仮面ライダービャクア外伝 仮面ライダーテンユウ 作:春風れっさー
その人と出会ったのは、丁度俺が入学した中学校に馴染めず鬱屈としていた頃だった。
理由は特にない。何か大きな失敗はしたとかではないし、いじめがあった訳でもない。要領が悪かったとか、歯車が噛み合わなかったとか、そういう理屈に合わない理由で俺はクラスで孤立していた。
俺は探した。自分の居場所を。思春期らしい変なプライドを持っていた俺は親にも言えず、避難場所を外に求めた。
そうして辿り着いたのが、人気のない神社だった。
『……はぁ』
賽銭箱に腰掛け、俺は空を見上げた。空には暗澹とした曇り空が広がっている。俺の心模様のようだ。
『何が悪かったのかなぁ』
誰もいないから、俺は素直に心情を吐露した。学校では普段、友達なんていなくて平気さという態度を貫いている。孤立してしまったのなら、せめて格好悪くないよう見栄を張ろうと思ったのだ。だがその実は、寂しかった。
誰かと語らいたい。俺も人並みの青春を過ごしたい。
そんな願いを、神様の前でしていたからだろうか。
『こーら。そんなところに座っていたら罰当たりだよ』
『――うわぁ!?』
突如かけられた声に、俺は仰天して賽銭箱の上から転げ落ちた。ゴロンと派手に転がって境内の上に落ちる。……今思うと、どこかで見たような驚き方だ。
『わ、ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど』
仰向けになった俺を覗き込んだのは、巫女服を着た少し年上のお姉さんだった。
二歳か、三歳か。今にして思えばその程度の年齢差。しかし子どもにとっては大きな年の差だ。一つ違えば憧れの先輩として尊敬の対象となる年頃の話。
そんな人が、しかも美人で、その上巫女服で話しかけてきたものだから、俺はしどろもどろになって立ち上がった。
『だ、だだだ大丈夫れす!』
『ホント? 呂律が回ってないような気がするけど……』
『平気です、全然!』
俺は大慌てだった。何しろ、女性への免疫なんてない。そのクセ思春期まっただ中で女子のことを異性として意識してしまう微妙な年頃だったので、美人に話しかけられただけで頭が真っ白だ。
そんな俺のことを、女性は頭でも打ったんじゃないかと心配して覗き込む。
『手当てするから、こっちにおいで!』
『え、わ!』
そう言って女性は、俺の手を掴んで引っ張った。意外と強いその力に俺は逆らえず、されるがままに神社の屋根の下へ引き摺られていく。
神社の縁側へ座らされ、どこかから取り出して救急箱を傍らに、女性は俺の手当をした。丁寧な手付きだったが、そんなことより俺は患部をよく見るために膝枕されたことで袴越しに感じる太ももの柔らかさに頭がいっぱいだった。
『……よし、出来た!』
『あ、ありがとうございます……』
俺も気付いていなかったが、どうやら本当に頭を擦り剥いていたらしい。軽い怪我だったが頭の負傷は意外と血が出てしまう為、絆創膏を貼って貰った。
手当が終わったので起き上がろうとする俺を、女性は手で押さえつけ再び太ももに沈ませる。
『こーら。駄目だよ、血が止まるまで安静にしてなきゃ』
『で、でも重いでしょうし、悪いですよ……』
『遠慮しないの! こういうのは得意なんだから!』
そう言って女性は笑いかけてくれる。覗き込む瞳は藍色で、まるで深い海の底のようだった。その色に吸い込まれそうになりながら、俺は訊いた。
『名前……』
『ん?』
『名前、なんていうんですか』
この女性と、このまま離れたくない。せめてもの鎹に、名前を知りたかった。
女性ははにかんで答えてくれた。
『私は葛木海莉だよ。君は?』
『お、俺は……丑川、内人』
『そっか、よろしくね、内人くん!』
それが――俺の初恋の人、葛木海莉との出会いだ。
やがて失敗に終わる、ボーイミーツガールの始まりだった。
※
「なんで? なんで海姉ぇが!?」
霞澄の悲痛な叫びに、我に返る。
そうだ。走馬灯のように走った思い出に浸っている場合じゃない。目の前には、その人がいる。
葛木海莉、本人が。
「どう、して……」
「……そんな声を聞きたくないから、顔を隠してたんだがな」
仮面の下から漏れる静久の声に、濡れた髪を掻き上げ野分は――海莉さんは、溜息をつく。その気怠げな仕草、口調に、覚えは無い。俺の知っている、優しかった海莉さんの物では無い。
だが吸い込まれるような藍色の瞳は、間違いなく海莉さんの物だ。
「生きて、いたの?」
「ああ、そうだよ。私は葛木海莉本人だ」
息を落ち着けながら海莉さんはそう語る。俺はテンユウと海莉さんの対話を見つめながら、隣の霞澄に問うた。
「……なんで、海莉さんとお前らが知り合いなんだ」
海莉さんを、何故か三つ子は知っていた。そしてどうしてか死んだと思い込んでいた。だから姿を現わしたことに衝撃を受けている。だが、一体どうして。
「それは……海姉ぇ、が」
親しげに海姉ぇと呼ぶ、彼女たちの関係は。
「――最初の付き人、お姉ちゃん、だから」
……かつて聞いた、姉妹の大切な人だった。
「……そう、なのか」
最初の付き人。三つ子の姉代わり。それを知って、得心がいく。だったら彼女たちが海姉ぇと呼ぶのも不思議ではない。むしろ当然。
今度は霞澄が俺に問う。
「そういう内人は、なんで海姉ぇのことを知ってるの……?」
「……それは……」
言い淀む。隠そうとしたわけじゃない。なんていうべきか、分からなかっただけだ。
そうしている内にテンユウと対峙する海莉さんの会話は続く。
「バケクジラに襲われて、死んだって……」
「ああそれは、装ったのさ。荒れた海に乗じてわざと船の航路を変えさせてね。そして襲われている隙に溟鼬の怨面を使って海にドボン。メイユウになれれば、呼吸は長い。泳いで他の岸に流れ着くことなど造作も無いからね」
そう語る言葉は雪蔵さんが語った事件の真相その物だった。最初の付き人が死んだ……死んだと思われていた事件。その謎が曝かれる。
「どうして、そんなこと……いやそれよりも、なんで野分になんか!」
だが次いで現われた謎は、そんなことをした動機だった。何故わざわざ怨面を奪って死を偽装したのか。そして、どうして御守衆と敵対するのか。
テンユウの問いに、海莉さんは端的に答えた。
優しげな声音で。
「全部……君たちの為さ」
「え……」
意外な返答に、テンユウが固まる。
その瞬間だった。
「! 静久、避けてぇ!」
「!? ううっ!?」
鎖の音。それと共に小雨を切り裂き、鉄塊が飛来する。日依の警告を聞き取れたテンユウは咄嗟に飛び退き、それをギリギリのところで躱した。
それは巨大な碇だった。
「え!? でもバケイカリは……」
意外な攻撃にテンユウは弾かれたようにバケイカリの方を向く。そこにはテンユウの攻撃を受け、倒れ伏したバケイカリが確かにいた。では、この攻撃は?
