仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ   作:春風れっさー

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第六片 台風一過

 降って湧いた御伽装士同士のマッチアップ。先手を取ったのはメイユウだった。

 

「ハァッ!」

 

 氷の大地を鋭く蹴って手刀で切り込んでくる。淀み無い動き。最低でも戦い慣れていないということは無さそうに見える。ショックから立ち直れていないテンユウ・ヒョウランはそれを胸元へモロに受けてしまった。

 

「あぐっ!」

「どうした、もう戦いは始まっているぞ!」

 

 続けざまに連続攻撃。今度は逆の手刀が襲う。反射的に上げた腕でテンユウはガードするが、その時には初撃から戻した片手が空いていた。

 重い掌底が鎧の薄い腹部へ突き刺さる。

 

「がはっ!」

 

 痛烈な一撃を喰らい吹き飛ばされるテンユウ。それでも転がること無く踏みとどまったのは流石と言うべきか。だがすぐに反撃に移ることも出来ず、メイユウへ向け問い質した。

 

「なんで、お前がお母さまの怨面を!」

「さてな? 神様にでも聞いてみるといい!」

 

 テンユウの問いに、メイユウはまともに取り合わない。距離を詰め、更なる攻勢に出る。

 今度は鋭いハイキック。頭を狙って振り上げられた脚を、テンユウは大袖で受け止めた。

 

「くっ!」

「ふむ……流石に防御は硬いか」

 

 硬質な音が鳴り響き、メイユウの蹴りは完全に防がれる。紫の甲冑は見た目通りの防御力を誇っていた。

 

「っ、ああぁぁっ!!」

 

 ここに至り、テンユウも反撃に出る。少なくとも敵が手を止めることは無いと、分かったから。

 相手の脚を弾き、拳を振るう。大振りなテレホンパンチ。当たれば強力であろうそれは、しかし大袈裟故に簡単に見切られスウェーで躱される。

 

「だが防御だけだな」

「ううぅぅぅっ!」

 

 獣のような唸り声を上げ、テンユウは拳を連打した。怒濤のラッシュ。だがメイユウはそれを躱し、受け流し、捌いていた。

 今のテンユウが本調子では無いことを差し引いても、見事な武術だ。メイユウへと変身した謎の人物、野分の確かな実力を感じさせる。

 

「ハァッ!」

「あぐぅっ!」

 

 捌ききったメイユウが隙を見てカウンター気味に掌底を胸元へ叩き込む。自分の勢いが加算されたそれを受け、テンユウは数歩よろけた後、膝を突いた。

 

「げほっ、げほっ! ……はぁ、はぁ……」

「体力も限界近いようだな。あまり無理をしない方がいい」

「っ、どの口が……言う!」

 

 警告するようなメイユウの言葉に吠え、テンユウは立ち上がる。だが鎧の隙間から零れる氷片が、相手の言う通り限界の近さを感じさせた。

 

「あああぁぁぁっ!!」

 

 天を仰ぐように雄叫びを上げる。それに呼応するように冷気は高まり、テンユウを囲うように樹木のような氷柱が幾つも突き出した。

 

「む……」

 

 これは流石に簡単に捌けないのか、大きく後退するメイユウ。それを見てテンユウは、更に氷を操り追撃をかけた。メイユウの逃げる軌跡を追うように氷の柱が飛び出す。

 

「流石の出力だ。話に聞いていた以上に……だが」

 

 メイユウが氷の中心にいるテンユウへ目を向ける。その目線の意味は、誰の目にも分かった。

 氷の力を使う度、テンユウは霜に包まれていく。紫の甲冑を白が覆い、彼女の動きを鈍らせる。代償は重い。このままでは命を落としかねない。

 

「……仕方あるまい」

 

 それを見たメイユウは躱し続けながら腕を掲げた。

 

「退魔道具・溟渤(めいぼつ)錫杖(しゃくじょう)

 

 その声に応え、メイユウの手に棒状の何かが収まる。それは修験者が使うような錫杖。瑠璃の鋼で打たれ水の意匠が刻まれた杖だった。それを振るって翻し、もう片手で印を組んで触れる。

 

「毒潮飛沫」

 

 錫杖の先から紫の雫が弾けた。メイユウが錫杖を振るうと水滴は迫る氷柱目掛けて飛び、その表面に着弾する。すると、氷の柱が瞬時に溶け出した。

 

「なっ!?」

 

 まるで熱湯を浴びせられたかのように氷は溶けていく。その後に作り出した氷柱も雫を受けると、また一瞬で溶解する。

 

「溟渤の錫杖は神通力を使って毒と薬を作り出す魔道具。私が今行なったのはそうして生まれた溶解毒を用いた仙術だ。知っている御伽装士なのだから、勉強しておくべきだったな」

 

 メイユウは溶かした氷の柱を足場にし、逃げてきた道の逆走を始める。溶解毒と自ら言った液体に踏み込んでもメイユウはなんとも無い。耐性があるのだ。

 氷柱を溶かしながら一気に駆け上がっていくメイユウ。氷の柱を下から突き出してももう意味は無い。残った毒に溶かされるだけだ。

 

「ぐううぅぅっ!」

 

 だからテンユウは、上空に巨大な氷を作り出しそれを落とすことで妨害しようとした。車ほどに大きな氷塊が、メイユウ目掛け落下する。そのままの軌道とスピードならメイユウを押し潰す、あるいは進路を塞ぎテンユウへ迫ることを妨害できる目測だ。

 

「ふっ、ならば……仙術・早足命水!」

 

 また別の印を組み触れたメイユウが錫杖を振るう。今度は緑色の雫だ。それはしばし空中を漂ったかと思うと、メイユウへ誘引されるようにして吸い込まれた。

 瞬間、メイユウが加速する。

 

「うっ!?」

 

 そのままのスピードなら押し潰せていた氷塊だが、加速したメイユウには追いつけない。落ちてくる影を掻い潜るようにして氷塊を躱し、ズズンと轟音を立てて落下した時にはもうとっくに抜き去られた後だった。

 

「ドーピングという奴さ。時代遅れの御守衆には少し難しい概念だったかな?」

 

 舞うように軽やかな動き。メイユウは最後に聳える氷柱をもはや溶かすこともなく飛び越え、テンユウの目の前へと着地した。

 

「っ!」

「ふむ……」

 

 眼前の敵を前にして構えるテンユウを、メイユウは観察する。

 テンユウを覆う霜は、ほぼ全身を覆いつつあった。これ以上戦い続ければ、肉体に至るまで全てが凍ってしまうかもしれない状態。

 

「もういいだろう。休みたまえ」

 

 穏やかなほど落ち着いた声音でそう言うメイユウ。それは諭しているかのようですらあった。

 

「出来る……もんか……!」

 

 対するテンユウは鳴り響く声に仮面の下で苦悶を浮かべていた。メイユウが現われてから、声はより一層に大きくなっている。

 

 ――来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た! 来た!

