仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ 作:春風れっさー
「せやああっ!」
先手を取ったのはテンユウだった。灰色の身を飛び上がらせ空中からの跳び蹴りを見舞う。突き出された足裏を、メイユウは交差させた腕でブロック。ダメージを最小限に抑えながら、力を籠めて衝撃を相殺する。
「――フンッ!」
「くっ」
勢いを殺されたテンユウはそのまま腕を足場として蹴り、空中で一回転してから着地した。最初の攻防は、お互いノーダメージだ。
「軽いな。それで私を倒せると?」
「流石に体術勝負だと、そっちに一日の長があるかな」
両者の上背を比べると、メイユウの方が遥かに大きい。同世代の平均よりも小さい三つ子に対し、性別不詳の野分は女性としては高く、男性としては平均程度といったくらいだ。体格はメイユウに分がある。
しかも先の戦いでメイユウは、暴走状態にあるとはいえ静久との格闘を完全に制して見せた。腕前もある。これだけ見ても、メイユウの方が遥かに有利だ。
「だけど、それだけが戦いの全てじゃ、無い!」
それでもテンユウの闘志に衰えは無い。
「――退魔道具・浮雲の脚絆!」
再度テンユウから仕掛ける。今度は退魔道具を顕現させての攻勢だ。臑を覆うように現われた緑の綱が巻き付く脚絆を脚に、テンユウは地を蹴って駆け出した。
「やあ!!」
まだ距離があるというのに、テンユウは宙を蹴り上げる。当然のように空を蹴る爪先。だが今のテンユウは脚絆を装備している。ならばその一撃は空虚に終わらない。
緑の綱が伸びる。彼女の意志に従い、真っ直ぐと。
「小癪なッ」
伸びる綱の先は当然メイユウだ。己に迫る先鞭を、メイユウは手にしたままの錫杖で打ち払う。腰を入れたその様は、杖術にも通じていることを知らしめている。
しかし一度叩き落とされた程度で諦めるテンユウでは無い。メイユウへと距離を詰めながら何度も蹴りを繰り出し、鞭めいた縄の強襲でメイユウを苦しめる。
「やああぁぁっ!」
そしてついに、至近距離まで持ち込んだ。
「――せいっ!」
背を低くして懐に潜り込み、顎を狙って蹴り上げる。まず間違いなく死角。普通は避けられない。
「フン」
だがメイユウは、首を逸らすだけでそれを回避した。一瞥すらくれず。
「!」
「見え見えだ」
回避してすかさず錫杖を振り下ろす。押し潰すような一撃。テンユウは獣のように四つ足をついて躱し、四肢に力を溜め一気にバックステップ。どうにか距離を取って体勢を――
「――仙術・剛力命水」
そうして空いた一瞬を、メイユウは狙っていた。テンユウが何も出来なくなる瞬間を狙い澄ました、仙術の行使。錫杖から弾けた赤い雫がそのままメイユウへと吸い込まれる。
「っ!」
「ハァッ!」
そして今度はメイユウが攻める番だった。錫杖を構え、テンユウへ向かって一気に突貫する。
大振り。見極めやすい一撃。そう悟ったテンユウの脳裏に浮かんだのはカウンター。一度交差させた腕で受け、流しつつ足技を決める。今まで積んだ鍛錬と戦闘経験からそう答えを導き出す。
だが――頭を過ぎるは、先日の光景。氷の大地に叩き伏せられる静久の姿。
「!!」
選んだのは回避。それも多少身をずらすだけではない。大きく横っ飛びしての大回避。過剰とも取れる動き。これでは回避した後に大きな隙を晒してしまうだろう。そこまでして避けるべき攻撃か、否か。
――その答えは、直後にメイユウが舞い上げた土砂が示していた。
「なっ」
その光景を見ていた内人から呆けた声が聞こえる。それだけ非常識な光景だった。
まさか錫杖の先が地面に触れただけで、爆発したかの如く地中が捲れ上がるなどとは。
「察知したか。勘が良いな」
そこには小規模なクレーターが出現していた。さながら隕石が落ちたかのような。それだけの景色を作り上げておきながら、なお平然とメイユウは錫杖を構え直した。
転がるような回避から立ち上がったテンユウもまた驚いていたが、すぐに思い当たって動揺を消す。
「……力を上げる仙術ね」
「ほう、詳しいな」
意外そうにメイユウは呟く。
「錫杖から生み出した霊薬によって一時的に筋力を増強する術……静久との戦いの時には足に使っていた。あの時はスピードアップだったけど、今度はパワーアップ……ってところね」
「ふむ? 詳しすぎるな……あぁ、そうか。さては調べたな?」
メイユウの言葉にテンユウは頷く。
「そうだよ。メイユウのことについては、蔵書がたっぷりあったから」
――テンユウは、ひいては三つ子は、メイユウの戦いを知らない。彼女たちが物心ついた時にはもう、その変身者である母親は既に死んでいたからだ。
だがそれは、この世から痕跡すらも消え去ってしまったという訳では無い。
御守衆は忘れない。戦って散った御伽装士のことを。その力、活躍を子細に記録し、次代へ残す。そして後世の戦士たちは学ぶのだ。その戦い方を。
「読めるところにあったのは全部予習済み! メイユウの力は通じないと思った方が良いよ!」
「なるほど……それは厄介だな」
メイユウは苦々しい声を放つ。だが、それほど深刻な声色はない。面倒だ……その程度の感情。
「では錫杖は無しでいいな」
そう言ってメイユウは手にしていた錫杖を消す。テンユウは訝しんだ。確かに錫杖の力をテンユウは学習してきた。その対処法も粗方頭に叩き込んでいる。だがだからといって、わざわざ自分が有利になる武器を消すとは。
その疑問の答えは、次のメイユウの言葉で判明した。
「――退魔道具・
唱えた直後、その手にはまた長物が握られていた。
長い柄。それは錫杖とも似ていたが、その先端に付いている物が違った。それは穂先。黄色の鋼で打たれた、三つ叉の鋭い刃だった。
槍。その姿を見てテンユウは全身の毛を逆立てる。
「槍の方! そっちも解放していたの!?」
「そういうことだ。こちらなら特性を把握されていても武器として扱えるからな」
ヒュンヒュンとこともなげに振るうその手付きからは、槍捌きもまた達者であることが窺える。つまりメイユウは、単純な武力で圧倒してしまおうというのだ。
そう。確かにテンユウはメイユウの力を予習したが、武術の方の攻略法は目処が立っていないのだ。何せ単純な、実力差だ。
「……くっ!」
苦々しげに呼気を吐き、それでも先に仕掛けるテンユウ。最悪の事態は実力差がある上に後手に回ることだという判断だ。ジリ貧よりも、苦しくても攻め続けた方がラッキーパンチの確立は上がる。
地を蹴り、空中を蹴る。爪先は空を切るが、伸びた縄がメイユウへ迫った。
「フン!」
素早く迫る縄を、メイユウは槍を回し、盾とすることで防いだ。扇風機に当たるかのように弾かれる縄。
「っ、はあっ!」
それを見たテンユウは真正面からの攻撃は無意味と悟り、防がれた縄を引き戻しつつ残ったもう一方の縄を別方向へ伸ばした。伸びた先には、開けた空間の果て、森の木々だ。
「機動力で勝負だっ!」
「ほう、面白い」
乗ったとばかりにメイユウは森の中へ入った。余裕の表れのようにも見え、仮面の下でテンユウは歯噛みする。