『ご無事ですか、我が主よ』
その答えは、廃屋の影から姿を現わした。だが、余計に混乱する結果を招く。
「ば、バケイカリ……」
碇を投げた正体は、やはりバケイカリだった。鉄色の鎧も、その体躯も。倒れているバケイカリと瓜二つ。バケイカリが、二体!?
「言っただろう。保険は何重にもかけておく物だと」
海莉さんがそう言うと、倒れていた方のバケイカリが突然煙になる。弾けるように広がった煙が晴れると、そこには金色の毛並みを持つ獣の化神が転がっていた。
『ココ……外れクジだコン……』
「……バケギツネ! 偽物だったの!?」
狐にソックリの風体をしたその化神が、バケイカリに化けていたのだ。だから二体いた風に見えた。
「バケイカリは簡単に消耗してはいけない札なのでね」
まずい。折角強力なバケイカリを倒したと思ったのに。
「くっ、ならもう一度、雨を操って……!」
『そうはさせぬ』
テンユウがもう一度先の再演をすべく癒鈴を持ち上げる。だがそれが鳴るよりも早くバケイカリが動いた。
バケイカリが得物である碇を引き戻し地に叩きつけると、まるで呼び出されたかのように小さな碇がいくつも地面より飛び出した。細い鎖と繋がったそれらはテンユウに向かって殺到すると、その身体を雁字搦めに縛り付けてしまう。
「うっ!?」
「動けないだろう。そのまま大人しくしていてくれ。こちらも……追撃する元気はない……」
海莉さんはもう息も絶え絶えという様子だった。立っているのもやっとというところ。少なくとも先頭を続行するだけの余力は無い。
バケイカリは片手に海莉さんを抱き、もう片手でバケギツネを引き摺る。
「この場は退かせてもらう」
「待って、海姉ぇ!」
呼び止めるテンユウの、静久の声は届かなかった。
そのままバケイカリは跳躍し、森の中へと姿を消してしまう。……今すぐアクセルを踏めばトライユキオロシで追いつくことも叶うかもしれなかったが、咄嗟にそう判断するだけの気力は今の俺にはなかった。
残されたのは、呆然とする俺たちだけだった。
※
「海姉ぇは、アタシたちのお姉ちゃんで、お母さんで、師匠だった」
戦闘後、俺たちは高天原邸に戻っていた。屋敷はまたバタバタと騒がしい。敵が元御守衆だと分かり、色々な確認作業に追われているのだろう。総本山からの問いただしもあるかもしれない。
報告した後、俺と三つ子は霞澄の部屋に集合していた。
「海姉ぇがアタシたちの付き人になるのは、それこそ生まれる前から決まってた。葛木家は代々そういう役割だから。当主の従者一族ってのは、御守衆にはよくある話だったし」
「でも使命感とかなく、海姉ぇは私たちに優しかった。物心ついた時にはもうお母さんがいなかった私たちにとって、海姉ぇは家族も同然だった」
「うん……お爺さまには悪いけど、静たちにとって一番身近な人だったよ」
海莉さんがバケイカリごと去ったからか、テンユウを縛っていた鎖はアッサリとほどけた。それからトライユキオロシで帰還し、雪蔵さんに報告し、今に至る。
座布団を並べて膝を突き合わせる三つ子と、少し離れた場所で壁にもたれ掛かる俺。四人の間に共有する空気は重苦しい。
「お姉ちゃんみたいに一緒に遊ぶ時もあれば、お母さんみたいに優しくしてくれる時もあって、そして師匠のように厳しい時もあったよね」
「アタシたちに武術の基礎を叩き込んでくれたのは、海姉ぇだったから……」
「……なるほど。それでメイユウの体術に敵わなかったわけだ」
メイユウが三つ子を体術で大きく上回っていたのは野分の……海莉さんの方が精練されていたのと、もう一つ。その基礎を築いたのが他でもない海莉さん自身だったからか。基本中の基本を叩き込んだ張本人なのだから、動きを見極めるのは容易い。
「だけどなんで、あんなこと」
「……静の、所為かな」
ポツリと静久が呟いた。
「え、なんでさ、静久」
「静は、怨面から声が聞こえることをずっと隠し続けてきた。誰にも知られないよう……だけど、一人にだけ打ち明けてた」
話の流れから静久の言葉の先を、察してしまう。
「その一人が……」
「うん、海姉ぇ。……それが、海姉ぇが最後の任務に出立する前の晩だった」
目線を落とし悔いるように静久は語る。
「どうしても耐えきれなくて、海姉ぇにだけ打ち明けたの。でもその日が任務の前日だったなんて静は知らなくて……答えを聞く前に海姉ぇはいなくなっちゃった」
「……そうだったのか」
「静の所為だと思ったの。静があんなことを打ち明けたから、海姉ぇはいなくなっちゃった。だからまた誰かいなくなっちゃうんじゃないかって怖くなって……誰にも怨面の声のことを言わないようにした」
だからこれまで、静久はその事実を抱え続けてきた。もう誰にもいなくなってほしくはなかったから。優しすぎる彼女はそう決意してしまった。そしてそれを為し得る心の強さを持っていた静久は、つい先日までずっと……。報われない話だ。
「その時は怨面の呪いの所為だとか考えてたけど……今考えるとそれがトリガーだったのかも」
「君たちの為って、海姉ぇの言葉?」
「うん……」
「しかし何のためにだ。やっていることは真逆だぞ」
海莉さんの残した言葉だ。『全部……君たちの為さ』。その君たちは、まず間違いなく三つ子のことだ。
だからこそ混乱する。海莉さんが野分として行なったことは全て御守衆と敵対する行為。あべこべだ。一体どうしてそんなことに。
「何か心当たりはないのか? 御守衆に恨みを持っていたとか」
「葛木家はそんなことないんじゃないかな。当主の付き人として雑事裏方護衛を任される家系だけど、ここ数代は死者を出していなかった筈」
「うん。だから海姉ぇが行方不明になったとき結構話題になったよねぇ~。怨面護送任務を任されていたのも優秀だったからだし~」
「そうそう。だからこそ誰も今まで逃げ出したなんて思いもしなかったんだよ」
三つ子から出る意見はパッとしない。そもそも海莉さんが姿を消したのは七、八年前の話。当時八歳頃だった三つ子に詳細な記憶を話せというのは無茶な道理か。
そう俺が自分を納得させていると、霞澄が俺の方を振り返って言った。
「それより、そろそろ聞かせてよ」
「うん?」
「内人の方こそ、海姉ぇとどういう関係なの?」
その言葉に三つ子が一斉に俺の方を見た。
「あ、静も気になってた~。なんでなんで~?」
「……わ、私も」
「あー……」
流石に、語らざるを得ないか。
「……霞澄。お前と初めて会った神社があるだろ」
