第一話『かごめと鏡像の少年』①
これは正しい人たちのための物語じゃない。
これは魔法少女のために紡がれた物語じゃない。
きっと全部間違っていて、きっと全部削除されるべき物語。
それでも私はそれを見て、聞いて、知っている。
だから、
最初に記すとしたら、それは彼のことから。
どうしようもないくらいに、極端で。
どうしようもないくらいに、真っすぐで。
どうしようもないくらいに、悪い人なのに。
どうしようもないくらいに、温かい人。
すべては彼と出会った時から始まった。
***
……やっぱり今日は止めておこうかな。
お化け屋敷のような外観の洋館を前にして、私は
明らかな廃墟。一人で入るのは勇気が居るくらいに暗くて、怖い。
「ど、どうしよう。アルちゃんはどう思う?」
「<行くしかないよ、かごめちゃん。約束したんだよね? じゃあ、守らないと>」
「……そうだよね。約束は守らないといけないよね」
アルちゃんと腹話術で会話をして、心の平静を保つ。
保ててるっていうのかな、これ……。いや、保ててるよね。うん!
私は怯えを無視して、鏡屋敷の扉に手を掛ける。
鍵は掛かっていなかった。
「開いている……よ、よし」
ちょっとだけ鍵が掛かっていてほしかった気持ちを誤魔化して、屋敷の中へ足を踏み入れた。
中は思ったよりも明るかった。玄関から先のエントランスの中央には階段が見える。
階段の上には踊り場があって、そこには大きな姿見が一つ付いていた。
周囲を見渡して、おっかなびっくり階段を上がった私はその姿見へと近付いて、
階段には
その時、私の姿が映った鏡面が一瞬だけ白く光った。
「きゃっ……」
本当に二秒か、三秒くらいの短い時間。
たったそれだけの時が過ぎた後、腕を降ろして、目に映ったのは不思議な空間だった。
全体的に青みがかった広い場所。
書き割りのような平面じみた建物の外壁がまばらに床から生えて、その外側に階段が交差するように巡っていた。
書き割りの壁には数えきれないぐらいの鏡が掛かっている。
そのどれも大きさも形も違うフレームに収められていた。
「えっ……ここ、どこ……」
すぐに周りを見回したけれど、さっきまで居た屋敷の景色と同じ場所はどこにも見当たらない。
困惑と恐怖が胸の中でグルグルと回り、私はその場から動けなくなっていた。
『fidvkvxcjafsdfvh;Djliaeo;w』
「え?」
何かが、私の近くに居た。
白い袋の上に一枚の紙を咥えたアリクイのような生き物。
首からくすんだ青緑をして、そこから下は薄紫色をしていた。
首の周りだけ黒い毛皮で覆われていて、背中には小さなテーブルとコーヒーカップを生やしている。
「何……い、生き物、なの?」
『skefi;hlivj,sakjsdalihgl;as;:』
得体の知れないアリクイ風の生き物は咥えている紙を私に差し出すように突き付けてくる。
紙には漢字とひらがなとカタカナをでたらめな順番で混ぜた、読みづらい文章が書かれていた。
【誓約しョ 】
ワたシハ、神ハまヲ
滅ぼスコとヲ、誓イま、ス
なマエ:
短い文章なのに頭に入るまで少しの時間を必要だった。
誓約書?
神浜を滅ぼすってどういうこと……?
