ファインモーションVS元ホストトレーナー   作:宇宮 祐樹

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Round 3

 

「散らかってるけど、勘弁してね」

 

 ……足の踏み場もない、って表現は何度も見たことがあるけど。

 実際にそういう場所へ足を踏み入れるのは、初めてかも。

 

「最後に片付けしたのって、いつ?」

「さあ? てか、来てからずっと掃除とかしてないかも」

 

 私の方を振り返らずに、キミは脱ぎ捨てっぱなしの服とか、底が抜けた落ちた封筒とかを踏みつけて、どんどん奥に進んでいく。そんな背中を見送るわけにもいかないから、私もキミが歩いた場所と同じところを進んだ。

 辿り着いた奥の部屋は、それなりに片付いているみたいだった。といっても、私の部屋に比べるとかなり散らかってる。でも、机の周りにはきちんと座る場所があるし、さっきよりはマシかな。

 なんて考えながら腰を落ち着けようとしたところで、ふと見慣れない箱が目に入って。

 それへ手を伸ばそうとするよりも先に、キミがそれをひょい、と拾い上げた。

 

「あ」

「これはダメ。ファインちゃんにはまだ早いよ」

 

 ……そうかなー。

 

「それに、変な知識とかつけられたら俺が怒られちゃうだろうし」

「大丈夫だよ。ちゃんと授業で習ったもん」

「はいはい。きちんと勉強できて偉いね、ファインちゃんは」

「むぅ」

「とにかく余計なことしないで、ちゃんと座っててよ。今からお湯淹れてくるから」

 

 ビニール袋からカップラーメンを取り出すと、キミは部屋から出ていった。

 それにしたって、散らかりすぎじゃないかなあ。何度か寮の部屋にお邪魔したことはあるけど、ここまで酷くはなかったはず。片付けとかも、別にできないわけじゃないよね。なら、どうしてこんなに物が溢れてるんだろう。

 考えながら天井を仰ぐと、ふとベッドの端から小さな何かが床に転がり落ちて。

 

「口紅……」

 

 そっか。キミはここに、一人で住んでたんじゃないもんね。

 納得した瞬間、部屋の中に漂ういくつもの匂いに気が付いた。

 香水とか化粧品、お酒にタバコ。

 それと……女の、人の。

 

「ソレも、ファインちゃんにはまだ早いんじゃない?」

 

 振り返ると、湯気の立つ容器を二つ持ったキミが、笑いながらそう言った。

 

「……そんなことないよ。実家にいたときは、お化粧もちゃんとしたもん」

「作法として、でしょ。自分からやろうって思ったことある?」

 

 答えられない私の手から、キミは口紅を取り上げた。

 

「あとターフの上で走る以上、化粧なんて汗とか泥ですぐに落ちちゃうし」

「それは、そうかもしれないけど」

「とにかく、今のファインちゃんは化粧しなくても十分綺麗だから安心しなって」

 

 口紅を後ろにある棚の上に放り投げてから、キミが私の前に座る。

 ……そうやって適当に置いてるから、散らかってるんじゃないのかな。

 

「それじゃ、食べちゃおっか」

「うん」

 

 いただきます、なんて二人で一緒に手を合わせてから、割り箸を手に取った。

 

「次はどのレースに出んの?」

 

 食べ始めてからすぐ、少し首を傾げながらのキミの問いかけだった。

 

「有を考えてるの。出走はもう決定してるから」

「マイル(チャンピオン)(シップ)は? 去年も出てたのに」

「……今年は見送ろうと思って。どうせ今の私じゃ、勝てないだろうし。だから、今は有に向けての調整期間。それも……上手くいくかは、分からないけど」

「あ、そう」

 

 会話は一度、そこで終わった。それからしばらくは、麺を啜る音だけしか聞こえなかった。でも、気まずくはなかった。むしろ、何がっていうのは上手く言えないけど、これくらいがちょうどいいのかも、って思えた。

 そうして私よりも先にスープを飲み干したキミが、ふぅ、と息を吐いてから話を始める。

 

「この前のエリ女、見てたんだけどさ」

「うん」

「つまんねー走り方するようになったよね、ファインちゃん」

 

