仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ   作:春風れっさー

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第五片 慈雨よ、どうか静かなる久遠を

 ねぇ、

 

 ねぇねぇねぇねぇねぇ。

 

 ――どうして僕は一人なの? どうしてこんなに寂しいの?

 

 ねぇ、

 

 ねぇねぇねぇねぇねぇ。

 

 ――みんなはどこに行ったの? 僕を置いてどこへ行ったの?

 

 ねぇ、

 

 ねぇねぇねぇねぇねぇ。

 

 ――なんで、なんで、なんで?

 

 ねぇ、

 

 ねぇ、

 

 ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五月蠅いっ!」

「うおっ!?」

 

 突然叫んだ静久に俺は仰天し、駒を置く手を止めた。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

 いきなり声を荒げた静久に俺は戸惑いながら問うた。五月蠅い、と叫んだようだが、俺は何も言っていない。今二人で指している将棋の戦略を必死に考えていたからである。静久は滅法強く、俺は大人としての威厳を保とうと必死に頭を振り絞っている最中だった。

 

「あ、えと……」

 

 そして叫んだ静久もまた、戸惑っているように見えた。ハッと我に返ったように目を開くと、そのまま視線を彷徨わせ、苦笑いして答える。

 

「ほら、雨の音がね~」

「あぁ。確かにそれはそうだな」

 

 俺は頷き、窓の外を見た。旅館のように開放的な自室の窓は今、無数の水が滝の如く滴っている。それは絶え間なく吹き付ける雨粒のなれ果てだった。

 空は鉛色をした重たい雲に覆われている。今日は雨。それも豪雨だ。だからこそ俺たちは暇を持て余し、俺の部屋で将棋に興じている。

 確かに窓へ叩きつけられる雨音が五月蠅いと言えば、そうか。

 

「まぁこればかりはな。我慢してくれというしか……」

「……うん、だよね~。だから我慢するよ~……はい、王手」

「え、おいマジか!?」

 

 ガタリと浮き足立って、俺は盤面を眺める。しまった、さっきの手で空いた場所を飛車が強襲してきやがった。えっと、逃げ道は……。

 

「……無い、な」

「うん。詰みだよ~」

 

 俺はがっくしと肩を落とした。敗北だ。高校生一年生に負けた。大人のプライドがズタズタである。

 朗らかに勝利を宣言する静久には、もう先程の苛立った様子は見られない。どうやら持ち直したらしい。それに俺は内心で安堵する。

 

 ……静久は、時折そうなることがあった。

 普段はとても穏やかだが、不意にその表情を変えることが何度かあった。ぼーっとしたりするのはまだ良い方で、偶に今のように苛立ったり、訳も無く泣き出したりしてしまうことがあるのだ。それは本当に唐突で、青天の霹靂よりも予想出来ない。

 何故なのか、俺には分からない。他の姉妹もよくは知らないようだった。ただ静久が気まぐれで一定の行動をしないことは常だったから、感情の振れ幅もまた一定では無いのだろうと、そう結論づけているようだった。実際、静久はそのようなことを仄めかしているらしかった。

 だから俺は、今回も気にせず、そこにはあまり触れずに項垂れた。

 

「くっそー……こういうの強いんだな」

「まぁね~。ちなみに三つ子の中で一番強いのが静で、真ん中が日依ちゃん。一番下が霞澄ちゃんだよ~」

「……納得だな」

 

 割りと衝動的に動きがちな霞澄がこういう盤上遊戯が苦手なのは何となく想像できた。そう考えると、静久が一番冷静なのかもしれないな。

 

「はぁ~……ちょっと勉強しようかな。旅してる間は全然だったもんなぁ」

「ふふっ。……ねぇ、内人」

「ん?」

「付き人って、ずっとしてくれるの?」

 

 唐突な問いに、俺は答えるより首を傾げた。

 

「なんだよ、藪から棒に」

「いいからいいから~」

 

 ヒラヒラと手を振って静久は答えを促す。いつまで付き人を続けるか、か……。

 

「……この街での目的を達成するまで、かな」

 

 俺がここにいる理由。それは探し人を見つける為だ。相変わらず多少の足跡は追えるが、まだ本人に出会うことは出来ていない。会って……どうするかはまだ分からないが、とにかく見つける。それが今のところの俺の目標だ。だからそれまではここで付き人を続けようと思っている。

 

「それが終わるまでは、続けるつもりだ」

「ふぅん……それが終わったら、辞めちゃうの?」

「ん?」

「また旅に出ちゃうのかな~、って」

「ふむ……」

 

 終わったら、か。それは考えたことが無かった。

 あの人を探すためにがむしゃらに故郷を飛び出して……それからずっと旅をして、行き詰まったから戻ってきた。だとすると確かに、見つけて会うという目的を達成すればそこで俺は当面の目標を失う。ならば、その後は?

 また旅に出る。それは……

 

「……かもな」

 

 それはあり得る選択肢だ。

 なにせそれ以外の生き方を知らない。高校卒業後にすぐ飛び出したから、まともにどこぞへ就職したことも無いしな。旅の途中働くことはあったが、やはり旅をして流離っている時間の方が長い。それに、旅の味をもう知っている。そう考えると、また旅に出る可能性は高いように思えた。

 

「……そっか~」

 

 そんな俺の答えに、静久は残念そうな顔を見せた。

 

「嫌か?」

 

 俺がそう問うと、静久は頷いた。

 

「うん。だって珍しく気に入ってる付き人だもん~」

「気に入ってる、ねぇ……そういえば、なんで俺のことは追い出したりしないんだ?」

「え?」

 

 ふと気になったことを聞いてみる。

 

「だって他の奴らはわがまま言ったりして困らせて辞めさせたんだろ? 俺に対してはあんまそういうことしないじゃないか」

「けっこー言ってると思うけど~?」

 

 そうは言っても、大したわがままじゃない。食事に細かい注文付けたりだとか、疲れたからマッサージしてくれだとか、虫取りしたいからと早朝から連れ出されたりだとか……いや結構言われてるな。

 

「だけどほら、嫌って追い出したりはしないだろ?」

 

 でも、前の付き人のように積極的に辞めさせたりはしていない気がした。自惚れていいなら、嫌われてもいないだろう。だからこそそれが何故なのか知りたかった。

 御守衆のお役目なら、もっとこなせる者がいるだろう。世話だって、俺より従順な奴らなんていくらでも。仮にも頭目の孫娘だ。今までだって、それなりの人物が付き人として付けられた筈。

 だけど俺だけが三つ子に気に入られた。

 他との違い。それが知りたかった。

 

「ん~……強いて言うなら~……」

 

 静久は顎に指を当てしばし思案する素振りを見せてから、答えた。

 

「懐かしいから、かな?」

「……懐かしい?」

 

 出てきた答えに俺は当惑した。まるで心当たりが無かったからだ。

 

「つっても、俺には昔会った記憶なんてないぞ?」

 

 俺の故郷はこの街だ。そして御守衆にしてこの辺りの郷士である高天原家は勿論ずっとこの地で暮らしてきたのだろうから、子どもの頃は同じく街にいた筈だ。となるとすれ違っていてもおかしくは無いが……少なくとも俺の記憶には無い。

 

「うん。静にも無いよ~」

「って、おい。じゃあ懐かしいも何も無いじゃ無いか」

 

 ぺしっと宙をはたく。どっちにも無いのなら、それはただの錯覚だ。

 

「そうなんだけどね~……でも、どこかそんな気がするんだ~。まるで……最初の人みたいで」

「……最初の人?」

 

 気になる単語に首を傾げる。文脈からすると……三つ子に付いた最初の付き人のことか?

 静久は、遠い眼差しで語り始めた。

 

「……すごく、いい人だったんだ~。優しくて、強くて、そして面白い人。静たちのこといつも守ってくれて、相談にもすぐ乗ってくれる、静たちの……お姉ちゃん」

「……女性だったのか」

「そうだよ~。でね、その人と内人は、すごく似ている気がするんだ~」

「俺と?」

 

 静久はこくんと頷いた。

 

「何でだろうね~? 歳も性別も違う筈なのに、どうしてかそんな気がして……だから、一緒にいるとなんとなく安心できるんだ~」

 

 そうか……俺が懐かれた理由はそんなところから来ていたのか。雪蔵さんが俺のことを付き人にした理由も、案外あの人も同じように思っていたからかもな。

 

「だから、静は……」

 

 そして何か、言葉を続けようとしたその時だった。

 ふらりと、静久の身体が力を失ったように傾いだのだ。

 

「っ、おい!」

 

 慌てて身を乗り出し、倒れないよう身体を支えた。顔を覗き込むと辛そうに脂汗を浮かべている。

 

「う……」

「静久? ……熱がある訳じゃない、けど」

 

 むしろ、逆。額に手を当てるとひんやりとした氷のような冷たさを感じる。顔色も血の気が引いているかのように青い。

 

「静久、静久?」

「う……はぁ、はぁ」

 

 語りかけるが、意識も朦朧としているのか荒い息をつくだけだった。

 

