【完結】セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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杞憂であって、ほしかった

 ここで終わりじゃない。まだ、空は堕ちてこない。水晶体から脳髄まで染み渡る青空は、きっとまだ、まだ果てまで見えていない。地下バ道をくぐり抜け、あと一歩で本バ場入場。一歩先にある芝のにおいを身体に貫かせながら、一歩先で湧き上がる歓声を一身に受けながら。私は今、ここに立っている。

 

「阪神レース場、本日のメインレースは天皇賞(春)! 春の楯を取るのは一体どのウマ娘なのか、場内の盛り上がりは早くも最高潮といったところであります!」

 

 一歩光の方へ足を踏み出すたびに、その声は大きく、より大きく聞こえていた。だから今この瞬間、眼前に光あふれるターフの目の前ではなお一層。この盛り上がりは少なからず、私にかけられた期待でもある。そしてもちろん、私だけじゃない。この場に集まる全てのウマ娘に、最高のレースを創り上げることが期待されている。そしてその期待に応え、夢と希望を見せるもの。それが私たち、ウマ娘だ。

 ざくり。そうして、一歩踏み出した。

 

「さあやってきました二番人気、盤上を支配するトリックスター! 先の日経賞でも圧倒的な勝利を見せてくれたクラシック二冠ウマ娘、セイウンスカイの登場です!」

 

 実況さんの紹介を皮切りに、私の登場を一際の大歓声が出迎える。ファンの声、というやつだ。私の抱える不安なんて心配ないぞ、と言ってくれる声だ。私の受ける、期待だ。

 それにしても、なんだか大仰な紹介だ。いや、GⅠにはこれくらいの謳い文句がふさわしいってことなのかもしれないけど。実際嘘は言ってない。日経賞で勝ったのも、クラシック二冠を取ったのも。私は、勝利の味を知っている。敗北も知った上で、それでも勝利を掴めている。それは昔のことじゃなく、今だって。だから、まだ走れるはずなんだ。私は変わった。けれど、そこは変わっていないはずだから。それを証明するのが、今日、この日だ。

 

「──そして、このウマ娘もやってきました! 本日の大本命、注目の一番人気!」

 

 ……おっと、君も来たか。私のライバル。未だ輝きは増すばかり、だけどそこにはほころびが僅かに見えている。なら私はその穴を容赦なく突いて君に勝利し、その矛盾を君に突きつける。全て、勝利の後で。それが私に出来る君へのエール。残酷だと罵られても構わない。それでも君は、私にとってライバルだから。クラシック三冠を争ったあの時から、私たちには甘さは必要ないはずだから。

 

「一番人気、スペシャルウィーク! ジャパンカップの雪辱の後、重賞二連勝でまさに破竹の勢い! ダービーウマ娘はシニア級でも強い! 今日もそれを証明してくれるのか!」

 

 風に光る流星と栗毛、空に燃ゆる輝きの瞳。少しだけ私より小柄な、だけど私より大きな夢を持つ少女。私のライバルスペシャルウィークが、この戦場へとやってきた。そしてまっすぐ、私の方を見ていた。私も君を見ていた。そのはずだった。

 

「今日はよろしく、スペちゃん」

「うん、セイちゃん。私は今日、負けるつもりはないよ。スズカさんに、追いつくために」

「……そっか。それが、君の目標」

 

 だから、私はそれを否定できない。「スズカさん」という目標に向けて走る君が、君自身の「日本一のウマ娘」という道から外れてしまっているとしても。それでも立ち向かってくるのなら、私に出来るのは説き伏せることではない。力の限りねじ伏せること、それだけだ。

 

「いいレースにしよう。お互いに」

「うん。もちろん、だよ」

 

 手を伸ばせば、その手は握り返される。全力を出せば、全霊が返ってくる。それがライバル。きっと君も今日、私に何かを教えてくれるのだ。迷い惑う私は、それでもそう信じている。君のことを、信じている。

 だから、今は言葉は要らない。それは、全てが終わった後でいい。レースの後に、君の綻びを結び直してやるために。そして、私が私であるために。そのために、勝つ。

 

