仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ   作:春風れっさー

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第四片 旱天の日の下で、依り添うこころ

 空は雲一つ無く、この上ない快晴。翳りの無い澄み切った陽射しは青く降り注ぎ、地上にある物を分け隔て無く照らしている。気分まで晴れるような青空。

 そんなお天道様の下に、鈍い打擲音が鳴り響いていた。

 

「はぁっ! せいっ!」

「ぐっ、くぅっ!」

 

 脚を削る目的のローキック。からの腹部を狙った鋭い打撃。元より身長差のあるお互い、狙える場所は限られる。予想通りに振り抜かれた少女の拳を交差させた腕で防ぎ、走る鈍い痛みに呻きを漏らす。

 

「く、このっ!」

 

 加減なんて出来ない。俺は全力で左脚を跳ね上げた。ミドルキック。位置取りからして、少女の肩口を捉える筈の一撃。

 しかし俺が予測できたということは、相手も予想可能ということ。少女は低きからしか狙えず、翻って俺の攻撃はどうしても上半身に吸い込まれる。

 少女は迫る脚を、潜るようにして躱した。

 

「なっ、がぁっ!?」

 

 そして俺を支える一本きりの軸足を流麗な大内刈りで払い、すっ転ばせる。ゴロゴロと派手に転がって、俺は土に塗れながら仰向けになった。見上げた青空が眼に眩しい。

 

「はぁ……ぐぇっ」

「私の勝ちね」

 

 最後に俺の胸元を踏んづけての宣言。それで俺と少女――日依の手合わせは終わった。勿論、俺の敗北で。

 

「……参ったよ。ったく、少しは手加減してくれ」

「そんな言い訳が化神相手に通じる訳無いでしょ」

「分かってるけどさぁ」

 

 日依の素足をタップしてどかし、俺はよく慣らされた土に手を突き体を起こす。ここは屋外の修練場。御伽装士や平装士が鍛錬を積むために解放されている高天原邸の一角だった。

 

「ってて」

 

 立ち上がると節々が痛む。殴られたり転んだりして出来た打身と、激しい運動による関節に軋みの所為だ。道着の上からあちこちを擦る俺を見て、日依は眉を顰めた。

 

「嫌ならやんなくても良いんじゃ無いの? どうせトライユキオロシに隠れてれば戦わなくて済むんだし」

「それとこれとは話が別だろ。戦車兵だって格闘訓練は積むに決まってる」

 

 近くに置いていたタオルを拾って額を拭う。うわ真っ黒。そんだけ転がされてたってことか。

 

「はぁ……だけど、キツいのは確かだな。お前らいつもこんな荒行みたいなことしてんのか?」

「土日はね。平日は学校もあるし程々だけど……化神相手にはどんなに鍛錬を積んでも不足だから」

 

 道着姿の日依が腰に手を当て嘆息する。確かに、化神という人外相手には必要かも知れないが……それにしたってキツ過ぎる。これで連続五十本目だぞこの組み手。しかも全部負けてるし。

 

「お前は疲れてないのかよ。病み上がりだろ、一応」

「ご心配なく。あのくらいの怪我はしょっちゅうだし、ブランクを作る程でもないわ」

「マジかよすげぇな……」

「おーい!」

 

 首筋に汗を浮かべながらもまだまだ涼しげな顔をしている日依に俺が驚いていると声が響いた。そちらを向けば、縁側に座る霞澄が手を振っていた。隣には静久もいる。

 

「そろそろ休憩にしよーよ! もうお昼ご飯の時間だよー!」

「げ、もうそんなか。どっと疲れが湧いてきたな」

「気のせいでしょ。ほら行くよ」

 

 背中を押され、二人の元へ赴く。青空には日曜日に相応しい、燦々と照りつける太陽が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 俺は付き人として、三つ子の鍛錬に混ぜてもらっていた。

 御伽装士として日々戦うには鍛錬が欠かせない。例え怨面の力で超人的な力を得られたとしても、技術にまで磨きが掛かる訳じゃない。体術に歩法。武器の扱いは装士本人に覚えが無くてはならない。

 だから三つ子も、常日頃鍛錬を積んでいた。流石に学業のある平日は鈍らない程度にだが、その分学校が休みの土日にはミッチリ修行を詰め込んでいる。その中に、俺も入れてもらっている。

 

「はぁ~……生き返る」

 

 日除けの下でペットボトルの水を流し込んだ俺の溜息を聞いて隣の霞澄が苦笑する。

 

「大袈裟だなー」

「いや大袈裟じゃないだろ。そんだけキツいぞ、これ」

 

 流石御伽装士の鍛錬。並大抵じゃない練習量だ。早朝から正午の今までほとんど休憩が無かった。身体のあちこちが悲鳴を上げている。

 

「だからやんなくても良いって言ってるのに」

 

 日依の呆れた声。しかしそれには反論する。

 

「いやせめて、平装士並みにはやらないとな。足を引っ張ることになるかもしれないし」

 

 俺がそんな厳しい訓練に混ざり込んでいるのは、素人なりに最低限の能力は身につける為だ。本来御伽装士をサポートする平装士……そのポジションを外様である俺が奪い取っているのだから、せめて同じだけの働きはしないといけない。そしてまだ御守衆の一員になって日の浅い俺が追いつくには、それに足る荒行を科さなくてはならなかった。それがつまり、戦闘の最前線に立つ御伽装士相当の厳しい鍛錬だ。

 まぁ、当然、全然キツい訳だが。

 

「でも結構やれてるよね~。なんか武道とかやってたの?」

「護身術を習ってたな。後は喧嘩。旅の道中なんかではしょっちゅう殴り合ったし」

「あー、だからか。妙に立ち回りがガチっぽいの」

 

 そう納得する霞澄の傍らには皿に盛られた握り飯が山になっていた。それも一つだけじゃない。日依、静久それぞれに。

 今日の昼飯は俺が用意いたんじゃないけど……一体何合炊いたんだろうな。あるいは何俵、かな……。

 流石に同じだけは食えない俺用の小皿から一つ手に取り、ラップを剥いで口に含む。あぁ、美味い。ほのかな塩分が疲れた身体に優しく染み込むようだ。

 しみじみと噛み締める俺を尻目に、三つ子はバクバク喰らいながら世間話に興じていた。

 

「そう言えば聞いた~?」

「え、何?」

「川緑さん、引退するんだって~」

「え、川緑のおっちゃんが!?」

 

 静久の出した話題に霞澄が驚愕の表情を浮かべる。最近気付いたが、コイツは人を驚かせたがるが自分もまぁまぁリアクションが大きいタイプなんだよな。

 

「マジか~……それってやっぱ、この前バケトウダイを逃がしたから?」

「ううん。違うみたい。『俺にもヤキが回った』って言ってたらしいから、それも具体的な引退日を決めた一因ではあるんだろうけど~……一番はコ・レ」

 

 そう言って静久は小指を一本立ててみせる。

 

「え、何?」

「鈍いな~。彼女だよ、カ・ノ・ジョ♡」

「ぶっ!?」

 

 日依が噴き出す。うわきったな。米粒が2メートルは飛んだぞ。

 

「げほっ、げほっ!」

「大丈夫? ……でもそれ、ホントに? 川緑のおっちゃん、確か四十超えてたよね!?」

「ホントだよ~。しかも~、お相手は二十歳下の若奥様!」

「うっそー!」

 

 キャアキャアと黄色い声を上げる二人。一方で俺に介抱されて水を飲んだ日依は、顔を真っ赤にして混乱していた。

 

