【完結】セイウンスカイは正論男に褒められたい   作:春華ゆが

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セイウンスカイは正論男に・終

 すべてのものに、終わりがある。はじまりがどんなに偶発的で、過程がどれほど困難なものであっても。それが結実するからこそ、その積み重ねは報われる。映画のエンドロールを観ながらまず思ったのは、そういうことだった。ある一つの物語の、幕開けから幕引きまでの二時間弱をスクリーンに見入って、最初に思ったのはそれだった。結末こそが、それまでのすべてに意味を成すのだと。そういう、ことだった。

 だけど、もう一つ別のことも思った。結末は、終わりは、道を閉ざすものではないということ。映画の中で出会った主人公とヒロインは、映画の中で結ばれた。幸せで満たされることで、その映像自体には幕が引かれた。けれど当たり前のように、その先の二人の未来が示唆されていた。幸せの絶頂が恋の結実の瞬間に見えても、それは決して最高潮ではない。きっとその瞬間も最高に幸せだったのだろうけど、最高は一つじゃないんだから。進み続ける限り、常に増えて更新されゆくものなのだから。それは映画を観た感想というより、私の考えも多分に含んでいるのかもしれないけれど。

 でも、きっとそれでいい。ある物語があったとして、そこから受け取る印象が誰しも等しいなんてあり得ないのだろう。私は、私の道を今まで歩んできたから。私は、あなたの隣でこの物語を観たから。大好きなあなたと一緒に、大好きになるまでのこれまでの時間すべてと一緒に、私なりの感じ取り方をしたのだから。だからこれは私だけの気持ち。私という人間がいて、私だけの人生があって、その紛れもない証明だ。

 ……ああ、でも。

 

「……いい映画だったな。君と観れてよかった」

「そりゃどうも。じゃあ次はご飯でも食べながら、映画の感想でも語り合いましょうか」

 

 あなたとなら、この気持ちを共有してもいいかもしれない。私だけの秘密でも、あなたになら打ち明けてもいいかもしれない。だって今日はそういう日。あなたに私を知ってもらって、私も新しいあなたを知る日。ずっと秘めてきた恋心を、あなたに告白する日なのだから。

 二人で同時に立ち上がり、こつこつと足音を並べて劇場を後にする。私たちが映画を観ている間に午前は終わり、時刻は正午を僅かに過ぎていた。ちょうど、ご飯時だ。

 劇場の受付を出たあたりで、トレーナーさんが私の前に出てきた。ここまでは私が先導してきたわけだったので、少しびっくりしながらその顔を見る。意志の強そうな眉毛も真っ白な歯も、意外とくりくりした瞳も見る。そんな不意のことでも、ああやっぱり好きだなあ、そう思ってはしまった。

 そして、トレーナーさんは私に一つの言葉を告げる。ここでイベントは一つ区切られたという合図。私からあなたへ、攻守交代の宣言だった。

 

「じゃあ行くぞ、スカイ。昼を食べる場所は決めてある。俺が案内するぞ」

「なんだトレーナーさん、映画のことはまるで調べてなかったくせに」

「それはまあ、スカイに任せようかと……すまん」

「いいですよ別に、そのぶんしっかりそっちは下調べしてくれたんでしょう? 期待してますよ、トレーナーさんが念入りに選んでくれた素敵なお店」

「もちろんだ! このビルを出てすぐのところにある小さな洋食屋だが、味は確からしい。期待は裏切らない、はずだ」

「ちょっと最後に不安そうな付け足ししないでくださいよ。まあでも、行けばわかりますか」

「そうだな。行こう」

「はい。エスコート、よろしくお願いしますね?」

「……ああ、そのつもりだ」

 

 やっぱりしっかりしてるな、トレーナーさん。ちゃんと今日のこと、大事に大事にしようと思ってくれてたんだ。しっかり私をリードする時はリードしよう、そんなふうに下調べもしてくれてたんだ。不器用なりに努力して、私のことを考えてくれてたんだ。私と、同じ気持ちだったんだ。

 それはやっぱり恋情ではないのかもしれないけれど、私を大切にしてくれているのは伝わった。大切に、特別だと。あなたの心の深く深くまで、私がいることに違いはない。なら、後は少しその向きを変えてやるだけ。既にある特別さの意味に、ほんの少しの彩りを添えてやるだけ。そしてそれは着実に、今この瞬間もちょっとずつあなたを染め上げ始めている。いつもと違う装いでどきどきさせた。二人で映画を観てどきどきさせた。そして次は、二人で食卓を囲む。

