結論から言えば、チーム<アルビレオ>の練習はキツかった。それも愚直に何度も同じことを繰り返すタイプ。私が苦手なものの一つ、根性論で出来ている。私の他にも何人かチームメイトは居るけれど、トップロードさん以外はみんなトレーニング終わりにはヘトヘトだ。私含めて。これも新しい日常になるとしたら、嫌だなあ……。
「今日のトレーニングはここまで!」
「みなさん、お疲れ様です! ゆっくり休んでくださいね!」
「みんな! 明日も頑張るぞ!」
そうして今日も、日の暮れてきた頃にトレーニングが終わる。夕焼けに照らされながら息を切らせているのは、ある意味青春って感じはする。けど暑苦しい方の青春だ。私が求めるのはもっとこう、爽やかで健やかなやつ。
「大丈夫ですか? でもスカイちゃん、素質ありますよ!」
「はあ、はあ……。そ、そうですか?」
「そうだな。だからスカイ、これからもトレーニングだ」
「はあ、そうなりますか」
トレーナーさんが暑苦しい言葉をかけて、トップロードさんが労いの言葉をかける。そんな感じの飴と鞭で、このチームは回っている。私もそれにいいようにされてるのかもしれないけど、やっぱり根性ばっかりのトレーニングは苦手だ。というか周りを見る限り、これに着いてこれてる子は少ないような……まあ、いいか。適度な距離感を保って緩くやっていこう、なんて思う。そういうことにしないとやってられない、とも。
※
「とにかく、セイちゃんもチームが決まって良かったです」
「まあ、それはそうかも」
「身体も出来上がり始めたみたいですし〜」
「げっ、なんか嫌だなあ」
のんびりとした陽気が包む教室の中、お互いのんびりとしたグラスちゃんとのお話。放課後が潰れた今となっては貴重な休み時間の、心を癒す些細な会話。グラスちゃんの言う通り、私の身体は筋肉痛や肩凝りやら、もうひどい。そんな状況で練習すりゃ確かに身にはなるだろうけど、かなり非効率だとも思う。
「そういえばグラスちゃんはどう? やっぱり大変かな、<リギル>」
「そうですね〜、トレーニングは綿密に計画されていますし、手を抜くわけにはいきません」
綿密に、かあ。それはそれでキツいんだろうけど、同じキツいトレーニングでも<アルビレオ>と大きく違うところはそこだ。すなわち、理論の有無。
「それに、昨日の自分を常に越えねばならないのが、<リギル>ですから。そういう意味でも大変ですね」
「うひゃあ、しんどそう」
理論的なのは羨ましいけど、やっぱり私には遠い世界だ。それでもやっていけてるんだから、グラスちゃんはすごいなあ。半ば呆気に取られていると、くすくすと笑いながらグラスちゃんが付け加える。
「あと、もう一つ」
「まだあるの」
「トレーナーさんの指示には絶対服従。それが<リギル>の決まりです♪」
自分のトレーナーに不満たらたらな私の心を見透かすように、柔かにぴしゃり。それ、すっごく大変だと思うよ……。
※
そんなグラスちゃんの言葉を胸に、今日も今日とてトレーニング。部屋に向かうと、薄暗い空間が私を出迎える。相変わらず埃っぽくて狭苦しくて、ちょっと苦手。そこには先客がいた。ぎこぎこ音を鳴らしながら椅子に座っている。トレーナーさんだった。
「珍しいなスカイ、今日は君が一番乗りだな」
「こんにちはトレーナーさん。確かに珍しいかもね」
それを言うなら、チーム部屋でゆっくり寛いでるトレーナーさんも珍しいと思ったけど。いっつも力が有り余ってる感じなのに、今は座って雑誌を読んでいる。この人にも趣味とかあったのか。
「何読んでるんです?」
「ちょっとした趣味の本だ」
「だから、その趣味を聞いてるんですよ」
「……釣りだ」
釣り。トレーナーさんの口からそんなワードが出てくるとは。多分信じられないようなものを見る目で、私はトレーナーさんを見ていた。
「なんだその目は。言っておくが、柄じゃないなんてのは聞き飽きて──」
「そんなことありませんよ! それより、こっちで有名なスポットとか教えてくれませんか?」
びっくりしてついつい食いついてしまう私。トレーナーさんもびっくりして返答する。
「まさか、君も」
「それはこっちの台詞ですって。トレーナーさんも釣り人だったとは、セイちゃんびっくりしちゃいました」
本当にまさかまさかである。トレーナーさんと初めて話が通じた。噛み合わないとばかり思っていたけど、何があるかわからないものだ。
「──ふーむ、なるほど……」
