ナノカレコード~顔無し手品師のうわさ~   作:唐揚ちきん

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『外伝 黒桃色の弁明』の続き


断章 水色の聴衆

「さやかちゃんはどうしたいの? 私と戦う? それともいますぐに一抜けしたい? もちろん、このまま私と一緒に居てくれてもいいよ。好きに選んで。今までずっと頑張ってくれたから、どんなものであっても私はその選択を尊重するよ」

 

 私の親友だった少女は微笑みと一緒にそう聞いてきた。

 だから、私は答えた。

 

「もう、まどかのやり方には付き合えない……」

 

 まどかはそれに笑顔で承諾する。

 

「うん。それがいいと思うよ」

 

 私は尋ねずには居られなかった。

 

「……まどか。あんたはそれでいいの?」

 

 どうして、そんな風に言えるのか。

 どうして、そんな風に笑えるのか。

 どうして、──そんな風になってしまったのか。

 

「さやかちゃん。その台詞は他に選択肢がある人へかける言葉だよ」

 

 黒と桃色のオッドアイが私を見つめる。

 二色の瞳の奥にはたった一つ想いが流れている。

 責任感。

 それだけが今のまどかの原動力になっている。

 今のまどかはどんな非道なことでもやる。

 恨まれても。

 呪われても。

 憎まれても。

 ただ独りきりになっても必ずやり遂げる。

 あの頼りなくて、優しい私の親友はどこにも居ない。

 居るのは残酷で、容赦のない魔法少女のための神様だけだ。

 

「ありがとう、さやかちゃん」

 

 かける言葉も見つからない私にまどかは感謝の言葉を言った。

 その言葉にさえ、私は応えることが出来なかった。

 ただ、最期にあのバイオリンの演奏が聞きたかった。

 私はセカイから弾き出され、このバショから突き落とされる。

 落ちていく。

 

 堕ちていく。

 

 おちて──いく。

 

 

 どこまでも。

 

 

 

 どこまでも。

 

 

 

 

 下へ。

 

 

 

 

 そう、下へ。

 

 

 

 

 

 

 ……とぷん。

 

 

 身体が水の中へ沈み込む感覚があった。

 深い、深い水の中。

 長い落下から解放された私を柔らかに包む液体が覆っている。

 息苦しくはない。安心がある。

 何だか懐かしいと思えた。

 これは独りの感覚。何とも繋がっていない私だけの意識。

 ぼんやりとした意識を浮かび上がらせる。

 ……音だ。

 何かの、音が聞こえる。

 くぐもっているけれど、どこからか音が流れている。

 私はその方向へ泳いだ。

 音が段々とはっきりしてきた頃、それが何の音なのか分かった。

 これは……バイオリンの音色。それに、この旋律……!

 無我夢中で私は浮上する。

 何もかも考えられないくらい必死になって上がり続けて──。

 気が付けば、“そこ”へ出た。

 

 くすんだ銀色の髪が、夕陽を受けて(きら)めいていた。

 腰の辺りまで伸びてしまった銀髪を後ろで緩く纏めた彼は肩にバイオリンを乗せ、弓を滑らかな手付きで動かす。

 奏でる音色は穏やかでいて、力強い。それでいて、繊細な演奏。

 植木や遊具がごっそりとなくなって、がらんどうになった公園でバイオリンを演奏しているのは……恭介。

 

『────────────────────……!?』

 

 名前を呼ぼうとして、代わりに出たのは声とも呼べない音の羅列。

 手を伸ばそうとして、視界に映ったのは鉄の色で覆われた籠手(こて)

 自分の姿を想像するよりも先に、恭介を守るように青い髪の少女が飛び出した。

 

「魔女!? 結界でもない水の中からいきなり現れるなんて……。ッ……恭介、下がって」

 

 魔力で衣装を作り上げた彼女は……私。いや、美樹さやかだった。

 自分の身体を見下ろす。

 頭の中で思い描いた通り、私の姿は人魚の魔女になっていた。

 下半身は噴水の水路の内側へ埋もれるように沈んでいる。

 はは……。

 乾いた笑いが脳内で浮かんだ。

 理の外に投げ捨てられた私は、もう人の形も取れないんだ……。

 ここは神浜市がある世界。

 まどかが作った次の神様を生み出すための箱庭。

 そこで、美樹さやか(わたし)に殺されろって……?