「うん。御守衆で管理してる神社だね」
「あー、今思うとそれでか……そこで何度か会ってたんだよ。海莉さんと」
俺と海莉さんの関係は、代々の主従として血縁ごと繋がった三つ子と比べて遥かに浅い。
「当時俺は、中学に馴染めなくてな……学校を抜け出しては、あの神社でサボってた」
友達ができなかった俺は中学校で居場所をなくし、通う意味を見失っていた。だから定期的に抜け出しては、この神社を避難場所として借りていたのだ。
そこでよく会う人が、海莉さんだった。
「いつも巫女服を着ていたから、てっきりあそこの神主なのかと」
「間違いじゃないけどね。あそこの管理は御守衆でやっているし。……そっか。アタシたちが学校通っている間とかは海姉ぇ、そこに行ってたんだ」
合点がいく。御守衆の当主一族とはいえ流石に小学校へは着いていかないか。その間海莉さんは、あの神社の管理を任されていたのだろう。
「そこで俺は色々話を聞いてもらってたんだよ。勉強とか、趣味の話。どうすれば友達を増やせるのかとかを、な」
たくさん話をした。勉強が面倒という如何にも学生らしい話に、趣味でどんな音楽を聴くのかとかそういう話も。どうして友達が作れないのか等、返答に困る相談までしていた。今思うと、恥ずかしい。
その全てに海莉さんは相槌を打って、コロコロと笑って、時には一緒になって頭を悩ませてくれた。当時の俺にとって、海莉さんは家族以外で唯一会話できる人だったから。俺はあの人に心の底から懐いた。そんな日々が中学の三年間続いた。友達は結局その間できなかったけど、幸せだった。
……だけど、一度だけ。
「……そんなある日、俺はあの人に相談を受けた」
いつもは俺の話を聞くだけの海莉さんから、逆に相談されたのだ。
雪がチラホラと降る、曇天の日。あの時海莉さんは見るからに憔悴した様子で現われた。
『……私は、私はね……』
『みんなに、笑顔でいてほしかったんだ。でもそれは、世界が許してくれないの。あの子たちが笑うことを、ただ健やかに過ごすことを、この世界は受け入れてくれないの……』
……今、思うと。
「内人?」
「いや……」
頭を振って考えを追い出す。今は三つ子に答えよう。
「そこで俺は、多分致命的なことをした。言ってはならない答えを返した」
海莉さんは俺に問うた。
『どうしよう。どうすれば、みんなを――幸せに、出来るんだろう……!』
憧れの海莉さんから相談をされるなんて初めてで、俺はとにかく答えなくちゃと思った。けど人生経験の浅い中学生の俺じゃ、碌な答えが出てこない。
『海莉さん……』
『泣くのをやめてくれよ。その……』
『俺は、禄に事情も分からないけどさ』
そして俺は。
『嫌だったら――』
俺は、あの時。
なんて答えた。
「――……そう、か」
「内人?」
唐突に言葉を切った俺を、霞澄たちは不思議そうに見上げる。だが俺に、それを気にするだけの余裕はなかった。
愕然としていた。自分の、しでかしたことに。
※
「ねぇ、内人? どうしたの?」
様子が変わってしまった付き人に、霞澄は困惑する。
内人はそれまで、どこか泰然として構えているところがあった。化神が出れば慌てるし、三つ子のワガママに振り回されて表情をコロコロと変える。だがそれでも、大人らしい余裕をどこかで保っていた。
だが、今は。
まるで魂が抜けてしまったかのように。
「内人……?」
「そうか……それで……だとしたら……俺はなんてことを……」
ブツブツと譫言のように何かを呟く内人。霞澄の問いに答える様子は無い。
「内人ったら!」
「! あ、ああ……すまない、聞いてなかった」
強めに言って、やっと内人は目を覚ましたかのように応えた。だがそれでもまだ気はそぞろだ。
「なんか、あったの? 海姉ぇと」
「……いや、何も。俺と海莉さんは、ただ神社での顔見知り。その程度の存在だ」
そんな訳ない。と霞澄は言い出したかった。内人の様子を見れば、ただ事じゃないのは分かる。海莉と、絶対に何かがあった。ただの知り合いじゃ済まない程の確執を内人は持っている。
日依と静久と顔を見合わせると、二人とも同意見のようだった。だが全員、なんと問いかければいいのか分からなかった。
もしかしたら心の傷をほじくることになってしまうような真似を、簡単にはできなかった。
「……とにかく、海姉ぇを止めなくちゃ」
なので話を変える。それに御伽装士として喫緊に話し合わねばならないのは、どちらかというとこちらだ。
野分を止める。その正体が海莉であったとしても、御守衆としてすることは変わらない。その重要度が増しただけだ。
「でもどうしよう。流石に次は呼び出せないよね~」
「いや、静久のおかげでダメージは受けてたから、しばらくは動けないんじゃない?」
「私もそう思う。その間バケイカリを護衛に付けるんじゃないかな。だったらその気配を探って……」
「……お前らは」
三人で知恵を出し合っていると、内人が口を挟んだ。
「海莉さんと、戦う気か」
その疑問に、三つ子は顔を見合わせて――覚悟を決めた顔で、一斉に頷いた。
「うん、戦うよ」
「それが御守衆としての……ううん」
「テンユウとしての、静たちの使命だから~」
浮かべる表情、瞳の色は、揺るぎない。
内人は信じられないと言いたげな声音で言う。
「何でだよ。お前たちを育ててくれた人なんだろ? 大事な、人なんだろ」
「それでも海姉ぇがやっていることは、誰かを悲しませる」
霞澄は迷いなく答えた。二人も同意見だ。
「止めなくちゃいけない」
「……その為にだったら、大事な人を傷つけてもいいってのか。それでお前らの心は痛まないのか!?」
「内人……?」
霞澄の返答に、内人は激昂して返した。怒りのままに振るわれた拳が壁に叩きつけられ、大きな音を響かせる。あまりにらしくない内人の様子に三つ子は目を丸くした。
「ど、どうしたの……?」
ここまで怒った内人を三つ子は知らなかった。親しい人の、凶暴な一側面。それを覗き込んでしまえば、人間は誰しも困惑を覚える。
内人は怯えるように自分を見上げる三人の目線に気付いた。
「……外の空気を吸ってくる」
そう言い捨てて、内人は退出した。
遠ざかっていく足音を聞きながら、三人は目線を通わせる。
「……あんなに怒ってる内人、初めて見た」
「うん……なんか、怖いね~……」
眉根を寄せ合う霞澄と静久。しかし一人だけ日依は一人だけ、内人が消えた扉を見ていた。
「……内人」
