【完結】セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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セイウンスカイは正論男に・9

 どれほど爽やかな朝だっただろうか。授業のない休日というだけで、別に何かいつもと明確な差があるわけでもないのに、ベッドから上体を起こしてまず思ったのはそれだった。昼寝名人の私にとっては、目覚めの感覚なんて普通の人の三倍四倍は体験したようなものだ。それでも、その日の目覚めは印象的なものだった。感覚的に、そう思った。

 もちろんここ数日は、目覚めるたびに何かを考えていたわけだけど。悩みに悩んで眠りにつき、その度に何かを象徴するような夢を見て。起き上がるたびにその夢に悶え、また悩んでいた。あなたを想い苦しみと幸せをまぜこぜにする、はじめての恋の悩み、だった。

 今日の目覚めは、それと比べればなんてことはない。むしろ、それが一番の差異。あれだけ毎晩私を悩ませた、あなたの夢を見なかった。正確には見ていたのかもしれないけれど、覚えていなかった。もうそんなの大事じゃないみたいに。ただ安らかに眠って、気持ちよく目覚める。そんな普通の朝が、ひどく久しぶりだったのだ。

 もしかしたら少し前の私なら、ここで夢を見なかったことに悩んだのかもしれない。あなたへの気持ちが冷めてしまったのじゃないかと、そんなふうにまた夢に惑わされていたのかもしれない。私の恋心なんて数日で薄れてしまうほどなのだと、そんなふうに思い込んだかもしれない。

 だけど、もう大丈夫。今の私はまた成長し、夢は夢に過ぎないと知っている。それは確かに過去の積み重ねで、大切な私の気持ちだけど。夢を夢のままにしていては、絶対に未来には手は届かないのだから。積み重ねた過去の上に、今の私が未来を重ねていくのだから。

 私が見たいのは、一人で浸る幸せな夢じゃない。

 あなたと過ごす、何ものにも変え難い現実なのだから。

 

(……っと、そろそろ起きるかな)

 

 ぐいっとベッドから立ち上がり、別に休日の朝から部屋を出る予定もないのにパジャマを脱いで制服を着て。服装を整えれば、少し気持ちも目覚めるもの。今の私に必要なのは、こうして少しずつ考える時間を作ること。眠っていた間に浸る時間は、もう必要ないのだから。

 今を見よう。今日からを見よう。未来に繋がる大作戦、あなたのハートを射止めるために。そしてその先にある、特別同士の日常のために。そのために踏み出すのが、あなたとやりたいことを考えるのが、紛れもない、今の私がやるべきことなのだから。

 さて、それにしてもどうしよう。踏み込むべきなのはわかるのだが、踏み込むための行為がなんなのか、それがそもそも難しいものがある。悩み、悩み。私じゃどうにもわからないなあ、などと苦笑しながら。はじめてのことだから当然だと思うけど。それでも臆せず模索しているのだから、むしろそれは褒めて欲しいくらいだ、なんてね。

 というわけで、一度読んだきりのティーン誌をもう一度引っ張り出す。異性との距離を縮める方法、みたいなのが載ってないかどうか。結論から言えば、まあ二つくらいは手がかりはあった。言うは易し、行うは難しだと思うけど。

 まあ、まず一つ目。「グッとくる仕草」。そういえばいつぞや誰かの恋バナを盗み聞きした時も、恋をする時どういうところが好きになる、みたいな話をしていた気がする。それは私がトレーナーさんを、だけじゃないってことだった。つまり私に魅力を感じてもらう。特別だと、思ってもらう。そんなアピールを、する。……うう。

 早速頭を抱える。私にそんな、女の子らしい魅力があるだろうか。いやーそりゃファンの皆様方にはおかげ様でよくしていただいてますけど、トレーナーさんはそれとは距離感が違う。身近な人だからいいところもいっぱい知っている、といえば聞こえはいいかもしれないけど。逆に距離感の近さが、そう思わせないことだってあるはずだ。それこそ、今までの私のように。

 そもそも私、トレーナーさんの何がそんなに好きなんだろう。優しいところ、励ましてくれるところ、意外と可愛らしいところ。顔を真っ赤にしながら頭のうちに理由らしきものを浮かべてみるけれど、これだ! と言えるほどはっきりはしていない気がする。あそこで聞いた恋バナとは真逆だ。曖昧模糊なくせに、あなた以外は考えられないくらいになっている。

