【完結】セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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セイウンスカイは正論男に・5

 夢を見た。今まで見たどれよりも、夢に近い夢だった。

 夢を見た。あまりにストレートに願望が反映された、浅い夢だった。

 夢を見た。どこかもわからない道の上を、トレーナーさんと二人で歩く夢だった。名前のない場所、名前のない空、名前のない関係。わかるのはただ一つ、指を絡めて歩いているということだけだった。あなたのごつごつした指に、私の細くて小さな指が精一杯くっつこうとしているということだけだった。

 夢を見た。けれど、あくまで夢だった。あなたの手の感触は、何度か触れた過去の再現以上にはならなかった。今の私が触れた時の感触は、私の知らないあなたへの想いがどんなふうに受け取り方を変えてしまうのかは、虚な夢ではさっぱりわからなかった。

 夢を見た。けれど私もあなたも笑っている、そんな夢だった。それは私の願望だった。手を繋いで二人で笑い合えたなら、きっとそれだけで幸せだった。私は、それで幸せだった。

 夢を見た。だけどあなたはどうなのだろう、そう思った。この夢のように私と一緒にいたいと思ってくれるのかなんて、まるでわからなかった。私はやっぱりあなたを知らない。知らないのに、恋をした。知らないから、もっと知りたい。その二つの感覚は矛盾しているようにも見えるのに、どちらも私の中にあるものだった。

 夢を見た。そして夢の終わり、朝が来る瞬間だった。夢色の万華鏡越しに見る朝日はまるでネオンサインみたいで、私と架空のあなたとの逢瀬を最後まで煌びやかに演出してくれていた。ぎらついてなくて、ただただ幻想的で、そんなふうに夢は解けていった。

 夢を見た。そして最後にキスをする、そんな夢だった。

 夢を見た。知らないものにはやはり感触はなかった。唇と唇を重ねるという知識だけが脳裏を掠めた。初めて恋を知った女の子に出来る空想は、ここが限界だった。空っぽで脆い、夢だった。

 夢を見た。だけど、幸せな。

 夢を見た。私の気持ちに一番近い、そんな夢だった。

 

 

「何、いまのゆめ」

 

 窓の外からの柔らかい陽射しを目蓋に受けて、血管の色で真っ赤に染まる視界。それだけで我に帰るのには十分だった。夢から覚めるのには。いや、何、今の夢。

 そもそも私が夢を見るのが割と珍しいのだ。どんな場所でも寝相がいいことに定評のあるセイちゃんは、寝付けない人が見る夢というものとは無縁じゃないか。それに加えて、その内容。

 

(うぅ〜〜〜〜!!)

 

 声にならない叫びが出てしまう前に、勢いよくもう一回布団に潜る。トレセン学園に来てから一番私の頭部をぶつけられるのに慣れているだろう寮のベッドの枕が、私の顔をえくぼの隅まで受け止めてくれた。そりゃ誰も見ていないけど、この顔を外に出すのがとてつもなく恥ずかしい。鏡で見るのだって嫌だ。

 多分きっと耳まで真っ赤になりながら、それでいてだらしなくにやけている。そんな夢を見てしまったから。私はやっぱり、どうしようもなく。

 

(恋って、こんなに大きなものなんだ)

 

 あなたのことが、好きなんだ。

 手を繋いで、口づけをして。そんな浮ついた願望が、心の底から私を掬い上げていて。だから、あんな夢を見た。あなたと一緒にいたい。あなたのことが知りたい。あなたにただ、触れていたい。そんな数パターンの感情で心の全てを埋め尽くしてしまうのだから、恋とはなんて大きな気持ちなのだろう。そう思った。

 ……だけど、どうしようか。ずっと部屋に篭っていたらまた心配されて、もしかしたら余計なお世話で私の気持ちを暴かれてしまうし、そもそもたまらなくそわそわして、じっとなんかしていられない。つまりどうしたって、起きるしかない。普段ならもう少し寝ているか寝っ転がってる時間だけど、今日はそうしてはいられない。

 

「……たまには早起き、してみますか」

 

 そう呟いて、僅かにぎしりとうめくベッドから立ち上がる。屈伸をしてみると、身体中から骨の音がした。覚醒のための儀式、とも言えるだろう。今日の授業は乗り切れるかな、そんなことを考えながら下からパジャマを脱いで。今日のトレーニングどうしよう、やっぱりそれも考えつつ下着の上に制服を重ねて。これから毎日こんな感じかな、そんな不安を抱えながら扉の鍵を開ける。

