「おはよう、キング」
そこまでは、言えるようになった。
「おはよう、スカイさん」
そこまでは、返ってくるようになった。そこまでは、割とあっさりと戻せた。けれどそこまで止まりで、私たちの会話は途切れる。今はそうなっている。でもゆっくりとした変化は、まだ終わってはいない。
この先へ行こう。敗北を糧にすることが、私たちが強くなるためには必要だ。
※
ダービーから数日。話題の移り変わりは早いもので、教室を包む空気は瞬く間に様変わりしている。具体的にはちょっと暑い。そう、夏が近づいているのだ。
「夏休みかあ、トレーナーさんからは何も聞いてないなあ……」
昼食も半分ほど食べ終わった頃、今日の話題を切り出したのはスペちゃん。夏休みかあ。いかにも青春って感じはするけど、私もトレーナーさんからは何も聞いてないや。そもそも何を聞くんだろう?そんな疑問はすぐに解消された。
「グラース! <リギル>の夏合宿、来ますよね!? リハビリ、アタシが手伝ってあげマース!」
「はい、ありがとうございます〜。夏が明けるころには、包帯も完全に取れるはずですし」
なるほど、夏合宿。でもそれって夏休みとは真逆だなあ。一日中練習なんて、よっぽどの物好きだと思う。いやでも、うちのトレーナーさんは物好きかもしれない。うげえ、と口から漏れそうになる。
「合宿かあ。私のチームもありそうだなあ」
「セイちゃんも? いいなあ、私もトレーナーさんに聞いてみようかなあ」
「いいなあ、ね。スペちゃんはまだまだ強くなりたいんだ」
そして、それは私も類に漏れない。もっと強くなって、次は必ず。いつかの勝利を掴むために、かつての敗北を無意味にしないために。
「……うん。でも、それだけじゃないよ。きっとチームでの合宿って、とっても仲良くなれると思うの。トレーナーさんやスズカさんやチームのみんなと、もっと」
「なるほど、そういう目的もありか。それなら私も、もうちょっと楽しみにしておこうかな」
仲良く。その言葉が少し引っかかる。そしてそれは視界の端にいた彼女も同じだったみたい。ぴくり、耳が動いた。
「……キングのチームも、合宿あるの?」
すかさず聞いてみる。さりげなくを装って。仲良く、したくて。
「……今悩んでいるところなの」
少し曖昧。だけど会話は繋がっている。もちろん、ここで満足してはいけないけれど。まもなく昼休みは終わり、食堂からみんなで教室へ帰る。その道すがら、またキングに話しかけてみる。何度も試みて、諦めない。
「どう悩んでるのかは知らないけどさ、行ってみたらいいんじゃない? 踏み出してみるのは大事だよ」
それは多分、私自身にも言い聞かせていることだった。ここ数日ずっと、私が続けている変化そのもの。そして願わくば、皆がそうあって欲しいと。もっと強く、もっと上へ。だって、私たちはライバルなんだから。今更でもいい。回り道でも構わない。それでもゴールを目指したい。そう思うのはおかしいことなんかじゃない。今の私は、自信を持ってそう言える。
「……貴女、変わったわね」
「どうも、お嬢様」
変わった。それはどこからだろうか。初めてキングと出会ったあの日からだろうか。それとも一度訣別を告げた、ダービーの日からだろうか。後者だとしたらきっと、キングからの私はとんだ情緒不安定に見えていることだろう。短期間で態度を変えすぎだ。けどそれは、彼女には見えないところで悩んでいたというだけ。キングを見ていなかった私と同じ。そうやって過去の過ちさえ、メッセージに変えてやる。君なら気づくよね、そう信じている。
「それで、私にも変われと言っているのかしら? 貴女のように。貴女の真似をして」
立ち止まり、翻る。キング、みんなが見てるけど。でも今度こそ、向き合わなきゃ失礼かな。そう思った私も、同じように立ち止まって。
「好きにしたらいいよ。キングはキングなんだから」
そう、私なりの激励を込めて。あるいは挑発だとしても、それが彼女を引き上げるのならば。それだって、いつかのキングが私に向けてやったことだ。それこそ真似っこかもしれないけど、好きにしたらいいということは無理に違いをつけるって意味じゃないんだから。同じところがあって、違うところがあって。寄り添えど重ならない、だから補い合えるのだと。
「そう。……授業、始まるわよ」
「そうだね」
気づけばチャイムが鳴っていた。それに気づくのが遅れるくらい、私は集中していた。そういうことかもしれない。そうして久しぶりのまともな会話も、授業が始まれば打ち切られてお流れ。けれど、まだ。一つ何かが終わっても、その先にはやはり続くものがある。願い、信じている。
※
「それでは、大事なお知らせがある! 夏合宿についてだ!」
そしてその日のトレーニング終わり。皆の前で狙い澄ましたように、トレーナーさんは夏合宿をやると宣言した。とりあえず説明を順に聞いて行くと、海の見える民宿に泊まるらしい。トレーナーさんを唆したら海釣り出来ないかなあ。泳ぐのは嫌だし。
「ちなみに合宿も<デネブ>との合同だ! 今トレーニングメニューを共同で考えている!」
それなら少しは安心。共同と言えば聞こえはいいが、おそらくトレーナーさんの無茶を<デネブ>の二人が修正する感じなんだろうな。あちらのトレーナーさんとフラワーには足を向けて寝られない。合宿中は昼寝の位置どりにも注意しなくちゃ。
とはいえ、そうか。説明を聞く中で、胸の内に湧き上がる何か。チームのみんなからも同じものが伝わってくる気がする。細部には差があるだろうけど、軸にある感情はきっと一緒。楽しみなんだ。もっと、強くなれるのが。