木々に囲まれた空間を、テンユウは縄を使って飛び回る。描く立体機動は霞澄の十八番戦術だ。機動し、相手の死角を突き、隙を貫く。決定力に欠ける霞澄が生み出した戦法。
樹木の間を飛び、翻弄していく。スピードと視界の悪さが相まって、メイユウもその動きを捉え切れていない様子だ。
「む……これほどとは。中々の速さだ」
「シシッ、今頃後悔したところで、遅い!」
二重の意味でそう告げ、テンユウは襲い掛かる。目掛けるはがら空きの背中だ。完全な視覚の外。反射で動けない唯一の点を、テンユウの跳び蹴りが狙う。
だがそれも、予想通りでは通じない。
「なっ――」
「来ると分かっていれば、な」
完全に無防備だった背中。だが蹴りが届く寸前、滑り込むようにして槍が割って入った。硬質な音を立て、防がれる一撃。
「止められ……!」
「
「くっ……!」
即座に離れようとするテンユウ。だがこの至近距離でそれを逃すメイユウでは無い。
「フッ!」
「あぐっ!」
翻した槍で振り返りざまの一撃。鋭い一突きがテンユウの胴へ向かって放たれ、胸の中心を穿つ。悲鳴を上げ、ゴロゴロと転がるテンユウ。
幸いだったのが、突かれた場所がテンユウの鎧の一番厚い場所だったこと。おかげで心臓を貫かれるようなことにはならなかった。ただ肺が潰された所為で、空気が押し出されてしまったが。
「げほっ、げほっ!」
空気は体力の源だ。それは御伽装士になろうとも変わらず、それを粗方吐き出してしまったことでテンユウはすぐには動けない。その隙に、メイユウは大技を放つ。
「退魔覆滅技法――
海を漂うプランクトンめいた黄色い光の粒が槍先に集い輝き始める。光が充分に集まった頃合いを見計らい、メイユウは鋭い突きでそれを打ち出す。光は槍投げのように放たれ、動けないテンユウに着弾した。
「あぐうぅっ!!」
黄色い光槍を受けテンユウは吹き飛んだ。地面をバウンドしながら、会敵した広場へと飛ばされていく。
「霞澄!」
内人は目の前まで転がってきたテンユウへ駆け寄る。そしてすぐに異常事態に気付いた。
「これは……鎧が!?」
「う、うぐぅっ!」
光の穂先はただテンユウにダメージを与えただけに終わらなかった。テンユウの鎧には、明らかに技由来と分かる黄色い光の亀裂が走っていた。罅割れはピシピシと音を立てて広がり続けている。
そしてそれが全身を覆い尽くした時――テンユウの鎧は砕け、生身となった霞澄が残された。
「霞澄! 今のは……!?」
「退魔覆滅技法・波蝕。海の波はどんな硬い物質でも削り取っていく。その力が籠められた光を受ければ、どれほどの装甲であろうとも罅割れ、無に帰す。普通の肉体を鎧っているだけの御伽装士にとっては、天敵のような技だ」
そう解説しながら森より歩み出るメイユウは、当然の如く無傷だった。
「ま、それはテンユウも記録を読むなりして分かっていただろう。だから決して回避できないタイミングで打ち込んだ。その効果は覿面……という訳だ」
「う、ぐぅぅ……」
悔しげに臍を噛みながら、霞澄は辛うじて身体を起こす。鎧のみを砕く技故に本体は無傷だ。だが受けたダメージで動けない。
「ぐ……野分……!」
「フッ、動かない方が良い。肺の空気を吐かされた後の一撃では受け身も取れまい。さて……」
メイユウは視線を霞澄から、内人へ移した。
「っ!」
身構える内人。しかし戦力差は歴然だ。変身も出来ない内人では敵うどころか戦いにすらならない。
それでもと、鋭く睨み付ける目だけは逸らさずにいた。
「……やめだ」
それを見てメイユウは興を失ったいう風に溜息を吐いた。
「え?」
「君の勧誘に来たというのに当の本人にその意志がなくてはな。洗脳も本意ではないしなるべくはしたくない。……ならこの場に留まる意味もないだろう」
メイユウはクルリと背を向け怨面を外す。泡のように解ける変身。すかさず懐から手にした渦仮面を被り直す。だが野分はその面を見せることなく、そのまま歩き出した。
「っ、待て!」
「……さて、今君が呼び止めるメリットがあるかな?」
ゾッとするような声音でそう告げられる。内人に対抗手段はない。その上霞澄は立ち上がれずにいる。今野分がトドメを刺さないのは気まぐれだ。その気が変わらない内に去るに任せ、縮こまっているのが得策。それは内人にも分かっていた。
だが、聞かなければならないと思った。
「あ、アンタがこんなことをする、理由は」
「言っただろう。御守衆の転覆だと」
「その、動機だ! アンタは何故、こんなことをする気になった!」
尋常ではない執念。仮にも世界を変えようとするその原動力が、どこから来るのか。それを内人は知りたい、いや知らねばならないと直感した。
「………」
野分は振り返らない。だが一言だけ答えた。
「……愛さ」
そして今度こそ足を止めず、立ち去った。
「……ふぅ。霞澄、大丈夫か?」
野分の背が森の中に消えていくのを見届けて内人は緊張を解いた。そして倒れたままの霞澄を抱き、膝に乗せる。
「う……平気。苦しいけど、ちょっと休めば……」
「そうか。だが、やはり」
「うん……勝てない」
霞澄に配慮しその先の言葉を濁す内人だが、誰よりも分かっている霞澄がその先を引き継ぐ。
「アイツは……野分は、強い」
悔しげに目を覆って霞澄は呟いた。
「体術も、仙術も。メイユウの力を完璧に使いこなしている。その上アタシの動きも読まれてた。このままじゃ、勝てない」
霞澄は御伽装士として真剣だ。だからこそ、実力差を色眼鏡なく認める。その結果、絶望するだけだと分かっていても。
「勝つには……いや、一矢報いるのにも、まだ足りない」
しばらくそのまま、何も言わずにじっと内人の膝を借り続けた。
※
「ただいま」
「あ、内人。それに霞澄も。どこ行ってたの?」
「ちょっとな。それで、静久は?」
何事もないように装い俺と霞澄は帰宅した。野分との邂逅はまだ誰にも知られていない。御守衆の連絡網を使わず俺と霞澄の通話だけの話だからだ。
玄関に出迎えてくれた日依に静久の容態を問う。彼女の答えは赤い組紐で括った髪を横に揺らすことだった。
「まだ、か」
「でも寝返りの頻度は高くなってるから、眠りは浅くなってるんじゃないかって先生が」
「そうか。それは朗報だな」
考え、日依には伝えるべきかと思う。
「日依」
「うん? なに?」
「野分に会ってきた」
「ぶっ」
唐突な言葉に日依は噴き出した。澄ました表情もここ最近は崩れてるから、意外な印象は特にないな。
「な、ななな」
「この通り消沈しているのは負けたからだ」
「消沈してないし……」
隣で黙ったままの霞澄の頭を叩く。口ではそう言うが飄々とした態度がすっかりなりを潜めている。落ち込んでいる証拠だ。
「ま、俺を守る為に頑張ってくれたんだから、感謝はしてるけどな」
「でも勝てなかったら意味ないし。だから日依、部屋行くよ」
「え、なんで? 静久の看病は?」
「野分相手の対策! 静久の前で五月蠅くする訳にはいかないでしょ。ほら!」
「わ、わわ」
そのまま日依はズルズルと引き摺られていった。まずは資料室に寄って、山ほど資料を抱えてから部屋で根詰めコースかな。後で何か差し入れてやるか。
さて、俺も何かしなくちゃだが……。
「あ! もう外出ないでよね! 狙われたんだから!」
