初日は特に問題もなく進行した。入学式にいなかったことでとやかく言われたりもしなかったし、そもそも誰もかれもが自分のことで精一杯のようだった。強いて何かを挙げるならせいぜい授業中にうとうとしてしまったくらいで、これは私にとっては当たり前のことだし。初日からしっかり授業が始まるトレセン学園の方に問題があるんじゃないか、とか。ドキドキワクワクのスクールライフなんてやられたら心臓がいくらあっても足りないから、私はこれでいい。……未知数なものがないわけじゃないけど。主に私じゃなくて、私以外に。そう、あれは二時間目の休み時間のことだった。
「こんにちは、セイウンスカイさん。私の名前はキングヘイロー、以後お見知り置きを」
机に寝そべっていたら、近くのウマ娘がそんなふうに話しかけてきた。一見礼儀正しいんだけど、なんとなく並々ならぬものを感じて。なんとなくどう返答するか考えあぐねていると。
「あれ……まさか本当に寝てるのかしら? うーん、顔が見えないわね」
なんと彼女は傲慢にも、私にシンキングタイムすらくれないらしい。私の周りをうろちょろうろちょろ、礼儀正しいと表現したのは訂正しようか。
「……起きてますよ〜」
「どひゃっ!?」
素っ頓狂な声を上げて、キングヘイローは飛び退く。そんな声を聞いたこっちもびっくりだよ、まったく。
「もう! 起きてるなら返事ぐらいしてくれてもいいんじゃないかしら?」
「初対面の子にいきなり挨拶されて、普通はそんなノータイムで返事できないですね」
「……順序が良くなかったかしら。それはその、謝るわ」
そんなにすぐに謝られてもそれはそれで困るけど、そんなことを言ったら更に謝られそうなので控えておく。ともかく。
「えーと、キングヘイローさんだっけ? 私はセイウンスカイといいます……って、もう知ってるか」
「当然! 一流のウマ娘とは、ライバル候補の知識も完璧なのよ!」
「そりゃ光栄ですねえ、一流の方に覚えていただけているなんて。それで私に探りを入れにきたって感じですかな」
そう聞くと、キングヘイローは一瞬動きを止めて。
「……そう、そうよ探り! 覚悟しておくことねスカイさん、私に打ち倒されるその日を!」
ははあ。さては何も考えてなかったな、この人。雌雄を決するべき相手との会話なんて、情報戦に等しいと思ってたけど。尊大そうな雰囲気を醸し出してる割には案外お人好しなのかも。まあ、私としてはどっちでもいいことだ。
「それじゃあえーと、キング」
「……な、なにかしら!?」
「なにも? 呼び捨てにしても良いのか試しただけ」
「え、ええ! それは大歓迎、じゃなくて、受けて立つわよ!」
回想終了。そんなこんなで、まず一人。私が平穏無事に生活を終えられるかどうか、それについての懸念材料が増えたのだ。そして、もう一人は今。私の、私たちの目の前に居る。同じ教室にいた時からそのオーラは感じていたけれど、それより尚鮮明に。
頭ひとつ抜けた実力で、ターフを駆けている。
※
「はあっ、はあ……すごいね、噂通りだ」
「ありがとうございます」
ざわざわ、ざわざわ。徐々に日が落ちてきた練習コースで、二人のウマ娘が併走を終えた。放課後のトレセン学園では、併走トレーニングは日常茶飯事らしい。とはいえそこにある数々の異常性が、私含めた多くの観客を呼び込んでいた。
あまりにも歴然とした決着。勝者は息を切らせてすらいない。
そして勝ったのは入学したばかりのウマ娘。初日から本格的なトレーニングをし、それに耐えてみせた天性の肉体。
何よりそこでお淑やかに微笑んでさえいる栗毛の少女の名は──グラスワンダー。私たちのクラスで、最も注目されているウマ娘だ。
「むうぅ、流石ねグラスさん……」
「うん……って、キングじゃん」
「何よ、私が居たらいけないの」
「それもそうか。キングは相変わらずの敵情視察?」
ナチュラルに私の横にいた事にびっくりしたんだけど、それを言っても不毛な気がした。なんとなく。
「当然! 私は一流として、どんな壁も乗り越えなければならないの」
「へえ、立派だねえ」
「スカイさんも、少しはしゃきっとした方がいいと思うわよ!」
「そうは言っても、あれ見てよ」
