【完結】セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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迷え走れよストレイガールズ

 併走というものは、そもそも何のために二人並んで走るのか。すっかり夜の色になってしまった練習用のターフに向かいながら、いつかの授業で聞いたそんな話を思い返していた。たとえば私が今からトップロードさんと走る意味、みたいな。ちなみに教わった理屈としては、競り合うことで競争心が刺激されていいタイムが出る、みたいなことらしい。けれどそれなら今からの私たちには当てはまらない。もう他はみんな帰ってしまってタイムなんか測ってくれる人はいないし、私は競り合うのキライだし。いつも逃げを打つのはそういう理由もある。でもそれなら、私は何故。

 

「……じゃ、やりましょうか。ここに石ころが一つあります。上に投げるんで、地面の上に落ちたらスタートです」

「はい。ありがとうございます、スカイちゃん」

 

 何故、今からトップロードさんと併走をするのか。どうして私は、その選択をしたのか。表層的な理由はあるけど、根本的な理屈が自分でもわからない。でもその理屈がわかるより前に、もう走ってしまうことになりそうだ。はっきりさせたい気持ちもあるけれど、時間はそれを許さない。それに、なんとなくそれでいい気がした。これもやっぱり、理屈がない。でも、とりあえず。「じゃ」とだけ告げて、握っていた石を大ぶりに投げる。真上に広がる星たちに向かって。放物線を描いたそれは、程なくして地面に落ちる。ふわり、ウッドチップに受け止められる。すとんと落ちる、響くことのない微かな音だった。いつものゲートの開閉音に比べたら、作られる波紋もゼロに近い。だけど。

 だん、と二人同時に地面を蹴る音は。そこに重なりひろがるうねりは、ゼロじゃない。

 

 

 併走というものは、何のために。走り始めた後、やはり私はそんなことを考えていた。「走った後ならなんだって言える」というのはトップロードさんの弁だ。今私の横で、ひたむきに駆けるその顔の。ちらりとそちらを見てみたけれど、こちらと目が合うことはなかった。そんな余裕は彼女にはなかった。いや、捨てていた。いつもは丸く見開かれている瞳は、獲物を捕らえるための鋭さを身につけていた。いつもは快活に開かれ大きく声を出す口元は、ただ酸素を的確に吸収するために小さく固定されていた。それを一瞥した私もまた、脚と視線を未来に据えて。やはり今は、何も考えなくていい。併走の理屈は、走ることで当たり前のように見えてきていたから。それが本能にある限り、私たちは走ることで道を切り拓けるのだと。

 

「はーっ……はーっ……」

「トップロードさん、なかなかやりますねっ……!」

「はあっ、ありがとう……ございますっ」

 

 もちろんお世辞じゃない。コースの半分くらいまで走ってきたわけだけど、気を抜いたらすぐに追い抜かれてしまいそうなくらい。恐れ多くもクラシック二冠バの私についてこれるのなら、客観的に見て相当な能力を持っているはず。だけど己がいくら秀でていようとも、油断ならないライバルがいるのがトゥインクル・シリーズ。だからきっとこの人は、不安を抱えずにはいられない。どこまでも努力し続けて、それに見合った期待を背負って。そしてそれ故に、期待の裏返しの不安を抱いてしまっている。ターフを踏み締める蹄鉄の音は、互いの足元からそれぞれのリズムを鳴らす。それはあるいは心に宿る拍動に近く、だから私たちはその走りから何かを読み取ることができる。そんな私たちにとっての当たり前を、今日もまた、見つけた。

 気づけばそろそろ2,000mのコースも終わりが近い。互いに息を荒げて、ジョギングしながらの語らいみたいなものはなくて。真剣に獰猛に、前だけを見てひた走る。それが併走というもの。それが私たちにとっての、走るということだから。かつてトップロードさんのが言った通り、さっき私が言った通り。

 

「もうっ、少し……!」

「はっ、はーっ……」

 

 やっぱり、走るのは楽しい。私にとっては何度目かで、トップロードさんにとってはまだ新鮮な感情かもしれないけれど。そんなありふれたものを今共有できていたらいいなと、同時にゴールを駆け抜けながら思った。強く強く、ターフにぎしりと二人の足跡を刻みながら。ここで走ったのは私たちだけじゃない。今まで沢山のウマ娘が、この道で走りに夢を乗せてきた。思い思いに願いを込めた、自分だけの夢を。みんな同じコースを走るのに、みんな同じような悩みを抱えるのに。それでもみんな、違う夢がある。だからやっぱり、私の話はトップロードさんの参考になるかはわからないのだけど。それでも、強く願うのは。横で肩を大きく上下させながら、汗と土だらけのジャージに青い笑顔を光らせるその人に想うのは。