「……とにかく部屋に運ぶか」

 

 突然の体調不良。原因不明だが、まずは寝かせるべきだろう。そう思って優しく抱きかかえ、静久の部屋へと運ぶ。

 

 その途中、廊下にて霞澄と出くわした。

 

「あれ、内人? ……静久!?」

「丁度良い! 手伝ってくれ!」

「う、うん!」

 

 静久の自室に霞澄と協力して布団を敷き、その上に静久を横たえた。相変わらず青い顔に汗を浮かべていたので、軽く拭いてやる。すると心なしか、苦しそうな表情が和らいだ気がした。

 

「……はぁ」

「水とかタオル持ってきたよー」

「おう、ありがとう。気が利くな」

 

 いつの間にか出ていた霞澄が看病に必要な道具一式を持ってきていた。予想外に良い手際だ。俺がそう褒めると、霞澄は苦い顔になる。

 

「こうなるの、ちょっとは予測してたんだよね」

「何? と、言うと?」

「静久、雨の日に弱いんだ」

 

 布団の中で眠る静久を気遣う長女らしい眼差しを向け、霞澄は言う。

 

「今日みたいな雨の日に体調を崩しちゃうの。昔からで……酷いときにはこうして倒れちゃう。今日は平気そうだから放っておいたんだけど……駄目だったんだね」

「そうなのか……」

 

 湿気で頭痛でもするのだろうか。

 窓を通じて空を見上げる。分厚い雲が覆った天蓋は晴れる気配をまるで見せない。天気予報だと確か、低気圧が直撃してるんだったか。そんでしばらくは雨が続くとも。

 

「ならこれから辛そうだな」

「うん。だから内人もそれとなく気に掛けてあげて。……お爺さまにも報告してくるね」

「おう」

 

 それだけ言って、霞澄は踵を返して出て行った。部屋には二人きりになる。

 

「ううん……」

 

 横になって少しは良くなったようだが、相変わらず辛いことは辛そうだ。うなされる静久の看病を続けながら、俺は窓の外を見上げた。

 

「……雨、か」

 

 日の射さない昏い空と湿気を孕んで重苦しい空気は、否応なく人の気分を落ち込ませる。かくいう俺も憂鬱な気分だ。

 鉛色の空は、あの日の空と少しだけ似ているから。

 

『どうしよう。どうすれば、みんなを――幸せに、出来るんだろう……!』

 

 俺が過ちを犯した日。俺が旅立った理由。

 

「……なぁ、■■さん」

 

 小さく呟くその名は、誰にも届かず湿った空気に溶けて消える。

 

「アンタはまだ、この街にいるのか――?」

 

 遠い眼差しで問いかけても、視線の先には雨雲と、過去しか存在しなかった。

 

 

 ※

 

 

 雨に打たれる、という行為は死の危険を伴う物だ。

 打ち付ける雨粒は容赦無く体温を奪い、手足の末端は水を長く被りすぎると腐っていく。視界は遮られ、定かならぬ足元は要らぬ危険を呼び込むかも知れない。雨宿りというのは単に濡れるのを嫌がっての行為では無い。生きる為に、必要なことだ。

 しかし、人外や、それに片脚を突っ込んだ人間には関係の無いことだ。

 

「データは充分に集まった」

 

 雨音が響く森の中で、コートを着た渦仮面、野分は小さく呟いた。

 

「幼体の加工。それを利用した化神の強化。それらがどう作用するのか粗方理解できた。このデータが正しければ、私の計画は充分に実行可能という結論が導き出せる」

 

 常なら命の気配蔓延る森も、雨天の今日ばかりは静まりかえっている。それはまるで、この世ならざる光景にも見えて、佇む野分と不可思議な世界を作り上げていた。

 

「これ以上の収集は不要だろう。つまり」

 

 呟きを拾うは隣に控えるバケイカリだ。

 

『いよいよ計画を実行するのですね』

「あぁ。だが、その前に必要なことがある」

 

 降り止まない雨を物ともせず話し込む彼らの周囲には、異様な気配が満ちていた。まるで大量の野獣に囲まれているかのような――あるいは、従えているかのような。

 

「穢れとは、人心だ。人の不安、恨み、苦しみ――それが噴き出でて、凝り固まりし存在が化神」

 

 語る野分は昂ぶっているように見えた。それは計画とやらが成就する喜びなのか。はたまたその先の未来を見据えての歓喜なのか。それは余人には知れないが、ただ一つ分かることがある。

 野分は、何かを決心していた。

 

「化神を生み出すには何が必要か。つまり、人心を揺らすことだ。故に」

 

 野分はバケイカリを見つめた。仮面の奥の瞳には、言い表せない凄みが宿っている。

 

「お前に任せよう――高天原雪蔵の、暗殺を」

『ははっ』

 

 静かに、静かに進行していた闇。それは今、その全貌を曝け出そうとしていた。

 

 

 ※

 

 

 

「――続くなぁ、雨」

 

 翌日も、雨は降り続いていた。ざあざあと耳障りな音を響かせ、止む気配は無い。気が滅入る。だが俺はマシな方で、もっと酷い事になっている者もいた。

 

「うっ……」

「大丈夫か? 静久」

 

 俺は引き続き、静久の部屋で彼女を介抱していた。

 連日の雨で静久は、すっかりその体調を崩していた。それはかなりのところまで来ていて、今では布団から出られず、両手でバケツを抱えなければいけない程だった。

 あぁ、また今も。

 

「えう゛っ、おえっ」

「よしよし。全部出しちまえ」

 

 えづく静久の背を優しくさする。出し切るまでずっとそうしていた。どうにか波が終わり、今度は咳き込む。

 

「……けほっ、げほっ」

「水飲むか?」

「うん……」

 

 顔を真っ青にした静久は本当に辛そうに涙を浮かべて、コップに入った水を受け取った。

 

「ごめんなざっ……えほっ、えほっ!」

「大丈夫だから、ゆっくり飲め」

 

 謝る静久を宥め、背中を支えゆっくり飲ませてやる。冷たく涼やかなそれを飲み干しても、静久の表情は少しも晴れなかった。

 

「……っ、うるさい、うるさい……」

 

 ブツブツと譫言まで呟き始めた。かなり精神的にも不味そうだ。

 

「……重傷だな」

「うん……ここまではアタシたちも初めてだよ」

 

 すぐ傍には霞澄と日依もいた。二人とも静久が心配で、付き人の俺と一緒に付きっきりだ。霞澄は深刻そうな顔を浮かべ、日依は動揺を隠せない。

 

「し、静久死んだりしないよね? 元気になるよねっ?」

「大丈夫だから。後そういうこと本人の前で言うな」

 

 愛情深いことが悪い方へ影響し、日依はプチパニック状態だった。俺が看病している間も常にオロオロと所在なさげにしている。逆に霞澄は冷静だが、やはり心配そうに眉根を寄せていた。平静という訳にはいかないのだろう。

 だがまず対処すべきは日依だ。このままだと暴走しかねない。

 こういう時は、仕事を与えてやるに限る。

 

「日依、替えのバケツを持ってきてくれないか。後タオルも」

「! わ、分かった!」

 

 俺がそう頼むと、日依は弾かれたように立ち上がり、廊下へ飛び出すとドタドタ足音を立てて走り去っていく。急ぐ必要は無いんだが、まぁジッとはしていられないのだろうな。

 

「……なんかさ、原因とか心当たり無いのか?」

 

 心配性な日依がいなくなったのを機に霞澄へ問いかける。静久の体調は、尋常では無い。俺は化神や御伽装士関連を疑った。

 

「うーん、アタシも資料室で調べたんだけど……」

 

 霞澄は首を捻りつつ答えた。

 

「コレと言って、似たような事象は無かったんだよね」

「そうか……」

 

 俺より詳しい霞澄が調べて駄目なら、そうなんだろう。一応医者にも診せたが体質としか言われなかった。となると、もうお手上げだ。

 今できることは、少しでも静久を楽にしてやることだけだ。

 

「持ってきたよ!」

 

 部屋の戸を音が鳴る程の勢いで開き、日依が戻ってくる。俺は新しいバケツを受け取り、静久が抱えた物と取り替え、日依に渡す。

 

「じゃあ、これを捨ててきてくれ」

「うん、分かっ――」

 

 日依が頷こうとした、その時。

 にわかに廊下が騒がしくなった。

 

「ん……?」

 

 誰かが駆ける音も聞こえる。この慌ただしさは、覚えがあった。

 

「出たのか。化神が」

「みたいだね」

 

 霞澄の眼差しが鋭くなった。意識を御伽装士としての物に切り替えたのだろう。

 一方で日依は未だ心配そうに妹をチラチラ見ている。戦える状態では無い。静久は、言わずもがなだ。

 俺と霞澄は頷き合った。

 

「日依、俺の代わりに看病頼む」

「え、でも化神は?」

「そっちはアタシと内人で行ってくるから、お願い!」

 

 俺たちは二人を置き、静久の部屋から飛び出した。

 

