ファインモーションVS元ホストトレーナー   作:宇宮 祐樹

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トレファイです 


Round 1

 

「前々から思ってたけど、やっぱりファインちゃんは笑ってた方が素敵だよ」

 

 いつも通り、棒付きの飴を口に咥えながら、キミは私にそんな嘘を吐いた。

 

「どれだけ辛いレースの後でも、笑ってたじゃん。ホントにレースの後か、ってくらいキレイに。俺さ、そんなファインちゃんが好きだから、ここまでやってこれたの。恥ずかしくて言えなかったけど」

 

 これまでに見てきた大人の中で、いちばん子供っぽい人だった。

 笑う時はすごく嬉しそうに笑って、泣く時は本当に悲しそうに泣いてた。きっと、感情が人よりもすぐ顔に出る人だったんだ。賑やかな人だった。それこそ、箱入り娘だった私には刺激が強すぎるくらいに。けれど、そんな彼の姿はとても新鮮で、一緒に過ごした時間はすっごく楽しかった。

 ただ、ちゃんとした大人ではなかったかもしれない。悪い言い方にはなるけど、いつもへらへらした態度だったし、平気で嘘も吐くし。考え事をするときは、よくペンの頭を齧ってたっけ。私が何度注意をしても、その癖は治らなかったけど。でも、それも含めて子供がそのまま大人になったような、どこか可愛げのあるひとだった。

 甘いものが好きで、歌がちょっとだけ下手で、まるで友達みたいに私へ話しかけてくれる。

 そんなひとが、私のトレーナー()()()

 

「だからさ、泣くのなんてやめなよ」

 

 URAファイナルズの、その決勝戦。

 私は二着だった。

 

「二着でも十分すごいって。それに、ファインちゃんは出すモン全部、出し切ったんでしょ?」

 

 悔しかった。どれだけ嘆いたところで結果は変わらないなんてことは、分かってる。それでも。

 大声で泣きたかった。叫んで、喚いて、涙を流したかった。はしたないと思われても構わない。惨めだと憐れまれても。キミの前なら、そうやってこの悔しさを噛み締めても、許されると思ったから。

 いっそのこと、そんな私に失望してくれたらよかったのに。獣と何も変わらない、って。どれだけ綺麗ごとを並べても、結局は勝利への渇望を隠しきれないんだから。きっと貶してくれた方が、私は救われたんだよ?

 なのに、キミはどうしてそんな嘘を吐くんだろう。

 

「ああもう、ひどい顔しちゃって」

 

 ……誰のせいだと、思って。

 

「泣くのは俺の仕事なのにさー。勝手に盗るのやめてくれよ」

 

 そうやって涙を拭おうとしたキミの手を、私は。

 

「あ」

 

 自分でも、信じられなかった。

 そんな乱暴なことをするなんて。キミの気遣いを、踏みにじるようなことをするなんて。

 目の前に落ちてきたハンカチを見て、ようやく私は、キミの差し出してくれた手を弾いたことに気が付いた。涙で滲んだ視界には、キミのぽかんとした顔が映っていた、気がする。

 それが、私はそう信じたかっただけかどうかも、今になっては分からないけど。

 

「ファイン、ちゃん」

 

 どうして、こんなことしちゃったのかな。

 ……そうだ。きっと、私は。

 この涙を、他の誰にも奪われたくなかったんだ。

 

「そっか。……そう、だよな。気づいてやれなくて、ごめんね」

 

 干上がった喉からは、何も言葉が出てこなくて。

 無理やりにでも声を出せたら、どれだけ良かったんだろう。手を握ればよかった。袖をつまむだけでも、何か変わったのかもしれない。今になって、そんなどうしようもないことを思っちゃう。

 けれど泣き崩れたままの私には、何もできることなんてなくて。

 

「ハンカチ、ここに置いとくから」

 

 一緒に買った、クローバー柄のハンカチだった。

 それくらい持ってた方がいいよ、って私が強引に買わせたものだった。本当は、おそろいにしたかったからなんだけど、きっとキミはそれも分かってたんだろうな。だって、キミはそれをいつも持ち歩いてくれてたから。

 

「……やっぱダメだったんだな、俺なんかじゃ」

 

 そんな言葉を最後に残して。

 キミは、私の前からいなくなった。

 

 

「相変わらず、シケたツラしてんなァ」

 

 トレーニングが終わったあと、一人でぼうっと夕焼けを眺めていると。

 いつの間にか隣に立っていたシャカールが、そんな声を私にかけてくれた。

 

「二年か」

「……うん」

「手がかりは?」

「まだ、何も」

 

 答えると、呆れかえったような長い溜息が返ってくる。

 

