仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ   作:春風れっさー

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第三片 浮雲に霞むれど、なお澄み渡って

 どこ? どこなの? どこにいるの?

 

 ずっと呼んでる。ずっと探してる。でも見つからない。どこにもいない。

 

 どうして? どうしてなの? どうしていなくなったの?

 

 最初は一緒だったのに。いつの間にか引き離されて。ずっとずっと、長いこと一人キリ。

 

 ねぇ、ねぇ――

 

 辛い。暗い。悲しい。苦しい。自分が引き千切られたかのように、心から流れる見えない血が止まらない。凍えそうなくらい寒くて息が詰まりそうなくらい暑苦しくて溺れそうで潰されそうでねじ切れそうで。

 そして、何より。

 

 ――ぼく、さびしいよぅ。

 

 傍に、誰もいない。それが、何よりも。

 だから()()き続けるのだ。

 己の声が届く、その日まで――。

 

 

 ※

 

 

 付き人の朝は地獄だ。

 何せ三つ子の朝ご飯をそれぞれ用意することから始まる。

 一人で三人分を作ることだけでも重労働だというのに、しかも三つ子全員がわがままを言って好きな物を食べたがるので、別々に作らないといけない。そのくせ揃って健啖家なのでどれも量が多い。おかげで俺は早朝から繁忙期の厨房の如き忙しさで料理をするハメになる。

 

「あー、やっと終わった」

 

 三つ子の分とついでに俺の分を食卓に並べた俺は、頭に巻いていたタオルを解いて一息をついた。だがこれで地獄の朝は終わりじゃない。今度は三つ子を起こす必要があった。

 料理を運んできた部屋、その廊下を挟んで向かい側に、三つ子の部屋は並んでいる。俺はまず、長女である霞澄の戸を開けた。

 

「おら! 霞澄、起きろ!」

「むにゃにゃ……」

 

 布団にしがみつきまだ夢の中にいる霞澄を揺さぶり声を掛ける。だが目を覚ます気配は一向にない。なので俺は布団を剥いだ霞澄を米俵のように担いで部屋を出た。コイツは筋金入りの寝ぼすけなので、布団に入った状態で起こそうとしても無駄なのだ。まだ短い付き人生活でようく身に染みたことだ。

 そしてそのまま、今度は隣の日依の部屋へと押し入る。

 

「朝だぞ! 日依!」

「うぅぅ……」

 

 スパァンと戸を開いた先にいるのは、霞澄と同じように布団の中にいる日依だ。しかしこちらは俺の大声に薄ら目を開け擦っている。が、自力で起き上がろうとはしない。こっちは単純な寝坊の霞澄とは違って、朝に弱いだけだ。だが起きないことに変わりは無いので、結局俺はもう片方の肩へ日依を乗せた。

 そしてそのまま、今度は更に隣の静久の部屋へと押し入る。

 

「静久! は……」

「は~い、おはよ~」

 

 両肩に重荷を抱えたまま脚で戸を開ける、と、そこには既に起きていた静久が立っていた。挨拶をするその後ろにはキッチリと布団が畳まれている。

 

「ああ、おはよう。相変わらずお前だけは早いな」

「どうしても起きちゃって~」

 

 そう言って静久は頬を掻く。

 三つ子の中で静久だけが唯一、朝に強い。ただどうにもあまり良いことでは無さそうで、寝不足なのか目の下には僅かに隈が出来ている。

 

「寝られてないならハーブティーでも作って二度寝するか?」

「ううん、いーよ。どうせいつものことだし~」

「そうか……」

 

 まぁ本人が言うならと俺は納得し、静久を連れてえっほえっほと朝食を置いた部屋へ。そして二人をそれぞれの椅子に座らせ、予め用意しておいた手拭いで軽く顔を拭いて、静久と共に自分の席に着く。

 

「ほら、いただきますだ」

「んー」

「ふぁぁ……」

 

 まだ寝ぼけ気味の霞澄と日依だが、流石にここまで来れば多少は覚醒するのか、俺の言葉を聞いてグズりながらも手を合わせた。

 

「いただきます」

「「「いただきます(ー)(…)(~)」」」

 

 そうして俺たちは、やっと朝飯にありつけるのだ。忙しい……!

 

「ふぁ~……何コレ?」

「クトゥパットとルンダン。お前がマレーシア料理食べたいって言うから」

「ホントに作れたんだ……」

「残さず食えよ。美味いから」

 

 あくびを噛み殺し、キョトンと霞澄が見つめるのは餅米で作った三角状のお団子と、スパイスとココナッツミルクで煮込んだ牛肉だ。たっぷり用意してある。

 なんでこんなマイナーな物を作ったのかというと、霞澄のリクエストだ。別にコイツがマレーシア料理のファンだからという理由ではない。単純に、俺が作れそうに無い物を無理難題でふっかけてきただけだ。つまり俺が作れずに失敗するところを見ようと思ったのだろうが、残念。このくらいはそれこそ朝飯前なんだよ。

 それでも一応口にし、「あ、おいしい」と呟くのを横目に今度は日依の方を見た。

 

「日依はお前、食べたらちゃんと歯を磨けよ」

「分かってるわよ」

 

 そう不服そうに答えつつも目を輝かせ、嬉しそうに手をつける日依の朝食は、とにかく甘い。お子様用のシリアルにココアを掛けた代物を中心に、ヨーグルトやフルーツと甘い物だらけだ。飲み物までミックスジュース。

 既にコイツが甘党なのは知っていたが、ここまでと知った時は流石に驚いた。見ているだけで砂糖を囓っている気になって口の中がジャリジャリするが、当の本人は幸せそうにパクパク食べている。その内ケーキを所望してきそうだな……。

 で、俺は一応静久にも感想を聞く。

 

「そっちはどうだ。白味噌にしてみたんだが」

「うん、及第点かな~。でも豆腐の切り方がちょっと甘いかも~」

「さいですか……精進します」

 

 ニコニコとしながら味噌汁を啜る静久の朝食は、ザ・和食だ。白飯に味噌汁、焼き魚にお浸し。日本の朝ご飯と言われたら真っ先に思い浮かべるメニューだ。

 最も普通なので、苦労しない……ということはない。むしろ静久は一番味にうるさい。塩加減一つ、炊き加減一つで文句を並び立て、料理漫画の評論家並みに批評する。話を聞くと今まで幾人もの料理人を辞めさせてきたらしい。郷士である高天原の家が雇った料理人ですらも一刀両断したという。俺も合格点をもらうまでかなり掛かった。今も気を抜けない。静久の舌を満足させるには高級レストランに出す並みの繊細な集中が必要なのだ。朝から!

 

「ホント、よく食べる……」

 

 そしてそれぞれの料理は山盛りだ。御伽装士として日々鍛錬を積んでいる三つ子は、とにかくまぁ食べる。見ているだけで胸焼けがしそうな量が見る見る内に消えていく。あれだけ苦労して作った料理があっさりと無くなっていく様は、いっそ痛快ですらあった。

 

 一方で俺の朝食はトースト二枚とコーヒーだけと非常に簡素だ。三つ子の分にそれぞれ苦労してまで自分の物に凝りたくないというのが一番の理由だが、この食べっぷりを眺めればそれだけでお腹いっぱいというのも大分大きいな……。

 そうして四人で食卓を過ごしていると、不意に日依が顔を顰めた。

 

「……痛っ」

「大丈夫か? 傷、まだ治っていないのか」

「うん……でも、そこまで深い傷じゃないからもうすぐだと思う。怨面のおかげで治りは普通より早いし」

 

 眉根を寄せた日依が抑えたのは腕の辺り。先日バケウニとの戦いで切り裂かれた部分だ。

 あの時は俺が応急処置をした。俺はてっきり、その後静久の使える回復の退魔道具・慈雨の癒鈴で治すのかと思っていたが。

 