 来てくれた!!

 

 ガンガンと無遠慮に響く声は相変わらず何を言っているのか分からない。ただただ静久の脳を揺さぶるだけの害をもたらし、止む気配を見せない。

 

「倒すまで……化神も何もかも全部倒すまで! 僕は、止まれないんだよッ!!」

 

 この声を止めるには、化神を倒すしか無い。

 だからこそテンユウ・ヒョウランは最後の力を振り絞り、メイユウへ殴りかかった。

 

「あああぁぁっ!」

「哀れな……」

 

 放たれた拳をメイユウは受け流す。それでもテンユウは諦めず、更なる攻撃を放った。

 蹴り。掌底。肘打ち。我を失いかけていても、身に染み込んだ鍛錬は自然と技を引き出した。あらゆる武術を叩き込む。

 だがメイユウはそのいずれにも完璧な対処をして見せた。蹴りは錫杖で滑らせ、掌底は上から叩き落とし、肘打ちは勢いの出先を諫めるように掌でピタリと止めた。

 何一つ通じない。

 まるで、テンユウの技を全て熟知しているような手際だった。

 

「なんで……!」

「分かっただろう。もう戦う意味は無い。通じないのだからな」

「あぐっ!」

 

 捌ききったところでメイユウは錫杖の先をテンユウの腹部へ叩き込む。身を仰け反らせ、動きの止まったところで錫杖を構えた。

 

「せめて安らかに終わらせてやろう。――仙術・白昼霧」

 

 そう言って、メイユウは新たな印を組む。錫杖から白い雫が滲む。振るわれた飛沫は反撃の間もなくテンユウへ吸い込まれる。

 

「え……あ……」

 

 途端、テンユウの膝が崩れ落ちた。突然に力を失ったように。

 再び力を籠めて立ち上がろうとするが、それもままならない。それどころか、テンユウの変身も解けてしまう。

 

「なん、で……」

 

 元の姿に戻った静久はメイユウを見上げる。だが、霞んでよく見えなかった。瞼が重い。眠い。とてもでは無いが意識を保っていられない程の。……怨面から聞こえる声の所為で眠りの浅い静久にとっては、久しいくらいの強烈な眠気だった。

 朦朧とする意識の中で、染み込むようにメイユウの声が響く。

 

「眠りたまえ。呪いの声に煩わされないくらい、深く、深く」

「あなた、は……」

 

 語りかける声には、優しさが混ざっていた。

 それが何故なのか。考える間もなく静久は眠りに落ちた。

 

 

 ※

 

 

「静久!」

 

 倒れた静久を見て、俺は居ても立ってもいられずトライユキオロシの扉を叩いた。早く助けに行かないと!

 すると先程はビクともしなかったドアが、僅かに軋む手応えがした。……テンユウが倒れたから冷気が弱くなっているのか?

 いや、今はどうでもいい。俺は何度も拳を叩きつけた。開け、開け、開け!

 

「! 開いた!」

 

 力任せのその行動が功を奏し、凍り付いていたトライユキオロシの扉は弾けるように開け放たれた。俺は一目散に飛び出し、霞澄と日依の二人も後に続く。

 

「静久!」

 

 駆け寄った俺の声に応えたのは、佇むメイユウだった。

 

「安心しろ。眠っているだけだ」

 

 メイユウは俺に背後を向けたまま怨面を外し変身を解いた。……その背中に何か引っかかる物を覚えたが、振り返った時には既に身につけていた渦仮面を見ればそれも霧散した。

 

「もっとも……簡単には起きないくらいの深い眠りだがね」

「お前は……お前は何者だ、野分!」

 

 問い質す。唐突に現われ全てを混乱させた怪人物に。

 

「私か? 私は見ての通りだ」

 

 手を挙げると、野分を庇うように俺たちの間へバケイカリが割り込んだ。息を呑む。怨面を静久が持ったままである以上、化神への対抗手段は無い。

 

「化神を従える謎の人物。君たちから見ればそれ以上でもそれ以下でも無い」

「何故……人間が化神に味方をする?」

「味方? ふふふ、そう見えるか」

 

 俺の問いに、野分は愉快そうな笑い声を上げた。

 

「何? 化神に与してるんじゃ無いのか?」

「ふふふ。違うな。私は化神を一手段として利用しているだけで、化神の味方でも何でも無い」

 

 そう言って、野分はコートをはためかせた。すると裾から煙のような物が湧き出す。あれは……実物を見るのは初めてだが、資料で見た化神の幼体か?

 

「使える手駒として手足にしているだけさ。このバケイカリも、そうして私が人工的に作った化神だ」

「人工……!? そんなの、出来る筈が無い!」

 

 野分の発言を霞澄が否定する。暇があれば化神の資料を読んでいる霞澄だからこそ、その異常さが分かるのだろう。

 

「人間が、化神を作るなんて……!」

「そうだな、普通なら。だが……」

 

 言葉を切り野分は片手に怨面を手にした。

 

「限定召喚」

 

 そう呟くと怨面が仄かに光ると、もう片方の手には先程先頭で使った杖……退魔道具である溟渤の錫杖が握られていた。

 

「この錫杖さえあれば、可能だ」

 

 野分は錫杖を軽く持ち上げ、石突で氷原を叩いた。硬質な音が響き、そしてそこから玉虫色の水が泉のように染み出してくる。

 

「仙術によって毒や薬を作り出すことが出来るこの溟渤の錫杖なら、例え一から作ることは叶わずとも幼体に手を入れることは出来る。そしてそこから逐一思い通りになるよう育てていけば、それは人工といって差し支えないだろう?」

「……本当に……」

 

 信じられない、という面持ちで野分を見る霞澄。怨面の力あってこそとはいえ、それが可能ということは御伽装士として生きてきた彼女に大きな衝撃を与えたに違いない。多少足を突っ込んだだけの俺でさえ、それなりにショックだ。

 

「まぁ手間が掛かるから、こうして一体きりだがね……おや」

 

 野分が何かに気付いたように視線を逸らす。釣られて見ると、そこには白い髭を蓄えた厳めしい老人が立っていた。

 

「雪蔵さん!?」

 

 事態を収拾させるため、頭目自ら出てきたのか。幾人かの平装士を連れ立ってはいるが、危険な行為だ。

 

「静久……そして」

 

 雪蔵さんは静かな目で惨状を見据え、そして野分へと視線を固定した。

 

「お前か、化神を連れた侵入者は」

「……ふふふ。まさか頭目自らが現われるとは」

 

 野分は意味ありげな笑みを浮かべ、雪蔵さんへ慇懃な礼をした。

 

「お初にお目にかかります。私は野分と申す者。故あって……貴方のお命をいただきに参上いたしました」

 

 その言葉に殺気だった平装士が雪蔵さんを庇うように前へ出た。頭目を命を賭けて守る構えだ。同じくバケイカリが威圧を持って立ち上がる。平装士対化神。勝敗は見え据えていた。

 

「……儂が狙いか」

「えぇ。ですが……実はもはや、その必要は無いのです」

「む?」

 

 訝しむ雪蔵さん。俺も訳が分からない。この襲撃が御守衆北海道エリアの頭目である雪蔵さんを狙ってのものなのは分かった。だが、必要が無い?

