ダービーもいよいよその日が迫ってきて、出走者や枠番が確定した。私は六枠十二番。悪くない。そして人気投票の中間発表も。私は三番人気。これも悪くない。
「セイウンスカイ、時間よ」
そんなふうに控室でうんうん頷いていると、<デネブ>のトレーナーさんに呼ばれた。ちなみに私が今何に呼ばれたかというと、ダービーに向けての記者会見である。そして何故<デネブ>のトレーナーさんがここにいるかというと、あの男が恥ずかしがって記者会見を拒否したからである。恥ずかしいからとは言ってなかった気もするが。提携チームは便利屋じゃないと思うんだけど、それを引き受けるこの人は結構お人好しなのかもな、と目の前の女の人に目配せした。
「……なによ。一応私は横に立ってるけど、何か聞かれたら貴女が答えるのよ」
「えー、ひどい。監督責任は」
「それは貴女のトレーナーにあるはずのものね」
それは確かにその通り。それにしても、やっぱり緊張しちゃう。まるでスターになったみたいだな、なんて考えてしまうけど。もしかしたら本当にスターなのかもしれない。夢と希望を与えるのが、スターウマ娘。そして一生に一度きりのクラシック戦線は、それを最も鮮やかに演出する。そしてそこに私は飛び込んでいる。テレビや雑誌に名前や姿が挙げられるようになって、道を歩いてたらファンの人に声をかけられることもあった。やっぱりもしかしたら、スターみたいなものなのかも。私たちのライバル関係は、もはや私たち自身には想像できないくらいの注目の的になっている。そんな栄光のクラシック三冠への挑戦の場に名を連ねられるなんて、ましてや勝ちを狙えるなんて。私には思ってもみなかったことで、きっと私だけじゃ無理だったことだ。
「セイウンスカイさん! ダービーに向けての意気込みをどうぞ!」
壇上に上がると、早速そんな感じの質問が。他にも何人か同じことを聞いてきてる。そんなに色々聞かれても対応しきれないや。トレーナーさんをチラリと見ると、口をにこりと固定させていた。ひどーい。それにしても何を言えばいいのやら。元気いっぱいなのはスペちゃんかエルがやってるだろうし、差別化が必要だ。そう少し悩んで、吐き出す。
「皐月賞勝ったのに、三番人気なんですよねー」
そう、さも残念そうに口にしてみる。確かにそれに悩んだこともあった。やっぱり期待されてない、それを証明する事柄とも言えなくもないから。でも、私に期待してくれている人もいる。それに私の戦績を不安視する人も、ひっくり返してしまえばいいんだ。さながらコインの裏表のように、プラスとマイナスは一体なんだから。
「でもこれって、私が勝てばみんなびっくりするってことかな? ならセイちゃん、頑張っちゃいますね♪」
そう軽ーく言ってのけると、記者の人たちがにわかに盛り上がってくれた。呆気に取られたような表情と、急いでペンを走らせる音。それを聞いて、見て。私の身体にぞくぞくと走り抜けるものがあった。うん、やっぱり。こうやって、予想を裏切って。そうするのは気持ちいい、楽しい。なら走る時にそうすれば、もっと楽しいはずだ。この感覚は私の武器になる、そう思った。
※
「お疲れ様です、トレーナーさん、スカイさん」
「ありがとうフラワー。いやー、緊張して全然喋れなかったよ」
「そうかしら? そうは見えなかったけど」
「そういう素振りを見せないのも、トリックスターってやつですよ」
トリックスター。最近私を説明する時、よく枕についている言葉だ。捉えどころのない振る舞いで、皆を惑わせるキャラクター。そういうものをそう呼ぶらしい。悪くない響きだ、と思っている。
「でも、よかったです。さっきのスカイさん、本当に楽しそうに喋ってました」
「まあ、そうかもね。フラワーには結構、悩んでるところを見せちゃってたかもね」
「それでも、今のスカイさんは違いますから」
フラワーが言うなら間違いないかも。皐月賞を糧に、私は進んでいけている。期待だけじゃなくて、不安さえ力に変えられるようになっている。もちろん勝てるかなんてわからない。スペちゃんもエルも強敵だ。どちらかといえば分が悪いだろう。それでも怯まないことこそが、私の一番の成長だ。ライバルとは、高めあうものだと。誰か一人しか勝てないからこそ、誰もがそれを求める、勝利という栄冠。それを私も望んでいる。一生に一度きりの今を、後悔しないために。
