仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ   作:春風れっさー

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守護者の資格 後編

「北海道って面積の割に人口が少ないじゃん? だから御伽装士も他の支部に比べて多いってワケじゃないんだ、平均くらい。でも隣のエリアで何かが起こった時、移動に時間がかかるのがキツくてさ。どんなに急いでもギリギリになっちゃうのが問題なんだよね」

「………」

「それじゃいつか事故が起こるってんで、お爺さまは一枚でも多く怨面を集めようって腐心してるんだ。怨面探索専用の班もいるくらいで……ただ北海道は御伽装士の歴史が浅いから、内地に行って古い史跡を訪ねて探し回ってるみたい」

「………」

「そんで人手を求めるあまり一度東北の人を引き抜こうとしたこともあるらしいよ。そしたら夜舞家の人にしこたま怒られたんだって! どうやらそこの先々代さまがお爺さまの先輩に当たる人みたいで、お爺さまは昔から頭が上がらないみたい。お爺さまは術関連がからきしだから、その辺を叱られてずいぶん扱かれたって言ってたなぁ」

「……………」

「それで傑作なのが、お爺さまとお婆さまの馴れ初めを結んでくれたのもその人なんだって! ウケない? あの厳格なお爺さまにもラブロマンスがあったんだねぇ。もし岩手に行く事があったらこっそり聞いちゃおうかな──」

「だぁ! うるせェ!!」

 

 森の中。木のウロを利用して作られた簡易キャンプで、角矢のうんざりとした怒声が響き渡った。

 対象は、焚き火を挟んで向かい側で一方的に喋り続ける少女、霞澄だ。

 

「ちょ──アンタの方がうるさいって! どうすんの、クマが近寄ってきたりしたら!」

「クマはむしろ大きな音から逃げるんだよ。最近のは人に慣れてるから油断はできないけど……というか、なんでまだここにいるんだ、お前」

 

 角矢は忌々しそうに霞澄を睨みつけた。

 ここは角矢が川緑の元を離れて森籠りをする際に作り上げた簡易拠点だ。木の内側には防水加工を施された布に包まれた狩猟道具が立てかけられ、干し肉やきのみが吊るされている。

 川緑の元を飛び出してから角矢はここで寝泊まりをしていた。そこへ霞澄が転がり込んできた形だ。

 

 睨んでくる角矢に霞澄は頬を膨らませた。

 

「お前、じゃなくて霞澄でしょ。負けたんだから名前覚えなよ」

「……チッ。じゃあ霞澄。お前はなんで帰らないんだ?」

「決まってるでしょ。川緑のおっちゃんから受けた要請を果たせてないからだよ」

 

 じっとりとした目線を矢を手入れする角矢へと向ける。

 

「アンタの実力は把握した。その程度じゃ、いつか化神に殺されるよ」

「んなこと……」

「あるよ」

 

 即座に断言する霞澄。その速さに、角矢は手を止めて息を呑む。

 

「討伐に時間がかかるってことは、それだけ被弾や取り逃がすリスクが増大することとイコールだよ。御伽装士として、それは明確な欠点だ」

「………」

 

 霞澄は自分に重ね合わせて答える。自分もまた、かつては決定力が不足した御伽装士だった。霞澄はその欠点を機動力と相手の弱点を見抜くことで補ったが、逆に言えばそうしなければならなかったということ。

 そんな危ない橋を渡らずに戦えるなら、それに越したことはない。

 

「もちろん、ハナからそういう御伽装士ならばそれでいい。でも、ロクショウは違うでしょ」

「ぐ……」

「ロクショウの攻撃力と機動力の低さは噛み合ってない。あれじゃ単純に弱すぎる。本領を発揮できていないのは明らかだよ」

 

 角矢の変身したロクショウは、確かにやり方次第では化神を討伐可能だろう。

 急所目掛けて正確に打ち込む弓矢の腕前。そして罠に追い込み機動力を削る戦略。組み合わせれば、何百本も矢を射かけることで化神を倒すことは叶う。

 ただ、それは綱渡りすぎる。

 

「単純に硬い化神が相手だったら、どうしようもなくなるってことだから」

 

 バケウニ、バケトウダイを思い出す。どちらも非常に硬い化神だった。

 その内霞澄が討伐したバケトウダイは背中の装甲が薄いという弱点があったからどうにか倒せた。しかしそれも何度か攻撃して、内人が隙を作ってくれなかったら叶わなかっただろう。

 もし当時の最大攻撃力を誇る日依ですら苦戦した方のバケウニだったら、霞澄では無理だったかもしれない。

 

 つまり霞澄に姉妹という仲間がいたからこそ成った討伐だ。

 しかしロクショウは──一人だ。

 

「その時、アンタはどうするの、角矢」

「………」

 

 言い返せずに角矢は食いしばるように黙り込んだ。

 

「もし、アンタがその戦い方にこだわっていつか死ぬくらいなら──」

 

 霞澄は至って真剣な表情で告げる。

 

「御伽装士はやめた方がいい。怨面が勿体無い」

「っ! お前に何が分かる!!」

 

 角矢は激昂し、霞澄の胸ぐらを掴み上げた。

 身長差から、霞澄の身体は浮き上がる。

 しかし霞澄は吊られながらも怯むことなく角矢を睨み返した。

 

「分からないよ。なんでそんなに戦うことにこだわるの? 御守衆として人を守りたいのなら、平装士としての道だってある。優劣なんかない。適材適所だ」

「俺はこの手で倒さなきゃならねぇんだよ!」

「私怨ってこと? じゃあ、尚更、その怨面はアンタに預けておけないよ」

「黙れ! 俺は──」

 

 角矢が感情に駆られて何かを言おうとした瞬間。

 ガサリと、藪が揺れる音がした。

 

「! 何かが──」

「シッ」

「むぐっ」

 

 小さな音だったが、御伽装士として鍛えられた二人の鋭敏な聴覚はそれを逃さず捉える。

 問おうとした霞澄の口を、角矢は咄嗟に手で塞ぐ。

 そして静かに、身じろぎ一つせずに外を見た。

 

 そしてしばらくすると、木々の隙間から一頭の獣が顔を出す。

 枝のような角。華奢な四足。

 鹿だ。

 

「むむぐっ?」

「声を出すな。できるなら息も」

「むっ……」

 

 打って変わって静かな空気を纏う角矢に、霞澄は頷いて従う。呼吸を最小限に、一才の音を立てずにその場でジッとする。

 二人がそうやって息を潜めていると、やがて鹿は少しづつ近づいてきた。

 ただその後ろ足は、ひょこひょことぎこちない動きだ。

 

(怪我をしてる)

 

 まだらの毛皮に包まれた腿からは血が滲んでいた。その状態で鹿は近づいて、やがて角矢のところまで辿り着く。

 

「……そうか。いい子だ」

 

 角矢は鹿の頭をそっと撫でた。そして、腰元へと手を伸ばす。

 霞澄は思い出す。そこにはナイフが収納されているハズだと。

 

「ちょっと──」

「そのまま動くなよ」

 

 動きかけた霞澄を制止する角矢。鹿は、大声を上げかけた霞澄に対して警戒の眼差しを向けていた。

 

「大丈夫だ。敵じゃない」

 

 そう言って鹿の背を叩いて宥めながら取り出したのは、小型の救急キットだった。

 

