新しい環境に放り込まれても、時間をかければそのうち慣れる。私の場合は一週間くらいでなんとかなった。教室へのルートも覚えたし、扉を開けるのにも緊張しない。そんなちょっとした変化を、このクラスのみんなが経験している。当たり前のことだけど、それは何か素敵な気がした。急いでいたら見過ごしてしまいそうな、きらきら光る一粒の青春。それをみんなが持っている。
「あらセイちゃん、おはようございます〜」
「グラスちゃんおはよー」
「今日もいい天気ですね〜」
「そうだねえ」
グラスちゃんともだいぶ打ち解けた。というか私達、それなりに波長が合う。穏やかとかゆるゆるとか、そういう感じのアレが。
「相変わらずしゃきっとしないわね、あなた達……」
「キングもそんな肩肘張らなくてもさ、のんびりしてみることを覚えてみたら?」
「そうですよ〜、この前だって固くなり過ぎて」
「よ、余計なお世話よ!」
キングとグラスちゃんと私。三人での会話は新しい日常の一ページになって久しい。それに朝の教室を見渡すと、私達以外にも取り留めのない会話が溢れている。なんかいいなあ、こういうの。ちょっとした環境音は昼寝を快適にしてくれるしね、なんて。
そうしているとチャイムが鳴って、皆が自分の席に帰っていく。私も慣れた手つきでノートと教科書を広げる。こんなことにいちいち喜びを感じていたら、キリがないんだろうけど。変化が馴染んでいく感覚は、何ものにも代え難い。そう思った。
※
「そういえばグラスさん、スカイさん」
「何?」
「何でしょう」
これまたすっかり慣れた三人での食堂。今日話題を切り出したのはキングだった。
「二人もそろそろ、どこのチームに入るか決めたのかしら?」
「キングちゃんはそういえば、さっきの休み時間に加入届を書いていましたね」
「そう! 一流は決断の早さも一流なのよ!」
ああ、その話か。私たちトレセン学園のウマ娘は、トゥインクル・シリーズに挑戦するためにチームへの加入を必要とする。チームを代表するトレーナーの元で指導を受けたり、同じチームのウマ娘と合同トレーニングしたり。トゥインクル・シリーズへの参加条件というのもあるけれど、チームに所属する恩恵は大きいし、早く決めるに越したことはない。それにしてもキングはもう決めたんだ、流石。そしてグラスちゃんは……。
「私は、チーム<リギル>に入ることに決まりました」
グラスちゃんも、チームを決めた。ということは残るは私だけ。そんなことより大事な情報が、今グラスちゃんの口から飛び出したけど。
「<リギル>って……いいえ、グラスさんなら当然と言うべきかしら」
「ありがとうございます、キングちゃん。<リギル>のトレーナーさんから声をかけていただいたので、運が良かったです」
チーム<リギル>。七冠ウマ娘シンボリルドルフを筆頭に、学園の有力ウマ娘が軒並み集う『最強』のチーム。勿論トレーナーさんもそれに見合った優秀な人で、そのトレーニングはとても実践的らしい。それはつまりトレーニングがきついということで、私には縁がないチームということでもある。最強を掲げるという点でも、二重に。
「すごいなあ、グラスちゃんは」
「まだスカウトしてもらっただけですから〜。それに期待されるということは、その期待に応えねばならないということ。今まで以上に、日々是鍛錬、ですね」
そこで闘志を燃やせるのが、グラスちゃんの本当にすごいところだ。私には期待を背負う感覚すらわからない。
「そういうスカイさんは」
「いや〜、私は」
「チームに入らないと、レースにも出られませんよ?」
「それはもちろん、知ってるけどさ」
悩んでいるというより、考えることを避けている。そんな指摘が飛んでこないのは友達故の優しさというやつか。でもこの二人に相談しても、真面目な回答しか返ってこない気がする。練習のキツい真面目なチームを選ぼうという回答しか。