 

「頭目!」

 

 そこへ、焦った様子の平装士がやってきた。対峙する異様な風体の人間と化神に驚きながらも、雪蔵さんに視線で促され報告する。

 

「門前に民衆が集まっています! マスコミなどもいるようで、写真を撮影している者も!」

「何だと!?」

 

 雪蔵さんと同じように俺も驚愕する。いつの間に。

 一方で野分は笑いを堪え肩を震わせていた。まさか、コイツの仕業か?

 

「……くっくっく。いやはや異な事をおっしゃる。郊外とはいえ郷士たる高天原家のお屋敷が無惨なことになっていれば、駆けつける民衆がいるのは当然のことでは?」

「貴様の仕込みか、だが、一体何の為」

「ええ、ええ。私が匿名で呼び寄せた者たちでございます。勿論無辜の一般人ですよ。何の為かと言えば……そうですね、広める為、でしょうか」

 

 戯けた道化師の如き仕草で野分は肩を竦めた。

 

「古くさい御守衆では少し想像しづらいかもしれませんが、今時情報というのは恐ろしい速度で世間を巡る。それに一度撮られた写真はネット上に永遠に残り続けるのですよ。『高天原邸が何者かに襲撃された』。その情報は今頃街中を駆け巡った筈です」

「……まさか」

「ええ。それだけすれば、暗示で人の記憶から消すのも一苦労でしょう。ネット上は尚更。つまり人々は、不安に揺れることになる。化神ということは知らずとも正体不明のテロリズムでね」

 

 それを聞いて俺も理解した。人心が揺れる……それこそが、奴の目的であると。

 

「不安は穢れを呼び、化神の出現を促す。より化神が生まれやすい土壌が出来上がったということです」

「その為にこのようなことを……!」

「頭目を討ち取れれば尚のこと良かったのですが、仕方なし。衆目に晒すために暗天を縛っていればこんなものでしょう。今から続けるのは……まぁ、駒が足りませんね」

 

 野分は平装士と守られた雪蔵さん、そして俺たちを見て嘆息した。バケイカリと怨面があるあちらとでは戦力差は圧倒的だが、何か続けたくない理由でもあるのだろうか。

 

「目的は達成出来ましたので、今日の所は退きましょう。幸い、あなた方ももう追う余力は無いでしょうしね」

「待て」

 

 言葉通り踵を返そうとした野分を雪蔵さんが呼び止める。

 

「貴様の……狙いは何だ。何故化神の増やそうとする。その目的は一体……」

「……簡単な、ことですよ」

 

 その言葉に黒い物が滲む。それまで愉快げな口調だったのに、そこから続けた言葉には確かな憎悪が含まれていた。

 

「御守衆の、転覆。私が望むのはただそれだけです」

 

 吐き捨てるように、その野望を口にした。

 

「なっ……!」

「では、失敬」

 

 それだけを言い捨て、今度こそ野分は去って行く。バケイカリの肩に乗り、人外の速度で離脱していった。

 追うという選択肢は、俺たちにはなかった。それよりしなければならないことがある。

 

「静久!」

 

 脅威がいなくなった戦場で、ようやく倒れる静久に駆け寄った。抱き上げると、冷たい感触が返ってくる。

 

「静久……!?」

 

 最悪の想像が頭を過ぎるが、幸い胸は上下していた。呼吸音も、静かだ。

 

「ね、寝ているだけか」

「……良かった」

 

 ホッと日依が息をつく。俺も同様だ。だが、かといって無事なわけじゃない。

 

「身体が冷えている。早く温めないと凍傷してしまうかもしれない」

「囲炉裏のある部屋を整えろ。医者も呼べ」

 

 素早く雪蔵さんが指示を出し、平装士が伝令として駆けていく。俺は静久を抱え上げようとして、横から伸びた霞澄の手に遮られた。

 

「アタシと日依で、連れてく。……そのぐらいは、したい」

「……分かった」

 

 合わせた霞澄の目に悔しさが滲んでいるのを見て、俺は静久を運ぶ役目を譲った。蹂躙される静久に何も出来なかったことを悔いているのだろうか。

 二人で力を合わせ、意識のない静久を運んでいく。鍛えている彼女たちにとっては訳のないことだ。俺も続こうとして、しかし雪蔵さんに呼び止められた。

 

「内人」

「……はい?」

「落ち着いたら、あの子らについて話してやる。あの子らの……母親についても」

「! ……分かりました」

 

 頭を下げ、今度こそ立ち去る。

 胸に渦巻く疑問に、今は蓋をして。

 

 

 

 

 

 

「三つ子の母親は……儂の娘は、既に故人だ」

 

 夜。今後の指示や後片付けが一段落した頃合いで、俺は雪蔵さんに呼び出された。

 今でも奔走している人はいる。静久の看病に霞澄と日依も付いている。明日からも忙しいだろう。だがどうにかひねり出した時間で、会う約束を果たしていた。

 呼び出されたのは小さな和室。初めて会った大広間とは似つかない空間で、囲炉裏を挟んで俺と雪蔵さんは対峙していた。

 

「娘は……凪江(なぎえ)は、御伽装士メイユウだった」

「メイユウ……」

 

 野分の変身した姿を思い出す。三つ子が言っていた通り、あれは彼女たちの母親の怨面だったのか。

 

「儂の跡を継ぎ、この蝦夷の地を守る御守衆の頭目となる筈だったが……化神との戦いで命を落とした」

 

 言って手にした猪口に注がれた酒を呷る。飲まないと出来ない話なのだろう。

 

「仕方の無いことだ。命を賭けて民草を守るのが御伽装士の役目。そういうこともある……」

「……父親は」

「市井に逃げ帰った。一般人だったからな。まぁあのまま家にいても外様の奴では居心地が悪かったろうが……とにかく、それであの子らの両親はどちらもいなくなった」

 

 ……付き人をするようになってから不思議に思っていた。三つ子の親類を雪蔵さん以外に見ないと。もしかしたら……と薄々は考えていた。だが一人は亡くなり、もう片方は蒸発しているとは。

 

「物心つく前だったからな。凪江のことは薄らとしか憶えていないだろう。メイユウも、情報としては知っていても実物を見たのは初めての筈だ」

 

 御伽装士、メイユウ。母の戦装束を別人の手によって見せつけられるのはどんな気分だったろうか。推し量ることすら偲ばれる。

 

「……親の愛を、知らないんですね」

 

 不憫だ。普通の家庭にはある両親の愛を注がれずに育つのは。雪蔵さんはいても、やはり祖父では接し方は変わってしまうだろう。頭目として厳しく振る舞うこともあるだろうから、尚更。