「あ──」

「転んで枝か岩が刺さった感じだな。深くはないし、破片が残ってたりはしない。血が流れないようにすれば、また走れるようになるだろ」

 

 言いながら角矢はテキパキと鹿に手当てを施していく。澱みない手つきで消毒したガーゼを当てて包帯を巻き、止血する。

 

「……これで大丈夫だ。血の匂いもしばらくすれば消える」

 

 最後に鹿はジッと角矢の目を見つめ……そして森の中へ帰っていった。

 その背中が完全に消えたところで、霞澄は大きく息を吐いた。

 

「……ふぅー。ビックリした」

「何にだ」

「そりゃ急に鹿がきたことと……アンタがあの子を狩っちゃうんじゃないかってこと」

「はぁ」

 

 角矢は血を拭ったガーゼなどを処理しながら、呆れたようにため息をついた。

 

「んな思いついたように殺すワケねぇだろ」

「でも、狩りはするんじゃ?」

「そりゃするさ。そうじゃなきゃ森の中では生きていけない。でもな、何でもかんでも殺したいってワケじゃ、当然ない」

 

 処理を終えた角矢は、鹿が去っていった森の風景を眺めながら続ける。

 

「大切なのはどう共存するかだ。必要な分だけ取る。でなければ逃すか、助ける。元々自然界はそういうものだ……腹が減っていないなら、熊や狐も小鳥を見逃す。あるいは、友のようにすら接する。そういうものだ」

「へぇ……」

「あの鹿も、それが分かっていた。俺が狩りをする空気じゃなくて、血の匂いもしないから、助けてくれると踏んだんだろ。鹿は警戒心が強い。それは逆に言えば、警戒すべきじゃない瞬間を見極められるということでもある」

 

 角矢の言葉に、霞澄は感心する。

 

「……動物のこと、詳しいんだ」

「こんなの、連中と触れ合ってれば誰も悟る」

「じゃあ、動物が好きなんだ」

 

 角矢は霞澄の言葉にしばし逡巡するように黙ると、その後に頷いた。

 

「まぁ、な」

「へぇ。昔から森暮らし?」

「それは師匠の下に弟子入りしてからだな。元々、狩猟免許を持ってた親父にくっついて教わったりはしてたけど」

「ふぅん……」

 

 霞澄は相槌を打ちながら考える。

 御伽装士になる理由は人それぞれだ。元々御守衆の家柄だったから。あるいはたまさか怨面に適合したからなど。

 しかし聞いている限り角矢はそういうのではない。さっきの話も市井の生まれのようだ。そもそも、北海道の御守衆の一族出なら霞澄が知っていないのはおかしい。そして鹿将の怨面は川緑から受け継いだものだ。

 つまり自らの意志で御伽装士になろうと志したということ。

 そういう人間の動機は、大抵──、

 

「仇討ち?」

「!!」

「誰か身内が化神に殺された、とか」

 

 復讐。

 理不尽に奪われた命の意趣返し……あるいは、もう二度と同じような悲劇を繰り返させないために、戦うことを選ぶ。

 それは命を賭けるだけの十分な動機になる。

 

 角矢が痛烈そうに顔を顰めたのを見て、霞澄はそれが当たりだと悟った。

 

「……ごめん。流石に踏み込みすぎた」

「いや……当たりだ」

 

 息を吐き、角矢は霞澄の言葉が的中していることを認めた。

 

「そうだよ。俺は……家族が化神に殺されたから、御伽装士になったんだ」

 

 角矢は頷いた。

 誓うような響きだった。

 

「軽蔑するか? 御伽装士に相応しくないと」

「そんなことはしないよ。それも立派な戦う理由の一つだ」

 

 御伽装士の戦う目的は一つ。人々を化神の暴虐な魔手より守ることだ。

 だが戦う動機は先にも言ったようにそれぞれだ。十人十色。細かく見れば千差万別と言える。

 霞澄たち三つ子だって、個人個人で違う。

 日依は誰にも傷ついてほしくないという優しさから。静久は姉妹に並びたいという想いから。

 そして霞澄は──何もかもを見捨てたくないという、わがままから。

 人の戦う理由はそれぞれだ。霞澄はそれを否定したりはしない。

 

「でもそれが理由で無茶をするなら話は変わるけど」

「………」

「殺されたのは、さっき話に出た親父さん?」

「……いや」

 

 更に問いかけてくる霞澄に観念したのか、角矢は自ら語ることにしたようだ。霞澄も、神妙な面立ちとなる。

 腰を落ち着け、口を開く。

 

「化神に家が襲われたことは確かだがな。……MORI牧場って知ってるか」

「聞いたことはある。何年か前に潰れたってのも。……もしかして」

「ああ。そこは俺の一家が経営してた。そして……潰れた原因は、化神だ」

 

 遠い目で角矢は焚き火を見つめた。その先に、在りし日の光景を見ているかのように。

 

「我ながら、結構大きな牧場だった。馬も牛もいたりしてな。畜産を主要に、乗馬体験や乳搾り体験なんかで観光客を呼び込んだりして生計を立てていた。自慢じゃないが、ソフトクリームなんかは中々に評判だったぞ」

「いいね。ウチの妹なんかすごく喜びそうだ」

「残念だったな、もうない。……ある日、化神が現れた」

 

 平和な日常を、突如として崩す者。

 だから化神は忌み嫌われる。

 

「ウチの観光客や家畜を目当てに出てきたんだろ。当時は何も分からなくてな……ただ、突然現れた異形に震えるだけだった」

 

 化神がもっとも好む獲物は人肉だが、それ以外の動物も食べないワケではない。

 むしろ主要な人里を襲う前に、精をつけるという意味で血肉を求めることは多い。

 

「親父は猟銃を持ち出して果敢にも立ち向かおうとしたが、ま、化神に素人が敵うワケがねぇ」

「そうだね……」

「ロクショウに変身した師匠が駆けつけるのがあとちょっと遅かったら、死んじまってたかもしれねぇな」

「……え、間に合ったの?」

 

 話の成り行きが意外になって、霞澄はきょとんと目を丸くした。

 てっきりこの話の流れで、身内に犠牲者が出るものとばかり思っていたが。

 

「ああ。流石は師匠だ。迅速に駆けつけ、すぐ倒しちまった」

「迅速に……」

 

 その評価にも、霞澄は疑問を抱く。

 ロクショウは武者甲冑を着込んだ御伽装士だ。先の角矢の戦いぶりからも、素早いようには見えないが。

 しかしこの森の中から駆けつけようとするならば、確かに機動力がないと難しいのもまた事実だ。

 

「人的被害は誰も出なかったよ」

「それは、よかった。……あれ? でも角矢は家族が殺されたって……」

「……人的被害、は(・)」

 

 角矢は懐から毛の束を取り出した。茶色をした艶やかな毛。人間のようで、しかし微妙に違う。

 霞澄は、家で使う筆先を思い出した。

 それは……尻尾の毛だ。

 

「……馬」

「ああ。そはや号って言ってな。俺と同じ日に生まれた馬だった。馬としちゃそこそこの高齢だったが、人を乗せて走り回れるくらいには元気でな。姉代わりのつもりだったのか、よく俺のことを気にかけてくれてさ。俺が落ち込んだ日には遠くからでも駆け寄ってきて、背中に乗って牧場中を駆け回る……それが、何よりも好きだった」

 