「私、セイちゃんと走るの楽しみにしてますから」
「あはは、ありがとー」
「いい、スカイさん。最後に勝つのはこの私、キングヘイローよ! ……だから、ちゃんとレースに出れるようにくらいはしておきなさいな」
「キングもありがとー」
「相変わらず締まらないわね……」
なんとか躱したけど、二人からの圧を感じる。早くどこかのチームを探さないと絶交されてしまいそう。まあ、それに。『一緒に走りたい』、そう言われて悪い気はしないから。それはきっとうっすらかけられた、期待に近いものだから。
※
放課後学園内を散策すると、そこかしこに募集のチラシが貼ってある。やる気に満ち溢れていて、見ているだけで眩しくて目がやられそう。しかし何の情報も集めてないから、何を基準に選べばいいやら。……と、そこで少し前の記憶に行き当たる。そうだ、適当に会話をしすぎて忘れていた。あの正論男から聞き出した、練習が楽なチームの名前。確か名前は……。
「チーム<アルビレオ>、加入募集してまーすっ!」
溌剌とした声が、校舎の外から聞こえて来る。当然知らない声だけど、問題はそのチーム名。そう、聞き覚えがあるぞ。確か練習が楽だと聞いたチームの名前はア……なんとかだったはず。そこまでは確かに覚えていて、<アルビレオ>という名前は初めて聞いた気がしない。ああ、これこそ運命かも! 善は急げと、入部を呼びかけているウマ娘の方へ向かう。グラスちゃんと同じ栗毛だけど、少し明るい髪色かも。そして雰囲気もそんな感じ。そんなふうにちょっと観察した後、私は彼女に話しかける。……つもりだったんだけど。
「あ、もしかしてあなた、私たちのチームに興味ありますかっ!?」
「あ、はい。まあ一応」
「ありがとうございますっ!」
あちらから先に、若干食い気味に。でも勧誘なんてこれくらいじゃなきゃやっていけないか。
「私は高等部のナリタトップロードといいます。以後よろしくお願いします! よければ貴女の名前も聞かせてもらえますか?」
「私は中等部のセイウンスカイです。以後よろしくかは、まだわかんないですけど」
「わわっ、そうですよね。すみません、つい」
「いえいえ。よろしくお願いしますね、ナリタトップロード先輩」
まともにトレセン学園の先輩と話したのは初めてだけど、話しやすいしいい人そう。もし同じチームに入るとしたら、そういうのも重要だろう。
「じゃあ、スカイちゃんがよければ、ですけど。チームの部室に案内するから、そこでトレーナーさんから話を聞いてみてください!」
「ぜひぜひ。よろしくお願いします」
「やったっ! と、こちらこそよろしくお願いします!」
丁寧に入部に誘い込まれてる気もするけど、歓迎されるのは悪くない気分。そうやってちゃんと乗せられてしまっているのだから、我ながらセイちゃん、ちょろい。そうしてしばらくトップロードさんに連れられて、連れられて。着いたところは。
「トレーナーさーん! 加入希望の子、連れてきましたよー!」
薄暗い、小さな、空っぽの部屋。このチームのトレーナーが待ってるはずだったんだけど。トップロードさんの声が空しく響く。……雲行きが怪しくなってきた、かも。
「ご、ごめんなさいスカイちゃん。多分すぐにトレーナーさん帰ってきますから」
「いえいえ、どうせ暇ですしお気遣いなく」
とはいえ必死におろおろしているトップロードさんを見ると、ここで帰ってしまうのはあまりにも酷だ。少し退却も考えたけど、私は鬼にはなりきれないや。
「えーとそれじゃあ、とりあえず座ってもらって、私が代わりに説明するしか……あ!」
そこでトップロードさんの動きがぴんと止まり、こちらに向かって手を振る。いや、これは私じゃなく、私の後ろに向かってだ。それはつまり、待人きたりの意。このままずっと来なかったら考えものだったけど、すぐにトレーナーさんが来て良かっ──。