「難儀だな。癒鈴が連続で使えないの」

「あまり濫用出来ないんだよね~。効果はすごいんだけど~」

 

 癒鈴は凄まじい治癒の力を持つ。それこそ俺の内臓破裂を癒やしたように。あんな瀕死の重傷を治せるくらいなのだから、本来日依の切り傷など訳無い。それが出来ないのは、癒鈴に欠点があるからだ。

 慈雨の癒鈴は身体を急速に回復させるが、その際に見えない負担を身体に残す。それは普段通りに過ごしていれば自然と消えていく程度の物だ。しかし癒鈴の力を連続で使用する度に溜まっていく。さながら金属疲労のように。そしてそれが一定量を超過すると、却って身体を壊してしまうという。

 なので今の日依のような軽傷にいちいち使ってしまうと、本当の大怪我を治せない。故に癒鈴の力はここぞという時か、居合わせただけの一般人を治す際にしか使えないのだ。

 

「ま、しばらく日依はお休みだね。んぐ、もぐ……ふぅ、ごちそうさま!」

「ごちそうさま」

「大根おろしはもうちょっと細かくしてほしいかな~。ごちそうさま~」

「あぁ、うん。お粗末さまでした」

 

 そしてそんなことを話していると、みんな朝食を食べ終わった。あれ、俺のトースト二枚と山盛りの料理の数々が同じスピードなんだけど。

 流石に登校の準備にまで世話することは無い。俺は食器を片付けながら三人を見送る。

 

「今日は三人とも学校だっけー」

「そうね。化神が出現した兆候は無いから」

「まぁ夕方にはそれも分からないけどね~」

 

 化神の出現が無ければ三人は近所の女子校へ通う普通の高校生だ。そも化神の出現は逢魔の漲る時間帯である夕方から夜中であることが多いので、学業が邪魔される心配は少ない。ただ絶対ということもないので、化神を取り逃がしてしまったり兆候があった時は御守衆北海道エリアである高天原邸で待機する必要がある。まぁそれでも、三つ子の場合は三人の内一人で済むのだが。

 っと、忘れてた。

 

「おい、弁当」

「あ、忘れてた」

「はいは~い」

「デザートは?」

「フルーツポンチな。冷凍バッグから出すなよ」

 

 三つ子たちへ弁当を手渡す。食べ盛りの子どもたちへ用意する分とは言え、これもかなりの量だ。こちらも作らなきゃいけないから、朝は本当に地獄なんだよな。

 

「じゃ、いってきまーす!」

「いってきます」

「いってきま~す」

「おう、いってらっしゃい」

 

 それぞれの部屋に戻って寝間着から制服に着替えた三人は、玄関から出て行く。高天原邸は郊外にあり学校まではそれなりの距離があるが、三つ子は徒歩らしい。鍛錬を兼ねて森を突っ切ったり、屋根の上を跳んでショートカットしたりするのだそうだ。住民は驚くだろうな……。

 とにかくこれで、俺の忙しい朝は終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 三つ子を見送れば、俺の仕事はしばらく無い。暇になった時間で俺のすることは、大体二つだ。

 一つは人捜し。空いた時間を使って俺は本来の目的を果たす。ただ、あまり芳しくないんだよな……一応、街から出ていなそうではあるんだが。

 もう一つは、勉強だ。

 

「ふむ……怨面は平安時代から江戸時代まで作られていたのか。ただ、文明開化のドタバタで製法は既に失伝してしまった、と……勿体ない話だな」

 

 俺は相当量の蔵書が収まった資料室で、御守衆についての本を広げていた。仮にも三つ子をサポートする付き人という立場なのだから、御守衆について多少なりとも学んでいなければならない。そうしなければ俺の命こそ危ないからな。最低でも平装士……見習いくらいの知識は持っておかないと。

 今読んでいるのは御伽装士の力の源である怨面についての資料だ。ページをめくると、更に怨面を操るための資格について書かれていた。

 

「呪いの力を籠められた怨面を扱い御伽装士となる道は二つ。一つは己を鍛え上げ呪いの力を制すこと。もう一つは……」

 

 ……怨面の方から、選ばれること。三つ子はこちらのパターンだ。

 災害や飢饉、化神に殺された人間たちの怨嗟を籠められた怨面は、それを制御、纏める為の疑似人格という物が用意されているらしい。波長の合った人間へ怨面の方から話しかけたりする場合もあるのだとか。あまり無いことらしく、三つ子は更に三人同時に選ばれたという非常に珍しいケースだ。

 

「……選ばれる、か」

 

 聞こえは良いが、その場合は生き方がほぼ確定してしまうような物だ。特に、御守衆の名家である三人は御伽装士になる道から逃れることは出来なかった。

 三つ子はまだ高校生一年生。天鼬の怨面に選ばれたのは、もっと幼い頃の筈だ。その時から既に、命を落とすかも知れない戦いの中へ身を投じることを定められるのは……一体どんな気持ちだったのだろうか。

 

 そう思い至ると、今の現状が異常な物に思えてくる。

 例え無辜の人々を守るためとはいえ、まだ中学生から上がったばかりの少女に殺し合いを強要するというのは、やはりどうにも受け入れがたく感じる。そうするしか無いのは分かっている、だが……。

 

「……ふぅー」

 

 俺は本を閉じ大きく溜息をついた。良くないな、こんな考え事は。

 読んでいた本を棚へ戻し、俺は気を取り直して別の本を手に取る。こちらは歴史の本では無い。昨日出た化神……バケウニに関してのレポートだ。

 そこには実際に戦った日依の意見が聴取され、纏められていた。

 

「類を見ない硬さ、か」

 

 昨日のバケウニは、それまでに戦ったどの化神よりも硬かったそうだ。それこそ、鉄より。

 化神は人々の負の情念が凝り固まって生まれる存在。吹き溜まった煙のような外見の幼体から成長し、集まった念に応じた姿形を取る。その様はそれぞれだ。動物の形を取ることもあれば、無機物の特徴を得ることもある。それがそのまま強さに準ずるかというと必ずしもそうとは限らない。が、その性質は確かに受け継ぐ。例えば鮫の化神なら、歯がいくら折れても生え替わるといったように、だ。

 そして日依は、鉄が寄り集まった如何にも堅硬な化神を相手にしたこともあるそうだ。ソイツも硬く苦労したが、昨日のバケウニはそれすらも上回っていたらしい。

 左程硬い印象も無い生き物を基にしてのそれは、異常事態だと言っていた。

 

「……何かが起こっている可能性、か」

 

 先日の同時に現われたバケジャケとバケヤマメといい、どこか化神の様子がおかしいのだとか。異常現象の兆しかもしれない。とはいえ具体的にはまだ何も分からないので、あくまで可能性だ。

 

「まぁ、これに関しては流石に出来ることは無いしなぁ」

 

 体を張る化神退治の手伝いならともかく、調査なんかは流石に積み重ねた知識が足りない。これは本職である御守衆たちに頑張ってもらう他無いだろう。

 

 そんな感じで時間を過ごしていると、にわかに廊下が慌ただしくなった。スマホで時間を確認してみると、もう夕方だ。今頃空はきっと茜色に染まっていることだろう。そろそろ三つ子たちが帰ってくる頃合いだ。

 恐らく大人数を賄う夕飯の準備が始まったのだろうと思った俺は、手伝うために廊下へ出た。

 

「あ、ども――っと?」

「すみません!」

 

 すれ違う使用人に挨拶しようとしたら、切羽詰まった様子で頭を下げられスルーされる。しかもそんな表情の人が何人も。

 これはただ事ではない。そう判断した俺は、大広間へ急ぐことにした。

 

「雪蔵さん!」

 

 パァンと襖を開くと、そこには雪蔵さんと、その前に正座して並ぶ制服姿の三つ子が揃っていた。いつの間にか帰ってきていたのか。

 