そう言って、私は未だターフから去らぬ一人のウマ娘を指す。にこやかに周囲に手を振り続けるグラスワンダー。なんとなくゆる〜っとした雰囲気で、私と波長が合う気がする。
「……グラスさんは、特別よ。本物の一流なのよ」
「なにそれ。一流なのは、キングじゃなかったの?」
「私は、そうありたいけど」
声のトーンが一気に下がる。ひょっとして、私は何かまずいことを言ってしまったのかもしれない。人には誰だって触れられたくないことがあるというのに。昨日の私のように。
「ごめん、いいよ今の。忘れて、キング」
「……ごめんなさい」
「謝るのはこちらの方。私たちそんなに仲良くないのに、下手に踏み込んじゃったね」
そう自分で言って、まるでこの先仲良くなる前提みたいな発言だな、とも思った。そこまでは口に出さないけど。
「そ、それより! グラスワンダーさんよ。私たちは、あれに勝たなきゃいけないのよ」
キングが話題を無理矢理切り替える。いつのまにか『私たち』になっているのはこの際おいておくとして、真正面からは勝てないとは思う。けどそれはつまり、策を練ればやりようはあるということでもある。
「よしキング、今日は帰ろうか。その代わりLANEのアカウント教えて」
「え!? い、いきなり何を」
「そんないきなりでもないでしょ、初日からこんだけ話してるんだし。それより、今晩までに作戦立てるから」
作戦。今の私がそれなりに尊んでいるものの一つ。頭を使って出し抜くとか、搦手を使って追い込むとか。トレセン学園に来て初めての相手として、あのグラスワンダーは申し分ないだろう。
「じゃ、これで連絡取れるね。出来上がったら送るから、後はキングがやり遂げられるか次第。それでもいい?」
「……当然よ。勝つためなら、手段は選ばない」
彼女がそう言い切ったのは少し意外だった。流儀とか礼儀とか、そういうのを気にするタチかと思ってたのに。まあ、嫌いじゃない。むしろ気が合う。最初の印象よりは似たところもあるのかも?
「それじゃ、私はそろそろ帰ろうかな。キングはどうする? このままここに居るより、明日の方がまだグラスワンダーさんに近づきやすいと思うけど」
気づけばグラスワンダーは、観客に構わず再び自主トレーニングを始めている。雰囲気は私と似ていたけど、そういうところは私とは違いそう。
「私はもう少し、もう少しだけ見ていくわ」
「そ。じゃあごゆっくり、私はおいとまさせていただきます」
「……スカイさん」
私の背中に、もうすっかり聞き慣れた声が投げかけられる。それだけ親しみを感じておいて、振り向かないのも失礼だろう。ぐるり。向き直ると、彼女と初めて目が合った。
「また、明日。会いましょう」
「そうだね、また明日」
日和見主義の私から、ついつい何かを引き出してまうキングヘイローという少女。私に波乱をもたらす存在なのは、確かなんだけど。
初めての友達。そう言い切ってしまうのは、まだくすぐったかった。
※
次の日の朝。ばっちりキングには作戦を伝えたし、残りの私の仕事はそれを眺めているだけでいいはずなんだけど。うまくいくか少し心配だし。上手くいかなかったら私の責任でもある気はするし。そんなこんなで、今日もしっかり教室へ向かう。新しい習慣というものはこうやって作られていくのかもしれないな、そう思った。
「あ、キングおはよ〜」
扉を開けると、自然と見知った顔が目に入ったので挨拶する。それに気づいた彼女は……こちらを睨みつけてから席を立ち、にじり寄ってくる。
「ちょっと、スカイさん」
「なに? 顔が怖いよ〜」
「とぼけないで。本当にあれが『勝つための作戦』なの」
「キングにはぴったりだと思うけどな」
そこに嘘はない。つもり。
「それなら、信じるけど」
「ありがと。応援はするから、頑張ってね〜」
「……他人事だと思って」
そんな会話をしているうちに教室は人数が増えてきた。残りはお昼休み以降ということにして、自分の席へと移動する。キングには言ってないけど、上手くいかなかった時のサブプランもある。まあそこまで行かないことを祈ってるけど……おっと。