「ホントに探してんのかよ。お前がその気になれば、すぐ見つかンだろ」

「……どうだろう。もしかしたら、見つけたくないのかも」

「アイツの負担になるとか考えてンのか?」

「それも、そうだけど……」

 

 それ以上に、また彼と出会ってしまったら、きっと私はもう。

 もしかしたら、それがウマ娘としての正しい姿なのかもしれない。貪欲に勝利だけを追い求めて走る、原初の野性。乱暴で、荒々しくて、それでいてどこか綺麗で――私にはもう二度と、手に入らないと思っていたもの。

 あの人も、私にそれを求めていてくれたのかな。そうだったら、嬉しい。だからこそ、出会ったときにそれを質すのがとても怖い。もし、それを否定されてしまったら、きっと私はどうすることもできなくなってしまうから。

 

 本当は、会いたい。心の底から。

 けど、もしも否定されたらと思うと、その一歩が踏み出せない。

 ……ただ。

 あのハンカチだけは、返してあげたいな。 

 

「つまんねーこと考えてる顔だな」

 

 顔を上げたそこには、小さなメモが差し出されていて。

 

「やるよ」

「……これって」

「今のアイツが行きそうなところを、ある程度割り出した」

 

 当たってるかは知らねェけど、なんて不機嫌そうに付け足しながら、シャカールはそう言った。

 

「ありがとう」

「礼なんか必要ねェよ。本当は俺が引きずってでも連れてこようと思ったんだ。けど……」

「……けど?」

「俺がそうしてやったとしても、どうせ納得しねェだろ」

 

 上手く言葉を返せない私に、シャカールは背を向けると。

 

「そろそろ、お前のウジウジに付き合ってやンのも飽きたしなァ」

「……ごめんね」

「謝るくらいなら、次の有までにその情けねェ顔、なんとかしとけよ」

 

 ひらひらと気だるげに手を振ったまま、私の隣から去っていった。

 

 

 シャカールから渡されたメモには、三つの住所が記されていた。

 

 一つめは、あの人がトレーナーになる前に働いていた職場の近くにある、小さなアパート。トレセン学園からはちょっと離れていて、あまり足を運んだことがない場所だった。

 訪ねた時、ちょうど大家をしてるお婆さんがいたから、あの人のことについて聞いた。だけど、ここを出たっきりあの人は戻って来てないみたいだった。それから話の流れで、あの人のことについて少し聞いた。いい話じゃなかった。よく揉め事を起こすし、頻繁に部屋に人を呼ぶし、そのうえいつも家賃の滞納が遅れてたみたい。

 でも、トレーナー試験の勉強を始めてからは、ほんのマシになったんだって。それからトレーナーになれたのかは分からないけど、出て行ってくれて正直助かってる、って。あと、私みたいな知り合いがいたのが意外だってことも、言われた。

 私のトレーナーでした、と答えると、あのろくでなしがねえ、なんて懐かしそうに言っていた。

 

 二つめは、隣町にある駅から少し歩いたところの一軒家だった。

 ご近所との付き合いも殆どないようなお宅だったから、訪ねるのがちょっとだけ大変だった。インターホンを押して出てきたのは、あの人と同じくらいの年の男の人だった。私のことを知ってくれているみたいで、とても驚かれた。

 話を聞くと、あの人はついこの間までここに住んでいたということが分かった。元、同僚さんなんだって。私のことはテレビでもよく見ていたけど、あの人から聞いていたみたい。だから、親身になって私の話を聞いてくれた。

 あの人がここに来たときのことを聞いた。そしたら、私の前からいなくなってからすぐ、この元同僚さんの家に転がり込んでいたみたい。それからしばらく部屋を貸してあげてて、出ていったのが二ヶ月前。勝手なところは相変わらず変わってないんだな、なんて元同僚さんの言葉に、首が取れちゃいそうなくらい頷いた。

 

 三つめは最寄りの駅と、大まかな場所だけしか書いてなかった。

 でも、元同僚さんに聞いたら、多分ここなんじゃないか、って住所を教えてくれた。悪い人から逃げるときに使ってた場所、なんだって。それがどういう意味なのか分からないほど、私はもう子供じゃなかった。

 その話を聞いたときには、とっくに陽が落ちていて、あたりは暗くなっていた。

 だけど、このまま帰ることなんて、できるはずもなくて。

 

「……ここかな」

 

 古びたアパートの一室に辿り着いたときにはもう、時刻は夜の九時を回っていた。

 明かりはついてなかった。中に人がいる気配も、ない。物音もあまり聞こえないから、本当に今はいないんだと思う。あるいは、誰かから――それこそ、私から逃げるために息を潜めて隠れているか。