 

「ありがとうございました、スカイちゃん!」

 

 誰のものでもないその夢が、どうか煌めきますように。

 

「……はい。お話しする前に、いつもの調子が見れてよかったです」

 

 この先いくら悩み迷えど、あなたがあなたでありますように。そんな、やっぱり当たり前だった。

 当たり前だけど、特別だった。

 

 

「さて、お疲れ様でした」

「はい、スカイちゃんもですよ」

 

 夜のターフに二人きり。門限には遠いけど、大体誰もいない時間。少し肌寒い風がふわりと体の隙間を吹き抜けて、星が散らばる夜空へ消えてゆく。きらきらの粒がよく見える、よく晴れた空だった。晴れやかな気分だった。どこまでも、澄んでいた。今ならなんだって話せるくらいに、だった。やっぱりそれも、いつかトップロードさんが言った通りだった。今横で佇む人からのアドバイス通り。それなら、次は。

 

「じゃあ、満を辞して。なんて、そんな大したことは言えないですけど」

「はい」

「トゥインクル・シリーズの先輩として。お話し、しましょうか」

 

 次は、私の番。まだ夜はこれから。まだ今日は終わらない。宵闇はいくら広がれども、私たちを閉じ込めない。レーンに二人で寄りかかり、私はゆっくりと口を開く。デビューの頃の私の話。懐かしいというほど昔じゃないはずなのに、遠い記憶を辿る感覚。あるいはそれを誰かに受け継ぐことが、私自身の成長を表しているのかもしれない。あの頃から変化していると、私は私に示しているのだ。

 

「私、結構デビュー遅かったんです。トップロードさんも知ってると思いますけど」

「はい。トレーナーさん、結構心配してましたね」

「ああ、そうなんですね……あの人には一回止められましたけどね。デビューが遅い理由の一つはトレーナーさんですよ」

 

 そう言ってみると、トップロードさんはやや意外そうな表情。やや、というのがミソで、やっぱりトレーナーさんがそういう人なのはバレてるみたいだった。こちらを試すように本心を隠すくせに、その実いつでもびくびくしてる人。まあ、それはさておき。

 

「でも、そうやって一度止められたこと。多分いい意味はあったんですよね。私にとってのタイミングは、多分遅くてちょうどよかった。……トップロードさんは、どうですか?」

 

 私にとってのデビューもまた、恐れや不安を孕んだものだった。同期のデビュー、前を向くその姿。どこまでも輝くそれに対して、自分は勇気が出せなかった。諦めそうになっていた。そんな状況に追い込まれ、逃げ道を失くしそうになって。だからこそ、私はデビューした。負けたくないと、初めてその時思えたから。そう、走るだけならトゥインクル・シリーズに挑む必要なんてない。勝ちたいから、私たちはデビューする。だから、きっと。

 

「トップロードさんも、今デビューしたい理由があると思うんです。きっとそれはどんな恐れや不安よりも、優先したい理由で」

「……はい」

「なら、先輩として言えるのは。その気持ちが嘘じゃないなら、絶対大丈夫だよってことくらいです」

 

 悩むことはある。後悔することもある。夢が叶わないことも、やっぱりある。それでも私たちが歩んだ道は、どこにだって間違いがない。それはきっと、これから歩む誰かだって。そこまで告げて、一息吐く。ふう、と互いの息の音がする。重なったのがなんだかおかしくて、ちょっとだけ笑い声が漏れてしまう。釣られてトップロードさんも、ぷすっと。そうなると連鎖して、二人でけらけら笑ってしまう。すっかり帷の降りた空間に、笑い声だけがこだましていた。最初あった緊張は、すっかり夜に溶けていた。ひとしきり笑い合ったあとに、トップロードさんがまた言葉を並べる。空に、再び音が響く。

 

「確かにスカイちゃんの言う通り、怖くて不安です。でも、私がデビューしたいのは嘘じゃないです。胸を張って、そう言えます」

「なるほど。ちなみに、その理由は」

 

 デビューしたい理由。ある種根源的なその問いには、答えるのにやはり少しの思考時間を要した。けれどしっかりと返答があったことこそ、彼女の迷いのなさを示している。そう思った。