「あ、来た」

「ただいま~」

「あぁ、おかえり……って、多分それどころじゃないよな」

 

 呑気になりそうなところを振り払い、俺は雪蔵さんへ目を向ける。

 

「うむ、丁度呼びに行くところだった」

「……ってことは?」

 

 伺うと、雪蔵は真剣な顔で頷いて、

 

「化神だ」

「! 出たか……」

 

 その単語を聞いて俺も表情を引き締める。化神退治ということは、三つ子とその付き人たる俺の出番だ。

 

「情報を共有する。隣のエリアの御伽装士が会敵した化神を撃ち漏らし、逃走。この街のある方面へ逃げ込んだということだ」

「隣って言うと……川緑のおっちゃん?」

「そうだ。あやつめ、鹿将(ろくしょう)の怨面が泣くぞ……という説教は、後々本人にするが」

 

 そう言葉を切った雪蔵さんは畳の上に紙を広げる。それは詳細なこの街周辺の地図だった。

 

「鹿将のエリアからこちらへ向かうには、二つの通り道がある。一つは、海岸沿いの道路」

 

 雪蔵さんの皺が刻まれた指が、海との境界線をなぞる。

 

「もう一つは……廃坑の中を通ることだ」

 

 次に指差したのは山中。そこは、俺も憶えがある。ずっと昔に閉鎖された鉱山と、それ故に放棄された関連施設だ。

 

「化神の運動能力であってもこの二つに絞られる。なのでここに網を張る」

 

 その言葉に俺たちは異も無く頷いた。分かりやすい、シンプルな作戦だ。

 俺たちが理解したのを見て、雪蔵さんは次に移る。

 

「では、肝心の人員は……」

「はいはーい、日依はお休みね~」

「う……」

 

 真っ先に静久が手を挙げた。バツが悪そうに日依が顔を顰める。まぁ、それは俺も賛成だ。怪我の治りきっていない日依に無茶はさせられない。

 

「なら、霞澄と静久で分ける」

「分けて大丈夫なのか? 怨面は一つだろ?」

 

 御伽装士をそれぞれに待ち伏せさせる、そう言えば聞こえは良いが、実際に変身出来るのは一人だけだ。片方は生身で相対することになってしまう。

 

「うむ。なので、内人。お前が怨面を持つ方に付け。そうすれば運んで、もう一つの現場へ急行できる」

「あ、そうか。了解」

 

 トライユキオロシなら例え怨面の持っていない方へ化神が出たとしてもすぐに辿り着ける。改めて地図を見下ろしても待ち伏せの二点は左程離れてもいない。トライユキオロシの機動力ならすぐ行ける距離だ。

 二手に別れることになった霞澄と静久が顔を見合わせる。

 

「じゃあどっちが怨面持って、どっちに行く~?」

「取り敢えず静久は海側の方がいいでしょ。水辺が近いし」

「そだね~。……じゃあ怨面は霞澄が持っておいて~」

「んー……分かった、そうするね」

 

 本人たちが決めるべきところを二人が相談し、決定する。これで作戦会議は完了だ。

 

「決まりだな。では、テンユウ出動だ」

「「「了解っ!」」」

「……いってらっしゃい」

 

 雪蔵さんの号令に俺たちは一斉に頷いた。……約一名は、ムスッと顔を逸らしていたが。

 

 

 

 

 同時刻。

 そこは、岩だけが存在する暗い世界だった。露出した岩肌と、天井が崩れないようにと支える組み木。時折壊れたランタンが転がる、それだけの世界。

 かつて、産業を発展させるために求められた大量の鉱石。それらを掘り返すために山ごとくり抜いた夢の後先が、この廃坑だった。

 今はもう、人の影はない。それどころか生き物すらも。密閉されたこの場所では空気すら定かではないのだから、それは当たり前の話だ。

 だが今は、確かな足音が響いていた。

 

『クソッ……何故ダ……!』

 

 足音、ではあるのだろう。一定のリズムで刻まれるその音を聞けば、誰もがそう思う。

 だが何の、と問われれば誰もが首を傾げる。何故ならその音はあまりにも硬質で、重厚だった。

 まるで重機が歩くかのような……あるいは、ロボットのような。

 

『オノレオノレオノレ……!』

 

 暗闇に、あり得ない筈の光が奔った。無人の、しかも電気もとうの昔に断たれた世界に灯った明かりは、当然ランタンや電球の物では無い。

 頭だ。足音の主の、頭が光っているのだ。

 

『オノレェ……!』

 

 機会音声のように人らしく無い声で呪詛を紡ぐのは、白と赤に彩られたコンクリートのような材質で出来た不格好な人型だった。手足は太い円筒に覆われている。ロボット、とも取れるし、ゴーレム、と言われても納得する形状。格子状になった頭からは、空間全体を照らすほど強い光が照っていた。

 それは化神だった。名をバケトウダイ。名の通り、灯台を写し取った躰を持ちし化神である。

 しかしバケトウダイのあちこちは、刀傷のような裂傷でズタズタに刻まれていた。

 

『鹿ノ……御伽装士メェ……!』

 

 紡ぐ恨み言の矛先は、己をこうまで傷つけた鹿面の御伽装士に対してだ。

 敵わなかった。まるで。自慢の剛腕は悉く躱され、ついでの逆撃で退魔の刀が振り下ろされた。技を使ってみせれば仙術で祓われ……手も足も出なかった。今でも振り返れば、暗闇の中に鹿の面が浮かんでいるのではないか……そう考えてしまう程の、恐怖を刻み込まれた。

 だからどうにか隙を突き、こうして逃げ延びるのが精一杯だった。

 

『許サヌ……イツカ復讐シテヤル……』

 

 とは言いつつも、(すべ)はない。

 這々の体で逃げるしかない。いつの日かはいつの日かであり、バケトウダイに具体的な方策は何も無かった。

 今、この時までは。

 

「……復讐、か」

『!? 誰ダ!?』

 

 暗闇の中から突如響いた声。それはバケトウダイの物では無い。

 警戒し、頭の光量を強くすれば、照らし出されるのは渦模様の仮面を被った、黒コートの人間だった。

 

『ニンゲン……? イヤ……』

 

 訝しんだバケトウダイは更にその背後にも光を当てる。そこにはもう一つの人影があった。

 渦仮面より一回りの巨躯。錆びの浮かんだ鉄と、鎖で造られたが如き甲冑。尖ったパーツで無理矢理拵えたかのような面頬の隙間から、赤い光がボンヤリと瞳のように覗いている。ザリ、という音に目を向ければ、右手には巨大な船の(いかり)を引き摺っていた。

 こちらは、人ではない。バケトウダイにとっての同胞。即ち化神だった。

 

『驚イタ……何者ダ?』

 

 化神を連れた、人間。それはほとんど聞いたことが無い。

 人の恨みつらみから生ずる化神と、生きている限りそれらを切り離せない人間はいつ如何なる時代も共には在った。在らざるを得ない。しかし仲良しこよしに並び立つようなことは、まず無い。何故なら互いに喰らい、殺し合う間柄だ。肉食獣と獲物が手を取り合うことなどあり得ない。

 そう……故にそういった存在は、世界の法則すらも超越せんと野望する何某かである筈だった。

 

「私は……まぁ、"野分(のわき)"、とでも名乗っておこうか」

『野分?』

「意味は特に無い。強いて言うなら目標、といったところか。気にしなくてもよろしい」

 

 野分と名乗った渦仮面はそれよりも、と言葉を続ける。

 

「復讐、だったか。御伽装士に」

『……アァ、ソウダ。俺ハ復讐スル。俺ニ屈辱ヲ与エタ……アイツラニ……!』

「ならば、力を与えよう」

 

 パチリと野分が指を鳴らす。すると、いずこより黒い靄が湧き出た。

 見ただけでバケトウダイはそれが何か理解した。他ならぬ自分こそが、かつてその姿だったのだから。

 