 それはきっと、あなたをどきどきさせてくれる。何故ってこんなに、私がどきどきしているのだから。

 エレベーターを降りて、二人並んで大きなビルを後にする。そしてそのまま寒空の下に出て、目的の店までの僅かな距離を移動するまでも。

 二人で、並んで歩いていた。

 私とあなたは、互いに互いの隣にいた。

 距離は近づく。幕引きの、終わりの時と共に。

 

 

「……ねえちょっと、トレーナーさん」

「……なんだ、スカイ」

「めちゃくちゃおしゃれじゃないですか、ここ」

「そうだな。一応、写真で見た通りだ」

「あの、頼りにしていいんですよね」

「……任せろ」

「ちょっと、なにその間」

 

 店に入るなり、そんなひそひそ話をしてしまった。まあ、ここは任せるのも作戦のうちなんだけど。トレーナーさんの心持ちを探るために、一旦自由にさせてみるというか。ただそれにしても、この空間の雰囲気は気後れしてしまう。派手すぎず落ち着いた色合いの照明、トレセン学園のそれより数倍ぴかぴかのフローリング、傷一つ見えない木製の壁には、ところどころワンポイントの壁面クロスなんかがかけられたりしてて。本当にあのトレーナーさんが自分でこのお店を選んだのか? と疑ってしまいそうになるほど、格式とムードを感じられる空間だった。

 いや、よくよく考えたら私はまだマシなのかもしれない。とっときのワンピース姿は、ここまでしっかりした場所ならむしろ相応しいくらい。そういう意味では、私のために選んだ店というのなら正解。それはまあ、嬉しい。かなり、嬉しい。

 でも肝心のトレーナーさんは、いつものカッターシャツと使い潰しのスラックスじゃないか。そりゃあなたなりに精一杯きちんとした格好をするつもりでそれを着てきたんだろうけど、なんでしっかりした格好の選択肢が仕事服しかないのやら。この店に来ることを決めたのは他ならぬトレーナーさんなのだから、もうちょっと考えを巡らせてもよかったのに。

 なんて、そんななんとも融通の効かないところがあなたらしさでもあるのだけど。私にとっての、あなたの好きなところの一つでもあるのだけど。だから大目に見てしまおう。そんなところも愛おしいって、そういうことにしてしまおう。

 

「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」

「はい、二人です。私と、彼女の二人」

「かしこまりました。では、こちらの席へどうぞ」

「わかりました。……行くぞ」

「言われなくても行きますよ、トレーナーさん」

 

 店員さんに案内され、私たちは幻想的な店内へ招き入れられる。ちゃんと私をエスコートせんと率先して受け答えしてくれたトレーナーさんの態度が、大したことでもないのにとっても嬉しかった。それに、「彼女」って。もちろんそういう意味じゃないのはわかってるに決まってるけど、「彼女」って。それにそういう表現を使われることは、私を子供扱いしてないってことな気もして。対等に、一人の大人として扱ってくれてるような気がして。まあ、単なる言葉選びに深い意味はないのかもしれないけど。

 それでも嬉しい。これから始まる次の特別の開幕を告げるには、十分すぎるほどの幸せだった。

 

「……このハンバーグ、美味しい。ひょっとして、トレセン学園の食堂より」

「それは相当だな。でも確かに、このカレーも美味い。評判のいい店だったが、ここまでとは」

 

 とん、とん、かちゃ、かちゃ。互いに食器の音を静かに立てながら、最初に交わされた言葉はそれだった。料理が美味しいって、外食するなら誰でも出せるようなありきたりな会話。でもそう素直に漏らしてしまうくらいには、美味しかった。もしかしたら少なからず、あなたと食卓を囲むというのは理由にあるかもしれないけど。そうだとしたらやっぱり、これも特別を確認する行為なのかもしれない。

 ぱく、ぱく、もぐ、もぐ。ついつい、黙々と食べてしまう。何も他に考えてないみたいに、黙々と。それでも向かい合っている限り、料理を捉える視界の端にあなたの大きくて少し節のある手の甲を入れてしまって。そんな優しい私とは違う男の人の手が、少しぎこちなくスプーンを扱うのをこっそり眺めて。言葉がなくても、今の時間は幸せだった。あなたと二人なのだと、実感できた。

 そうして七割くらい、お互い七割くらい食事を終えた頃だった。美味しいものを食べて気持ちも身体も落ち着いて、緩やかな暖かさが身体を包み始めていた頃だった。

 おもむろに、トレーナーさんが口を開く。当たり前といえば当たり前の話題で、だけど確かな、今までとは明確な差のある言葉。

 

「さっきの映画、良かったな。本当に良かった。誘ってくれてありがとう、スカイ」

 