ただただ、案ずるような眼差しで。
誰かを想う者だけが持てる、切なげな瞳で。
※
「……何やってるんだ、俺は」
部屋を去った俺は宣言通りその足で外へ出た。少しでも頭を冷やす為吹きさらしの屋外へ……まトライユキオロシが停めてある駐車場まで来た。
整備用のガレージがまだ襲撃の爪痕から復旧していない為他の車両に混ざって停めてあるトライユキオロシに背を預け、俺は空を見上げた。煙草でもあれば、吸っているところだろう。
「年下の少女に当たって……情けない」
自分の苛立ちを、よりにもよってあの三人にぶつけてしまった。最悪だ。家族であった三つ子の方が、遥かに辛い筈だというのに。
「結局俺は、あの頃から何も進めていないということか」
思い出した記憶。その瞬間から俺は、どれだけ進めたのか。
俺の時は、ずっと止まったままだ。
「………」
トライユキオロシのドアを開け、乗り込む。無言でキーを回して発進させた俺の行き先は、決まっていた。
程なくして、俺は目的地に辿り着く。
そこは、寂れた神社。
俺と霞澄が出会い……そして俺と海莉さんが何度も語らった、思い出の地。
「全部ここから始まった、か」
階段を登り切って鳥居を潜った俺は、境内に立ち白い息を吐く。今日の気温は、少し低い。
誰もいない神社。古くはあるが、朽ちていたりはしない。今でも御守衆の誰かが管理しているからか。あの頃と左程変わらぬ光景。
それを眺めていると、背後から人の気配がすることに気付いた。
「……出会いの、縁結びの御利益でもあるのかな」
「だとしたら今ドキの若者たちに人気が出そうな話だ」
涼やかな声音。かつて涙が出るほどに焦がれた、ハスキーな女性の声。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは野分……いや、海莉さんだった。
「今日は仮面を付けていないんですね」
「もうバレてしまったからな。でなければあんな悪趣味な物は好まないよ」
巫女服ではなくコートを纏い、どこか冷たい雰囲気を漂わせる海莉さんはやはり昔とは違う。しかしその藍色の眼差しは、どうしようもなく記憶と一緒だった。
海莉さんの方から口を開く。
「久しぶり、になるか」
「憶えていてくれたんですね」
「もちろんだ。私にとって……大切な思い出だ」
その言葉に胸が締め付けられる。だが今はそれを敢えて無視し、海莉さんと向き合った。
「まさか、君がいるとは思わなかった」
「ここにですか? それとも、この街にですか?」
「……両方だよ。ここには、気がついたら足が向いていた。あながち、神様がそう仕向けたのかもな」
肩を竦める海莉さん。その吐く息は、俺と同じで白い。生きている。そこにいる。
「だがどうして、御守衆で彼女たちの付き人をしているのか。これが分からない。私の記憶違いでなければ、君は御守衆とはまったく関係が無かった筈だが」
「不思議な成り行きですよ。……いや、今思えばそうでもないのかな」
三つ子が何度か言っていた。俺からは、懐かしい気配がすると。それが彼女たちの最初の付き人、お姉ちゃんによく似ているものだと。それはつまり、海莉さんのもので。
だから俺は、三人に選ばれたのだろう。ここでこうして、海莉さんと出会っていたから。
「ずっと旅をしていたんです。ある人を探して」
俺は告白する。これまで自分が、何をしていたのか。
「――貴女ですよ」
「……そう、か」
そう。俺が探していたのは。全国を流離ってまで探していた人は……海莉さんだ。
御守衆では化神によって死亡扱いになっていた海莉さんだが……当然、表ではそのことに触れられない。だから俺の目の前からは唐突にいなくなったようにしか思えなかった。神社でよく話していたという以外の繋がりを持たない俺に、真実が告げられる筈もない。
ここで、この神社で、俺は呆然と立ち尽くした。
何故。どうして。もしかして、俺があの時変なことを言ったから。
心に大きな棘が深く刺さって、抜けなくなった。そこから俺の旅は始まった。
中学の最後に何も言わずにいなくなった海莉さん。そのことを気にかけつつ高校の三年間は普通に過ごした。しかし次第に探しに行きたい、もう一度会いたいという思いは膨れ上がり、どうしても彼女を忘れられなかった俺は高校卒業と共にこの街を飛び出した。それから五年間、俺は旅をしながら背中を追った。彼女の、海莉さんの。
海を行った。山を行った。街で人伝に聞き回って、トラブルに巻き込まれても諦めずに探し続けた。最初は北海道を隈無く探して、見つからないとなると内地へ向かった。長い時間をかけて全国を回り、手詰まりになって地元へと戻ってきた。そして今、その探し人と向かい合っている。
海莉さんは申し訳なさそうな顔をした。
「それは、すまないことをしたな。実を言うと北海道を出てはいなかったんだ。アイヌ系の力を借りながら山籠もりをしていた。彼らは化神への考え方の違いなどで御守衆と距離を置いているからな。勿論、私のやっていることなど彼らは知らないが」
「無駄足でしたか。まぁいいですけどね。旅は楽しかったし」
溜息をつく。そうか、北海道を出てはいなかったか。当時の俺は世界の裏側なんかを知らなかったから、仕方ない。しかし徒労とも思わなかった。旅の記憶は確かに、俺を形作った。そう考えて思わず内心で笑ってしまった。時間が止まっていたようにも思えたのに、こういうところでは成長を実感する。人の心は矛盾だらけだ。
そして本題を、聞くべきことを切り出す。
「何が、あったんですか。貴女に」
「………」
「貴女が三つ子の一番最初の付き人だったことはもう知っています。三人から話してもらいましたから。静久が気にしていましたよ。自分の所為で、貴女が御守衆を出奔したんじゃないかって」
「そうか……気に病ませてしまったなら心が痛いな。しかしあながち、的外れな見解でもない」
海莉さんは愁いを帯びた表情で肯定した。
「決心するきっかけは確かに静久の言葉だったよ」
「……静久は怨面からの声に苦しんでた。だけどそれが何故、御守衆と敵対することに繋がるんですか」
辻褄が合わない。海莉さんの言葉の端々、雰囲気からは未だに三つ子のことを想っていることが窺える。まさか静久の言葉が発端になって嫌いになったとかではあるまい。だがそれだと、その三つ子たちと敵対する理由が分からなかった。
「その苦しみの元は、なんだ?」
海莉さんは問い返した。元……?