「私は負けないよ、フラワー」
「はい、応援しています」
また一つ、期待を心に刻んで。背負う期待も見返すべき不安も、全てが一瞬にかかっている。その時は、近い。
※
ダービーが間近に迫っても、当の私たちは仲良く昼食を囲み続けていた。友達なんだから当たり前ではあるけど、数日後にはばちばちやり合うのににこやかに話すというのは少し怖いところもある。
「ほら見てよセイちゃん、この雑誌!」
「アタシとスペちゃんと、セイちゃんの写真が表紙デス! ダービー特集はアタシたちで一杯デース!」
「まあ今更そんなこと言えないけどさ、自分の写真が雑誌に載るのって、恥ずかしくない? テレビに映るのもむずむずする」
「ふふっ、みなさん頑張ってくださいね〜」
和気藹々。ひょっとしたらこの会話、側からみればそれなりに豪華メンツなのかな? ダービー三強に、今は怪我してるけど実力は折り紙付きのグラスちゃん。……あと一人は、実は最近会話していない。ダービーを控えて自分なりに悩んでいるのだとしたら、当の私たちが気にかけても逆効果なのだろうけど。僅かな沈黙が時折挟まるのは、皆が彼女を心配している証拠ではある。そしてそれを取り繕おうとして、私は最近話題を切り出すことが多くなっていた。
「そういや知ってる? クラシック三冠にそれぞれ求められる、必要な条件。自分が出るのに、私覚えられなくって」
「皐月賞は最も『速い』ウマ娘が勝つ、菊花賞は最も『強い』ウマ娘が勝つ、ですね。セイちゃん、これくらいはたとえ出走しない私でも知っていますよ」
「そしてダービーは、最も『運のある』ウマ娘が勝つ、デース! アタシ実は、今朝自販機でジュースを買ったら二本目が出てきマシタ!」
おお、さすがエル。と言っていいのだろうか。私は運がいいことなんて……おや。
「おっ、当たった。アイス、もう一本だって。私も運、あるかもなー」
「セイちゃんもエルちゃんも、私どうしたら……ああっ!」
慌てたスペちゃんが手元のコップを倒してしまう。こりゃ、運がない。
「スペちゃん、大丈夫ですか?」
「ありがとうグラスちゃん、でも私もうダメかも……」
「コップが落ちなかった分、幸運ですよ♪ 何事も捉え方、ですから〜」
こういうやり取りに関しては、やっぱりグラスちゃんが一番強いな、と思った。そうやって運を手繰り寄せるのも、確かに強さの一つなのかもしれない。
そして、もし。もしここにキングがいたら、なんて言っただろうか。そんなことを考えてしまう。「一流の私なら当然!」って、何かしら幸運を引き当てるだろうか。それとも「キングが選んだ道が、幸運そのものなのよ!」とかわけのわからない理屈を並び立てるだろうか。どちらも十分あり得そうに思えたけど、どちらの言葉も今は聞こえない。キングの背負うもの、それをまだ私はちゃんと知らない。強気に見えて案外お人好しで心配性なあのお嬢様が、今どんな悩みを抱えて独り闘っているのか。わからない、わからないけど。ただ心配だった。
※
「お疲れ様! 今日はここまで!」
「お疲れ様でした、みなさん!」
今日もトレーナーさんとトップロードさんが仲良くトレーニングを締める。私はいよいよ大詰めで、今日も我ながら大変頑張った。汗を夕日にかざしていると、トップロードさんがやってきた。
「お疲れ様です、スカイちゃん! 最近色んなところでスカイちゃんのことを見かけて、私もうすごく……すごく嬉しくって! ダービー頑張ってください!」
「うわっ、トップロードさんにも見られてましたか」
「何処に行っても見かけますよ! クラシック三冠は、それだけ重要なレースなんですからっ」
目をキラキラさせるトップロードさん。もしかしてこの人も、クラシック戦線に結構夢を持ってるタイプなんだろうか。学年は私より先輩だけど、まだデビューはしていないトップロードさん。なら、そういう意味では私が先輩なところもあるのかな。