 

「あぁ……だが、それでも親身になって愛してくれる者はいた。八歳まではな」

「? 誰です?」

「最初の付き人だ」

 

 最初の、付き人。

 ……確か、静久が語っていた。

 

『……すごく、いい人だったんだ~。優しくて、強くて、そして面白い人。静たちのこといつも守ってくれて、相談にもすぐ乗ってくれる、静たちの……お姉ちゃん』

 

 俺に懐いてくれるのは、その人にどことなく似ているからだとも言っていた。他の付き人たちが嫌われ追い払われているのを思えば、俺の前任者のようなものだ。

 

「静久から少しだけ聞きました。その人が、母親代わりを」

「……そうか。やはり静久は忘れていないか。無理もない、一番懐いていたからな……」

「その人は、今」

 

 言って、しまったと思った。何せ、彼女たちの傍にいないのだから。

 

「死んだ。化神の手によってな」

「!!」

「三つ子の元を離れ平装士としての任務についていた時のことだった。凪江が死んだ時、溟鼬の怨面は相打ちとなった化神の怨念に呪われてな。浄化が済んで、内地から移送する任務だった」

 

 内地……本州から怨面を移送するとなると、当然船を使うことになる。

 

「その船で、襲われた。海を回遊する化神の仕業だった。……バケクジラ。今もまだ、討伐の確認されていない危険な化神だ」

「ソイツが……船を襲って」

「あぁ、運が悪いことに、荒れた海の所為でソイツの回遊ルート上に出てしまったんだ。名の通りクジラと同等の体躯を持つ奴に、海上で敵う者はいない……特に御伽装士もいない、ただの船ではな」

「では溟鼬の怨面は、そこで」

「そうだ」

 

 行方不明となった経緯が判明した。そこからどう野分へ渡ったかは、分からないが。

 

「……幸い、貸し切りの船だったおかげで犠牲は少なく済んだ。事態が事態故に、表向きにも隠蔽された。……だが、帰ってこない者もいた」

 

 ふぅー、と雪蔵さんは重い溜息をついた。

 

「たった一人、がな」

「……その人、付き人、だけが」

 

 よりにもよって、と言ってはいけないかもしれないが。

 だがその訃報を知らされた時の三つ子を思えば、そうも言いたくなる。

 

「あの子たちへ伝えられた時は、それこそ親を亡くしたような悲しみようだった。霞澄は悲しみを糧として鍛錬に打ち込むことですぐに立ち直ったが、他二人は時間が掛かった。その内でも特に静久の悲嘆は深かった」

 

 その時のことを思い出しているのか、雪蔵さんは遠い目になりながら続けた。

 

「一時期は何に対しても自棄になり、御守衆すら恨んだ日もあった。深い悲しみが、憎悪にすら及んでいた。……霞澄たちから聞いたが、怨面の声がずっと聞こえていたそうだな。それもあったかもしれん」

 

 その頃から静久は、耳を塞いでも響く怨面からの声に苛まれていた。精神をささくれ立たせるような、執拗な声が。そこへ大好きだった付き人の訃報が続けば、例え身内であろうと恨みたくなるだろう。

 ……少し前までの静久からは、想像もつかない話。だが真実を知っていれば、納得のいく話だ。

 

「それがあそこまで立ち直ったのは、霞澄と日依のおかげだ。……儂は、何も出来なかった」

 

 仕方のないこと、だと思う。

 船舶が化神に襲われ犠牲者が出た挙げ句、怨面を紛失する。そんな大事故があって、頭目であった雪蔵さんは大忙しだった筈だ。日々の業務だってある。孫娘のメンタルケアに掛かりきりになる訳には、いかないだろう。

 そしてそんな静久を、霞澄と日依が癒やした。

 

「……想像がつきますね。だから、あの三つ子はあんなにも仲が良い」

 

 三人のことを知っていれば、その光景が瞼に浮かぶ。霞澄が手を引いて激励し、日依は寄り添って慰める。そんな二人に励まされ、静久は悲しみから脱却したのだろう。

 

「そうだ。それで……儂は安心だと……」

 

 何かを堪えようとして、果たせずに雪蔵さんは目頭を抑える。

 

「馬鹿者だ……静久がどれだけの物を抱えていたのか見抜けず……儂は祖父失格だ」

「そんなことは、ないでしょう」

 

 そこだけは、俺はキッパリと断言した。

 

「静久は……隠そうと必死でした。悟られないように……心配されないように」

 

 時折何も聞こえなかったように呆けることがあった。夜は禄に眠れず、雨の日は体調を崩すほどに苦しんだ。それ程だというのに、周囲には隠し通した。その理由は……

 

「それは、静久が優しいからです」

 

 誰にも、不安になって欲しくなかったから。

 自分の事で悩んだり、悔やんだりして欲しくなかった。きっと、それだけだ。

 

「だから誰が失格だとかよりは、あの子を褒めてあげるべきでしょう。その方が喜びます」

 

 故にこれは、静久がすごかったというだけの話だ。そっちの方が、こうして後悔されるよりよっぽど嬉しい筈だ。

 ついでに、苦々しい声で付け加える。

 

「それに……構うことで全てが良くなると思うのは、傲慢ですよ」

 

 あの神社での追憶。俺が告げた言葉で、あの人が表情を変えた瞬間。浮かべた凄絶な感情を、俺は忘れられない。だからこそ、探し続けた。

 時に言葉はその人の全てを変えてしまう。いたずらに掛けることが良いこととは限らない。

 きっと、そっと見守ることだって、正解だ。

 

「……そう、か」

「お話、ありがとうございました。明日からはまた忙しくなるでしょうし、今日はゆっくり休んでください」

 

 俺は退出すべく立ち上がり踵を返した。まだやることは山積みで、今は多忙の中に湧いた間隙の時間に過ぎない。少しでも休まねば倒れてしまう。特に矍鑠とはしていても雪蔵さんみたいな老体には。

 だから俺は出て行こうとして、しかしその背中に声が投げかけられる。

 

「三つ子を頼む。儂でなくとも、寄り添う人間は必要だろう」

「……はい。少なくとも俺は、ここで首を横に振るような人間じゃありませんから」

 

 俺にもやるべきことはある。

 だが今は、彼女たちを支えるべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「……日依だけか」

 

 翌朝。俺は眠っている静久を見舞っていた。静久が寝かされているのは屋敷の中に作られた病室だ。何かの病気や過労ではなく、御伽装士の仙術で眠らされている静久を病院に連れ込む理由は無い。御守衆であるこの屋敷が一番の専門家だ。

 しかしそんな彼らでも、静久に掛けられた術を解くのは容易ではないらしい。

 

 静久は今、穏やかな寝息を立てている。その布団の傍でもたれ掛かるようにして眠っているのは日依だった。看病に疲れ、そのまま寝てしまったのだろう。

 

「まぁ、流石に無理に起こすわけにはいかないか……」

 