『化神ノ、幼体……?』

 

 だが、断言できぬ何かがあった。

 化神は欲望の塊。例え幼体の状態であっても、悪事を為して確かな貌を得ようと猛っているものだ。しかし目の前の靄からは、そんな気配は微塵も感じられない。

 

「これは『加工品』だ」

 

 野分は靄を操りながらそう言った。

 

「子羊を屠殺して捌いた物をラム肉というように。幼体を素材とはしつつも全くの別物だ。これを……」

 

 すっと押し出すように黒い靄をバケトウダイへと放つ。靄はバケトウダイの硬そうな表面に触れると、まるで吸い込まれるようにその中へ溶けていった。

 

『オ、オォ?』

 

 よく分からない現象に疑問符を浮かべるバケトウダイ。しかし数瞬後には、別のことに戸惑う声を上げた。

 

『オオオォォ!?』

 

 力だ。力が湧き上がってくる。傷ついた身体はたちまちに癒え、そしてそれ以上の活力が身の裡より噴き出ている。以前の自分とは比べるべくもない。圧倒的な力。それが今宿っている。

 

『コレハ!?』

「力を与えたのさ。これで君は、復讐に足る力を得た……後は、存分に為すが良い」

『ハ、ハハハ! 何ガ何ダカ分カラナイガ恩ニ着ル! コレデ奴ヲ……ハハハハハ!!』

 

 漲る全能感に酔いしれたバケトウダイは、言われるがままに走り出す。野分たちの隣をすり抜け、真っ直ぐと。

 

「おい、そっちは……まぁ、いいか」

『よろしいので?』

 

 バケトウダイが背後の暗闇に消え、初めて控えていた化神が口を開いた。

 野分は肩を竦めた。

 

「いざとなれば止められる。所詮は実験台さ。お前とは違ってな……バケイカリ」

 

 どうという風もなくそう呟いて、野分はバケトウダイを追うようにして闇に消える。バケイカリと呼ばれた化神もまた、碇を引き摺りながら後へ続く。

 その場にはまた、暗い闇だけが落ちる。まるで何事もなかったかのように。全ては、密やかなるままに。

 

 

 

 

「ここ……だな」

 

 廃坑の入り口が見えてきたところで、俺は運転していたトライユキオロシを停めた。

 露わとなった山肌と、無骨な建物の数々。人の影はなく、寒々しい風が吹き去っている。

 もう帳の落ちた紫の夜空と相まって、とても寂しげな風景が俺たちを出迎えていた。

 

「化神の気配は無いみたい。少なくとも、まだ」

 

 助手席で目を瞑り、何かを感じている霞澄がそう答えた。彼女も静久ほどでは無いが化神の気配をある程度感じられる。

 

「まぁ廃坑を抜けるにしろ結構時間掛かるだろうからな……ん?」

 

 そうしていると、車の窓がコンコンと叩かれた。見覚えのある顔だ。高天原邸に詰めている平装士の一人だった。

 

「あぁ、どうも。封鎖ご苦労様」

 

 窓を降ろし、俺は彼を労った。平装士の仕事は御伽装士が憂い無く戦えるようにする為のサポートだ。住民が戦場に立ち入らないように封じることも彼らの役目の一つだった。

 しかし彼の表情はどこか焦りを浮かべていた。

 

「いえ、その、それなんですが……」

「? 何か問題が?」

「どうも、人が一人廃坑街の中に紛れ込んでいるようで……」

「えぇ!?」

 

 それが本当なら、一大事だ。

 

「どういうことだ? いるのが分かっているのなら、早く避難を促して……」

「それが、気配があるのは術で確認できるのですが、入り組んでいる為か具体的な場所までは定かではなく」

「遠隔式の誘導暗示は? それなら家に帰すことが出来るでしょ?」

 

 後ろから霞澄も口を出す。しかし平装士の彼は首を横に振った。

 

「駄目です。家に帰るように暗示を掛けても出てこないのです。恐らく……」

「……そっか、暗示自体を実行できないんだ」

 

 得心がいったように霞澄が頷いている。分からない俺は問い質す。

 

「つまり?」

「家に帰るように言われても、帰り道が分からなきゃ帰るに帰れないでしょ? さっき入り組んでいるって言ってたし」

「そうか……迷子か」

 

 俺も合点がいった。ならば、

 

「子どもか。遊びに来てたら迷って帰れなくなった、と。運の悪い」

「不味いよね?」

「あぁ、ヤバい。手分けして探そう。平装士は既に?」

「はい。二人ずつに別れて地区の中を捜索しています」

「なら俺たちは化神に出くわすかも知れない、廃坑近くを優先して探そう」

 

 生身の平装士とは違い、俺たちなら怨面とトライユキオロシがある。安全度はまだ高い筈だ。

 霞澄も頷く。

 

「うん、分かった」

「よし。じゃあそういうことで、頼む」

「了解です」

 

 首を縦に振った平装士を置いて、俺はアクセルを踏み込んだ。そのままトライユキオロシを廃坑へと向かわせる。

 

「ったく、間が悪いな」

 

 愚痴る。ただでさえ化神退治は厄介ごとなのに、その上に迷子の捜索が重なってしまった。バッドタイミングだ。これが間が悪くなくて何というのだろう。

 

「でも、見つけなきゃ」

 

 霞澄は、暗い施設群へと目を走らせていた。行方不明者を見落とさないようにと細められる眼差しは真剣そのものだ。いつもの悪戯げな雰囲気などは、微塵も感じられない。

 運転しながらそれを横目で見ていた俺は、目線を前へ戻しつつもふと問うた。

 

「なぁ、霞澄」

「何?」

「お前は……嫌じゃないのか? 御伽装士のお役目は」

 

 気になってしまった。資料を読みながら考えていたこと。怨面に選ばれてしまったが故になることを運命づけられた、彼女たちの運命を。

 聞いてしまった後でしまった、と思った。これから化神に挑むかもしれない彼女に士気を下げるようなことを言うべきではない。

 

「悪い、忘れて――」

「嫌じゃないよ」

 

 霞澄は、探す目を逸らさずに答えた。

 

「全然、嫌じゃない。確かに修行は辛いし、戦いで苦しい思いをすることはある。学校だって休まなきゃいけない日があるし、怪我して痛すぎて泣いた日もある。特に、幼い日はずっと」

「なら、なんで」

 

 思わぬ返答に、俺は止めようとしていたことも忘れて続けた。

 

「こんな、夜になって、普通なら夕飯の話に沸いて家族団欒って時間に、迷子を探して化け物が出るかもしれない町中を駆けずって……お前ぐらいの年頃が、こんなことをする必要は本当はないだろ」

 

 日が完全に落ち、夜の闇は深い。トライユキオロシのライトが照らさなければ、数メートル先も見えない。そんな暗闇の中から突如化神が現われるかもしれないという不安は、常に精神を掻き立てる。

 

「お前が、お前らが本当はしたくないってのなら――」

 

 本当は、その先を口にすべきではない。

 それ以上は、他人が踏み込むには深すぎる。

 でも俺の口は、止まってくれなかった。

 

「――御守衆から連れ出すことだって出来る」

 

 出来ない、ということは無い筈だった。

 旅慣れた俺はいざという時の逃走先や、人目に付かない潜伏場所を用意できる。蓄えもある。御守衆が地域ごとに独立していて、化神がらみ以外では連携が甘いことも学んでいた。

 だから、やろうとすれば、可能だ。彼女たちが、望みさえすれば。

 

 だが、霞澄は、

 

「――行かないよ」

 

 こちらへ目を一切向けずに、そう答える。

 目線は、迷子をずっと探したまま。

 

「だってアタシは、わがままだから」

「え?」

「――見つけた!」

 

 聞き返した瞬間、霞澄は叫んだ。

 言うが否や、ドアを開け放つ。走行中だぞ!?