「え、えっと」

「うぅっ」

「わ、わわわ! 大丈夫、静久!?」

 

 御伽装士とのお役目に迷ったようだが、静久が再び苦しみ始めたことでそっちへ気が逸れる。その隙に俺たちは廊下を早足で進み、司令塔である雪蔵さんの元へ急いだ。

 幾人かの使用人たちとすれ違いつつ、俺は併走する霞澄へ愚痴った。

 

「ったく、こんな時に。化神はホント、こっちの事情を考えないよな」

「ま、アタシたちだって化神の事情なんてどうでもいいけど」

 

 とにかく急ぐ。

 化神退治は大事なことだが、静久の容態だって心配だ。さっさと終わらせて、戻ってこよう。

 

 そう、勇んで出てきたものの。

 

「……現着、だよな」

「うん……その筈だけど」

 

 急行した現場に化神はいなかった。正確に言うならば暴れた後は残っているが、化神の姿は何処にも無い。

 発見し、その場で監視していた平装士に聞いてみる。

 

「何処へ去ったか分かるか?」

「いえ、まるで地面に溶け込むように消えてしまいました。その後ずっと監視していましたが、再び姿を現わすことはありませんでした」

「逃げたか……?」

 

 だが化神が何もせず逃げ出すとは考え難い。霞澄もそう思ったのか、怪訝な顔を浮かべている。

 

「こういう時、静久なら化神の気配を追えるかもしれないけど……」

「……まぁ無い物ねだりをしても仕方ない。取り敢えずこの後の指示を本部に聞いてみよう」

 

 次にどうするか、高天原邸にいる雪蔵さんへ伺うべくトライユキオロシの通信機を起動する。砂嵐めいたノイズが聞こえてくるが、それも次第に晴れてすぐ明瞭な通信が――

 

「……? 繋がらないな」

 

 本来は間もなく繋がる筈の通信が、いつまで経っても繋がらない。ずっとノイズが流れ続けるだけだ。

 

「こんな時に故障か? ……済まないが、そっちで報告をしてくれ」

「あぁ、はい」

 

 平装士が頷き端末を手に取る。が、その顔色がすぐ青くなった。

 

「……こっちも繋がりません」

「何? それは」

 

 いっぺんに故障とは、流石に考え辛い。つまりこれは――

 

「……家に、何かあった?」

 

 呆然とした霞澄の呟きが漏れる。その可能性が高かった。あるいはジャミングの可能性もあるが、スマートフォンの電波は正常だ。高天原邸に何かがあったと考える方が自然だ。

 

「まずい。戻るぞ霞澄!」

「うん!」

「ご武運を! こちらも周辺住民の暗示を解いた後向かいます!」

 

 平装士と別れ、来た道をトライユキオロシでとって返す。道のりは……そこそこ遠い。

 

「まさか、陽動ってことは無いよな」

 

 御伽装士を本部から引き離す為に、一瞬だけ化神が姿を現わした。そう考えると辻褄が合う。だがそれは、化神が作戦行動を行なっているということになる。つまり連携。複数の化神が徒党を組んでいる……?

 

「内人、アタシが変身して屋根伝いに行った方が早いかも!」

 

 窓の外、雨の中でも車の通りがそれなりにあるのを見た霞澄が提案する。確かに住民を轢かないように気をつけて街中を走るより、浮雲の脚絆を使って機動力のある霞澄のテンユウの方が早いかも知れない。

 

「分かった。行ってくれ」

「うん! ……あれ?」

 

 俺が同意すると頷き、霞澄はバレッタから怨面を取ろうと頭に手を伸ばす。が、その手は空を切った。

 

「……霞澄?」

「な、無い」

「は?」

「怨面が、天鼬の怨面が無い!?」

「はぁ!?」

 

 慌てて全身をまさぐるようにして探す霞澄を横目にしつつ、俺は止めかけたトライユキオロシを再びフルスロットルに戻す。そうしながら霞澄へ怒鳴った。

 

「こんな時に忘れてきたのかよ!」

「ち、違う! そんな訳無い! 筈、なのに……!」

 

 結局、怨面は見つからなかった。霞澄はあり得ないと言わんばかりに動揺した表情を浮かべている。その様子を見て俺も考えを改めた。御伽装士という役割に対して真面目な霞澄が、まさかそんな凡ミスを犯す筈が無い。

 

「どういうことだ、盗まれたのか?」

「でも現場に向かうまではずっとトライユキオロシの中だったよ? それにもし化神の仕業なら、アタシだって気配を感じるぐらいは出来る筈だし」

「高天原邸にあるのか? いや、分からないが取り敢えず行くしか無い……!」

 

 いずれにしろ、このまま向かうしか無くなった。早く行かなければ。もし怨面が無くなっていたら、最大戦力はこのトライユキオロシになる可能性だってある。

 

「一層飛ばすぞ! しっかり掴まってろ!」

「うん……! 日依、静久、お爺さま……みんな無事でいて……!」

 

 助手席で祈るように呟く霞澄に、俺は内心で同じ事を思いつつハンドルを切る。

 雨足は、更に強くなり始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……辿り着いた時点で、何かがあったと悟れた。

 

「門が……!」

 

 重厚な構えで来客を迎える正門が、塀ごと破壊されていた。敵を阻む機能を完全に破壊されており、それはつまり内部への侵入を意味していた。

 

「そんな……みんな!」

「このまま中に入るぞ!」

 

 俺たちはそのままトライユキオロシで敷地内へ入った。敵がいるかもしれない現状、降りるという選択肢は無い。

 庭を突っ切り、屋敷へと向かう。ただ、肝心の屋敷はあまり異常はなかった。遠目でも破壊痕は存在しない。火の手が上がったりも、どこかが崩れていたりする気配も無かった。

 

「どういうことだ?」

 

 俺が疑問の声を呟くその横で、霞澄は何かに気付いたようにハッと顔を上げた。

 

「化神の気配……!」

「! 何処だ!?」

「こっち!」

 

 霞澄の指示に従いハンドルを切る。言われた通りの道筋を行けば、すぐにそれは見えてきた。

 戦闘だ。

 

「! 戦ってる、のか」

 

 雨煙の中で明滅する火花や、硬い物が克ち合う硬質な音が届く。戦闘しているのは明らか。だが、誰が?

 そして雨の中でもハッキリ見えるところまで近づいて、それは分かった。

 

「テンユウ!?」

 

 そこで戦っていたのは紛れも無くテンユウだった。灰色の布鎧にオコジョのような尻尾。かなり素早い機動をしているが見間違えるはずも無い。御伽装士、テンユウだ。

 

「相手は……!?」

 

 テンユウが身を翻す。一瞬遅れ、そこには巨大な金属が突き立った。地面が抉れ、雨粒を含んで重い筈の土砂が高く巻き上がる。

 それは、巨大な碇だった。

 外したことを悟った下手人は、鉄塊に通された鎖を引いて手元へ戻す。ソイツは見慣れない鉄鎧を纏った、あるいは西洋騎士にも見える人型だった。

 間違いない。化神だ。しかも……。

 

「……三体も!」

 

 碇を手にした化神の傍には、従うようにして更に二体の化神がいた。砂色をした平べったい魚類の化神と、白い甲殻を狩衣風に纏った細長い化神。

 

『ホッホッホ。他愛ありませぬな』

 

 そう勝ち誇り始めたのは白い化神だった。

 

『バケイカリ殿から御守衆の本拠を襲うと誘われた時にはこのバケエボシ、正直気後れしておりました。厄介な御守衆がそう簡単に屠れるものかと。しかし実際の守り手はなんとこの体たらく。誘いに乗って正解でしたな、バケヒラメ殿』

『ギッヒッヒ。全くだぜ。予定と違って陽動には引っかからなかったみてぇだが、何のことはねぇ!』

 

 砂色の化神――バケヒラメがバケエボシと名乗った白い化神に同意する。やはり、化神が徒党を組んでいたのか。

 そして恐らく、リーダー格はあの鉄色の化神!

 

『……無駄口を叩くな。()く、無力化しろ』

『ホッホ。では僭越ながらわたくしが』

 

 鉄色の化神、バケイカリは静かな口調で命じた。それに応じ、バケエボシが狩衣の中から取り出した扇子を広げる。広がったそれには紙の代わりに、白い貝のような物が連なっていた。

 

『ホッホホ。そぉれ!』

 

 バケエボシが扇子を振るう。すると花びらのような白い何かが散った。

 

「っ、う……!」

 

 テンユウはそれを躱そうとする。だが、動き出しが鈍い。それなりのスピードで跳ぶ物体を避けきれず、一つが腕にぺたりと張り付いてしまう。

 

『――ぽん!』

 

 バケエボシが戯けた調子でそう呟いたその瞬間、それは爆ぜた。

 

「うあ゛ぁっ!」

 

 白い破片を散らし、まるで手榴弾のようにテンユウを襲う。破片が突き刺さってテンユウは派手に地面を転がった。

 そしてそれを追い打つようにバケヒラメがテンユウへ迫る。

 

『ギッヒヒ! 獲物獲物ぉ!』

 

 地を滑るように低く低く迫るバケヒラメだが、テンユウは痛みに呻きつつもその存在には気がついていた。立ち上がり、迎撃するために拳を構える。

 だがバケヒラメの砂色の身体は、見ている前でふっと姿を消した。

 

「!! ぐぅっ!」

 

 見失ったことで硬直した瞬間、いきなりテンユウの身体が横へと吹き飛んだ。それが何故なのかは、すぅっとバケヒラメが再び姿を現わしたことで判明する。透明になったバケヒラメが殴りつけたのだ。

 

『ギッヒッヒ! オラの擬態に翻弄されな!』

「っ、うああっ!」

 

 挑発するように姿を現わしたバケヒラメに対し、テンユウは癇癪を起こしたように反撃を繰り出した。しかし稚拙な拳はあっさりと躱され、バケヒラメは再び姿を消す。

 

「どこ!」

 

 吠えながら首を振って探すテンユウ。が、探すことに注意を向けるあまり、その足元に白い貝殻は飛んで来ることに気付かなかった。まずい!