 この特別な時間を、あなたの方から更に彩ろうとする言葉。私の空回りじゃないんだって、ちゃんとあなたを意識させられているんだって。そう、思えるような。

 あなたが今を特別だと思ってくれる、そんな言葉だった。そして、あなたの言葉はそこでは止まらなくて。少し照れ臭そうに、けれどあなたの歩みは止まらなくて。未来の結実に進んでいるのは、私とあなたの二人だった。

 

「あの主人公とヒロインは、たまたま出会ったわけじゃないか。別々の目的で夜道を歩いていて、たまたま。特別な意味を持って、何かを決めて待ち合わせしていたわけじゃない。だけどそこから物語は始まった」

「まあでも、映画ですからねえ。たまたまとは言っても、そう脚本で決まっていたといえばそう決まっていたものです」

「それはそうかもしれないが、俺はあれを観てこうも思ったんだ。案外、現実もそんなものかもしれないって」

 

 ……ほう。いつも正論ばかりのトレーナーさんにしては、なんというか珍しい発言な気がする。結論のはっきりするはずもない、自分なりの考え、なんて。まあたまには聞けていたこともあったかもしれないけれど、こんなふうにそれを赤裸々に語ることはなかったと思う。ここに来て、ここまで来て、あなたの新しい一面を見ていた。それはあなたへの想いを深めるもの。もっと知れてよかったと思えるもの。新たなあなたを知って、もっともっとこう思う。

 やっぱり、あなたが大好きだ。

 

「現実も、ですか。現実はフィクションじゃないですよ、でも」

「だとしても、というか。たとえば俺とスカイの出会いは、偶然だった。たまたま、君がサボっているのを見つけた」

「そうですねえ。あの日トレーナーさんに見つからなかったら、今日の私は代わりに一体どこで何をしていたのやら」

「でも、見つけたなら必ず声をかけたはずだ。俺がサボりを見過ごすはずはないからな。そしてそれなら、偶然というだけじゃないのかもしれない。さっきの映画と、同じだ」

「……どういう、ことですか」

 

 初めて聞く、あなたのあなたなりの考え。それは私がすぐさま推し量るには大きくて深くて、翻弄されてしまう。やっぱりあなたは大人だなあ、そんなことを思った。

 そしてそうやって聞き返す私に、真っ直ぐ意図が伝わるように。いつのまにか二人の食事の手は止まり、互いが互いを見つめていた。青と黒の視線が、二人の真ん中で繋がっていた。ちょうど、真ん中で。あなたは言葉をしっかり伝えるために。私は言葉をしっかり受け止めるために。

 気持ちの一致。それは私たちの繋がりを、今までで一番強くしてくれるのだ。

 

「現実にあるような偶然でも、物語にあるような運命でも、そこにあった出会いに価値を見出したから、それは出会いになったんだ。価値を見出したのは、出会った人同士の意志なんだよ。それは、あの主人公とヒロインもそうだし」

「私とトレーナーさんの関係も、ってことですか。……なるほど、ですねえ」

「……すまん。少し、いやかなり変なことを言ったかもしれない」

「いやあ、確かにびっくりしました。トレーナーさんがそんなロマンチストなことを言うなんて」

「その、今からでも忘れてくれないか」

「やでーす。絶対覚えときます」

「なんでだ。トレーナーの指示だぞ」

「そんなのしょっちゅう無視するのがセイちゃんじゃないですか。絶対、忘れませんよーだ」

 

 ほんと、絶対忘れてやるものか。あなたはきっと気づかず言ったのだろうけど、今あなたはものすごいことを言ったんだぞ。あなたと私の出会いは、互いに価値を見出したからこそだって。つまりあなたもそこからすべてが始まったって、私と同じくらいあの出会いを想ってくれてたんだって。すべてのはじまりから今この瞬間に繋がるという大それた感覚さえ、私とあなたで同じだったって。

 それに、それにだ。あの主人公とヒロイン、それと私とあなたを重ねるのなら。何気ない出会いから最後には愛で結ばれた、そんな二人にさえ重ねてしまうなら。きっとやっぱり、あなたの発言自体に今はそんなつもりはないのだろうけど。

 ありがとう。あなた自身から、私の恋を肯定してくれて。色々な人が後押ししてくれてここまで来て、最後に背中を押してくれるのが、他ならぬあなた自身だなんて。

 よし、大丈夫。もとより引き下がる選択肢なんてないけれど、あなたまでそう言うなら尚更だ。

 最後の、本当に最後の大作戦。策士セイウンスカイ、そのすべてをあなた一人のために尽くしてやろうじゃないか。

 