「久しぶりだな。セイウンスカイ」
そこで私の思考はフリーズする。聞き覚えのある声。恐る恐る振り返ったら目に入ってくる、あの太い眉。そして何より、「久しぶり」。
「歓迎するぞ、セイウンスカイ! チーム<アルビレオ>に!」
ようやく忘れかけていたのに。これ以上ないくらい嫌な形での、正論男との再会だった。
※
「──と、一応<アルビレオ>がどんなところかって説明はこんな感じです。結局トレーナーさんの気まぐれも多いんですけどね」
「あはは、説明ありがとうございます……」
「それにしてもトレーナーさん、スカイちゃんと面識があったんですね! チームメンバー集め、トレーナーさんもやる気あったってことですよね?」
「俺は少し話しただけだ。それで来てくれたのなら、セイウンスカイの方にやる気があったってことだろう」
「なるほど! スカイちゃん、これから一緒に頑張りましょう!」
まずい。状況証拠は完璧だ。前にこの正論男と少し話して、それで興味を持って彼のチームに入ろうとした。誰がどう見たって聞いたって、この状況じゃそれしか考えられない。そして私は同時に、とんでもない勘違いに思い至った。
「あのー、トレーナーさん? この前あなたから聞いた練習の緩いチームって、なんて言いましたっけ」
「ああ、それなら<アルゲニブ>だな。ウチとは名前が似てるが、ウチの方がチームとしては上だ! 勝手ながらそう自負している」
「ああ……ありがとうございます」
最後のピースが嵌まる。ア……というのは覚えていたとおり。けど<アルビレオ>に聞き覚えがあったのは、他ならぬこいつの自己紹介があったから。そんな微妙な記憶を頼りにした結果、最悪のルートに辿り着いてしまった。
「それはそうとセイウンスカイ、よく来てくれた」
「今更ですけど、ちょっと喋っただけなのに。名前、覚えてたんですね……」
「当然だ。走りそうなウマ娘の名前は覚えておくと言っただろう」
そう言われて言葉に詰まる。嘘じゃなかったんだ、なんて言いそうになる。この人がそういう人じゃないことくらいは、既にわかっているのに。
「それじゃあスカイちゃん、これ、加入届です!」
「え。その、まだ入ると決まったわけじゃ」
「いいやセイウンスカイ、この部屋に入ったからにはもうチームメイトだ」
「なんですかそれ。流石に横暴でしょそんなの!」
とは言ったものの、部屋の扉はトレーナーさんが。後ろからはトップロードさんが。この男の執念に燃えた感じの目も怖いし、トップロードさんの訴えかけるような瞳も逃げづらい。……少し考えた。考えたけど。
こりゃ、ダメだ。
※
帰る頃には日が暮れていた。結局私は「晴れて」チーム<アルビレオ>に入ることとなった。そうしないと帰れない状況だったから致し方ない。トップロードさんはいい人だけど……。やっぱり苦手だ、あの男。あの様子じゃトレーニングもキツそうだし、どうしたもんか。うまくやるしかない、そう考え直して寮への歩みを進める。きっとこの脚も明日からは、走ることに使うのだろう。いつかのあの日、諦めることを覚えたあの日以来に。
のんびり、ゆるーり。今の私が尊んでいるそういったものとは別に、どこかで私が欲しているものがある。認めてほしい、期待してほしい。そして、褒めてほしい。私自身が諦めて止めてしまった、昔の私の欲求だ。だからそれはずっと子供のまま。大人にならなくちゃいけない私は、それを表に出してはならない。
夜風が吹き抜ける。水面が月に照らされる。少しの間物思いに耽っているだけで、夕暮れは夜へと変わっていた。時間の流れは、常に何かが変化しているということを示している。私だって、変わってゆく。それ自体が良いか悪いかは、まだわからないけど。
怖くはない、気がした。