「そんなの、天鼬の怨面に決まって……」
「怨面を与えたのは、誰だ?」
「誰……いや、御守衆の、高天原家代々の決まりで」
「そう。それだ」
切り落とすような言葉。海莉さんは忌々しいことを語る前段のように大きく息を吐いた。
「御守衆だ。静久の苦しみの源泉。それは御守衆にある」
「な……それは極論だろ」
大きく遡ってしまえば、それはそうだ。高天原家の慣習で怨面と引き合わされなければ、静久は苦しまずに済んだ。だがそれは……。
「仕方の無いことでしょう! 高天原家の、北海道支部の頭目一族として生まれたからには義務づけられたことだって、他ならぬ付き人だったアンタが一番よく知っている筈だ!」
「その所為で、彼女たちは苦しんだ!!」
「っ!!」
血を吐くように海莉さんは叫んだ。その剣幕に気圧され、俺は言葉を詰まらせる。
畳みかけるように海莉さんは続けた。
「慣習? 一族? 民草の平和を守る為? そんなことの為に、彼女たちはその後の人生全てを決めつけられた!!」
「そんなこと、って」
「だってそうだろう!? 何故、あの子たちが捧げなければならない。あんなにも、いい子たちが……!」
髪を振り乱し、狂乱した様子で海莉さんは語り続ける。
「怨面に選ばれて、彼女たちは御伽装士になることが定められた。幼かった彼女たちに、鍛錬をつけるのは私の仕事だ。私はまだ年端もいかない少女たちに修行を課し、痛めつけ、時には泣かせた。そんなことを、私は望んでいなかった!」
「……海莉、さん」
怒濤のようだ。ずっとずっと、内に溜め続けてきたのだろう。それが堰を切ったように溢れ出していた。本心。その魂に刻まれた言葉。
御伽装士として戦う。まだ十の半ばも数えない少女が。その裏にどれだけの荒行があったのか、俺は今まで想像しようとすらしてこなかった。
いや、考えないようにしていた。
「苦しかった。誰よりも活発で遊びたがりだった霞澄が涙を堪えて修行に打ち込むのが。甘えたがりで可愛い日依が私に打たれた腹を抱えて痛い痛いと泣き叫ぶのが。そして優しく穏やかだった静久がっ……あんな死にそうな顔で私に怨面からの声のことを語ったことが! ……堪らなかった……!」
御守衆は、御伽装士は正義の存在だ。それは疑うべくもない。
古より民草を守り、世に蔓延らんとする穢れを悉く打ち払う。その為に怨面という呪いを自ら受け止めて、尋常ならざる化神と死戦を演じる。平和の為に。誰かの為に。
だがそれは、当たり前だが誰にだってできることじゃない。できるならみんながやっている。
苦痛があって。恐怖があって。徒労があって。打ち明けられない秘密を隠して。
それを背負うのは、誰か。一番抱え続けるのは、誰なのか。
御伽装士、本人だ。
「なんで名も知らない奴らの為に、あの子たちが青春を捧げなければならない……!」
……それが。
葛木海莉……姉代わりとして三つ子を見守り続けた彼女の、偽らざる本音だった。
「だから……御守衆に恨みを」
今やっと、動機が判明した。
だから海莉さんは御守衆を恨んだのだ。三つ子たちに苦痛を強いる存在を。血と才能に縛られた彼女たちの人生を決めてしまった、御伽装士という宿命を。
それが野分としてこれまでの所業を重ね続けた、理由。
「分かって、るんですか」
震える喉で紡ぐ。
「貴女はそれで、化神を呼び込んだんですよ」
「ああ、そうだ。バケイカリを作り上げ、在野の化神たちに力を与えた。幼体の内に錫杖の力で変質させれば、単純な化神の強化材料にしてしまえる。君たちが戦った強力な化神たちも、そうして力を与えた」
溟渤の錫杖で化神を強くする。人間を喰って力を蓄える化神を。それは、人間に仇を為す行為だ。
俺とは対照的に落ち着きを取り戻した海莉さんは言う。
「だがいっそ、化神は減っているかもしれんぞ。幼体が育ちきらない内に使ってしまっている訳だからな。蝦夷支部があるこのエリアでは活発に活動させていたが、案外他の地域では御伽装士たちが一息ついているかもしれん」
「だからといって……!」
「そうだな。私のやったことは変わらない」
海莉さんが俺を見つめる。藍色の瞳で。その中に籠もった、覚悟と憎悪の炎を揺らして。
「だが私は決めたんだ。他の人間よりも、あの子たちを苦しみから救うって」
「……っ! でも、どうやって!」
俺は叫んだ。そんなことは不可能だからだ。
「確かにバケイカリや他の化神を強化すれば、北海道支部は潰せるかもしれない。だが化神が蔓延るかもしれないとなれば全国の御守衆が動くぞ! いくら支部ごとに繋がりが薄いとはいえ、化神絡みとなれば一丸となる! それが御守衆だ!」
「だろうな。そうして御守衆は手を取り合い、百鬼夜行などに対抗してきた……」
御守衆が支部ごとにほとんど独立しているからといって、連携を取らない訳ではない。化神に関することでならば一つに纏まれる。そういう志を以て集まった人々だし、その為の総本山だ。もし北海道支部を潰せたとしてもすぐに増援が派遣される。多少軍勢を作ったところで全国全ての御伽装士と戦うのはいくらなんでも無茶だ。無理無謀。試すどころか考えるだけ無駄な行為。
「だがその御守衆の支部たちが、次々に壊滅してしまえば?」
「何……?」
「総本山含む御守衆の支部が、一夜とは言わずとも日を置かず次々と跡形も残らない程に破壊されたなら? 指揮系統を失った御伽装士だけでは行動は起こせまい。混乱し、その間に化神たちは勢力を伸ばす。日本は混沌に陥るだろう。もしかしたら化神の時代が訪れるかもな……」
……確かにそうなれば、化神が勝つだろう。