 俺は持ってきた朝食を脇に置き、室内へ視線を巡らせる。だが他に人影はいなかった。

 

「霞澄はどこ行ったんだ」

 

 静久を看病しているのはお抱えの術士数人と呼びつけた医者たちだが、付きっきりでいるのは霞澄と日依だけだった。それは彼女たちが望んだからだ。

 だが今、霞澄の姿はない。

 

 ふと、何かを叩く音が聞こえた。少し遠いが響く音。部屋を出てその出所を探せば、そこは屋外の鍛錬場だった。

 

「……霞澄」

 

 そこにいたのは道着姿の霞澄だった。目の前にあるのは丸太だ。地面に突き立てられ縄の巻かれたそれに、彼女は拳を突き込んでいた。

 

「――はぁっ!」

 

 鋭い呼気と共に叩き込まれる拳。空気を裂く破裂音と地を揺らすような音が鳴り響く。原因が分かったところで、俺は話しかけた。

 

「今日くらい休めばいいだろ」

「……今だからこそ、休めないよ」

 

 拳を打ち付けたままの姿勢で霞澄は答えた。

 

「考えることは、山ほどある。でも頭を回るそれを処理しようとしても、全然上手くいかない。モヤモヤして、動けなくなって……だからこうして、身体を動かさないと立ち上がることすら出来なくなる、から」

 

 そう吐露しながら、霞澄は背を向けたまま正拳突きを再開する。

 

「アタシが怨面がないことに気付けば、静久を戦わせずに済んだ! 陽動に気付けば、屋敷だって襲われなかった! もっと鍛えていれば、怨面なしでも戦えた!」

 

 丸太を叩く重い音が響く。まるで鉄球が大地を叩いているように重く聞こえるのは、彼女の思いや鬱屈が乗せられているからだろうか。

 

「――静久のことに気付いていれば、あんな悲しい思いもさせなかった……!」

 

 絞り出すように出た声は、泣き出しそうに震えていた。

 

「アタシは、長女なのに……!」

 

 俺は溜息をついて、彼女の背に話しかける。

 

「頭目と同じようなことを言うんだな。流石は祖父と孫か」

「……お爺さま、と?」

 

 そこでようやく、霞澄はこちらを向いた。目の下には隈がある。眠れず朝を迎えたようだ。

 俺は頷いた。

 

「ああ。あの人も、祖父として気付いてやればよかった。自分は祖父失格だ、なんて言ってたぞ」

「そんな……お爺さまは、何も悪くない。だって、蝦夷エリアの頭目としてずっと忙しくして……」

「だったら、同じだろ」

 

 俺は鍛錬場へ降り、霞澄に近寄ってその額を人差し指で小突いた。

 

「……え?」

「お前も、同じ。悪くない。日々の修行と、お前自身が立ち直ろうと努力してた。それで気付けなんて言う方が、ちゃんちゃら間違ってるだろ。全力でそれを隠そうと静久が一枚上手だった――って、こんな話お前のお爺さまともしたな」

 

 同じ事を繰り返す羽目になるのは、血縁だな。

 

「だから、まぁ、ともかく」

 

 からかうように指した人差し指を離し、代わりに頭を撫でる。

 

「お前は立派にやってるよ。御伽装士としてな」

 

 霞澄は、三つ子の中で一番御伽装士だ。

 戦い、勉強し、責任を持っている。他二人に自覚が足りないとは言わないが、一番重く捉えているのは霞澄だ。真面目と言ってもいい。

 きっと本来は、いつも表に出しているような悪戯好きな少女なのだろう。だけど命を背負い、戦っている内にそうなってしまった。

 だから――

 

「えらいよ、霞澄は」

 

 それを、褒めてやりたかった。

 傷ついても立ち上がるのが、コイツだから。

 

「――う」

 

 くしゃり、と霞澄の顔が歪む。芯のある瞳が潤み、わなないた唇からは嗚咽が漏れ出した。

 

「う、うええぇぇぇんっ! ひっぐ、うわああぁぁぁんっ!」

 

 溜め込んだものが、一気に溢れ出したのだろう。きっと霞澄は真面目な一方で、それを吐き出す方法を知らなかった。長女として、気を張っていた所為だ。

 

「ひっ、ひっ、ふぐぅぅ……」

「泣け泣け。どうせさっきの鍛錬ほどには屋敷に響かん」

「うぅ、うわああぁぁぁんっ!」

 

 縋り付いて泣く霞澄の頭をポンポンと撫で、俺は空を見上げる。

 雨は止んでいるものの、相変わらず鉛色の雲が立ち籠めた曇天の空模様。

 だが泣いて吐き出すならば、全てを曝く快晴よりもいい天気だろう。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、う?」

「起きたか、日依」

 

 日依の部屋を訪ねると、丁度起きたところだった。重そうな瞼を擦る寝起きの悪い日依の前に、ラップで包んだ大量の握り飯を置く。

 

「これ、朝食兼昼食な。甘くないからって文句言うなよ。一応甘い卵焼きの具は混ざってるからさ」

「ここ……私の部屋……確か静久の看病をして……静久は!?」

 

 状況を読めずぼーっとしていた頭が、それに気付いた時に一気に覚醒したようだ。飛び起きて俺に問い質す。

 

「まだ寝てるよ。今は霞澄が見てる」

「っ、私もいかなきゃ」

「いいよ。霞澄も……今は一人がいいだろうし」

「え?」

 

 涙の跡が、まだ残ってるだろうからな。

 俺は日依の前に座り込み、真正面からその顔を見た。

 

「……お前も酷い顔だな」

「え、あ、ぅ」

 

 かあっと赤くなり、手で覆う日依。こっちも隈が出来ている。眠ったのに残っているということは、心労が溜まっている証拠だ。

 

「……うぅ」

「風呂入ってきたらどうだ? どうせ看病で忘れてたんだろ」

「い、いらない! ていうか、デリカシーゼロだよそれ!」

 

 恥じらった後は眦を吊り上げてかっかと怒る。コロコロ変わる百面相。クールな奴だと思っていたのが遠い昔のことのようだ。

 

「ま、取り敢えず休んでろ。それともなんだ? お前もジッとしてらんないってか。霞澄みたいに」

「……霞澄?」

「気づけなかったのが悔しいってさ。静久があんな物を抱えてたのに」

 

 雪蔵さんと霞澄がそんな贖罪めいた思いを抱いていたので、てっきりコイツもそうなのかと思ってそう言った。

 だが日依は少し考え込むようにすると、首を横に振った。

 

「ううん。そういうのは、無いかな」

「そうなのか?」

 

 意外に思い、俺は片眉を上げた。

 

「静久が……そういうの隠してたこと、なんで気づけなかったんだろうとは思う、よ。でも……私が静久の立場だったら、きっと同じようにする」

 

 目線を落とした日依は、自分の中の想いを整理するかの如く言葉を零していく。

 