「ご馳走様。本当に美味しかったな」

「ご馳走様を言うなら私の方ですよ、奢ってもらったんですから。美味しかったですね」

「ああいや、お店に向けてというか。……スカイの方を向いて言うのは変だったな」

「いいですよ、そんなのいちいち気にしなくて。それよりご飯を食べ終わったら、ちゃんとお店を出ましょうね。食事中の談笑はともかく、その後も居座るのは御法度です」

「そうだな。なら、帰るか。今日は本当に楽しかった。色々新鮮なこともあったが、誘ってくれてありがとう」

 

 ──ほら、そう言うと思った。予定が全部終わって、そんなふうに心底ほっとしてくれると思った。これだけ慣れないことをさせられて、緊張して、それでも楽しくて、それがひと段落した今なら、あなたの頑固な気持ちが丸裸になると思った。

 だから。

 

「何勘違いしてるんですか、トレーナーさん。まだもう一つ、行くところはありますよ」

 

 だから、そこを逃さない。釣りは長い根気の勝負であり、そうしてできた一瞬の隙を必ず逃してはならない勝負でもある。だから、ここまで黙っていた。最後の仕掛け、あなたという大物を釣り上げるための運命の一手は、ここで打つ。

 

「……え?」

 

 よし、ばっちりだ。取り繕う素振りもない、本当に無防備な一言があなたの口から漏れる。もう、逃げられない。もう、離さない。終わりまで、必ず一緒にいる。今日の終わり、未来のはじまりまで、必ずだ。

 少しわざとらしくあなたの前に躍り出て、ふわふわとスカートを浮かせて。もう一度大人の私を意識させてから、私はあなたに一つの提案をする。もっとも、拒否権なんてないけれど。ここまでやって拒否するようなやつだなんて、一度も思ったことはないけれど。

 だから、ここからはまた攻守交代だ。告げた瞬間、私のリードが確定する。二人が今日たどり着くゴールが、確定する。

 さあ、告げよう。

 

「行きますよ、観覧車。最後は二人で、観覧車に乗って終わりましょう」

 

 あの入学式の日から始まった長い長い道のりのゴールが、一体どこにあるのかを。

 これからの二人の、特別な日常のスターティングゲートが、一体どこにあるのかを。

 あなたと二人なら、ゲートに入るのは怖くない。終わりの瞬間も未来の確定も、むしろ幸せになってしまう。そう、私は告げたのだ。

 私のその一言には、流石にトレーナーさんもとってもびっくりしたみたい。しばらく固まって、眉毛も目蓋もぴくりともしなかった。まったく、食べ終わったんだから早く店から出なきゃいけないのに。わかってるくせに、断れないことなんて。わかってるくせに、もう完全に捕まったってことなんて。

 ……ああ、少しくらい強引にしてやるか! 

 

「もう、行きますよ!」

「あっ、おいちょっと、スカイ!」

 

 ぐいっ。成人男性一人引っ張るくらい、ウマ娘の膂力を以ってすればわけもないことだ。そのついでにちょっと手を繋ぐのも、この際ほんの少しのフライングみたいなものだろう。そういうことにしておいて、後でそのぶん責任を取ってもらおう。

 

「ご馳走様でした、また来ますねー」

「はい、ありがとうございました」

 

 店員さんに挨拶して、がらんがらんとベル付きのドアを少し強めに開いて外へ出る。ちなみにまた来るというのは、もちろんトレーナーさんと一緒のつもり。片手はずっと、トレーナーさんの右手首を握りしめたまま。調子に乗って走っちゃうとトレーナーさんを潰しちゃうので、ほんの軽い駆け足くらい。まあ、それくらいは急いでもいいよね。楽しいことが間近に近づいているのなら、気持ちは急いでしまうもの。ゆっくりのんびりもいいけど時にはそれに素直にならなきゃ、私らしくないんだから。

 昼下がり、まだ青い空の下。あなたの手を繋いで引っ張って、すぐそこに見える真っ赤で大きな観覧車の足元へ向かう。そこから見えるもの。そこで過ごす時間。多分今日あった特別なものの中で、一番短くてあっという間なのだろうけど。

 一番特別で、幸せだ。始まる前から、そう決まっていた。理由はやっぱり簡単で、誰でもわかるくらい単純だ。

 ここが、積み重ねの一番上だから。

 ここが、告白をする場所になるから。

 トレーナーさん、最後の勝負だよ。あなたを釣り上げて、私と対等なところまで持ってくる。全部を告げる。全部をあげる。だから、だから。

 私を、見てよね。

 クライマックス、最後の瞬間。舞台の上にあるものすべてが最も美しく映るのは、フィナーレ以外あり得ないのだから。

 

 