 いきなり告げられた乱暴な言葉に、けれど私は何も言い返せなかった。

 

「よく言えば教科書通りの正統派なやり方なんだけどさ。でもやっぱり、見ててちょっと退屈だったよ。え、てかファインちゃんって今、誰が担当トレーナーなの? 俺の知ってるヤツ?」

「……色んな人に見てもらってるよ。だから、ちゃんとした担当のトレーナーはいないの」

「マジで? え、この二年間ずっと? なんでそんなしょーもないこと……」

「私の担当は、キミ以外にいないもん」

 

 からん、とキミの指先から、割り箸が机の上に転げ落ちた。

 誰か一人に担当してもらった方がいいってことは、分かってる。キミと積み上げてきたこれまでが無くなるわけじゃない、ってことも理解してる。ただ、それでも私はキミと走りたかった。それだけのこと。

 運命共同体だなんて、大層な言葉を使うつもりはないけど。

 私を走らせてくれたあの日からずっと、キミは私のトレーナーなんだから。

 

「……ホント、ファインちゃんってワガママだよ」

「慣れたでしょう?」

「まあね」

 

 笑いながら、キミはポケットからタバコを取り出した。

 

「そもそも俺、正式に復帰できるかなあ?」

「あの理事長なら多分、すぐに承諾してくれそうだけど」

「ま、お話するだけしてみるよ。ファインちゃんのためだしね」

 

 笑顔で答えて、キミがタバコへ火を点ける。

 白い煙は、揺れながら天井へと昇って行った。

 

「それで、えっと……なんだ。走り方の話だったっけ?」

「うん。私の走りがつまらない、って」

「それねー。まださ、ファインちゃんが今どんなトレーニングやってるか分かんないから、何とも言えないんだけど。有でデカい勝ちが欲しいなら、もうちょっと何か欲しいよね」

「何か、って?」

 

 問いかけるとキミは、天井を仰いで黙り込んでしまった。

 ……何かが足りないってことは、私も分かり切ってる。それはスピードとかスタミナみたいな肉体的なものじゃなくて、もっと曖昧でふわふわとした、けれど絶対に必要なものだってことも。

 そして、その私に足りない何かを理解できるのは、きっとこの世界でキミだけなんだ。運命って呼ぶには少し陳腐かもしれないけど、私は信じてるから。

 

「……清算、なのかもなあ」

 

 ぼそりとした呟きと共に、キミは煙を吐き出してから、

 

「ねえ、ファインちゃん。泥の味って知りたくない?」

 

 

 それから、翌日。

 

「よくそのツラ下げて戻って来れたなァ、お前」

 

 学園に戻った私たちを出迎えてくれたのは、隊長とグルーヴさん、そしてシャカールで。

 三人は私の隣にいるキミを見るや否や、ものすごい形相になってキミのことを取り囲んで。

 たぶん、カワカミちゃんがよく口にする“ボコボコ”っていうのは、ああいうことなんだと思う。

 そうしてぐちゃぐちゃになって転がるキミを見下ろしながらの、シャカールの言葉だった。

 

「大丈夫だったか、ファイン? 何か変なことでもされてないか?」

「まさか。私のトレーナーはそんなことしません。ただ……」

「……ただ?」

「お風呂でばったり、会っちゃって……」

「テメェ!」

「不可抗力! マジで事故だって!」

 

 意外と体は細いんだなー、とか。でもちゃんと筋肉はついてるんだなー、とか。

 私、男の人の裸って初めて見たから、びっくりしちゃった。

 

「それに、ベッドも一つしかなかったから……」

「貴様ァ!」

「ちゃんと床で寝たって俺! まだ首とか痛ッてえんだから!」

 

 遠慮しなくてもよかったのに。そういうところは、ちゃんと優しいんだよね。

 

「とにかく、殿下が無事で何よりです」

「心配をかけてごめんなさい。でも、無事とはちょっと違うかも?」

「……というと」

「だって彼、朝があんなだなんて思ってなかったから……」

「おい」

「違う違うホントに違う! 三女神様に誓って何もしてないから! ガチで!」

 