御伽装士とて無敵ではない。一人ではできないことも多い。だからこそそれを扶けるべく御守衆が存在するのだから。
御守衆が一つ残らず壊滅すれば、化神たちの勝利だ。
だが、そんなのは。
「不可能だ。できっこない。化神の軍勢が近づけばどうあったって流石に気付く。結界だってある。総本山の物なら北海道支部とは比べものにならない筈だ。御伽装士の数だって……!」
「それが、できるのだよ」
そう言って海莉さんは……空を指差した。
厚く覆った、曇天を。
「天には結界も、目も鼻もあるまい」
「は……?」
「高高度からの攻撃。しかも際限ない。それが可能ならば、御守衆などいくらでも焼け落とせる」
それは、そうだ。上空高くからの攻撃。それは強力だ。
天の柱という兵器がある。人工衛星に格納した鉄の柱を、そのまま地上に落とすという兵器だ。つまり人造の隕石のようなものだ。破壊範囲はともかく、その凶悪性は核兵器を超えるとされている。ミサイルよりも迎撃が困難だからだ。
空高くからの攻撃。それは確かに強いだろう。衛星から鉄塊を落とすだけの行為が最強兵器に数えられるのだ。もし実現すれば、御伽装士だって対処は……。
「――まさか」
そして俺は思いついてしまう。
溟渤の錫杖があれば、化神の成長をコントロールできると。
「そのまさかだ。そういう化神を、私は作れる」
否定したい俺の思いつきを、海莉さんは肯定した。
「無理、だ……そんなこと」
「可能だ。野分としての活動は、全てその為の実験だった。データは充分集まった。そこから出した結論で、私は可能だと判断した」
化神の、衛星兵器。
海莉さんが作ろうとしているのは、そんな恐ろしい存在だった。
「流石に宇宙までは飛ばせないだろうがな。実際には雲か、その上の高さになるだろう。だがそれで充分だ。そこまで辿り着ける御伽装士などそうはいまい。そして一人二人が来る程度なら、どうとでもなる程強力な化神に拵える」
「御守衆の支部、その場所が分からなければ」
「私の正体を知ったのだろう? 身内に場所を隠す輩などいない。いや、仮にいたとしても少数だ。御守衆を長く務める古くからの名家というのはその土地に根付いてしまっている物だからな。簡単には動かせない。特に、総本山などはな」
確かにそうだ。高天原家を見れば明らかだ。御守衆として土地を守り続ければ、そうもなる。為らざるを得ない。
枯れそうになる声で問いを重ねる。
「それだけの、化神を作る材料はっ」
「立ち籠めただろう? 不安が。私が仕掛けた工作でこの街には」
地域の郷士である高天原邸の、襲撃。それを衆知されたことで確かに動揺が広がった。不安は穢れを呼び起こし、化神が生まれる土壌を作る。海莉さんが求める、化神の幼体が沢山湧く。それを素材にすれば――どれだけ強力な化神が生まれるのだろうか。
「……何人、死ぬんだ」
恐ろしさのあまり生唾を飲み込む。海莉さんの計画が実現した場合、どれだけの犠牲が出る?
海莉さんはこともなげに答えた。
「御守衆の人間だけで数百人には達するだろうな」
「そして御守衆がいなくなってしまえば、化神の被害を食い止める人はいなくなる……千人、いや万人が死ぬぞ!!」
御伽装士が戦うから、化神の被害はごく少数に抑えられている。それが解放されてしまえば、日本という国が混沌に陥る。未曾有の大災害だ。死者の数は、きっと数え切れない程に。
それが分かっていて、なお海莉さんは。
「知ったことか。彼女たちが幸せになれれば、それでいい」
そう、断言した。
それを聞いて俺は確信してしまう。彼女の瞳に浮かぶ狂気的な光を見て、理解してしまう。
もう海莉さんは、
止まれない。
「なんで、そんなことを……貴女はそんな人じゃなかった筈だ!」
記憶にある海莉さんは、優しく、温かで、いつだって静かで柔和な笑顔を浮かべていた。
こんな殺戮を、決意する人では決してなかった。
「異な事を言う」
海莉さんは、呟くように言った。
「私をそんな風に変えたのは、他ならぬ――君だろう」
「――ッ!!」
その言葉を聞いて、俺は……心臓が、止まるかと思った。
死神の手が俺の胸を鷲掴みしているかのような圧迫感。それが何から来るものか、俺には分かっていた。
罪悪感。
あの日の記憶が鮮明に蘇る。俺と海莉さんが最後に交わした言葉が。
俺が言い放った、一言一句が。
『海莉さん……』
『泣くのをやめてくれよ。その……』
『俺は、禄に事情も分からないけどさ』
『嫌だったら――』
そうだ。これは。
『――全部、壊しちまえばいいんじゃないかな』
全て、俺の罪なのだ。
「―――」
「あの時の君の言葉が、私に決意を定めさせた」
それは当時の俺が、懸命に絞り出した末の言葉だった。
いつも俺の言葉を聞いてくれるお姉さんから初めて持ちかけられた相談事。そしてただならぬ様子の海莉さんの手助けにどうしてもなりたくて出した、考えなしの言葉だ。
何かを深く考えた訳じゃない。経験や含蓄がある訳でもない。
中学生だった俺がただ何も考えず言葉を強く飾った――それだけの、愚かしい助言。
それを、海莉さんは、
「君のおかげで、私は踏み出せたんだ」
受け入れてしまったのだ。
膝をついて崩れ落ちる。もう立っていられなかった。
そんな俺に構わず海莉さんは語り続ける。
「そうだ。全部壊してしまえばいい。あの子たちを縛るしがらみも、気力を搾取する正義感も、全て! そうすれば彼女たちは自由の身となり、晴れて幸せを謳歌できる! だから私は踏み出したのだ。この道に、この計画に!」
興奮した様子で語る海莉さんを、俺は最早見られない。