「か、か、彼女って……御伽装士なのに!」

「え~? 御伽装士だって恋愛したっていいよね~?」

「ねー! それにしても年の差かー。馴れ初め聞きたいなー」

「だよね~。引退式に出られないか、お爺さまに相談してみよ~」

「いいねー! してみよしてみよー!」

 

 手を取り合って楽しげに話し合う霞澄と静久。楽しそうだ。やはり恋バナに騒ぐのは全世界どんな業界の婦女子にも共通するものらしい。そして、初心な子がいるのも。

 

「う、う、う~」

「……大丈夫か?」

 

 先程まで少量の汗しか掻いていなかった日依の顔は面白いくらいに赤く染まっていた。目には薄ら涙を浮かべている。食べかけのおにぎりを握る手は力んで震え、米はぐにゃっと哀れに潰されていた。

 ……ここまで耐性が無いのも、珍しいか。

 

「苦手なのか? その……恋愛とか」

「う、そんなこと、無い、はず……」

 

 否定しようとする言葉は尻すぼみになって消える。俺相手にすら厳しく出られないのなら、これは本当に重傷だな。

 

「なんか、トラウマでも?」

 

 俺は霞澄に問う。女子のリアクションには流石に乏しい俺は、この反応には失恋とかそういう過去があるのかと思ったのだ。米粒を頬にくっつけた長女は、しかし首を横に振った。

 

「いやいや。アタシたちはみんな綺麗な身体ですよ? 流石にね?」

 

 しようにも暇が無い、と肩を竦める。そりゃそうか。学業だってままならないのにな。

 

「そ~そ~。憧れるのにね~……で、も」

 

 塩加減が足りないとぼやきながらもモリモリおにぎりを平らげていく静久は、意味ありげな眼差しを日依へ向けた。

 

「一番憧れているのは~……日依ちゃんかも~」

「ちょ、静久!」

「あー、そういう?」

 

 慌てて遮ろうとする日依には悪いが、俺も察した。

 

「恋に恋する乙女って訳か」

 

 つまり一番興味があるからこそ、赤くなってしまうということか。まったく、可愛いところがあるじゃないか。さっき俺をボコボコにしたのと同一人物だとは思えない。

 そんな風に考えていることを隠さずニヤニヤ見つめる。しかし二人とは違い俺にそれを許す理由は無かったようで。

 

「~~~っ! 笑うなっ!」

「っっっい!? てぇーーっ!?」

 

 鍛えられた勢いで臑を蹴り上げられ、俺の悲鳴は青空へと吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして夕暮れ。多くの人々にとってはようやく休める憩いの時刻も、御伽装士にとっては本業の時間だ。

 化神という存在を事前に潰すことは難しい。奴らは成体へと成長するまでは細々とした悪事を繰り返し穢れをその身に蓄える。その際の悪事は大抵怪現象として噂になるのだが、逆に言えば噂レベルでしか上がってこない。なので気付いた時には化神は成長しきっていて、結局は御伽装士の出番になる……というのが常なるパターンだ。

 しかしかといって、事前に対処できるならそれに越したことは無い。なのでそういった怪奇現象の調査も御守衆の大事な業務の一環だ。

 

「まるでオカルト倶楽部の一員になったみたいだぜ」

「無駄口叩くなら運転に集中して」

「へいへい」

 

 そんな噂話を追って、俺はトライユキオロシで夕暮れの街を走っていた。助手席に座るのは日依だ。他二人は、屋敷で待機している。

 俺は夕焼けに染まる街を流しながら、日依と他愛の無い話を繰り広げていた。

 

「……なんでよりによって今日なのかしら」

「んだよ。昼のことまだ根に持ってんのか?」

「当たり前でしょ。あんな恥ずかしい……絶対許さないから」

「意外と根に持つんだな……」

 

 そんなに嫌だったのだろうか。お年頃ならおかしくも無いことだと思うのだが。

 しかし向こうから触れられたくないと言われている以上踏み込めない。仕方なく、俺は話題を転換した。

 

「でさ。今調べてる話ってなんだっけ」

「忘れたの?」

 

 不機嫌な所為か心なしいつも以上に刺々しい態度で溜息を吐く日依。だが俺が何を調べるか分からなければ調査が長引くと考えたからか、唇を尖らせつつも教えてくれた。

 

「私たちが調べるのは謎の音よ。水場から聞こえてくる不気味な音」

「あぁ、そうだった」

 

 言われて俺も思い出す。

 曰く、最近不気味な音が聞こえるらしい。夜の刻、自分以外の気配が無い中で響く、『ボ、ボ、ボ』というくぐもった音。振り返っても誰もいない。そんな音がするような物も無い。それなのに何故か鳴り止まない『ボ、ボ、ボ』という音。しかもそれが決まって水場で鳴り響くのなら、それは怪談といって差し支えないだろう。

 

「気味が悪いよな。でも、これがどういう悪事に繋がるんだ?」

 

 確かにまぁ、不気味だ。だがそれ以上では無い。誰かが傷つくことも、死んだという話も聞かない。ノイローゼ気味になったという話なら聞くが、その程度だ。むしろ怪談マニアなどは嬉々としてすらいる。悪意なのかと聞かれると疑問が残った。

 

「分からないわよ。化神のやることなんて。人間にだって、意味分かんない変態がいるんだから」

「それもそうか」

 

 肩を竦めてそう言う日依の言葉に納得してしまう。化神のメカニズムが完全に解析できているのなら御伽装士の仕事ももっと楽だろうしな。

 

「っと、ここだ。止めて」

「ん、おお」

 

 日依に肩を叩かれ俺は静かにブレーキを踏み、路肩にトライユキオロシを停めた。ドアを開けて降車したのは児童公園だ。もう空の色が真っ赤に染まっている時刻だからか、子どもたちの遊ぶ姿は見えない。

 俺たちはその一角へと向かった。

 

「ここね。噂にあったのは」

「公園の水場と言えば、これかトイレだもんな」

 

 そこにあったのは水飲み場だ。四角い石像に二つの蛇口がついており、上で水を飲み、横で手を洗えるどこにでもあるような代物。

 ここで最近、例の音があったという。

 

「今は……しないな」

「そうね。時間的には、今ぐらい。たまたま遅くまで遊んでいた子どもが聞いたって話だけど……」

 

 耳を澄ませてみるがそれらしい音は聞こえない。日依がスマホをチェックするが、合っているらしい。つまり、空振りか。

 

「待つか? それともちゃっちゃと次行くか?」

「……うん。候補は他にもあるみたいだし……」

 

 日依は持ったままのスマホをタップし地図の画像を開く。そこには音を聞いたと噂があった場所がマーキングされていた。その範囲は……広い。この街全体に至っていると言っても過言では無かった。一日で回るには、どう考えても足りない量だ。

 それを覗き込んで俺は溜息をつく。

 

「こりゃ今日中には無理だな」

「だね……でも、出来るだけはしないと」

「よし、次行こう。出来るだけ多く周りながら、出来なかった分は明日に回す。それでいいな?」

「うん。……あ、でも車」

「ん?」

「長く運転させちゃうけど、大丈夫?」

 

 その言葉に俺は目を丸くした。気遣いか? さっきまでの態度とは大違いに見えて驚いてしまう。

 

「……何よ」

 

 俺の怪訝な瞳に気付いてか、日依の眼が不機嫌そうに細まる。俺は慌てて取り繕った。

 

「あ、あぁ。いや平気だ。運転にも慣れてきたからな。もうペーパーは卒業だ」

「そ。なら事故する心配は無いわね」

 

 ふいと顔を逸らし日依は公園の出口へと向かう。

 