けれどそうして粗方の説明が終わったあたりで、トレーナーさんが一言サラッと言ってのけた。おかげで大体の説明は吹っ飛んでしまったと思う。
「さてそれじゃ、今日付けで加入してくれた新しいチームメイトを紹介するぞ! こっち来てくれ、キングヘイロー!」
え。今、なんと? 自分の耳を疑う他なかった。だってそんなの、何もかもがあり得ない。けれど確かにその呼びかけに応じるように、こつん、こつんとグラウンドに近づく足音が聞こえた。やがてその音は砂を踏み、私たちの横をすれ違う。そして、目の前に現れる。あり得ないことなどあり得ないと、証明する。
「多くの方は初めまして、私の名前はキングヘイロー。……今日付けで、チーム<アルビレオ>に加入しました」
いつもの顔と、いつもの声だった。私の知っている、キングヘイローというウマ娘だった。変化は時に、前触れなく強引だ。私がゆっくりと距離を詰めていて、キングの側からもいつか動きを引き出せればとは思っていた。けれど今は舌を巻くしかなかった。彼女は時に、驚くほど強いのだと。だから侮れない、ライバルなのだと。ダービーの時とは少し違う眼差しから、今度はそれを読み取った。
※
「ねえキング、色々聞きたいことがあるんだけど」
自然とそのあと、二人きりになった。日が暮れて空が真っ暗になっても、私はジャージ姿のままだった。周りにもあからさまに気遣いをさせてしまった気がする。もちろん、ずっと待っていたキングにも。だから私は、償いをしなきゃいけない。あちらからも歩み寄ってきたのなら、今度はこちらから。
「何かしら。少しだけなら権利をあげてもいいわよ」
「じゃあお言葉に甘えて、まず一つ。悩んでたってこのこと?」
「そうね。練習に参加するのは夏合宿からになるわね」
「なるほど。後悔してない?」
そう聞いたのは、かつて私も同じような悩みを抱えたから。結局私は移籍しなかった。インターバルを与えられ、その上で二つのチームのいいとこ取りが出来てしまった。けれど彼女は違っていて。仮だとか体験だとかそういう肩書きは似合わないとばかりに、電撃的に決断した。<アルビレオ>がそうまでして入りたくなるチームかは、ちょっと疑問が残るところだけど。それでも僅かな迷いはあったのか、若干の間の後の答えだった。
「……するわけにはいかないでしょう。別れを告げたからこそ、私は背負わねばならないの」
たとえ迷い発した決断でも、その覚悟には迷いがない。それが彼女らしさ。キングヘイローというウマ娘の強さなんだ。
「流石の一流お嬢様、ってとこかな」
「私らしい、と言いたいのなら。褒め言葉と受け取っておくわ」
「うん。やっぱり流石だよ」
自分らしさ。それは誰でも取り柄にできるものじゃない。見つからなければ始まらないし、見つかってもいいものばかりとは限らない。諦め癖とか臆病さとか、自分が嫌になってばかりの可能性だってある。探すことそのものが、自傷行為に等しくさえ。でも、だからこそ。泥を素手で掘り進めるような底無しだからこそ、彼女は怯まず往くのだと。やがて浮かんで来たどの星々より、今は君が眩しく見えた。
「じゃあ気を取り直して、次の質問いこうかな」
「待ちなさい。質問は少しだけ、そう言ったはずよ」
ぴしゃり。誤魔化しが効かないというか、融通が効かないというか。相変わらず扱いの難しい性格をしているなあ、そう思った私に予想外の言葉が告げられる。
「これ以上質問したいなら。その前に私から貴女に質問させてもらえるかしら? 釣り合いを、取るためよ」
やっぱり。やっぱり、相変わらず。扱いの難しい性格だと、そう思った。
「質問、ねえ。答えられることなら答えるけど、そうじゃないのはノーコメントだよ?」
「少しは我慢しなさい。先に貴女が質問してきた以上、私にも色々と聞き出す権利があるわよね?」
「わっ、そんなこと言って。あんなことやこんなことを無理矢理聞き出すつもりでしょ、このへんたい」
「おばか! ……私が聞きたいのは、前聞きそびれた程度のことよ」
なんだろう。本当に見当がつかなかったので黙っていると、呆れた顔でキングは続ける。
「貴女は、どうしてトレセン学園に来たの? ほら、昔聞いたじゃない。いつかの昼休み」
「あったねえ、そんなこと。話したいのは山々だけど、昼休みが終わっちゃうとかなんとか言って」
まだここに来てすぐの時。多分みんなと今ほどは仲良くなかったし、キングともそうだった頃。キングとグラスちゃんを焚きつけようとして、見事に失敗した時のことだ。
「よく覚えてるじゃない。話したいのは山々なら、私が話す権利をあげるわ」
「ほんとはそんなに話したいわけじゃなかったとか、多分今ならわかると思うんだけど」
「今でも、そうなのかしら。人の気持ちは変わるものよ」
そう来たか。意固地で頑固なキングにそんなことを言われては、私も我が身を顧みる他ないやもしれない。
「キングって、時折鋭いね」
「時折は余計よ。それに私だって、昔とは変わっていると思うもの」
変化。それはねじれても連なっている。やり直しは効かず、避けられない理不尽でもある。
「そっか。なら後で、私からも質問させてよ。同じ質問」
それでもその先に、私たちはいて。絶え間なくゆらぎ、時には相互に干渉して。
「ええ。私は構わないわよ」
だから。だから私たちは、変化を受け入れて。
「なら私も勿論、構わないかな」
だから、この先へ行ける。青空がどこまでも続くように、天使の輪がいつまでも朽ちないように。
未来へ一歩、踏み出すのだ。