自分のしでかしてしまったこと。その予想が確信に変わり、罪悪感と絶望感が胸いっぱいに広がって何も考えられない。
俺が。
この俺こそが、全ての元凶だった。
海莉さんが三つ子が苦しむ理由が御守衆にあると断じたように。海莉さんがこの計画に踏み出した原因は、俺の言葉にあった。
三つ子が姉代わりを失って失意に暮れたのも。高天原邸があの有様になったのも。海莉さんをここまで変えてしまったのも。多くの人を、苦しませたのは。
俺が不用意に放った、言葉の所為だ。
「……だから、内人くん」
そしてあの人が、俺の名を呼ぶ。
久しく聞いていなかった、柔らかな声音で。
「君は、大人しくしていなさい。君を傷つけたくないの。全部が終わるまでは何もしないでいて。そしたら、迎えに行くから」
まるであの頃に戻ったかのように、海莉さんは言う。
「また語らおう? 私、内人くんの話を聞くのが本当に好きだった。毎日でも聞きたいくらいで……そうだ! 終わったらみんなで一緒に暮らそうか! そうすればあの子たちも喜ぶし、私だって毎日君の話が聞けるものね」
名案だとパチリと手を叩き、海莉さんはにこやかに笑った。まるで幸せな未来図を語るみたいに。
「だから、終わるまでは」
そして踵を返し、彼女は俺に背を向けた。
「私の前に、現われないでくれ」
「あ……」
手を伸ばす。だが、届かない。立ち上がって追い縋らなくては、この手は何の力も持たない。
だが、足は動かない。
一歩踏み出すという偉業を成し遂げるには、俺の心は絶望に染まり過ぎていた。
そして海莉さんは、境内から去って行った。
※
――どれほどそうしていただろう。
空は暮れ、雲間から差し込む光はオレンジに染まっている。もうすぐそれも紫色に変わり、夜が訪れるだろう。
だというのに俺はまだ、境内で膝をついていた。
立ち上がる気力がない。
俺の不用意な言葉が憧れの人を悪の道へ追いやった事実が、火で炙るように俺の心を苛み続けていた。
「……はは、は」
過去は決して変えられない。俺のしでかしたことが無かったことには、絶対にならない。
俺の所為で海莉さんは闇に堕ちた。多くの人を苦しめる結果を生んだ。そしてこれから、より沢山の人が死ぬ。俺が不用意に放った、言葉の所為で。
俺はその罪と一生向き合って生きていかなければならないのだ。
「……いっそ死んじまうか」
それは名案のように思えた。こんな気持ちを抱えてこれから生き続けるのなら、もういっそのこと命を絶った方が良い。
そうだ。きっとそれが――
『お前のおかげだぜ?』
「――あ」
だがその時俺の心に浮かんだのは。
他ならぬ俺の言葉だった。
『静久が俺を助けてくれた。それは誰の主観も入らない、純然たる事実だ』
『だから俺が保証する。他ならぬ俺が生きているという事実が確証する。お前は紛れも無く、正義の味方だよ』
静久に告げた、俺の言葉。彼女を励ますために送った俺の台詞。
そうだ。俺の命は、あの子に、あの子たちに貰った物だ。
『なんかさー、ほらアレってあるじゃん。崖に掴まっている人どっちかしか助けられないシリーズ』
『あぁ、よくあるな』
『あーいうの嫌いなんだよね。目に入っちゃったら、耳に聞こえちゃったら、どっちも助けないと気が悪いじゃん』
『そういうもんか』
『そういうもんだよ』
そして俺の心に溢れたのは、
『ちょ、ちょっと!』
『食べたいんなら食べればいいだろ』
『でも……』
『グズってるなら俺だけ食べちゃうぞ。すみません、バナナチョコアイスで。……ほら』
『あ、う……み、ミックスベリークッキーカスタード、で……』
彼女たちと紡いだ、
『あ……』
『さて、もういいだろ。霞澄と日依に会えない理由、まだあるか?』
『……黙っていたのは、不実だから』
『実はそれについてはとっくに解決済みなんだよな。だろ? 二人とも』
『……へ?』
数々の記憶。
『それはそれとして……内人、おかわり!』
『内人、次はお饅頭が食べたい。こしあんで』
『ねぇ内人~、これ花椒ちょっとかけ過ぎじゃない~?』
『俺が大丈夫じゃねぇ……!』
無邪気で、わがままで。けれど誰かの為に戦った、ソックリな少女たち。
確かに海莉さんの言うように、痛みを抱えてきたのだろう。泣くことも、苦しげな言葉を吐くこともあった筈だ。
しかし三人で、それを乗り越えてきた。だから、御伽装士として誇らしげに名乗る。
御伽装士テンユウは、胸を張って戦う正義の味方なのだと。
そう信じて、進んでいく。
なあ、内人。
お前はここで蹲って、彼女たちに顔向けできるのか?
「――ッ!!」
そう思った瞬間、俺の身体は勝手に一歩を踏み出した。脳がそう命じるよりも、早く。
すぐに感情が、魂が追いついて、俺は二歩目を踏み出し立ち上がった。そして天を仰ぐ。
空は相変わらず、雲が覆い尽くす微妙な空模様だった。
「そう、だよな。俺は……アイツらの付き人だ」
独り言が空気に溶けて流れていく。白い息と共に。
「だったら
霞澄は、日依は、静久は、戦おうとした。情けない俺とは違って、敵が海莉さんだと分かっても。
だったら俺も、戦いたい。あの子たちのように、前を向いて。
「例え何も、できなくても!」
そうだ。俺は――進みたいんだ。
『――その心意気、気に入ったぜぇ!』
その時、不意に頭に声が響いた。
「は、え?」
『くぅっ、泣かせるじゃねぇか。惚れた女と子どもの為、てめぇが苦しくても立ち上がる! 悪かねぇ。悪かねぇぞ!』
「だ、誰だ!?」
『てやんでぇ! 今はそんなことどうでもいいじゃねぇか!』
「えぇぇ!?」
突如として響き捲し立てる謎の声。頭の中に直接叩きつけられる大音声に俺は混乱する。一体何が起きている?