 でも、そんなものなのかもしれない。今の私なら、そんなふうに前向きに捉えられた。今まで散々知ってきた、あなたのこと。あなたの魅力なんてずーっとわかっていて、少し見方が変わっただけ。だから、恋をした。新しいことなんてなくても、私が変わることで恋をした。……あなたにとっても、それでいいのかもしれない。

 あなたもきっと、私のことをよく知っている。今まで真摯にひたむきに、時に頑固に投げかけてくれたさまざまの言葉は、私のことを素敵に思ってくれている証拠。あなたも既に、私に魅力を感じてくれている。自分からは自惚れみたいでなかなか思えないことだけど、あなたの今までの態度は嘘じゃないってわかるから。

 なら、やるべきことは簡単かもしれない。着替えてから数十分、朝と呼べる時間全部を思考に使って、作戦の第一段階は確定した。あなたはもう、私のことくらいよく知っているのだと。だけども多分トレーナーと担当ウマ娘とか、そういう関係としての信頼なのだろうのだと。必要なのは、あなたの目を変えさせることなのだと。

 私らしさを存分に伝えて、それと同時に今までと違う私を教えて。大人と子供という繋がりを、対等なものへと成長させる。あなたが見る世界の色を、ほんの少しだけ私で染める。そうすれば、いい。ひょっとしたら頑張って女子力アピールをするよりも、何倍も大変かもしれないけれど。

 あなたのことが好きだから。あなたを惚れさせるための方法が特別なことくらい、むしろとっても嬉しいんだ。

 穏やかな休日、晴れやかな窓の外の日差し。部屋の中での思考なんて閉じているはずなのに、それでも開けた世界と繋がっている。

 そんな、一日の始まりだった。

 

 

 もしゃもしゃ、もしゃもしゃ。寮には寮長のヒシアマゾンさんが作り置きしてくれてるご飯があるので、休日も寮に篭りたい面倒くさがりは結構それをいただくことが多い。いや確かにいつもは面倒くさがりだけど、今日は違いますったら。考えるべきことがあるから、食事を用意したり食べに行く時間も惜しいんですよ。

 というわけで、ありがたくおにぎりを五個ほどいただいた。……そういや私、料理の面でも女子力ないなあ。いつかのクリスマスの時に向いてるよ、ってフラワーと<デネブ>のトレーナーさんに言われたけど、本当かなあ?

 でももし、もし私に料理が作れたら、トレーナーさんにも……いやいや、流石に気が早すぎるだろう、私。その時は、その時。取らぬ狸の皮算用なんで碌なことがないというか、後の楽しみに取っておくべきというか。うん、そんな感じ。それより今は、目の前の考え事だ。これまた悩ましくて、けれど楽しい。私とあなたのための、作戦だ。

 ティーン誌に書いてあった、二つ目。気になるあの人との距離を縮める方法として、さも当然のように書いてあったもの。言われてみれば、なんだけど。実は、やったことがあったんだけど。

 二人きりで、お出かけする。異性とのそれは、一般的にはデートと呼ぶ。恋人同士の関係に発展させるには、もっとも王道かつ強力な手段。まあ二つ目に書いてあったのは、聞くまでもないかもしれないような、そういうことだった。

 でも、だった。そう言われるとそうなのだろうことは疑いようもないのだが、なにせここには一つ問題がある。これまた私とトレーナーさんとの間だからこその独特の問題。二人きりでお出かけなんて、既に何度かやっているということだ。釣り仲間として。トレーナーと担当ウマ娘として。そういう全く違う文脈で、何度かこなしてしまっているということだった。

 つまり、ただ出かけるだけではデートにはなってくれないのだ。それはこれまでの経験が実証することであり、これまでの経験があるからこそそう意識してくれないという意味である。たとえば二人でまた釣りに行ったって、どきどきするのはこっちだけだ。それでも確かに幸せだけど、今の私は恋がしたいんじゃない。あなたも私を特別にしてくれる、恋人になりたいんだから。

 さて、そうなると。腹に溜まったエネルギーを早速使って脳みそをフル回転させる。ほんと、ターフを支配するだけの力を持った崇高な私のアタマをあなたのためだけに使うのだから、ちゃんと責任は取ってほしいよね、なんて。まあでもそっちの経験はやっぱりまるでないので、唸っては唸ってはという感じだったが。それでも前が開けていた分、私の悩みは前より一段先に進んでいた気がした。恋の悩みの先、恋の成就を願う段階に。