 がこん、がこん。結構人は並んでいて、私たちが乗る観覧車がそうやって動き出したのはチケットを買って待つこと二十分ほど後だった。その頃にはトレーナーさんも状況を受け入れた様子だったので、手首を掴むのはやめてあげた。チケットは私の奢りになってしまったから、トントンだったはずの貸し借りは私に貸し一個多い状態になってしまったかも知れないけれど。……まあ、それはこれから返してもらうわけだし。

 

「外の景色綺麗ですねー、トレーナーさん」

「……そうだな」

「あっ、あれトレセン学園じゃないですか? ほら、あの端っこ」

「……そんなに近づくな」

「しょうがないじゃないですか、狭いんだから」

 

 そしてそんなふうに無理矢理連れ込まれたトレーナーさんは、さっきから外の景色に目を向けてばっかりだ。態度もそっけない。だけどそれでも観覧車の中なんて狭くて、互いの呼吸の音さえ聞こえてしまう。今日で一番、あなたを意識してしまう。それは多分あなたも同じで、だから必死に目を逸らしてるのかな、なんて。

 トレーナーさんの、大きな身体。私のちっぽけで肉のついてないそれとは違って、引き締まった筋肉がシャツの上から見て取れる身体。やっぱり、あなたは私より大人だ。私も大人だと言っても、まだまだそこには差があるのだろう。

 向かい合って座れば、身体つきだけじゃなくてそのサイズの差だって明瞭になる。座っている状態でも、私より一回り大きいところにあなたの顔があるのがわかる。私の身長に耳の長さまで計上しても、やっぱりあなたはとっても大きい。大人の私をこれほど見せても、まだまだあなたの方が大人な気がした。

 きっと抱き締めてもらうなら、少しあなたに屈んでもらわなければ叶わない。

 きっと口付けを交わすなら、少し私が背伸びをしないと叶わない。

 それは事実。身体の距離は、どちらかがどちらかに寄り添わなければゼロにはならないのだ。それは、よくわかっている。ここまでさまざまの努力と時間を重ねても、そういうものなのだろう。

 それでも、きっと。きっともう一つわかるのは、気持ちの距離はゼロにできるということ。だから、寄り添いあえるのだ。寄り添うことさえできれば、二人の距離はゼロにできるのだから。大人と大人、対等な私とあなた。

 だからこそ私は、あなたに恋をできるのだ。

 観覧車はゆっくりと回り、一番高いところに近づいていた。地上の景色は遠く、世界は二人だけのものになる。

 ここで、想いを伝えたい。そう思ってから口が動くまで、刹那のタイムラグもなかった。どんなに重大な決断だろうが勇気が必要だろうが、覚悟は決まっている。とうの昔に。完璧なタイミングを、最高の瞬間を狙っていただけ。

 

「ねえ、トレーナーさん」

 

 ねえ、今はわざとらしく外ばっかり見てるけどさ。私は今まで、あなたが見ててくれたからここまで来れたんだよ。あなたが支えてくれて、「走れる」って言ってくれて。しつこく見捨てなかったから、私は渋々走り始めて。けれどそうやって見ていてくれたから、私は自分を認められるようになった。走りたいって思っていいって、誰かのためになれるって、そう思わせてくれたのは、あなたが見ていてくれたから。ずーっと、見ていてくれたから。

 

「ねえ、トレーナーさんってば」

 

 もちろん、時には見られたくはないようなものも見られてしまった。弱いところ、泣いたところ、みっともないところ、そんなのまで見せてしまった。だけど、その上であなたは私を肯定してくれた。それはきっと、あなたも同じように弱さを見せてくれたから。あなたがあなたのことを教えてくれたから、私はあなたのことを信頼できた。自分の弱さを見せてもいいって思えた。そして最後には、恋までしちゃった。だけど、それもあなたがくれた幸せなのだ。あなたが、私に恋を教えてくれたのだ。

 

「もー、トレーナーさんったら」

 

 だから今、私はこう願っている。今まで色んなことを見てもらえて、私もあなたのことを見て。お互いのことを、たくさん知って。そうやって特別な繋がりを持つことが、幸せなのだと知って。だから、だからこう願う。

 今よりも、もっと私を知ってほしい。そしてそのお返しに、あなたのすべてを知りたい。もう、私は私を隠さない。怯えて雲隠れして、逃げたりしない。

 私は、私を肯定できる。歳の差も関係の差も超えてあなたの心を射止められると、そんな自信を持てるほどに。

 だから。

 

「トレーナーさん!!」

 

 びくり、目の前の男の人が叱られた子供みたいに反応する。まあ至近距離でこんな大声を、それも滅多に大声を上げない奴の大声を聞いたらそうもなるだろう。だけどそれくらいの手段で振り向いてもらえるなら、まったくもって楽な仕事だ。

 

「……なんだ」

 