 

「一緒に走りたい、相手がいます。期待に応えたい、気持ちもあります。……こう言ってしまうと、ありきたりに聞こえちゃいますけど」

「そんなことないです。そう思ってる自分と相手が唯一無二なんですから」

「はい。……とは言っても、相手はとっても自信たっぷりだったり、ものすごく真剣だったり。本当に私がその相手に相応しいのかとかは、やっぱり考えてしまうんですけど」

 

 なるほど、それは私も似たようなことを考えていた気がする。どうしても他人はきらきらして見えて、自分は逆に頼りなく見えてしまう。だけどそんなことはないと、私は知っている。どんな不安より明瞭に、私たちを証明してくれるものがあるから。まだトップロードさんは知らないことだ。それは、つまり。

 

「走ってみれば、わかりますよ。だってライバルなんですから。その人たちと一緒に、トゥインクル・シリーズを走るんですから。悩んでも悩まなくても、すぐにわかります」

 

 もうすっかり夜は始まってしまっていて、話し相手の顔だってはっきりは見えないくらいだったけど。その言葉を聞いた時の彼女が一番いい顔をしていたと、私はそう記憶している。大いに悩み迷えども、答えや結論はシンプルな方がいい。

 私たちは走りたい。誰かと。みんなで。私たちで。

 

 

「いよいよだな! トップロード、行ってこい!」

「はい、トレーナーさん! 私、頑張ります!」

「一生懸命、ほどほどに、ですよ。……というよりトレーナーさん、私のデビューの時はこんなに応援してなかった気がするんですけど」

「スカイの時はその方がいいと思ったからだ。だが今日のトップロードは一番人気だからな。期待に押しつぶされないよう鍛えた方がいい」

「なんかうまく丸め込まれた気がしますけど、そういうことにしときましょうか」

 

 私たちがそんな会話をガチャガチャやっていたのは、トップロードさんの控え室。デビュー戦ながらトレーナーさんの言う通りトップロードさんは一番人気で、いきなり大きな期待を背負ってしまったという感じである。私としてはまだ一番人気など取ったこともないので、想像のつかない世界と言えるかもしれない。そういや秋の天皇賞の時も、スズカさんと違って私は、なんて考えたっけ。それはともかく。

 

「大丈夫ですか? トップロードさん。結構目がぐるぐるしてますけど」

「あうっ、そうですか……。正直、緊張しているかもしれません」

「そりゃ、無理もないですよ。レース前って、これからずっと緊張するもんですからね」

「そう、ですね。ありがとうございます。やっぱりスカイちゃんは、頼りになる先輩です」

「トップロードさんにそういうこと言われると、なんだかくすぐったいですねえ」

 

 散々先輩風を吹かせてしまったけれど、今になってちょっと恥ずかしく。トップロードさんに教わったことの方がよっぽど多いし、この数日で返せたのはほんの少しだけ。それでも私たちは、これからも続いてゆくから。

 

「ほら、時間ですよ」

「……はい! いよいよ、ですっ」

「行ってこい!」

「行ってきます!」

 

 そうして、二人がかりで背中を押して。いよいよトップロードさんのトゥインクル・シリーズが始まる。新しい世界が、幕を開けるのだ。

 ……ちなみに、レースの結果はというと。

 

「惜しかったな。クビ差二着。次は勝てるぞ!」

「はい。……でもやっぱり、勝ちたかったですね」

 

 惜しくも二着に破れ、初戦から白星とはいかなかった。そういう結果。もちろん誰だって自分が無敗神話を築けるなんて思ってはいないけれど、負けは悔しい。とはいえそれも当たり前のこと。本気でやっているから、負けたら悔しいんだ。悔しさで歪むトップロードさんの口から、また言葉が繋げられる。凛とした口調で。まだ、迷えども。

 

「次は、勝ちます。もちろん、勝てるとは限りません。それは、これから先ずっとです」

 

 迷えども、挑み続ける。それは祈り。

 

「でも、勝ちたいって思います。負けを無駄にしたくないって、ずっとずっと走りたいって」

 

 迷えども、走り続ける。それが夢。

 

「……だって今日、とっても楽しかったですから!」

 

 迷えども、そう笑えるのは。それこそきっとこの人の一番の強さだと、私はそう思うのだ。

 そうしてまた一つ、始まった。




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