 

「!? ぁ――」

『ぽん!』

 

 爆発。飛び散った破片は容赦無くテンユウの全身に突き刺さった。

 

「ああ゛ぁぁっ!!」

『ホッホッホ。まったく、憎き御伽装士のその有様ほど甘美な物もありゃせんのう』

『ギッヒ! 愉快この上なし! ギッヒッヒ!』

 

 苦しみ、のたうち回るテンユウ。それを見て嘲笑う化神たち。三対一。連携する化神に完全に翻弄されていた。

 

「どうしたんだ、日依……!」

 

 だが、それを差し引いてもテンユウの動きに精彩は無かった。攻撃や防御は安定感を欠き、無用なダメージまで受けているように見える。変身者は消去法で日依の筈だが、普段は鋭い体術の切れ味も見られない。高天原邸を襲撃されたことに動揺しているのか?

 何故か分からなかった。だが、その理由は雨の中屋敷から飛び出してきた人影を見て判明した。

 

「もうやめて!!」

 

 降りしきる雨の中叫ぶのは赤い組紐で髪を括った少女、日依だった。……日依? 日依!?

 

「え、なんで日依が……」

 

 隣で呆然と呟く霞澄の声が聞こえる。俺も同じだ。だって、日依がそこにいるということはつまり……!

 

「やめて、静久!!」

 

 日依が叫びは、テンユウの背に向けられていた。テンユウに変身出来るのは高天原の孫娘である三つ子のみ。なら今テンユウへ変身しているのは、静久以外にあり得ない。

 吐き戻す程に体調を崩していた静久が戦っている?

 無茶だ。

 

「うううぅ、ああああぁっ!!」

 

 テンユウは日依の制止を聞こうともせず、唸りを上げて化神に向かって飛びかかる。その軌道は後ろから見ている俺たちでも思うくらい、分かりやすかった。

 当然、迎撃が入る。

 跳ぶテンユウの眼前へ、巨大な碇が叩きつけられる。

 

「あぐっ!」

 

 碇と正面衝突し、墜落するテンユウ。雨粒を吸った庭に落下し、その身体が泥土に塗れる。

 

『ヒッヒヒィッ!!』

 

 そんなテンユウへ追撃しようとバケヒラメが躍りかかる。まずい、援護しなければ!

 

「霞澄!」

「うん!」

 

 俺は咄嗟に操縦席のスイッチを押した。ボンネットを裂いて現われるのは銃器。俺の意を汲んだ霞澄は即座に身を乗り出し、出てきたトリガーを握った。

 標準機である鏡を見ては一瞬後、霞澄は引き金を引く。

 

「当たれぇ!」

 

 銃口が唸る。霞澄の神通力を吸って放たれた砲弾は霞澄の狙い通りの場所に命中した。

 即ち、両者の中間。地面だ。

 

『ぬおっ!?』

 

 突然弾けて噴き上がる泥土に遮られ、バケヒラメは目標を失って着地する。これでいい。雨の中で、しかも飛びかかる最中の標的を狙うのは難しい。だから地面を狙い、泥を巻き上げることで即席の煙幕とした。守れるのは一瞬だが、その一瞬でいい。

 

「今だ! 行っっっけぇ!!」

 

 アクセルを思い切り踏み込む。飛び出したトライユキオロシは真っ直ぐに走った。そして車体が両者の間に割り込んだ瞬間、ブレーキを大きく踏む。車体は滑るように急停止し、バケヒラメからテンユウを庇う形で止まった。俺は素早く後部座席のドアを開きながら叫んだ。

 

「乗れ!」

 

 テンユウに、静久に乗車するよう促す。一時撤退だ。屋敷を守らねばならないのは分かるが、このままではあまりにも分が悪い。一度退くべきだ。

 だがテンユウには聞こえていないようだった。

 

「うううぅぅぅ……!」

 

 獣のような唸り声を上げて泥の中から立ち上がると、再び化神に立ち向かう気なのかトライユキオロシを飛び越えようと脚に力を溜める。やばい、これ以上戦わせては!

 

「静久、待って!」

 

 それを止めたのは後ろから抱きついた日依だった。変身していないただの人間によるタックルだったが、御伽装士である筈のテンユウはそれであっさりと動きを止められてしまう。

 

「あ、う?」

「霞澄、引っ張って!」

「うん!」

 

 その隙に助手席から後ろへ移動した霞澄が、日依と連携して社内へとテンユウを引っ張り込む。後部座席に倒れ込むようにして三人が乗り込んだのを確認した俺は、ドアを閉めてアクセルを踏み込んだ。

 

「一旦逃げるぞ!」

 

 そう言って俺は、離脱すべくトライユキオロシを走らせた。

 

 

 ※

 

 

 

『ホ? 逃げるようですな?』

 

 去って行くトライユキオロシの後背を見つめ、バケエボシが拍子抜けた声を発する。散々ばら痛めつけた獲物がいなくなることへの残念そうなニュアンスを含まれていた。

 

『追いますかな?』

 

 どうすべきか、取り敢えず隣のバケイカリへと伺いを立てた。今回の襲撃はバケイカリによる扇動。指示を聞いておくべきという判断だ。バケイカリの方が格上の化神であるというのもある。バケエボシは知恵が回るタイプの化神であり、こういう時の立ち回りに長けていた。

 

『決まってんだろ! 追い回すぞ!』

 

 そう声を荒げたのはバケヒラメの方だった。バケエボシは無視し、バケイカリの答えを待つ。

 

『……いや、当初の目的を優先する。頭目を狙うぞ』

 

 二体の意見を聞いたバケイカリは、あくまでここへ来た目的を優先する。即ちここ御守衆北海道エリアの実質的な本拠である高天原邸、そこに住む頭目の高天原雪蔵の殺害だった。

 

『アァ!? んなのつまんねぇよ! それよかあの娘らをいたぶろうぜ! 良い声で鳴きそうだ!』

 

 バケヒラメが反論する。こちらはバケエボシと打って変わって直情的なタイプだった。人間を痛めつけてから残酷に喰らうのが好きな残虐な性格をしており、擬態の能力で姿を消して騙し討ち、いたぶっていくのが好みであった。

 なので己の嗜好を優先し、バケイカリの判断を無視して逃げ去ったテンユウたちを追おうとする。

 だがその背を、とてつもない威圧感が襲った。

 

『……あ、ヒィッ……!』

 

 それはバケイカリから放たれる無言の圧力であった。力ある化神である彼が行なえば、それは神通力にも通じる不可視の力となる。重圧に絡め取られ、バケヒラメは動きを止め、喘ぐ。

 

『……このまま頭目を叩く。よいな?』

『ヒ……わ、分かったぜ旦那。ア、アンタに従うよ……』

 

 威圧に屈したバケヒラメは追うことをやめ、大人しくなる。その様子を見てバケエボシは感心したように、恐れ入ったように扇子で口元を覆い隠す。

 

『ホッホ……流石はバケイカリ殿であらせられるのぅ。ではそういたそう』

『あぁ……だが、気を抜くな。ここは御守衆の本部だけあって結界も厳重だ。外縁部の結界は既に破壊したが、内部にも幾重の防衛機構が存在する筈だ。だからこそ、三体も集めた上に陽動までしたのだからな』

『ほう? 詳しいですのぅ』

 

 意外そうにバケエボシは声を上げる。化神である筈のバケイカリがここまで御守衆の側について詳しいのが不思議だったのだ。

 

『あぁ……そう、聞いたからな』

 

 バケイカリは静かにそれだけを答え、屋敷の奥を重い視線で睨み付けた。

 

 

 ※

 

 

 

「……追ってこない、か。ならここまで逃げれば大丈夫か」

 

 戦場から逃げ出した俺たちは、敷地内の雑木林で停車した。追手が来る気配は無い。ならば充分離れつつも即座に戻れるこの場所がベストだと判断した。

 撤退は成功した。次は、後ろの三人だ。

 

「静久! 変身を解除して!」

「うううぅぅ! あああぁぁっ!!」

「静久、静久!」

 