 憧憬。遠き日のことを思い出しながら、角矢は毛束を握りしめる。

 

「あの日も、足が竦んで動けなくなった俺を守ろうとしてくれた」

 

 その時の角矢はただの一般人で、化神の凶行にただ怯えることしかできなかった。

 只人から見る化神は恐ろしい怪物だ。血を浴び、狂い、不幸を撒き散らす。

 家族のように共に育った家畜たちを惨殺し嬉々とする化神に、角矢は逃げることも忘れてただ恐怖した。

 そしてその対象が、角矢へと向けられた。

 

「そんな俺と化神の間にアイツは立ち塞がって……化神へと立ち向かったんだ」

「………」

 

 その末路は、語るまでもない。

 馬がどんなに強靭な生き物であっても、敵は穢れが実体を成した妖怪変化、化神なのだ。

 

「目の前でアイツは、笑いながら喰われたんだ……。化神の奴に、うまい桜肉じゃ、なんて言われながらよ……!」

 

 化神の凶行は、少年であった角矢に消えない傷を残した。

 だが愛馬の献身は、少年を寸でのところで救った。

 

「そして師匠が間に合って……その化神は祓われた」

「……そっか」

 

 そはや号は、角矢を救った。

 命を懸けて稼いだ時間が、彼を守ったのだ。

 

 しかし残された角矢は。

 

「ずっとずっと、後悔しているんだ。あの時、俺が怯えずにちゃんと逃げていれば……そはや号は、助かったハズだって」

「それは……」

 

 化神相手に一般人が怯えるのは正常な反応だ。責められる謂れはどこにもない。

 だが、それを言ったところで慰めにもならないことは、霞澄にも分かっていた。

 

 理解は、納得ではない。

 

「だから俺は、師匠に弟子入りした。最初は少し渋ってたけど……でも、最終的には才能があるからって認めてくれた」

 

 そしてその納得を得るために、角矢は道を選んだ。

 立ち向かえなかった後悔を払拭するための道を。

 

「そっか……そうだよね。家族が奪われたのなら、そうなるよね」

 

 種族の違いがあったとしても、家族は家族だ。

 置き換えれば、すぐに深い悲しみが胸を抉った。

 もし姉妹を失ったとしたら……霞澄もまた、尋常ではいられないだろう。

 

 悲しみに暮れて全てを捨てるか。あるいは復讐に燃えるか。それとも、心を消してただ御守衆の歯車と成り果てるか。

 それは、その時にならねば想像がつかないけれど。

 

 動機は分かった。

 だがそれと、現実は別だ。

 

「……おっちゃんが言った才能って、なんだろう」

 

 最初に渋っていたということは、川緑も一般人である角矢を巻き込むことを躊躇ったということ。

 それが一転したというならば、それだけの理由があるハズなのだ。

 

「弓の才能? 確かにそれは、すごかったけど」

「いや、あれは弟子入りしてから身につけた芸だな。狙ったところを当てられるようにって散々に扱かれた。どっちかというと修練の代物だと思う」

「そうなの? じゃあ罠を使った戦法?」

「どうかな……師匠には、あまり褒められたことじゃないって言われたけど」

 

 罠はモノによっては化神にも有効だが、それでトドメを刺せるワケでもない。

 霞澄も平装士と連携して追い込んだりすることはあるが、それだけに頼り切るのは危険だ。

 川緑の懸念も分かる。しかしだとすると。

 

「……じゃあ、思いつかないなぁ」

「……俺も分からないから言えないけどよ。本人を目の前にしてそれは失礼だぞ」

 

 じっとりと複雑そうな視線を向けてくる角矢をよそに、霞澄は首を傾げる。

 霞澄の見たところ、角矢の身体能力や神通力は普通だ。なくはないが、御伽装士としては平均を抜け出るものではない。

 それぞれに突き抜けた妹たちを持つ霞澄だからこそそれが正確に測れる。

 

「御伽装士としての才能じゃないなら……ロクショウの固有能力……?」

 

 もしロクショウだけに使える特殊能力があるのならば、その方面の才能なのかもしれない。

 しかし角矢はそれにも首を横に振る。

 

「分からない。師匠は何も教えてくれないんだ。『その時になれば分かる』、としか」

「おっちゃんが戦ってるトコは?」

「何度か。でも遠くで待機させられて、遠目でしか見たことないんだ。最初に助けられた時は、呆然としててあんまり覚えてない」

「そっか……」

 

 霞澄もロクショウと共闘した経験はないため、そんな能力があるのかは知らない。

 妹たちに連絡して聞こうにも、森の中で携帯は圏外だ。

 

「うーん、うーん……」

「……随分、真剣に考えてくれるんだな」

 

 唸る霞澄に、角矢は意外そうに目を丸くしていた。

 

「ん? だってそれは、ウチに所属する御伽装士の進退に関わる問題だからね。次期当主として気にするのは当然だよ」

「でもお前からしたら別にロクショウは俺じゃなくてもいいハズだ。それこそ、支部に余っている平装士の誰かから見繕ってもいいだろうに。それでも俺のために真剣に考えてくれてる。……何故だ?」

「そっちは、もっと当然だよ」

 

 霞澄はあっけらかんと答えた。

 

「困ってる人がいたら助けるのは当たり前でしょ?」

 

 心底そう疑っていないという風に、表情を一切変えることなく霞澄は言い切った。

 角矢はポカンと口を開けた。

 

「……それだけか?」

「それだけだよ。誰かが困っていたら助ける。傷つける奴はやっつける。迷ってたら手を引いて案内する。泣いていたら……隣にいる。あたしは、そうしたい」

「……そうか」

 

 一切迷うことなくそう言い切って見せる霞澄に、角矢は目を細める。

 

「強いな」

「わがままなだけだよ」

 

 そう言って肩を竦める霞澄に、角矢は微笑を浮かべる。

 穏やかな時間が束の間流れた、その瞬間だった。

 

「──化神の気配!」

 

 何かを感じ取った霞澄が立ち上がる。角矢もまた即座に装備を手に取り拠点から飛び出す。

 御伽装士として訓練してきた二人だ。迷うことなく森を駆けながら状況を共有する。

 

「どこだ!」

「ここから南の方……1kmもないかな」

「なら、小川のある辺りかもな」

 

 気配を感じ取って先行していた霞澄に代わって角矢が前に出る。森のルートは角矢の方が詳しい。

 森を疾駆してしばらく。角矢の言葉通り、森の香りに水の匂いが混ざり始める。

 が、その時だった。

 

「──ピギィー!」

「! 今のっ」

「ああ……っ!」

 

 聞こえてきた悲鳴に表情を歪めながら、二人は木々の合間から飛び出す。

 せせらぐ小川。そこに片足を浸からせながら立っている怪人がいた。

 

「サメか? 森の中にいるとはな」

「いや、静久と一緒に見た映画だと空を飛んでたから、普通じゃない?」

「普通じゃないだろ、サメ映画は」

 

 サメの頭に両肘からカミソリ状の刃を伸ばした異形の口元は血に濡れている。小川に赤色が広がり、透明なせせらぎを汚していた。

 その犠牲となった被害者は、角を掴まれて吊り下げられていた。

 

「テメェ……!」

 

 それは先程助けた鹿だった。後ろ足にまだ真新しい包帯が巻かれている。しかし、怪我の手当は無意味となった。

 ごっそりと半身が抉られており、もう息がないことは一目で分かる。

 角矢は静かな怒りを滾らせて化神を睨んだ。

 

