「ううぅっ…… 俺は…生きているのか…」
闇から光が走り右腕に衝撃が走った。何が起こったのか腕に視線を向けると、そこにあるべき右腕が無い。
無意識の内に絶叫していた。
地面に倒れ、痛みにのたうち回っているうち、いつの間にか意識が消えていた。それ以降の記憶はない。
おそらく大量に血を失ったことによる貧血性の失神か。ぽっかり記憶が抜けているので判然としない。ただ、傷の痛みは本物だ。生きているという実感を残酷なまでに教えてくれる。
出血は収まりつつあった。しかしながら、いまだ完全には止まっていない。少量ながら零れ落ちていた。
「止血しねえと…」
よろよろと立ち上がり、何かあればと辺りを見回す。
堕天使ベリスは既に消えていた。残っていたのは探索者たちの遺体というよりも残骸としか言い表せない、無造作に放置されたで惨たらしい有り様だけだ。
「………ヒデェ、全滅かよ」
強力な悪魔がその秘めた力を振るえば、非力な人間など風の中のチリに過ぎない。人体らしき形で残れば御の字。五体満足は望みようもない。ただそれでも、食人気質を持つ悪魔よりはいい。あれは正視出来るものじゃない。
それに比べれば今回は幾分マシと言えるが、結局、探索チームは自分を残し全滅。調査どころか帰還もままならない。
(さて、どうしたものか…………)
頼みの封魔の鈴は通用しなかった。この鈴は悪魔を寄せ付けない効果があったが、結果はご覧の通り。無理もない。想定外すぎるイレギュラーだった。だが、他のメンバーは全滅したのに、なぜ自分は生き残ったのだろう?
「まさか……見逃された…? いや、違うな」
あれだけ強力な悪魔だ、気付かない筈がない。分かっていた。分かっていて見逃されたと考えるほうが自然だ。
「地面に這いつくばる虫けら一匹が、この先どうなろうと知らんこっちゃない。どうでもいいから勝手にしろ。そんな感じだろうな」
しかし、成り行きがどうであれ、片腕だけで済んだのは本当にラッキーだった
アナライズの結果、対峙した相手は堕天使ベリス。
ソロモン王の72柱の内が1柱、序列28番目にして地獄の公爵といわれる大悪魔である。
そんな大物と遭遇して、腕一本で許して貰えたのは、ありえないほどの幸運。いやむしろ、かなり良い結果だったと、前向きに思考をすべきだ。ネガティブに捉えても状況は、何一つ良くならない。
「そうだ。俺はまだ死んじゃいない。あんな化け物と遭遇して奇跡的に生きている。ならば行動すべきだ。こんな所で留まっていても、血肉に引き寄せられた他の悪魔の餌食にしかならん、か」
もともと頭の回転は悪くない。冷静になれば合理的な動きもとれる。とにかく止血だ。血を止めない限り失血死は免れない。
亡くなったメンバーのズボンからベルトを抜き、苦労しながら右腕を縛る。止血バンドの代用だ。
「ああ、腕だ! 俺の右腕を回収しないと………!」
斬られた腕の回収は絶対に必要だ。
片腕だけで生きていけるほど、この世界は甘くない。
オモテの医者と違い、こちら側の医者には回復魔法がある。入院なしリハビリなしで腕は完治するだろう。
むしろ問題は別にある。
「これ、腕の治療費は借金に上乗せだろうなぁ……どうしよう………」
痛いのは腕だけじゃない。
帝愛に健康保険などあろうはずもなく、当然ながら治療費は自己負担。驚くなかれ脅威の十割負担だ。
腕をくっつけるだけの治療と、欠損そのものを治療するのでは負担額が天と地ほど違う。このまま帰還したとしても、借金が大幅に増えては本末転倒。よって、腕の回収は死活問題だった。
腕を探しながら残された物資の回収していると、くらましの玉が入ったリュックを発見した。逃走用のアイテムだ。運がいい。
本来はアナライズ後に使用する予定だったが、予期しない大物出現にアイテム係があわてた結果使うタイミングを逃した。
「
ふぅ、とため息をつく。
吐き出された空気に諦めが混じる。
一般人が悪魔と遭遇すればヘビに睨まれたカエル状態になる。
アイテム係は異界に潜ること6度目、探索者としては古参の部類になる集団のリーダーだったが、一瞬で