 

「おい!?」

「あの建物の三階! 人がいる!」

 

 急ブレーキを踏んで立ち止まると、確かに窓辺に人がいた。薄暗くて分かりづらいが、子どものようだ。探していた人物に間違いないだろう。

 止まった車内から飛び出すようにして霞澄は向かう。

 

「連れてくるから、内人はここにいて!」

「……分かった」

 

 確かにトライユキオロシを留守にする訳にはいかない。俺は駆けていく霞澄の背を見送り、静かになった車内でシートにもたれ掛かった。

 

「……わがまま、か」

 

 待っている間、霞澄の答えを反芻する。しかしその意味は見えてこない。

 確かに霞澄の普段はわがままだ。だが、ことお役目に関してはお巫山戯無しの大真面目に見える。それなのに何故、わがままだと答えたのか。

 まぁ、後で聞けばいい。それ程時間も掛からないだろうし。

 と、思っていたのだが。

 

「ん、遅いな?」

 

 低めのビルの三階。そこに行って戻って来るだけならもう帰ってきてもおかしくない時間が過ぎていた。廃墟となった為に中が崩れていたりしても、霞澄の身体能力なら問題は無いはずだが……。

 

「あ……?」

 

 そう思って、ビルを見上げた瞬間。

 一条の光が、外壁を砕いた。

 

 

 

 

 

「……っぅ……」

 

 ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の中で、霞澄は身体の痛みに呻いた。腕の中には、咄嗟に庇った少年がいる。

 

「お、お姉ちゃん……」

 

 心配そうに見上げるその目線に、霞澄は痛みを押して不敵に微笑んだ。

 

「シシッ、大丈夫だよ。それより、今ので塞がっていた階段が崩れた筈だから……一人で、下に行けるよね?」

「う、うん……でも」

 

 優しくそう問いかけると、少年は戸惑いつつもそう頷いた。

 少年はやはり、物珍しさに迷い込んだだけの変哲も無い子どもだった。ただ運が悪かったのは、このビルへ忍び込んだ直後、下に降りる階段が崩れてしまったことだ。

 帰る術を失い途方に暮れ、夜の帳も落ちてしまった。このままでは少年は一人で孤独に、恐ろしく、寂しい思いをしていただろう。そう思えば見つけられたのは不幸中の幸いだ。

 だがそれを更に上回る不運として――化神と、遭遇してしまった。

 

『ハハハハハハッ!!』

 

 目の前で高らかに笑うのは、灯台の姿を模した化神だ。頭を眩いばかりにビカビカと光らせ、狭い室内を、そして奴の攻撃で露出した夜空を照らしている。

 

『人間、人間! 美味ソウナ人間ダ! 景気ヅケニ喰ラワセロ!』

「ひっ……」

「心配、ないから。怯えなくていいから」

 

 少年を無理矢理立ち上がらせ、霞澄は目を合わせる。

 

「君のことは必ず守る。だから自分のことだけを考えて、逃げて」

「でもそしたら、お姉ちゃんが」

「気にしなくてもいいの。それがアタシの、わがままなんだから」

「わがまま……?」

 

 首を傾げる少年に苦笑した霞澄はこれ以上の問答する時間は無いと考え、言葉以外で少年に返した。

 優しく抱きしめた少年のその額に、軽く口づける。

 

「あっ……」

「下まで行ったら、車に乗った人に助けを求めて。追いかけさせは、しないから」

 

 勇気を与えた霞澄はその身体を離して、逃げ道を少年ごと庇い化神に立ち塞がる。

 

「お、お姉ちゃ……」

「行って!」

「! う、うん!」

 

 心配そうにその背を見ていた少年も、鋭い言葉が飛べば弾かれたように出口へ走り出す。それをバケトウダイは、光で追う。

 

『待テ、行カセルト思カ?』

「思わないよ。でも、行かせる。アタシが力尽くで」

 

 余所見をした瞬間に、バレッタを外す。

 

「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」

 

 大きくなった怨面で顔を覆い、途端、赤い雲のような痣が全身を這い回った。

 

「ク、アァァァ……」

 

 少年を庇った時に打った身体の痛みとは違う、内側から侵されるが如き激痛。毒々しき呪いの苦しみを超えた先にだけ、その力はある。

 

「変身!」

 

 色づいた霧を纏い少女は姿を変える。現われるのは、灰色の布鎧を装着した、仮面の戦士。

 

「御伽装士、テンユウ! さあ、天誅よ!」

『グ、ハハハ! 御伽装士カ! ハハハ!」

 

 名乗りを聞いたバケトウダイは、しかして愉快げに笑い声を上げた。テンユウは訝しむ。通常化神は敵対者である御伽装士を目の前にすれば、恐れるか邪魔に思うかなのに。

 

『ハハハハ! 丁度イイ! アイツデハ無イガ……コノ力、試シタイト思ッテイタトコロヨ!』

「アイツ……? そっか、やっぱりアンタが逃げてきた……うっ!?」

 

 このバケトウダイこそが網を張っていた化神だと。そう確信した瞬間に、戦いの火蓋は切られた。

 アニメロボットさながらな円筒状の腕を振り上げ、殴りかかってくる。

 

「っ、くあっ!」

 

 避けようとした。が、背中の痛みに一瞬遅れる。少年を守って打ってしまった背中だ。一瞬ではあるが致命的な遅れに、テンユウはバケトウダイの殴打を真正面から受け止めてしまう。

 

「かはっ!」

 

 崩れた外壁とは逆方向。吹き飛ばされたテンユウは己の身で壁を砕いて隣の部屋へと着弾した。震えながら身を起こしてテンユウは、今し方の攻撃を反芻する。

 

「なんて、怪力……!」

 

 凄まじい腕力だった。化神は人の身では手に負えず、その膂力は大抵の生き物を遥かに超えている。が、その中においても相当なレベルに位置づけられる膂力だ。

 

『ハハハハハ! スコブルイイ!』

 

 相変わらず笑いながら、テンユウを追って壊れた壁を越えるバケトウダイ。迫り来る敵を前にして、テンユウはまず呼吸を整えた。

 

「すぅーっ……ふぅーっ……」

 

 仮面の下でゆっくり息を吸い、吐く。酸素を全身に巡らせるように、深く、深く。

 呼吸術はあらゆることに応じる。集中を高めることにも、痛みを和らげる為にも。

 真剣にならなければ、この敵には勝てない。テンユウは、そう判断した。

 

「すぅーっ……ふぅーっ……!」

『ドウシタ!? 終ワリカ!?』

 

 立ったまま動かないテンユウに向かって、バケトウダイは再び腕を振り上げる。だが今度はテンユウも当たらない。キッチリと見切り、その拳が床を砕くより早く横へ跳んでいた。

 

「はぁっ!」

 

 サイドステップで攻撃を躱したテンユウはそのまま反攻に転じる。鋭い掌底でバケトウダイを打つ。堂の入ったその一撃は、激しい衝突音を響かせた。

 だが。

 

『……ハハハ。何カシタカ?』

「なっ……」

 

 まるで、効いていない。

 コンクリートに似た材質の装甲はテンユウの一撃を物ともしていなかった。本物のコンクリートなら簡単に砕ける筈の拳を受けて、バケトウダイはなお平然としていた。そしてテンユウが呆然としている内に、今度は脚で蹴り上げる。

 

「がはぁっ!!」

 

 重い蹴撃が叩き込まれる。幸いスピードは左程でも無かった為にガードを挟み込む余地はあった。だがそれでは防ぎきれなかった。また吹き飛ばされ、壁に打ち付けられる。

 

「っ、く、はぁ……」

 

 強い。テンユウはそう認める。

 他の御伽装士と戦って弱っている筈という考えは、早々に捨てざるを得なかった。

 