「苦しくて、嫌で、誰かを恨みたくて。……でもそれ以上に大切な人を傷つけたくないから、何もせず黙っておく。どんなに心が軋んでも、どんなに叫んで訴えたくなっても、限界まで。……私だったらきっともっと早く音を上げちゃってただろうけど、やること自体は多分、いっしょ」

「その結果、心を壊してしまうとしても?」

「うん。だって、みんなが自分よりも大切だから」

 

 上げた瞳に揺らぎは無い。確信を持って断言していた。

 

「だから、静久の気持ちはすごく分かる」

「……そうか」

 

 そうだった。コイツもまた、優しい奴だった。

 霞澄は、自分の不徳を恨んだ。それは真面目すぎる気質が真っ先に怒りの矛先を自分に向けてしまったからだろう。

 だけど日依は、静久の心に寄り添った。共感し、同じようにするであろう自分を想像した。だから自分への怒りも、ましてや静久への怒りも湧かない。理解できるから。

 同情はすれど、怒りはしない。

 だから日依の心は、思ったより穏やかなのだろう。

 

「……ん? その割りには、看病頑張るな。自責の念が無いのに」

「そりゃそうだよ! だってこのまま、静久が目覚めなかったらどうするの? 三日とか、一週間ならともかく、もし起きた時に一年とか時間が経っちゃったら……すっごく可哀想じゃん!」

「……あぁ、それはそうだな」

 

 日依が心砕いていたのは、純粋な心配だった。

 なるほど、それはそうだな。

 

「でもだったら、尚更お前も休めよ。起きた時に今度はお前が倒れたら、そっちの方が静久は止むだろう? 気持ちが分かるなら、想像出来るよな?」

「う……それは、確かに。……もうちょっとだけ、寝ようかな」

 

 そう言って転がり、布団を被った日依は頭半分だけだして恥ずかしそうな目でこちらを見る。

 

「……あのさ、内人」

「ん?」

「……暇、だったら」

 

 そこから先は、見ていることすら出来ないのか。

 完全に布団を被り、くぐもった声で続ける。

 

「本当、やることなかったらでいいんだけど。……寝付くまで、一緒にいてくれない?」

 

 ……そんな、お願いされてしまえば。

 応えるに否がある、なんて訳も無く。

 

「……しゃーないな。なんだったら子守歌でも歌ってやろうか」

「う、いらない。子ども扱いはしないでよっ」

「こんな状況、子ども扱い以外の何物でもないだろ……」

 

 苦笑しながら、俺は腰を落ち着ける。

 何というか、少し、晴れた。心の澱とか、そういう物が。……どうやら知らず知らずの内に俺も、不安を溜め込んでいたらしい。

 陽だまりの中にいるような心地で、俺は日依が寝息を立てるまでしばらくの時間を過ごすことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 それから、一週間が経過した。

 状況は、良くない。街は不安に揺れていた。

 

 ネット上に拡散された高天原邸の映像は、最早知らないと宣うことが困難なほど衆知の物になっていた。昔からこの地に根を張る大地主を襲ったテロリズム。身近に起こった事件にみんな不安そうに勝手な憶測を立てる。

 曰く、高天原家に恨みを持つ爆弾犯の犯行だ、とか。

 曰く、ブルジョワを狙った革命思想の持ち主の闘争だ、とか。

 曰く、異世界からの侵略者が世界に疵をつけるべく暴れ回った痕跡だ、とか。

 そんな噂とも言えない風説が、それこそ突風のように世間を駆け巡っていた。

 記憶消去や暗示も最早おっつかない。詳細は分からずとも、人心を揺らす確かな楔としてそれは機能してしまっていた。……奴の、野分の思惑通りに。

 

 処理に追われ、御守衆はてんやわんやだ。

 おかげで野分とバケイカリの消息もまったく掴めていない。静久も、まだ起きる気配を見せないでいる。

 なんとも上手くいかない状況の中で、俺はトライユキオロシを走らせていた。街中のパトロールだ。

 

「……こうして街を流しているだけで、異様な空気が伝わってくるな」

 

 窓の外を過ぎ去っていく景色は、流し見るだけでいつもと違うことが如実に分かった。人々の表情は不安げで、いつ自分の身にも同じ事が起こるかと怯えているように見える。

 時間が経てば、きっと収束する。人の噂も七十五日。いずれ高天原邸がすっかり直される頃には、人々の笑顔も戻ってくるだろう。ずっとこのままじゃ、無い。

 だが問題は、この期間で野分が何をしようとしているか、だ。

 

「……野分。奴は何者なんだ」

 

 この騒動の原因であり、全ての黒幕だと名乗った怪人物、野分。化神を己の為に操っていると宣う奴の目的は、未だようとして知れない。

 ……いや、少しだけ零したか。

 

「御守衆の、転覆か……一体それで、何になる?」

 

 何故そんなことをしようとするのだろう。人を喰らう化神の脅威から人知れず世間を守ってきた御守衆がいなくなれば、化神による被害は一気に増える。今ですら揺れている街中は、地獄と化す。そんなことをして誰が得をするのか? まったく訳が分からない。

 

「いや、あるいは……どうでもいいのか?」

 

 もしくは、関係ないのか。

 世界が混乱の坩堝に飲まれようとも、人々の被害が増えようとも、御守衆さえ消えれば……それで満足なのか?

 だとするなら……目的は、復讐?

 

「だが……雪蔵さんに心当たりは無さそうだったしな」

 

 もしそんな強い復讐心を向けられる所業をしていれば、雪蔵さんは真っ先に気付く筈だ。だがその様子は無かった。ならば、北海道エリア以外で生まれた憎悪か? しかしそうだとすれば、このエリアを狙う理由が分からなくなる。

 

「……あぁクソ。こんがらがってきた」

 

 煩わしさに頭を掻き毟る。今考えても根拠は出ない。大人しく、事態の収拾に努めるべきか。

 そう考えていると、トライユキオロシの通信機に反応があった。着信だ。

 

「こちら内人。誰だ?」

 

 誰何しつつも、どうせ霞澄か日依だろうと思い気を抜いていた。だから聞こえてきた声は、寝耳に水だった。

 

『久しぶり――という程の時間では無いか』

「っ、その声!?」

 

 判別は、出来ない。具体的に誰かとか、男だとか女だとかは。

 だがくぐもったそれを発する人間を、直近では一人しか知らない――!