 テンユウ、静久はまだ二人に拘束されたままだった。上半身と下半身を暴れないようそれぞれに押さえつけられている。それでもテンユウの力なら簡単に振りほどける筈だった。常人では敵わないだけの膂力が御伽装士にはある。そうならないのは、やはり静久が本調子ではないからなのだろう。

 

「ど、どうしよう霞澄?」

「無理矢理だけど怨面を取ろう!」

 

 二人は連携し、暴れるテンユウから怨面を剥ぎ取った。

 

「が! う、うぅぅ……」

 

 鎧が淡雪のような光となって溶けると、暴れていた静久は力を失い大人しくなった。その肌には汗がびっしりと浮かんでいる。

 

「静久!」

「はぁ、はぁ、みんな……?」

 

 呼びかけると、薄らと目を開け俺たちを認識した。少なくとも暴走状態では無くなったようだが……

 

「一体何があったんだ。なんで変身なんか」

「それは……」

 

 俺の問いかけには、疲弊している静久に変わって日依が答えた。

 

「まず、突然アイツらが襲撃してきたの。結界を壊して、敷地内へ攻め込んできた。支部本拠だからそれなりの防衛機構は備えてたけど……」

「三体の化神には勝てなかった」

 

 日依が頷く。化神に対抗できるのは御伽装士だけだ。だからこそ、適合できる人間は幼かろうと駆り出される訳だし。

 

「霞澄たちに連絡を取ろうとしたけど、駄目だった。あまりに唐突だったからみんな混乱してて……せめて静久だけでも逃がそうとしたの、でも」

 

 言葉を切り、霞澄に汗を拭かれている静久へと日依は目を向ける。

 

「静久は……布団を抜け出して、化神へと向かっていった。その手にはいつの間にか、怨面が握られていた」

「静久が持っていたのか……」

 

 霞澄の手から消えていた怨面は、何故か静久が持っていたようだ。そしてそのまま静久はテンユウへと変身し……そして俺たちが目撃した戦いへ繋がるということか。

 

「なんでそんな真似を……」

 

 霞澄が心底理解できないという表情で問う。怨面を手にしていたこともそうだし、日依に任せず自分で戦ったこともそうだ。少なくとも体調が優れない静久が戦うのが一番あり得ない選択肢だ。どうしてそんなことをしたのか、まるで理由が分からない。

 

「……声、が……」

「声?」

「五月蠅いの……ずっと喚いて、泣き叫んで……ずっと、ずっと……」

「……何の、話だ」

 

 唐突に声とやらの話をされて困惑する。意識が朦朧として譫言を言っているのか?

 

「声……怨面……」

「! ねぇ、霞澄、もしかしたら」

「え、あ! そっか、そうだったの……?」

 

 だが俺と裏腹に、姉妹の二人は何か心当たりがあるようだった。

 

「なんだ、どういうことだ?」

「怨面には、疑似人格がある……」

 

 それは、知っている。資料室で見た。怨念無念の呪いを込めた魔道具である怨面には、制御のための擬似的な人格が宿っていると。そしてテレパシーで装士と会話する、とも。

 

「それが聞こえたから、アタシたちは担い手として選ばれた。……まるで小さな子どもの喚き声みたいだった。駄々を捏ねて、泣き叫んでるみたいな……」

 

 ……それが、三つ子に聞こえた声なのか。想像と違う。てっきり俺は、もっと威厳のある感じだと思っていた。

 幼い喚き声。それが怨面の、天鼬の怨面の声。

 

「私たちは、それきり聞くことは無かった……けど」

「けど?」

「……静久には、ずっと聞こえていた……?」

 

 ハッとなる。確かに静久は、五月蠅いと言っていた。もし、静久にその喚き声が聞こえていたのだとしたら……。

 

「一度聞いただけでも、忘れられない声だった。頭が痛くなるような……聞いてて気持ち悪くなるような……」

「まさか、静久の体調不良って……」

 

 繋がる。繋がってしまう。

 静久は時折、ぼーっとすることがあった。話しかけても反応しない時が。それが、怨面からの声で遮られていたからだったとしたら?

 雨の日に体調を崩していることだってそうだ。それが、延々と耳元で喚き声を聞かされて、その所為で変調をきたしているとしたら?

 ずっと、ずっと、静久は。

 

「呪い……」

 

 ポツリと、日依が呟いた。

 怨面は元より呪物だ。災害や化神に殺された無念を閉じ込めた、毒を以て毒を制する為の魔道具。呪いだ何だとは、今更な話。

 だが、それを今ほど実感したことは無い。静久の身に今起こっていることは、正に呪いだ。

 

「思えば、兆候はあったのかも……」

 

 霞澄が零す。

 

「静久は、術が一番上手い……それって、怨面とかの扱いも上手いってことだよね? 一番、適合してるってことになる……」

「雨、も……静久は水を使う。つまり、静久にとって本来は己の力が高まるいい環境なんだ。でも、だからこそ声が一層に聞こえて……」

 

 心当たりがポロポロと出てくる。そしてそれを聞いている静久も、否定しない。沈黙は肯定の証だ。

 

「……そう、だよ。静は……天鼬に、呪われてる」

 

 苦しそうに吐息を吐き出し、答えた。今も、聞こえているのだろう。

 

「怨面を持ってたのだって、好きでじゃない……いつの間にか、手の中にあったの。まるで、放さないって言ってるみたいに……」

「そう、だったんだ」

 

 つまり、掠めた取った訳では無かった。ならおそらく、日依に任せず自分が変身したことも。

 

「手から放り出そうとすると、余計に五月蠅くなるの……耐えられないくらいに……だから……」

「分かった、静久、もう分かったから」

 

 苦悶の表情を浮かべて答える静久に、日依が休むように言う。しかし、静久は首を横に振った。

 

「あの化神たちが出てきてから、もっと五月蠅いの……何かが近づいているみたいに、ずっとずっと頭の中で喚くの……だから、だから……!」

 

 突然、静久が跳ね起きた。病人のように苦しげな様子からは想像もつかない勢いで。そして日依の持っていた怨面を掴むと、そのまま押し退けて車外へ飛び出してしまった。

 

「あ、え、静久!」

「追わなきゃ、内人!」

「あ、あぁ!」

 

 雨の中へ消えていく静久の背を追い、俺は慌ててトライユキオロシを動かす。

 車の速度なら、あっという間に追いつけるはずだ。

 だがもし……テンユウに変身したら……

 

 

 ※

 

 

「うぅ、うぅぅぅ……!」

 

 奔る、奔る。

 泥を蹴り、雨を裂き、駆ける。

 

 手には怨面。恨めしき苦痛の権化。静久の頭の中には、今もその声が聞こえていた。

 

 ――ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ――……

 

「五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い!!」

 

 初めてその声が聞こえたのは、家の慣習で天鼬の怨面と相対した時だった。

 高天原家に生まれた者は、必ず一度保管され所有者のいない怨面と面通しする。そこで適合する怨面があればよし、無くても後に修行して身につけさせる。それが御守衆の頭目一族として生まれた高天原家の宿命だった。

 倉の中で目を合わせた瞬間、頭の中に声が叩き込まれた。まるで騒音のような、とても響く喚き声。駄々をこねる子どもの泣き声よりも、ずっとずっと五月蠅い声。

 その時は、一緒にいた霞澄も日依も聞こえていた。あまりの怖さに抱き合って泣いたものだ。だが、二人はそれきりだった。静久はそうでは無かった。

 ふとした瞬間、不意打ちのように頭に響くのだ。子どもの悪いところを煮詰めたような、劈くような声が。

 ずっとそうだった。遊んでいようと、修行していようと、化神と戦っていようと。声は容赦無く頭に鳴り響き、頭痛や目眩を引き起こした。特に雨の日は殊更に響き、体調を崩してしまう。

 

 それでも、決して表には出さないようにしていた。

 心配を掛けたくないから。

 共に辛い修行を頑張る霞澄に。あぁ見えてすぐに動揺してしまう日依に。心を鬼にして修行を課し、時折奥歯を砕けんばかりに噛み締めるお爺さまに。誰にも、自分がこんなことになっているなど知らせたくなかった。我慢していればみんな幸せだ。心を痛めなくて済む。

 でも、一度だけ。本当に一度だけ、零したことがある。

 たった、一人にだけ――

 

「……オン・ルドラ・ラン・ソワカ!」

 

 手にした怨面を、走りながら被る。雨に打たれて冷たいと叫ぶ身体に、更に呪いという鞭を打つ。

 

「ぐ、う、ああああぁぁぁぁっ!!」

 

 今日は特に、痛んだ。それでも、変身した。

 重い水の幕を裂くように、灰の若武者が飛び出した。急加速し、後背を振り切るようにひっ跳ぶ。その駆け姿は、焦燥に駆られているようにも見えた。

 

「倒せば……! 倒せば、いいんだろ!!」

 