「ンだぁ……? クソ、こんなところに御伽装士かよ、ツイてねぇ」

「そういうアンタの方こそ、こんな人のいない森の中で何してんのさ」

「力を蓄えてンだよ。お前らみたいなクソどもをぶっ殺すためになァ……! ちょうどいいぜ」

 

 サメ頭の化神は、手にした鹿の死体を投げ捨て、肘の刃を前に展開する。

 

「精をつけたトコロだ。切り刻んでやるよォ!」

「……そ。生憎だけど」

「……こっちの虫の居所は、すこぶる悪いぜ」

 

 自然の摂理、などと……大人ぶって受け入れる必要はない。

 少なくとも呪いの化身である、この怪物の前には。

 

「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」

「オン・シシズ・カカカカ・ソワカ」

 

 怨面を赤い痣と共に受け入れ、二人は変身した。

 天を司る志士たるテンユウと、勇壮な角を持つ鎧武者ロクショウが推参する。

 

「さあ、天誅よ!」

 

 先手を取ったのは素早いテンユウだった。軽快な身のこなしで飛び上がり、サメの化神へと膝蹴りを喰らわせる。

 鼻先を狙った一撃だったが、硬質な音に阻まれる。腕の刃物を交差して防がれたのだ。

 

「シャーッシャッシャ! そんなモンを喰らうモンかよ!」

「シシッ、そうかな?」

 

 受け止められながら悪戯げに笑うテンユウ。その背後では、静かに弓をつがえるロクショウの姿があった。

 

「バケフカ、ってところか……今日のマトの名前は」

 

 言いながら放たれた矢はテンユウの背中を躱し、サメの化神・バケフカの目を狙って飛来する。

 

「グッ!?」

 

 威力が足りず突き刺さりこそしなかったものの、視界を奪われたことでバケフカは怯む。その隙に、空中でテンユウは頭上へ手を掲げた。

 

「旱天の両面大鎌!」

 

 テンユウの手に長柄の大鎌が収まる。ギラリと光る三日月状の刃を閃かせ、テンユウは重力に引かれる力を利用してバケフカへと振り下ろす。

 再び鳴り響く硬質な音。咄嗟に伸ばされた肘の刃と鎌刃が噛み合い、金属の擦れる音を響かせる。

 

「シャアァ……ちょこざいな真似を……グッ、また!」

 

 苛立たしげにバケフカが息を吐いた瞬間を狙い澄まし、再びロクショウは矢を放った。幽響の鳴弓より放たれた矢はバケフカの急所を狙う。

 

「鬱陶しいんだよ!」

「……チッ」

 

 しかしいずれも鱗に阻まれ通らない。ただの獣の表皮に見えても、化神の肌は生半可な銃弾すらも弾くほどに強靭だ。なんの力も込められていない矢では有効打にはなり得ない。

 とはいえ苛立たせる程度の効果があるのは確かだ。それは若くして既に歴戦の猛者であるテンユウには十分な支援となった。

 

「退魔道具・慈雨の癒鈴!」

「あ?」

 

 隙をついてテンユウは新たな退魔道具を召喚する。長柄から離した片手に収まるのは神楽鈴。

 両面大鎌でバケフカを抑えながら、テンユウは鈴を鳴らした。

 

「水辺は得意なのさ!」

 

 涼やかな鈴の音が響き渡ると、小川の水に異変が起こる。まるで生き物が鎌首を上げるかのように持ち上がると、バケフカ目掛けて襲いかかった。

 

「うおおっ!?」

「流石に静久ほどは上手くいかない、けどっ」

 

 慈雨の癒鈴の能力の一つ、水の操作。それは今いる小川のような水辺で絶大な威力を発揮する能力だ。

 しかしその分、制御は難しい。術が得意で退魔道具とも抜群の相性を誇っていた静久ならまだしも、まだ癒鈴の使用が解禁されたばかりの霞澄では扱える水の量に限界があった。

 それでも、足止め程度の役目はこなせる。

 

「退魔覆滅技法・逢魔終月!」

 

 鏡合わせの三日月の鎌刃が赤く染まる。長柄を握り締めたテンユウは、水に囚われたままのバケフカ目掛け横薙一閃で振るった。

 熱を帯びた刃は必殺。テンユウが単体で放てる最大火力の一撃。

 水の檻に囚われたままのバケフカは避けることすらできない。複数の退魔道具を使いこなせるようになったテンユウによる必殺コンボ……の、ハズだった。

 しかし。

 

「っ!?」

「! しめたぜ!」

 

 しかし刃がバケフカに当たる直前、水の拘束は溶けるように崩れ落ちた。自由になったことでバケフカは間一髪、鎌刃をしゃがむことで躱した。

 空振りの手応えにテンユウは舌打ちをする。

 

「っ、やっぱり、同時制御はまだまだ課題か……!」

 

 大鎌と癒鈴。二つ併用な上に今まで使ってこなかった退魔道具だ。一つならまだしも、二つ同時となるとやはり制御に甘い部分が出てしまう。

 それが今響いた。大鎌に集中するあまり癒鈴の操作が疎かになり、拘束が解けてしまった。

 

 大技を空振りしたことで、テンユウの体勢が崩れる。

 

「シャーッ!」

「!」

 

 その大きな隙を見たバケフカは嬉々として襲い掛かろうとするが、それを飛来した数本の矢が食い止めた。

 

「何やってるんだ、立て直せ!」

「っ、サンキュー!」

 

 ロクショウによる援護の連射によって救われたテンユウは素直に礼を言い、退魔道具を消しながら飛び退く。ロクショウの隣に着地しながら、息を整える。

 

「ふぅっ。……ごめん、ミスしちゃった」

「俺に勝ったクセに、なんだそのザマは」

 

 悪態をつきながら、ロクショウはバケフカ目掛けて弓をつがえる。

 

「だが、大したことはなさそうだな」

「うん、次はいける」

 

 二人ともこれまでの攻防で、バケフカの実力は見切っていた。

 両腕のブレードは確かに鋭い。しかし逆に言えば脅威はそれだけ。サメの姿をしているからには水辺は得意なのだろうが、水深の浅い小川では潜ることもできない。

 脅威的な硬さも、全てを吹き飛ばすような攻撃力もない。

 御伽装士が二人も揃って、祓えない相手ではなかった。

 

 油断とも慢心とも違う、確かな分析。

 誤算があるとするならば。

 

「シャーッ! 舐めやがって……だったら本気、見せてやるよォッ!!」

 

 その腕のブレードがいかなるものか、見抜けなかったことだろう。

 二人から見下されて激昂したバケフカは、両腕を顔の前でクロスさせた。当然腕のブレードも交差し、重なる。

 そして二人はようやくそのブレードの正体に思い至った。

 

「──プロペラっ!」

「吹っ飛ばしてやるぜ!!」

 

 プロペラが回転を始める。それはすぐさまトップスピードとなった。

 空気が渦巻き、巨大な竜巻となって二人の御伽装士を捉える。

 

「うぅっ!?」

「! 霞澄!」

 

 軽装ゆえに体ごと浮き上がってしまったテンユウの手をロクショウが掴み、なんとか吹き飛ばされる前に留めた。

 この尋常ではない風圧に吹き飛ばされて木々にでも叩きつけられれば、いかに御伽装士と言えども粉砕骨折は免れない。ロクショウの判断は正しいと言える。

 しかしそれゆえに、矢から手を離してしまった。

 