「そうなんですよ、釣りには作戦ってものが必要なんです。もちろん場所や天候や狙いに応じて臨機応変に、それが醍醐味なんですから」
「参考になるな……スカイの教え方が上手い」
「指導者たるトレーナーさんに褒めてもらえるとは、光栄でございますなあ」
そんな感じで小一時間盛り上がってしまった。後からトップロードさんが来て、二人で楽しそうにしているのは初めて見たと言っていた。「スカイちゃん、すごくいい笑顔でしたよ」なんて。なんだか恥ずかしいけど、トレーナーさんに対する苦手感はこの日以降少し薄れたのも事実で。もちろんやっぱり、性格は合わないけどね。
そうやって、なんだかんだという感じで。今の生活、今のチーム。完璧じゃなくてもそう悪くないかな、なんてことを私が思い始めた、その矢先のことだった。
※
今日も何事もなく過ぎ去った授業の後。放課後、ルーティンと化したトレーニングに向かおうとした時。
「スカイさん、隣のクラスからお呼ばれよ」
「え、何かしたかな私」
「知らないわよ……あなたのチームメイトらしいから、チームの話じゃないかしら」
確かにそうだ。教室の前に待っているあの子は、チームメイトの一人。ショートヘアの真面目な子で、いつも一生懸命トレーナーさんの無茶な掛け声に応えていたのを覚えている。それなのに今日はなんだか元気がない感じで、ちょっと不穏だ。とはいえ無視するわけにもいかないし……。
「教えてくれてありがとキング。ちょっと話してくるよ」
「今更だけど、貴女チームに入って変わったわね」
「ああそれ、グラスちゃんにも言われた。身体が出来上がっていくって、正直不気味だよね」
「身体じゃなくて……まあいいわ、とりあえずいってらっしゃいな」
それもそうだと思い、教室の外へ向かう。言い渡された言葉はこうだった。
「わたし、<アルビレオ>を抜けることにしたんです」
それを聞いた時の私の表情は、果たしてどんなものだったのだろう。
「わたしじゃ、練習についていけなくて。もう無理です、限界です。しんどい、です」
「……そっか」
「だけどトレーナーさんにも、トップロード先輩にも言える勇気は、なくて。卑怯だと思います。でも、セイウンスカイさんにお願いするしか思いつきませんでした」
わからなくもない話だ。あの練習についていけてない子がいるのは分かっていた。だからこれも時間の問題。いくら憧れが強くても、応援や期待が間近にあっても。あの人たちは眩しくて、自分とは違うって思ってしまう。そういうのはよくあること。そうして諦めた一人が、他ならぬ私だから。
「わたしの代わりに、わたしの脱退届をお願いできませんか」
そう言って彼女は、くしゃくしゃの脱退届をこちらに差し出す。その端に、涙の跡が付いていた。ここで私がかけるべき言葉はなんだろう。何も言わずに受け取って、それで終わりにしてしまうべきかもしれない。あるいはそんなこと言わないでよ、と彼女の気持ちを鎮めて復帰させるべきかもしれない。この状況に対してはっきりした正解があるとすれば、そのどちらかを示すことだろう。だけど。
「お疲れ様。私もわかるよ、その気持ち。非効率的な練習だなーって思うもん」
「そ、それは」
「ああいいよ、気を遣わなくて。気を遣わなくていいから、私に頼む理由が知りたいなって」
「……それは」
「練習に不満を持ってて、脱退届を出しても自分のことを止めたり怒ったりはしなさそう。それでも私自身は釣られて辞めそうにない、そう見えたから。だから私に頼みに来たんでしょ?」
私の正直な気持ちを話すとすれば、こうなるのだろう。気持ちはとてもよくわかるけど、私はなんとなく同じじゃないや、と。やっぱり私には、正論より曖昧が似合っている。
「……すみません」
「謝らなくていいよ。もちろんトレーナーさん達にも。こういうのは誰が正しいとかじゃないんだから」
「私は、正しくないです。セイウンスカイさんのこと、都合よく使おうとして」
「それも含めて、謝らなくていいの。誰だってそういうのはあるからさ。なんで辞めそうにないと思ったのかは、ちょっと気になるけどね」
そう問うと、彼女はおずおずと口を開く。飛び出したのは予想外の発言だった。
「セイウンスカイさん、頑張ってましたから。しんどくても、頑張り続けてて」
「私より君の方が、ずっと真面目だったと思うけど」
「うまく説明できないんですけど、違うんです。何か、しっかりした芯があるというか。だから、その」
芯、かあ。私にそんなものあるのかな?