おっと。去って行く霞澄に釘を刺されてしまった。まぁ正論だ。大人しく控えよう。
じゃあ、何をするか。
「……静久の看病でもするかぁ」
二人がいないのなら、せめて俺ぐらいが見ておこう。それが妥当だと思い、俺は静久の眠る病室へ向かった。
部屋に入ると静久は変わらず、部屋の中央に敷かれた布団で寝息を立てていた。姉妹に気遣って人払いされているのか、誰もいない。
「寝顔はホント、安らかなんだけどな」
眠る表情は穏やかだ。悪夢のようなものとは無縁に見える。少なくとも……怨面からの声に苦しんでいるように、は。
「……そういえば、あんまり寝られてなかったな」
布団の傍で胡座に座りながら、俺はそんなことを思い出した。静久は夜うまく眠れていなかった。今思えばそれも怨面の影響だ。頭の中に声が響いて眠りが浅かったのだろうか。
「だとすると、久しぶりによく眠れているのか……なんて」
不謹慎のように思えるが、そう考えると眠り続ける静久の現状も幸いのように少しは思えた。
静かな寝息だけが響く、どこか穏やかな静謐。そんな時間を過ごしながら、俺は色々なことを考えた。
野分のこと。霞澄と日依のこと。静久がいつ起きるのかということ。そして、自分のこと。
「もっと、アイツらをサポートしてやれればな」
膝の上に置いた拳を握り締める。野分との戦い。俺は守られるだけだった。あの時俺も何かサポート出来ていれば、勝敗は少し変わったかもしれない。そう思うと、悔しさが心の奥から滲み出てくる。
「付き人っていっても、無力だな。戦うアイツらを、ただ見守るしか出来ないなんて」
年端もいかない少女たちに戦わせて、自分はただ見ているだけ。無力が歯がゆい。
きっとこんな思いを、北海道支部の人間たちは何度もしてきたのだろう。特に雪蔵さんは。自分の孫たちを前線に送り込んで平気なはずがない。俺の何倍も心を痛め、きっと悔やんでいる。
「俺がいる意味なんて、あるのかな」
何かしてやりたい。けど何も出来ない。
気付けば記憶を保つ為に選んだはずの付き人という立場で、それだけが心を占めるようになっていた。
そして気付く。
「……そうか。俺は、お前らのことが思った以上に好きなんだな」
憎からずは、元々思っていた。纏わり付いて悪戯を仕掛ける霞澄。つっけんどんだが時々年相応に目を輝かせる日依。掴み所がなくてどこか儚げだった、静久。
御伽装士として頑張るコイツらの為に、俺は何かをしてやりたい。
それこそ、命くらいなら賭けても……そうとすら思えた。
「まったく。大事な人ってのは案外すぐ出来ちまうからなぁ」
苦笑する。俺も懲りない奴だ。
そんな風に一人で笑っていたからだろうか。
「……ん」
今まで規則正しい寝息を立てていた静久が、顔を顰めたのは。
「静久?」
そしてゆっくり、薄らと瞳を開けた。
「……内、人?」
「起きたのか、今」
天井を見つめ、状況を確認するかのように俺を捉える眼差し。意識がある。目が覚めたんだ。
「待ってろ、今二人を呼んでくる」
歓喜に叫び出したい気持ちを抑え、誰よりも静久が起きることを心待ちにしていた霞澄と日依を呼ぶ為に立ち上がろうとする。だがその手を、静久が掴んだ。
「待って! ……待って、ください」
「……静久?」
無理矢理身体を起こし、俺の手を握る静久は切実な瞳をしていた。
「二人には、まだ」
「……なんで」
静久が目を覚ますことを誰よりも願っていたのは姉妹である二人だ。それなのに何故、彼女たちを呼ぶことを拒むのか。
「……お願い」
だが懇願するような弱々しい声でそう言われては。
この手を振りほどいて呼びに行くなんてことは、とても。
「……分かった。でも理由を……いや」
訳を聞こうとして、部屋の外から聞こえてきた足音に顔を顰める。今のは廊下を過ぎ去っただけのようだが、このままここにいては誰か来てしまうかもしれない。それこそ、対策会議を終えた二人とかが。
「場所を変えるか。屋敷の外に出なければ、大丈夫だろ」
そう言って俺は静久の身体の下に手を滑り込ませ、なるべく優しく持ち上げた。
「あ……」
「ちょっと揺れるが、辛抱してくれよ」
抱き上げた静久を手に、俺は人目を避けて廊下に踏み出した。
「ここまで来れば、大丈夫だろ」
使用人に見つからないようグルグルと遠回りしながら二人でやって来たのは、広い高天原邸の庭だった。かつて静久を肩車したこともあるこの庭は広い分、簡単には見つからない。捜索されても物理的な時間が稼げる。かくれんぼにはうってつけだろう。
「さて、話してもらえるか」
その一角。前に静久が俺の肩に落ちてきた木の下へと俺たちはやってきた。木陰の根元に腰を下ろして俺は隣で木の幹に背を凭れる静久に問う。なんで、二人に知らせないのか。
「……合わせる顔、なくて」
ポツリと、そう零す静久。その声音にいつもの惚けた響きはない。俯き、ただただ沈鬱した様子で答える。
「隠していたこと。あんなことしたこと。霞澄ちゃんにも、日依ちゃんにも、お爺さまにも……誰にも」
「誰も、気にしないと思うぞ」
俺はそう答えた。だが気休めにしかならない気もした。家族の人格なんて、同じ家族である静久が分かっていない訳ないのだから。
「うん。でも僕が……静が、御伽装士としてじゃなく、自分の為だけに戦っていたのは……事実だから」
木陰の下の爽やかな空気。ひんやりしたそれも、今の静久の前ではどことなく寂しい冷気に感じてしまう。
「昔、姉妹で約束したんだ。三人でみんなを救える御伽装士になろうって」
「言ったのは霞澄だな。そのくらいは想像出来る」
飄々とした態度ながらみんなを引っ張るのは、長女らしい彼女の一面だ。
俺が当てたことで、静久が微かながら笑みを浮かべる。
「うん。霞澄ちゃんはホントに素敵で……いつだって輝いてる。日依ちゃんも、すごく優しい」
「その優しさは身内限定だけどな」
「そんなことないよ。ホントは誰にだって優しいんだ。だからみんなを守りたくて、怖いのに御伽装士として戦ってる……」
憧憬の眼差しで見ているのは、遠い日の光景なのか。ぼうっとした瞳で静久は語り続ける。
「でも、静だけが違った」
懺悔を。
今まで語れなかった、告白を。
「静だけは、正義感からじゃなかった。ただ、怨面からの声から逃げたかっただけ。誰かを救いたいよりも、静が救われたいから、戦ってた」
「別に悪いことじゃない」
まず俺はキッパリと否定した。
「警察官や自衛隊員だって、全員が平和の為を想って働いてる訳じゃないだろ。中には単に安定した収入を得たい一心で働いてる人だっている筈だ。けど結果的に平和の為に役立ってる。何も悪いことじゃない」
人には見返りが必要で、善意だけで生きていける人間はいない。金、地位、信用……何かする代わりに対価を得るのは健全な人の営み。その代わり社会の役に立つのなら、それは歴とした善だ。
だから静久が誰かを助けたいという気持ちではなく、自分が楽になりたいという気持ちで戦っていたってちっとも悪いことではない。
「だから……」
「それでも」
そんな俺の本心からの言葉を遮って、静久は。
「それでも霞澄ちゃんと日依ちゃんは人の為に戦った」