「くっ」

「うぅっ」

「シャーッシャッシャ! ホラホラホラァ! 諦めて吹っ飛んじまえよォ!!」

 

 重装備のロクショウが錨となってどうにか耐えている現状、二人は何もできない。プロペラの回転は更に加速し、吹き付ける風は強さを増している。

 バケフカが勝ち誇るのも無理はない。このままでは二人とも吹き飛ばされて終わりだ。

 

「う……角矢、手を離して! そうすれば、アンタだけでも……」

「いや……手が空いたところで、この風の中じゃ矢は吹き飛んじまう。意味がねぇ……」

「だったらどうすれば!」

 

 一転して窮地。風に囚われてしまった二人にできることは少ない。

 少なくとも鯉のぼりのような状態から抜け出せないテンユウに残された選択肢は二つ。

 このままか。それとも手を離してもらうか。

 

「だったらせめて、逃げて!」

「逃げる、だぁ……?」

「応援を呼んで! 支部には日依がいるハズ。あの子なら風にも強いから!」

 

 重厚な鎧を纏ったキュウユウならばロクショウと同様に吹き飛ばされる心配はない。それどころか鎌で風を切り裂くことも叶うだろう。

 

「あたしはなんとか受け身をとる。むしろこの風に乗じて一時撤退すれば──」

「……逃げる、ことなんて出来ねぇよ」

 

 しかしロクショウはその提案を拒絶した。

 暴風の中でポツリと呟くように言う。

 

「なんで!」

「決まってんだろ。アイツは今、命を踏み躙った」

 

 仮面越しのロクショウの視線は、血に染まった川へと向けられていた。

 横たわる鹿。確かに命だった存在をロクショウは見つめる。

 

「確かに、生きとし生けるものは全て、命のやり取りはする。生きるためにな。俺も、何かが違えばその鹿を弓で射って、喰らっていたかも知れねぇ……」

 

 「だがな」とロクショウは切って続ける。

 

「化神は、違う……!」

 

 テンユウは、掴まれた手からくるロクショウの震えを感じ取った。

 それは怯えからくるものではない。激しい、怒りだ。

 

「アイツらは命じゃあない。喰う必要もない。ただただ呪いを振り撒き、己の愉悦のためだけに命を殺す、邪悪極まる化け物だ……!」

 

 化神は呪いの化身。寿命もなく飢えも病気もない。その気になれば肉を食わずとも生きていくことができる存在だ。

 それでも喰らうのは──その方が、恐れを集められるから。

 魂を汚し、より多くの呪いを振り撒くためだけに、化神は命を喰らうのだ。

 

「許せるかよ……」

 

 暴風の中で、確かに掻き消えないロクショウの、角矢の呟き。

 

「許せるかよ!」

 

 それは魂から発せられる──叫びだった。

 

「……角矢」

 

 怒りではある。だが決して復讐心ではない。

 命を弄ぶ者への激しき怒り。それが角矢の根底にあるもの。

 それは──慈愛の証でもあった。

 

「シャーッシャッシャ! のたまったところで状況は変わらねェ! このままテメェらはひっとんで──」

 

 ロクショウの叫びを哄笑して切って捨てるバケフカ。

 しかし──

 

「──シャッ?」

 

 それは唐突だった。

 突如として、バケフカの姿勢が崩れたのだ。

 まるで背後から何かに小突かれたかのように。

 

「っ、今だ!」

 

 姿勢が崩れて、風が緩んだ。その瞬間をテンユウは見逃さなかった。

 

「浮雲の脚絆!」

 

 テンユウは最も信頼する退魔道具を呼び出し、その縄を地面に目掛けて突き刺した。そして全身を更に伸ばした縄で雁字絡めにすることで、完全に地面に体を固定する。

 

「旱天の両面大鎌!」

 

 そして長柄の大鎌も再召喚。手にした柄に指を添え、テンユウは仮面の下で目を閉じる。

 

「角矢、しばらく」

「応」

 

 ロクショウは、弓をつがえない。ただ、テンユウを陰に隠すように仁王立ちする。

 

「なんだ……何をしやがった!」

 

 何をされたか分からずに怒りを募らせるバケフカは、一度は緩んだプロペラ回転をすぐに再開させた。再び二人に暴風が吹き付ける。

 しかし完全に固定されたテンユウはもう吹き飛ばされない。そしてロクショウが風除けとなることで、集中を妨げられることもない。

 ならば、できる。

 集中さえあれば──、

 

「二つ同時の扱いも、失敗しない!」

 

 風の中で鳴り響く、鋭い音。

 暴風を切り裂いて飛ぶのは、二つの鎌刃だった。

 

「ギシャアッ!?」

 

 刃はバケフカの体を深々と突き刺さった。

 言うまでもなく、旱天の両面大鎌から分離した刃だ。

 

「ギィィーーッ!!」

「これでもう、踏ん張れないでしょ」

 

 刃が突き刺さったのはバケフカの腿だった。

 

「あんな風、アンタだって踏ん張らなきゃ吹っ飛ぶでしょ」

「ギ、ギギィ……!」

 

 吹き付ける風は、逆方向への推進力にもなる。スクリューと同じだ。

 それを堪えるにはバケフカとて踏ん張りを効かさなければいけない。その力の源である大腿部を、テンユウは狙い撃ちにしたのだ。

 皮肉なことに、肉体の部位ごとの働きは生き物も化神も同じだ。

 

 風が止み、自由が戻ってくる。

 

「クソ……クソクソクソ! 御伽装士めェ……!」

「観念することね」

「……あぁ、認めてやるよ。お前らは強ェ……」

 

 バケフカは悔しげに呟く。

 

「急に素直ね。なら大人しく祓われ──」

「だから、今は退く」

「……なんだって?」

 

 テンユウが怪訝に聞き返した瞬間だった。

 バケフカが、交差させたブレードを上に掲げる。

 

「逃げるって言ってんだよ!」

「っ、しまった!」

 

 バケフカの暴風攻撃は踏ん張りが効かなければ使えない。なぜなら反動で自身も吹き飛ばされてしまうから。

 裏を返せば、飛ぶ(・・)用途には使えるのだ。

 

「ヘリコプター!」

「サメが飛ぶか!?」

 

 再びの暴風。吹き荒れる空気の渦が小川の水を飛沫と巻き上げながら、バケフカの身体が宙に浮く。

 

「まずい、角矢!」

「分かっている!」

 

 逃すまいとロクショウは矢をつがえ矢継ぎ早に放つ。しかしそのほとんどは風に巻き上げられてあらぬ方向に軌道を捻じ曲げられ、届いた数本もバケフカの持つ化神の鱗を貫くに至らない。

 バケフカの身体は悠々と空へと遠ざかっていく。

 

「シャーッシャッシャ! 仕方ねェからまだしばらく精を蓄えるとするぜ。またどこぞの森に潜んで血肉をたらふく食い漁ってから人里を襲ってやる。その時こそテメェらをぶっ倒してやるよォ!」

「! 貴様……!」

 

 怒りに燃える双眸でバケフカを射抜くロクショウ。しかし視線ではバケフカを落とすことは叶わない。

 哄笑をあげながら、バケフカは空の向こうへと飛んでいく。

 