 この五月蠅い声を黙らせる方法が、一つだけある。

 それは、化神を倒すこと。宿敵たる化神を倒せばその為に作られた怨面としての本能なのか、少しだけ声が止む。

 だから、静久のテンユウは化神を目指す。

 

「がぁあああぁぁぁーーっ!!」

 

 人々の為にでは無く、自分の為に。

 今のテンユウは、ただその為だけに。

 

 そして程なくして、化神の姿が見えてくる。屋敷は広くとも、御伽装士たるテンユウの速度なら訳無い。

 自分を散々に痛めつけた三体は、相も変わらず揃っている。抵抗する平装士と屋敷の防衛機構を前に戦っていた。

 

『ホ。小五月蠅いですねぇ』

『うざってぇ……弱い癖に……!』

 

 三体は、それなりに苦戦しているようだった。とは言っても、命の危険がある訳では無い。平装士の術も防衛機構も、足を止める以上の活躍は出来ていなかった。

 

「頭目を奥へお連れしろ! 非戦闘員は地下へ行け!」

「少しでも戦える奴は肉壁になれ! 意識がある限り喰らい付いてでも止めろ!」

 

 単純に、しつこく粘られているだけだ。少しでもと、頭目の為にいじましく時間を稼ぐ平装士たちの手によって。

 

「う、あああぁぁっ!」

 

 そこへ、テンユウは躍りかかった。

 平装士たちの心意気に応えてとか、そういう気は一切無い。ただ単に、化神たちへ奇襲を仕掛ける好機だったからだ。

 

『あ? グギャアァァッ!?』

 

 テンユウの跳び蹴りが、バケヒラメの横っ面に突き刺さる。完全に不意を突かれたバケヒラメはそのまま大きく吹き飛んで、泥の中を数度跳ねて転がった。

 そしてバケエボシが、バケイカリが、それを認識し、ゆっくりと振り返る。突如乱入してきた、息を荒げる御伽装士を。

 

『ホッホ。また懲りずに来よったようだのぅ。哀れなことで』

『……お前たちで対処しろ。こちらは、続ける』

『了承、了承。ホッホ』

 

 バケイカリはそのまま屋敷の攻略を続けることを選んだ。足止めにと繰り出されたのは、バケエボシ。そして泥の中から起き上がり激昂するバケヒラメだった。

 

『テメェェェ!! 舐めてんじゃねぇぞォ!!』

 

 蹴り飛ばされ激怒するバケヒラメはテンユウへ向け駆け出した。テンユウもまた、迎え撃つ姿勢を取る。だがカウンター気味に叩きつけようとした拳は、バケヒラメが姿を消したことで空を切った。

 

「うっ!? ぐあっ!」

『馬鹿が! また引っかかりやがって!』

 

 そして予想外の方向から殴打を受け、泥の中に倒れるテンユウ。バケヒラメの擬態による不意打ちだった。

 バケヒラメは魚類のヒラメと同じように周囲の風景に溶け込む擬態能力を持つ。だがそれは地面の色と同化するヒラメの物よりも強力で、ほとんど光学迷彩と同等であった。

 目で見ればほぼ透明。故にバケヒラメはこの力で敵や獲物を攪乱し、見失った隙を突いて狡猾に仕留めてきた。その力は御伽装士たるテンユウを前にしても遺憾なく発揮されている。

 

『ハッハァ! そのまま死ねィ!』

 

 再び姿を消し奇襲をかける。テンユウは泥の跳ねる音を聞いて反撃するが、やはり空振り、またバケヒラメの一撃を受けてしまう。

 

「ぐうぅぅ!」

『ヒャハハハッ!』

 

 精彩を欠いたテンユウではまるで対処できない。しかも敵は、バケヒラメだけでは無かった。

 

『ホッホ。バケイカリ殿が目的を果たす足止めだけで構わぬのだが……宿敵たる御伽装士を屠ることに是非も無い。加勢いたそう』

 

 そう言ってバケエボシは貝殻の扇子を手に、踊るように舞う。ヒラヒラと扇子がそよぐ度に散った貝殻が、花吹雪の如く雨の中に広がった。

 

「ぐ……」

 

 周囲を貝殻で囲まれて、半ば暴走状態にあるテンユウであっても流石に踏みとどまった。それは爆弾。触れれば踏めば一触にして即発する地雷。白い破片の痛みを思い出し、テンユウの動きが止まる。

 

『ヒャハァ!』

 

 そこへ襲い掛かるのはバケヒラメだった。彼は貝殻に当たろうと踏もうとまるで関係なくテンユウへ攻撃を仕掛ける。しかして白い貝殻は、まるで無反応だった。同じ化神相手には反応しないよう出来ているのだ。

 動けないテンユウを、バケヒラメは一方的に痛めつけた。

 

『ギャハハッ!』

「が、ぐぅ、かはっ!」

 

 攻撃は単調。左右の腕と両脚から放たれる格闘攻撃のみ。嬲り殺しにするのが好みのバケヒラメは武器などは持たない。

 だが反撃しようと迂闊に動けば――

 

「あ……ぎぃっ!!」

 

 踏み込もうと足を下げた瞬間、足元で爆ぜる貝殻。白い破片が飛び上がってテンユウに突き刺さり、薄い布鎧を破ってその下の肉に食い込む。

 そして爆発の衝撃によろめいたテンユウに、追い打つはバケヒラメ。鈍い打擲音が鳴り響き、雨の中で灰色の人影が大きく傾ぐ。倒れまいと堪えたところで、更に足元の貝殻が爆発した。

 

「ああ゛あぁぁっ!!」

 

 痛みに絶叫し、仮面の下で血を吐くテンユウ。だがそれでも、頭を苛む声は鳴り止まない。むしろ静久が弱る度、音量を増していく。

 

 ――ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ――……

 

「ああぁあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁーーっ!!!」

 

 もう、嫌だった。

 静久は、ずっと嫌だった。

 頭に鳴り響く声も。身体を引き裂く痛みも。こんな気持ちにならなければならない――御伽装士の、果たすべきお役目も。

 無辜の人々を救う。それは意義のあることだ。傷ついた人を癒やす。それも見過ごせない程度の良心はある。

 

「静は、僕は、俺は……!!」

 

 だが、だが、それでも。

 どうして自分が、自分たち姉妹がしなければならないのか、と。

 本当に昔から、そう思っていた。

 

『……!? 此奴、何か……』

『あ、あぁ?』

 

 アイツらを倒さないと、自分に安らぎは訪れない。

 

「が、あ、あ、ああああぁぁ……!」

 

 だから、早く終わりにしよう。

 そうすれば、楽になれるのだから。

 

 

 ※

 

 

「いた!」

 

 俺たちがテンユウに追いついたのは、化神たちのいる戦場に戻ってきた後だった。やはり変身してしまっていたテンユウの動きに追いつけず、辿り着いた時には既に戦端の開かれてしまっていた。

 状況は……テンユウの、不利だ。

 

「加勢を――」

 

 しよう、と続けるつもりだった。

 だが……それを言葉に出すよりも早く、異様な空気が俺たちを襲った。

 

「っ!?」

「うっ!?」

「これ、はっ」

 

 トライユキオロシに乗っていても、ある程度戦場の空気は把握できる。だが俺は素人に毛が生えた程度で、御伽装士である姉妹程鋭くは無い。

 そんな俺でも、感じ取れるほどの圧。

 それは、テンユウから発されていた。

 

「がああああぁぁぁ……!」

 

 天に向かって吠えるその姿を見て、俺は獣を連想した。

 冬の夜に濃い呼気を吐く、血生臭いケダモノを。

 

「まずい、静久はアレをやる気だ!」

 

 切羽詰まった霞澄の声が車内に響く。今まで以上の緊迫感を孕んでいるそれを問い質そうとする暇も無く、それは起こった。

 

「うう゛う゛ぅぅぅ……グ、アア゛アァァァッ!!!」

 

 テンユウの姿が変わっていく。

 灰色だった布鎧に、黒い亀裂めいた紋様が走っていく。それは稲妻のようにも、まるで壊れて崩れそうになっているようにも見える。仮面の瞳をも通ったその罅割れは、傷跡とも、涙跡ともつかない。指先や足先は爪のように鋭く変わり、そして頭の後ろからは、サスツルギの如き白い氷片が鬣のように突き出していた。

 

「ガアアアァァ!!」

 

 理性を失い尾を逆立て吠え猛るその姿は、もはや戦士では無く獣畜の一体だった。

 

「なんだ、あれは……」

「……テンユウ・ヒョウラン。天鼬の怨面から、無理矢理に力を引き出した、あるいはマガツとも言われる形態だよ。……自分の身を、顧みずに」

「無理矢理……? それじゃ、静久は……!」

 

 視線の先のテンユウは、バケヒラメに躍りかかるところだった。

 

「ジャアッ!!」

『な、グギャッ!?』

 

 異様な雰囲気を出したとはいえ、まさか相手から攻勢にかかってくるとは思わなかったのだろう。鋭くなった鉤爪に、鱗ごと深く引き裂かれる。

 いきなり手痛い一撃を与えたテンユウ・ヒョウラン。だがその代償はある。

 