情報を持ち帰るためなら、躊躇せず他のメンバーを切り捨てる人でなしだったが「成果を持って帰還する」という一点に関しては有能で、帝愛からも一目置かれていた。
まあ、そんな男も結局、死んでしまったのだが。
「ったく、人の生命でソロバン弾いてるから、そうなるんだよ……」
目を伏せ、声を抑えながら悪態をつく。
この業界に生きるものは軒並み人間性を喪っていく。
変化は人によって違う。ただ、押し並べて最後は社会不適合者になる。チンピラ、ろくでなし、メンヘラ、アル中、カルト信者など問題しか起こさない社会のゴミに変わっていく。
原因は分かっている。悪魔と関わるからだ。
朱に染まれば紅くなる。悪魔と人もまた同じだろう。悪魔に触れ合うと、否応なしに悪魔の影響を受ける。
良い影響なら問題ないのだが。得てしてそうはならないのが世の常だ。
悪魔合体に例えると「自制心のない子供」と「本能に忠実なサイコパス」と「倫理観の欠如したブラック企業」の三身合体だ。
誰もそんな人間と一緒にいたくは無い。
◇
あった。右腕だ。
自分の倒れていた場所から優に10メートルほど離れて、右腕は落ちていた。近寄って回収しリュックに詰める。
入れ替えにくらましの玉を取り出し、残された左手でしっかり掴む。不測の事態に備えてのことだ。
「これで終わりか、忘れ物は無いな?」
一つずつ目視で装備を確認していく。
太腿のベルトにサバイバルナイフが一本、回収したくらましの玉が3つ、あとはペットボトルに入った水と僅かな食料だけ。話にならない。戦闘は論外だ。可能な限り接敵を避け、逃げに徹するべきろう。
「脱出の準備は整った。よし、行くか」
最後の確認を終え、このまま立ち去ろうとした折に、ふと一人の遺体が目に入った。
炎に焼かれ黒焦げになったその遺体は、助けを求めるように腕を天に向かって突き出していた。可哀想とは思うものの遺体の回収は絶望的、薄情だが放置以外の選択肢がない。
(スマン……俺はもう片腕だから、手を合わせることもできないんだ…………)
謝罪の言葉を胸に秘め、青年は惨劇の場からただ走り去るしかなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
駆ける。ひたすら駆け抜ける。
息が上がろうか、足がもつれようが、歯を食いしばって疾走する。
悪魔と出会ってもスピードを落とさない。
トップスピードを保ったまま攻撃を躱し、脇をすり抜けるように戦場から離脱する。
それでも逃げられない敵にだけ、くらましの玉を使い戦闘を回避した。
現在地は異界の浅層域。ついにここまで来た。
目立たぬようコンクリート柱の蔭に身を潜め、息も絶え絶えにペットボトルを取り出す。
震える手で封を開け、水をガブ飲みすると人心地ついた。
「まだ俺は生きている……のか」
信じられない気持ちだった。
封魔の鈴はずいぶん前に効力を失った。それ以降、幾度となく悪魔の襲撃を受けたが、全てしのぎ切った。
時折り霞む意識は傷口を押さえることで、痛みと引き換えに保った。悪魔の餌食になるつもりなど更々なかった。
心はまだ折れていない。
しかし僅かながら動きに精彩が欠け始めている。目に見えない疲労は確実に蓄積していた。
そして不安材料はそれだけではなかった。
「くらましの玉はあと1つか。これを使い切るとお手上げだ。極力使用は控えたいが………………ハッ!?」
咄嗟に身体を沈め、地面を滑るように回避する。炎弾だ。
炎が頭上を掠めると髪を焼く不快な臭いが鼻を突く。文字通りの危機一髪だ。
体勢を立て直し炎弾が飛んできた方に振り向くと、赤い肌に裾の短いチャイナ服、背から蝶の翅が生えた小さな少女が浮かんていた。
「糞ツイてねえ、カハクだ! それも好戦的なアグレッシブ型かよ!!」
地霊カハク。少女のなりをしているが立派な悪魔だ。
アギと呼ばれる
しかも発見された以上、やり過ごすことは不可能。最悪の展開といえる。
(使わずに逃げ切るのは……ムリだ!)