「行くわよ。遅いとすぐ夜になるから」

「了解了解」

 

 俺は日依の言葉に頷き、トライユキオロシへと早足で戻った。

 

 ……その背後で小さく鳴った、音には気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「外ればっかだな……」

「こんなものよ。こういう調査って」

 

 あの後三箇所を巡って全て外れだった俺は、ハンドルを握りながら愚痴をこぼしていた。空の色は茜色を通り過ぎて紫になっている。

 

「午前中鍛錬して、昼下がりは休憩したにしても、日が暮れるまで、というか暮れた後も調査……ホント、御守衆ってハードスケジュールだよなぁ」

「嫌なら辞めてもいいんじゃない?」

 

 にべもなくそう切り捨てる日依。いやいや、こっちにもそうはいかない事情があるから。

 

「そしたら記憶消されちまうんだろ?」

「まぁ御守衆を引退する人が全員そうって訳じゃ無いけど……アンタの日の浅さなら、そうね」

「それじゃ困る」

「どうして?」

 

 コテン、と日依は首を傾げた。まぁ、事情を知らなければ不思議に思うか。普通はこんな訳の分からない仕事をしていた記憶なんて惜しくは無い。辞められた上に辛かった記憶も消してもらえるならむしろ万々歳だろう。

 だけど、今は。

 

「……事情があるのさ。こっちにもね」

 

 流れる景色を軽く見やる。街中では比較的太い道路沿いの歩道には、多くの人が行き交っていた。これから家に帰るサラリーマン。友人とクレープを持ち寄る女子高生たち。鞄を持った子どもは塾へ行く途中だろうか?

 その中でほとんど無意識に追うのは、三つ子と出会った日に垣間見た背中だった。

 

 ……あの人は、まだこの街にいるのだろうか。

 いる筈だ。御守衆の業務の合間を縫って聞き込みや調査は続けている。少ないし疎らだが、目撃談は今でもあった。少なくとも大きくこの街を離れているという訳では無い。だがまだ、辿り着けていない。

 俺は、彼女に会わなければならない。その為に三つ子の付き人をしている……そう、その為に。

 だけど彼女を見つけた後、俺はどうするのだろうか。

 

 そんなことを考えていると信号が赤になった。勿論道交法を守って車を停める。そしてふと助手席の日依を見てみると、窓の外の景色に釘付けになっていた。

 

「ん? ……あぁ、クレープ屋か」

 

 覗いて見ると、どうやらさっきとは別の公園の中にあるクレープの屋台を見ているようだった。甘い物が好きだからな。日依は。

 

「食べていくか?」

「え、でも調査が」

「どうせ噂なんだし、急いだって今日中には間に合わねぇんだ。なら少し寄り道したって結果は大して変わらないだろ」

 

 そう言って俺は青になってすぐ道路を曲がり、日依の意見も待たないうちにトライユキオロシを公園の駐車場に停めてしまう。車を出て屋台へ真っ直ぐ向かっていく俺を、慌てて日依は追いかけてくる。

 

「ちょ、ちょっと!」

「食べたいんなら食べればいいだろ」

「でも……」

「グズってるなら俺だけ食べちゃうぞ。すみません、バナナチョコアイスで。……ほら」

「あ、う……み、ミックスベリークッキーカスタード、で……」

 

 店員は了承し、程なくして頼んだクレープが出てくる。俺は二人分の代金を払い、手にしたクレープを目を輝かせて見る日依の手を引いてベンチへと移動した。

 

「ほら、もう買っちまったんだから食べようぜ」

「う、うん……ごめん、二人とも……」

 

 二人で並んで座り、甘い香りを漂わせるクレープに齧り付く。その瞬間、それまでどこか曇っていた顔は、一変して華やかな笑顔に変わった。

 

「はぐっ。……ん~! 美味しいっ!」

 

 イチゴやブルーベリーの乗った如何にも甘そうなクレープを頬張り、日依はほっぺに手を当てニコニコと笑顔を浮かべた。

 

「うぅ~、限界まで砂糖に漬けられたベリーの甘さが染み渡るよぅ。二人ともホントにごめん……特に霞澄……」

「アイツこういうの怒りそうだもんなぁ」

 

 一見悪戯好きな長女はお役目にはトコトン真面目で、いっそストイックな程だ。調査をサボってスイーツに舌鼓を打っていましたなんてこと知られたら、絶対に説教が待っている。

 

「内緒だな。二人の」

「ふたっ……そ、そうね。二人の……うぅ」

 

 美味しそうな笑顔から罪悪感に眉根を寄せて、かと思えば今度はリンゴのように赤くなる。理由の分からない百面相を見つめながら、俺も自分のバナナが乗ったクレープを咀嚼する。

 

「んむ……美味いな。もしかして話題だったりするのか?」

「うん! この街で今トレンドのクレープ屋なんだよ! 日中は行列が出来るぐらい混んでるんだって!」

「ふぅん。その割に誰もいなかったけど、遅い時間だからか。……にしても」

 

 俺は捲し立てるように語る日依をニヤニヤ笑いながら言った。

 

「急に饒舌になるな。つまり前々からチェックしてたんだな」

「むぐ……そ、そうよ。悪い?」

 

 バツが悪そうに唇を尖らせ、そっぽを向く日依。分かりやす過ぎるその仕草に苦笑しながら、俺は空いた手をヒラヒラ振って否定した。

 

「別に悪くないさ。でもそれだったら我慢はしない方がいいぜ。好きな物は好きな内に食べないと、機会を簡単に逃すからな」

「……旅で学んだこと?」

「そう。意外と含蓄あるだろ?」

 

 旅をしてるとその土地に再び寄ることはほぼ二度と無いからな。金銭や時間の関係で食べたい物を逃して後悔したなんてよくあった。だから俺は食べたい物が食べられる時は必ず食べるようにしている。

 

「旅、かぁ」

 

 日依はどこか遠い目で空を見つめる。……そう言えばコイツ、旅行に憧れてたんだっけな。でも御伽装士である以上長旅は難しい。エリア頭目の孫娘であることも関係して、北海道から出ることは困難だろう。だから日依にとって旅の話は憧憬でしか無い。

 

「いつか行けたらいいな」

「えっ……でも」

「一生、なんてことは無いだろ」

 

 旅なんていつでも出来るもんだ。俺は若い内にしてしまったが、それこそ老域になってからする人だってザラにいる。今出来ないからといって絶望することなんてない。

 

「御伽装士は危険な仕事な訳だし、戦えなくなったら引退はさせてもらえるだろ、多分。例えばほら、昼間話題に出した人みたいに寿引退とかはありそうだ」

「こ、寿っ!?」

 

 その言葉を聞いた瞬間日依の顔は真っ赤に沸騰した。単語だけでそこまでか。

 

「……白無垢でも見たら鼻血だしそうだな」

「うぐっ、そんなこと……無い、とは言えないけど……」

「自信ないんかい。……ま、それもいつか解決するさ」

 

 俺たちはクレープを食べ終わるまでの間、そんな風にアテの無い将来について語り合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休憩を終えて調査を再開し、次に訪れたのは小学校の門前だった。歴史を感じさせる校舎が聳え立ち、青い空気の中に浮かんでいる。

 

「懐かしいな」

「ここ出身なの?」

「ああ。お前らは違うのか?」

「私たちは私立の方」

「あー、金持ちだもんな」

 

 許可は事前に取ってあった。というか郷士である高天原家なら事後承諾でも容易に通る。なので躊躇うこと無く門を開け、敷地の中へと入り込んだ。

 