『ホッホ! まさかまた学習しないとは!』

 

 地面にばらまかれた貝殻は地雷原だ。その所為で身動きが取れなかったところを呼び出せば、踏み抜いてしまうのは自明の理。だがテンユウは、その理を覆す。

 

「アアアァァァッ!!」

 

 テンユウは貝殻を踏み抜いて爆発させると、その破片が襲うよりも早く宙へ飛び上がった。そして身体を庇うように丸めると、大きく意味のある言葉を叫んだ。

 

「退魔道具――!」

 

 霞澄と日依が悲鳴を上げる。

 

「やっぱり、アレを!」

「駄目、静久!」

 

 だがその悲痛な声は届かず、テンユウはソレ(・・)を呼んだ。

 

「――(だい)銀世界(ぎんせかい)の、(がい)(がい)(がい)ィ!!」

 

 雨の中というのに、吹雪が起こった。

 見るからに冷たそうな雪嵐はテンユウの身を覆うと、その四肢を鎧っていく。逆巻く雪粒が姿を変え、篭手に、脚甲に、大袖に、腹当に。

 そして丸まった身体を弾けるように晒したテンユウは、またまるで違った装いに変じていた。

 

 頭以外の全身を包む、重厚な武者甲冑。それは菫よりも濃い紫色をしていて、氷のように冷厳な輝きを放っていた。肩と腰は白熊めいたゴワゴワとした毛皮が覆い、鎧を着ているというのに獣の印象を打ち消さない。

 紫の荒武者。

 そう呼び現わすに相応しい姿に変じたテンユウ・ヒョウランは、そのまま宙空で吠えた。

 

「ガアアアァァァッ!!」

 

 その雄叫びは今までとは違い、明確な現象を引き起こした。氷だ。泥と貝殻に塗れた地面を覆うように氷が発生すると、辺り一面に広がり完全に覆い尽くしてしまう。

 

『ホッ!?』

 

 地雷を封じられ、バケエボシが目に見えて動揺する。安全になった地面に、テンユウは悠々と着地した。

 

「フシュゥゥ……」

「あれは、テンユウ……なのか」

 

 氷は、本当に見渡す限りを覆い尽くしていた。しかも薄氷という訳では無い。テンユウが落下し着地しても、割れるどころか罅すら入っていなかった。例え北海道の豪雪であっても、一瞬ではこうはならない。いきなりこれほどの力を行使してみせたテンユウは、今までとはまるで別物に見えた。

 

「しかも、二つ目の退魔道具……!?」

 

 それもまた、俺を驚愕させた。

 何故なら三つ子はそれぞれ一つずつしか退魔道具を使えないと聞いていたのだ。静久の場合は、慈雨の癒鈴。それ以外の脚絆と両面大鎌は使えない。一人一つだけという法則(ルール)。だというのに目の前の光景は、それを覆している。

 

「アレは、禁断の道具なの!」

 

 霞澄が叫ぶ。見ればその瞳は、恐ろしさに見開かれていた。

 

「確かにその気になれば、アタシたちの誰にも使える。けど、決して扱えない(・・・・)! どれだけ強力でも、制御は出来ない……! あぁやって危険に怨面の力を引き出して、それでも自分の身を傷つける! あの鎧は、大銀世界の皚皚鎧は、アタシたち全員の力を超えているの!」

「なん、だって」

 

 吐き出すような霞澄の言葉に再びテンユウに目を向ければ、確かにその身体には霜がついていた。自分もまた、冷気に襲われている証拠だ。いきなりでそうなのだから、続ければ徐々に凍っていくのは目に明らかだ。

 つまりあの甲冑は、自分の身を巻き込んでまで莫大な冷気を放つ、諸刃の武装なのだ。

 

「このままじゃ……静久、死んじゃう……」

 

 絞り出すように紡いだ言葉には、涙が混ざっていた。霞澄ですら、それだけ動揺する事態。

 

「くっ、止めないと!」

 

 俺はトライユキオロシを操作し銃を展開しようとした。また化神との間などを狙い、目眩ましなどをしてテンユウを回収しようとした。

 だが、動かない。

 

「なんで!?」

 

 急にうんともすんとも言わなくなったトライユキオロシを見限り、俺は車外へ飛び出そうとした。生身でも止めようとしたのだ。だが、ドアも開かない。

 

「外にも行けない!? って、これは……!」

 

 何故なのか、少し冷静になるとすぐに分かった。氷だ。このトライユキオロシが凍り付いているのだ。ボンネットを覆い、ドアの隙間を埋め、そして恐らくタイヤすらも……封じ込めてしまっている。

 

「馬鹿な……! 北の大地での活動を前提として作られたビークルだぞ!?」

 

 つまりそれだけ、あの皚皚鎧とやらの冷気が凄まじいということ。

 止めることは愚か、加勢することすら封じられ、俺たちはいよいよ見守ることしか出来なくなる。

 

 戦況は一瞬だが、硬直状態を迎えていた。

 一変した威圧感に慄く化神たちと、どちらから狙うか迷うテンユウ。静かな刹那を過ごした後、再び状況は動き出す。

 

『ッ、今更鎧を身につけたところでェ!』

 

 仕掛けたのはバケヒラメだった。異様な空気を纏うテンユウを、先手を取ることで圧倒してしまおうという腹か。まだ擬態が破られていないという自負もあったかもしれない。

 強襲した瞬間、風景に溶け消えるバケヒラメ。

 

「……いい加減、ウザいんだよッ!!」

 

 だが、その拳がテンユウに届くことは二度と無かった。

 硬質な音を立て、拳を受け止めたのは大木のような氷柱だった。

 

『なっ』

 

 下から突き上げられるようにしてテンユウの周りにいくつもの氷柱が出現した。それは盾であり、遮蔽であり、そして――罠だった。

 拳を打ち付けたことで氷柱は震え、その振動はテンユウへと伝わる。例え擬態していたとしてもテンユウには位置が丸わかりだ。

 

「捕まえたゾッ!!」

 

 テンユウが掌を向け、握り込むようにすると更にバケヒラメを囲うように幾つもの氷柱が出現した。それは捕らえたバケヒラメを二度と逃さない塀であり、処刑台だった。

 逃げられないよう囲ったその上に、更に極太の氷柱が出現する。

 

『ギャガァッ!!』

 

 氷柱は、過たずバケヒラメを上から突き潰した。さながらギロチンが振り下ろされるかのように。

 

『ア、ガ、ヒィッ!』

 

 そして周囲の氷柱から更に氷柱が突き出す。枝分かれめいた氷の槍は特に内側に発生し、バケヒラメの薄っぺらな身体を次々と串刺しにしていく。

 

 

『オッ、ゴッ、グペッ』

「アハハハハッ!」

 

 次々と、次々と、次々と。

 

「退魔覆滅技法――」

 

 どう足掻こうと、逃げることの叶わぬ氷の檻が出来上がる。氷の柱は最早、串刺しよりも圧死を狙っているかのようで。

 

「――天牢雪獄(てんろうせつごく)!」

 

 それはあらゆる存在を、逃がさず押し潰す人為のクレバスだった。

 

『ギャ、ガッ、こんな、こんな酷いぃぃぃーーっ!!』

 

 バケヒラメの最期の姿がグチャリと完全に消えたかと思うと、くぐもった爆発音が小さく響いた。役目を終えた氷檻がガラガラと崩れ、そこにはもう何も無い。散り際の花火すら押し潰す、無慈悲な処刑技。

 

 静寂が落ちる。目の前で繰り広げられた凄惨な光景に、テンユウ以外の誰もが言葉を失っていた。

 

『ホ……ホホホッ!』

 

 最初に言葉を取り戻し、引き攣った笑いを浮かべたのはバケエボシだった。

 

『や、やりますな。しかし、わたくしの奥義が無力化された訳ではありませぬぞ!』

 

 慄いたように見えるバケエボシは、それでも切り替えて手にした扇子を振るった。再び散らばる白い貝殻。そう、氷で先に撒いた貝殻を封じられようと、また新たに撒けば関係ない。氷原を再度貝殻が彩り、地雷原としてテンユウの動きを阻害――

 

「ウザい、っつっただろ」

 

 ――することは、無かった。

 テンユウを中心として、猛烈な吹雪が吹き荒れた。

 

『な、なにぃっ!?』

 

 吹き付けるブリザードに視界を確保しようと顔を庇うバケエボシは、故にそれを目撃してしまう。

 吹雪に巻き上げられ、剥がれて飛んでいく貝殻たちの姿を。

 

『馬鹿なッ! これほどまでに……!?』

 

 最早、自然現象の化身だった。災害と称される吹雪すら、思いのまま。

 だがその代償は、確実にテンユウを蝕んでいる。

 

「ギ、ギ、ギィ……!」

 

 甲冑の隙間から氷の破片が漏れ出す。中身すらも凍り始めているのだ。生身があの猛吹雪の如き冷たさに、直に晒されている。それはどれだけの苦痛か想像すら出来なかった。

 

「静久!」

 