 インターホンを押してみると、ちょっと間の抜けたようなチャイムの音が、ドアの向こうで鳴り響いた。扉を何度かノックしても、何も返って来ない。郵便受けから中を覗いても、薄暗闇が広がっているだけだった。

 

「本当に、いない?」

 

 小さく一人で呟いてから、ぱたん、と郵便受けの蓋を閉じる。

 それからしばらくは、扉の前で時間を潰していた。今日は、このまま帰ってしまってもよかったんだけどね。でも、もしかしたらって考えると、しばらくは待っていたかった。溜まっていたグルーヴさんからのメッセージには、今日はちょっと遅くなるかも、とだけ返した。下手をしたら、明日になっているかもしれないけど。

 誰かが階段を昇ってくる音を何度か聞いたけど、それは全部あの人じゃなかった。きっとその人たちは、元同僚さんが言ってた、「悪い人」なのかもしれない。そのうちの一人は、口から血を流していた。思わず声をかけようとしたけれど、怖さのほうが勝って、何もできなかった。小さく震えている手を見て、はじめて自分が、普通に生きていたら絶対に来ないようなところに来たんだと気が付いた。

 ……隊長やグルーヴさんに内緒にしておいて、よかった。

 だって、こんなところに行きたいって言ったら、みんな絶対に反対するんだもの。

 

「遅いなあ……」

 

 携帯に表示されていた時刻は、21:43分。

 今日のうちに帰るなら、もうここを出ないといけない時間。

 ……でも。

 

「あと、10分だけ」

 

 扉に背中を預けながら座り込んで、私は時間が過ぎていくのを待った。

 誰かの足音が聞こえてきたのは、それから数分後のことだった。こつり、こつりと誰かが階段をゆっくり上がってくる。確証も何もないけど、気づいたときには既に立ち上がって、階段の方をじっと見つめていた。

 もう少しで、足音がすぐそこまでやってくる。この階に辿り着くまで、あと数歩。

 ……どんな顔をすれば、いいんだろう? 

 怒りたいわけじゃない。泣きたいわけでもない。嬉しい、というのは少し違う気がする。

 よく分からなくなったけれど、途中でそれもそっか、って納得した。

 私はただ、あの人が忘れていったハンカチを返しに来ただけだもんね。

 だから、何もしなくていいんだ。いつも通り、笑顔であの人を迎えれば――

 

 ――本当に?

 

「え?」

 

 ちくり、と心にささくれたような痛みが走った、そんな気がした。

 そして足音は、私のいる階までたどり着いて。

 

「トレー、ナー……」

 

 ――そのまま、上の階へと昇り過ぎていった。

 

「……なーんだ」

 

 期待して損しちゃった。紛らわしいなあ、もう。

 そんな心の中に湧き上がる不満は、きっとどこかほっとしている自分を隠すためなんだ。

 ……惨めだなあ、私。

 

「今日はもう、いいや」

 

 あの人がいる場所は、分かったんだから。それだけでも十分だもん。

 また、別の日に尋ねてみよう。

 それがダメだったら、また別の日。

 それでもダメだったら、また別の日。

 会えるまで、何度も来ればいい。もし知らないうちに引っ越しても、必ず見つけてあげるからね。

 階段を下りて、アパートの外に出る。冷たい秋風が頬を撫でて、少しだけ体が震えた。

 寮に着くのは日を跨ぐころになるかな。グルーヴさんに、それだけ伝えておこう。今日はたくさん迷惑をかけてしまったし、お詫びをしないと。そうだ、この前に頂いた、とびっきりのハーブティーでも淹れようかしら。あれなら絶対、グルーヴさんも喜ぶから。

 ……何か、暖かい飲み物でも買っていこうかな。

 

「あ」

 

 しばらく歩いていると、曲がり角にコンビニを見つけた。

 この辺りには自販機も見当たらなかったから、ちょうどよかった。確か、あの人はホットレモンが好きだった。冬場になると、いつも机の上にあの小さなペットボトルを置いてたっけ。そんなところも、ちょっと子供っぽかった。

 なんてことを思い出しながら自動ドアの前に立とうとしたところで、ふと。

 

「……あれ?」

 

 よく、あの人は棒付きの飴を舐めていた。

 口元が寂しいから、なんてどうしようもない理由だった気がする。

 元から、タバコを吸っていたことは知っていた。

 そばにいると、ほんのかすかに、あの人からそんな香りがしたから。

 飴の棒を口の端で揺らすのは、きっとその時についた癖なんだよね。

 だって。

 

「トレーナー?」

 

 今もそうして、タバコの煙を揺らしてるんだから。

 

 

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