 今日はいつもより整えられた黒髪。連れ回されて疲れたのか、少し汗の垂れた頬。少し困惑まじりに、だけどようやくこちらを向いてくれる、わりかし長いまつ毛を二重に讃えたくりくりとした黒い瞳。そのすべてが、ゆっくりと私の方へ。私の両の瞳で、それを真正面から捉えられた。

 ああ、こうなると顔が真っ赤になるのがわかるな。言うべき言葉が喉の七割くらいまで来たあたりで、耳も尻尾もひたすら忙しなくなる。

 でも、でも。恥ずかしいのは当たり前、怖いのもやっぱり当たり前、それでも、それでも。

 気持ちの扉を、開く。千の感情が渦巻く今の私の心臓から、一番強くて特別なものを取り出すために。

 

「トレーナーさん」

 

 ああ、ようやく。

 

「好きです」

 

 ようやく、言えた。

 

「担当ウマ娘として、じゃないです。ただ一人の、なんでもない女の子として言います。あなたのことが、大好きです」

 

 恋を告白すること。それは一度言うのが、言い始めるのが一番難しいのだと思った。だって開け放ってしまえば、こんなにもとめどなく溢れてくるのだから。

 

「もちろん歳の差なんてわかってます。トレーナーと担当ウマ娘、大人と子供。それが今までの関係で、私が望んでるのはそれとは違うものなのはわかってます。でも、それでも変えたいんです。私はあなたの特別になりたい。本当の意味で対等な、大人と大人になりたい」

 

 ずっと考えていたことだった。何度も悩んで胸がいっぱいになった悩みだった。それを解き放って、なによりあなたに正直になれて。大好きな人に私の本当の気持ちを知ってもらえることが、幸せでたまらない。世界はより一層、鮮やかに見えていた。この瞬間視界にあるのは、あなたの姿だけなのだけど。

 

「今までの関係が、あなたとの関係がとても幸せだからこそ。だからこそ、今から先に進みたい。私は、あなたのそばにいたいんです。どんな日でも片隅に想ってもらえるような、特別な場所に。……これが、今日言いたかったことです」

 

 言い切った。そう思うと、途端に全身に疲労がのしかかってくるような気がした。けれどそれとは真逆で、心の底から活力が湧いてくる感覚もあった。全部を出し切った感覚。まるでレースの後みたい。もちろんそれとは違って、これで終わりではないのだけど。

 がこん、がこん。揺れる観覧車の音だけが、狭くて二人きりの空間に響く。答えは、まだない。どこまで行っても、この私の言葉は問いかけだ。あなたがそれを肯定しなければ、受け入れなければ意味はない。すべてを尽くしたつもりだけど、最後に大事なのはあなたの気持ちに決まっている。そのために、ここまであなたの気持ちを揺らそうとしていたのだから。

 がこん、がこん。観覧車は大体七割くらい回り終わった後で、このまま黙ったまま降りるつもりなんじゃないかって疑いたくなる。そうだとしたらとんでもないやつだ。そりゃあとびきりびっくりしただろうけど、いくらなんでもそれはないだろう。幻滅しちゃうかも、なんて。……なんて、やっぱりそんな心配は要らなかった。重い重い口を、ものすごく恥ずかしそうにトレーナーさんは開く。まあこれが恥ずかしそうだとわかるのは、私の長い付き合いあってこそだと思うけど。

 そうして、絞り出された言葉は。

 

「……君は担当ウマ娘で、俺はトレーナーだ。だから、その、わかるか」

 

 ……なーんだ、それで。

 それで、否定のつもりなんだ。

 不安定な足場なんて構いもせず、スカートの皺を整えながら立ち上がる。ぎぃ、と少しだけ私の体重で観覧車を揺らしながら、一歩、一歩。

 身体を寄せる。僅かに身じろぐあなたの胸に、私の胸元をぴったり押し付ける。もちろん、力加減は絶妙に。トレーナーさんなら簡単に押し退けられるくらいの、拒もうとすれば拒める詰め方で。

 そして、身体はぴったり重なって。互いの息が当たるところまで、あなたの顔に私の顔を近づけて。

 ──ちゅっ。

 はじめての、キスをした。ようやく触れられたあなたのそれは、すこしかさついた唇だった。幾度も夢で見て、その裏できっと手が届かないと思っていたもの。それを、していた。

 唇と唇を三十秒ほど合わせるだけの、甘酸っぱいキス。けれどその三十秒、あなたからの抵抗はなかった。それがなによりの、答えだった。

 永遠にも思えたその一瞬を終えて、鼻の先が触れそうな距離のまま私は言う。もう一度それくらい近くでトレーナーさんの顔を見れば、やっぱりあなたの気持ちははっきりしていたし。ずばり、指摘してやった。