 キミが寝起きに弱いってこと初めて知ったもん。私のこと、彼女さんと勘違いするくらいには。今朝はギリギリのところで気づいたからよかったけど、もし気づかなかったらと思うと……。

 というかキミって、朝でも夜でも関係ないんだね。

 

「それで? 戻ってきたってことは、ファインの面倒見る気になッたのかよ?」

 

 シャカールの問いかけに、キミはよろよろと立ち上がりながら答えた。

 

「まあ、ワガママ言われちゃったしね。それを聞くのが俺の役割みたいだし」

「正式な手続きもせず、勝手に逃げたのにか?」

「それは、その……あはは」

「笑って誤魔化すな」

 

 ぴしゃりとしたグルーヴさんの言葉に、けれどキミは笑顔を浮かべたままだった。そうやって反省しないから、グルーヴさんだけじゃなくて、色んな人にお説教されちゃうんじゃないのかな。悪いところかもしれないけど、私はキミのそういう子供っぽいところ、可愛くて気に入ってるよ。

 なんてことを考えていると、ふと隊長にぽん、と肩を叩かれて。

 

「殿下もですよ」

「あら?」

「私たちに内緒で外出した上、門限まで破ったんですから」

「……あはは」

「笑って誤魔化さないでください」

 

 そんなー。

 

「お父様にきちんと叱っていただきますから」

「いけませんわ。お父様の貴重なお時間を取らせるわけには……」

「もう繋がってます」

「えっ」

「行きますよ」

「ええー」

 

 驚いたままの私を、隊長はそのままずるずると引き連れていって。

 

「まったく……前までは、あんな無茶をする性格ではなかったんだが」

「どう考えたってコイツの影響だろ」

「いや、どうだろ? もともと俺たち、似た者同士だったかもよ?」

 

 そんな三人の声が、後ろの方で聞こえた気がした。

 

 

『説教タイム終わったら、旧理科準備室で!』

 

 お父様との通話を終えたお昼過ぎ、携帯を開くとそんなキミからのメッセージが目に入った。

 ……どうして、旧理科準備室なんだろう?

 前まで使ってたトレーナーのお部屋は、今はもう別の人が使っちゃってるから、どこかまた別のお部屋で集合しよう、ってところまでは分かる。だけど、なんでよりによって旧理科準備室を選んだのかな。というか、そもそもあの部屋は空き部屋、ってわけでもないし。ホントにあそこでいいのかなあ。

 そんなことをぐるぐると考えても、何かが解決するわけでもないから。

 とりあえずメッセージに書いてある通り、旧理科準備室の前についたところで。

 

「あ、お疲れファインちゃん」

 

 扉の前で携帯を操作しているキミが、私に気づいて声をかけた。

 

「お父様に何て言われた?」

「頼むからもう滅茶苦茶しないで、って言われたよ」

「へー」

「それと、やっぱり一度キミを実家へ連れてきてほしいって」

「ぜってーヤダ。怒られるし。てか俺、アイルランド語とか喋れねーもん」

 

 パスポートも持ってないし、って言いながら、キミはいつもみたいに笑った。

 

「キミは? 理事長とはお話したの?」

「うん。ファインちゃんの言ってた通り、すぐに承諾してくれたよ。手続きの関係で正式な復帰には一週間くらいかかるけど、指導とか施設の利用はもうしちゃって大丈夫だって」

「そっか。なら、よかったね」

「あ、たづなさんにはめっちゃ怒られた。あの人、アレだ。怒らせたらマジでダメなタイプだわ」

 

 確かに。私たちみたいな生徒を注意するときはあっても、叱ってるようなところは見たことないもの。でも、それだけのことをしたってことは自覚してほしいな。私もキミと再会した時、それだけのことを言いそうになったんだから。

 ……それにしても。

 

「やっぱり私たち、どこか似てるのかもしれないね?」

「ねー。俺も思ってたとこ」

 

 お互いに滅茶苦茶なことをして、ばっちり叱られて。

 でも、反省をしようとしないところまで、そっくりだもの。

 