 

「野分! どうやって……!」

『フッ。御守衆の電子機器は独自の術によって機密性を保っている……それ故に安心しきっているのさ。只人には介入できないとね。だがその術理さえ解してしまえば、クラッキングや割り込みは容易だ……今みたいにな』

 

 語る野分の声には得意げな響きが含まれていた。あるいはそんな自分にしてやられる御守衆の無能を嘲っているかのようだった。

 

「……俺に、何の用だ」

 

 問う。だって、野分がわざわざ俺に話しかけてくる理由が分からない。

 頭目である雪蔵さんなら分かる。御伽装士である三つ子もまぁ分かる。なんだったら執事の麦さんでも分かる。だが俺は一番分からない。今御守衆北海道エリアに所属している中で一番日が浅く、繋がりが薄いのが俺だというのに。

 

『ふふふ。まぁ、少し二人きりで話してみないかという誘いだよ』

「何だと?」

『そうだな……バケウニがいただろう。ソイツが散った場所で待っている』

「なっ、何故それを知って――」

『勿論、君一人で来たまえよ。誰にも知らせず』

 

 そう言って、奴は通信を切った。

 

「おい、おい!」

 

 呼びかけるが、返ってくるのはノイズだけ。言いたいことだけを言って切りやがった。

 

「……どうする、俺」

 

 考える。バケウニの場所を知っているのは……まぁ、予想出来る。大方アイツの硬さ強さも野分の仕業だったということだろう。居場所を把握していたか、あるいは俺たちが戦うところを覗き見ていたか。それは別に重要なことじゃない。

 考えるべきは、奴が会って何をする気なのか。

 真っ先に考えつくのは罠……だが、俺を嵌めたところで何とする。平装士にも満たない何某がいなくなるだけだ。トライユキオロシを奪えるかも知れないが、あったところで化神一体分にもならないだろう。

 だったら、本当に話をするだけ、か? だがそっちの方が訳が分からない。何故、一体何の為に?

 

「………」

 

 奴の目的は分からない。

 だが、俺から聞きたいことは山程ある。

 危険性とそれらを天秤にかけた結果、傾いたのは――

 

「行く、か」

 

 ハンドルを切る。森へ向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 程なくすれば森へ着いた。そのまま木々の中を突っ切る。御伽装士のサポートマシンであるトライユキオロシなら悪路も訳無い。

 あの時は夜で、しかも静久の指示を聞きながらだったから迷いそうになるが、どうにか辿り着く。

 空けた場所に出れば、確かにそこはバケウニと相対した、付き人としての初めての戦場で。

 

「やぁ、待っていたよ」

 

 そこには一人、渦の仮面を被った人物が立っていた。

 

「……本当に、一人とはな」

 

 俺はトライユキオロシから降りて、辺りを見渡す。バケイカリの姿は、無い。俺は化神の気配を感じるなど器用な真似は出来ないから隠れているだけかもしれないが、少なくとも見える範囲には影も形も無かった。

 

 ――まぁ俺一人程度、怨面のある野分一人で充分ということかもしれないが。

 

 俺は野分から数メートル離れたところで止まり、対峙した。

 

「よう、来てやったぞ」

「あぁ、嬉しいよ。こういったお誘いは初めてでね。柄にも無く緊張してしまった」

「男なのか女なのか分からねぇ奴に言われても嬉しくねぇよ」

 

 一応間合いは、錫杖の届かない範囲を想定した。無意味かも知れないが。

 顎でしゃくり、本題を促す。

 

「それで、何の用だ?」

「ふむ。では単刀直入にいこう。――裏切りたまえよ」

「……は?」

 

 予想外の言葉に、思わず間抜けな声が出た。

 野分はそれを聞こえなかったのかと判断したのか、もう一度繰り返すように言った。

 

「裏切りの誘いだ。御守衆を放れ、私に付きたまえ」

「待て……待て待て待て。本気で言ってるのか!?」

 

 掌を向け言葉を遮る。それぐらい予想だにしなかった。

 

「本気だとも」

「それで……何になるってんだ。俺を裏切らせたところで、何の得がある?」

 

 まるで意味不明だった。俺は戦力として大した役に立たない存在だ。トライユキオロシにしたって、喉から手が出るほど欲しい物じゃない。メリットが無い。俺を裏切らせたところで、何も。

 

「得、か。それはいくつかあるが……一番大きいのは」

 

 野分は指を一本立てた。そしてそれを、すぐ四本に変える。

 

「君が裏切れば、三つ子の御伽装士も付いてくるだろう?」

「……将を射んと欲すればまず馬を射よ、ってか?」

「そういうことになるな」

 

 ……そうは、思えない。霞澄も日依も、御伽装士としての役目に責任を持っている。……眠ったままの静久はまだ分からない、が。

 だがコイツがそう考えていることは理解した。そして、三つ子を自分たち側に引き込むメリットはよく分かる。敵の最大の兵力が減り、味方には強力な駒が増える。その布石としてならば、俺に労力を割くだけの手間は掛けられるだろう。

 

「上手くいくと思ってるのか?」

「どうだろうな。分が悪いとは思わない。君は随分、慕われているようだし」

「……ノーコメントで」

 

 答える義理は無い。それに、聞きたいことはまだある。

 

「だとしても、俺をどうやって寝返らせるんだ。俺は普通に人間だから、化神よりも人間の味方をするぞ? 裏切らせるだけの材料はあるのか?」

「ふむ……メリットの提示か。ではいくつか」

 

 野分は一度指をしまい、改めて一本立てた。

 

「まず一つ。我々に襲われない」

「だろうな」

 

 味方になるのだから、当たり前の話だ。

 

「二つ。財を与えよう」

「……金か? また俗だな」

「分かりやすいだろう? それに、金で無くとも構わない。もしかしたら私の悲願が成就した暁には不要になるかもしれないからな」

「あ?」

 

 首を傾げて、気付く。そうだった。コイツの目的は御守衆の転覆だから……!

 

「最後の三つ目。……化神蔓延る世での保護。地上の地獄となった世界であっても、君は安全だという保証だ」

 

 ……御守衆が滅び、化神が跋扈するようになった世。一体どんな風になるか想像もつかない。ポストアポカリプスのように文明が滅び去るのか、あるいは案外普通に暮らしていけるのか。別の組織が生まれるのかもしれないが、コイツはそれもまた叩き潰す気なのだろうか。

 

「そんな世界にして、お前らは征服でもするつもりか?」

「いや? 別にどうともしない。だが見ての通り私は化神を従える力を持つのでね。自分の領域を作ってその守りを固めるくらいは出来るとも。その中に君を入れてやってもいいという話だ」

 

 ……化神の世界を、統治する気は無いのか。だとすると、本当に御守衆が憎いだけなのか。

 段々、野分の野望が知れてきた。

 野分は肩を竦め、問う。

 

「ふむ、どうだ?」

「……最初以外の二つは、この計画が成功した時には、って事だな」

「そうだな。成功報酬という奴だ。だが報酬というのは得てしてそういう物だろう? それに君が寝返ってくれれば、御伽装士もこちらへ来る。そうなれば計画は成功したも同然だ。空手形にはさせないよ」

 

 野分はどうやら、本気でそう言っているらしい。

 

「随分、確信しているんだな。俺がそっちへ行けば御伽装士も来るって」

 

 繰り返すその想像を、野分はかなり信じているようだった。俺としては、分の悪い賭けだと思っているのだが。

 気になって問うと、むしろ不思議そうに首を傾げて野分は言った。

 