 

「トレーナーさんがそうやって正論を言う時は、決まって本心を隠す時じゃないですか。バレバレなんですよ、あなたは」

「……でも」

「でもじゃない。もうバレてるんだから、キスだって拒めなかったんだから。既成事実ってものはできちゃってるんですから、諦めてください」

「だが、俺でいいのか? ……その、そんな気持ちを向けられるのは初めてだ。多分不器用で、人付き合いは上手くないからだ。それはその、嬉しい、とは思う。だが、本当に俺で」

 

 もう、本当に困った人だ。全部言わせる必要はないだろう。私の気持ちを受け取った、肯定した、嬉しかった、その言質は取った。

 もう一度、一寸唇を重ねる。んっ、とくぐもった声だけで、強制的にあなたの言い訳を止める。そして口を離した後、間髪入れずに言い放ってやる。もう釣り上げた獲物なんだから、これは神経締めみたいなものだ。

 

「そんなの、決まってるじゃないですか」

 

 がこん、がこん。観覧車は、ちょうど下に降りてきたみたいだ。タイミングが良くて大変結構。最後にとどめを刺してから、二人で元の世界に戻れる。

 

「あなただから、いいんですよ」

 

 きっと生まれ変わったみたいに見える、新しい世界に。

 こうして、最後の特別な時間は終わった。一番短い、けれど一番特別な。

 きっと、永遠に残る思い出になるだろう。

 これは私とあなたの二人にとって、新しいはじまりなのだから。

 

 

 観覧車から降りて、今度こそ帰路に着く。案外劇的に何かが変わった感覚はないけれど、それでも心の隅にずっと暖かい何かがあった。多分、これが目指していたもの。日常の特別に、お互いを置くということだ。恋人と、いうことだ。

 

「いいか、スカイ」

「なんですか、トレーナーさん」

「気持ちは嬉しい、それは認める」

 

 それはそれとして、しばらく歩いたあたりでトレーナーさんが喋り出した。さっきまでたじたじだったぶん、やっと元気が出てきたのかもしれないけど。それでまさか撤回しようとするなら、ぶん殴られても文句は言えないぞ。

 なので、再確認を取る。生簀の魚がいまさら逃げようとするな、まったく。

 

「じゃあ言ってみてください、私のことが好きって」

「……わかった。スカイのことが好きだ。そう、それも認める」

「じゃあなんですか」

 

 よし、よし。実際言わせてみると、とんでもなく嬉しいな、これ。何回聞いても飽きない気がする。ああ、好きだなあ。本当によかった。気持ちを伝えて、よかった。……でも、まだなんか含みがあるみたい。困った人だけど、恋人のわがままを聞いてやるのもいい女というものだろう。

 

「これだけは守らせてくれ。俺は教え子には絶対に手を出さない。これは言い訳じゃなくて、君のことを思うからだ。なんと言おうとトレーナーとして、担当ウマ娘を大切にしないわけにはいかない」

 

 うーん、これは流石に一理ある。正論の理由を私のためにするなんて、ちょっとは口八丁が上手くなったなあ。

 

「えー、じゃあデートもこれっきりですか」

「そうだ。そもそもデートだと言うことなら、誘いを断っていたはずだ」

「あんなに楽しそうにしてたくせに」

「それとこれとは、別だ」

「本当、頑固な正論男」

 

 まあ、そんなところも大好きなんだけどさ。だけどあなたが正論を使うなら、たまには真っ向から向き合ってやろう。当然、口で勝つのは私の方だ。

 

「まあでも、それなら待っててくれるって意味ですよね? 『トレーナーと担当ウマ娘の関係』を大切にするってことなら。私が大人になって、あなたの隣に立てるくらいの時間が経ったら、その時は迎えに来てくれるってことですよね? 言葉通りなら、そう受け取りますけど」

 

 そういうことなら、仕方ないよね。あと何年かかるかわかんないのに、それでも待つって今から言ってくれるなら。そんなにちゃんと向き合われたら、それを裏切るわけにはいかないや。そんなに、そんなに嬉しいことを言われちゃったらさ。

 ああ、私は幸せ者だ。今なら世界で一番かも、そう思えるくらいだよ。

 

「……そのつもりだ。責任を持って、待っている。だから、それまでは」

「じゃあそれまでは、お触りなしで。でもお出かけするくらいは許してくださいよー、トレーナーさん」

「わかった、わかった。だがそれまでは──」

 

 ぎゅっ、ぎゅっ、するり。あなたの右腕に私の左腕を絡める。絡めて、絡めて、指の先まで。恋人繋ぎ、というやつだ。またじたばたするあなたのふしくれだった指を、全部全部柔らかく絡め取る。そりゃあ、こうなるでしょうに。