「場所は?」

「三階の手洗い場。音楽室の前」

「あそこか。憶えがある。案内するよ」

 

 もう十数年前の筈だが、母校の構造は意外にもよく憶えていた。俺は懐中電灯をで暗くなった足元を照らしながら先導する。

 

「しかし流石に不気味だな。日依はそういうの平気なのか?」

「平気じゃなかったら御伽装士なんて務まらないし。本物と戦うんだから」

「そりゃそうか」

「でもホラー系は三人で好き嫌い分かれてるよ。霞澄は洋モノが好きで、静久は和モノが好き。私は、現代形かな……」

「あー、分かる気がする」

 

 静久は和風文化が好みだし、ミーハーだと分かった日依も納得がいく。霞澄はなんか、脅かし方を学んでそうだ。

 

「で、劇中でラブシーンがあって顔真っ赤にしてるとこまで想像がつくよ」

「その懐中電灯割って置き去りにして良い?」

「謝るから止めてくれ。それ普通に労災の危険があるから」

 

 からかったことへ不機嫌そうに小突いてくる日依に謝罪しつつ、俺たちはそんな他愛も無い話を繰り広げながら校舎を昇っていく。

 そしてライトを当てて、教室の標識を確認する。

 

「音楽室。ここだな。件のは……」

 

 廊下を挟んだ対岸へライトを向けると、そこにはいくつかの蛇口の並んだ手洗い場があった。

 

「うわ懐かしいな。このみかんネットみたいな奴に石鹸入ってるの。最近は石鹸自体を見なくなったからなぁ」

「男だからでしょ。女の子なら石鹸買うことあるよ」

「へぇ。やっぱいっちょ前にお洒落とか気にするんだな……ん」

 

 異常が無いか流し見ていると、蛇口の一つから雫が落ちていることに気がついた。ちゃんと絞まってないのかな。

 

「まぁ一番気にするのは静久で、霞澄は全然気にしないけど。……何してるの?」

「いや……水道代もったいないから絞めようとしてるんだけど」

 

 蛇口の栓を握り回してみるが、ビクともしない。ちゃんと最後まで絞まっているような手応えだが、ポタリポタリと水は落ち続けたままだ。

 

「おかしいな。一旦開けてみるか」

 

 なんかの拍子で硬くなっているだけかもしれない。そう考えた俺はいっそ逆に栓を緩めてみようとした。軽い手応え。こっちにはちゃんと回る……か!?

 

「!? なんだっ!?」

「水が……」

 

 捻った途端、水が勢いよく溢れ出した。一見普通に見えるが、勢いが尋常じゃ無い。あっという間に洗面台に溢れ、廊下へと零れる程になった。

 

「や、ヤバいヤバい。これ壊しちゃったか? うわー、弁償代いくらになるだろう」

「これに領収書降りないからね……って、待って、いくらなんでも水の量が……」

 

 水は止まらない。ビシャビシャと音を立て滝のように溢れ、仕舞いには俺たちの足元まで濡らす。

 

「おかしいでしょ、これ。というか、排水溝は別に塞がっていないのに」

「それは、確かに……」

 

 日依の言葉に頷こうとした瞬間だった。

 不意に、聞き慣れない音が耳朶を叩いた。

 

「は?」

「……これって」

 

 低い音。それは昼間なら、目の前の音楽室から聞こえてきたティンパニーに間違えそうな音。

 『ボ、ボ、ボ』という、連続した音。

 

「っ、噂の……!」

「どこからだ!?」

 

 一気に警戒態勢に入った俺たちは神経を尖らせ音の発信源を発する。溢れる水の音が耳障りに邪魔をするが、それ以外に音の無い静謐な夜の校舎だ。聞き分けるのは、容易かった。

 

「蛇口……!?」

 

 それはどう聞いても、手洗い場から響いていた。更に言うなら、蛇口。勢いよく水が噴き出ている、その奥から聞こえているようだった。

 

「なんだ? 水道に、何かあるのか……?」

「……待って」

 

 俺は蛇口へ近づき、覗き込もうとした。だがそれを、日依が袖を掴んで差し止める。

 

「え、日依?」

「……気配が、する」

「気配、って」

 

 ハッとして彼女を振り向く。いつもながらの険しい視線は更に鋭く、蛇口をじっと見つめている。その目付きに覚えがあった。化神と対峙した、時の。

 

「……来る!」

 

 ボボボッ! と、音が激しくなる。何かの這いずるような擦れる音とグチャグチャという気味の悪い音が重なって響く。そして、蛇口から得体の知れない何かが飛び出した。

 

「んだ、これ!?」

 

 それは例えるならヘドロの腕だった。緑色の塊がぬらりと光沢を放っている、不細工な粘土細工のように固められたそれは辛うじて腕の形を保ったそれが細い蛇口から窮屈そうに飛び出し、俺たちへ向かって手を伸ばす。

 

「きもっ!」

「言ってる場合!?」

 

 先んじて反応したのは日依だった。そこは流石に、積んで来た経験が違う。伸びてくる手を、横合いからの蹴りが吹き飛ばす。

 

「助かった! だけど、なんだ、コイツは!」

「当然、化神よ!」

 

 再び迫る腕を回し蹴りで打ち払う日依が叫ぶ。確かにこの異相、化神に違いないが……。

 

「けどこんな奴、初めて見たぞ!」

 

 今まで見た化神は人の形を保っていた。人の恨みつらみの集合体故になのかは分からないが、とにかく多少大きくなったり形を変えたりはあっても大きく逸脱することは無かった。バケトウダイは巨躯だったが、それでも人型だった。

 だけど、コイツは!? にゅるにゅると気色悪く伸びる腕は、到底人の形には見えない!

 

「私もっ、初めてだけど!」

 

 腕を上から叩き、廊下へと叩きつける日依。そしてその隙に、バレッタから怨面を取り外す。

 

「とにかく化神相手なら! オン・ルドラ――」

 

 御伽装士の出番だ。

 日依は変身する為の呪文を唱えようとする。

 

「ラン――」

 

 だがそんな彼女の視界の外。別の蛇口から二本目の腕が現われた。謎の腕と神通力を籠めることに注意を向けている日依は気付かない。

 二本目の腕は日依の変身を妨害せんと伸ばされる。

 

「危ない!」

 

 俺は咄嗟に身を乗り出し、腕を身体で受け止めた。

 

「ぐあっ……!」

「え、内人!?」

 

 突然のことに目を丸くし、日依の集中は解けてしまった。怨面は小さいままだ。

 しかし幸いと言うべきか、二本の腕はそれ以上の動きを見せなかった。まるで逆再生されるかのように、蛇口の中へと帰って行く。

 後には水浸しになった廊下と、俺たちだけが残された。

 

「内人! だ、大丈夫!?」

「あぁ……なんとかな」

 

 幸い腕の強襲は、俺に別段の被害を与えることは無かった。咄嗟に腕を交差させ腹部を庇ったことで、急所を守ることが出来た。腕は衝撃にジンジンと痛むが、大怪我じゃない。

 

「お前との鍛錬のおかげだな」

 

 咄嗟に腹部を守ったのは、午前中の日依との鍛錬を思い出した結果だった。やっぱり組み手は身になるな。

 俺の無事を確認した日依は安心したように表情を緩める。

 

「よかった……でも」

 

 ホッと溜息をついた日依は、しかし表情を一変させ俺を鋭く睨み付けた。

 

「こんな危険な真似はしないで。貴方は私たち御伽装士とは違う、ただの弱い人間なんだから」

「……守られといてその言い草は無いんじゃないか?」

 