 窓に拳を打ち付ける。だが声も何も、届かない。

 

「僕が終わらせて、やるっ……!」

 

 テンユウが飛ぶ。それは甲冑を身につけているとは思えない程俊敏な動きだった。しかも空中で更に加速する。目を凝らすと自ら引き起こした吹雪を追い風としていることが分かった。

 

『くっ、ここは一時撤退――な、なにっ!?』

 

 強化されたテンユウのあまりの強烈さにバケエボシが後退ろうとする。だが、引っかかったように動かない。足が、凍っていた。もう逃げられない。

 

「退魔覆滅技法――」

 

 大きく腕を振りかぶってそう呟いた。奥義である技法を再び。連続になることを物ともしていない。あるいは、敢えて無視している。

 吹雪が右手に纏い、結実する。そこに現われたのは氷の爪。紫水晶めいて危険に輝くそれを掲げ、テンユウは逃げ出すことも出来ないバケエボシへ飛びかかる。

 

『待て、いやお待ちくだされ! わたくしは――』

 

 命乞いは、聞く耳すら持たれなかった。

 

「――六花」

 

 氷の鋭爪がバケエボシの胸を貫き通し、叩きつけた。あまりの勢いに氷原に罅が入る。それはあたかも、雪の結晶のように美しく。

 

『ギャアアァァァ……』

 

 爆発四散するバケエボシ。束の間炎が舞い上がるが、すぐに吹雪に掻き消され、冷たい景色がまた帰ってくる。

 敵対者のいなくなった、束の間の沈黙。

 

「……ッ!」

 

 だがそれも、すぐ引き裂かれる。

 鉄音を響かせ碇が襲来する。それを察知したテンユウは、氷の壁を作って受け止めた。硬質な物がぶつかり合う音が木霊する。

 

『……屠ったか。こんな短時間で』

 

 バケイカリが戻ってきたのだ。まさか、と思ってしまう。この一味は明らかに御守衆への侵攻を目的としていた。二体にテンユウを任せたのもその目的を果たすためだろう。だとすると、もう既にそれを達成してしまったか。つまり、屋敷の人間が皆殺しされて……!

 しかし観察すると、バケイカリの碇にも、鉄色の身体にも返り血などは無かった。少なくとも大量殺戮、などという事態はまだ起きていない。そのことにだけ、安心する。

 だが状況はまったく予断を許していなかった。

 

『拾った奴らとは言え、それなりの駒だったのだが……話には聞いていたが、これほどとはな、テンユウ』

 

 鎖を引いて碇を手元に戻したバケイカリは、そう呟いた。

 

「話……? 誰から……?」

 

 内容を聞き咎め、疑問の声を上げる霞澄。だが応対しているテンユウにとっては、どうでもいい台詞だったらしい。

 

「黙れよ……お前を倒せば、それで終わりなんだから!」

 

 吠えるテンユウの息は荒い。だが、まったく白くは無かった。吹雪く外の気温はかなり低下している筈。だというのに息が透明なのは、つまり体温と外気が近しいから。

 凍えてる。もう、時間が無い。

 

「お前を殺して、終わらせる!」

『ふむ……では、相手しよう』

 

 テンユウの鬼気迫る姿を見ても、バケイカリは動揺一つせず、獲物である碇を持ち上げ肩へと乗せた。バケヒラメたちが圧倒された威圧を涼しく受け流すその様子は、それだけで他二体より遥かに格上であることが窺える。それだけの相手にテンユウは、まだ戦えるのか?

 

『来い……』

 

 バケイカリが誘う。待つ理由の無いテンユウは飛びかかろうと脚に力を籠める。

 激突――まさに、その寸前だった。

 

「待て、バケイカリ」

 

 声が響いた。人間の声だ。

 

「それは許可できない。お前にはまだ重要な役割がある」

 

 くぐもっている所為で男女は分からない。だが、不思議とそこにいる全ての者へ響いた。俺もまた、聞き逃せない。

 

「それに……過って殺してしまえば、取り返しが付かないからな」

 

 声の主は、雨も吹雪も物ともせず現われた。コートを纏い、渦の仮面をつけた異様な風体。だが化神では無い。人間。

 

「……誰、だ?」

 

 唐突に現われた何某に、猛っていたテンユウも毒気を抜かれたように立ち止まる。そんなテンユウに、いっそ慇懃に、ソイツは名乗った。

 

「私は野分。このバケイカリの主……いや――」

 

 少し言葉を貯め、誇るようにして野分とやらは続ける。

 

「――全ての元凶、といった方が正しいかな」

 

 ……何だって?

 

「元凶……? この襲撃の……いや、もしかして」

 

 日依が呆然としたように呟く。

 

「ここ最近、化神が妙に強いことと関係してる、ってこと?」

「……分からない、だけど」

 

 じっと霞澄は野分を見つめている。頬には一条の冷や汗が流れていた。

 

「……化神を従えているような奴が、只者である筈が無い」

 

 現われた野分に、バケイカリは慇懃に跪いていた。その光景はさながら王に仕える忠臣めいている。いや、例え話でも無いのだろう。あの強力な化神が忠誠を捧げていた。人間である筈の、野分に。

 

 カツカツと氷の上を歩きながら、野分はバケイカリの横をすり抜けテンユウの前へやってくる。

 

「……どけよ」

 

 テンユウが言う。その口調は普段の静久からは考えられないほど荒々しい。己の身の内から迸る凶暴性を抑えられないのだろう。それでも警告をまず発するのは、御伽装士としての自覚が僅かながらも残っているからか。

 だが野分は、まるで関係ないという風に肩を竦めた。

 

「悪いがバケイカリは強力な分、手加減というのが苦手でね。ここは私が相手させてもらおう」

「人間如きが……!」

「……確かに私は人間だが、しかし」

 

 野分はコートの内側に手を入れ、何かを取り出す。

 

「人をやめる手段は、持っている」

 

 それは、小さかった。

 それは、強い見覚えがあった。

 それは――鼬を、模していた。

 

「……は? アレって」

 

 息を呑む。良く似た物を、痛切に知っているから。

 だが隣の二人の衝撃は、それ以上だった。

 

「――嘘」

「――そんな訳、ある筈が無い」

 

 二人の表情は、信じられない物を見ているようだった。違う、ようでは無く、その物だ。ここにある筈の無い物が、あそこにある。

 

「それ、は! ――あ、ぐぅぅっ!!」

 

 テンユウも戦慄している。だがすぐに頭を抱えた。頭痛が引き起こされている。恐らくは、怨面からの声で。

 野分は意外なことに、そんなテンユウに対して案ずるような声で同情した。

 

「痛かろう。辛かろう。安心しろ……すぐに楽にしてやる」

 

 そして、呟く。

 

「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」

 

 鼬の面が、大きくなる。それはやはり天鼬の怨面とよく似ていた。違うのは色彩。白と灰色である天鼬の怨面とは違い、野分の持つ面は紺碧と水色で彩られていた。

 重ねるように渦仮面を取り、顔を見せないまま野分は面を被る。

 

「クッ、フウゥゥ……」

 

 被った瞬間、苦悶の声を上げる野分。コートで見えないが、身体の下には痣が走っているのだろう。あの面は、やはり――怨面。

 

「――変身」

 

 そう呟いた時、野分の身体を渦が包んだ。

 深海の水をそのまま汲み出したような、真っ黒な水。それが渦潮の如く逆巻いて野分を覆う。渦はやがて勢いを失い、弾けるように消えた。

 そこにいたのは、野分では無く、そして記憶と重なる異形だった。

 

 涼やかな水色のアンダースーツに、紺碧色の鎧。その一部は金色の縁取りがされた重厚な造りになっているが、全体的には軽装の部類に入る。腰元からはパレオに似た布が膝までを覆っており、金糸で絵屏風めいた荒波が描かれていた。

 だが、より記憶に刻まれるのは鼬の形をした怨面と、バックルへついた三角状に並んだ三つ点の金細工。

 それは、同じだ。鏡写しのように対峙する、テンユウと。

 

「一応、こちらも名乗っておこうか。ご存じ、だろうがな」

 

 野分だった者は雫を弾くように手を払い、告げた。

 

「御伽装士、メイユウ。溟鼬(めいゆう)の怨面を掌握せし、退魔の戦士。――今は魔に与する者だが、な」

 

 御伽装士、メイユウ。それがあの姿の、名。

 テンユウを昏い水底へ落としたような姿に衝撃を受け、しゃべれない。だが三つ子は、より強いショックで目を瞠っていた。口を覆っている者もいる。

 

「嘘……だ」

 

 呆然とテンユウが、静久が呟く。

 

「それは……紛失した、筈の。行方不明になった、筈の」

 

 信じられない。探していた。求めていた。だが見たくなかった。会いたくなかった。そんな想いが綯い交ぜになった、感情を零して、

 

「――死んだお母さんの、怨面」

 

 テンユウは、その答えを口にした。

 

 失われた筈の御伽装士、メイユウ。

 紺碧の戦士は試すように佇み、敵として三つ子の前に現われた。

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