 それはあんまりだよ、まどか。

 サーベル状の剣を私に向けた青の魔法少女が警戒した目で睨んでいる。

 

「よりにもよって、マミさんたちと一緒じゃない時に出くわすなんて、ツいてない。だけど、あたしが居る限り、恭介には指一本手出しはさせないんだから!」

 

 ……いいな。羨ましい。私もそんな風に恭介を守って、魔法少女として戦いたかったな。

 でも、無理か。私は魔法少女の真実を知って、自暴自棄になって、人殺しまでした。

 そんな女の子が好きな人を守って、正義の魔法少女なんて出来っこない。

 悪い魔女はここで倒されるのが、きっと正しい。

 私は諦めて、正義の魔法少女の一太刀を待った。

 

「何……? そっちが来ないっていうなら、あたしの方から……」

 

「さやか」

 

 一瞬、自分の名前を呼ばれたのかと勘違いしそうになったが、恭介が呼び止めたのは当然ながら魔法少女の私だった。

 

「見たところ、暴れる様子はないよ。『彼女』は僕の演奏を聴きにきただけみたいだ」

 

「彼女って……恭介、アンタ。ちゃんと見えてる? 魔女なんだよ、魔女。魔法も魔力もなくなった今の恭介じゃ太刀打(たちう)ちできないできない危険な化け物なんだよ?」

 

 かつての自分の顔と声を持つ相手に“化け物”と蔑まれ、思わず胸が苦しくなった。

 恭介は少し悲しそうな表情を浮かべ、同意するように頷いた。

 

「……そうだね。今の僕にはどうすることもできない相手だ」

 

「だったら、ここはあたしに任せて……」

 

「でも」

 

 彼女の言葉を遮って、恭介は言葉を続けた。

 

「化け物って言い切るのは止めてほしい。魔女は、さやかたちと同じように魔法少女として戦っていた存在なんだから」

 

「恭介……」

 

 魔法少女のさやかは何か言いたそうに恭介の名前を呼んだ。

 恭介はそれをそっと押し留めるようにして、私が居る噴水へと一歩近付いた。

 

「君もバイオリンの演奏、好きなのかい?」

 

 まるで人間の女の子にでも尋ねるように、恭介はそう私へ聞いた。

 

『────……』

 

 返事をしたかったのに、喉から流れ出るものはとても言葉言えない異音で思わず黙り込んでしまう。

 何にも言えない。何も話せない。

 ぼとぼとと兜の中から黒い中身がこぼれ落ちていく。

 水路の縁に撒き散らされた液体は涙ですらない。

 水面に映った私の顔は三つの眼孔がある醜い魔女の形相。

 俯いた私に恭介はそれ以上言葉を掛けることはなかった。

 代わりに聞こえて来たのはバイオリンの音色。

 再び、演奏に戻った恭介は目を閉じて、ただただバイオリンを弾き続ける。

 さっきまでよりもずっと繊細に、ずっと穏やかに。

 優しく()でるような音楽が私の心を柔らかに融かしていく。

 顔を上げた私に気付いて、恭介は演奏を続けながら薄っすらと目蓋(まぶた)を開いた。

 弓を弾く度に銀の髪が揺れる。

 白いワイシャツにベージュのチノパンというラフな格好なのに、演奏会で着るタキシードなんかよりもずっと上品で優雅に映った。

 フッと微笑みかけた彼に、私は目を奪われた。

 小学生の頃に両親に連れて来てもらったバイオリンのコンクールを思い出す。

 あの時、私は壇上に立って演奏をしていた恭介に目を奪われた。

 恋をしたあの瞬間が脳裏に蘇る。

 