 咎めるような響きについカチンときた俺は刺々しい態度で返してしまった。だが日依は改めるどころか更に硬質化する。

 

「弱い人を弱いと言って何が悪いの」

「あのなぁ……じゃあ言うが、あの二本目の腕にお前は気付いて無かったじゃないか。言っちまえばお前の落ち度だ」

 

 確かに俺は御伽装士にはなれないが、あの時まだ生身だったのは日依も同じだ。

 

「気付いていた俺が無防備な日依を守るのは当然のことだ。それで礼ならまだしも、文句を言うのは違うだろ」

「っ、だから! 私の方が強いんだから……!」

「んな話は今してねぇだろが」

 

 苛立たしげな反論をスパッと断ち切る。何故か日依はそれにきょとんとした顔を浮かべた。

 

「え……」

「強いとか弱いは関係なく、俺はお前を守るよ。当たり前だろ。御伽装士だとか付き人だとかそれ以前に、俺の方が年上なんだから」

 

 それは俺の中で当たり前の理屈だった。俺の方が歳が上なんだから、年下を庇うのは普通のこと。そこに疑念を挟む余地は無い。

 流石に御伽装士と化神の戦いに割って入るような馬鹿な真似はしない。その時は素直に彼女たちに任せることになるだろう。けど、あぁいう場面でなら当然、庇う。

 

「だから守られたら素直にありがとうって言え。それで終わりなんだから」

「………」

 

 俺が溜息交じりにそう告げると、日依は黙り込んでしまった。言い過ぎたか?

 だが日依はそれ程時を置かず顔を上げ、小さく口を動かした。

 

「……ありがと」

「ん?」

「ありがとうって言ってんの! アンタの望み通り!」

 

 聞き返すと怒鳴るようにしてそう告げ、日依はさっさと歩き出してしまう。

 

「ホラ早く屋敷に戻るよ! 噂の正体は化神だったんだから、本格的に動かなきゃ!」

「あ、おい待てよ! この惨状はどうすんだよ!」

「知らない! 明日には乾くでしょ!」

「んな馬鹿な……」

 

 足早に廊下を行く日依を追いかけ、俺たちはその場を後にする。最後に一瞬だけ手洗い場を振り返り、俺は先の光景を反芻した。

 蛇口から飛び出す奇怪な腕……確かに、本腰を入れる必要はありそうだ。

 

 

 

 ※

 

 

 

「素晴らしい成果だな」

 

 どこかの暗い空間で、くぐもった声が響く。それは先日廃坑でバケトウダイと接触した某――野分の仮面越しの声だった。

 何か柱のような物に背を預けた野分はその視線の先、見上げる程に巨大な物体を見て呟く。

 

「今までに無い特異な能力が発現している。成長も順調だ。まったく有り難い。計画へ大いに活用できる」

『しかし、危険では?』

 

 そのすぐ近くに控えるのは、鉄と鎖で出来た鎧姿。巨大な碇を大剣のように携えしバケイカリだった。バケイカリもまた物体を見つめ、危惧するようにして野分へ問う。

 

喰い過ぎ(・・・・)です。こちらの手持ちの、その殆どを持って行かれました。最早我々の手に負えない可能性があります』

「それはそうだな。本気を出せば無理ではないだろうが、こちらも消耗する。本計画の前にそれは避けたいところだ……」

 

 バケイカリの意見に野分はしばし考えるように顎に手を当て、そして言った。

 

「よし。では御伽装士に始末させよう」

『……よろしいので?』

「少し勿体ないが、取れたデータを流用すればまた作ることは不可能じゃない。手に負える内に潰して、次の糧としよう。あぁ、しかし……」

 

 何かに気付いたように野分は顔を上げ、後頭部をガシガシと掻く。

 

「あぁ、またこのエリアか。中心にしているとはいえ、面倒なことだ」

『無理矢理にでも運びますか?』

「それこそ無理だ。あんな巨体、いくらお前の腕力でも引き摺ることすら出来ないだろう」

 

 嘆息し、野分は天を仰ぐ。

 

「仕方ない。多分大丈夫だろう。だってあの子たちは――」

 

 見上げる天井は暗く、星一つすらない闇だった。しかし野分は視線の先に何かがあるように、真っ直ぐと見つめる。

 

「――――だからな」

 

 何かを、自分にだけ聞こえる程度に小さく呟く。その声音に、微かな哀愁だけを響かせて。

 

 巨体が揺れる。グチャグチャと、耳障りな湿った音を鳴らして。

 

『ボ、ボ、ボ』

 

 

 ※

 

 

 本格的な調査が始まった。都市伝説を調べるのと潜んでいる化神を探すのとでは流石に本気具合が違い、御守衆の人員がかなり動員された。しかし成果は芳しくない。

 あの緑色の腕が水道に出現することは分かっている。実際に襲われ、撃退に成功した隊もあったらしい。しかしどうやらあの腕は一般人を捕食する為の物らしく、戦闘になれば相手が御伽装士ならぬ平装士であったとしてもすぐに退いていくのだそうだ。それはつまりすぐに逃げられるということでもあり、現在捕獲には成功していない。勿論、本体の位置も分かっていなかった。

 

「くそっ、空振りか」

「……ここにいると思ったのに」

 

 俺と日依は引き続き行動を共にしていた。霞澄と静久も調査に参加しているが、二人は森の調査に回されていた。化神の本体は街中に潜んでいる線が濃厚だが、万が一ということはある。しかし森は広く、街よりも調査しにくい。そこで取り逃さないように感知能力の高い静久が駆り出され、その護衛に霞澄がついていた。

 俺たちは街中の調査だ。こちらの方が会敵する確率が高いので、怨面は日依が所持している。そして一番潜んでいる可能性の高い、水道の中心施設、浄水場を当たったのだが……。

 

「変わったところはない……一応見学をさせてもらったが、確かに気配は無かったな」

 

 浄水場は空振りだった。最近何か変わったことが無かったかを聞いたが、職員は首を横に振った。頼んで中も見させてもらったが、化神が潜んでいるような痕跡などは存在しなかった。

 本命だと思っていただけに、肩透かしを喰らった気分だ。

 

「だけど実際ここ以外から水道を使えるか? 下水道かどこかに潜んでいるのか?」

「……地下に隠れている可能性は高いけど、マンホールの下みたいな狭いところは無理だと思う」

「ん? 何故だ?」

 

 俺が聞くと、日依は思案を続けながらも答えてくれた。

 

「水道を縦横無尽に駆け巡らせようとしたら、あの腕はかなりの長さになると思う。となると、その質量もかなりの物になる筈」

「……デカい、ってことか。それは確かに」

 

 不気味な音の目撃談は街の広い範囲に及んでいる。その半分の距離で考えても随分長い。例え相手が埒外の存在であって多少縮んだとしても、それだけの長さの腕を持っていればかなりの大きさである筈。少なくとも人間より大きそうだ。となると、隠れられる場所は限られる。

 

「だが……具体的にどこだ? 巨大な物体を隠すのに適していて、水道にアクセス出来る場所……」

「う~ん……それなんだよね……」

 

 そこから先へ考えが及んでいないのか、日依の返事も鈍くなる。かといって、俺の方も良い考えは及ばない。

 俺たちは考えながら浄水場を離れ、停めてあるトライユキオロシへ向け歩き出す。

 

「しかしはた迷惑な敵だよな。安心して水も飲めなくなるかもしれないなんて」

「そうだね。いざとなったら牛乳とジュースで生活かも。みんな私みたいな朝ご飯になるね」

「……ギャグで言ってるのか、それ?」

 