「はぁ、はぁ……アンタ、その力どこで……」

『ククク。オ前ニ答エル義理ハ無イ』

「そう、なら……」

 

 壁から背を離し、テンユウは再び戦闘態勢を取る。

 

「力尽くで聞き出してやる! 退魔道具・浮雲(うきぐも)脚絆(きゃはん)!」

 

 緑の布地、白雲の意匠。螺旋の縄が巻き付いたそれは、霞澄のテンユウ唯一の武器。

 己の意志に従ってどこまでも伸びる縄がしなり、バケトウダイを鞭のように打つ。

 だが。

 

『フン……貧弱ダナ』

 

 通じない。例え神通力が通っていようとも縄は縄。土塁の如く重厚な装甲には傷どころか衝撃も与えられない。

 それでもテンユウは諦めない。

 

「はぁっ!」

 

 今度は死角を狙う。床を這わせ、縄を背後へ回そうとする。

 しかしそれは、流石に見え据えていた。

 

『小癪!』

 

 己の背後へ回ろうとする縄を、バケトウダイは上から踏んづけた。字面から言えばそれだけだが、バケトウダイの体重では押しても引いても動かせない。

 

『自慢ラシキ縄モ、コウシテシマエバ只ノ紐ダナ』

「シシッ! んな訳無いじゃん!」

 

 が、それはテンユウも読んでいた。悪戯げな笑みを仮面の下から零し、意表を突けたことを喜ぶ。

 踏みつけられた縄は、それで無力化されない。その先端から更に伸びた。

 

『ムッ!?』

「アタシの脚絆は変幻自在! どこまでも伸びるし、どこからでも伸びる!」

 

 伸びた縄はバケトウダイの背後へ回り込み、その背中を鞭打った。鳴り響く破裂音。

 

『ムグッ!』

 

 背を打たれたバケトウダイからくぐもった呻きが漏れる。その反応を見て、テンユウは目線を鋭くした。

 だがテンユウが何かするよりも早く、バケトウダイの逆撃が迫る。

 

『小娘ガ! ヌゥン!』

「! う、うわっ!?」

 

 意表を突かれたことに怒ったバケトウダイは踏んでいた縄を掴み上げ、思い切り振り回した。即ちその先端にある、テンユウまでも。

 

『ムゥン!』

「う、ぐっ……目が回る……!」

 

 浮雲の脚絆の縄はテンユウの意思によって伸ばすことが可能だが、それは神通力を操って流し込めばこそ。戦闘中に素早く行えるよう霞澄も訓練を積んではいるが――。

 

「おぼぇ……気持ち悪っ……」

 

 とてもじゃないが、この状況では上手くいかない。

 ぐるんぐるんと縄投げように大回転させられて、回り、回り、回り――そして、放り投げられる。

 

『ソォイ!』

「うわぁーっ!」

 

 投げられた先は、壁の穴。そこは隣の部屋に繋がっていて、更にその先の外壁も崩れている。

 即ち外。夜空の中に、テンユウの身体は投げ出される。

 ビルは三階の高さ。人間を超えた御伽装士なら落下死する程ではないが、それでも強かな痛痒は受ける。テンユウの軽そうな装甲なら、なおさら。

 バケトウダイの視界からテンユウの姿が、消える。

 

『ハハハ! 潰レルガイイ!』

 

 バケトウダイは高らかに笑い、戦果を確認するために穴へと近づいていく。墜落し動けなくなっているところに、更に追い打ちをかけてやる腹づもりで。

 

『ドレドレ……ムッ?』

 

 そして下を覗き込んだ瞬間。

 首元に、緑の縄が巻き付く。

 

『ヌオッ!?』

「シシッ! 正直アンタのこと好きになってきたよ。こんなあっさり引っかかるんだからさ!」

 

 それは穴のすぐ下の壁に垂直に立つ、テンユウから伸ばされた縄だった。

 

「命綱を持って落ちる奴なんていないよ!」

 

 回転から解放されさえすればテンユウはいくらでも縄を操れるのだ。ならばそれを壁のどこぞに引っ掛けさえすれば、落下は免れる。そしてそれを、騙し討ちに利用しただけの単純な話。

 だから落ちる訳がない。しかしそう言いながらもテンユウは、わざとらしく小首を傾げた。

 

「でもあえて落ちてみるのもアリかな?」

『何ッ……?』

「サービスで、アンタと一緒にね!」

 

 パッと、テンユウは壁から足を離す。ついでに突き出た鉄筋に巻き付いた、彼女の命を救った縄も解く。そうなればテンユウの体重を支えるのは、ただ一本。

 

『ヌオオォッ!?』

 

 バケトウダイの首に巻き付いた縄だけ。

 自らの体重を利用し、テンユウは己ごと地上へと引き込む。

 体重差は遥かにバケトウダイが有利。しかし位置エネルギーを利用した落下の力が加わり、テンユウが僅かに勝る。

 グイと引っ張られ、バケトウダイはビルから中へ投げ出される。

 

『馬鹿ナ、自分ゴト――!』

「まぁ当然、ぺしゃんこになる気は無いよ!」

 

 落ちながらテンユウは縄を解き、バケトウダイの身体を蹴って離脱した。これであの重い身体の下敷きになることは無い。しかしかといって、落下の運命から逃れられた訳では無い。

 このままダメージ覚悟で地面へと落ちるのか――否。

 テンユウは呼ぶ。

 

「内人!」

 

 ライトが瞬いた。

 タイヤが回転する走行音。悲鳴のようなブレーキ。何かに振り回されるようにスリップして停止する車体。

 紛れもなく内人の駆るトライユキオロシ。

 

「霞澄!」

「そのまま!」

 

 叫び、僅かに体勢を逸らす。

 そして受け身を取るように背を下にして――テンユウはボンネットの上に落下した。

 バガン! という大きい音。少し遠方で、鈍い大音量。

 

「いっ! ってて……」

「大丈夫か!?」

 

 目の前へ落下してきたテンユウへと窓から顔を出した内人が問いかける。

 背中を押さえつつ、テンユウはサムズアップしてみせた。

 

「へ、平気……地面に落ちるよりは……」

「ったく、無茶をする」

 

 

 ※

 

 

 思ったよりは元気そうな様子を見て俺は安堵の息を吐いた。

 ビルの上が砕けた時は何事かと思った。そしてどうするべきか悩んだ。化神退治に関して俺はまだまだ新人。迂闊な判断は霞澄を危険に晒してしまう。だがこのまま指示通り待機すべきか、トライユキオロシを置いて駆けつけるべきかと考えていたところに、泣きながら少年が降りてきた。

 事情を察した俺は少年を安全な場所へ運び、そして支援すべく戻ってきた。そんな折りに飛び出してきたテンユウを見て咄嗟に落下地点へ滑り込んだが、それで正解だったようだ。

 

「こっちが寿命削れるぜ……」

「それより、あの子は?」

「あぁ、大丈夫だ」

 

 少年のことだろう。心配そうな声音で問いかけてくるテンユウを安心させるように答える。

 

「平装士の元へ預けてきた。もう安全だろうよ」

 

 ついでに要領は得ないものの化神らしき情報も受け取った。今頃は全体に伝わっているだろう。

 

「そっか、よかった……」

 

 心底安心したように呟くテンユウ。だが身に纏った気配が不意に引き締まる。

 その視線の先に目を映せば、墜落した化神の姿。テンユウと違い地面に直接追突した無機質な化け物は、なんと起き上がろうと呻いていた。

 

『グ、ヌゥゥ……』

「あの図体で無事なのかよ……相変わらず化神は規格外だな」

「だね。でもそれは、こっちも同じ」

 

 ボンネットの上から飛び降りるテンユウ。灰色の布鎧に覆われたその背中は決して綺麗とは言えず、戦塵に塗れている。身に負ったダメージも、少なくない筈だ。

 