傷口から血を零すような言葉を吐き続ける。
「静だけが、違う。三人の中で静だけが。それが裏切りじゃなくて、なんなの?」
昏い瞳を潤ませ、涙声になりながらも静久は言葉を紡ぐ。
「同じ顔。同じ背丈。同じ声。それなのに腹の内は、静だけが違う。静だけ真っ黒。なんで、なんで……」
そして抱えた膝に、遂に雫が落ちる。
「なんで静だけが違うの……!?」
それが静久の、一番の悲嘆だった。
怨面からの声。正義の心を抱けない弱さ。だがそれよりも、もっと。
他の二人に並べないこと。同じ志で戦えないこと。どうしても無理で、どうしても一緒になれなくて。
「静だって一緒になりたい……! 二人みたいに、ちゃんと正義の味方になりたいよぉ……!」
それが一番、悲しいのだ。
「ぐずっ、うう゛ぅっ」
「……そうか」
静久のずっと抱えていた心の闇。それをようやっと吐き出して、静久は泣き崩れる。
埋めた膝の間から漏れる嗚咽。しゃっくりで跳ねる肩。寒くもないのに、堪えきれない感情で震える身体。
幼さを残す少女の絞り出す精一杯の悲嘆が、暮れ始めた空へ消えていく。
それをしばらく黙って聞いて、それから俺は。
「……本当に、静久は正義の味方に相応しくないのかな」
それでも、そう言った。
「ぐすっ、だって……」
ちゃんと聞いていなかったのか、そう言いたげに静久が涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。でも俺の意見は変わらない。
「だってさ、怨面の声から救われたいなら化神をただ倒せばいい訳じゃないか」
「うん……だから静は、静だけはその為に戦って……」
「でも俺は生きてるぜ?」
「え?」
まるで前後が繋がっていない俺の言葉に、静久はキョトンと目を丸くした。構わずに俺は続ける。
「初めてお前と出会ったあの戦いで、俺は死にかけた。いや本当なら死んでいた」
三つ子と初めて出会った日。一日に二度も化神と遭遇してしまった厄日。静久と邂逅した川辺にて、バケヤマメと戦ったあの時。俺はバケヤマメの一撃を受けて内臓破裂を起こした。
「一瞬だけだったけど、地獄のような苦しみだった。だけど、それは一瞬だけだった」
そのまま放置されていれば間違いなく死んでいた。哀れ俺は血反吐を吐きながら激痛に藻掻き苦しみ、後悔の内にこの世を去っていただろう。
しかしそうはならなかった。何故か。
「お前のおかげだぜ?」
静久が退魔道具で俺を癒やしたからだ。
「あれのおかげで俺は助かった。今もこうしてのうのうと生きていられる。それは全部、真っ先に静久が俺を治してくれたからだ」
あの時の静久は何よりも俺の傷を治すことを優先してくれた。化神を倒すことよりも、だ。そうでなければ俺は数十分で……悪ければ数分で死に至っていたかもしれない。あの時真っ先に俺のことを助けてくれたから、今の俺の命はある。
「静久が俺を助けてくれた。それは誰の主観も入らない、純然たる事実だ」
「あ……」
静久も忘れていたのだろう。きっと無意識だったのだ。目の前で失われつつある命を助けるのは当たり前のこと。それがもうとっくに刷り込まれているのに気付かなかった。あの時だって、怨面からの声が響いていた筈なのに。化神を倒してさっさと楽になりたかった筈なのに。
自分の苦しみより人を助けることを優先する。
人はそれを、
「だから俺が保証する。他ならぬ俺が生きているという事実が確証する。お前は紛れも無く、正義の味方だよ」
「……そう、なんだ」
俺の言葉を噛み締める静久。信じられない事実を、何度も確かめているかのように。
「静は……二人と、並べてたんだ」
霞澄も、日依も。同じ事をする。三つ子である静久にはそれが痛いほどよく分かっている。だからこそ、理解できる筈だ。
自分も、一緒なのだと。
「そっか。……そう、なんだ」
そう安心したように呟いた瞬間の表情を俺は見て、呟いた。
「やっと笑ったな」
「え?」
言われて頬に手を伸ばす静久。その口角は、微かにではあるが確かに上がっていた。目を覚ましてからずっと泣きそうな顔をしていた静久が、ようやっと浮かべた笑顔だった。
「あ……」
「さて、もういいだろ。霞澄と日依に会えない理由、まだあるか?」
「……黙っていたのは、不実だから」
「実はそれについてはとっくに解決済みなんだよな。だろ? 二人とも」
「……へ?」
俺の声を合図に、ガサリと頭上の木陰が揺れた。慌てて顔を上げる静久。ずっと俯いていたから見えなかったな。
枝の上には、悪戯が成功した時の笑みを浮かべる霞澄と、バツが悪そうに冷や汗を流す日依がいた。
「え、あ、え」
「シシッ! 全然気付かなかったね!」
「ごめん、静久。盗み聞きするつもりは……あったけど」
「い、いつから……!」
パッと俺を振り返る静久。ここへは俺の手で連れてこられた。俺の協力なくしてはできないことだと一瞬で理解したのだろう。その頭の回転の速さは流石だと言いたいが、やはり病み上がりで少々鈍かったな。
「三人の部屋の前には行かなかったから油断したか? 実はお前を連れ出す途中、こっそりと資料室の前を通ってたんだよな~」
静久を病室から連れ出す途中俺は敢えて遠回りして資料室の前を通った。それは抱えられている静久からすると人目を忍んでのルート取りに思えただろう。だが俺は、二人がそこにいることを知っていた。野分対策をする為に。
「アタシ、悪戯する為に内人の足音憶えてるんだよねー。だから資料室の前を通るのに気付いて、こっそり顔出したんだ」
「そしたら静久を抱える内人が目だけで振り返って合図するから、それに乗っかって追跡して……」
「で、中庭を歩くルートから二人の行き先が推察できたから、先回りして潜んでたってわけ!」
「静久、この木がお気に入りだから」
つまり、静久のことをよく理解しているからこそ成功した潜伏という訳だ。
「な? やっぱり姉妹だろ?」
「あ、うう……」
かあっと顔を赤らめさっきとは違う理由で蹲る静久。それを挟み込むようにして、霞澄と日依の二人が降りてくる。
「しーずくっ!」
「静久」
名前を呼び、二人は静久へ抱きついた。膝を抱えた静久を挟むようにしている為、まるで一塊のようだ。
「アタシたち、静久のことちゃんと好きだよ」
「うん。姉妹で、仲間で、戦友なんだから、当たり前」
「でも静は、怨面のことを黙って……」
「私はハナから気にしてない。でしょ、内人」
日依の問いに俺は頷く。
「ああ。その場限りの嘘じゃないぜ。ヒアリング済みだ」
あの時聞いていたからな。
そう言うと日依は自慢げにフンスと鼻を鳴らした。それ見たことかと言っているようだ。
一方で反対側の霞澄は少しだけ眉根を寄せている。
「アタシは……実は、ちょっと怒ったよ」
言いながら霞澄は静久を抱く手を強めた。
「っ」
「でも、それはアタシ自身に対して」
「え……」
叱られると思ったのだろう。身を固くした静久だが、それはすぐに驚きを伴って解かれる。どうして自分ではなく自身に対して怒るのか、分からなかったからだ。
「だって静久の悩みに何一つ気付けなかったんだもん。長女失格じゃん。でも……まぁ」
パッと表情を晴れやかな物に変え、霞澄は俺を見上げた。