 あんな甘い朝食絶対に御免だぞ。

 そんなことを話ながら駐車場に向かっている途中、近くにある川が目に入った。

 

「川……ってことは無いか?」

「それは流石に……化神が潜めるほどの深さは無いと思う。もしそうなら、すぐに見つかるんじゃないの」

「だよなぁ……川が氾濫でもしない限り無理かぁ」

 

 溜息交じりに呟く。

 しかしそれに、日依はハッと顔を上げた。

 

「氾、濫……」

「ん?」

「そっか。そこがあった! あそこなら……!」

「お、おい!?」

 

 何かに気付いた日依が駆け出す。俺はそれを急いで追う。そしてトライユキオロシの前へ到着すると、叩いてキーを取り出すよう急かした。

 

「急いで!」

「わ、分かった。けど……」

 

 鍵を開け乗り込む。そして指示されるまま走らせる。行き先は日依がスマホで調べながらナビゲートしてくれるが、どこへ行くのか俺にはさっぱり分からない。

 

「どういうことだ? 何に気付いたんだ?」

「何年か前、川が氾濫した時の為に備えて自治体が地下放水路を作ったの。溢れた水を受け入れて水害が起こることを防ぐように。内人は、多分いなかった時の話」

「あぁ……そうなのか」

 

 旅に出ていた間にも、当然故郷の時は進む。俺がいない間にそんな物が出来ていたらしい。

 

「だけどそれが何だ? 氾濫した時の備えなら、今は使われていないんじゃ」

「だから、よ。普段使われていないなら警備の目も甘くなる。隠れ潜むにはうってつけ。放水路から水道へアクセスすることも多分出来る。しかも……」

「しかも?」

「調圧水槽って言って、かなり広い空間があった筈。ほら!」

 

 そう言ってスマホの画面を見せつけてきた。ハンドルを手にしたまま横目で確認する。そこにはいくつかのコンクリートの柱が立った空間が映っていた。背後にある階段の大きさから見て、かなり広いことが窺える。

 

「! じゃあそこに……!」

「可能性は、高いと思う。学校の見学で行ったことがあるから思い出したんだ。入り口も憶えてる!」

「よし、そうと分かれば飛ばすぞ! シートベルトはしっかり締めろよ!」

 

 俺はアクセルを思い切り踏み込み、現場へ急行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 広い河川敷に立てられた入り口から地下へ降りれば、そこに広がるのは静謐な空間。柱が立ち並ぶその様は神殿のように錯覚してしまう。その中心に、ソイツはいた。

 

『ボ、ボ、ボ』

 

 聞き覚えのある音、否、声。その異形は狙い通り化神だったが、その風体は予想を超えていた。

 3メートルを超える巨体。その全身は緑色の藻のような何かで構成されていた。胴体も頭も四肢も丸みを帯びており、不細工な雪だるまを彷彿とさせる。頭には黄色い双眸だけが存在し、薄暗闇の中でぼうっと光っていた。

 丸くて緑。名付けるにはこれしか無いだろう。

 

「バケマリモだな」

「……なんかガクってくるね、それ」

 

 微妙な顔をする日依だが別案が浮かぶことも無かったようで、そのまま階段を下りきりバケマリモと同じコンクリートの地面に降り立った。そして階段に乗ったままの俺へ振り返る。

 

「内人はそこで待ってて。今度こそ、絶対に邪魔しないで」

「分かってるよ。トライユキオロシも無いし」

 

 棘のある言い方だが、今回ばかりは日依が正しい。流石にバケマリモを見て突っ込む気にはなれなかった。支援機であるトライユキオロシは上に停めてあるし、俺に出来ることは日依の戦いを見届けることだけ。

 

「終わったらまたクレープでも食べに行くか」

「……今度は二人も一緒にね」

 

 微笑し、日依はバケマリモの方へ歩いて行く。バケマリモはそこでようやく俺たちの存在に気付いたようで、丸い頭を身じろぎする程度に動かした。

 黄色い双眸と日依の視線が合う。バケマリモが何かリアクションを起こすより早く、日依は怨面を手に言葉を紡ぐ。

 

「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」

 

 大きくなった鼬の怨面を被り、全身を這いずる呪いの痛みに耐えて日依は叫ぶ。

 

「うううぅぅ……――変身!」

 

 薄い雲が身体を覆い、吹き払われると同時に出現したのは灰と白の装束を纏いし若武者。降臨せしは御伽装士テンユウ。

 水平に持ち上げた右腕で何かを掴み取る仕草をすれば、手の中にはいつの間にか長物が収まっていた。

 

「退魔道具・旱天(かんてん)両面大鎌(りょうめんおおがま)

 

 二つ刃の大鎌をクルリクルリと回す度、赤い布が燃えるようにたなびく。そしてピシッとバケマリモへ突きつけ、テンユウは高らかに宣言した。

 

「いざ、天誅!」

『ボ、ボ、ボ』

 

 イマイチ表情が読みづらいバケマリモも、流石に敵対宣言と解したのかにわかに動き出す。丸い巨体を揺すりながら両腕を動かし、テンユウへ向ける。球形の先にちょこんと手がついているのは、まるでぬいぐるみのようだった。

 

「え、可愛い――」

 

 だがテンユウの呑気な感想も、次の瞬間には吹き飛ぶ。

 バケマリモの短い両腕は、さながら砲弾のような勢いで射出されたのだから。

 

「なっ!」

 

 まだ距離があったことが幸いし、咄嗟に飛び退くテンユウ。その眼前に着弾した腕を見て、何が起きたか把握する。

 

「……成程。大方予想通りね」

 

 両手は帯のように伸びた藻で繋がれていた。学校で襲われた、長い腕の正体だ。やはりあの大きな胴体の中に格納していたらしい。

 

『ボ、ボ、ボ』

 

 奇怪な鳴き声と共に、長い腕はスルスルと戻っていく。まるで巻き取られているかのようだ。

 どこか悠長なそれを、見逃す道理は無い。

 

「はぁっ!」

 

 振り上げられた両面大鎌からの縦一閃。細い腕へ叩きつけられたそれは分厚い鉄板すら割りかねない程鋭い一撃だった。

 だが、その刃は藻で出来た腕を両断すること無く、途中で止められた。

 

「!? 硬っ!?」

 

 まるで肉に食い込んだものの、骨には断ち切れず受け止められたかのような光景。慌てて刃を引き抜けばそれはあっさり外れたが、腕が元の位置へ戻るのをみすみす逃してしまう。

 

「また硬い敵? そんなんばっかで嫌になるんだけどっ」

『ボ、ボ、ボ』

 

 大鎌を翻し構え直す、悔しげなテンユウとは裏腹にバケマリモは笑っているかの如く巨体を揺すった。どうやら喋らないからといって感情が無い訳では無いようだ。人の悪意を喰らう化神らしいことで。

 

『ボ、ボ、ボ!』

 

 再びバケマリモが腕を突き出し、射出する。その速度は先程と変わりない。俺の目からは砲弾めいたスピードだが……

 

「遅い!」

 

 テンユウの方は一度で見慣れたようだ。むしろ身体を前に乗り出し、すれ違うようにして迫る腕を躱す。そしてそのまま遡るようにしてバケマリモの懐に潜り込んだ。

 

「ここまで迫れば、手出しできないでしょ!」

 

 腕は伸ばしきり、蹴りなどが出来る体型では無い。腹が突き出ているせいで頭突きなども不可能だ。バケマリモの並外れた巨体が徒となる。

 今度こそ、大鎌の攻撃は通る。見ている俺も確信し――

 

『……ボ、ボ、ボ』

 

