにはトレセン学園もマスコミも大きな期待を抱く。もちろん、シルクプリマドンナ自身も、自分は輝ける存在なのだと自信を持った。
トリプルティアラ達成までとはいかなくとも、続く秋華賞で1着を取りたいところ。誰もがそのレースを息を飲んで見守った。
結果は……10着。
新たなるホープだった、妹のような存在であるタイムパラドックスの目標となるはずだった、トレーナーに期待されていたのに、あんなにファンの人たちに思われていたのに、あんなに自分は勝利を勝ち取ることができるウマ娘だと思ってたのに。
そして……16着、14着、14着、10着。秋華賞で大敗してからの彼女は、何かが壊れていた。トレーナーは彼女にダート路線に戻ることを促した。
しかし答えは拒否。次こそは次こそはという思いが、華々しいデビューを決めた歪んだ自信が、彼女を正常な道に戻せなくなっていた。
その後シルクプリマドンナはシニア級に上がったものの……オークス以降のレースで、2度と勝利を掴むことは無かった。入着すらできず、暗いままトゥインクル・シリーズを終えた。
トレセン学園を卒業して、実家に帰ってきたシルクプリマドンナは疲れ果てていた。
だが疲れていても心が折れていても、彼女は妹のような存在であるタイムパラドックスに対して優しかった。仲のいい、本当の姉妹のようだった。
しかし、彼女は同じくトレセン学園に入ることを目指していたタイムパラドックスに、暗い目をして言い続けた。
『あなたは芝も走れる。だけどそこを走らないで』
シルクプリマドンナはわかっていた。同じ故郷で育ち、同じ畑仕事をしていたタイムパラドックスは、自分と同じ脚質を持つウマ娘であることを。
つまり、芝とダート両方を走り抜ける才能を持つウマ娘であることを。
もしタイムパラドックスが芝を走って自分と同じように落ちぶれた存在となったら? もし急に路線変更してトレーナーと問題を起こしたら?
もし――彼女が自分より早くターフを走り抜けたら? 自分が失敗したのに、彼女が栄光を手にしたら?
純粋な心配も、未来へのどす黒い嫉妬もある。それでも、妹にダートで大成してほしいと考えたのは本当だ。
ダートなら勝てる。ダートなら小さな体といえど、タイムパラドックスは負けない。幼い頃からそれだけ練習を積んできたのだ。
ターフの女王を求めて散った、実の姉のように思う者の、優しく暖かく、それでいて酷く壊れた言葉と表情にタイムパラドックスは恐怖した。
秋華賞を走る前までの、希望にあふれた輝く笑顔。それがこんなにも、愛憎で歪んだものになってしまうんだと。
タイムパラドックスの家族も同じ思いだった。トレセン学園に入れるほどの実力を持つ彼女の才能と実力は認めている。
だが、シルクプリマドンナと同じ選択をすれば……。心配になるのも当然だろう。
あだ名は『守り神』。こんな呼ばれ方をするほど、タイムパラドックスは優しく穏やかだ。
だから彼女は……本当はシルクプリマドンナが目指した道を辿って勝ち取りたいという夢を、我慢した。家族に心配をかけさせてしまうから、シルクプリマドンナの心を傷つけてしまうから。
だからタイムパラドックスはチーム・アンタレスに加入する時……ダートを走りたいとしか、言えなかった。
【タイムパラドックスがチーム・アンタレスに加入してから数日後――】
「で、どの子だい? タイムパラドックスっていうのは」
「次の次のレースで走る、小っちゃい栗毛の子です。すぐわかるはずですよ」
「なぁヒロバン、お前ってロリコン?」
「否定できないっす……」
トレセン学園のジュニア級の授業の風景。今回の内容は、短距離な直線のダートコースを走ってみようというものだ。