「クッ、霞澄! 足の縄で……!」

「……無理ね。もう射程圏外」

「なら、追わないと!」

「どうやって?」

 

 追いかけようとするロクショウに、テンユウと化した霞澄は冷静に問いかける。

 

「ここは森の中。いくら御伽装士の走力でも空を行くバケフカの方が圧倒的に速い」

 

 テンユウがスピードに優れた御伽装士であっても、流石に空を飛ぶ相手には敵わない。ましてや歩き慣れていない森の中を行かなければならない。ロクショウなら案内はできるが、重装備が足枷となり却って移動スピードは落ちてしまうだろう。

 

(フブキホッパーの量産が間に合っていればな……)

 

 三つ子に支給される予定の式神ビークルがあれば、森の中でも高速での移動が適っただろう。しかし三つ子が使用に消極的なのもあって、まだ実戦配備には至っていなかった。

 三つ子はまだ、あの付き人が送り迎えをしてくれる夢に浸っていたかったのだ。

 

(我ながら甘いな。これじゃ次期当主って胸を張れないや)

 

 己を戒めつつ、霞澄は冷静に状況を分析する。

 しかしいくら考えても、バケフカを追いかける術が思いつかない。

 

「……悔しいけど、ここまでかな」

「馬鹿な!」

 

 冷静な結論に激昂したロクショウがテンユウの胸ぐらを掴み上げる。

 

「化神を見逃すってのか!」

「もちろん、奴の飛び去ったエリアの担当者に警戒は促す。それにあたしたちに追い詰められて深手も負った。奴自身がしばらく潜伏するとも言っていたし、人里への被害は出ないハズ」

「だが、それ以外はどうなる!」

 

 ロクショウが言っていることは、テンユウにも理解できた。

 鹿の死骸は、まだ無惨に転がったままだ。

 

「奴は一層、森の中を食い荒らすぞ。黙ってそれを見逃せって言うのか?」

「……それは……」

「俺は追うぞ」

 

 そう言ってロクショウはテンユウを突き放し、バケフカの飛び去った方向へ踵を返す。

 

「角矢!」

「……やっぱり、許せねぇんだよ」

 

 背を向けたまま、ロクショウは拳を握り込む。

 

「俺は人間だ。御伽装士としての役目もある。結局は、人間を優先するのが正しい。それは分かっている。だけどな!」

 

 抑えきれないわななきが、緑青色の大袖を震わせる。

 

「だからって、それ以外の命がどうなってもいいなんて、俺にはどうしても思えないんだよ!」

「……角矢。それが……アンタの戦う理由なんだね」

 

 テンユウの言葉に、ロクショウはハッと気付いたように息を呑む。

 角矢の言葉は無意識で、それゆえに本音だった。

 

「……ああ。そうみてぇだな。そうか、俺は……化神に命が奪われることが、何よりも嫌だったのか」

 

(……似ている)

 

 その動機に、霞澄は懐かしさにも似た共感を覚える。

 

(あたしも、全部を守りたい)

 

 それが霞澄の一番のわがままだ。

 目につく全て。大切なものを何もかも守りたい。

 だから──、

 

(強くなりたい。相応しくなりたいんだ)

 

 頭目という重責に。怨面を被って戦い続けるために。

 

「そうだ。ようやく気付いたか!」

 

 その瞬間、二人以外の声が響いた。

 

「え、川緑のおっちゃん!?」

「っ、師匠!?」

 

 木々の合間から姿を現したのは、先代ロクショウにして霞澄へ頼み事をした張本人、川緑だった。

 甚兵衛姿のままの川緑はひょいと軽い足取りで藪を越えながら二人の前に立つ。

 

「実はな、最初からつけてたのさ。霞澄の後ろをずっとな」

「えっ、全然気付かなかった……!」

「はっはっは! まだまだ俺も衰えてねぇってこったな」

 

 やはり、川緑もまた森の中を生きる狩人なのだろう。

 全く気配を悟らせない尾行に、霞澄は舌を巻く。

 

「角矢」

「っ! 師匠……」

 

 名を呼ばれ、ロクショウは肩を跳ね上がらせた。叱責が来ると身構えたのかもしれない。

 しかし川緑の声音は、小川の流れのように穏やかだった。

 

「ずっと見ていた。霞澄の奴にぼてくりこかされるところも、化神との戦いもな」

「……俺から怨面を取り上げるか、師匠。ろくに戦えもしない俺を……破門に、するか?」

 

 覚悟めいたものが乗った声だった。以前からそれを恐れていたのだろう。

 もしかすると、家出の理由も──、

 

「馬鹿言え」

 

 しかし川緑はそれを笑い飛ばした。

 

「えっ」

「逆だ。ここからが本領だろうがよ」

 

 そう言って川緑は小川の中へ足を踏み入れた。ざぶざぶと歩を進めながら鹿の死骸の前に立ち、そして水に濡れるのも構わず膝をつき、手を合わせた。

 

「確かに昨日までのお前なら、怨面を取り上げるのもやぶさかじゃなかったかもしれねぇ。だが、お前は自分の心の中にある本音に気付いた」

「本音……」

「復讐心じゃない。お前は、慈愛から戦える人間だ。俺はそれに気付いて欲しかったんだ」

 

 鎮魂の祈りを捧げ、川緑は立ち上がる。ロクショウを、角矢を見つめる瞳は穏やかだった。

 まるで、親のような──見守る眼。

 

「角矢。お前は何のために戦いたい」

「……俺は」

 

 角矢は籠手に包まれた自分の腕を見つめ、絞り出すように呟く。

 

「命を、魂を穢す化神を……許せない。だから、怒るんだ。だから……戦う」

 

 拳を握りしめる。そこにもう、震えはない。過ぎた怒りのわななきすらも。

 

「そうだ。俺の怒りは、喪われた命のものだ」

 

 答えは出た。

 それが角矢の──御伽装士ロクショウの、戦う理由。

 

「……そうか」

 

 川緑は満足げに頷いた。

 

「だから、奴を、バケフカを逃したくない。だけど……!」

「それに気付けたなら、今のお前にはできるハズだ」

「えっ?」

 

 川緑は鹿の死骸を振り返る。

 否、正確にはその目線は、その上の空間を捉えていた。

 

「お前が命の尊さと正しい怒りを取り戻したのなら、俺が見込んだお前の才覚が目を覚ます。角矢、お前の──」

 

 その空間が、揺らいだ。

 

「──動物に好かれる才能が」

 

 そこには、鹿が立っていた。

 普通の状態ではない。青白く、半透明。

 しかし、確かにそこにいた。

 

「お前、は……」

 

 動物の顔など、簡単には見分けられない。

 しかし角矢は直感した。それこそ、魂で。

 この鹿は、角矢が手当てした……そして、バケフカに喰われてしまった鹿だ、と。

 

「幽霊……!」

 

 霞澄にもその姿が見えていた。おそらく、目覚めたというロクショウの力か。

 

「そっか。あの時、バケフカが不自然に姿勢を崩したのは……!」

 

 この鹿が、見えないままに小突いたから。

 角矢を助けるために、霊魂となってバケフカに一矢報いたのだ。

 

「そうだ。鹿の将と書いてロクショウ。率いるつわもの(・・・・)なくば、将軍は名乗れん」

「将軍……」

「そして将は己の器を示して見せなければならん。心を開かせてこそ、真の将器。それがお前に目覚めたのなら──ほら」

 