 しかし、バケマリモの双眸を見て肌が粟立つ。丁度腹が邪魔になってテンユウからは見えない、顔。他が存在しない表情でも目は雄弁に物語っていた。

 嗤ってる。

 罠だ。

 

「日依!」

 

 咄嗟に叫ぶが、遅い。

 その直後、バケマリモの緑の腹を突き破って鋼色の何かが飛び出した。

 

「ぐあっ!?」

「何だ!?」

 

 それは螺旋状の鉄棒だった。巨大なそれはテンユウの身体に叩きつけられ大きく撓んでいる。つまりそれは――

 

撥条(バネ)!?」

 

 そのまま巨大なバネは弾ける。テンユウは大きく押し出され、空中へ打ち出されるようにして凄まじい勢いで放り投げられた。

 

「うわぁっ!?」

 

 宙に投げ出されたテンユウは無防備だった。そこへバケマリモは手を向ける。射出される掌。空中で躱しようのないテンユウはあっさりと脚を掴まれた。

 

「あ――がっ!!」

 

 そしてそのまま、地面へと叩きつけられる。調圧水槽のコンクリートで出来た底面が砕け、テンユウの身体がめり込む。

 

「ぐ、うぅ」

 

 唸りながら身を起こすテンユウ。だがその脚はまだ掴まれたままだ。

 

『ボ、ボ、ボ』

「! く、コイツこのまま!」

 

 そのままバケマリモは腕を縮め始めた。引き摺られるテンユウが行く先は当然、バケマリモの眼前。その巨体の前に倒れたままの姿を晒すことの危険性は、言うまでも無い。

 

「日依!」

「すぅーっ……ふぅーっ……」

 

 絶体絶命の状態というのに、テンユウはその場で静かに息を吸い始めた。仮面で分からないが、目を瞑っている気配すらある。この状況下で一体何を!?

 

「すぅーっ……ふぅーっ……!」

 

 深く、深く、呼吸を重ねる。その間にも脚を掴まれ、身体は巨体の元へ運ばれていく。だがテンユウは一切微動だにせず、息を深めた。それは鞴にも似て。

 

「――はぁっ!」

 

 そして、一閃。

 光のような物が走ったかと思うと、バケマリモの腕は半ばで断ち切られていた。何が起こったか俺も遅れて理解する。何のことは無く、両面大鎌を振り抜いただけだった。ただし、そうと気づけないほどのスピードで。

 

『ボ、ボ、ボ!?』

 

 先は斬り落とせなかった腕を断ち切られ、バケマリモが目に見えて動揺する。一方でテンユウは静かな動作で立ち上がり、脚にしがみついたままの腕を振り払った。

 

「……ふぅ。ようやく斬れた。姉妹の中で一番の攻撃力がある私が斬れないなんて、二人に笑われちゃうからね。本気を出せばこんなものよ」

 

 ふんと鼻を鳴らすテンユウはどこか鬱憤が晴れたような表情にも見えた。……硬い敵が続いて密かにプライドが傷ついていたのだろうか。

 

 そして腕を切り落としたことによって、断面からその中身の正体も判明する。

 

「バネ……か」

 

 腕の中身もまた、バネだった。先程大鎌の刃を受け止めたのはコイツだったのか。さっきのテンユウを跳ね上げた攻撃といい、バケマリモの中にはバネが内蔵されているようだった。思えば、腕を射出するときの勢いもコイツの作用か。

 

『ボ、ボ、ボ!』

 

 一方のバケマリモは腕を断たれてご立腹のようだ。だがその両腕の断面は見る見る内に盛り上がり、元のように再生する。

 

「ちっ。再生能力持ちか……面倒ね」

 

 テンユウの舌打ちが空間に響く。だがその大鎌の攻撃が通じることが分かった今、絶望感は左程無い。

 

『ボ、ボ、ボ!』

「こっからが本当の勝負よ!」

 

 再開する攻防。先手を取ったのはテンユウだった。地を駆け勢いをつけると、一歩を大きく踏み込んでジャンプする。その先はコンクリートの柱だった。

 

「こういうのは、ホントは霞澄のが得意だけどっ!」

 

 そのままコンクリートを足場に縦横無尽に跳ね回る。さながらピンボールのようだ。バケマリモは目で追おうとするが、緩慢な首の回りでは追いつけない。

 

「――はぁっ!」

 

 そして背後を取り、大鎌を振り下ろす。またも目に追いきれないほど鋭い一閃。決まればバケマリモの巨体といえど真っ二つになっていただろう。

 ――が、その一撃は空振った。

 

「な!?」

 

 ヒュンと刃は虚しく空を切り、標的を失ったテンユウはそのまま着地する。そして慌てて上を見上げ、そこに広がっていた光景に呆然とした。

 

「嘘でしょ……」

 

 そこにはテンユウと同じように、コンクリートの柱を跳ね回るバケマリモの姿があった。

 

『ボ、ボ、ボ♪』

 

 巨体の質量はそのままに柱の間をバウンドするバケマリモの姿は現実味が薄い、ギャグみたいな光景だ。だがその仕組みはすぐに思い至る。

 

「ヤロウ、身体に仕込んだバネで……!」

 

 体内のバネの伸縮性を利用して、ボールのような弾力を作っているのだろう。だとすれば、あの巨躯を補えるほどの俊敏性を併せ持つことになる。パワーとスピードを兼ね備えた身体。それはあるいは、巨体その物よりも厄介かも知れない。

 

「……来る!」

『ボ、ボ、ボ……ボ!』

 

 跳ねて跳ねて、加速し続けたバケマリモがテンユウ目掛け突っ込んで来た。巨大な質量と速度を兼ね備えたその突撃は例えるなら天よりの隕石だ。それでも待ち構えていたテンユウは反応し、回避する。避けられたバケマリモは何も無い地面へ着弾すると共に、膨大な破壊力をその場で解放した。

 

「ぐ、あぁっ!」

 

 躱した筈のテンユウだが、その衝撃波を受けて体勢を崩し地面を転がっていく。だが俺はその心配より、バケマリモが残した破壊痕に息を呑んでいた。

 

「なんつー……」

 

 そこにあったのはクレーターだ。コンクリートの床が蜘蛛の巣のように罅割れ、バケマリモを中心として巨大な窪みを作り上げていた。

 喰らったらひとたまりもない。ぺちゃんこどころか、跡形も残らないぞ。

 

「っ、でも恐れてちゃ!」

 

 その破壊力を認識したテンユウは怯みそうになりながらも、起き上がって果敢に斬り込んでいく。肉迫し、すれ違いざまにその大きな腹を裂いた。

 

『ボ、ボ、ボ!』

 

 藻のような身体は存外あっさりと切り裂けた。バックリと大きな傷が残る。が、その傷は見る見る内に塞がっていく。再生能力!

 

「だったら連続!」

 

 効果が薄かったことを認識したテンユウは急停止し、切り返して大鎌を振るう。しかしその二撃目が決まるより早く、バケマリモの身体が上へと跳ね上がった。

 

「!!」

『ボ、ボ、ボ!』

 

 バネの力で飛び上がったバケマリモは、そのまま地面へと着地する。衝突音。単純な位置エネルギーと運動エネルギーの作用が引き起こした衝撃波が再びテンユウを襲う。

 

「ぐううっ!」

 

 今度は倒れることなく堪えるテンユウ。だが硬直したその身体をバケマリモは見逃さなかった。

 

『ボ、ボ、ボ!』

 

 伸ばされた腕が迫る。足は止まっている。避けられない!