「やれるのか?」

「愚問だね」

 

 両脚に繋がった縄を蛇のようにくねらせ、テンユウは背を向けたまま答えた。

 

「『テンユウ』は、絶対負けないのさ」

 

 そう言ってテンユウは、起き上がった化神――バケトウダイと改めて対峙する。

 

「シシッ、落下体験ツアーの感想はいかが?」

『ヌゥ……御伽装士メ……悉クコノ俺ヲ虚仮ニシヤガッテ……』

「それはアタシだけ? それとも川緑のおっちゃんも? まぁどっちにしろ……」

 

 テンユウはふっと息を吐く。短い付き合いでも背中越しでも分かる、不敵な笑みを浮かべているであろう気配を滲ませて。

 

「アンタはここで、終わりだけどさ!」

 

 タン、地を蹴る。その踏み込みはトライユキオロシをクッションとしたとはいえ高度から落ちてきたとは思えない程鋭く、一息でバケトウダイの至近距離へと迫る。

 

『馬鹿メ! 接近戦デ敵ウモノカァ!』

 

 自ら近づいて来たテンユウへ、バケトウダイは土管のように太い腕を振り上げた。見ただけで相当な重量を感じる。確かにあれだけの剛腕があるのなら、接近戦は不利だと考えてしまう。

 だがテンユウはそれに一切臆すること無く、姿勢を低くした。

 

『ムッ!?』

 

 そのまま腕が振り下ろされるより、速く。

 地面に擦れる寸前まで身を屈めたテンユウは、そのままバケトウダイの、股を間をすり抜ける。

 

『何ダト!?』

「はぁっ!」

 

 そうして背後に回ったテンユウは、撥条のように跳ね上がる。そして喰らわせるのは、強烈な蹴り。

 

『ガハッ!』

 

 背中を襲う衝撃にバケトウダイは揺らぎ、たたらを踏む。それを見て俺は違和感を持った。正面から見るバケトウダイの装甲は見るからに重厚で、ちょっとやそっとの攻撃でダメージを受けるようには見えない。いくらテンユウの蹴りが重くとも、そう簡単に衝撃が通るのか……と、意外に思った。

 

「シシッ! 思った通り、背中の装甲は薄いね!」

 

 一方でテンユウは、してやったりといつも通りの笑い声を漏らす。それを聞いて俺の疑問は晴れた。成程、正面の装甲は分厚くとも、背中側は幾分か薄いのか。

 

『チィッ、気付イタカッ』

「化神より、化かし合いは好きだからね!」

『チョコマカト小五月蠅イ奴メ!』

「引っかかる方が悪いのさ!」

 

 バケトウダイとのやり取りを見るに、ビルの上でもこんな人を食ったような戦術を重ねていたのだろう。

 それを見た俺は確信した。これが、霞澄が変身するテンユウのスタイルなのだ。

 霞澄の使える退魔道具は、言ってしまえば攻撃力が低い。日依の見るからに鋭い両面大鎌や、水を操れる静久の癒鈴と比べて重い一撃に欠ける。鞭のような攻撃だって、あれだけの装甲には歯が立たなかっただろう。

 だが霞澄は、諦めない。例え攻撃が大して通用せずとも、やれることがあるのだから。

 意表を突き、騙し、翻弄し、弱点を探る――か細い勝利への道筋を何としても手繰り寄せる。それが、霞澄のスタイルなのだ。

 

 それから何度もテンユウはバケトウダイに纏わり付いては、背中側に回って痛打を重ねた。攻撃は絶対に受けない。あの重すぎる一打を既に負傷したテンユウが喰らえば一撃で決着が付きかねない。だから避ける。避けて、距離を取り、また纏わるように滑り込んでは、いつの間にか背中に。一歩間違えば致命傷を負うその攻防を、テンユウはこともなげに、何度も繰り返す。

 諦めない。蟻の一穴であっても、それを勝つまで何度でも突いてみせると言わんばかりに。

 

『ガアアアッ! 鬱陶シイ!』

 

 そして我慢の限界を迎えたバケトウダイが吠える。何度か立ち位置を入れ替えていたおかげで俺にも背中側の様子が見えたのだが、もう背中の装甲はかなり罅割れていた。後何度かで、破壊できそうだ。

 それをやらせる訳にはいかないと奮起したのか、あるいは攻撃が当たらないことに辛抱が尽きたのか――とにかくバケトウダイはぶち切れた。

 

『ナラバコノ力ヲ! オオオォォッ!!』

「っ、それはっ!」

 

 叫ぶバケトウダイの輝く頭。その光が強まり始める。煌々と増していくその光に見覚えがあるのか、テンユウは焦ったように零す。

 

『喰ラエッ!』

 

 そしてその光が最大限に漲った瞬間、夜が裂けた。

 バケトウダイの灯台を模した頭から発射された、レーザー光線によって。

 

「くああっ!」

 

 何をするか気付いていたテンユウは発射寸前に身を捻ることでその射線上から脱出することに成功した。しかしレーザーが瞬間的に空気を熱したのか、巻き起こった暴風に身体を取られ転倒する。

 だがそれで済んだのは幸運なのだと、俺はレーザーに貫かれた跡地を見て息を呑んだ。

 

「……なんつー威力だ」

 

 光が晴れて見えたレーザーの直線上。そこにあった物は全て溶け落ちていた。鉱山で採れた鉱石を運ぶトロッコや廃棄されたベルトコンベアの残骸などはマグマの如くドロドロで、更にその奥の建物の壁まで真っ直ぐ貫かれている。鉄すら形を無くすその威力を浴びたら、人がどうなるかなど考えたくも無い。加えて、その射程距離も目を瞠る物がある。何せレーザーの被害にあった建物までは、優に100メートルはあるのだ。

 

「そうか、最初に見たあの光はコレだったのか」

 

 思い至る。ビルの壁を破壊した光線を。テンユウも見覚えがある筈だ。

 そのおかげでどうにか躱すことが出来たが、受けたら終わりという恐ろしさは変わりない。俺は冷や汗を流した。仮面で見えないが、多分テンユウも。

 

『クッ……ハハハハッ! スゴイッ、素晴ラシイゾッ! ココマデ強化サレテイルトハッ!』

 

 バケトウダイすら感嘆の声を上げているのは分からないが、とにかく凄まじいことは分かった。アレを乱発させてはいけない。

 

「霞澄!」

「分かってる!」

 

 この場にはまだ平装士や、保護した少年がいる。巻き込まれないよう安全な場所にいる筈だが、あの射程ではどうなるか分からない。アレを遠くへ打たせてはいけない。テンユウも分かっているようだ。

 二発目を封じる為、テンユウは跳んだ。さっさと背中を破壊して決着をつける為に。

 当然、そんな見え据えた狙いをバケトウダイも見透かしている。

 

『光ニ消エロォォ!』

「っ!」

 

 再び放たれる光線。凶悪な威力の籠められたそれはテンユウのすぐ近くを通過し背後を灼いた。給水タンクの乗った鉄塔が両断され崩れ落ちる。轟音が、一帯を揺らした。

 

「っ、近づけない……!」

 

 まず間違いなく致死の光線。それを受けないように躱せば、バケトウダイから却って遠ざかってしまう。

 

『ハハハ! マダマダァッ!』

 

 バケトウダイの攻勢はそれで緩まない。

 放たれる。さっきまでの戦場であったビルが崩落した。

 放たれる。地面を灼き、マグマのように赤熱化した惨い線が残された。

 放たれる。天を切り裂いたそれは、束の間夜にすら打ち勝ったように見えた。

 

 尽きない。あれだけの威力の攻撃を幾度も繰り返すバケトウダイはまるで無尽蔵だ。

 

「これじゃキリが……!」

 

 そうテンユウが呟くのも無理はない。くそっ、後もう少しなのに。背中がひび割れているのは、もうこちらからは見えて――、

 

「……!」

 

 ……あぁ、もう。

 思いついちまったら、行くしかないな!