こつ、こつ。規則正しい靴音と共に、一人のウマ娘が教室へ入ってくる。グラスワンダーさん、今日の標的だ。こうして意識してグラスワンダーさんを見ると、なんというかやっぱりオーラが違う。クラス中が縮こまっている気さえする。一見おっとりした雰囲気の彼女に近寄り難い何かが感じられるとすれば、それは彼女が身に背負う期待の裏返し。責任と覚悟。いつかの私にはなくて諦めたものだ。
ちらりとキングの方を見遣ると、なんだか緊張しているみたい。それを見てなんだか不安になってきたな、とは思ってしまったが。仮にこちらにお鉢が回ってきてもそこまで悪い話ではない。あるいはトップクラスのウマ娘に対する、ミーハーな憧れかもしれないけど。少しグラスワンダーさんに興味を惹かれていたのは、誤魔化せない事実だった。
(一人で気ままにゆるゆると、みたいなのが理想だった気がするんだけど)
自分に向けて小さなため息。夢への活力に満ち溢れたこのトレセン学園に、早くもアテられてしまったのかもしれない。小さな変化が私の中に積み重なっていく。あの正論男から始まって、次はキングヘイロー。そしてその次は……わかんないけど。
予感は連なる。何かを、形作るかのように。
※
ふう。やっぱり人の話をずっと聞くのは疲れるなあ。そんなこと言ってたら授業なんて受けられないんだけど、それはそれ。昼休みということは、いよいよ作戦決行の時間だ。さて、どれどれ……。
「グ、グラスワンダーさん! 私とその、一緒にお昼を食べないかしら!?」
「ええ、喜んで〜。キングヘイローさん、でしたよね」
「そ、そうよ! 言っておくけどグラスさん、私貴女には」
「お話もいいですが……とりあえず、食堂へ行きませんか?」
「……そ、そうね! そうと決まれば早速」
「はい、参りましょうか〜」
……大丈夫かな。やっぱり不安になってきたので、こっそり二人の後ろから食堂へ行く。泣きながらキングが帰ってきたりしたら洒落にならないし。いやそれは流石にないか。
「トレセン学園、聞いていた以上のところですよね〜」
「……」
「それでも私たちももうその一員。早く慣れねばなりませんね」
「……」
「キングちゃんは、どうですか? 学園には慣れましたか?」
「へっ!? わ、私!?」
食堂に行くまでの道のりで、既に危うさ最高潮。こりゃ私の出番も近そうだ。一応二人は並んで歩いているけれど、歩調や耳の動きやその他諸々がまるで違う。佇まいが堂に入っているグラスワンダーさんと、一生懸命規則正しく歩いているキング。それにしてももうキング「ちゃん」とは、侮りがたしグラスワンダー。
「私はと、当然慣れたわよ! 一流として!」
「……流石、と言うべきでしょうか」
「……そう、ね。グラスワンダーさん、貴女なら当然知ってるでしょうね」
「私には、窺い知ることしかできませんが」
目の前の会話の雰囲気が少し変わる。さっきまでより、遠く感じる。
「……着いたわね」
「そうですね、続きは食事をしながら」
そう言って、二人は食堂へ入っていく。私は数歩遅れて。まだ、立ち並べない。
※
「お待たせしたわね、グラスさん」
「いえいえ、ではいただきましょうか」
離れた位置から聞き耳を立てる。先程の少しの掛け合いが、二人の間の空気を解きほぐしたらしい。昨日の私がキングの心に踏み込まなかったのとは正反対だと思った。彼女たちの繋がりは、むしろそこから始まっていた。
「お母さまは、向いてないって言ってたの」
そう、二人の会話は再開される。キングのお母さんの話から。私があの時避けた話だと思った。それをグラスワンダーさんには話している。そのことに、少し胸がちくちくした。
「そう、ですか。あれだけ素晴らしいウマ娘だったんですから、その発言も重いですね」
「ショックだったわ。一番私を見てた人が、私に期待してないってことだもの」
「でも、キングちゃんはトレセン学園に来たんですよね」
「……そうね。諦めたくなかったから。絶対に」
諦めたくない。そのワードが、弾丸のように私の頭の中へ届く。キングは自分が期待されてないと知って、それでも諦めなかったんだ。私はそんなふうにはなれなかったのに。今までどこか子供っぽく見えていた彼女が、自分よりも大きく感じられた。
「ありがとうございます。そんな大切な話を聞かせてくれて」