 

「日依!」

「舐……めるなぁ!!」

 

 ギン、と。

 鼬の瞳が光ったような気がした。

 

 その瞬間、手にした両面大鎌が、弾けた。

 両側についた三日月状の二つの刃が長柄から音を立てて外れたのだ。氷が割れるような小気味よい金属音が地下空間に響き渡る。

 壊れたのか。そう思ってしまう。だが双刃は重力に捉まって落ちていく最中、それに抗うかのように浮き上がった。

 そしてそのまま、迫る腕の上を取って、落ちるように両断した。

 

『ボボボ!?』

 

 スッパリと断ち切られた両腕の断面はさながら中世の断頭台の如く。驚愕するバケマリモを前にして体勢を立て直したテンユウは残された長柄を構え、切り離された二つの刃を護衛させるかのように左右に浮遊させた。

 

「これが、旱天の両面大鎌のもう一つの姿!」

 

 宙を浮く刃は明らかにテンユウの意思で動いていた。分離し、自在に空を泳ぎ、そして切れ味劣ること無し。これが、両面大鎌の本当の力!

 

『ボボ、ボ、ボ!』

 

 予想外の反撃を受け焦ったのか、バケマリモは一度仕切り直すかのように跳ね上がった。そしてまたピンボールを再開し、柱の間を乱舞する。手の届かないところへ逃げ、またあの墜落攻撃を繰り出すつもりだ。何度もあの威力の攻撃を繰り返されたら調圧水槽そのものが崩壊するかもしれない。そうなれば俺たちは生き埋めだ。

 だがバケマリモを見上げるテンユウは焦ることも、揺らぐことも無かった。

 

「――これを見せたからには、手早くいく!」

 

 そう言ってテンユウは両手で長柄を持ち、祈るようにして眼前へ構えた。

 

「……はあああぁぁぁ……!」

 

 静かに呼気を吐き、力を籠めていく。すると、左右に展開していた刃がヒュン、ヒュンと音を立てて回り出した。それはすぐに目で追えぬほどの回転となり、風を巻き込んで高鳴る鋼の円となる。

 

『ボ、ボ、ボボ!!』

 

 バケマリモにも俺にも、テンユウが何をしようとしているのか分からない。だが少なくともバケマリモは自分を捉えられるとは思わなかったようだ。止めるよりそのまま跳ね回ることを選び、バケマリモはバウンドによる加速を続けていく。

 

「――はぁっ!!」

 

 そしてテンユウは、呼気と共に刃を解き放った。弾かれるようにして二つの刃は殺到する。

 加速し続けるバケマリモにでは無い。その加速装置の一つ――柱の一本に、だ。

 双鎌はコンクリートを物ともせず豆腐めいて切り刻み、柱は一瞬にして輪切りになった。バラバラになった柱は積み木のように崩れ去る。

 

『ボ!?』

 

 自分が着弾する筈だった場所を失い、バケマリモの丸い巨躯はコントロールを失いそのままの勢いで地面に衝突した。重たく柔らかい物が潰れる不快な音が盛大に鳴り響く。受け身やバネを使う用意を整えられなかったのか、バケマリモの巨体は再び跳ね上がることもなく地面へとめり込んだ。

 

『ボボボ……!』

 

 その勢いと質量がそのまま自分へ作用してしまったのか、バケマリモは衝撃でダメージを受けていた。体中に穴を開けて、苦しそうに呻いている。再生能力が塞ごうとするが、間に合っていない。

 

「はああああぁぁぁぁーーーっ!!!」

 

 そして、何より。

 まだ二つの回転刃はまだ生きていた。

 

「退魔覆滅技法――逢魔終月・旋日輪(せんにちりん)!!」

 

 バケマリモへ標的を変えた刃はグルリとその軌道を変え迫る。熱が刀身を熱し、赤くなった鋼の円がバケマリモへ殺到した。

 鋭い斬撃が傷を焼きながら食い込む。今度こそ刃は緑色の身体を深く刻み、そのまま体内を抉り抜いて貫通した。

 

『ボゴォ……!』

 

 一度だけでは無い。過ぎ去っては終わらず、往復してもう一度。軌跡が消えぬ内に再来し、また焼き切っては薙いでいく。何度も、何度も、何度も。美しくも、形が残らないほど残酷に。

 

『ボ、ボ、ボォォォーーー!!』

 

 それはまるで、葬送の赤き花の如く。

 死に様を彩られたバケマリモは、その中心で絶命。爆発四散した。

 

「――天誅、完了ね」

 

 炎となって弾け飛ぶバケマリモ。それを見届けテンユウは、その場でがくりと膝を着いた。

 

「っ、はぁ、はぁ、はぁ……」

「日依!」

 

 荒い息を吐く日依へ慌てて駆け寄った。へたり込むようして尻を着いた日依は、怨面を脱いで変身を解く。露わになったその顔にはビッシリと汗が浮かんでいた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

「大丈夫か?」

「はぁ、ふぅ。……うん、大丈夫……さっきの、結構神通力使うの……私、姉妹の中で一番少ないから……」

「そうなのか……」

 

 通りで、追い込まれるまで使わなかった訳だ。負担も大きかったのだろう。もう息も絶え絶えといった様子だ。

 

「まぁ、取り敢えず、お疲れさん」

「うん。……はぁー、しんどい……」

 

 人並みより遥かに体力がある日依が汗をだくだくと流し溶けている。相当な消費だったのだろう。

 これじゃ上に上がる階段を昇るのも辛いだろうな。……そうだ。

 

「よし、ほら」

「……え」

 

 俺は日依の前でしゃがみ込み、背中を差し出す。キョトンと呆けて日依はそれを見た。

 

「おんぶだよ、おんぶ」

 

 察しの悪い日依に業を煮やした俺はそう告げる。それを聞いても日依はしばし呆けたままで、そして我に返ると火のついたような勢いで首を横に振った。

 

「い、いやいやいや! 何言ってるの!? じ、自分で歩けるし!」

「何言ってんだよ。ぶっ倒れるぞ。ほら!」

「わ、わわわ」

 

 拒否しようとする日依を無理矢理背負う。恥ずかしがって降りようとするが、大暴れする元気も無いのか、しばらくすると顔を赤くしながら背中へ大人しく収まった。

 

「う、うううぅ。こんな……いきなり……」

「恥ずかしがってんのか? いつも三つ子でのし掛かったりするじゃねぇか。朝だって抱えるし」

「だってあれは三人一緒だし……朝は朦朧としてるからだし……ううぅー」

 

 ぎゅっと俺の背中に擦りつけるようにして顔を隠す日依。やれやれ、乙女は難儀だねぇ。

 機嫌を直す為に、ご褒美代わりの提案をする。

 

「またクレープでも食べに行くか? 今度は二人も誘って」

 

 我ながら魅力的な提案だろう。甘い物と姉妹が好きなコイツにとっては。

 しかし。

 

「……それは、うーん……」

「お? 珍しいな」

 

 意外なことに日依は言葉を濁した。日依なら即答すると思ったんだが。

 

「えと、その……たまに、本当に、たまにはだけど」

 

 俺の背中に顔を埋めたまま、日依はごにょごにょと呟いた。熱くなった顔の温度を無自覚に俺へ伝えながら。

 

「二人だけの秘密……なんてのも、いいかなって」

 

 ……コイツ。

 

「お前そっちの方が恥ずかしくないか?」

「う、うるさいうるさい! いいから早く運んでよ!」

「痛い痛い! 頭を叩くな!」

 

 ったく。早く上のトライユキオロシまで運んじまうか。

 ……不意打ちでちょっとだけ顔が赤くなったことがバレる前に。

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