 不安だけど、離したくない気持ち。そしてそれによって世界の全てが変わって見えるのなら、今日からまた新しい日常が始まるのだ。

 少し大人になれた私だからこその、新しい日常が。

 

 

 さて。朝起きて行くべきところなど、いつもぎりぎりまで寝ている私にはあまり見当はつかないのだが。そういうことを新しく開拓するのも、今の私の仕事なのかもしれない。いや、これから毎日あんな夢を見て早くに起きるのだろうか。……それはちょっと嫌かも。嫌じゃないとこも、あるけどさ。

 そんなこんなで自室から連なる廊下を歩いていると、向こうのほうから人の声が聞こえてくる。通りのいい女の人の声。この声はまあ私も何度か聞いたことあるタイプの声だ。今のこれとは違って、レース場で緊張しながら聞くことが多かったとは思うけど。まあ、そんな声。つまり。

 ぎい、と恐る恐るその部屋の扉を開ける。一際大きな談話室の扉。多分私は人がいない時にしか開けない扉、だった。けれど今はそんな人混みに、自分から飛び込んでいくのだ。本当に、どうしてしまったのだろう。これも私の抱えた感情がそうさせるのだろうか? 悩んでも答えは出ず、答えてくれる人もいない。それでよかった。他人に混じっても今の自分は消えない、そう思えるだけの理由を持てているということだから。

 

「続きまして、今日のエンタメ特集です」

 

 談話室には(知ってるけど)大きなテレビがあって、多くのウマ娘がその画面を眺めていた。私が入ってきてもこちらはちらりと見るだけで、すぐにニュース番組に釘付け。そういやテレビなんてレース関連しか観てなかったな、と自分を顧みる。他の子のように私も年頃の女の子なら、テレビくらいは見ておいた方がいいのだろうか。それとももっと他に追いかけるものがあるのか? ネットとか、雑誌とか。

 他人に乗っかるなんてガラじゃないのにそんなことを考えてしまうのは、やっぱりあなたのせいだった。トレーナーさんは私をどう思っているのだろう。それはどうしても気になっていた。どうしても横道を逸れるような女の子でも、全幅の信頼を置いてくれることはわかっているけど。そういう人なのは、もちろんわかっているけど。

 でも私が今求めているのは、信頼の先にあるとしても信頼とは違うもの。たとえそれがどれほど尊く切なく、そして愛しい気持ちだとしても。私が求めているのは、今ある信頼を壊す行為だった。

 そんな私の思考を遮るように、大きな液晶からは女性アナウンサーによる「今日のエンタメ特集」が流れていた。本当に遮るように、狙い澄ましたかのような話題を投げかけていた。そんな私一人宛のテレビ番組なんてあり得ないと、頭ではよくわかっているのに。同じ星座の人をみんな同じ運勢に当てはめる大雑把な朝の星座占いも気にしたことないくせに、更に誰に向けているわけでもないその特集がいやに耳に残ってしまう。言葉尻を捉えただけで。

 

「今日紹介するのは、現在大ヒット中のアニメ映画、『ホワイトエンディング』。ある夜の日に出会った少年と少女の、美しい恋の物語です」

 

 そんな説明はきっと、どこにでもありふれているのだと思った。目の前の誰も、その紹介に興味を惹かれこそすれ動揺などはしていなかった。「恋」の一言がこんなに重くのしかかるのは、この空間では私だけなのだろう、と思った。

 恋はフィクションのものだった。そう考えていたから、それを扱った物語を見ても気恥ずかしさなんて感じなかった。自分には縁がないもの。どこか遠くで、空想の中で結ばれるもの。手の届かない、大人のもの。多分そういうふうに思っていた。もしかしたら今この空間にいる私以外は、同じような考えかもしれない。恋の存在は知っているけれど、自分が直面するとは思っていない。自分がその立場になった時、どうすればいいのかなんてわからない。心に触れるあらゆるものに反応してしまうほど、恋慕が自分の全てになってしまうなんて、昔の私は思っても見なかったのだから。

 

「夜の日に運命的に出会った主人公の少年とヒロインの少女は、その後会う度に惹かれ合い、二人の間にある距離を縮めていきます。しかし、二人の関係に危機が──」

 

 けれど、結ばれるのだろうと思った。そういうストーリーなのだろうと、少しだけ冷ややかに。フィクションの恋愛なんて、半ば結ばれるのが決まっているようなものだ。添い遂げるにせよ悲恋にせよ、恋愛が話の主軸にある。お互いの想いはなんらかの帰結を生む。伝えられない気持ちなど、盛り上がりがなくてつまらない。少なくとも私はそんな話をフィクションには求めないだろう。苦難の果てに結ばれて欲しい、平々凡々な感性でそう願う。