「さあいよいよ各ウマ娘、ゲートに入っていきます! クラシックを競い合った『黄金世代』同士の対決、勝つのはスペシャルウィークかセイウンスカイか、はたまた他のウマ娘か!? クラシックを競い合った優駿がシニア級にも通用するのか、全国が注目する一戦です!」

 

 そう告げる実況さんの声と共に、私たちはゲートに入る。全ての運命をごちゃ混ぜにして閉じ込めて結論を出してしまう、このゲートに。何回やってもこれには慣れないし怖いけど、それでも踏み出す勇気をもらっているから。トレーナーさんに、フラワーに、トップロードさんに、キングに。他にもたくさんの人たちに押されてここに入るのだから、それを嫌と言えるわけがない。嫌なわけが、ないんだ。

 だから。

 

「さあいよいよです、天皇賞(春)!」

 

 だから、絶対に。

 

「今一斉に、スタートしました!」

 

 絶対に、期待に応えたい!

 がこん。何度聞いても耳に残る独特な音と共に、全てのウマ娘が自らの足を踏み出す。一歩、二歩、三歩。それらはこの駆け足の中では目まぐるしくて、誰が誰の脚なのか見分けはつかない。まあまずは、お手並み拝見。今日の私は気まぐれ気分……っと、なるほどね。

 

「さあまずは激しい先頭争い! おっとスペシャルウィーク、今日は先頭に付けます! 今日のスペシャルウィークは先行策か!?」

 

 なるほど、なるほど。スペちゃんが先行するのは結構珍しいはずだ。それも先頭。理由は多分、ハナを譲らないため。以前のダービーのキングと同じような作戦だけど、多分スペちゃんのはもっと狡猾でストレート。勝てるタイミングを作るため、逃げウマ筆頭の私から少しでもリードのチャンスを奪うため。

 上等だ。なら、私はこうしよう。

 

「一方普段は逃げを打つセイウンスカイは、後方に控えて様子を見守っています! これは序盤から面白い展開だ!」

 

 私が逃げやすくなるまで、待つ。逃げしか能のない私だけど、これくらいの小手先なら慣れたもの。さあ次はどう出るのかな? ここは君と私の勝負、最後まで付き合ってあげるよ。

 だんだだんと蹄鉄の音が鳴り響く阪神レース場、我らが肢体全ては勝利のために。それをここにいる全員が、観客も含めて全員に見えているのは誰かの勝利だけだ。レースとはそういうもの、だから全てを変えてしまう。勝者と敗者を、くっきりと明確に分けてしまうことで。

 風を切り、大地を蹴る。息を吸って、吐きながら駆ける。勝負は既に一週目の三コーナー、長いレースだとしても着実に終わりは近づいている。そこで、前の方に変化があった。

 

「ここでスペシャルウィーク、先頭を譲ります! 長丁場の序盤を前目に押し上げ、仕事は終わったと判断したか」

 

 ……そう来たか。なら。

 なら私も、ここからが本番だ!

 

「おっとセイウンスカイ、ここでスペシャルウィークに並びます! 徐々に前方へ進出!」

 

 君が後ろに下がるなら、私は君の前に出る。いつも通り、このまま行けば私が勝つ。そのつもりだ。

 

「そして三番人気メジロブライトは中団の位置から、スペシャルウィークとセイウンスカイをマークする格好となりました」

 

 なんて、もちろん他の人も忘れちゃいけない。勝つということは全員に勝つこと、それは私がよく知っていることだ。トリックスターが誑かす相手は、立ち向かう全員でなければいけない。全員から、逃げ切らなくてはいけない。なかなか骨の折れる仕事だけど、そこは本領を見せてあげよう。

 勝負は三コーナーを抜けて四コーナー、一周目の直線に入るところだ。ちらりと横を見ると、すぐそこにスペちゃんが走っていた。ひたむきに、前を見て。こちらになんか目もくれず。うん、それでいい。そのままでいい。

 そのままでも私は、君の前に立ち塞がるから!