「静久の方が上手なだけって、言われちゃったからさ」
それも、俺の言ったことだ。肩を竦める。
「だから自分に怒るのももう、やめた。ただ静久との化かし合いに負けただけ。昔から静久の方が、ゲームは上手かったしね! もう!」
そうは言いつつも頬を少し膨らませているのは、化かし合いに敗北して悪戯好きのプライドが傷ついたからだろうか。しかし剣呑な雰囲気はちっともない。ただ可愛らしく拗ねているだけだ。
「……霞澄ちゃん、日依ちゃん」
「だからさ、静久。……また、アタシたちと一緒にいてよ」
そう言って、霞澄は静久へ頬を擦り寄せる。日依もまた、反対側から。
「静久がいないと、アタシたち駄目なんだよ?」
「うん。すごく寂しい」
「でも静は……また、あんな風になるかも」
「その時は、今度こそアタシたちが意地でも止めるよ。絶対」
「苦しいなら、私たちが精一杯慰める。全部は取り除けなくても。必ず」
二人の決意は固い。いや、もしかしたら決意ですらないのかもしれない。
だって姉妹にとっては、ずっと一緒に生きてきた三つ子にとっては、当たり前のことだから。
「静は……二人の妹でいいの?」
その問いを投げかけられた二人は不安げな静久の表情越しに目を合わせあい、何を今更という風に答えた。
「アタシたちの妹は、静久だけだよ」
「おかえり、静久」
「っ! ……うん、ただい、まぁっ……!」
いよいよ決壊し、泣き崩れる静久。
俺は背を向けその場を去った。
もうすぐ夕食の仕込みの時間だ。今日はとびきり美味いものを作ってやらなきゃな。
「メイユウの退魔道具は二つ。杖と槍よ」
山ほど積まれた大量の唐揚げをポップコーンのように消費しながら霞澄はそう言った。
「神通力を籠めることであらゆる薬と毒を生み出す溟渤の錫杖と、火や雷を打ち返し鎧を無効化もできる狂濤の三叉槍。この二つね」
「へぇ。あの槍、跳ね返す力もあるんだ」
ボウルに収まらないので金魚鉢を使った巨大な杏仁豆腐を見る見る内に減らしながら日依は相づちを打つ。
「うん。でも一番厄介なのは……」
「あの体術の冴え、だよね。……内人~、静、酢豚のパイナップル嫌~い」
「黙ってろ……!」
二人と同じようにバクバクと喰らいながら文句を言う静久に、俺は調理の手を止めず言い返した。クソが、必要以上に元気になりやがって……!
お互いの気持ちを確かめ合った三人はいつも通りのペースを取り戻した。するとどうなるか。わがまま三つ子の再登場、という訳だ。大変なのは三つ子のわがままを一心に受け止めて合わせた料理を作る俺。しかもしばらく消沈していた分腹が減っていたのか、食事のペースもいつもの数倍だ。当然調理は追いつかず、俺は厨房の一角を借りて出来た料理を片端から提供している。
普段なら料理人たちが賄いを食べているスペースで三つ子は、俺の渾身の料理を湯水のように消費しながらメイユウへの対策会議を行なっていた。
「そう、あの体術。シンプルにアタシたちに勝っているからこそ、対策出来ない。特に体術主体のアタシと日依じゃ」
確かに、そうだ。俺は手では必死に調理を続けながら耳だけで聞いていた。
メイユウの動きは素人目から見てもかなりの完成度だった。元々武術を修め、その上で想像を絶する修羅場を潜るか荒行を己に施さないと至れない境地。三つ子も一般人から見れば隔絶した実力を持つが、それでも野分には及ばない。
故に接近戦が主体の霞澄と日依のスタイルでは不利だ。となると、残りは……。
「だから、静久が要になる」
「……だよね~」
術主体の静久だ。体術で及ばないのなら、仙術で対抗する。当然の帰結だが。
「問題は静久の調子ね。結構長い間眠ってたけど、体調はどう?」
「それがすこぶる快調だよ~。ピンピンしてる~」
そう言う静久の表情は確かに元気いっぱいだった。なんならグッスリ寝たおかげで隈も消えていつもより溌剌としている。……そのおかげで食欲も爆発し、作った片端から消えていくのだが。
「内人~、餃子の焼きが甘いよ~? 羽根もちっちゃ~い」
「ホント元気だよ……!」
いちゃもんを受け止めつつ次の料理を作っていく。手を止める暇がねぇ。禁断のフライパン四刀流を解禁するか……!
「メインが静久になるなら、私たちはどうするの」
「メイユウ以外の化神の担当かな。静久は温存しなくちゃだから。野分が化神を、少なくともバケイカリを操れる以上、兵隊は尽きることがないと思う」
「バケイカリ、かなり強かったからねぇ~」
実際に相対した静久が頷く。あの時の静久は本調子ではなかったとはいえ、まるで赤子の手を捻るように軽くあしらわれていた。バケイカリが並みの化神ではないのは俺にも分かる。そんな奴が力で化神を従えれば、いくらでも化神による徒党が出来上がる筈だ。放っておけば、今度は前以上の頭数で支部を襲撃されるかもしれない。
「だからあまり時間をかけちゃ駄目だ。こっちから積極的に探し出して、倒す!」
「うん、分かった。じゃあいざという時の為に天鼬の怨面は静久が持って……持ってて大丈夫? 頭痛くならない?」
「なる……かな~。今は身体の調子がいいけど、声は変わらず頭の中に響いてるから」
静久が煩わしそうに顔を顰める。怨面からの声は、消えた訳ではない。相変わらず静久の精神を苛み続けている。
「でも、平気。二人が一緒にいてくれるなら~」
それでも静久はニッコリと笑ってそう答えた。辛くても、それを分かち合える姉妹が一緒なら乗り越えられる。だから静久はもう大丈夫だった。
「……そっか。じゃあ当てにしてるからね!」
「任せて~。姉妹最強の座は静がいただくんだから~」
「それはあながち間違いでもないんじゃないの……?」
……実際のところどうかは分からないが、神通力が一番あって水があるところでは火力も十分な静久のテンユウが一番強そうにも思えるな。スピードなら霞澄が、近接戦闘では日依の方が強いのだろうが……。
「取り敢えず作戦は決まりだね」
霞澄がテーブルへ置かれたばかりのカニチャーハンをあっという間に平らげながら言う。六合だぞ!?
「なるべくメイユウが一人の時を狙って、静久を当てる。それ以外の化神がいたらアタシたちが露払い。これで行こう」
「捜索の時は三人一緒~?」
「うん。バラバラになった方が捜索範囲を広げられるけど、それじゃいざという時今言った作戦はできないから。しばらくは三人纏まって動こう」
「上手くいくの、それで」
「分かんないけど、そうするしかない。アイツが何か企んでいて、それがまだ分からない以上対策しきることはできないと思う。それでも戦うしかない」
霞澄が意志の強い瞳で二人を見る。
「だってアタシたちは、御伽装士テンユウなんだから」
「……うん」
「そうだねっ!」
日依も静久もしかと頷いた。三人の結束は硬い。これなら敵がどうこようと、大丈夫なはずだ。
「それはそれとして……内人、おかわり!」
「内人、次はお饅頭が食べたい。こしあんで」
「ねぇ内人~、これ花椒ちょっとかけ過ぎじゃない~?」
「俺が大丈夫じゃねぇ……!」
とにかく三人が万全に戦えるようにするのが俺の役目。だから死にかけてでも俺は料理を……。
……うん、死にかけてでも?