 だけど、それはフィクションだ。運命の繋がり、必然の出逢い。フィクションには求められるけれど、同じものを現実には求められない。それも、わかりきったことだった。私とトレーナーさんの関係には、求められない。

 偶然の出会いだった。最初はトレーナーさんの方から引っ張ってきただけだった。こんなふうに仲良くなるなんて、思ってもいなかった。こんな気持ちを抱えてしまうなんて、思ってもいなかった。

 そして確かに私とトレーナーさんは互いの距離を近づけたけれど、それは惹かれあったからなんかじゃない。トレーナーと担当ウマ娘、大人と子供。そういった関係に名を付けるのなら信頼であり、恋愛であることはあり得ない。そう、やはり今まで築いてきたものは信頼なのだ。私はそれを壊そうとしている。あなたを裏切ろうとしている。そう思ってしまった。

 私が信頼の先に恋情を結びつけてしまったのは、手酷い過ちなのかもしれない。取り返しのつかなくなる前に、引っ込めるべき過ち。信頼を積み重ねた先に恋愛を始めることが出来ないのなら、私は関係ごと壊さなければあなたに恋を出来ないのだろうか。一度生まれた「裏切り」というフレーズは頭にまとわりつき、ぐわんぐわんと脳を揺らす。壊してしまう、くらいなら。

 ずっと悩んでいた。昨日走り出したあの時から、ずっと。丸一日にもならない時間で、幾千幾万の思考を連ねた。私はこの気持ちをどうしたらいいんだろう、と。伝えられるわけがない、だからあの時逃げたんだ。でも逃げて吐き出せば吐き出すほど、想いは強く強くなっていって。諦めるのは嫌だって、何度も説かれたそれをあなた自身に対して思ってしまって。二桁は歳の差がある大人と子供、こんな気持ちは無謀に過ぎるとわかっているのに。

 

「『ホワイトエンディング』、あなたもご家族や友人、恋人と一緒に観に行ってみてはいかがでしょうか」

 

 なら、今のままがいいんじゃないか。ニュースの終わりと共に私がそう思うのも、確かだった。たとえば私はトレーナーさんをこの映画には誘えない。家族でもないし、友人でもないし、ましてや恋人でもない。だけどそんな名前を付けなくても、十二分に通じ合っているじゃないか。それを壊すくらいなら、今のままでいいじゃないか。

 きっと、世界には恋なんてありふれている。この映画も恋を描き、カップルが観に来るようなものだ。私の抱いた気持ち自体が、世界に認められないほどの間違いというわけじゃない。世界は恋の存在を受容しているのだから、私もそれに溺れていい。甘い痺れで骨まで溶けるのを、ただ享受していればいい。それ自体が悪いわけはない。それは、わかっている。

 私が許されないのだと恐れているのは、その心をあなたに伝えることだった。恋心の存在は、きっと誰でも認めてくれる。誰もが私の気持ちを応援してくれさえするかもしれない。だけど、それは所詮応援だ。私がこの気持ちを届けたいのは、応援してくれる誰かじゃない。届けたいのは、トレーナーさん、一人だけ。そしてそれが受け入れられるのかが不安でたまらない。世界が恋を認めたとしても、あなた一人がそれを喜んでくれなきゃ意味がない。あなた、一人だけが。

 認めてはくれるかもしれない。理解はしてくれるかもしれない。だけど、受け入れてくれるだろうか。私に魅力があると思ってもらえるだろうか。いつまでも私はあなたの中では子供なんじゃないだろうか。俺なんか、とか言って、届いてはくれないんじゃないだろうか。そうなるのは容易に想像できる。あらゆる言い方で、あなたが私の告白を断るのは。きっと私の事を思って、断るのは。それは私のためだとしても、あなたの紛れもない正論だとしても。

 それは、怖い。きっと失恋だって、世の中にはありふれているのに。

 朝の世界は徐々に眠りから覚めてきて、談話室の人間も出て行ったり入ってきたり。私一人が悩んでいても、特に支障はなく地球は回る。未だ扉の前で立ち尽くしている私なんて、どこにもいないみたいに。だけどそれでよかった。誰にも言えない悩みだから。どこにも居場所がなくてもよかった。あなたのそばにいられるなら、それでよかった。そう思うくらい、好きだった。