 何で忘れていたんだろう。

 私はこんなにも恭介が好きだったんだ……。

 誰よりも輝いて、誰よりも凛々しくて、絵本に出てくる王子さまみたい。

 ああ、思い出した、この気持ちに間違いなんてなかった。

 奇跡で恭介の左手を治したこと。

 魔法少女になったこと。

 後悔なんてあるわけない。

 

 それから幸福な時間が続いた後、演奏が終わる。

 恭介はバイオリンを降ろすと(かしこ)まった一礼をした。

 夕焼けが舞台のライトのように演奏者を照らしている。

 嵐の過ぎ去った後の荒れ果てた公園は、今だけはどんな豪華なコンサートホールよりも(きら)びやかだった。

 

「僕の演奏はどうだったかな? 少しでも楽しんでくれたのなら嬉しいけど」

 

「…………」

 

 もしも言葉が話せたのなら、最高だったと恭介に答えられた。

 だけど、それは叶わない。

 だったら、せめて。

 手を叩いた。

 感謝と、喜びと、それから最後まで口に出せなかった恋心を込めて。

 私は拍手を彼へ伝えた。

 硬い籠手同士がぶつかり合う不細工な金属音しか出せなかったけれど、それでも構わなかった。

 恭介は少しだけ驚いた顔をして、すぐに穏やかに微笑んだ。

 

「……嬉しいな。聞いてくれてありがとう」

 

 “ありがとう”はこっちの台詞だっての。

 本当に。本当にありがとう。

 こんな姿の私に演奏を聴かせてくれて。

 私に微笑みかけてくれて。

 ありがとう……恭介……。

 

 もう思い残すことは何一つなかった。

 私は水路の中に手を浸し、一本の剣を掴んで取り出す。

 

「ッ……! やっぱりこいつ、恭介を襲う気!?」

 

 この世界の(さやか)が剣を構えて、切っ先を向ける。

 違う。違うよ。

 決着を付けるのに。終わりを告げるのに。

 魔法少女(あなた)の手は借りない。

 逆手に柄を握って、私は自分の喉に刃を突き立てる。

 

「……なんで」

 

「…………」

 

 呆然と見つめる魔法少女と、どこか悲し気な瞳で見つめる奏者。

 二人の観客の前で、黒い魔女の血が噴水のように流れ出る。

 

『─────kYO──Zu──ke──』

 

 穴が開いたおかげか、最期にようやく言葉らしい音が(こぼ)れた。

 悲し気な目を向けていた恭介の瞳が大きく、見開かれている。

 

「……………………さやか?」

 

 彼の視線はすぐ近くに居る魔法少女(さやか)ではなく、少し離れた魔女(さやか)へ向けられていた。

 普通は気付かないでしょ。こんな醜い魔女が、可愛いさやかちゃんだって……。

 ああ、もう本当にアンタって……。

 

 ──大好きだよ。恭介。

 

 もう形が保てない。

 喉に刺さった剣が崩れ、内側にあった中身がとめどなく、外へと流れていく。

 流れた液体はすぐに粒子状の魔力になって消え始める。

 思考も覚束(おぼつか)なくなっていく。

 まどか……。アンタにもお礼、言っとくね……。

 

『今までずっと頑張ってくれたから、どんなものであっても私はその選択を尊重するよ』

 

 あの台詞には何の嘘も、比喩も、皮肉も混じっていなかった。

 ありがとう、私に……幸せを、思い出させてくれて……。

 でも、やっぱりアンタは間違ってる。

 アンタだって、救われていいんだよ……。

 次の神様とか、そんなの全部一人で背負ってたらさ。

 誰がアンタを笑わせてやれるの……?

 誰がアンタを幸せにしてあげられるの……?

 

 ……ああ、そう言えば、一人居たかも。まどかにもそんな奴がさ。

 悪いけど、あたしにはできなかったから……。

 アンタが、代わりに救ってあげてね……。

 ──■■。

 私は勝手に祈って、勝手に託す。

 いつか一人戦い続ける親友にも、幸福があることを願って──。

 

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