『んなことより、そこの神社を開けな!』
「え、は? 罰当たりじゃ……」
『べらぼうめぇ! んなこと気にしてんじゃねぇ! それにどうせ……』
俺は言い立てられるまま神社に上り、戸を開く。長く開けられたことがないのか大量の埃が舞った。それを払いつつ、奥を見る。
普通ご神体が収まっているようなそこにあったのは、
『神様なんてぇ上等なモンはいねぇよ。あんのは――呪いの品だけでぇ』
お札がいっぱいに貼り付けられた、古びた木箱だった。
※
――そこは、奇妙な空間だった。
空は無い。上は岩に覆われ、天よりの光を遮っている。自然光はまったく無い。そのことから見ても、そこがいずこかの地下空間であるというのは見て取れた。
しかし壁に掛かった蝋燭の数々だけがその場を照らす全てなのかというと、それもまた違った。
「……順調だな」
すり鉢状にくり抜かれた、野球場ほどに広い空間。その縁に立つのは海莉だった。内人と別れたその足で、この場へやってきた。
窪んだ中央を見下ろすその顔は、時折瞬く光で照らし出されている。胎動するように光を放つその中心には、何か灰色の靄が如き物が渦巻いていた。
それは海莉が求めた野望が、結実しつつある姿だった。
「この分なら後一日、いや半日で形になるか? 本格始動させるならば、まだ少しの時を必要とするだろうが」
海莉は既に衛星兵器となる化神を作り始めていた。御守衆北海道エリア支部を襲った、その日から。あの襲撃で人心に生じた惑い。そこから発生した化神の幼体をこの場に集め続けていたのだ。全てはこの、まったく新しい化神を作る為に。
「そうすれば御守衆は壊滅する、この化神の裁きの雷によって。……ああそう言えば、まだ名前を決めていなかったな」
海莉は無感情に呟いた。
独り言だ。答える者は誰もいない。
そう、思っていた。
「裁きの雷、ね……だったらさながら、生まれる化神はバケイカヅチってところか」
不意に聞こえた声に、海莉は素早く振り返る。そしてあり得ないという風に瞳を見開いた。
「……何故、ここにいる……内人くん」
そこに立っていたのは、先程別れたばかりの人物、丑川内人だった。
内人は空洞を見渡しながら呟く。
「まさか洞窟の中をくり抜いてこんな空間を作っていたとはな。バケイカリの膂力があれば土木工事もできるって訳か? 御守衆で察知出来ない筈だよ」
「……尾けてきたのか? だが、そんな気配は微塵も……」
野分として暗躍し続けてきた海莉はずっと人の気配を警戒し続けてきた。尾行には人一倍敏感だ。それ故に街での探し人をする内人の調査をずっと躱してきたのだから。
しかしそれ以外に、この場所が発見される心当たりは無い。
「そんなことより。……もう止めにしないか、海莉さん」
海莉の疑問を敢えて無視し、語りかける内人。その顔には寂しさが満ちていた。
「この場所はもう御守衆に報告させてもらった。地下に潜ると電波が通じなそうだったんでな」
「……そうか。だが、手遅れだ。時間が足りない」
この場が御守衆に漏れた。その事実を前にしても海莉は揺らがない。必要がないからだ。
「あの子たち、テンユウがここに駆けつけたとして、ならば私が対処すればいい。体術の師である私が彼女たちを封殺できることは今まで君も見てきた通りだ。ここには静久が操れるような水源もない。もしそれ以外の、別エリアの御伽装士を集めようとすれば……こちらの方が早く事を為す」
「……そうか。もうそんなに時間がないのか」
奥歯を噛み締める内人。タイムリミットは近い。
野望は、着々と実りつつあった。
「この化神……そうだな、君のアイデアを採用させてもらおう、バケイカヅチか」
「よしてくれ。嫌な意見ばかりが採用される」
内人は苦い顔をした。それを見て海莉は苦笑しながら続ける。
「フッ。……バケイカヅチがひとたび完成してしまえば、もう高高度に上がって誰も手出しできなくなる。そうなれば私の勝ちだ。御守衆は潰え、あの子たちは自由になる」
「……そうはさせない、と俺が言ったら?」
「何?」
計画を語る海莉へ、内人は言った。
自分が、止めると。
「俺が貴女を止めると、そう言ったんだよ」
「何を、馬鹿な。ただの一般人である君が、私を止めるなど……なんだ?」
鼻で笑おうとした海莉。だが胸元に何か違和感を覚え、何かを取り出す。
それは溟鼬の怨面だった。微かに、震えている。
「何故だ? 今までこんなことは、無かったのに」
「それはコイツの仕業だろうな」
そう言って内人もまた、何かを取り出す。
「……まさ、か」
「俺も驚いたよ。執事の麦さんから俺に御伽装士の才能があるとか言われたことがあったけど、まさか本当にそうなるなんて夢にも思わなかったぜ」
それは――鼬を模した仮面だった。
「――三枚目の、怨面だと?」
天鼬の、溟鼬の怨面によく似ていた。
ただし色は黒と、金だ。
それは内人の手の中で同じようにして微かに震えていた。まるで、共鳴しているかのように。
「ああ。
怨面を手にした内人は、静かにそれを顔へと近づけていく。
それに海莉は制止を求めるように手を伸ばした。
「止めろ! 君までそんな痛苦を背負う必要は無い!」
「……なぁ、貴女はあの頃と比べ、前に進めたか?」
内人は問いかけた。唐突な問いに、海莉は訳が分からず混乱する。
「なんだと?」
「あの時、俺が選択肢を間違えたあの瞬間から、きっと貴女は進めていない。かく言う俺も、そうだった。……でも」
黄金の仮面を握り締め、内人は海莉を真っ直ぐと見つめた。覚悟の表情で。
「でも俺は、前に進む。……
そして呟くは、何度も聞いた呪文。見届けてきた彼女たちの戦い、その幕を切って落とす音階を、自分の喉から絞り出す。
「オン・ルドラ・ラン・ソワカ」
そう言って面を被れば、内人の肌には赤い痣が浮かび上がった。
「ク、グ、アア゛ア゛ァアァァッ!!」
叫ぶ。砂嵐のような赤い痣。それが表出した瞬間、内人の全身を激痛が走り抜けた。身体の血管という血管を冒されているような苦痛。気を抜けば意識を失ってしまいそうな痛みが四肢を駆け巡った。
「……こんなの、を、毎回耐えてたのかアンタら……やっぱすげぇよ」
怨面に籠められた怨念無念。呪詛がもたらす痛苦に、気力で耐える。その先にしかない、力を得る為に。
「――変身!」
その言葉と共に、砂嵐が吹き荒れた。
「ッ! まさか、本当に」
砂嵐の勢いに気圧されながら、海莉は目撃した。男が戦士に変わっていく様を。
漆黒のアンダースーツ。その上に纏う黄金の鎧。その分厚さや大きさは南蛮甲冑を思わせ、軽装のテンユウやメイユウと比べ遥かに重装甲だった。肩には防塵めいた砂色のマントを羽織り、そのいずれもが長く風に晒されていたかの如く細かく傷ついていた。厳しい砂漠を超えてきたかのようにも見える。
ベルトの意匠はやはり同じ三つ点の金細工。そして顔には、鼬の面。
その瞳は、赤く輝いていた。
「正式じゃないが、敢えて名乗らせてもらおう。俺はキュウユウ。御伽装士、キュウユウ」
黄金の戦士キュウユウは、覚悟を携えて言い放つ。
「いざ、這い蹲ってもらおうか!」