 ……うん、うん。ちょっと考えてみたけれど、これは先ほどの一つ目と繋がっているのかも。あなたの私に対する見方の問題。それさえ変えれば、世界が変わる。あなたの世界を変えれば、あなたの私に対する賞賛も期待も、お出かけの意味だって。そう、きっとそうなのだ。

 ならばやっぱり、お出かけには意味がある。変えるとするなら、そこでいつもと違う私を見せてやること。いつもの私を存分に見せつけた上で、更に変化したと示してやること。大人の私に、気づかせること。そのために必要なのは、きっと大々的過ぎないイベントなのだと思った。だって、やっぱり私はいつもの私だから。ほんのちょっとだけ、けれど明確に変わったところを見せることこそが重要。

 だから、私に必要なのは。私とあなた、その先に必要なのは、きっと。

 ほんの少しだけ特別な時間を、二人で一緒に過ごすこと。ほんの少しだけ、恋人に近しくすること。それでいい。きっとそれが、一番あなたに私を見せられる。いつものあなたが見ている私、そしてそこから少し変わった私。あなたに恋する、私を。それを間近で感じさせること。何をしていても二人なら幸せだと、意識させること。私越しに、世界を見てもらうこと。それが私にできる精一杯のことだ。不器用な私と、不器用なあなた、その二人を結びつけるためにできる、最高の作戦だ。どんなに迂遠でも、奇妙でも、私とあなたには、きっとこれしかないのだと。そう、確信した。

 

「はぁ〜……」

 

 とりあえず思考をまとめてみると、自然と口からため息が漏れた。達成感に満ちた、それなりに感極まった感じのため息。いや、まだ具体的なことは一切決まっていないのだけど。それでも方針が決まれば、あとはなんとでもなるし。まだ昼間だしずっと部屋で座ってるだけなのに、結構疲れちゃったし。

 ……昼寝でもするか。そういや私、昼寝好きだったし、なんてね。ここ最近寝るたびにどきどきさせられてたけど、それも元に戻せたということだろう。眠りはいつでも心を休めてくれると、そんな私の矜持のようなものを思い出した。焦る必要はない、時間が解決することもある。人事を尽くして天命を待つ、まさに今はそういう時なのだ。

 ぽふり、とベッドに身体を落とす。制服姿のままでも自然と微睡めるので、つくづく私は都合のいい身体をしているなと思った。こうしてゆっくり気ままに昼寝をするのなんて、割と久しぶりな気はするけれど。でも、いつもの私だ。たっぷりの恋を抱えたまま、私は私を見つけ直した。これもきっと必要なこと。だってあなたに好かれたい私は、ありのままの私なんだから。

 意識は溶ける。視界は天井から暗転する。残った問題はあるけれど、この後のことは、この後の私が考えてくれる。未来の方が進んでいるのは、当たり前のことなのだから。

 ゆったりと眠れた。安らかに起きれた。そこからある夕暮れからの寮の生活も、いつもの日常と呼べる休日だった。そうしてすんなりと、あっさりと結論は出た。夜寝る前に結論が出せたので、次の日曜日はすぐに行動に移せた。そうして早る気持ちを抱えながら、やっぱり昼寝をしたりして。全ては決まった。後は時間が経つのを待つだけ。それも焦らず、いつも通りに過ごそう。

 大丈夫。日常を生きることほどに、未来に近づくものはないのだから。

 そうして、次の日の朝が来た。やっぱり、なんてことのない朝だった。

 けれど、青空はキレイだった。

 それだけで、私を最後に後押しするのには十分だった。

 

 

 まあ、それだけ決意を固めといて、なんだけど。いざタイミングを図るとなると、ずっとどきどきしてしまっていた。朝イチでチーム部屋に行こうかと思ってやっぱりやめて、そのせいで授業中は(いつも通りといえばいつも通りだけど)集中できなくて。

 そして昼食を食べる段になってわかったのは、前のタイムが良かったことがキングにとって相当なやる気の源になっているということ。つまりいの一番にトレーニングに向かう気満々なのが見て取れたので、その時点でトレーニング前という選択肢も潰れてしまった。若干心の中でキングに恨み節を吐いたのは許してほしい。