 川緑が指差した先を見れば、そこには青白い動物の群れが立っていた。

 鹿に、狐に、梟。熊までも。

 霊魂となった動物霊が、ロクショウの周りに集まってくる。

 

「これは……なるほど、日依がダメな理由が分かっちゃった」

 

 仮面の下で頬を引き攣らせながら、霞澄は納得する。

 神通力の弱い日依は霊感も弱い。怪談は得意だが、この光景には流石に耐性がないかもしれない。

 神秘的とも、不気味とも言える光景だった。

 

「お前ら……」

 

 動物霊たちは懐くようにロクショウへと擦り寄ってくる。

 

「力を貸してくれるのか」

 

 狐がロクショウの腕に飛び乗り、口を開けて鳴いた。鳴き声は聞こえなかったが、それでも伝えたいことは伝わった。

 そして、角矢からの思いも伝わったのだ。だから力を貸してくれる。

 命を守りたいという、真摯な思いが。

 

「……ありがとう」

「でもさ、実際どうするの?」

 

 水を差すようで悪いとは思いながらも、霞澄は疑問を呈した。

 

「動物霊がロクショウの力になるとしても、飛んでったバケフカに追いつくかどうかは別問題じゃ……」

「そんなことねぇさ」

 

 そう言って川緑は、再び木々の間を見つめた。

 

「こいつらはこの森に住む動物霊だがな。霊魂ってのは何も土地にだけ縛られるワケじゃない。物や……人にだって、な」

「……あ」

 

 木々の間から、青白い光が姿を現す。

 

「それを人は、守護霊って呼ぶんだぜ」

 

 そこに立っていたのは、一頭の馬だった。

 優しげな瞳をした、牝馬。

 他の動物霊と同じように青白い姿をしているので元の色は窺い知れない。姿形も煙を纏っているかのようで少し揺らいでいる。

 しかし、霞澄でも彼女が何という名前なのか分かった。

 

「……そっか。あの時感じた視線は」

 

 角矢と戦って決着がつく瞬間、霞澄は視線を感じた。

 川緑が見ていたと知った今、それは川緑のものかとも思ったが──、

 

「はは。……過保護だねぇ」

 

 霞澄は小さく笑って肩を竦めた。

 

 角矢は呆然と名を呼ぶ。

 

「──そはや、号」

 

 いななきはない。しかし見つめる視線は何よりも雄弁だ。

 

「ずっと、見守っていてくれたのか」

 

 そはや号はロクショウへと歩み寄り……そしてその兜に、頭を擦り付けた。

 

「っ!!」

 

 声は聞こえない。

 しかし、それ以上のもので二人は通じ合った。

 

 悲哀も。怒りも。赦しすらもない。

 ただ、そこにあったのは家族の絆だった。

 

「──俺とまた、一緒に走ってくれるか。そはや号」

 

 そはや号は顔を上げる。

 霊馬は勇壮に前足をあげて応えた。

 

「よし!」

 

 ロクショウは霊馬そはや号の背中にひらりと乗った。それは何度も繰り返してきたかのように自然な動作だった。

 青白い霊体だが、ロクショウの重装備をがっしりと受け止める。

 

「行くぞ、霞澄!」

「! うん!」

 

 ロクショウの伸ばした腕を取り、テンユウもそはや号の背に飛び乗った。

 

「師匠! 行ってくる!」

「ああ。本懐を果たせ。御伽装士として──何より、お前として!」

「応!」

 

 そして霊馬は、駆けた。

 

「ハッ!」

 

 

※

 

 

 逃げ出したバケフカは、悠々と空を飛んでいた。

 

「シャシャシャ。さて、厄介な奴らも撒いたことだし、そろそろどこかに降りようか……」

 

 飛び去ってから少し時間は経っている。距離も充分取った。それに、もう……。

 

「血肉が欲しくて仕方がねェ……!」

 

 ずらりと並んだ凶悪な歯列を剥き出しにして、バケフカは笑った。

 人間ほどではないが、獣の悲鳴も悪いものではない。

 バケフカは着陸場所を探して森の上を旋回する。

 

「どれどれ、いい獲物は……」

 

 しかし、その瞬間だった。

 

「あ……?」

 

 異音にバケフカは顔を上げた。

 それは風を切る音だ。だが自分のプロペラではない。

 

「鳥か……?」

 

 音の正体を確かめようと、振り返った瞬間だった。

 

 その目に、矢が突き刺さった。

 

「──ギャアアアアアァァーーーッ!!!??」

 

 唐突な痛みにワケも分からず絶叫するバケフカ。

 暗転する視界の中で、なぜか羽ばたきの音が聞こえた気がした。

 

 

※

 

 

「矢に、霊魂を込める?」

「ああ。それが幽響(ゆらゆら)の鳴弓(めいきゅう)の真骨頂」

 

 弦を鳴らしながら、ロクショウは答える。

 疾駆するそはや号の上でロクショウは目覚めた本領を語った。

 

「矢の中に動物霊を込めて、その力を引き出して矢に能力を与える。それがロクショウの真の力なんだ。分かるようになった」

「今、バケフカを射ったのもそう?」

「ああ。今のは梟の矢だ。飛行能力でどこまでも追う、狩人の矢」

 

 幽響の鳴弓。その真の能力。

 それは矢に動物霊を込めることで、動物の特性に応じた能力を発現させるというものだった。

 

「動物霊ごとに能力は変わる。鹿には鹿の。狐には狐の固有能力がある。凄まじい汎用性だ……退魔道具が一つきりなのにも頷けるな。これなら弓一本でお釣りがくる」

「込められた動物霊はどうなるの? 消滅しちゃう?」

「いや、大丈夫だ。何ともない。ただ疲れるっていうか、消耗するから一回休みだ。その戦闘中は一度きりだな」

「そっか、よかった」

 

 今、そはや号に乗って駆けているロクショウだが、その周囲には人魂がいくつも浮かんでいた。それは森で出会った動物霊たちが付いてきやすいように姿を変えたものだった。

 

「これだけ協力してくれる奴らがいるなら、もう無敵だな」

 

 そう言って、ロクショウは矢をつがえる。その腕に巻き付いたのは蛇だ。

 

「入魂(にゅうこん)」

 

 ロクショウが呟くと、蛇霊は矢に吸い込まれるようにして消えた。ロクショウはその矢を空中でふらふらと姿勢を崩しているバケフカに向け狙いを定めた。

 

「霊弓(れいきゅう)・蛇矢(へびや)!」

 

 放つ。矢は青白い燐光を纏って飛び、バケフカへと向かう。

 

「! シャアッ!!」

 

 片目を射抜かれても気付いたのだろう。バケフカは矢を躱そうと身を捻った。

 しかし、矢は曲がった。

 

「!? ギ、シャアアァッ!」

 

 まるで獲物を狙う蛇のように弧を描き、矢はバケフカの腕を射抜いた。

 もう飛行形態を保っていられず、バケフカは落ちてくる。

 

「グベッ!」

 

 無様に着地した場所は平原だった。

 身を起こしたバケフカは、目の前にいる存在へ憎々しげに歯を軋ませる。

 

「御伽装士ぃ……!」

 

 そこに立ってバケフカを見下していたのは、霊馬に跨るロクショウだ。

 ロクショウは冷たい目線をバケフカに注ぎながら、矢をつがえる。

 