何から何まで分からない。
ただ、名前の部分だけが空欄であることと、そして、私へ差し出されていることから、私の名前を書くように迫っていることだけは伝わってくる。
「それに、名前を書けばいいの……?」
逆らえば何をしてくるか分からない。
とりあえず、従う以外、私に選択肢はなかった。
学生鞄から震える手で筆箱を取り出して、ボールペンを引き抜く。
アリクイ風の生き物が咥えた誓約書の端を指で引っ張り、ボールペンを走らせた。
なマエ:佐鳥かご
最後に“め”の文字を書こうとした瞬間のことだった。
突然、金色の軌跡が私の視界を横切った。
「こ、今度はなに……!?」
私は驚いて、とっさに目を瞑って身を縮こまらせた。
だけど、目を瞑り続けているのも不安で薄っすらと
目の前に見えたのは、アリクイ風の生き物が頭を失って、虚空へ
どうにか気力で立っていたけど、そこが限界だった。
「ひっ……」
後ろへ仰け反り、尻餅を突いてしまったけれど、視界に入る衝撃的な映像への恐怖で手一杯な頭は痛みを感じている暇もなかった。
「魔力も反応もしなけりゃ、ソウルジェムの指輪もねぇ。明らかに迷い込んで来ただけのガキじゃねーか。取って食うならいざ知らず、何アコギな真似してんだよ、殺すぞ。……あ、殺してたわ」
男の人の声が聞こえた後、こっちに向かってくる足音がした。
私は恐る恐るその足音がしている方向を向く。
私の方へ歩いて来るのは、黒い髪を中分けにした手品師衣装の男の子。
背格好から見て、私と同年代ぐらいに見える。
床に落ちていた誓約書をクシャリと靴で踏み付けた。
顔立ち自体は平凡なのに目付きだけは鋭く、ギラギラとした野生的な印象があった。
何を言っているのか半分くらいしか分からなかったけれど、私を助けてくれたのは彼のようだった。
「あの……助けて、くれて……」
「俺サマが気に食わねぇからシバいただけの話だ。別にオメーを助けたワケじゃねぇ。それよかオメー、何しに場所来てんだ。自殺でもしに来たんか?」
あんまりな言葉選びに怯んだ私だったものの、すぐに返事を返した。
「じさっ……ち、違います! 私は……」
私は約束を果たすためにこの鏡屋敷に……。
…………あれ?
「何をするために、鏡屋敷まで来たんですかね……?」
「えっ、それ……俺サマに聞くの? 当たり前だけど知らねぇぜ?」
多少困惑した様子で中分けの男の子は答えてくれる。
口調は荒っぽいけど、想像したよりもずっと話が通じる相手で私はこんな状況なのにホッとする。
「ですよね……。えーと、あなたのお名前は」
私が名前を尋ねると、彼は歌舞伎役者のようなポーズを決め、その場で動きを止めてから、グルンと首を回し、最後に力んだ調子で叫ぶ。
「“時代が生んだ時代の男”! 人呼んで中沢アキラたぁ、あ、俺サマのことォよォ!」
……どうしよう。話通じない人かもしれない。
少しでもまともな人かもと思った過去の自分を
「んで、オメーの名前は?」
「あ……佐鳥かごめって言います」
他人と対話をする気があるのかないのか分からない人だ。
「んじゃ、かごめ。さっきからずっと大事そうに抱えてるけどよ、そのハニワとココナッツを足して二で割ったようなぬいぐるみは何だ?」
ハニワとココナッツ……?
あ、もしかして、アルちゃんのこと?
「ええと、この子はアルちゃんって言って、コホン……<かごめちゃんの一番の友達なの。よろしくね>」
「アル・チャンか。出身地は中国辺りだな。ニーハオ、アル・チャン。俺サマは中沢だ、よろしくしてやんぜ」
イントネーションが違う!?
多分、アルちゃんまで全部名前だと勘違いされてる。訂正しないと。
「<“アル・チャン”じゃなくて、“アル”が名前で“ちゃん”は敬称だよ>」
「あん? ケイショウ? そりゃそーだろ。ファミリーネームは代々親から子へ継承されるモンなんだから」
ああ、単語がすれ違い!
どうしたら伝わるの、この認識の間違い?