 

「おっと一周目の直線で、セイウンスカイ抜け出してきた! スペシャルウィークよりもさらに前、集団の先頭に躍り出ました!」

 

 さあ、ここからだ。私が逃げるのは、ここから。随分逃げにくいレースメイクを序盤からされてしまったけど、ここからは私がレースを作る。ここからが、本当の勝負だよ。

 

「スペシャルウィークは四番手、セイウンスカイが行っても依然前目につけています! メジロブライトはその後ろ、未だ上位人気二人をマークするか!」

 

 なるほど、これは確かにやりにくい。スペちゃんが先行でつけているから、私との差は菊花賞の時より開きにくい。それにもう一つ要注意なのが、メジロブライトさん。ずっとマークされてる。こうなると私に求められるのは、小手先じゃなくて実力だ。追手を振り切って逃げられる、いつか見たスズカさんのように。

 走って、走って。抱える不安が最高潮に達するはずの今、私は不思議と冷静だった。走るのは楽しいって、そう思えているからかもしれない。ライバルと、競い合う全ての人と。走るのはやっぱり楽しい、それが私の。

 私の、答えなのかもしれない。

 

「さあ二周目を回って二コーナー、前目前目のレース展開になっています! おっとここでセイウンスカイ、少しペースを落としたか?」

 

 とりあえず、私の魔法の杖は振らせてもらう。多分、うまくはいかないけど。

 

「……と、ここでスペシャルウィーク、セイウンスカイへの距離をぐんぐん詰めていきます! その差僅か二バ身といったところ!」

 

 ほら、やっぱりうまくいかない。でもそれだけ徹底的にマークされてるってわかっただけで十分だ。スペちゃん、けれどそれだけじゃダメだよ。勝負は一人とするものじゃない、私を潰すだけじゃ勝てない。さあ、どうする?

 

「ここでもう一人、セイウンスカイに並んでいきます! 若干あがってしまっているか?」

 

 ……おっと、他人を気にしなきゃいけないのは私もか。リードを保たなきゃいけないのに、こんなところで並ばれてしまった。それなら、もっと踏み込まないと。まだ、まだ私は走れるんだから。こんなところで、終わりじゃないんだから。

 私は怖い。このレースが終わった時、私がどうなってしまうのか。けれど同時に、レースというものは私にとって限りなく楽しみなことで。まだ先はある。私たちの空は、果てしなく広がっている。そう信じて、また一歩踏み込む。大地を抉り、風を切り裂いて。

 さあ、最後の直線はすぐそこだ。そこで、全てが決まる。

 

「スペシャルウィーク、外から上がってきた! 最後の坂を登れば、間もなくラストスパートの直線です! セイウンスカイ、持ち堪えるか! メジロブライトも後方からどんどん上がってくる!」

 

 まだ私の脚は動いている。まだ走れる。まだ未来がある。それはようやく、もうすぐ証明されるのだ。……正直、息は切れかけている。脚は軋み、限界のギリギリまできている。止まってしまいたいと一瞬でも思えば、そこで全てが終わるだろう。だから私は、終わらせない。絶対に、そんなことは思わない。

 だから、最後にものをいうのは。

 

(こんっ、じょう、だあぁぁぁぁーー!!)

 

 我がチーム<アルビレオ>で散々仕込まれた根性論。かつては苦手だなんだと言っていた、今はしっかり染みついた。私だけのじゃない。私たちの、走りだった。

 

「さあ三強の闘いになった! スペシャルウィークか、セイウンスカイか、メジロブライトか!」

 

 残り、200m。私が僅かに先頭。このまま。どうか、このまま。きっと、私の走りはそういうもの。誰とも競り合わず、最後はひたすらに一瞬たりとも並ばないことを祈るだけ。見ようによっては情けない、みっともないものかもしれない。

 けれど私にとっては、これは紛れもない誇り。策謀をめぐらせギリギリまで引きつけ、本来不利と言われる長距離でさえ逃げ切って勝つ。それが出来るのは、私の、私だけの。

 最後に考えていたのは、そんなことだった。

 最後の瞬間に、私は私を大切に思えていて。

 