 

『ハハハッ! イツマデ逃ゲツヅケル!』

「くぅっ」

 

 バケトウダイはテンユウに夢中だ。必死に逃げ続けるテンユウはどうにか避け続けてはいるが、それも次第に追いつかれつつあった。レーザーの標準が徐々に正確になり、少し掠るようになってきている。バケトウダイの集中が、高まってきている証拠。

 だから、気付かない。

 後ろでエンジンを昂ぶらせる存在には。

 

「いっ……けぇぇ!」

 

 思い切りアクセルを踏み込む。弾かれたように走り出した車体は真っ直ぐに――バケトウダイの、背中に頭から突っ込んだ。

 

『ハハハ、ソロソロトドメダ、御伽――ガアァッ!?』

 

 不意の衝突に揺さぶられて、バケトウダイの照準は大きくブレた。テンユウを狙っていたレーザーは全く見当違いの場所を裂いて終わる。

 

「内人!?」

 

 あらぬ場所を通過したレーザーと、そして俺の現状に目を丸くしたであろうテンユウの声が響く。まぁ驚くだろう。いつもとは逆だな。

 

「何してるの!?」

「見て分かんだろ!」

 

 アクセルを全力で踏みしめる。衝突して、しかしバケトウダイは倒れても吹き飛ばされてもいなかった。まるで巨木に車体を押しつけているように、ビクともせず立ったままだ。どんだけのパワーだよ!

 それでも容易に弾き返す程ではないようで、苦しげな声がバケトウダイから漏れる。

 

『キサ、マ、人間ノ分際デッ!』

「悪いな。車ってのは人間の中でもトップクラスに危険な凶器なのさ」

 

 そうは言いつつも、あまり効いてはいないようだ。トライユキオロシは御守衆謹製なだけあってかなり硬いし馬力もあるが、やはり化神を圧倒できる程ではないらしい。それが出来れば御伽装士は要らないものな。

 

『ヌ、オオオッ!』

「っ、マジかよ」

 

 しかも、バケトウダイはギャリギャリ車を押しつけられながらも振り返って、トライユキオロシを掴んで押し返し始めたではないか。まだ拮抗しているが、それが崩れたらぶん投げられたりされそうだ。

 くそっ、駄目だ。俺じゃ到底トドメまでいけない。

 

『ハハハハ! 人間風情ガ粋ガルナッ!』

「畜生! やっぱ駄目か! やはり化神を相手にするなら――」

『ソウダ、化神ヲ相手取レルノハ――ハッ!』

 

 バケトウダイが気付いたように声を上げる。だが、もう遅い。

 その身体には、緑の縄がピシリと巻き付いたのだから。

 

『コ、コレハッ!』

 

 それは、引っ張って俺を助けようとする物ではない。バケトウダイの動きを封じる物でもない。

 ただ、狙いをつける為の物だ。

 

「どっちが無茶なんだか……!」

 

 呆れた声が、高いところから聞こえる。既に飛び上がったテンユウの足先には、当然緑の縄が繋がって。

 今、ピンと張る。

 

「オン・ルドラ・ラン・ソワカ――」

 

 涼やかな夜に響き渡るは、始まりにして終わりへ続く言葉。

 

「退魔覆滅技法――暗雲一破!」

 

 後は、落ちるだけ。

 縄に導かれるまま、テンユウの蹴りはバケトウダイの背、もはやボロボロで用を為していない装甲へと突き刺さる。

 

『ガッ! ココデコンナッ!』

「はあああああっっ!!」

 

 耐えようとするバケトウダイへ、裂帛の気合いと共にねじ込む。そして――。

 

『グ、ガッ』

 

 バキリ、バキリと。

 バケトウダイの身体はみるみる砕けて。

 

『コンナ……トコロデェェェェッ!!!』

 

 爆発。

 間近で炸裂した炎がトライユキオロシを襲う。かなり大きく揺れて車体も止まってしまったが、それでも流石の装甲で俺には傷一つ無く。

 

「ふぅ――天誅、完了!」

 

 そして着地したテンユウも、疲れてはいても無事で。

 

 つまりは、大勝利で終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、はい。そのまま記憶消しを掛けて親元に……はい、了解。じゃあそういうことで。……ふぅ」

 

 平装士から掛かってきた通話を切り、俺は大きく溜息をついた。

 帰り道をトライユキオロシで走っている。空の色は深夜の黒。普段ならもうとっくに寝ている時間。疲れを感じない筈も無い。

 

「あの子、無事家に帰れるってさ」

 

 俺は隣の席に座る霞澄にそう告げた。既に応急処置を終えて身体のあちこちに絆創膏を貼られた少女は、しかし嬉しそうに頷いた。

 

「うん、よかった」

「あぁ……だけど、いいのか?」

「ん?」

 

 少し気になって、俺は問う。

 

「記憶が消されるってことは、お前のことも忘れるんだろ? 命の恩人なのに」

 

 消さなきゃいけないのは分かる。化神は負の情念から生まれる……つまり化神への恐怖はそのまま新たな化神を生み出す土壌になり得る。だから巻き込まれた一般人の記憶を消して普通の生活へ戻すのは道理に適っていることだ。

 けどそれでも、折角助けたのに無かったことになってしまうのは……徒労に思えてしまうのでは無いかと。少し心配になった。

 

「そうだね。ちょっと寂しいけど……」

 

 そう言って霞澄は窓の外を眺める。昏い昏い、車もほとんど走っていない夜の道。人知れない道行きは、御伽装士の生き様そのものにも見えて。まるで分厚い浮雲の中を進んでいるかのように、不安になる。

 それでも霞澄は。

 

「でも無事なら、それでいいや」

 

 そう言って心からの笑顔を、霞澄は屈託なく浮かべた。

 ……コイツは、本当にそう思えるんだな。

 

「そうか。……あぁ、そういやさ」

 

 気になったついでにもう一つ訊く。

 

「わがままって、どういう意味だ?」

「え?」

「戦う理由だよ」

 

 子どもを助けに行く前、言いかけていたこと。それの意味がどうにか気になって、俺は問いかける。

 

「あぁ、それね……まぁ、大したことじゃないんだけど」

 

 そう前置いて、霞澄は。

 

「だってさ、全部助けたいじゃん」

 

 何のこともなさそうに、そう答えた。

 

「……それだけか?」

「それだけ。アタシの知らない場所で誰かが死ぬのって嫌だし。御守衆だって身内だから、そっちも助けたいし」

 

 その答えは、何処までも純粋に澄み渡っていた。

 

「なんかさー、ほらアレってあるじゃん。崖に掴まっている人どっちかしか助けられないシリーズ」

「あぁ、よくあるな」

「あーいうの嫌いなんだよね。目に入っちゃったら、耳に聞こえちゃったら、どっちも助けないと気が悪いじゃん」

「そういうもんか」

「そういうもんだよ」

 

 そう言って俺と霞澄は横目同士で視線を合わせ、どちらともなく噴きだした。

 

「ぷっ。ふふ、まぁそれだけだよ」

「ふっ、なるほどなぁ」

 

 コイツは、霞澄は本当にそれだけなんだ。

 よく悪戯しては俺を驚かせる。御守衆にだって色々言って困らせる。だけど人が死ぬのは見過ごせない。

 それを全部引っくるめて、ただのわがままなんだ。霞澄にとっては。

 

「ふぁぁ……眠くなってきちゃった」

「なら寝ていいぞ。途中で静久を回収するから遅くなるし」

「ん……じゃあ部屋まで運んでね……」

「いやそこまでは請け負えな……もー寝やがった」

 

 夜は昏く、静かで、恐ろしい。

 けど空気は、何処までも澄んでいた。

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