「……当然だろう? 好きな人間と敵対してまで、続ける理由が御守衆にあるか?」

 

 当たり前、という風な声音だった。

 

「そうか? ずっと続けてたんだから、これからも続けるんじゃ無いか? ヒーローだしな」

「馬鹿なことを……あんな辛いだけの、顧みられることのない業務の何処に続ける理由がある。しがらみが一つ無くなり、戦いたくない理由が一つ出来上がれば、そんなことをしている方が馬鹿らしくなるだろうさ」

 

 意外なことに、野分はそう信じているらしかった。

 御伽装士としてのお役目は、ひたすら苦痛だと。誰もが、投げ出したいと思っているに違いない、と。

 本気で、そう思い込んでいる。

 

「……なるほど。大体分かった」

 

 野望も、俺に固執する理由も。ここに来た甲斐はあったと思えるくらいには知れた。

 

「そうか。では、こちらへ来てくれるな?」

 

 野分が手を差し出す。この手を取れば、俺は晴れて人類の裏切り者だろう。だが当面の身の安全は保証される。死の危険を遠ざける。それだけで取る価値はある手だろう。

 その上で、俺は。

 

「断る」

 

 それを、下した。

 

「……何故?」

 

 心底分からない、という声で野分が首を傾げる。一方で俺も呆れた風に肩を竦めた。

 

「御守衆が倒れられたら困るからだよ。どうなるにしろ、世の中は変わる。大きくか小さくかは分からないが、とにかく今まで通りじゃ無くなる」

「……だろうな。それで?」

「それじゃ困るんだよ。だってそしたら――」

 

 一瞬、目を瞑る。瞼の裏に思い出す。あの人のことを。

 

「――捜し物が、見つからない。旅も、続けられないからな」

 

 ずっと探し求めてきた。長い旅を続けてきた。

 それが途切れるかもしれない可能性を、俺は選べない。

 

「それに、世話になった人たちを見捨てられるほど、俺は薄情では無いつもりなんでね」

「……そうか」

 

 そう、野分は言って――差し出した腕に、錫杖を掴み取る。

 

「では、無理矢理に連れて行くとしよう」

「そう来ると思った!」

 

 突如として空気が張り詰める。戦闘の気配だ。臨戦態勢に入った野分は、錫杖の柄を指で叩いた。

 

「仙術――」

 

 静久に使ったように、俺に仙術を掛けるのだろう。御伽装士で無い俺には当然、逃れる術は無い。

 なので全速力でその場を離脱する。背を向けて向かうのは、トライユキオロシ。

 だが、それより早く野分の術が完成する。

 

「――人心掌河」

 

 錫杖を警戒し、取っていた間合い。

 しかし結果的に、それは無意味だった。

 何故なら錫杖の先端から発した水は、そのまま水流となり蛇のように鎌首をもたげ、俺へと迫るのだから。

 

「いっ! そんなことも出来るのかよ!」

 

 それを背中越しに見ながら、俺は全力疾走をやめない。立ち向かっても敵わないと分かっているからだ。俺が助かるには、トライユキオロシの中に入るしか無い。

 だが――届かない。水流が迫るペースと俺がトライユキオロシへ辿り着くまで、それを比較しても、後一歩。足りない。

 

「ふっ。安心したまえ。少し人格を書き換えるだけだ」

 

 勝ち誇った野分の声。それはそうだ。ここで抗える只人はいない。

 只人、は。

 

「――やぁっ!」

 

 声が響く共に、水流は弾けた。半ばから立たれるその様子は、蛇の胴体が切り裂かれたかのようだ。

 

「何!」

 

 驚愕した野分の声を背に、俺はようやくトライユキオロシの傍へと辿り着いた。ここまで来れば、野分が何かしても大丈夫だ。ボンネットに手を突いてほうと息を吐き、振り返って礼を言う。

 

「助かったぜ、霞澄」

「もちろん! その為に待機してたんだもん!」

 

 水流を断ったのは、乱入してきた霞澄の鋭い跳び蹴りだった。まだ生身の霞澄でそう出来たのは、例え退魔道具による仙術といえど想定外の方向からの攻撃には弱かったということだろう。

 

「馬鹿な。何故ここにいる!」

 

 訳が分からないといった様子で叫ぶ野分。

 

「連絡は出来なかった筈だ! その式神の電波は監視していた……!」

「アンタ、御守衆のことは古くさいって言ったクセに気付かないのか?」

「何……?」

 

 俺は答え合わせという風に、懐からそれを取り出した。

 

「種明かしは、これだ」

 

 それは何の変哲も無い――スマートフォンだ。

 

「! それ、は」

「御守衆絡みの電波がジャックされるなら、普通の電波を使えば良いって話だ。アンタの言う通り御守衆の通信は術頼みで機密性が薄いかも知れない。だが裏を返せば、現代の普通の通信なら大丈夫って事だろう?」

 

 そう、種を明かせば何のことは無い。スマホで霞澄に連絡を取っただけだ。

 

「運転中に電話は、マナー違反だけどな」

 

 ジャックの無い電波なら、内容を聞かれる心配は無い。約束を守るつもりも、最初から無かったしな。

 

「もう、突然ビックリしたよ。『これから野分に会う。後からコッソリ付いてきてくれって』、いきなり言われたら」

「ははは、悪い悪い。けどこれが一番だったろう? バケウニと戦った場所なら、お前をも知ってるから迷う心配も無いしさ」

「今度はアタシがドッキリを仕掛けるからね」

 

 むくれたようにそれだけ言って霞澄は、表情を切り替えて野分を睨み付ける。

 

「さて――野分。よくもアタシの妹を傷つけてくれたね」

「……ふむ。覚えが無いが」

 

 驚愕から立ち直った野分は、元のように余裕ある態度を取り戻しからかうように肩を竦めた。神経を逆撫でされ、霞澄は拳を握り込む。

 

「術を掛けておいて、何を……!」

「眠っているだけなら、傷つけた内に入らないだろう。むしろ苦しまなくて済むんだ。礼を言って欲しいね」

 

 霞澄の怒気が膨れ上がる。獣なら、全身の毛が針のように逆立っていただろう。

 怒りのまま、霞澄はバレッタから怨面を取り外す。

 

「――アンタは、ここで獲る」

「ふむ。致し方ない」

 

 同じように野分は、コートの中から瓜二つの怨面を手に取った。

 

「「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」」

 

 同時に響く、同じ呪文。

 そして、同じ言葉。

 

「変身!」

「変身」

 

 霧が、渦が二人の姿を覆い隠す。見た目は違うが、本質的には同じもの。

 そして晴れた時、そこにはよく似た二体の戦士が対峙していた。

 

「御伽装士、テンユウ。さあ、天誅よ!」

「御伽装士、メイユウ。さて、深淵に沈めてやろう」

 

 灰と紺碧。

 二人の御伽装士は、真正面から衝突した。

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