 というわけで、トレーニングまでしっかりこなしてしまって。何度かトレーナーさんに声をかけられるたびに耳とか尻尾まで反応してしまうのだけど、いやいやそんな調子じゃこの後のイベントをこなせないだろう、と何度も思い直して。トレーニングの終わりが近づくたびに期待と緊張が高まって、体力の消耗と共にひたすらしんどいなあと考えるばかりだった。だけどやっぱり、時間は過ぎてゆくものだ。これだけ遠回りになっても、私の目的が遂げられないことはあり得ない。長い長い時間を超えてでも、やっぱりその時は来た。ちゃんと、やって来てくれた。

 

「よし、今日はここまで! みんなお疲れ様!」

 

 そう、トレーナーさんが解散の挨拶をする。そうして、チーム部屋に一人帰っていく。……うん、他に追いかける子はいないか。これ以上待つのも嫌だし、ちょうどいい。やっぱり緊張はするけれど、それでもあなたに伝えたい。私の作戦。それをいよいよ実行に移す、最初の段階だ。

 

「お疲れ様です、トレーナーさん。入ってもいいですか」

 

 こんこん、と一応古びたドアをノックして、さも何事もないかのように中の人に返事を求めてみる。心臓ははち切れそうなくらいだけど、トリックスターはポーカーフェイスが命だから。今手にしているものを買うのにどれだけ決意を込めたかなんて、まだあなたには教えてあげないのだ。

 

「おお、お疲れ様。入っていいぞ」

「では、失礼します。いやなに、一つご相談がありまして」

「そうか、なんだ?」

「いやまあ、大したことじゃないんですけどね」

 

 嘘。いのち全部を賭けてるくらいの気持ち。やっぱりここに来て手は震える。持ったものを握りしめてしまいそうになる。それくらいの気持ちだけど、それを伝えるための行動ではあるけれど。作戦は順番に、丁寧に。必ずあなたを仕留めるために、仕掛けの時から失敗なんてできないのだ。

 そうして、さっと後ろ手に持ったものを前に出す。間に挟んだ沈黙は少なかったはず。ここは、受け入れてもらわないといけない。ここはまず、いつもの私で誘い込まないといけない。そんな思いで何気なく取り出した、二枚の細長い紙。トレーナーさんがそれを覗き込む。それに合わせて、説明してやる。駆け引きの始まり、それを告げる私の声だった。

 

「映画のチケットですよ、映画のチケット。流行りの映画らしいです。知ってます? 『ホワイトエンディング』」

 

 映画のチケット。二枚組。私が出した結論は、いつか宣伝を見かけた映画を二人で観に行きたいということだった。確か、恋愛を扱ったアニメ映画。恋人同士でいかがですか、そんなふうにも説明されていた映画。その時は確か、少し冷ややかにその宣伝文句を聞いていた。だけど今になって思い返して、少し捉え方を変えられていたから。フィクションのような結ばれる恋愛も、それを二人で観に行くなんてありきたりなデートも、今なら手が届く現実に思えたから。だから、これが私の作戦。私があなたを誘う、デートだ。

 少し驚いた様子で、トレーナーさんはちょっと言葉に悩んでるみたいだった。ふーん、トレーナーさんでもこの意味くらいはわかるんだ。二人分のチケットを見せた意味。

 

「まさか、俺に」

「はい。いけませんか?」

「なんで、俺に」

「そりゃあ、息抜きですよ」

「それなら釣りとかでいいんじゃないか」

 

 まあ、それは正論かも。でもあなたの正論を躱すのは、とっくのとうに慣れっこなんだ。理屈の捏ねあいなら負けませんよ、この正論男。

 

「たまには違うことをしたっていいでしょ、お互い。それともなんですか、私が映画なんて文化的なものを観たがるのがそんなにおかしいですか」

「いや、それはおかしくないが」

「じゃあ文句つけないでくださいよ」

「それでも、なんで俺に」

 

 よし、ここまで誘導完了。「なんで俺に」は想定内だ。そこでちょっとだけ、仕掛けに誘い込む。安全圏で竿を垂らしているだけでは、釣れるものも釣れないからね。

 だから、踏み込む。あなたに向かって、心の距離を。

 

「そりゃあ、一人で観るより二人で観た方が楽しいでしょう。楽しくないですか、感想言い合うの。一人は寂しいセイちゃんだからわざわざ誘ったのに、トレーナーさんは私とじゃ嫌ですかー?」

「他にも君には仲のいい子がいるだろう。なんで、わざわざ」

「それがですね、わざわざじゃないんですよ。トレーナーさんだから、なんです」

 

 そう言って、一枚。手渡すというか、押し付けるように。ここまで攻めた発言をして、更にもう一押しをしてやる。全くその気がないだろう奴には、そうしてやっと第一段階なのだろう。