一瞬のためらいも無く、迷わず最後の切り札をきる。
「お嬢ちゃん、お痛はいけないよ!そんな物騒な魔法をブッ放しちゃダメだぞ。お兄ちゃん死んじゃうからね。あっちオママゴトして遊んでなさい!!」
「b∀∂∃w∅∇∇∇∈∈!!」
謎言語でカハクが何か言っている。無視だ。構ってられない。
たとえ理解できたとしても、攻撃的な個体だ。話し合いになるとは思えない。
大量の煙が発生しカハクと青年を包む。
視界が煙に覆われると、出口に向かって
「ハーハッハッハ、これがホントの“煙に巻く”ってやつさ。よーく覚えておきな、悪魔のお嬢ちゃん!」
「∬∮⊄⊃∞⊄⊃⊄!!!」
「お、癇癪おこしてキレてんな、やっぱり悪魔といえど子供は子供だな!!」
高笑いしながら、負け惜しみの捨てゼリフ。
それでいて闘わずに逃走するのだから始末におえない。混じりっけなしの小物。自分ですらどうかと思う。
(力があればなぁ、他にやりようもあるんだが…………)
今まで遭遇した悪魔はすべてカハクと
(人も悪魔も自分より“強い相手”に挑もうとするヤツなんて少数派だ。原因はオレにある。オレが弱すぎてエサとしか認識されていないんだ……)
これが自分の泣きどころ。弱すぎて交渉の場にすら立てない問題だ。
力があればと何度思ったか。
あの時、あの場所で、ああすれば犠牲者は出なかったと、夜中にうなされる事もなく、この腐った落ち穂拾いのような仕事で命からがら集めたなけなしの成果を、がめつい帝愛の連中にピンハネされることもない。
それに引き換え、力を持った連中はやはり一味違った。
魔法や特殊能力を操る【異能者】
もう一人の自分を具現化する【ペルソナ使い】
悪魔に変身する【デビルシフター】
悪魔を召喚し使役する【デビルサマナー】
底辺の自分たちとは違うことを、まざまざと見せつけられた。
そして何より、人間からも“悪魔”からも軽視されない。これが重要なのだ。
悪魔には意思疎通できる個体がいる。例えばあのベリスがそうだった。会話にさえ持ち込めれば『悪魔と交渉すること』も可能になる。
(交渉というか、対話や交流? コミュニケーションさえ取れれば何だってやりようはある)
これでも社会人だった頃は、外回りの営業として働いていた。
したたかなオヤジ達と何度も厳しい交渉をこなしてきたのだ。それを活かせるなら勝ちの目は十分にある。
(例えるなら、ゼニガットメンな帝愛の連中と、さっきの子供っぽいカハク。交渉が難しいのは、さて、どっちでしょうかって話だ)
強くなり、対等な立場さえ手に入れれば、やってのける自信はあった。
問題はやはり、エサからランクアップすることだ。そこから脱却さえできれば、自分は飛躍してみせる。
足早に出口へ向かう。青年の足取りに迷いはなかった。
書き直し3度の難産でした。