「いいのよ。このくらいは当然の権利として与えてあげる。その代わり、今度は貴女の話を聞かせてくださるかしら? グラスさん」
「ええ、喜んで……と言いたいところですが、その前に」
そう言ってグラスワンダーさんはあらぬ方向を見て……いや、これは。
「こっちに来てもいいんですよ、セイウンスカイさん?」
策士策に溺れる。あえなく私はグラスワンダーさんの前に引き摺り出されることになる。キングの方は私が着いてきていたことに結構驚いていた。むしろ君が気づいてないのはどうなの? とは思った。
※
そうしてキングの横に座らされ、尋問されるまでもなく今回の作戦をぺらぺらと喋り出す私。とはいえ中身は単純で、『昼食に誘って本人しか知らない情報を聞き出してきたら』くらいのものだけど。
「──それではキングちゃんが昼食に誘ってくれたのは、セイちゃんの差し金と」
「グラスワンダーさん攻略のため、私にやったみたいに色々情報を聞き出したら、と提案させていただきまして……いよいよ喋り始める、というところであえなく私自身がお縄についた次第です……」
「そんな堅苦しくならなくても、グラス、でいいですよ? 大丈夫、今回は怒ってませんから」
それ自体は本当な気がするけど、次嵌めようとしたらタダじゃおかないって警告な気もする。絶対そうだ。
「スカイさん、私がうまくやれるか心配だったんじゃないの? それで着いてきたのかしら」
ぎくっ。案外鋭いな、キング。
「まあご覧の通り、私はちゃんと話を聞き出すところまで成し遂げたわよ! これが一流の証! おーっほっほっ!」
そこまで上機嫌なら、こっちも怒ってはいないらしい。それならそれでよし。私は改めて、栗毛の少女の方に向き直る。柔らかい雰囲気と、頑健な内面を併せ持つ。その瞳を見据えるのにすら、少し勇気が必要だ。
「グラスちゃん。聞かせてよ、君の話」
「もちろんですよ、セイちゃん」
少し強引に距離を詰めて。またこれも私の変化、かもしれない。二人の会話を聞いたから、また少し。
「グラスちゃんはさ、どうしてトレセン学園に来たの? どうして、走ることを決めたの」
「私は、そうしたかっただけですよ〜」
「そうしたかった。それだけを理由に、頑張れるのかな」
「少なくとも、私はそうしてきました。……これでもここまで、それなりに努力を重ねてきたつもりですよ? 昔は日本語だってうまく喋れなかったんです」
「それって……」
「これでもアメリカ生まれなんですよ? 日本文化に憧れて、武道や茶道も身につけました。そして日本にまでやってきました。『大和撫子』が、私の憧れなんです。だから」
「なるほど。自分を貫けるのが、グラスちゃんの強さなんだね」
期待を背負えど、覚悟は常に己と闘っている。憧れと夢に殉じる覚悟。それは焔の如く、彼女の中に宿っている。それは、私とは違うもの? そのはずだけど、私の中でも何かが揺れていた。
「セイちゃんは、どうしてここに来たんですか?」
「私、かあ。そうだよね、キングもグラスちゃんも喋ったし」
「そういえば私も、スカイさんのこと聞いてないわね」
じっと周りが見つめる。……けど。
「話したいのは山々なんだけど、もう昼休み終わっちゃうよ? ほら」
そう時計を指差してやる。私が時間を気にするなんて、大嘘吐きもいいとこなんだけどね。
「本当じゃない! とりあえず教室に帰りましょう、グラスさん!」
「そうですね〜、参りましょうか。ほらセイちゃん、逃げたらだめですよ?」
やっぱりグラスちゃんには敵わない。この場をごまかすことには成功したけど、サボりは失敗だ。……こりゃ近いうちに、結局話すことになっちゃうかもな。二人の動機と比べると、みっともなくて情けないけど。
三人で、今度は並んで駆けて行く。今目指すのは教室だけど、いつかはその先へ。どこかにそんな未来が見えた。私は初めて、未来を夢見た。これもまた一つの変化だったと、後から見れば言えるだろう。結んだ糸を揺らしてみれば、共振が広がっていくように。小さな繋がりの集まりが、私を変えてゆく。
そしてそんな繋がりは、これからもっと。もっと多く、もっと強く。青空さえ埋め尽くすほどに、光は満ち溢れている。