 さあ、深呼吸は心の中だけで。動きを外に出してしまったら、難しい獲物は逃げちゃうんだから。

 

「この日、男女ならカップル割が効くんですよ」

 

 でも、こっちを見てよ。今までも見てくれてたと思うけど、もっと。もっと特別な眼差しで、雲色の私に色をつけて。

 流石に狼狽えた様子だった。まあ、それくらいは想定内。というか狼狽えられなかったら、きっと一生一度もそういう意識を向けてもらえない。少し大胆なやり方だけど、多分これで一瞬意識した。多分大人のトレーナーさんはすぐに振り払うんだろうけど、一瞬。その隙を見せてもらえたなら、私にとっては十分な穴だ。

 チケットは受け取った。それでもやっぱり返答には時間がかかるみたい。それだけ悩ませられているのは嬉しいかもしれないけれど、ほんの少しだけ不安だ。でもそれは当たり前。全部を込めた作戦なのだから、それが通るか不安なのは当たり前。

 ちらり、ちらり。チケットを見つめたまま悩むあなたの少し長いまつ毛を、それがぱちぱちと何度も見開かれるのを見て。やっぱりそれも愛おしい、そんなふうにこの時間すら幸せで。

 でも、やはり時間は進むのだ。それは幸せが終わるという意味ではなく、更なる幸せがあるということ。トレーナーさんは顔を上げて、こちらを見つめて口を開く。やっぱり見つめ合えるのが、一番一番幸せだ。

 

「……よし、なら行こう。せっかくスカイが誘ってくれたわけだしな」

「やった、ありがとうございます。チケット代は払わなくていいんで、ご飯奢ってくださいよ」

「チケット代はいいのか」

「そりゃ付き合わせてる方ですし。その代わり、ご飯は絶対ですよ」

「……わかった。その、楽しみにしている」

「はい。私も、とーっても楽しみにしてますね」

 

 楽しみにしている、かあ。ついでにご飯の約束まで取り付けられたところまで順調なのは置いといて、楽しみ、かあ。この人おべっか下手くそだから、きっと本気で言ってくれてるんだろうなあ。……ああ、よかった。勇気を出して、よかった。本当に、手が届く気がする。夢よりずっと幸せな、現実で。一歩、確かに踏み出した。

 

「じゃ、それだけなんで。当日、映画館のビルの前で集合ですよー」

「ああ、お疲れ様。誘ってくれてありがとう、スカイ」

「……はあ、本当に」

「えっと、どうかしたか」

「なんでもないでーす。では」

 

 少し乱雑に、ばたんと音を立てて部屋を出た。全く、本当、本当に。楽しみ、とか。ありがとう、とか。随分素直になっちゃって、それくらいの言葉がどれだけこっちの胸をいっぱいにするかなんて知らないで。本当に、どうしてこんな人に惚れちゃったかなあ。

 まあ、でも。夜空を見上げながらゆっくりと更衣室への道を行くうちに、別の気持ちが湧いて来た。そんなふうに振り回されっぱなしは嫌だって、そんな気持ちが。策に嵌めてるのは私の方だ。びっくりさせるのは私の方だ。私が、あなたを変えさせるんだ。

 楽しみ? なら、もっともっと想像よりもっと楽しくさせてやる。二人がどんなに幸せかって思わせてやる。予想を超えて、今までにない気持ちを持たせてやる。覚悟、してなよ。

 ありがとう? それならそれも、もっとたくさん引き出させてやる。最高の感謝、今までで一番の感謝を引き出させてやる。そういう日にしてやる。いいか、いいかトレーナーさん。デートの日、あなたが最後に言うありがとうは。最後の、最高の感謝は。

 私が「好きです」って言った後、それを受け取る返事に決まっているんだ。その「ありがとう」が、私が一番聞きたいものなんだ。あなたに言わせたい、恋人の成立する瞬間なんだ。

 本当に、覚悟してなよ。今のあなたは、全然そんなこと思ってないだろうけど。

 その日は、互いの世界を変える日。日常にかけがえのない特別が生まれて、それが永遠だと確定する日。そのチケットは、もう二人の手に握られている。確かに渡して、受け取った。もう後戻りなんてさせない。

 運命の結実はゆっくりと、されど確実に近づいている。どんなに長い時間でも、遥かな道のりでも。

 未来は、その先にあるのだから。




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