 これが初恋。本当に、はじめての気持ち。私だけの、あなたのためだけの気持ち。これ以上なんてなくても構わない、そう思ってしまうような気持ち。全部全部、私の全部がこのためにあるんじゃないかって錯覚してしまいそうな気持ち。全部が恋でいっぱいだった。はじめての、恋で。

 だけど、初恋は大抵実らないものだ。バレンタインの時だったか、トレーナーさんの初恋の話を聞いた。今だったら絶対聞けないようなことを、あの時は聞けていたのだった。でも今でもその会話を覚えているから、やっぱりずっと好きだったのかもしれない。意識と無意識の区切りは、自分自身が一番曖昧にしてしまうものだから、わかるのは今好きだってことだけ。……まあそれはともかく、トレーナーさんの初恋はもう終わっている。当たり前だけど学生時代に、そしてまた当たり前のように実らない結果に。それだけ聞けば、悲しい結果だ。結構悔いのあるような話し方をしていた気がする。もちろん引きずってはいないのだろうけど、それくらい初恋とは思い深いものなのだろう。

 そして、こうも言っていた。いい思い出だった、と。初恋は実らなくても、いい思い出になるのだろうか。トレーナーさんの初恋は、結局先輩への憧れで終わって告白もなかった。それが「いい思い出」。なら、私もそうすべきなのだろうか。この気持ちをいい思い出にするために、そのための準備をするべきだろうか。

 

「……と、そろそろ出なきゃな」

 

 思考の途切れ目で時計を見遣り、遅刻はすまいと一旦気持ちを切り替える。けれどやっぱり本当に一旦で、自分の部屋に向かう頃にはまた頭が桃色でいっぱいだった。今日の授業はいつにも増して集中できないし、トレーニングなんて本当にどうしようか。そう思いながらも脳裏に瞬くのは、あの暑苦しい声。大柄な身体と、意外と子供っぽい顔。……本当に、なんで私の初恋があんな人なんだろう。あんな人と貶しながら、その一方で夢中になっている。そんな私も滑稽だけど、不思議とバカらしくはなかった。浮ついていたけれど、どこまでも真剣だった。

 だけどこんなふうに命を賭けたとして、いい思い出に出来るだろうか。想いを告げれば綺麗さっぱり、いい思い出に出来るだろうか。それともずっと憧れのまま、十年もした頃に笑って「好きだった」と告げた方が、気持ちの整理が付くだろうか。美しい、いい思い出に出来るだろうか。鞄に荷物を詰め込む時も、ずっとそんなことばかり。ぐるぐる思考を回して、身体は今にもはち切れそうなくらいどこもかしこもかゆくてかゆくて。

 だけど、ばたんと無理矢理鞄を閉めて。気持ちに一区切りがついたのも、同じタイミングだった。手早く部屋を出て、弾むように玄関を開けて。澄んだ空気が少し冷たく、私の真っ赤な頬を撫ぜた。

 だけど、それも私の気持ちを後押ししてくれているような気がした。何も知らないはじめての恋への、私のはじめてのアプローチ。

 

(『いい思い出』なんて、まっぴらごめんだ!)

 

 そう思ったのだ。少しだけ駆け足で学園に向かいながら、やっぱり今日を期待しながら。私は、そう思ったのだ。

 きっともっと大人なら、恋なんていくらでも知れるのだろう。きっともっと子供なら、恋なんて一つも知らないままだっただろう。恋を思い出に、あるいは恋そのものへの憧れに、そうしてしまえば切り抜けるのは楽なのだろう。でも、それでも。

 それでも私は、今この瞬間の私は、この恋が実るかどうかに全身全霊を捧げたいんだ。未来でいい思い出かなんて知らない。過去で恋をどんなに別のものに置き換えていたかなんて知らない。私ははじめて恋を知ったから、きっと間違いだらけだろう。それでも、それでも私の初恋は。

 私の初恋は、やっぱり抱き締めていたい。最後の最後まで、私がそれを諦めるわけにはいかないんだ。

 靴のステップは蹄鉄より柔らかく、秋の終わりに馴染む音。何もかもわからない初恋乙女にも、その音ともう一つくらいはわかった。ひたすら悶々として、耐えられないと大声で叫びたくなるような。今のままの関係じゃ、我慢できないんだと声を張り上げたくなるような。そんなふうに張り裂けそうなほどの恋を抱えてしまったことだけは、どうしようもないくらいにわかっていた。

 肌寒さの増した秋の暮れ。まだトレーニングも授業も始まっていない秋の朝。私の身体だけが、汗をかいていた。一仕事終えたみたいに、たっぷりと。

 私だけが持つ、情熱だった。

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