でも、アルちゃんをぬいぐるみじゃなくて、一人の存在として受け入れてくれたことは素直に嬉しい。
私が腹話術で話しても変な目で見たりしないのもありがたかった。……それは中沢さんの方がずっと変だからっていうのもあるかもしれないけど。
複雑な感情を整理できないまま、私が悩んでいると中沢さんはすうっと僅かに目を細めて、私から視線を外した。
「かごめ、アル・チャン。オメーら、そろそろ危ねぇからさっさとこっから……いや、俺サマから離れた方がいいぞ」
「な、何でですか? むしろ、中沢さんから離れた方が危ない気がしますけど」
正直に言えば、あんな得体の知れない生き物が出るこの空間で一人になるのは心細い。
性格も含めて、よく分からないところがあるけど、特別な力を持っている中沢さんと一緒に居た方が安心できた。
「俺サマを狙ってやがる分不相応なカスが近付いて来てんだよ。……ほーら、噂をすりゃあ何とやら、だ」
中沢さんがそう言った直後、私たちのちょうど真横ぐらいにあった鏡の貼り付いた柱が突然、跡形もなく消失する。
「……!」
消えた柱の後ろから人影が飛び込んでくる。
真ん中分けの黒い髪に、手品師風のシックな衣装。
現れたのは、服装から顔まで中沢さんと瓜二つの男の子だ。
「いきなりだったから、さっきは油断したけど、今度はこっちの番って……他にも居るの!?」
中沢さんの近くに居る私を見て、彼はびっくりしたように目を丸くした後、足を止めた。
コロコロ変わる表情や何となく頼りなく聞こえる口調はあまり似ていない。
「他の魔法少女のコピーって……訳じゃないよな? 魔力の流れも感じないし。ってことは、迷い込んだ普通の人か? その人を襲うつもりだったんだな!」
内容については全部は分からなかったけど、私が中沢さんに襲われていると勘違いしてることは分かった。
「ち、違います! この人は……」
「そいつは人じゃないんだ! 俺の姿を真似ただけの使い魔──化け物なんだよ!」
「え……っ」
中沢さんのそっくりさんの言葉に私は戸惑った。
化け物って、中沢さんが?
困惑した頭で中沢さんの方へ振り向くと、彼は平然と答える。
「間違っちゃいねぇなぁ。俺サマは人間じゃねーし、姿形も記憶も魔法も皆、あいつから写し取ったモンだ」
「ほらっ! だから、その偽物の俺から離れて、早くこっちに!」
中沢さんのそっくりさん、ううん。本物の中沢さんは向こうに居る方らしい。
でも……私を助けてくれたのはここに居る中沢さんの方だ。
どうしても、私の隣に居る中沢さんが化け物だなんて思えなかった。
「……っ、偽物の俺に何かをされたのか? だったら、先に偽物の俺の方を倒すまでだ!」
だけど、私が動こうとしないことに本物の中沢さんは痺れを切らしたようで、こっちの中沢さんへ向けて、再び走り出す。
その両手にはいつの間にか、丁字型の黒く短い棒が握られていた。本で見たことがある。確か、トンファーと呼ばれる武器。
「俺サマを倒すだぁ? 手も足も出ずにボコられてたカスが一丁前に言うじゃねーか。じゃあ、やってみろや、
私の隣に居た中沢さんも同じように黒のトンファーを両手に握っていた。
向かい合って駆ける二人は正しく鏡写し。
お互いがお互いの武器を打ち合って、激しく打撃音を響かせる。
相手の攻撃を弾くと同時に防ぎ、押し込むように距離を詰め合う。
額と額が接触するほどの間合いで二振りのトンファーが削り合うように衝突を繰り返す。
だけど、永遠にも感じられた接近戦は突如終わりを告げた。
均衡は崩れて、片方が弾かれたように身体を
弾かれたのは野生味のある中沢さんの方だった。
「終わりだ、偽物!」
本物の中沢さんがトドメとばかりに右のトンファーを振り被る。
でも。
「アホがよ……」
後ろへ反り返った身体は倒れることなく、逆立ちになる。
一対のトンファーの先端が地面に接触した瞬間、彼は両足を開いてコマのように回ってみせた。
「……!」
カポエイラのような鋭い回し蹴りが、ガラ空きになっていた本物の中沢さんの腹部へ吸い込まれるように激突する。
「がはッ……」
避けることはもちろん、もう片方のトンファーで受けることも叶わず、みぞおちへ直撃。
本物の中沢さんの身体はくの字に曲がって、宙へと舞い上げられた。
「見え見えの誘いに乗ってんじゃねぇよ、タコ野郎が!」
回し蹴りの勢いで腰を
蹴り飛ばされた方の中沢さんは地面を滑るように転がって仰向けに倒れた。
「……げほッ、だ、だったら、
すぐに上体を起こした彼は右手の指の隙間から三枚の金色のコインを取り出し、次々に親指で空中に弾き出す。
金色の軌跡を描いて、宙に三筋の直線が流れた。
あれは野性味のある中沢さんも使っていたものと同じ……!