「スペシャルウィーク、ここでスペシャルウィークか! セイウンスカイを抜き去りました、スペシャルウィーク!」

 

 最後の最後、それが粉々に砕かれても。何故だか不思議と、心は落ち着いていた。ようやく、不安から解き放たれていた。だから多分、これでよかったんだろう。

 

「スペシャルウィークか、メジロブライトか! 懸命にメジロブライト追い立てる、しかしスペシャルウィーク、スペシャルウィークです! 天皇賞(春)、勝ったのはスペシャルウィーク! 二着は半バ身差でメジロブライトです!」

 

 私は、そこからニバ身後ろ。完敗、だった。

 

 

 青い青いターフに寝転がり、青い青い空を見上げる。服の上からちくちくと刺す芝の感触は、私がまだ生きているということを示している。全てが終わってみて、私は何か変わったのだろうか。そう考えてみたけれど、案外何も変わっていない気がする。清々しいまでの敗北を迎えた。それは多分、悔いはない。だから大丈夫。全ては、杞憂だった。そんなふうにぼーっと緑のベッドを堪能していると、覗き込んでくる顔があった。

 

「おつかれさま、セイちゃん」

「そちらこそおめでとう、スペちゃん」

 

 立ち上がって、泥を払って挨拶をする。今日の勝者、私のライバルに。

 そう、私のライバルだ。君は今日、私に勝った。私は今日、君に勝ちたかった。だけど勝てるのはどちらかだけ。その権利を、君は得た。

 ……だから私は、何も言えない。君の願いは間違っているとは、言えない。だって君はそれで勝ってしまったんだから。もし君の誤りが正される時があるとすれば、それは君が負ける時。きっと君は、まだまだ磨けば光る原石なんだ。挫折も苦悩も、これから先直面すればいい。きっと、今はその時じゃなかったんだ。

 私は、そう考えた。晴れやかに思考を結んだつもりだった。だけど何故か、それは暗がりに向かっている気がした。真っ暗闇の奈落の底へ、ずっと、ずーっと。

 

「うん、ありがとう! これでまた、スズカさんに近づけた気がする。スズカさんのために、私はもっと強くならなくちゃいけないから」

 

 だから。

 

「スズカさんの、ため」

 

 だから、全てが終わってから。私はそこに最初からあった歪みに、ようやく気がつく。

 

「うん。スズカさんが、私の目標だもん!」

 

 彼女の願いが、憧れに曇った彼女の瞳が。

 その瞳が映しているものは、私なんかではなかったということに。

 

「……そっか。じゃあ、またライブで。記者会見もあるでしょ、スペちゃん」

「うん、また後で!」

 

 やっと、わかった。グラスちゃんが言っていた、私に足りないもの。スズカさんが言っていた、私が今のままでいいのかってこと。簡単なことだ。今のスペちゃんが私を見ていないのなら、そこから導き出される結論は至極シンプルなことだった。

 今のスペちゃんは、「日本一のウマ娘」を忘れたスペちゃんは、当然その目を全てスズカさんに向けていた。私のことなんて見てもいなかった。そのことだってずっと前からわかっててもおかしくなかったのに、それを私は見ないようにしていた。もしかするとそれは、そこに私に足りないものの答えがあるってわかっていたからかもしれない。

 ……グラスちゃんもスズカさんも、はっきり言ってくれればよかったのに。そのままじゃ、とか今のままじゃ、とか。いつか未来で手が届きそうなことを言って。そんなわけないのは、私はずっと昔から知っているんだから。

 私に足りないもの。

 それは、才能だったんだから。

 それだけ。だから私の変化は止まっている。成長は終わっている。もう誰かのライバルにはなれない。私の空には果てがあるから。天井に、手が届いてしまっているから。

 ──空が堕ちてくる。

 無根拠に信じた永遠など、愚かな民には無用とばかりに。それを恐れていようといなくとも、結局平等に空は墜ちてくる。全ての悩みの時間など、最後の瞬間には無意味だった。そんな無慈悲で冷酷な現実。

 それを、私に教えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、でも。

 杞憂であって、ほしかった。




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