「……なぁ、三人とも」
「うん?」
「野分をこっちから呼び出す手段があるって言ったら……どうする?」
俺の役割は三人を万全に戦えるようにすること。
そこにはきっと、お膳立ても含まれる筈だ。
「……まさか君の方から呼び出してくれるとはな」
次の日。俺は市外にある廃牧場で野分と対峙していた。かつては牛や馬が駆け回っていたであろう野原は荒れ放題で、そこにトライユキオロシで乗り込んでも誰にも咎められない。
俺はいつでも乗り込めるようにすぐ隣に立ちながら、現われた野分に話しかけた。
「まぁな。むしろそっちが素直に応じたことに驚いたぜ。罠かもとは考えなかったのか?」
「考えたさ。だが罠のリスクよりも、君がこちらへ来てくれる可能性を取っただけのことだ」
「大きく買ってくれちゃってまぁ……」
どうやら野分は是が非でも俺を引き込みたいらしい。何が奴をそうさせるのかは分からないが……こちらとしては利用させてもらうだけだ。
「だが生憎、罠だぜ」
うち捨てられた家畜小屋の中から三つ子たちが姿を現わす。全員戦意を漲らせた表情だ。霞澄が代表して指を突きつける。
「野分! アンタはここでアタシたちテンユウが倒す!」
「……やはりそうか。残念だよ」
作戦、という程の物じゃない。野分がトライユキオロシの無線を術によってクラッキングできるなら、それを使って呼びかければ誘い出せる。後はそこで三つ子と一緒に待ち伏せすればいい。
それは野分にも分かっていただろうが、奴は一人で来た。余裕の態度の表れでもあるのだろう。
「それに……」
心底無念そうに肩を竦めた野分は三つ子を見渡し、その中でも静久に目を留めた。
「戦うことがどれ程恐ろしいか、身を以て思い知ったのではないのか? 私には敵わぬと学ばなかったのか?」
「……確かに、戦うことは恐くて、あなたに勝てるかどうかも分からない」
静久はその視線を正面から受け止め、しかし挫けずに見返す。両隣の姉妹たちを心の支えとして。
「それでも立ち向かう。静は――御伽装士テンユウだ!」
そしてバレッタから、天鼬の怨面を取りだした。
「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」
怨面を被ると、浮かび上がる雲のような赤い痣。それは面に籠められた怨念無念が結実した呪いの力。怨嗟が力を持ち、現実の牙となる程の穢れ。
「ク、アァ、ウアァァ……!」
それを一身に受ける静久の身体は、激痛に苛まれている筈だ。あるいはそれだけで何もかもを投げ出してしまいたくなるような。しかし静久は挫けない。同じように戦う、姉妹と共に立つと決めたから。
「変身!」
雲が霞み、少女の姿が変わる。其処に立っていたのは灰の装束に身を包む若武者、御伽装士テンユウだった。
「さて、天誅しますか~!」
気の抜けるような、いつも通りの静久の声音。うん、大丈夫だ。もう静久が我を忘れることはない。
「戦うか。……また、地面の味を知りたいようだな。――オン・ルドラ・ラン・ソワカ」
野分もまた、臨戦態勢になる。渦仮面と重なるように怨面を被せ、入れ替わりに装着する。
「変身」
苦悶の声一つ漏らさず、野分はその姿を変じた。黒い水が渦巻き、それが晴れるとそこには紺碧の鎧を纏いし戦士が立っていた。
御伽装士、メイユウ。敵となってしまった退魔の使徒。
「さて、深淵に沈めてやろう」
戦う準備を終え、二人の間でピンと空気が張り詰める。
そこに一陣の風が吹き――両者は同時に動いた。
「退魔道具・慈雨の癒鈴!」
「退魔道具・狂濤の三叉槍」
テンユウは青い布をたなびかせる神楽鈴を、メイユウは黄色い鋼の槍を手にする。今度は最初から、あの槍を!
「はぁっ!」
「フンッ!」
突き出された槍を、澄んだ音を響かせる鈴で受け止める。両者の戦端は完全に開かれた。
「ほら、こっち入れ!」
俺は二人をトライユキオロシに呼び込みつつ、自分の運転席に座った。御伽装士の戦闘が始まってしまった以上、生身で戦場にぼっ立つことは危険だからだ。
後部座席に乗り込んで霞澄と日依は戦いの趨勢を見守る。
「やっぱり体術勝負では不利だ。押され気味だね」
「でも前とは違って静久も本来の持ち味を出せている。受けることは出来そう」
二人の言う通り、戦いはメイユウの攻めから始まっていた。槍の連撃は鋭く、一々が神速だ。目で追うのもやっと。しかしテンユウはその穂先を鈴で受け流し、防戦一方ではあるものの耐えていた。いいようにあしらわれていた前の戦いとは違う。
「元から静久の体術は防御に重きを置いている。私みたいに攻め立てる必要はないから」
神通力の少ない日依と静久では体術の意味が違うのだろう。日依は体術で戦うしかないが、静久には術がある。
「――はぁっ!」
シャン、と鈴の音が鳴り響く。その瞬間、メイユウの姿勢がガクンとぶれた。
「ムッ」
膝が意に反して勢いよく上がりすぎたのか、今まで流麗なくらいに刻んでいた足並みを崩す。その瞬間を狙い撃ち、テンユウは足を跳ね上げた。
「やぁっ!」
「小癪ッ!」
だがそれは槍の柄で防がれる。少し姿勢を崩しただけではメイユウの武術を突破できないらしい。再び攻めに転じ槍の穂先を突き出すメイユウ。しかしまた、鈴の音が響く。
「――クッ!」
まただ。また、メイユウの体勢が歪んだ。今度は腕が跳ね上がり槍先があらぬ方向を向く。そこを突くようにしてテンユウは懐へ潜り込んで肘を打つ。今度こそそれは決まり、メイユウの腹に突き刺さった。
「ムグッ! ええい、おのれ!」
腹部に強かな一撃を受けつつ、それでもそれ以上の追撃はさせまいと槍を振るうのは流石と言うべきか。だが確実に攻撃は決まっていた。
槍を躱して距離を取るテンユウ。それを見送りながら訝しげに槍を構え直すメイユウ。
「なんだ、何かが……おかしい。身体の拍子が崩される」
そう、端から見ても不思議だった。メイユウの動きがおかしい。あれ程見事で流麗だった武術が、時折動き慣れていない素人のように大きく崩れる。そんなことが普通ではあり得ないことなのは、これまで何度かその技の冴えを見てきた俺も分かった。
警戒するメイユウにテンユウは不敵な笑みを漏らした。
「ふふっ、不肖で体調が悪いのかな~?」
「そんな筈は、何か細工が……いや、そうか。鈴の音か」
メイユウはテンユウの手にした神楽鈴を注視する。
「生物を癒やし、活力を与える慈雨の癒鈴。それで一部分に活力を加えれば、全体の動きは崩れる。敢えて癒やすことで、むしろこちらの動きを阻害しているのか」
「あちゃ~、思ったより早くバレちゃった」
まるで悪戯が発覚した童女のように、癒鈴で頭を叩くテンユウ。そういう仕掛けだったのか。確かに一部分にだけ不自然な力が入ってしまえば、全体的な動きも崩れる。精練された動きであればある程。卓越したメイユウの体術を打ち崩すには持って来いのトリックと言えた。
「でも理屈が分かったところで、対処できないでしょ!」
今度はテンユウが攻勢に転じた。鈴を操る手を空けるために、足技を主体にして攻め立てる。流麗な連続蹴りを、メイユウは槍を盾にして受け流した。そして攻撃後の隙を狙おうと槍を構えたが、テンユウがそれをジッと見つめていたので、やめた。
そう、この技は分かっていたところで対処できない。鈴の音が響くだけでメイユウの体勢は崩れてしまう。
「やった! この戦法はメイユウに有効ね!」
「構造が違う化神相手には通じないだろうけど、結局人間の御伽装士相手にはよく効くみたいだね。……複雑だけど」
霞澄と日依も喜んでいる。このまま攻め続ければ……!