芝の模擬レースに慣れてから、教官の下で初めて土を踏む芝路線を走る予定のウマ娘達。興奮や緊張を隠せなかったりしている。
それをレース場の土手の上から、沖野という男性トレーナーと広場真土が、双眼鏡を覗き込む形で観察していた。
沖野はスピカというチームの顧問であり、真土を何かと気にかけてくれる先輩である。
遠目でも一目で彼だとわかるくらいに特徴的な、左側を大胆に刈り上げて、くせ毛を後ろで結んだ変わった髪型。黄色と黒色のシャツに、口にはいつも棒つきキャンディーを咥えて。
一癖あるウマ娘達と同じように癖の強いトレーナーの中でも、真土にとっては親しみやすいありがたい存在であった。新人トレーナーであるくせにチームを持ちたいという真土の目標を、沖野は笑わなかった。
なお、広場真土は沖野からヒロバンという愛称で呼ばれている。
「おっ、あの……ゲートに入った時点で掛かったような子、アグネスデジタルだよな? おい、あれ大丈夫か? 既にすんごい息切れしてるぞ?」
「いつも通りですねぇー」
「個性が尖りすぎだろ。ウマ娘好きのウマ娘とはなぁ、なんて幸せそうな顔してんだ。なんだあれ、変色するゲーミングよだれが口から出てんぞ……」
沖野と真土の双眼鏡に映るのは、レース開始直前から興奮しているアグネスデジタルと、同時に走る5人のウマ娘。
金属製のゲートが開き、6人のウマ娘がそれぞれスタートした。逃げを選択したウマ娘はいないようで、先行が得意なアグネスデジタルが先頭を突っ切る。
何度も様々なコースを走った彼女だ。苦手分野とする短距離でも負けない。もっとも、他のウマ娘達がダートを走るのが初めてだというのもあるが……。経験と知識の差である。
「芝とダート、その両方を走れる天才ウマ娘か……。きちんとした適正距離のマイルを走れば、良いタイムを叩き出しそうだ」
「デジタルは負けませんよ? 『練習と模擬レースでは』と、いうところだと思いますが……」
アグネスデジタル推しの真土とはいえど、彼女以外に『デジたん』とは言わない。
そして真土が言う通り、デジタルは1着でゴールした。やや遅れて、初めてのダートコースに戸惑いがちなウマ娘達がゴールしていく。
双眼鏡のレンズには、周りのウマ娘達から褒められて、顔を真っ赤にしてブンブンブンと首を横に振る彼女の姿が映った。
「デジタル、ちゃんと友達作れますかねぇ。明るくネガティブなんですよ」
「そこはきちんとサポートしてやりな。チーム組めたら、スピカも並走とか協力してやるよ」
デジタル達が走った道を、既に試走を終えたウマ娘達が用具を使って整地していく。
整地と確認に少々の時間を使った後、続けてタイムパラドックス達のレースが始まった。
のんびり屋に見えるタイムパラドックス。始まりものんびりとしたスタートだ。
しかし……中盤で5位の状態から一気に加速する差しのレースをし、2着になってみせた。抜かされたウマ娘達は、どうしてこんなちびっ子にと驚いたり困惑したりしている。1着との差もほんのわずかだ。
「ん? 彼女……」
「どうしました沖野さん?」
「いやっ、なんでもない。気のせいだ」
「えっ、気になるんですが? ウチのウマ娘なんだから、細かいことでも知りたいですよ」
「ハァ……こういう違和感は自分から見つけていくもんだが……。タイムパラドックスって子、模擬戦はあんまり経験ないはずだろ? 周りと比べて、慣れている感じがしないか?」
「ん……故郷で何度か土の道を走ったということは聞きましたが……あっ?」
真土は違和感に気づく。タイムパラドックスの故郷は北海道の田舎町。そこにウマ娘がどれだけいるだろうか? いたとしても、慣れるほどレースの機会があるだろうか?