「……だから、オメーはカスだってんだよ」
野性味のある中沢さんは黒いトンファーを握る。すると、トンファーは崩れるようにして、一枚の黒い大きな布へと変わった。
飛来した三本の奔流が直撃する寸前、大布が振るわれた。
黒い布は、はためくように大きく揺らめく。
なびいた黒布の端が地面に付いた時、不機嫌な彼の顔が本物の中沢さんを刺すように見つめていた。
本物の中沢さんはわなわなと震えて呟く。
「そ、そんな……俺の攻撃が……ヌルオさんから受け継いだ俺の魔法が……」
ギリッと音が聞こえるくらいの歯噛みが聞こえた。
野性味のある中沢さんの方からだった。
彼は黒い大布の中央に自分の右手を差し込む。
「うぐッ……」
本物の中沢さんの首を、空中から生えた白手袋の手が
右手だった。
もしかして……あの手は。
その手が今、黒い布に差し込んだ野性味のある中沢さんの手だと理解するのに数秒かかった。
どういう原理なのかまでは分からないけど、本物の中沢さんの首を締め上げているのは、大布に手を差し込んだ野性味のある中沢さんの手だ。
「何でだよ……何でオメーはあの人からこんなに強い力を受け継いで、何でそんなに
「ぐ、は、放せ……」
「何でそんなに弱ぇオメーが本物で、俺サマが偽物なんだよ……」
その言葉には怒り以上に深い嘆きが含まれているように私には響いた。
だけど、今はそれよりも野性味のある中沢さんを止めなきゃいけない。
そうじゃないと、本物の方の中沢さんを殺してしまいかねない。
「な、中沢さん……それ以上首を
「当たりめぇだろ? 本当に殺すんだからな」
私に向けられたその目は、さっきまで和やかに話していた時の彼じゃなかった。
ぞっとするほど冷たく、感情の消えた瞳。
私はその瞳を前にして、何も言えなくなっていた。
どうしたらいいの?
私は、この場でどうするのが正しいの?
アルちゃんは答えてくれない。だって、腹話術をする私が声を出せないんだから当然のことだ。
「そこまでだよ! コピーの中沢君」
聞いたことのない女の子の声がその場に響いた。
野性味のある中沢さんの元へ、ピンク色にきらめく光の矢が飛んで来る。
彼はそれを左手のトンファーで難なく弾いてみせたが、意識は矢を放った人物へ移ったようで視線を声の先へ向けた。
私も同じようにそちらを向く。
そこには腕に付いたクロスボウを構えるケープ姿の少女が立っていた。
ピンク色の髪の、少女。
……あれ。どこかで聞いた特徴。
「いろはじゃねぇか。オメーが一番早く自分のコピーを倒して駆け付けたってワケかよ。傑作だな」
いろは……?
そう、環いろは!