「……心外だな」
だがメイユウに焦りは見られない。むしろ冷静に、テンユウの攻撃を躱しながら手にした槍を消す。
「退魔道具・溟渤の錫杖」
武器の切り替え。メイユウの手にかつて静久を苦しめた錫杖が握られた。
「こんな小手先程度で攻略されると思われているのは。――仙術・抗魔命水」
振るわれた錫杖の先から迸った黄色い雫がメイユウへと吸い込まれる。そして再度攻撃を繰り出すメイユウ。テンユウは鈴を鳴らしその体勢を崩そうと試みるが――
「!? 崩れない!?」
涼やかな音が響いても、メイユウの構えに一切の揺らぎはなかった。風車のように踊るメイユウの杖術が動揺するテンユウを強かに打ち据える。どういうことだ。
「術への抵抗を高める仙術だ。特殊な力を使う化神や怪しげな呪術師崩れとの戦いが皆無ではないのだ。長い歴史で編まれたメイユウの技に、それが組み込まれていない訳がないだろう」
また攻守が逆転した。錫杖が舞い、またテンユウが守勢に追い込まれる。
「溟鼬の怨面というのはあまり好き嫌いをしないタチでな。いつの時代も必ず担い手がいた。つまりそれだけの戦士が存在し、連綿と技を開発してきたのだ。扱いが難しく歴代の担い手がほとんどいなかったテンユウとは違う」
語りをする程の余裕を見せながらメイユウは杖を振るう。テンユウは反撃に出られず逃げ惑うように退くことしかできないでいた。
「う、くぅ……!」
「そこだ!」
「きゃううっ!」
それでもテンユウはしぶとく耐え続けるが、それも限界が訪れる。連打のあまり甘くなったガードをメイユウの杖は的確に射貫いた。大きく弾かれ、草地にバウンドするようにテンユウは吹き飛んでしまう。
「あ、ぐっ……!」
ゴロゴロと転がったテンユウは錆びた鉄骨で組まれた塔にぶつかってようやく止まった。
「手こずらせてくれたな。だがこれで……」
「……ふ、ふふふっ」
「何?」
杖を構えながらメイユウはトドメを刺すべくゆっくりと近づく。だがそれを前にして、テンユウは立ち上がりながら笑い声を漏らした。
訝しむメイユウに対し、テンユウは癒鈴を突きつける。
「ここまでは、予測済みです」
「なんだと?」
「鈴のトリックが攻略されるのも、滅多打ちにされるのも。二人と一緒に考えて推測していたんですよ。だから、次の手も考えてあります」
「次の……? ! まさか!」
メイユウは頭上を見上げた。テンユウが追突した錆びた鉄塔。そこは、円筒状のタンクが乗った給水塔だった。人里離れたところでも家畜に与える水に不足しないよう作られたそれはもう使われることが無いが、タンクという受け皿に穴でも空いていれば雨水は溜まる。
そう。つまりそこには水がある。
「静だって仙術は……一個だけじゃありませ~ん!」
亀裂が入り、中から爆発するようにして給水タンクは砕け散った。鉄砲水のように溢れ出す大量の水。それがテンユウの振るう鈴の音に誘われるようにして大蛇の如くうねった。水を操る。それも慈雨の癒鈴の力だ!
「いっけぇ~!」
「クッ!?」
鈴の音に操られ、水が触手のようにメイユウに襲い掛かる。水は複数に分裂して四方八方から攻め立てた。手数の多さにメイユウも流石に回避を迫られる。
「逃がしませ~ん!」
それを更にテンユウは枝分かれさせた。もう端から見ていてもいくつあるのか数えられない。こんなに繊細なコントロールが出来るなんて。
そして遂に水手の一本が、メイユウの足を絡め取った。
「しまった!」
「捕まえた!」
動きを止めてしまえばもうテンユウのターンだった。あれよあれよと水がメイユウの身体に巻き付いて縛り上げる。杖を振って水を弾こうとするが、それも触手の一本が取り上げてしまう。対抗の手段を失ったメイユウは巨大な掌に掴まれたかのように水玉に囚われてしまった。
「グ……まさかこれほどとは……!」
「大人しくしていてくださいね~。このまま変身を解除して、捕縛するんだから~」
水の圧力には敵わないのか、さしものメイユウも為す術無く抵抗を諦めた。これは……。
「勝った……!」
隣で霞澄がそう言ってガッツポーズを取った、その瞬間だった。
金属が擦れ合う耳障りな音が鳴り響いた。
「!? この音……!」
その正体に真っ先に気付いたのはテンユウだった。そう、静久は実際に相対していたからすぐ理解出来た。
それが投げられた碇の、鎖の音であることに。
「きゃあああっ!」
「静久!」
碇はテンユウが立っていた地面ごと吹き飛ばし、土砂を巻き上げた。テンユウの集中が切れたことで、水の牢獄も解けてしまう。バシャリと弾けて草原に吸い込まれていく水と、着地するメイユウ。
「フゥ……だがこの野分もまた、保険はかけていたのだよ」
ガラガラガラと音を立て、引き戻される巨大な碇。その先にいたのはやはり、鉄色をした強力な化神だった。
霞澄が歯軋りをしながらその名を呼ぶ。
「バケイカリ!」
バケイカリは己の得物を担ぎ上げると、メイユウの傍に控えるように移動した。
『迎えに……ンン、お迎えにあがりました、野分様』
「ああ。一応連れてきてよかった。保険は何重にもかけておくべきだな」
『帰りますか?』
「いや……ここまで脅威となってしまった以上、流石に怨面くらいは取り上げておきたい。それに、ほら……」
メイユウは碇の衝突で出来たクレーターを指差す。
「まだ倒れてはいない」
「はぁ、はぁ……!」
捲れ上がった地面の中心で、テンユウは健在だった。どうやら寸前で回避に成功していたらしい。ホッと胸を撫で下ろす俺たち。
「よか、った~~~」
「いや、状況はよくないでしょ。どうするのここから……!」
日依の言う通り、状況は最悪だ。メイユウが最初は単身で挑んできていたから油断した。後から来るとは。
三人で額を突き合せて考えた作戦は幾通りにも渡る。メイユウがどんな手に出ても対応出来るように。さっきまで使っていたのはその内の一対一用のプランで、実際にメイユウを無力化する寸前までいった。だが絶妙なタイミングでバケイカリが来てしまった……! 最初から出てきていたなら、静久を温存して霞澄たちで化神を倒す選択肢も取れたのに!