「観念しろ。さすれば慈悲を以て一撃で祓ってやる」

「誰が……!」

 

 悪態をつきながら、バケフカはどうにか逃げ出す算段を考える。

 しかしそのために周囲に視線を巡らせたことで、気がついてしまった。

 

「──イタチの奴がいねぇ!?」

 

 ロクショウの後ろに、テンユウの姿はなかった。

 慌ててバケフカがテンユウの姿を探すが、すでに遅い。

 

「シシッ」

「! がぁっ!!」

 

 先んじてそはや号から降りていたテンユウは、背後に回り込んでいた。

 浮雲の脚絆から伸ばした縄が、バケフカに絡んで締め上げて自由を奪う。

 

「ギ、シャアァ……!」

「今だよ、角矢!」

 

 動きを止めた。満身創痍のバケフカにもはや逃れる術はない。

 トドメを任されたロクショウは頷く。

 

「ああ」

 

 そして、その場で踵を返した。

 

「……あれ?」

「……は?」

 

 背を向けたロクショウは霊馬に跨ったまま遠ざかっていってしまった。

 テンユウはバケフカと一緒になって呆気に取られてしまう。

 

 ロクショウは逆方向に駆けながら、矢をつがえた。

 

「入魂。入魂。入魂」

 

 走りながら、矢の中に動物霊を込めていく。一匹、一羽、一尾。

 

「──入魂」

 

 あの鹿の霊も、入っていった。

 周囲の人魂が全て籠った頃には、矢は眩いばかりに輝いていた。

 輝く矢をつがえたまま、ロクショウとそはや号はその場で振り返る。バケフカは遥か遠くだ。

 

「行くぞ、そはや号」

 

 声はない。しかし角矢は確かないななきを聞いた。

 そはや号が駆ける。生前と同じく、いやそれ以上の力強さで地を蹴る。

 青白い体躯が霞んで尾を引くほどに、そはや号は加速していく。

 

「退魔覆滅技法──」

 

 その馬上でロクショウは矢をつがえた。

 その狙いはいささかもブレていない。

 人馬一体となったロクショウが、そはや号の上で狙いを外すことなどあり得ない。

 

 流星の如く加速する馬体の上で、ロクショウは矢を──放した。

 

「──霊色慚貫討(れいしきざんかんとう)」

 

 光が走った。

 もはや目には捉えられないほどに加速した矢は、一瞬の刻すら経ずにバケフカへと到達し──その胸を正確に射抜いた。

 

「シャ?」

「──おっと」

 

 穿たれたバケフカは気付かない。テンユウですら一瞬反応が遅れた。

 テンユウが巻き込まれないよう離れた瞬間、光が膨れ上がる。

 

「シャ、シャアァァァーーーーック!!!!」

 

 込められた魂の輝きが、爆ぜた。

 霊力は凄まじいエネルギーとなってバケフカを消し飛ばし、空へと昇っていった。

 

 美しさすら覚えるその光景を手を翳して眺めながら、テンユウは零す。

 

「……これ、ホントに成仏じゃないよね」

「あの世で休憩くらいはしてくるかもな」

 

 そう言って、テンユウの隣にそはや号に乗ったロクショウがやってくる。

 ロクショウは霊馬の上から降りると、変身を解除した。

 テンユウもまた怨面を外す。

 

「……そはや号」

 

 生身となった角矢はそはや号の頬を撫でる。しかしその手は霊体をすり抜けた。

 それを少し寂しそうに眺めながらも、角矢はそはや号に言葉を掛ける。

 

「ありがとな。お前が守ってくれたおかげで、今の俺がある」

 

 語りかける角矢の言葉に、そはや号は静かに耳を傾ける。

 

「俺、これからも戦っていくよ。お前が守ってくれたように、命を守るよ。だから──これからも見守っていてくれ」

 

 その言葉を聞いたそはや号は、角矢の顔を舐めた。もちろんそれはすり抜けた。

 しかし二人の間には、あの頃の思い出が感触として蘇った。

 

「……はは。くすぐったいよ」

 

 小さく、照れくさそうに笑う角矢はまるで姉に撫でられた弟のようだった。

 そしてそはや号の姿は、薄らいで消えていく。

 最後に嬉しそうに尻尾を振って、その姿は完全に見えなくなった。

 

「ありがとな、そはや号」

 

 いなくなったワケではない。これからも化神が出現する度に、ロクショウとそはや号は共に戦うだろう。

 その背に乗って、風のように駆けて。

 

「よかったね」

「……ああ」

 

 愛馬が消えていった空間を見つめたままの角矢を肘でつつく霞澄。角矢は少し何か言い返そうと眉間に皺を寄せて……しかし止めて、観念したように素直に息を吐いた。

 

「お前にも、ありがとな」

「んー?」

「お前に助けてもらわなかったら、俺はそはや号の存在に気付かなかった」

 

 そしてロクショウとしての本領も発揮できず、潰れていっただろう。

 口にはしないが、角矢はそれを認めていた。

 

「だから、ありがとう。霞澄」

「へへ、いいってことよ!」

 

 角矢の前に出て、霞澄は屈託なく笑った。

 その笑顔があまりに眩しくて、角矢は頬を染めた。

 

 角矢は、思い返す。

 思えば、霞澄は最初から自分の身を案じてくれた。

 家出した自分を。無謀な戦い方をする自分を。

 それこそ命をかけるくらいに。

 戦いでも息はピッタリだった。

 性格の相性も、悪くない気がする。

 

 これは、もう──、

 

「あの、さ、霞澄」

「何?」

「よかったら、これからも俺と──」

 

 何かを言いかけた角矢だったが、それが口に出るよりも早く、霞澄は声を上げた。

 

「あっ!」

「うおっ。な、なんだ」

「これでおっちゃんの頼み事って完了だよね? 角矢は本領を発揮できるようになったんだし」

「ああ、まぁな」

「じゃあさっさと帰らなきゃ! 次期頭目としての仕事が待ってる! 化神の討伐報告もしないといけないし!」

「え、いや」

「じゃあねー、角矢! またいつか一緒に仕事しようねー!」

 

 そう言って、霞澄はテンユウに変身している時と同じすばしっこさであっという間に去っていった。

 残された角矢はポカンと口を開けたまま固まっている。

 

 その肩をポンと誰かが叩く。

 川緑だった。

 

「師匠……」

「角矢。霞澄はな、恋愛願望がないんだ。欠片も」

 

 その目には先ほどとは違う生温かさが宿っている。

 

「なのにモテる」

 

 憐憫な若者を見る目だった。

 肩を叩きながら、川緑は教える。

 

「あの通り誰にでもワケ隔てなく接して、なんだったら献身的に助けになってくれる。下心もないその態度に、幾人もの少年が絆されてきちまったワケよ」

「…………」

「今までアプローチをしてきた奴もいるらしいぜ。そん中には歳上もいる。でも自分への好意に鈍くってなぁ……一向に気付かないんだ。何人泣かされてきたか数知れない。あの歳にして罪な女よ」

「…………」

「ま……精々頑張んな。だが言っとくぞ」

 

 川緑は、弟子の前途を憐れみながら言った。

 

「アイツばっかりは……射止められん」

「…………」

 

 高天原霞澄。

 まさしく霞の如く、手の中をすり抜けていく少女であった。

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