私はあのいろはさんって人に会うために、鏡屋敷に来たんだ。
夢の中で誰かとそう約束していたことを今、思い出す。
「なんか、すごいワイルドだね。コピーの中沢君」
呼び捨てにされちゃった、と何だかちょっと気恥ずかしい様子を見せた後、クロスボウを構えた姿勢で言った。
「中沢君から手を放して。じゃないと……」
「撃つってか? オメーの豆鉄砲みてぇ矢じゃ、俺サマには大したダメージは与えらんねぇぞ」
「そうだね。でも、あなたの気を引くくらいはできたかな」
いろはさんがそう答えた時。
野性味のある中沢さんの真上に影がかかる。
「本物の中沢から……手を放せぇ!」
巨大なハンマーが彼の頭上から降って来た。
もっと正しく言うなら、小さな女の子がそのハンマーで彼を叩き潰そうと振り下ろしている。
黒い布から右手を引き出し、野性味のある中沢さんはそのまま布を掴んで振るう。
「うわっ、わわわッ」
ハンマーの先が消滅して、持ち手だけを握った金髪の少女は重心を崩して、頭から落下しかけた。
だけど、彼女が地面に激突する前に野性味のある中沢さんが大布とトンファーを捨てて、抱き留める。
「おいおい。相変わらず、オメーはお転婆だな。フェリシアよう」
呆れたような表情だが、しっかりと抱き留めた彼女を地面に降ろした。
「え? な、何で偽物のお前がオレのこと助けんだ?」
毒気が抜けたような顔で、目を白黒させて金髪の女の子、フェリシアさんは彼を見返す。
「偽物か。そう、だな……。オメーは俺サマを知らねぇが、俺にとっちゃよーく知ってからだな」
少しだけ寂しそうに笑った後、また歯を見せるような覇気のある表情に戻った彼はフェリシアさんを優しく押した。
フェリシアさんは動揺した様子だったが、すぐにむせ込んでいる本物の中沢さんの方へと駆け付ける。
いろはさんと、それに背の高い青い髪の女性も彼の手を取って、立ち上がる手伝いをしていた。
「あと、残ったコピーは中沢君のものだけね。一番厄介だわ」
「げほッげほ……すいません。七海さん。俺……」
「大丈夫? ごめんね、中沢君。まだ一人で戦うようになって日が浅いのに無理言って連れ出しちゃって」
「そうだぞ、中沢。お前は少し、休んでろよ。ここはオレたち、魔法少女に任せとけ!」
「環さん……深月ちゃん。ごめん。ありがとう」
魔法少女というらしい三人に庇われて、本物の中沢さんは呼吸を整えている。
その様子を眺めていた野性味のある中沢さんは、吐き捨てるように言った。
「女の陰に隠れてへたれてやがる……どこまでオメーはカスなんだよ、
「……性格は正反対のようだけど、記憶の方は正確に中沢君からコピーされているようね。ここは一度撤退した方が良いかもしれないわ」
やちよさんというらしい、背の高い青い髪の女性は少し考え込む姿勢を取った後、野性味のある中沢さんへ尋ねた。
「ねえ、コピーの中沢君。私たちを見逃してくれないかしら?」
「おい、やちよ! 中沢をこんな風に痛め付けた偽物から逃げんのかよ!」
フェリシアさんがその提案に異議を唱えるが、彼女は落ち着いた様子で返す。
「そうよ。その中沢君が手も足も痛め付けられている状態だから逃げるの。否定の魔法は私たち魔法少女には天敵よ。頼みの彼が万全ではない以上、三人がかりでも分が悪いわ」
理知的な答えを返されたフェリシアさんは、何か言いたげだったが、本物の中沢君がまだ落ち込んでいる姿を見て、言葉を呑み込んだ。
いろはさんはやちよさんの提案に異論はないようで、黙って野性味のある中沢さんの方を向いている。
「……いいぜ。だがよ、こっちから一つ条件がある」
「何かしら? 私たちが素直に従える内容だと良いのだけれど」
野性味のある中沢さんはちらりと私を横目で見てから、やちよさんに言った。
「この迷い込んだ一般人を一緒に連れて帰ってくれ」