仲が良いウマ娘がいたとしても、あれほど綺麗に後方から抜き去ってしまう経験をどこで積んだのだろうかと。よほどレースを詳しく見ているか、誰かと一緒に走り慣れていると。
「だがヒロバン、まだ彼女についてがっつり踏み込むタイミングではないと思うぜ?」
「そうですね……それにしても沖野さん」
「あぁ、そうだな」
二人は双眼鏡を下ろして同時にため息をつく。そして二人の声が重なった。
「「いいウマ娘いないかなぁ~?」」
そう、沖野と真土の二人はチーム顧問。そしてそのチームは両方とも……チーム活動ができるだけのメンバーがいないのである。
再び双眼鏡を覗き込む二人。あの子この子と次々見ていき、何かが違うという感触を抱く。
「まだ本格化が終わってなさそうなウマ娘がちらほらだ……」
「一応見に来ましたが、短距離のダート初体験なレースではよくわかりませんね……」
沖野のチーム・スピカには、ゴールドシップ、ダイワスカーレット、ウオッカの3人。
真土のチーム・アンタレスには、アグネスデジタルとタイムパラドックスの2人。
チーム対抗戦やその他イベントなど、このままでは参加許可が下りないのである。
口の中のキャンディーを全て溶かした沖野は、新たなパイナップル味のキャンディーをポケットから取り出して包装を破る。
「なぁ、ヒロバン」
「駄目です」
「まだ何も言ってないんだが……。なぁ、ヒロバン」
「ウチのアグネスデジタルとタイムパラドックスは……あげませんっ!!」
「何も言ってないんだが……ん?」
「沖野さんならスカウトは慣れているでしょう? 加えてゴールドシップがメジロ家のご令嬢にちょっかい出していると聞きましたが……大丈夫なんです? ……沖野さん? 沖野さーん? あれっ?」
隣から返事が聞こえない。真土が双眼鏡を下ろして隣を見てみれば、そこから沖野の姿が消えていた。
周りを探してみれば……黒に近い鹿毛のロングヘアをしたウマ娘の脚を、さわさわと余す所ないように触っている沖野の姿があった。
もちろんそのウマ娘にとっては衝撃だ。驚愕で耳と尻尾はビンビンに立っている。ギ・ギ・ギと機械のように下を向く、触られている子。
「この子っ、なんてトモをしてやがる……!? 骨格、筋肉の付き方、各部位のサイズ……奇跡といっていいバランスだぞ!?」
「何やっとんじゃ先輩!!」
「うげっ!?」
黒いウマ娘が足元にいる沖野を後ろ蹴りする前に、なんということか、真土が沖野の脇腹を思いっきり蹴っ飛ばした。
そのままゴロゴロ転がる沖野。しかしさすが(?)幾度もウマ娘に蹴られている経験を持つためか、人の蹴りなどまったく気にしていないようにすぐに立ち上がった。
「見下げ果てた先輩だ……! たった今、俺はあなたという目標の一つを失いました。大型どころか超大型バイクで、首だけを残すようにあなたを
「なにそれコワッ!? いやっ、でもっ、この子のトモは凄いぞ!? 極めていいバランスをしている!!」
「大丈夫か君! 変なところまで触られてないか!?」
「あ、えっ、あ……?」
「無視かよ!?」
ショックで呆然とする黒髪ロングのウマ娘の肩を叩く真土。横腹を押さえてツッコむ沖野。
彼の目を見ながら、肩を叩かれているウマ娘はぶつぶつと呟く。
「わたし、お前に、助けられた……? ウマ娘、ヒトより、強い……。でも、お前、助けてくれた……?」
「お、おーい? 大丈夫かい?」
「……わたし、お前、好き! お前、わたしの、トレーナー!」
「へっ?」
尻尾をぶんぶんと振り、興奮した様子を見せるウマ娘。今度は真土が面食らった。
なんでか急に気に入られたのだ。それもただの好きの表現ではない。目をキラキラさせて、まるで一目惚れしたかというような興奮の仕方だ。
「その内、わたしの、走り見せる! 待っててね、すぐ行くからね、トレーナー! みんな、倒して、ぶっちぎって!」
そして黒いウマ娘はその場から突然全力で走り出す。「見て、これが私の走りなの」とでも見せびらかすように。
その走りは真土に、他の子とは違う『何か』を感じさせた。どちらかといえば『期待』や『未来』ではなく……『危険』や『破壊』を予見させるような。
しかし、今はそのどちらかを考えている場合ではない。このまま逸材を逃すわけにはいかないと、正気に戻った真土は叫ぶ。
「なぁ! 君の名前は!?」
「あはは! わたし! ルヴァンスレーヴ!」
ルヴァンスレーヴは足を止めて一度振り返って、満面の笑みで大きく手を振る。そして元の進行方向へと走り去り、どんどんとその姿を小さくしていった。
爽快というか豪快な走りだと沖野と真土は考えた。喉から手が出るくらいとんでもない逸材だと。
「なぁヒロバン?」
「なんです?」
いつにも増して真剣な表情で、沖野は真土に尋ねた。
「あの子……サボりじゃないか?」
「……サボりですね?」
真土と沖野はまだ知らない。ルヴァンスレーヴというウマ娘は、アンタレスとスピカ……さらに強豪チームであるリギルまで巻き込んだ激闘を引き起こす、とんでもない『バケモノ』だということを。
Q.ルヴァンスレーヴ、チョロくね?
A.史実で2021年度種付け回数1位。きっとチョロいはずだ……!