 

「……おい、スカイ」

「えー、なんですかー? 恋人同士手を繋いで、嬉しくないですかー?」

「触らない、という約束は」

「それは、今度から。今日はだって、デートじゃないですか。それより、嬉しくないんですか?」

「……それは」

「私は、嬉しいですよ。とっても。ありがとうございます、私の気持ちを受け取ってくれて」

 

 きっと、恋はありふれている。けれど今日成立したこの恋は、世界でただ一つだけ。私の気持ちを、あなたが受け取ってくれたおかげだ。

 

「それはこちらこそだ。その、ありがとう」

「はい。これからも、よろしくお願いしますね? やりたいこと、目指す夢、トレーナーさんへのお願いはたくさんあるんですから」

「もちろんだ。スカイのトレーナーとして、その……恋人として。どちらも、全力を尽くすぞ」

「ふふっ」

「何がおかしいんだ」

「いやあ、可愛いなあと思って。それなら私も、全力を尽くさなきゃですね。……これから先、末永く」

「……ああ。大切にする」

 

 本当に、隙だらけなのにしっかりした人だ。その一見矛盾した振る舞いはきっと努力の賜物で、存分に支え甲斐があるというもの。そう、私を受け入れてくれたのだから、あなたのことを私が受け入れるのも当然の道理なのだ。ずっと、ずっと。ずっと、これから支え合うのだ。ほっぺた全部を桃色に染めた、今までで一番くしゃくしゃな笑顔であなたを見上げて、愛おしむ手のひらと最高の表情で以ってして、私はあなたにそう伝えた。

 言葉だけじゃなくて、言葉で伝えきれないことさえ。私のすべてを、それで伝えた。

 今日は今までの集大成で、同時にこれからあるものすべてのはじまり。積み重ねとはそういうもので、はじまりと終わりが何度も何度も繰り返される。変化も成長も悩みも挫折も、繋がりを見出せるから意味を成す。今までとまるで変わってしまったように見えても、それは絶対にこれまでの人生に裏打ちされている。無駄な時間はない。回り道や休みも時には必要。だから、人は大人になれる。立ち止まっている瞬間すら、大人のための準備なのだ。

 いつかは諦めてしまったことも、届かない夢だと思っていたことも、未来でまでそうとは限らない。だって人は変わってゆくもので、だけど一方でまったくの別物になることもできないものだから。変化するのは己の本質ではなく、世界の見え方。視野が広がり色づいて、成長するたびに幸せなことが増えていく。そういうものなのだと、それがはじまりから今までを経験した私の結論だ。

 ほら、だって。今私たちを、世界をオレンジ色の夕日が照らしている。そんなの何度も体験したはずなのに、橙に染まる景色なんて見慣れたものなのに。空の色なんてどう変わっても、見たことのない色にはならないはずなのに。それでもいつでも、空はどうしようもなくキレイに見える。夕日も、夜空も、青空も。そう思えるのは、きっとなによりの証明なのだ。人が日々成長し、世界の見え方を変えていることの。

 褒められたいなんて子供の頃の私の願いは、巡り巡ってここまで来た。かつてはそれを後悔しながら引きずっていたけれど、今ならはっきりわかる。

 褒められたいって、思ってよかった。

 届かない夢だなんて、諦めなくてよかった。

 だってそう思っていたからこそ、私は今ここにいるのだから。

 だからこれからも、私は先へ行く。きっとまた苦難があって、思い悩むとしても、それは不可能を意味しない。広い世界を見渡せばどこかに助けてくれる人はいるし、気づかなかった自分の気持ちに気づくこともあるのだから。苦しいことも楽しいことも、モノの見方と気分次第なのだから。

 そうして先へ先へと進んだ、長い長い旅路の果て。そのゴールには何かがあって、そのうちの一つとして今日という日が終わる。これから先の、新しい世界を示すために。未来の、はじまりを告げるために。そこにあるものがこれからどんなに変わるとしても、その中でも変わらない本質を見つけて指針にしていこう。

 そう、たとえば私の場合は。今の私が、永遠に変わらないと確信できる気持ちは。

 私はあなたに、褒められたい。

 この気持ちは、きっとずっと変わらないだろう。

 ずっと。

 ずっと。

 ずっと、あなたが。

 あなたのことが、大好きだ!




感想評価、是非よろしくお願いします。
本当に励みになります。
次回、
セイウンスカイによる「エンディング・オア・エクステンディング」
をエピローグとして、本作品は完結となります。
六十話強お付き合いくださり、ありがとうございました。
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