「く、ふぅ……!」
「フッ、残念だな。虎の子ももう終いだろう。給水塔はもう無いしな」
野分の言う通り、もうこの廃牧場に給水塔やタンクの類いは一つもなかった。あったとして、ネタがバレてしまったメイユウにはもう通じないだろう。水がなければ静久のテンユウに出来るのは先程使った癒鈴のトリック。だがまた錫杖の仙術を使われたら意味が無い。
万事休すだ。
「もう諦めたまえ……む?」
俺たちが唇を噛み締め行く末を見守っていると、ふいにメイユウが顔を上げた。釣られて俺も見上げようとしたがその必要は無かった。フロントガラスにポツリと、雫が落ちたからだ。
「雨!? まずい!」
天気予報では降水確率は高くなかった。だが0でもない。低い可能性を、よりにもよって今日引いてしまった。
雨によって水の気配が強まれば、静久の力は増す。それはつまり、怨面からの声を受信しやすくなるということ。
「う、ぐうぅ……!」
案の定テンユウは、頭を抱えて蹲った。苦痛の呻き声が仮面の奥から響く。強くなり始めた怨面の声が、彼女を苛んでいる。
雨足が強くなるにつれ、苦悶の声は大きくなっていく。
「あぐ、あああぁぁ……っ!」
「……最初から戦わなければ、そんな気持ちを味わうこともなかっただろうに」
動けずにいるテンユウに、メイユウはゆっくりと近づいていく。
「辛かろう。だからまた、眠らせてやろう。今度は簡単には目覚めないような、深い深い眠りに」
メイユウは錫杖を構えた。またあの眠らせる術を使うつもりか。
「そうは――させねぇ! 霞澄!」
「うん!」
テンユウのピンチに俺たちは動いた。スイッチを押し、ボンネットの中から灰色の銃口を出現させる。ハンドルを回転させ照準を合わせた俺は、助手席の霞澄へとトリガーを預けた。
「いっけぇ!」
銃口より光弾が撃ち出される。神通力を消費して放たれるトライユキオロシの兵装。かつてバケウニの甲殻を割った弾丸が、メイユウ目掛け飛んでいく。
銃弾は真っ直ぐに迫って――しかし立ちはだかったバケイカリによって防がれる。
「くそっ!」
盾となった碇を貫けず、光の銃弾は四散してしまう。
『コッコッコ! 実に他愛もねぇなぁ!』
バケイカリが、妙なハイテンションで嗤う。アイツ、あんなキャラだったか……?
いや今はそれよりも、静久だ!
「静久、逃げろ!」
俺は叫ぶ。このままじゃ、またあの日の二の舞だ。
「静久!」
「静久!」
霞澄も、日依も。同じように名を呼ぶ。またいつ起きるのか分からない、あんな不安な日々を過ごしたくない一心で。
やっと目覚めて、分かり合えたんだ。
もうこの姉妹を、引き裂かないでくれ!
「――うるさい、なぁ」
そんな、俺たちの声が届いたのか。
メイユウを前にして、テンユウがゆっくりと立ち上がる。
「ああ、もう。みんなみんな、うるさいよ」
雨はもう、煙るほどに強い。滝のように落ちる雫の中で、テンユウは空を見上げた。
メイユウは息を呑む。
「……何故立ち上がる。雨の日は、戦えないのだろう」
「これまでならね。今だって、頭の中で喚く声は変わらない。気を抜けば狂ってしまいそうなくらいに五月蠅くて、けど――」
テンユウは、静久は、雨に打たれながら。
「――みんなの心配そうな声も、今は一緒に届くから」
戦う為に、立っていた。
「あなたに勝って、全部黙らせる! それが静が選んだ――正義の味方だ!」
そう叫びながら癒鈴を掲げる。その瞬間――雨が、うねった。
「な、これは……!」
雨の中で何かが泳いでいるようだ。いや、それも違う。雨粒全てが蠢いていた。光遮る暗雲の下で、雫が踊っている。降りしきる雨その物が、テンユウの意のままになっていた。
「これほどの力が、どこから……!」
「みんながくれる。心の底から、湧いてくるの!」
もはやメイユウは見上げるしかない。それだけの戦力差。雨に打たれて死なずとも、雨その物に襲われれば――只人でなくとも抗えない。
テンユウは鈴を振った。
「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」
癒鈴の調べに従うように雫は踊る。まるで指揮者に導かれるオーケストラだ。一つ一つが意志を持つかの如く宙を舞い――その全てが、メイユウたちへ向かう。
「退魔覆滅技法――
四方八方、無数の雨粒が、弾丸めいて二者を襲った。
「がああああっ!!」
『コココココーー!?』
降りしきる全ての雫が牙を剥く。暗雲の下にいる者に、逃れる術はなかった。怒濤に押し寄せる雨粒がメイユウとバケイカリへ叩きつけられる。
それが終わった後に残されたのは、鎧をほとんど砕かれ倒れる寸前まで追い込まれたメイユウと、その盾となり倒れ伏したバケイカリのみだった。
「す……っげぇな……」
「うん……」
「わぁ……」
俺たちは言葉もなかった。静久が最大限のポテンシャルを発揮すれば、これだけのことが出来るのか……。雨の下で、怨面からの声に煩わされないほど集中発揮してという条件付きだが、それでも凄まじい。
さしものメイユウも、息も絶え絶えだ。
「ハァ、ハァ……こ、これほどとは……」
雨はいつの間にか小雨になっていた。恐らくは雲の蓄えた水分のほとんどをさっきの技に使ったからだろう。だからメイユウの様がよく見えた。
鎧は罅割れ、立っているのもやっと。これはもう、抵抗する元気もないだろう。
「さぁ、降参しなさ~い」
「クッ……まだだ、私は……あぐっ」
それでもまだ諦めようとしなかったメイユウは、しかし大ダメージに身体をよろめかせた。その拍子に、ギリギリのところで保っていた変身も解除された。
溟鼬の怨面が外れ、地に落ちる。
――その瞬間、俺たちの時が止まった。
「――え」
呆けた声を最初に上げたのは、誰だったか。俺かもしれないし、三つ子の誰かかもしれない。少なくとも言えるのは、誰が言ってもおかしくなかったということだけ。
怨面を取り落とした野分は、そこですかさず元の渦仮面を素早く被れるほどの元気はなかった。だから明らかになる。その素顔が。
女だ。歳は若く、俺と同じか、少し上。美人だ。目は切れ長で、鼻梁は彫刻めいて整っている。雨に濡れた黒髪は張り付いて、雫が滴る肌は雪めいて白い。
だが、そんなことはどうでもいい。
知っていることが、問題だった。
俺の口から勝手に言葉が零れる。
「――
それは、俺が探し求めていた人だった。
何で、どうして。今更、よりにもよって。疑問はいくらでも湧いて出てくる。そしてそれは、隣からもたらされる言葉で更に増した。
「か、
「嘘……なんで海姉ぇが……」
霞澄と日依も俺と同じように呆然と言葉を漏らしていた。海姉ぇ。それを素直に解釈するならば愛称であり――敬称。
姉と慕う、あるいは姉のように慕う者への。
「あ……え……」
静久もまた、信じられない物を見つめたように動かない。
「……あぁ、バレてしまった、な」
時が止まった中、一人だけが諦めたように呟いた。雨の中、濡れた髪を掻き毟って。
「そうだよ。私が――野分の正体だ」