「何かと思えば、そんなこと。むしろ、魔法少女としては当然の役目ね。でも、本当にそれだけで私たちを見逃してくれるの? ──この結界の使い魔であるあなたが」
「何だよ、やちよ。文句あんのか? 別に全員纏めて皆殺しでも俺サマ的には構わねぇんだぜ?」
足元に落ちていたトンファーを
戦闘続行でも構わない。獰猛な彼の瞳はそう
僅かな間、二人は緊迫した空気が流れた後、やちよさんは無防備に背を向けた。
「帰るわよ。フェリシアは中沢君を支えてあげて、いろはは……」
「分かってます。あの子を呼んできますね」
「ええ。お願い。私が近付くと無駄に警戒させそうだから」
やちよさんのその言葉にいろはさんが頷いた後、私の方へ歩み寄る。
野性味のある中沢さんは、それを横目で見ることもなく、そっぽを向いていた。
「私は環いろは。あなたのお名前を教えて」
「わ……私はかごめ、です。佐鳥かごめ……」
「かごめちゃんって言うんだ。良い名前だね。いきなりこんな場所に来て、ビックリしてるよね? 私と一緒に元の場所へ戻ろうよ」
私を安心させるように微笑んで手を差し伸べてくれる。
優しそうな人だ。実際、私に気を遣って言葉を選んでいるのが分かる。
私は野性味のある中沢さんの方を見た。
彼は何も喋らない。視線も向けては来ない。
「……はい」
いろはさんの手を握る。
彼女に付いて行けば、元の鏡屋敷に戻ることができそうだった。
「それじゃあ、こっちに来て」
彼女に手を引かれ、言われるがままに私は歩き出す。
いろはさんの前にはやちよさんと、フェリシアさん、そして二人に挟まれるようにして、本物の中沢さんが歩いている。
ふと、進みながら私は思った。
偽物だと彼は言っていた。
化け物だと自分を呼んでいた。
でも、姿だけじゃなくて、記憶も心もそっくりそのまま持って生まれたのだとしたら、あっちの方の中沢さんは、今どんな気持ちで居るのだろうか。
『オメーは俺サマを知らねぇが、俺にとっちゃよーく知ってからだな』
自分の知っている人が、自分を知らないのはどんな気分なのか。
自分の大切な思い出が、全部誰かの借り物だって分かってしまうのはどんな気持ちなのか。
自分だけの居場所に、自分とよく似た誰かが収まっているのはどんな心持ちなのか。
「……かごめちゃん?」
それを考えたら、自然と私の手はいろはさんの手から離れていた。
不思議そうに振り向くいろはさんへ私は大きく、頭を下げた。
「ごめんなさい……。でも、まだ、やることが残ってるから……だから、本当にごめんなさい……!」
それだけ言うと、私は返事も聞かずに彼女たちから離れる。
後ろでいろはさんが私の名前を呼んでいたけど、それを振り切るように走った。
伝えたいことがあった。
伝えていないことに気付いた。
私はまだ、彼にお礼を言ってない。
助けてもらったことの感謝を彼に言えてない。
戻って来ると野性味のある中沢さんは、背を向けていた。
声を掛けようとしたけど、それよりも早く彼は床に広がった布の上に乗る。
まるで、そこに穴でもあるかのように野性味のある中沢さんの姿が沈んで消えた。
「え……」
困惑が頭の中に広がったけど、さっき見た光景を思い出す。
野性味のある中沢さんは、この布に手を入れて、別の場所から手首の先を出していた。
この黒い布は、別の空間を繋げることができる力がある……のだと思う。
考えている内に、布の端が音もなく消えていく。ゆっくりしている時間はない様子だった。
「アルちゃん……」
「<かごめちゃん、やろうと思ったことは最後まで貫かなきゃ>」
「そうだよね。うん! ……たぁ!」
私は意を決して、その布の中に飛び込んだ。
身体がすっぽりと布の中へ沈む寸前、私を追いかけようと戻って来たいろはさんたちの姿が見えた。
せっかく、私を元の世界に連れて行ってくれようとしていたのに、いろはさんたちには悪いことしちゃったな……。
申し訳なさを抱えて、私の視界は黒に塗り潰された。
第二部始めました