「……多分さ」

「うん」

「有終わった後に、もっかいお父様に怒られちゃうかもだけど、いい?」

「その時はキミも一緒だよ」

「えー……いや、まあ、いいんだけどさ」

「パスポートもその時までに作っておいてね?」

「……考えとくわ」

 

 そう答えてから、キミは旧理科準備室の扉を開けた。

 初めに見えたのはテーブルにぽつぽつと並ぶ実験器具だった。同時に漂ってくるのは、化学薬品のきつい香りで、流れてくる水音からちょうど片づけをしていることが分かった。部屋の奥には奇妙な小物や置物が並んでいる、不思議なスペースが広がっている。ここには久しぶりに着たけど、やっぱり雰囲気は変わっていないみたいだった。

 そうやって部屋を眺めていると、キミは奥にいる白衣を着た人物へと話しかけて。

 

「おっす、タキちゃん。久しぶり」

 

 タキオンが蛇口を閉じると、水音はぴたりと止んだ。

 

「久しぶりだね。ファインくんも元気そうで何より」

「うん。タキオンも怪我の調子はどう?」

「最近は矯正器具がなくても歩けるようになったよ。走るとなると、また別だが」

 

 肩をすくめるタキオンは、だけどちょっとだけ嬉しそうに見えた。

 

「てか、あれ? 今日はカフェちゃんいないの?」

「彼女は君のことが苦手みたいだからね。君が来ると聞いた途端、どこかに行ってしまったよ」

「えー? 俺、カフェちゃんに何も悪いことしてないはずなんだけど……」

「どちらかというと、君の周りにいる『何か』に苦手意識があるみたいだけどね」

「ちょっとー、やめてよタキちゃん。今日寝れないじゃん。……やめてね?」

 

 言われたキミが、不安そうに私のことを見つめてくる。

 ……確かに、言いたいことはちょっと分かるかもしれないけど。

 

「すまない、遅れてしまって」

 

 なんて会話を交わしているうちに、がらりと強く扉が開かれる。

 その先に立っていたのは、キミより少し年上のトレーナーだった。名前とか、誰を担当していたかは覚えていないけど、何度か顔は見たことはある、私にとってはそれくらいの人。ただこうして顔を合わせると、目元がちょっとだけ怖いな、なんて改めて思った。

 そんな彼に、君はおお、なんて嬉しそうな声を上げながら近づいて行って。

 

「久しぶり」

「ああ。……お前、今まで何してたんだ?」

「ま、色々と。そっちは? なんか、俺が出るとき大変そうだったけど、どうなったの?」

「それはもう解決した。荒療治ではあったが……結果的には、よくなったな」

「ならよかった」

 

 いつも通りのへらへらとしたキミの態度に、けれど彼は慣れたように笑っていた。

 

「それで、頼みというのは?」

「併走。ちょっと次の有に向けてやりたいことがあってさー」

 

 ちらり、と彼の視線が私に向けられる。

 ……どっちかというと、ぎろり、の方が正しいかな?

 

「彼女と、俺の担当とでか?」

「そそ」

「……ああ、なるほど。仮想敵が欲しいと」

「それもそうなんだけど……どっちかっていうと、指導役かなあ」

「指導……いや待て、無茶じゃないか? そもそも彼女は……」

「んなもん、やってみないと分かんないっしょ。脚質的にも悪くないし」

 

 慌て始めた彼の肩を、キミは笑いながら軽く叩く。

 そんなキミへ一度だけ、彼は鬱陶しそうな、面倒くさそうな視線を向けた後に。

 

「……入って来てくれるか?」

 

 諦めたような溜息を吐いてから、彼は扉の外へ声をかけた。

 

「何や、ウチには関係ないんやなかったんか?」

「俺もそう思ってたんだが……お前と、併走がしたいと」

「ウチとか? しゃーないなあ、頼まれたからにはビシバシやったるわ!」

「……埋め合わせのメニューは後で用意しておく」

 

 なんて会話を交わしてから、扉の向こうから姿を現したのは。

 

「よっしゃ、ウチと併走したいヤツはどこのどいつ……って、あ!? ファイン!?」

 

 私を見たとたんに声を上げる、タマモクロス先輩だった。

 

 




あと一、二話くらいあります
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