「いまいちしっくり来ないけど。なにかな」
「セイウンスカイさんには、頑張り続けて欲しいです」
「……わかった」
そうか。私、頑張ってたように見えたのか。自分では上手く手を抜いていただけのつもりだった。これからももちろん、そのつもりだった。けれど、彼女は私に頑張ってほしいと言っている。期待、している。
「じゃあ、わたしは失礼します」
「うまく説明しとくから。気にしちゃダメだよ」
「……ありがとう、ございます」
そうして去ってゆく背中の荷物を、少しでも減らせていたなら。そう、思う。
※
「そう、ですか……ありがとうございます、スカイちゃん」
「いえいえ、私はお伝えしただけですから」
トレーニング前の小さな部屋。窓から入る一筋の光だけが照らす静かな場所で、トップロードさんに彼女のことを伝える。この人はそういう人だと分かっていたけど、こう分かりやすくショックを受けられるとちょっと罪悪感。
「あっ、ごめんなさい! こんなことじゃダメですよね、トレーナーさんには私が伝えておきます」
「トップロードさんがやりづらかったら、別に私が伝えますけど」
「スカイちゃん、ありがとうございます。でも」
そう言って、トップロードさんは私の手を取る。汗が滲んでいたのは、どちらの手も同じだった。
「辛いことを一人に閉じ込めさせてしまうのは、嫌なんです」
「……そうですね。思ったより、私も辛かったかもしれないです」
「だから分担しましょう。そんな大層なことじゃないかもしれませんが、だからこそです」
「トップロードさんって、いい人ですね」
純粋な賞賛が口から漏れる。きっとこの人は、心の底から正しさを実行できる人。それは時に眩しすぎて誰かの眼を焼いてしまうとしても、正しさを諦めてほしくないと思った。私にそんなことを言う権利はないから、心の中に留めておくのだけれど。
「いい人、ですか。そうだったらいいな、とは思いますけど」
「いい人ですよ。自信持ってください」
「ありがとうございます、スカイちゃん」
多分トップロードさんにも、トップロードさんなりの悩みがあって。あの子が言うほど眩しいだけの存在じゃない。そう、今更気づいて。あの子もいつか気づけたらな、そうも思った。
「よし! 練習を始めるぞ!」
しばらく後にトップロードさんが呼んできたトレーナーさんは、びっくりするほどいつもと変わらなかった。多分トップロードさんから脱退の話は聞いてるはずなんだけど、それくらいでは動じないということか、はたまた。
トレーニングもいつも通り。いや、人数が少なくなった分キツくなった。ひいひい言いながらコースを走って、階段ダッシュして。相変わらずの根性トレーニングだけど、本当にこれしか知らないのだろうか。ともあれ今日もお開き、となったところで。
「みんなお疲れ様! 俺は今日部室でやることがあるから、みんなは着替えたらそのまま帰っていいぞ。荷物は先に取っといてくれ」
夕日をバックにトレーナーさんが言う。やることってなんだろう? とはいえそんなことを気にするより、まずはシャワーを浴びたかった。つまり、チームの部屋より更衣室にしか目がなかった。だから私がシャワーを浴び終えた後、部室に忘れ物があることに気付いたのも仕方のないことだった。
(トレーナーさん、もう帰ったかな)
部屋の壁に向けて聞き耳を立てるべきか迷ったが、そんなところ見られたら恥ずかしいので止めておく。普通に入って、まだ帰ってなかったら一言断って、忘れ物だけ取らせてもらおう。そんな感じで。
「失礼しまーす……」
返事はない。明かりもついてない。それならさっさと忘れ物を──。
どしん。そう思って少し動いたら、目の前の何かにぶつかった。いやこの感触は、何かというより誰か。もっと言うなら。
「おお、スカイか」
「トレーナーさん、明かりくらいつけましょうよ」
「すまない、忘れていた」
「忘れてたって、何してたんですか?」
「ちょっとな」
そうやって答えを濁すのは、なんとなく親近感。だからそこは問い詰めないでおく。
「トレーナーさん。理由がなんにせよ、暗いところに一人でいるのはよくないですよ?」
「俺は大人だからいいんだ」
「大人ですかあ。私とは違いますね」
他にもたくさん違うところがある。だけど、似ているところもある。
「セイウンスカイ」
「なんですか?」
「頑張れ。努力は無駄にはならない」
「なんですか、急に」
「諦めるなってことだ」
またいつもの根性論。頑張れば出来るから諦めるな、そんな正論。けれど今なら思うのは、彼もまた正しくあろうとしてるだけかもしれない、ということ。
「トレーナーさんは、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。心配要らない」
「そっか。それなら私も、心配は止める」
「心配してくれてたのか?」
その言い回しはずるい。
「まあ、ご想像にお任せします。それよりそろそろ帰りましょ」
「……そうだな」
ずるかったので、誤魔化してやった。そうして二人で、真っ暗だった部屋を出る。澄んだ夜空が、私たちを出迎えた。
「トレーナーさん、何処まで着いてくるんですか?」
「暗いところに一人でいるのはよくないからな。寮までは着いていく」
「なるほど」
そういう軽口を言えるくらい元気が戻ったのなら何よりだ。トレーナーさんはいつも暑苦しいのだから、偶には暗いのもいいかもしれないけど。
「トレーナーさん」
「なんだ」
「私、頑張りますよ」
「そうか。努力は裏切らないぞ!」
正しくあろうとする彼の言葉は、きっと本心を覆い隠している。肝心な答えは濁すし、いつも自分が言うべきことを言おうとしている。それはきっと、どこかの芦毛のウマ娘と同じ。尊んでいるのは正論じゃなくて平穏だけど、私たちは似たもの同士だと。改めて、そう思う。
「それじゃ、見送りありがとうございました」
「ああ。明日も頑張るぞ、スカイ」
「もう明日の話ですか? 明日の話は明日でいいじゃないですか」
「それもそうだな。じゃ、また明日」
「はい、また明日」
来た道を帰る彼がこちらを振り返らなくなるまでずっと、私は手を振っていた。