「確かに、そうなんだろうなあって思います。皐月賞の時もすごい盛り上がりでしたし」
「ですよねっ! でも、それだけプレッシャーだろうなって、そう思うこともあるんです。私の番が来たとして、その時私は期待に応えられるだろうかって。……すみません。スカイちゃんを励ましに来たのに、これじゃ私のお悩み相談になってますね」
「いえいえ、トップロードさんの弱音なんてたまにしか聞けませんし。ラッキーだと思っておきますよ」
みんな、自分の弱音は隠してしまう。たとえば私もそうしてきたし、たとえばトレーナーさんにもそういうところがある。それを誰か信頼できる他者に漏らして、人はその時だけ弱さを見せる。その時以外は、強くあらねばならないから。だからトップロードさんに私が弱音を吐いてもらえるなら、それは信頼の証となるもの。ちょっと嬉しいのは事実だ。
「そうだ、お詫びと言ってはなんですけど。私もスカイちゃんの悩みを聞きますよ! ダービー前に晴らしておきたいものがあるなら、言ってみてください!」
改めて、この人はいい人だなあって思う。そうなると、私だって吐き出さなきゃ失礼な気すらしてしまう。ちょうど、一つ悩みはあったし。友達の話だ。
「私の友達、ちょっと前から悩んでるみたいなんです。独りで悩んでいるみたいで、でもその原因がわからなくて、手出しできなくて」
意地っ張りだけど私のことを何かと気にかけてくれていた、私の友達の話。
「きっと、悩みを打ち明けられるほど仲良くないからなんですよね。私が信頼されきってないから、あちらからは言えない。そして私からも、言えない」
ダービーを控えた時の悩みとしては、随分と甘っちょろい話かもしれない。それでも気がつけば、そのことばかりがぽつりぽつりと。けどそれを聞いたトップロードさんの表情は真剣で、柔らかくて。この人に話してよかったと思えた。そしてトップロードさんが示したのは、意外な回答だった。
「それはですね、逆なんじゃないかなって、思います」
「逆?」
「そう、逆です。仲が良いから打ち明けられないんですよ、きっと。相手のことを想うから、言えないことだってありますよ。スカイちゃんだって友達には言えなくても私になら言えること、今言ってくれたじゃないですか」
「それは、トップロードさんを信頼してるから」
「はい、それはありがたいことだと思います。けど、信頼の形が違うんです。適度な距離感だから言えることだってあります。いつからか隠し事もできないくらい仲良くなることだって、あります」
「そう、でしょうか。私には結局、それなり以上の友達を作れないのかと思ってました」
「それこそ逆です。それなり以上だからこそ、その子が悩んでることすら心配になっちゃうんですから」
そう、なんだ。私とキング、それなり以上の友達なのかな。そんなことを言い当てられるのは、少し気恥ずかしいような。でもそうだとしたら、私はどうすべきなんだろう。どうやったら、友達の悩みを取り除く力になれるだろう。
「──ひょっとしたらその子も、ダービー出るんじゃないですか?」
「鋭い、ですね」
「ならスカイちゃんの悩みを解決する方法は、簡単です」
ぱん、とトップロードさんが手を合わせて。これぞ名案、そう言わんばかりに。
「一緒に走ってみて、その後聞いてみたらいいんです。勝負の後なら、なんだって言えちゃうんですから」
「そういうものでしょうか」
「多分、ですけど……」
軽くずっこける。最後に不安は残したものの、トップロードさんの言っていることは間違いではないと思った。なら、それでいいか。とりあえず走ってから考えてみる、それはとってもわかりやすい。
「ありがとうございます。おかげですっきり走れそうです」
「お役に立てたなら、何よりです! 観客席から、スカイちゃんが最初にゴールするところ、見てますね!」
そう言って爽やかに笑うトップロードさん。この人の期待も背負うのだ、そう思った。
※
けれど、ダービー当日。本人と言葉を交わすことなく、私は彼女の真意を知ることになる。
「ようやく、私を見たな」
ハナを切る彼女が私の方を振り返る時、その眼はそう叫んでいたから。